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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

正しい絶望のすすめ㉑

2018年02月12日 | 正しい絶望のすすめ
正しい絶望のすすめ㉑

よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
  凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。

さまざまな川が、大海に流れ入る時、海の働きによってすべての川の水が海の潮となる。そのように人は苦しみの濁流にあっても、阿弥陀さまの光に出会うと、怒りや欲望、愚痴といった濁りから解放されていきます。

 もう十数年前の話です。当時、築地本願寺(東京都中央区)はH師が代表役員を務めておられました。本願寺派の宗務総長も務めた大物です。
その頃、築地本願寺事務所の入り口に、いつも、形がしっかりした業務用の自転車が置いてありました。その自転車はH師の愛用車でした。都内の近場は、いつもこの自転車で移動しておられました。
 H師は、ある時、日比谷の帝国ホテルで結婚披露宴があり、来賓として招かれたことがあります。背広姿で愛用の自転車に乗り築地から日比谷まで20分の距離です。そして自転車で帝国ホテルの正面へ乗りつけました。スタンドを掛け、鍵を閉めると、ドアマンに「これを頼むよ」と渡したのです。
 
帝国ホテルの正面へ、自転車で堂々と乗りつけた人はいなかったらしく、ドアマンは、その意外さに、あっけにとられ平常心をうしなった。仕草で言えば“目をパチクリ”です。
 帝国ホテルへ自転車で駆け付けたことは2度あり、2度目は、平常心で対応してくれたと、H師から愉快なエピソードとして話してくれました。
 「自転車で危険な行為」に関する法律が施行された現在では、飲酒が伴う席に自転車で行くことは無理な話です。もちろんお酒を飲まなければOKですが。
 ともあれ自転車であってもH師の畏怖堂々とした態度があればこそ、帝国ホテルの玄関でも絵になります。
 
わたしたちは、どうしても世間体を大事にして暮らしているので、自分の持ち物や学識、財産にプライドを見出し、他人との比べ合いの中で自尊感情を見出しがちです。
 社会生活の中では、それも大切ですが、人生という海原(うなばら)では、いつでもどこでも、どのような状態でも、わたしを“かけがえのない存在である”と受け入れてもらえる豊かな拠り処が大切です。
 わたしのその時のありようによって、支えになったり支えにならなかったりする依りどころでは、確かな拠り処とはいえません。
依りどこらがしっかりいている。これが大事です。以前、マイクロメータ―の会社に講話に出向したことがあります。マイクロメータ―は、微小な長さを精密に測定する機械のことです。計りの会社なので、講話のなかで、「1メートルは光が真空中を一秒間に進む2億9979万2458分の1」という話をしました。話を終え、幹部の方と一緒にお茶を飲んでいると、その方が次のように言われました。「わたしたちの会社は恵まれています。1メートルの単位は、どこで計っても1メートルは1メートルで変わることがありません。これが重さとなると地球には重力があるので、計る場所によって重さが違ってきます」とのことでした。
自宅に帰って調べてみると、赤道直下と北極点では、赤道上での体重を1とすれば極地での0.5%増えるとあります。工場長がいわれた“計る場所によって重さが違う”とはこのことです。その点、1メートルは、どこで測ってもIメートルです。しかし重力のもとでの重さの計量には違いが出てしまうのです。「そうなんだ」と思ったことです。
 計る場所によって重さが違う。これでは確かな計量だとは言えません。いつでもどこでもが大事です。
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