アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

NHK大河ドラマ「平清盛」のこと

2012-12-22 16:22:54 | 映画とドラマと本と絵画
   今年1月、清盛のことをあまり知らないので、いい機会だと思って、大河ドラマを見はじめました。はじめは退屈で、何度ももうやめようと思ったのですが、我慢して見続けました。明日最終回を迎えますが、いまは、見てよかったと思っています。

   平清盛といえば、平家一族の繁栄の元を築き、武士のくせに貴族の真似をして高位に上り詰め、贅沢三昧の暮らしをして、最後は罰が当ってあっち死にした人物、と普通は描かれます。「平家にあらずんば人にあらず」ということばが、彼と一族のおごりを象徴しています。

   ようするに、「平家物語」に描かれた清盛像、平家像が、そのまま私たちの印象になっています。平家一族を滅ぼして幕府を開いた源頼朝に比べたら、きわめてマイナスのイメージが強い。その清盛を、どんな風に大河ドラマの主人公たるにふさわしい英雄に造形するのだろう、という興味で見続けました。

   最近の日本映画特有の撮り方で、終始淡い色彩で描き、人物が変な方向を向いてしゃべるし、魅力的な俳優、演技力のある俳優がほとんど出てこないし、家族愛や友情の描き方が薄っぺら・・・などなど気に入らないことはたくさんありましたが、しだいに、いままでの日本の時代劇では打ち破れなかったタブーを、このドラマは破っているところにおもしろさを感じるようになりました。

   最大の見ものは、天皇・上皇・親王などの皇族や貴族のなまなましい争闘を描いていること。争いを描くということは、関わる人物の人間的な汚さ、悪さも描くということです。ドラマでは、清盛は白河上皇の落胤とされているのですが、この、伊藤四郎扮する白河上皇の気味悪さがすごい。ドラマの中では、天皇家とは言わないで「王家」と呼んでいますが、とにかく、皇族をこんなに人間的に描いたドラマは、いままでなかったのではないかしら。

   落ち目になり始めた藤原摂関家も不気味。おしろいを塗りたくって歯をおはぐろで染め、暗い室内でにっと笑う姿は妖怪めいています。あえて、そういう、貴族社会の気味悪さを描き、振興の武士たちの、荒っぽいけれど率直で行動的な姿と対比させているようでした。

   清盛は、神戸港の前身となる大輪田の泊の工事を進め、300年近く途絶えていた中国との貿易を再開します。ついで、福原への遷都を強行。貴族や寺社の旧勢力におされがちな京都との決別をはかります。

   こうした彼の仕事は、貴族がまとめたらしいとされる「平家物語」の中では、無視、あるいは蛮行と決め付けられているようですが、ドラマでは、武士を中心とする新しい国づくりのための、もろもろの準備とされています。

   ドラマのナレーターは源頼朝。彼は、父義朝の遺志を継いで武士の世をつくるべく努力するのですが、その遺志は、父の盟友・清盛の志でもあった、と理解しています。だから、清盛が都から離れた福原に遷都しようとしたのをまねるように、頼朝も、鎌倉に武士の都の造営を計画します。源氏と平家が最初から敵同士と考えるのは史実にも反するし、現実的ではありません。

   最終回を明日に控えたきょう、49回目のドラマを見ました。清盛が、若いときから競り合っていた後白河法皇と、久しぶりにすごろくをする場面で、私は胸が熱くなりました。

   法皇は、1年間の幽閉生活から開放され、ふたたび「治天の君」に返り咲いたばかり。一方、清盛のほうは、関東で頼朝が挙兵し、清盛の孫が南都を焼き払ったことで、上から下まで平家を見限るようになり、一族の将来に不安を抱きはじめたころ。この2人の対面シーンです。   

   最後のすごろくは清盛の勝利に終わります。勝った方が負けた方に自分のしたいことをさせることができるこの勝負、清盛の法皇への頼みは、「すごろく遊びはこれでやめてくれ」というものでした。

    「すごろく遊び」に象徴されたのは、ふたりの人生上の勝負そのもの。この言葉を聞いたときの法皇の表情がよかった! 彼は静かに嬉しそうな笑みを浮かべます。そしてついで、悲しげな顔に。

   庶民の中に好んで交わり、「梁塵秘抄」を編んだこの人物は、清盛が好敵手であったことをつくづくわかっていて、楽しんでいたのだな、と思わせる表情でした。「おもしろかったなあ」と。

   そして、その後の悲しそうな顔は、戦う相手がいなくなる寂しさをあらわしているのでしょうが、実は清盛が目指した新しい世はすぐそこまでやってきていて、皇族や貴族の隆盛した時代の終りを予感しているかのようにも見えました。

   さて、長々と書きましたが、つい最近、この「平清盛」が大河ドラマ始まって以来の低い視聴率だと聞いて、びっくりしました。なんと10%以下だったとか。とてもおもしろかった、とはいいがたいのですが、私には、せめて20%くらいは取れそうなドラマだと思えるのですが。

   好まれなかった理由は、「華やかなところがないから」だとか。これにも驚きました。私は逆に、このドラマで、武士たちがほころびた衣服を着ていたり、天皇がはだしだったり、御所がいかにも寒々しげだったりするのが、リアリティがあっていいなと思っていたのに。

   ところでこのドラマは、もうじき総集編が放映されます。これまでにない清盛像にちょっと興味をもたれた方、ご覧になることをお勧めします。この清盛の造形が中世の歴史学者の間で定説かどうかは知りませんが、いままでの、清盛をただの悪役とする造形よりもずっと納得の行く描き方でした。

           

    

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