ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」日本語版 ご紹介と感想

2008-11-26 | ベラルーシ文化
 待ちに待っていた本「戦争は女の顔をしていない」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著)
 翻訳者である三浦みどりさんからようやく送られてきました。
 さっそく読み始めたのですが・・・本を読むのが早い私ですが、なかなか読み進むことができません。
 本当に貴重な証言の数々で、検閲で削除された箇所も掲載されたことがよかったです。アレクシエーヴィチ本人が削ってしまった部分すらあったのですね。
 
 アレクシエーヴィチの著作の日本語訳については、出版社である群像社のHPをご覧ください。
「戦争は女の顔をしていない」についてはこちらです。

http://gunzosha.com/books/ISBN4-903619-10-1.html


 アレクシエーヴィチについてはHP「ベラルーシの部屋」内「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ情報」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/aleksievich/menu.html


 また「ベラルーシの部屋」管理人であるさばさんが、ご自分のブログで、この本の紹介、感想を書かれてています。

http://d.hatena.ne.jp/saba2004/20081125/p1


・・・・・・

 さて、ようやく読み終えることができました。
 私の感想ですが・・・ソ連は戦勝国だったので、なおさら公にしない、あるいはしないほうがいい、とされる証言というのが多かったのではないか・・・ということです。
 日本は敗戦国だったので、戦争体験談などが「戦争の悲劇を風化させてはいけない。」「戦争を知らない世代に語り継ごう。」ということで、「こんな悲惨な体験をした。」とか「こんな情景を見た。」とか、語る場があると思うんです。
 それがマスコミでも取り上げられるし、本になったり、子供向け絵本になったり、「語る会」が作られたりしています。
(もっとも、戦争当時の日本軍の残酷な行為などは、隠されがちですね・・・。「原爆でこんな悲惨な目にあった。」という話は児童書にもなるけど、日本軍が人体実験をやっていた、というような事実は、あまり大きな声では語られていません・・・。)

 でもソ連の場合は、「勝利にわきかえって」しまって、逆に戦争中の体験談も、「ソ連兵の勇敢な部分」「祖国防衛のために果敢に戦った人々」といった「勝利」のイメージに合う部分は、語り継がれていても、それ以外の部分は日の当たるところに出なかったと思います。
 そういう部分を掘り起こして証言集として、出版されただけでも珍しいことです。それがこの「戦争は女の顔をしていない」なのですが、
「女の顔をしていないのなら、男の顔なのか?」などと思いながら読んでいたら、アレクシエーヴィチは「(証言をすることによって)悪魔に鏡をつきつけないといけない。」と書いていました。

 この本を読んでいると確かに、悪魔の所業としか表現できないようなことや、この世のものとは思えないような地獄絵図さながらの情景が書かれています。
 戦争は悪魔の顔をしています。
 でも、戦争なんかするのは、地球上では人間だけです。人間の中に悪魔がいる・・・と思いました。
 しかし幸い、戦争を回避するだけの知恵も人間には授けられているのも事実です。
 どうして戦争なんて始めてしまうのでしょうね?

 現在は第二次世界大戦のような大規模の戦争はないですが、ちょっとニュースを見るだけでも、テロ、内戦、といった、無実の人がどんどん死んでいく事件が毎日のように報道されています。
 戦後、何十年経っても世の中、理不尽なことだらけです。
 テロや内戦だけでなくても、無差別殺人、通り魔、放火、飲酒運転事故、ひき逃げ・・・ 本当に理不尽な理由で、何も悪いことをしていない人が、たくさん死んでいます。どうして人間はこうなのでしょうか?
 人間はやっぱり悪魔みたいになってしまうのでしょうか? それを避けることはできないんでしょうか?

 この本には森の中に潜伏したパルチザンに、農民が密かに手助けをしていた、そういった人々の協力がなければ、パルチザンも抗戦する力が続かなかった・・・といった証言が載っています。
 一方で、「祖国のためにドイツと戦っているわれわれに協力するのが当たり前だ。」と農村での食料の略奪行為が、パルチザンによって行われていました。
 同じパルチザンと言ってもいろいろです。
「味方であるパルチザンに食料のほとんどを奪われて、私のおばあちゃんは雑草を食べて生き延びた。」
という話をしてくれた人がいます。
 こういう話は大っぴらには語られません・・・。
 
 元パルチザンだった女性が集まった合唱のクラブがミンスクにあります。レパートリーは軍歌で、戦勝記念日などのステージに出るときは胸に勲章をつけています。
 合唱の練習の合間にこの女性たちはどんなおしゃべりをしているんでしょうか?
 「戦争は女の顔をしていない」に寄せられたような、悲惨な思い出話をするんでしょうか? 農村で略奪行為をした話は? 
 
 この本を読んで一番腹立たしく思ったのは、従軍した女性が戦後戻ってきて、戦争に行かなかった女性から、白眼視され、逆差別を受けた、という事実です。
 命をかけて戦って、見たくもない光景を散々目の当たりにして、やっと前線から帰ってきたかと思ったら、差別される・・・。理不尽なことばかりです。

 S夫のお父さんは激戦地だったスターリングラード攻防戦の経験者です。
 子どもが小さいときは、お父さんはよく自分の手柄話をしていましたが、同じ話を繰り返すので、そのうち子どもたちは飽きて聞かなくなってしましました。
 それで、嫁の一人(つまり私のこと)が戦争の話をしてください、と頼むと、お父さんは大喜びで話してくれます。
 スターリングラードでは、文字通り弾丸が雨あられと降ってきて、向かい合うドイツ兵の顔も見えるぐらいだったそうです。
 それでも突進していかなくてはいけない・・・お義父さんは左足を撃たれ、弾丸は貫通しました。野戦病院に運ばれて、
「このままだと腐ってしまうから、膝のところで切断する。」
と医者に言われましたが、
「この足は絶対に治るから、切らないでくれ。」
と懇願し、そのままにしておいたら奇跡的に足は腐らず、傷も治ったのです。

 足が動かせるようになったとたん、今度はケーニヒスベルグ(現在のロシア領カリーニングラード)の前線に行かされました。
 そこで、終戦。生き延びました。
 ドイツ人の大きな邸宅に乗り込むと、家族らしく10人ばかり、(老人と子どもしかいなかったそうです。)一つの部屋に固まって立ち尽くしている。
 ソ連兵に殺されると思って覚悟していたのでしょうか?

 お義父さんは他の部屋を探索し、立派な毛皮のコート2着を見つけました。それを大きな小包にして、故郷の村に郵送しました。
 村ではお義父さんの姉妹がそれを着て、見せびらかすために村中を練り歩いたそうです。
 村人たちは、「ドイツ製の高品質で垢抜けたデザインのコート」と「それを送ってくれた兄さんがいる」ということで、二人をとても羨ましがった・・・
 という話を、お義父さんはニコニコしながら、私に話してくれました。
 
 今の常識で照らし合わせると、お義父さんは泥棒をしています。窃盗容疑で逮捕されます。(それ以前に殺人もしています。)
 でも、戦争中はこういった常識が全部ひっくり返ってしまう・・・ということがよく分かりました。
 もちろん私は「お義父さん、あなたがしたことは犯罪ですよ。」と批判をする気はありません。
 でも、常識がひっくり返った異次元のような世界には私は住みたくないです。そんなふうに世界が変ってほしくない・・・と切実に思いました。

 いろいろ自分が思ったこと、ベラルーシ人から聞いた話を書きましたが、「戦争は女の顔をしていない」日本語版が出版されてよかったです。多くの日本人が読むことができますから。多くの人に読んでほしいです。

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