ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (1)

2017-05-28 | チロ基金
2017年5月28日ミンスク市立第5児童図書館でチロ基金創立20周年記念将棋大会が行われました。
 今回は16人が参加。しかもこのうち4名は日本からの参加、さらには1名が中国から飛び入り参加しました。
 実際にはドタキャンした人もいて、参加人数が偶数になるようにするのに苦労しました。将棋を習い始めて一ヶ月も経っていない人もいましたが、「大きな森のどうぶつしょうぎ」一組を使って、初心者でも参加できるようにしました。
 チロ基金の財力(^^;)で、どうぶつしょうぎのセットを買っておいてよかったですよ。
 (どうぶつしょうぎとは、こちら。)

 人数調整にとまどり、時間通りに始まらなかったのですが、何とか6回の対局ができました。初心者もいれば、有段者もいるという状況でしたので、今回も前回の新年将棋大会に引き続き、駒落ちで対決です。

(今回の将棋大会についてロシア語でのご報告はこちら。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第210回」

2017-05-22 |  ビタペクト配布活動
 5月22日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第210目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を10個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2547個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算226回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2547人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が13人の子どもを引率して、保養滞在していました。家庭タイプ孤児院の一家です。
  この家族はこの一家は2006年と2008年と2015年にも保養に来たことがありますが、2006年に保養に来た子どもは今回は1人もいません。
 2015年の保養のときのようすはこちらをご覧ください。 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第175回」 (家族B)

それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時16歳)12ベクレル(2006年測定)→13ベクレル(2008年測定)→ 8ベクレル(2015年測定) → 12ベクレル
娘 (28歳) 21ベクレル
孫  (4歳) 21ベクレル ○
女子(16歳) 28ベクレル ○ → 24ベクレル ○
男子(15歳) 36ベクレル ○
男子(15歳) 31ベクレル ○ → 31ベクレル ○
男子(13歳) 39ベクレル ○ → 5ベクレル
女子(13歳)  0ベクレル(2008年測定)→ 33ベクレル ○ → 31ベクレル ○
女子 (7歳) 31ベクレル ○ → 27ベクレル ○
女子 (6歳) 30ベクレル ○ → 29ベクレル ○
女子 (6歳) 22ベクレル ○
女子 (4歳) 22ベクレル ○
男子 (4歳)  7ベクレル
男子(11歳)  8ベクレル
女子(11歳) 33ベクレル ○

 11歳の男の子と女の子は二卵性双生児で、他の家庭タイプ孤児院の一家と暮らしています。
 28歳の娘はお母さんの実子。4歳の孫はこの娘さんの実子です。

 このお母さんは現在10人の里子を育てています。
 このような家庭が現在ゴメリ市内に5家族あるそうです。お母さんはお母さんとしての仕事をしており、毎月、給料(実際には手当)をもらっていますが、平均月収より少ないので、大変だと話していました。
 子ども達は5歳から17歳までの孤児(実際には生みの親がいて、育児放棄された子どもがほとんど。)それぞれ毎月100ドルの孤児手当を支給されていますが、生活は大変、と話していました。
 というのも、孤児であっても健康で低年齢の場合、養子にもらわれていきやすいのですが、障碍があったり、持病があったりすると、引き取り手がおらず、そういった子どもたちが、家庭タイプ孤児院に里子として出されるそうです。両親がアル中になって家庭内暴力が始まり、13歳でこの家に来た、と言う子どももいます。

 最近は海外への保養滞在も数が減ってきて、小さい子どもは優先されますが、大きくなると選ばれなくなる、とお母さんは話していました。
 13歳の女の子と7歳の女の子はイタリアへ保養に行ったことがあり、ホームステイ先の家族から養子縁組の申し出があったのですが、ベラルーシの法律が厳しく、外国人の養親との縁組はできないそうです。
 私からすれば、思い切ってイタリア人の家族に育ててもらうほうが、ベラルーシ国内の孤児の数がその分減るのですから、国の負担が減る・・・と思うのですが。
 そうすると、この家族の里子が2人減るので、その分他の2人の孤児をこの家族に里子として出せるから国にとっては得だと思いますが・・・。

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 13歳の女の子は小児麻痺。6歳の女の子は神経系統の病気ということでしたが、生みの母がいわゆる精神病。遺伝だ、とお母さんは話していましたが、事実関係は不明。
 4歳の男の子は多動。危険な行動を取ることもあるので、お母さんは見てるだけで大変、と言っていました。
 逆にこういう子どもは家庭の中で子どもがたくさんいない、家庭の中で暮らすほうがこの子にとっては安全だと思うのですが、引き取り手がなかったそうです。

 このように問題がある子どもは、養子縁組の話が出ず、里子として、心優しい家庭タイプ孤児院の一家に国が押し付けている状態です。
 お母さんとしての給料を国は出しているとはいえ、結局一般人の中で善意のある人に養育を負担させて、国は甘えているように思えました。
 
 ベラルーシでは孤児は1年に2回保養滞在できるという決まりがあるそうです。
 しかし、そのうち1回は無料で、もう1回は自己負担なので、孤児手当をもらっていても、保養滞在費を捻出するのは大変だと言っていました。
 それで結局イタリアの支援団体やSOS子ども村など無料で行ける保養プログラムに選ばれるよういつも願っているそうです。

 お母さんは国境を越えて、1年に3回、ウクライナへ安い子供服を買いに買出しへ行っているそうです。
 家はゴメリ市から支給されましたが、ローンが残っているし(でも一般人より家庭タイプ孤児院の家庭に優先して家は支給されるし、ローンの負担も楽。)やりくりが大変なので、近所の貸し畑をもらって、そこでにわとりを飼っているそうです。これで卵は買わなくてすむ、とお母さんは話していました。
 都会人ですが、やっぱりたくましいですね。
 牛乳は田舎で乳牛を飼っている知人から安く分けてもらっていますが、その牛乳はだいじょうぶですか、と尋ねたら、放射能の検査済み、(その乳牛を飼っている酪農家の自発的な検査)結果は大丈夫だったので、買っているということでした。
 
 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製のベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのり、昆布茶としいたけ茶をプレゼントしました。
 やっぱりベラルーシにない物は珍しがられるというか、受けますね。(^^)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 
 

自殺率世界一ではなくなったベラルーシ

2017-05-21 | ベラルーシ文化
 先週末、このブログの人気記事1番が2010年の「自殺率世界一の国はベラルーシ!」だったので、どうしてだろうと思ったら、また最新の調査結果が発表されたからみたいです。

 これによると、ベラルーシは世界一の汚名を返上。

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 <自殺死亡率>日本はワースト6位 先進国の最悪レベル

◇厚労省が分析結果をまとめる

 厚生労働省は世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較し、日本はワースト6位だとする分析結果をまとめた。先進国の最悪レベルで、特に女性は同3位と高い。今月下旬に閣議決定される「自殺対策白書」で公表される。

 自殺死亡率は統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため単純な比較が難しく、世界保健機関(WHO)が2014年に初めてまとめた「世界自殺リポート」でも順位付けはしていない。厚労省はWHOのデータベースを使い、13年以降の人口と自殺者数が把握できている中から上位国を抽出した。(以下略)

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 ベラルーシは9位になりました。よかったです。この調子でもっと自殺率を減らしてほしい。

 人口10万人あたりでの自殺者数なのですが、2013年以降のデータだそうです。

1位 リトアニア 30.8人
2位 韓国 28.5人
3位 スリナム 24.2人
4位 スロベニア 20.5人
5位 ハンガリー 19.5人
6位 日本 19.5人
7位 ラトビア 19.2人
8位 ウクライナ 18.6人
9位 ベラルーシ 18.4人
10位 エストニア 18.3人

 2010年の調査ではベラルーシは35.1人で、1位だったのが、18.4人に減少! 9位です。

 それにしてもバルト三国が全部10位以内に入っているのがショック。三国とも旧ソ連で、今はEU加盟国なんですが。
 リトアニアは前回2位で、自殺率増えてしまってますね。

 やはりそれぞれの国の中にさまざまな社会問題があるのだろうな、と思います。
 日本が6位というのは、日本人なら理解できるのではないでしょうか。 

フランツィスク・スカルィナについて

2017-05-08 | ベラルーシ文化
 以前の投稿「スカルィナの詩も日本語になりました」でも少し書いたのですが、ベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、日本語で検索してもほとんどヒットしないので、このブログでご紹介することにしました。<私のつっこみ入り。(笑)>

 ベラルーシ人の偉人の中ではダントツ1位なのですが、びっくりするほどスカルィナに関する日本語の情報がないです。

 ちなみに、苗字の表記ですが、いろいろあります。ロシア語表記だとスコリナ。
 ここではベラルーシ語表記のスカルィナに統一しておきます。

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 フランツィスク・スカルィナがベラルーシの偉人になったのは、ベラルーシ語の聖書を翻訳、出版したからです。それが今からちょうど500年前。1517年のことです。
 ちなみにロシア語の聖書が出版されたのは、それから約50年後。

<だから、当時はロシアよりベラルーシのほうが「進んでいた」と、以前日本人に話したことがあります。そしたら、「へえええええーーーーー。」と驚かれたので、こっちもびっくりした。そんなに意外なの? 
 その日本人はフランス在住の人でしたが、ヨーロッパの地理とキリスト教の普及の歴史を考えれば、ベラルーシ語の聖書がロシア語の聖書より早い時期に完成した、というのは、当たり前だと私は思うのですが。
 どうも日本人の頭の中では、ロシアが文明国で、ベラルーシはロシアから文明とか文化をもらってばかり、という方向の矢印がイメージされているみたいですね。でも昔はロシアがヨーロッパの辺境国で「遅れていました」・・・が、これはロシア人があほだった、というわけではなく、地理的条件によるものです。今とちがって地表をじわじわ伝って文明とか技術とかが伝来してくるのだから、当然。>

 さて、スカルィナはどのような生涯を送っていたのでしょうか。

 生没年ははっきりしていませんが、生年は1490年ごろ、と考えられています。
 生まれた場所は現在のベラルーシの街、ポーロツク。ポーロツクは、当時はリトアニア大公国の街でしたが、分かりやすく言えば、もっと昔のベラルーシの首都。当時はとても栄えていた都市でした。理由は河のほとりにある町で帆船を使った貿易が盛んだったからです。つまり交通と商業の要所。
 日本で言うと大阪みたいなところです。ポーロツクには海はないですが、バルト海や黒海につながる貿易を行っていました。

 そこの裕福な商人ルカ・スカルィナの息子としてフランツィスクは生まれました。
 父親はかなりやり手の商売人だったらしく、ずる賢いこともやっていたようです。
 でも、父親がお金持ちだったことは、息子のフランツィスクにとっては大きなプラスでした。
 その当時のベラルーシはなんだかんだ言っても、金持ちの子どもに生まれないと教育が受けられなかったのです。平民は字も読めず、キリスト教はすでに入って来ていましたが、聖書を読めるベラルーシ人はほとんどいませんでした。

 ちなみにリトアニア大公国時代 <・・・とあえて言っておきます。これを「ベラルーシがリトアニア大公国に支配されていた時代」と日本語で紹介されているのをたびたび目にするのですが、そもそも支配される『ベラルーシ』という国が当時はありませんでしたので、支配できなかったはず。>、リトアニア人はリトアニア語で会話をし、ベラルーシ人はベラルーシ語で会話をしていました。要するに話し言葉ですね。
 しかし、リトアニア語の公用語、厳密に言うと公式文書の記録に使われる「書き言葉」は、ベラルーシ語でした。
 だからリトアニア人の貴族はベラルーシ語で文章を書いたり、読んだりできていたはず。

 それ以外にも中世ヨーロッパの国の貴族の一般教養であるラテン語を身分の高い方々は勉強していました。
 しかし身分の低いベラルーシ人はベラルーシ語の話し言葉で会話するだけで、書き言葉のほうは分かってなかったのです。
 そんな中、お金持ちの商人の息子に生まれたフランツィスクはポーロツクでラテン語を勉強できる恵まれた環境にありました。もちろんベラルーシ語の書き言葉もばっちり。

 頭がよくて向上心があり、実家がお金持ちのフランツィスクは、ポーランドの古都、クラクフの大学に入学。入学したのは、1504年。卒業したのは2年後の1506年。
<え、生まれたのは1490年とすると、14歳で大学入学、16歳で卒業?! 早すぎない? それとも天才なの? ・・・というわけで、スカルィナの生年は1480年代だと主張する歴史家もいます。>

 そこで、当時のヨーロッパの主要七科目を習得。卒業証書をもらいます。
 さらに5年間この大学の医学部で勉強。医師免許も取得。
 平行してイタリアのパドヴァ大学で試験を受けていました。これは何かと言うと、イタリアへ留学するのは大変なので、勉強はポーランドの大学でしておくけど、イタリアの大学の卒業試験を受けさせてほしい、卒論も書いておくし。で、イタリアの大学の卒業試験をパスしたら、イタリアの大学の卒業証書もください・・・ということだったそうです。

 そのころ、フランツィスクの父親は死去しており、リトアニア大公国の地方都市出身の息子が、イタリアのパドヴァまでてくてく試験を受けに行くのは、資金面で大変だったようです。
 しかも、イタリア人からすると、
「何か聞いたこともないような町の出身で、しかも貴族ではなく商人の息子で、貧乏そうなのが来た。」
と思われていたようです。
 一方、
「こんな遠くからわざわざ試験を受けにやって来るなんて、うちの大学もたいしたもんだ、有名大学っていう証拠だね。」
とも思われていたらしく、試験を受験する許可をスカルィナはもらっています。

 そして1512年、パドヴァ大学医学部の卒業試験に合格。通学はしていませんでしたが、イタリアの大学の卒業証書も取得。
 優秀な医者になることに決めたスカルィナに大学はベレー帽(当時はこれが医者の印だった。)そして、すごく大きい指輪(これも医者の印)を卒業証書とともに贈っています。
<だから、スカルィナの肖像画とか銅像を見ると必ずベレー帽かぶっているのね。>

 ちょうど卒業証書をもらったころ、リトアニア大公国の公子2人が法律を勉強するためにイタリアの大学へ留学に来ました。スカルィナは公子、つまり王子様兄弟とお近づきになることに成功。このつてで後に1520年代はリトアニア大公国のセレブ、つまり貴族のための薬剤師、そして秘書官も務めるという出世をスカルィナはします。

 でも、その前に1517年、<ということは、27歳?> スカルィナはベラルーシ語の聖書を出版します。
 あれ、医者になるはずがどうしたの? と思われますよね。
 どうしてなのか、と言うと、スカルィナは当時のベラルーシ人としては珍しく、高い教育を受けることに恵まれ、いろんな外国にも行って、さまざまなことを見ていました。
 特にイタリアに行った後は、自分の故郷を比べて愕然としたと思います。そのころイタリアではルネサンスの時代。ベラルーシ(と今呼ばれている地域)はキリスト教が入ってきていたものの、特に農村部ではまだまじないや呪術などが幅をきかせ、同時に魔女狩りなども行われていた「遅れていた」国、聖書が読めないから、キリスト教の教義などもよく理解できていない者も多く、もちろん文学なんてものも発達しない。こう言ったら何だけど、スカルィナの目から見ると身分の低い平民のベラルーシ人は「暗愚」「文盲」「開かれていない」というイメージ。
「早く目を覚ませー。賢くなってくれー。世界は広いんだー。」
とベラルーシ人に言いたくなったにちがいありません。
 あと、自分がせっかく外国で最先端の医療を学んで来ても、故郷の病人を科学的に治そうとしている横から、
「いや、おまじないで治すから、医者なんかいらん。」
と治療させてもらえない。そしてまじないが効かず、病人が死亡・・・という光景に何回も出会ったにちがいありません。
「こういう原始的な考えが平民の間にしみついているんだったら、自分が医者をする余地がない。基本的に間違ってるから、そこから改善しないと話にならん。」
と思ったことでしょう。

 そして、そのためにはどうしたらいいのか考えた結果、聖書を翻訳してたくさん印刷することを思いついた、というわけです。
「これで暗愚な平民の目も開くんじゃないかな。文明開化だ!」

 と言っても、当時のベラルーシには印刷所はもちろん、印刷技術そのものがなかったので、チェコのプラハの活版印刷所で、初のベラルーシ語の書籍を印刷することにしました。これは最初に活字になったキリル文字の本でもあります。
 スカリナは聖書の中でも、旧約聖書の詩篇をチェコ語からベラルーシ語に自ら翻訳して出版しましたが、これで、リトアニア大公国のリトアニア人貴族たちも読めるようになる、と思ってベラルーシ語に訳したわけです。

<厳密に言うと、現代で使われているベラルーシ語とは微妙にちがう古いスラブ教会語に訳しています。そして、元になったチェコ語の聖書は、チェコではなく、イタリアのベニスで出版されていました。何か複雑ですけど、チェコ語もできたスカルィナさん、コスモポリタンだったのね。>

 聖書って長いですからね、その後もいくつかの部分に分けて、スカルィナは聖書をベラルーシ語に訳して次々と出版。3年間で23種類に分けた聖書を作りますが、活版印刷なので、手書き写本とちがってたくさん印刷できるものの、完成品は馬車でチェコからリトアニア大公国へ運ぶので、大変だったようです。
 
 しかも、そのころのベラルーシは、ポーランドの支配下だった地域もあり、勢力を広げたいポーランド、つまりカトリック教徒で、ポーランド語人口を増やしたいと思っている人々から、
「ベラルーシ人はベラルーシ語なんかよりポーランド語の本でも読んでポーランド語を勉強しろ。」
あるいは
「ベラルーシ人は暗愚なままでいいんだ。そのほうがポーランド人が支配しやすい。」
と言われており、当然の事ながら、ベラルーシ語の聖書をベラルーシ人が読むようになるのは嫌がられていました。
 こんな状況下、国境を越えて、馬車でえっちらおっちらポーランドを通過してベラルーシ語の聖書をベラルーシへ(厳密にはリトアニア大公国へ)運ぼうとすると、ポーランドの関所で咎められ、せっかく印刷した聖書を没収、はては焼き捨てられることもありました。

 さて、スカルィナは出版した聖書に、自分が考案した太陽と月が重なったマーク(ブランドのロゴのようなもの。)を印刷しており、これが今でもベラルーシにおける、啓蒙活動、文明開化のシンボルマークになっています。
 どうしてこんなマークなのかと言うと、スカルィナが生まれたときに日食があったので、スカルィナは日食と言う現象に興味があったらしい。で、その頃日食があった年を計算したら、1490年に日食があったはずなので、生年が1490年説の理由になっているとか、いないとか聞いたことがありますが、実際には、太陽と月が合わさったマークは「人間の肉体的、精神的癒し」という意味があったので、スカルィナは採用したようです。
<でも、それでも「なんで太陽と月が人間の肉体的、精神的癒しの意味になるのか。」とつっこみを入れたくなりますが。>

 聖書にはたくさんの挿絵も入っており、かなり豪華な作り。やっぱりキリスト教を敬するため、そしてベラルーシ語の聖書だって立派なんですよ、と世の中に知らしめるためスカルィナさんは努力したようです。

 自分でも相当がんばったと思っていたのか、聖書の中に自分の肖像画まで印刷。
「私、フランツィスク・スカルィナ、ポーロツクの息子(出身)、専門は医者が古いスラブ語に旧約聖書の詩篇を訳しましたよ。」という有名な序文も挿入しています。
 そんなわけで、この聖書は「スカルィナの聖書」と呼ばれておいて、ベラルーシ人の間では別格扱い。オリジナルはベラルーシ国立図書館で厳重に保管されています。

 この聖書のおかげで、まずベラルーシ語で聖書を読む人が増えた、ベラルーシ地域におけるキリスト教の布教に役立っただけではなく、書き言葉としてのベラルーシ語の普及、発展にもつながりました。
 つまり、ベラルーシ人にとっては、スカルィナはお医者さん、ではなく、ベラルーシ語、というベラルーシ民族の文化のレベルを上げて、さらには宗教的にも文明的にもベラルーシ民族を啓蒙した偉大な人物、という位置づけです。

 ありがとう、スカルィナさん!
 一方で、当時書籍を出版するのは、ほとんど手作業でしたから、大変手間隙がかかり、本というものはコストがかかる物でした。
 自分のお金で聖書を印刷することができなかったスカルィナは、聖書出版のためにたくさんのスポンサーを見つけていました。
 その中にはリトアニア大公国の貴族も名を連ねていましたから、スカルィナがベラルーシ語の聖書を出版することにリトアニア大公国も意義を見出していたことになります。

 1920年には、チェコのプラハの印刷所で使われていた活版印刷機、その他もろもろの用具をリトアニア大公国の首都、ビリノ(今のビリニュス)に持ってきて、ついにリトアニア大公国初の印刷所を設立。
 このようにリトアニア大公国というと、リトアニア人の国、というイメージですが、実際には数多くのベラルーシ人が活躍、国家の繁栄に寄与していました。

 こうしてスカルィナは今度はリトアニア大公国で、聖書の翻訳と出版を続けつつ、薬剤師と秘書官の仕事をしていました。
 しかし1925年から次々とスポンサーが死去。
 スカルィナの出版作業はスピードが落ちていきます。

 ちなみに、スカルィナは、スポンサーの一人が死んだ後、その未亡人と結婚しています。
<そのとき35歳(?) 私の頭の中では、スポンサーつまりお金持ちが死亡 → その妻は多くの遺産を相続 → お金持ちの未亡人 → スカルィナ求婚 → 妻のおかげでスカルィナはお金持ちに → 逆玉の輿 → 「私、フランツィスク・スカルィナはうまくやりましたあ!」・・・という図が浮かんだのですが、うちの中学生の娘にこれを話すと
「中世の時代だよ・・・。夫が死ぬ前から、その奥さんとスカルィナは愛人関係だったんだって・・・。」
とどろどろなことを言っていました。敬虔なキリスト教信者で、黙々と聖書を訳してた人が不倫なんかするか?!>

 スカルィナの妻は、運悪く結婚して4年後に火事のため、幼い次男といっしょに死んでしまいます。
  
 そのころ、ドイツのプロイセン公アルブレヒトは、出版所をケーニヒスベルグ(今のカリーニングラード)に設立するため、スカルィナに協力を要請。スカルィナは単身、ドイツへ渡りました。

 ところが、スカルィナのお兄さん、イワンが借金を残したまま死亡。お金を貸していた人たちは、弟が代わりに借金を返せ、と迫ります。スカルィナは急いでビリニュス(リトアニア)に戻りますが、そのとき、どういうわけかプロイセン(ドイツ)でいっしょに働いていた印刷工と、(たぶん友だちになった)医者を連れて行きます。
 それを知ったプロイセン公アルブレヒトは激怒。「人泥棒!」というわけです。優秀な人材はいつの時代でも貴重。これが1530年前後の出来事。
<このあたり、ベラルーシの国語の教科書には載らないスカルィナの黒歴史。>

 さて、お兄さんの借金を代わりに返せと言われたスカルィナは、「それは私が払うものではない。」と拒否。お金を貸していた人たちは、リトアニア大公に直訴。スカルィナは牢に放り込まれます。<このあたりも教科書には載らない黒歴史。>
 結局兄のイワンの息子、ロマンがリトアニア大公に、
「父の借金は息子の私が返しますので、叔父さんを牢から出してください。」
と願い出たのが聞き入れられ、スカルィナは釈放されます。
<当時の法律では死んだ親の借金は家督を継いだ子どもが返すことになっていて、兄弟に返済義務はなかった。つまりスカルィナは悪くない。>

 1934年、スカルィナは自分が出版した書籍を持ってモスクワ大公国(正教の国)へ行きますが、この本はカトリックの教えが書かれているとされ、焼き捨てられてしまいます。
 ロシア人はロシア人でカトリック勢力が近づいてくるのを警戒していました。
 
 スカルィナはその翌年、最初の聖書を出版した思い出のプラハへ行きます。そこでチェコの国王に雇われ、宮廷付きの庭師となりました。そしてプラハ城の庭園で死ぬまでおよそ20年間働きました。

「歴史初のベラルーシ語の聖書を翻訳・出版した偉人が、庭師として異国で死ぬってどうよ?!」
と憤慨するベラルーシ人も私の周りにはいるけれど、実際には、単なる庭師ではなく、薬草を育てて、薬を作ったり実験したり、王様に薬を処方したりして、もともと医者だったスカルィナさんからすれば、理解あるチェコの国王のお膝元で研究三昧の楽しい生活を送っていたんじゃないかなあ、と私は思います。

 スカルィナの没年ははっきりしていませんが、1552年には死去していたことは間違いないようです。というのも、プラハで死んだ後、遺産を相続するようにと言われて、長男のシメオンが(おそらくリトアニアから)プラハにやってきて、相続税を支払った記録が残っているからです。それが1552年のこと。
 ちなみにシメオンは父の跡を継いで、医者になっています。

 推定年齢62歳で死去したスカルィナですが、埋葬されたのは故郷のベラルーシではなく、聖書を出版したチェコのプラハだったというのが、運命ですね。スカルィナの墓の場所は不明です。
 宮廷庭師の扱いで埋葬されていますし、息子はチェコに住んでいなかったはずなので、お墓の守りをする人がいないのですから、ベラルーシ人のスカルィナの墓はチェコの大地に戻ったのだと考えられます。

 生まれ故郷への思慕を歌った詩を書いていたスカルィナさんなので、かわいそうな感じもしますが、今ではベラルーシを代表する偉人。今年はスカルィナの聖書が印刷されてちょうど500年ということで、国をあげて祝っています。
 ベラルーシではベラルーシのために尽力した人に与える国家最高の勲章として、スカルィナ勲章というものが設定され、日本人の間で有名なところでは、医師で松本市長の菅谷昭さんが受賞しています。<日本語訳では「フランシスコ・スカリナー勲章」と表記されるみたいですが。> 
 ・・・というわけで、日本人のみなさんが「縁もゆかりも接点もないわ」と思っていたベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、今回日本語で知っていただければ・・・と思います。

 最後にスカルィナが残した言葉(ことわざ)を日本語に訳しておきます。
「人を落とそうとして落とし穴を掘るな。自分がそこへ落っこちる。」
<スカルィナの人生を振り返った後にこのことわざを読むと、含蓄あるように思えてきますね・・・。>

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第209回」

2017-05-06 |  ビタペクト配布活動
 5月6日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第209目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を11個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2537個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算225回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2537人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が14人の子どもを引率して、保養滞在していました。この家族には11個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は1年前にもSOS子ども村で保養滞在していたときがあります。
 そのときの様子は以下をご覧ください。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第193回」(家族B)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。2016年に測定した結果についても表記してあります。

母親(事故発生時2歳)31ベクレル → 22ベクレル 
父親(事故発生時5歳)(今回初測定)13ベクレル
長男(12歳)42ベクレル ○ → 27ベクレル ○ 
長女(12歳)33ベクレル ○ → 30ベクレル ○
次男 (9歳)39ベクレル ○ → 33ベクレル ○
三男 (4歳)24ベクレル ○ → 21ベクレル ○
養女(10歳)39ベクレル ○ → 24ベクレル ○
養子 (8歳)20ベクレル ○ → 30ベクレル ○
養女 (9歳)41ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (9歳)32ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (8歳)(今回初測定)19ベクレル
養女 (7歳)(今回初測定)16ベクレル
姪  (8歳)(今回初測定)27ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)25ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)30ベクレル ○
女子 (8歳)(今回初測定)18ベクレル

 今回初測定の養女二人は最近この一家に引き取られたそうです。
 姪はゴメリ市内で自分の両親と普段生活しています。
 女子3人はお母さんの友人の子どもです。

 子どもたちの健康状態ですが、長女は腎臓病のため、腎臓を一つ摘出しています。
 長男は大きさは小さいですが、甲状腺に腺腫が見つかったそうです。
 お母さんも甲状腺が肥大しています。お父さんは心臓病だそうです。これは被爆のせいではなく遺伝かも、とお母さんは話していました。お父さんのお父さんは40代で心臓病で亡くなっているそうです。
 姪は生まれつき心臓に穴が開いています。8歳の女子は父親がウクライナ人でウクライナ生まれ、ウクライナ育ちですが、最近ベラルーシへ引っ越してきたそうです。
 他の子ども達は比較的健康だそうです。

 前回と今回の測定結果を見ると、全体的に数値は下がりましたが、ビタペクト3を飲まないといけないレベル(体重1キロあたり20ベクレル以上)です。
 この一家は食品は市内の店舗で普通に売られているものを食べることがほとんど、と話していました。

 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製の鉛筆やベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのりをプレゼントしました。そして昆布茶。
 昆布茶はベラルーシにありませんでしたので、お父さんとお母さんは興味津々でした。
 子ども達はビタペクト3をおいしいと言って、食べていたそうです。今回もビタペクト3を渡したら、みんな大喜びで、早く食べたい、と言っていました。(←一度にたくさん食べないようにご両親は注意してください。)
 三男坊君は、
「ぼくはヨウ素が足りないから、飲む。」
と私に言っていましたが、4歳なのに頭よすぎません?(実はビタペクト3にはヨウ素は含まれていないです。昆布茶を飲みましょう。)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 
 

チロ基金創立20周年

2017-05-05 | チロ基金
 2017年5月チロ基金は創立20周年を迎えました。
 
 創立当初より、無理はせず、細く長く続けようと思っていたチロ基金の活動が20年も続きましたこと、ひとえに多くの支援者の方々のおかげです。 
 チロ基金の活動に常日頃からご賛同下さっている多くの方々に、改めて深くお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。
 今後もまた一年一年、少しずつですが積み重ねていこうと気持ちを新たにしております。

 今月末にはチロ基金20周年記念将棋大会を開催する予定です。
 また改めてご報告いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2017年5月28日追記です。
 予定通りチロ基金創立20周年記念将棋大会が開催されました。
 詳しいご報告はこちらです。

ニュース 浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

2017-05-01 | 放射能関連情報
浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

日本テレビ系(NNN) 4/30(日) 17:15配信
 福島第一原発の事故で人が立ち入れない福島県浪江町の山林で火災が発生し、自衛隊などが消火活動にあたっている。

 山林火災が発生したのは、浪江町の十万山。福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定される場所で、29日午後に町の防犯見守り隊から通報があった。

 防災ヘリなどが出動して消火活動にあたり、一時、鎮圧状態となったが、強風にあおられて再び燃え広がった。福島県によるとこの火災でけが人はいないが、既に山林の7万平方メートル以上が延焼したという。

 現場は原発事故後、長期間、人が立ち入っていない場所で、地上からは近づくことができず、県は自衛隊や隣県にも防災ヘリの出動を要請し消火活動を続けている

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 以前のこのブログでも、放射能汚染地域である山林地帯の山火事について書いたことがあります。
山火事に注意してください

 浪江町の火事の原因は落雷らしいですね。
 風向きにより、静岡のほうまで、放射能が飛ばされている、という情報もあるみたいなのですが、空間線量のデータがないので、私には分かりません。

 GWで外出している人も多いと思うのですが、大丈夫なんでしょうか?
 また消火作業に従事している自衛隊員が被爆していないか心配です。

小川未明の童話がベラルーシ語に翻訳されました

2017-04-30 | 日本文化情報センター
 小川未明の童話が初めてベラルーシ語に翻訳され、文芸雑誌上で発表されました。
 翻訳したのはベラルーシ国立言語学大学の学生、フリスチーナ・アフルィメンカさんです。
 日本文化情報センターは日本語原文の提供をしました。
 翻訳された作品は「二度と通らない旅人」「野ばら」の2作品です。
 掲載された文芸誌は「マラドスツィ」2017年4月号。
 フリスチーナ・アフルィメンカさんが自ら描いた墨絵の挿絵も入っていて、本当にすばらしいです。
 2作品だけですが、ベラルーシではほとんど知られていない、日本の児童文学作家、小川未明の代表的な作品がベラルーシ語に翻訳され、ベラルーシ人に読まれるようになってうれしいで
す。

 7ページに渡り掲載されましたが、そのうちの1ページ、「二度と通らない旅人」の部分を添付画像にしました。 
 
 

チェルノブイリ原発事故から31年

2017-04-26 | 放射能関連情報
 チェルノブイリ原発事故発生から今日で31年になりました。

 今日はセシウム137の半減期と風評について書きたいと思います。

 昨年の今頃は、
「ついにセシウム137の半減期が来るから、きっと内部被爆の数値も下がるに違いない。」
と期待していたのですが、予想は外れました。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布運動の測定結果を見ていても分かるように、ベラルーシの子どもたちの内部被爆量には変化はありません。
 おそらく生体濃縮が続いていて、事故のとき放出したセシウム137全体から言えば、数は半分になったとはいえ、食品の汚染は続いており、逆に人間の体内に蓄積している・・・ということでしょう。蓄積が絶え間なく続いているので、結局ベラルーシ人は内部被爆し続けており、それが測定すると数値として表れている、ということです。
 放出したセシウムが多すぎて、それが30年後半分になったとしても、食物連鎖の中で回っったり、また自然界からその循環の中に入ってくるセシウムの数が急に減少する、ということはない、ということです。
 結局、ずっと放射能と付き合う生活を送っていかなくてはいけません。
 次の半減期は2046年。劇的な内部被爆の減少はおきているでしょうか?
 一人一人の体重1キロ当たりの内部被爆量として考えると、それは起こらないだろうと思います。
 
 次に風評のことですが、小麦粉について書きたいと思います。
 偶然フェイスブックで「町の一介のパン屋のオヤジ」を自称している廣瀬満雄さんが、「パンと放射能」という記事を2014年に投稿しています。
 この第三回にこのような記述が見られます。
「つまり、東欧のベクレルまみれの小麦粉が、中国の製パン工場で冷凍生地として使用されドンドン日本にも入ってきている、という事です。大手ヤ〇ザキ製パンを始め、いろいろな企業に入っているようです。世界のパン「ヤ〇ザキ」とは、よく言ったものです。ベラルーシ産の小麦粉を使用しているかもしれないのですから。今、関西地方で有名な阪〇ベーカリーの100円パン、良い例かと思います。」

 これをどうして取り上げたかと言うと、ベラルーシは小麦の生産量が少なく、逆に外国から輸入せざるを得ない国だからです。
 とても日本に(あるいは中国に)小麦を輸出する余力がありません。
 
 おそらくこの文章を書いた廣瀬満雄さんの頭の中のイメージでは、「東欧」産の小麦粉が中国経由で日本に入ってきている。→ 東欧の中にあるベラルーシ。→ ベラルーシはチェルノブイリ原発事故の影響で汚染されている。→ そこで作られた小麦粉はベクレルまみれ。
 ・・・となっていて、このような文章になったのでしょう。

 しかし、ベラルーシは小麦輸出国ではなく、逆に小麦輸入大国です。
 どこから輸入しているのかと言うと、カザフスタンです。カザフスタン産の小麦を陸路で大量にベラルーシへ輸入。ベラルーシ国内の製粉所で粉にしています。(製粉されたものを輸入するより、この方が安いから。)

 ベラルーシのスーパーに行くと、いかにもベラルーシ産に見える小麦粉がたくさん売られていますが、それは小麦から小麦粉にした場所はベラルーシだからであって、実際にはベラルーシ人はカザフスタンの小麦から作ったパンを食べています。

 ベラルーシはヨーロッパの国で、パンは主食でしょ? 中央アジアの国から小麦を輸入しているなんて、おかしい! と思う日本人もいるでしょうが、ベラルーシ人の主食は「じゃがいも」そして「黒パン」です。
 黒パンはライ麦から作られます。ベラルーシは寒冷気候なので、寒さに強いライ麦はたくさん生えますが、小麦はほとんど生えないのです。だから暖かいカザフスタンから輸入しなくてはいけないです。
 
 ベラルーシの伝統的な料理には黒パンが必ず添えられていましたが、白パン(小麦粉を練って作ったパン)は食べられていませんでした。
 今では、白パンもケーキもたくさん売られています。
 一方で、ヨーロッパ人なんだから、パンは何でも好きだろう、とベラルーシ人におかずをいっしょに、白パンを出すと、拒否されます。
 黒パンは主食。白パンはおやつのような扱いだからです。
 日本人に「日本人だから米が主食ですよね。」と、味噌汁に焼き魚、漬物、そしてそこへ、「おはぎ」を外国人に出され、
「さあ、このアジのひらきといっしょに、おはぎをほおばってください。」
と言われたら、どんな気持ちになりますか? 
 このように、ベラルーシ人に黒パンを出さないといけないところへ白パンを出すと、断られます。
 もちろんおやつに白パンの菓子パンや、小麦粉から作るケーキなどはベラルーシ人は大好きで、いっぱい食べますけど、こういう食習慣が生まれたのは実は割合最近の話です。

 ベラルーシにとって、小麦粉は輸入品、現地では手に入らない貴重なもの、主食の材料ではなく嗜好品の材料に近い、ということが分かっていただけたでしょうか。
 このようにベラルーシから小麦粉が日本へ輸出されているとは考えにくく、また仮にそうであったとしても、それはベラルーシ産の小麦ではありません。

 東欧をまるごとひっくるめて、チェルノブイリ原発事故のせいで、汚染された地域、という廣瀬さんの(あくまでイメージですが、)考え方も正しくないと思います。

 廣瀬さんが「食品加工メーカーも自主的にベクレル検査をするべき」と提唱していることには賛同できるのですが。

 とにかく、ベラルーシ「産」で、ベクレルまみれ、つまり放射能汚染されている小麦粉から作られたパンが大量に日本人消費者の口に入っているとは、私にはとても思えません。

 「じゃあ、ベラルーシから日本に何が輸入されているのか?」という疑問を持つ人がいるかもしれないので、こちらのブログをご案内します。
「ベラルーシの貿易相手国 」  服部倫卓のロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪(ブログ版)より。
 2016年12月20日付のこの記事によると
「ベラルーシにとって最大の貿易相手国はロシアであり、以下ウクライナ、中国、英国、ドイツなどと続く。日本は、自動車の輸出などは行われているが、はっきり言ってベラルーシから買うものがないので、ベラルーシ貿易ランキングにおける順位は43位止まりであり、シェアも0.2%にすぎない。」
・・・だそうです。
 日本がベラルーシから買うものってないんですね・・・(^^;)

 私としてはこちらの「乳製品輸出大国としてのベラルーシ 」と言う記事のほうが気になりました。
 これによると、
「2015年にバターの輸出国としてベラルーシは世界3位を占めたという。1位がニュージーランドで43.9万t、2位がEU(1国ではないが)で17.4万t、3位がベラルーシで5.6万t、(中略)ベラルーシはこのほかにも、ホエイパウダー(乳清を粉状にしたもの)で世界3位、チーズ・カッテージチーズで5位、粉乳で5位の輸出国だった。」
 ・・・そうです。
 ちなみに日本は長年ベラルーシから粉乳を輸入しています。もっとも、放射能の検査は日本側はしているはずで、日本の基準値以下だったものだけが、輸入を認められているはずです。
 個人的にはホエイパウダーが気になりますね。ホエイにはセシウムのような水溶性の放射性核種が集まりやすいからです。
 それにしても。ベラルーシの乳製品がこんなに世界中で食べられているんですね。 
 ちなみにバターには原料だった牛乳に含まれていた放射能はほとんど残りません。
 
「いや、すっごい気になる。」
という日本人消費者の方は、一つ一つ原材料がどこからやってきたのか調べてから購入されることをお勧めします。
 とはいうものの、実際にはなかなか難しいですよね。

 でもまあ、20年以上ベラルーシに住み続けていて、ベラルーシ産のものを食べている私は今のところ健康ですので、ちょっとベラルーシ産の脱脂粉乳が入った日本製食品を日本人が食べたとしても、それが原因で発病する可能性は限りなく低いと思います。


中国新聞紙上でベラルーシの子どもたちが描いた絵が紹介されました

2017-04-18 | チロ基金
チロ基金の活動「戦争と平和の絵本と子どもたちの絵」の記事でもご紹介しましたが、2017年4月17日付の中国新聞紙上で、紹介していただきました。

 この記事に関しては「ヒロシマ平和メディアセンター」のHPから見ることができます。
 こちらがリンク先です。ぜひご覧ください。

 ベラルーシの子どもたちの作品がカラー写真で掲載されているのを見ると、本当にうれしく、今回のこの活動を行ってよかったとしみじみ思いました。
 日本の関係者の皆様に喜んでもらえてよかったと思うと同時に、ベラルーシの子どもたち、つまり戦争を知らない若い世代に平和について、考える機会を与えてくださり、感謝申し上げます。
 このように次の世代につなげ、さらには広い世界に、平和が大切なものであることを伝えていかないといけませんね。

(画像は私がハーモニー絵画教室で撮影したもので、エレーナ先生と今回の作品を描いてくれた生徒さんです。何だか女の子しかいない印象ですが、生徒さんの中には男の子もいます。)
 

コンタクトレンズをベラルーシで買うには

2017-04-08 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 これもベラルーシで長期滞在を予定している日本人にきかれたことです。
 ベラルーシでコンタクトレンズを買いたいが、どこで売っているのか? という質問です。
(私はベラルーシ何でも質問箱ではないですが、同じような疑問を持つ日本人がこれから増えてくるかもしれないので、このブログ上で書いておきます。)

 ベラルーシでもコンタクトレンズを購入することができます。
 売っているところは、「コンタクトレンズ専門店」「めがね屋で、コンタクトレンズも扱っているところ」「インターネット」「自動販売機」ですね。

 最後の自動販売機ですが、大きいスーパーの入り口のすみなどに設置されていることが多いです。
 もっとも、ベラルーシの自動販売機を信用していない私は自動販売機でコンタクトレンズを買ったことはありません。

 人生初めてコンタクトレンズを買うと言う人は、日本であらかじめ買っておくことをお勧めします。(ロシア語が得意なら問題なく自分の視力に合ったレンズを買えます。)
 こちらの眼科では視力表が、日本でよくあるランドルト環(Cの文字がならんでいるようなもの)ではなく、指し示すキリル文字を読みなさい、という表であることが多いので、ロシア語のアルファベットが分からないと視力も測れません。参照

 One Dayタイプ(1日で使い捨て)のコンタクトレンズも売られています。
 ただベラルーシではソフトのコンタクトレンズしか売られていません。
 
 日本ではハードのコンタクトレンズでも性能がいいので、ソフトのコンタクトレンズは、細菌が入りやすいという理由で、ハードのコンタクトレンズのほうがいいと言われているようですね。
 逆にベラルーシではハードは目に傷がつきやすいなどの理由で、そもそもどこにも売っていません。

 それからロシア語ができなくても、ネットや自動販売機で売られているなら、便利だな、と思われるかもしれませんが、視力そのものの表記の仕方が日本とは違うので、注意が必要です。
 厳密に言うと、日本人が知っている視力、「私、右目が1.0でね。」という数字とコンタクトレンズに表記されている度数は別物です。

 もし、コンタクトレンズの処方箋がある場合、あるいは今までコンタクトレンズを買ったことのある人は、そのケースに、Dが「- 4.00」といった数字(度数)が表記されているはずです。
 この数字を元にして、ベラルーシでコンタクトレンズを購入しましょう。

 専門店の場合は店員さんにこの数字(マイナスの後の数字)きかれますし、自動販売機でも、この数字によって、商品が並べられていて、間違えないようにボタンを押さないと自分の視力に合ったコンタクトレンズが買えません。
(ちなみにこのマイナスとは近視のことです。プラスで表記されているのは遠視。)

 視力と度数は別物なのですが、ベラルーシ人の視力をきくと、度数で答えるので、
「右がマイナス5。」
といった返事が返ってくるので、日本人の多くは「?」になります。

 カラーコンタクトレンズもベラルーシで売られています。これは専門店あるいはネットで購入可能です。

ベラルーシの歯科事情

2017-04-07 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 ベラルーシの歯科事情はどのようなものか、ご質問をいただきましたので、このブログ上でご紹介したいと思います。

 ちなみにベラルーシの全般的な医療事情については、日本外務省HPをご覧ください。

 ここではベラルーシに滞在中、歯が痛くなったら、どうしたらいいのか、という点について書きます。
 まず、旅行や留学などで、ベラルーシへ入国する場合、ベラルーシの医療保険に加入しなければ、入国できません。ホテルに滞在するときは、予約しておいたホテルにチェックインするときにホテルの従業員が代行してくれます。
 そうでない場合、主に空港で保険に入ることになります。自分で空港内の窓口へ行ってください。空港職員が、「保険に加入しましょう。」と言ってくれることもあります。
 保険料は1日1ドルぐらいで安いです。

 そしてベラルーシ滞在中に病気や怪我をして、治療を国立あるいは公立の病院など医療施設で受けることに鳴った場合、必ずこの保険証を提示してください。それによって、治療費が無料になります。(ただし、薬代などは有料。)

 したがって、急に歯が痛くなったとき、そして国公立の病院あるいは診療所の歯科に診てもらうときは、保険証を見せると無料になります。

 しかし、歯の病気で死ぬ人はいないため、夜間などは歯科は開いていませんので、注意。

 次が問題なのですが、ベラルーシには現在前述の公立の病院・診療所内の歯科のほか、私立の歯科医院がたくさんできています。
 ここでの歯の治療は、保険が利かず、全て有料です。

 さあ、公立の歯科、私立のデンタルクリニック、どちらへ行けばいいのでしょう。それぞれ一長一短あります。ベラルーシで歯科治療を受けたことのある日本人の体験談などもご紹介します。

<国公立の病院・診療所内の歯科>

(長所)保険に入っていれば無料。麻酔を使った治療も受けられる。
(短所)居住地域によって、行くべき病院・診療所が決まっているので、患者が選ぶことはできない。
 無料なので、近所の住民がたくさん来るので混んでいる。要予約。突発的な歯痛が始まったので、駆け込んでも、予約しないとダメとか、今込んでるから待って、とか言われてずっと待たされる可能性あり。 
 設備が古い。日本のようなハイテクな医療レベルではない。(例:口の中ににたまった唾液を吸引してくれるような装置がついていない。)
 医者は愛想が悪い。英語は通じないと思っておいたほうがいい。治療方法など説明などはしてくれない。
(体験談)詰め物はその日のうちに取れた。前の患者の抜いた歯がそのへんに血まみれで転がっていたのを見て、気絶した日本人がいる。
(アドバイス)ハンカチあるいはタオル類を持参するとよいと思います。

<私立のデンタルクリニック>
(長所)施設がきれい。医者は愛想は振りまかないが、まだまし。説明もしてくれるほう。ただし、基本的に全てロシア語だと思ってください。
 設備も日本ほどではないが、新しい。器具や充填物も外国製のものを選び、わざわざそれを謳っているところも多い。
(短所)保険に入っていても有料。平均的ベラルーシ人の感覚からするとものすごく高い。治療の内容にもよるけれど、日本の保険適応料金と同じぐらい。
 しかし、最近の傾向として「タダでも公立の歯科に行ったところで、結局無意味だ!」と不満に思っているベラルーシ人のお金持ち(あるいは医療にかかるお金は惜しくないと言う考えのベラルーシ人)は最初から私立のデンタルクリニックへ行く。そのため、混んでいる。予約を入れておいたほうがいいですが、突発的な歯痛のため、駆け込んだとしても、臨機応変に対応してくれる。
 麻酔を使う治療を認可されていないクリニックがほとんど。麻酔医がいて、レントゲン撮影ができるような施設があるところだったら認可されていると思うが、私立のクリニックは小規模経営が多いので、期待できない。
 そのため、麻酔が必要な抜歯はしてくれないため、クリニックが抜歯をしてくれる公立の病院を紹介してくれる。(結局国公立の歯科へ行かなくてはいけない。)

 保険に入っていれば、抜歯は無料。しかし、
「今から歯を抜くけれど、それについて患者の私は賛成ですよ。後から『なんで抜いたんだ、歯を返せ。』などという文句は病院に対して決して言いません。」
といったことがロシア語で書いてある書類に署名させられます。
 もちろん、その後の「麻酔が切れていない間は熱い物は飲まないようにしましょう。云々」といった説明は全部ロシア語です。

(体験談)国公立、私立に関係なく、歯が痛くても、鎮痛剤など薬は処方してくれません。
 自力で近くの薬局へ行き、
「私は歯が痛いんです。鎮痛剤をください。」
と言って購入してください。ただ単に「鎮痛剤をください。」と言うより、歯が痛いことも言い添えるほうが、適当な薬を薬局で選んで「歯痛ならこれがいいですよ。」と勧めてくれる。
 が、この一連の会話はロシア語(あるいはベラルーシ語)でしか通じないと思っておいたほうがいいです。
 紙に書いておいて、見せるのもいい方法ですね。歯が痛いときなんかしゃべるのも苦痛ですから。

 ベラルーシの医療従事者はみんな英語を勉強したことがあるので、英語は通じるはずなのですが、お互い発音が訛っていたりして通じなかったり、あるいは英語でしゃべるのが面倒くさいと思われる場合(愛想が悪い。目の前に困っている外国人がいても、どうでもいいや、と思う人)英語で説明してくれません。
 もちろん、ベラルーシ人の医療従事者にも、優しい人、英会話が得意な人もいますので、運よくそういう人に当たったら、ラッキーと思ってください。

 こちらが英語もロシア語も不得意と言う場合、治療にどうしても不安と言う場合は、通訳さんを雇うほうがいいです。もっとも医療通訳は内容によっては難しいので、治療の内容によっては通訳さんが誤訳したり、通訳ができなかったりします。

 歯痛で死ぬ人はいない、と言うことになっていますが、病気や怪我によっては日本外務省HPにあるように、帰国して治療を受けることや、一時帰国するときに治療や検査を受けておくことも考えておいたほうがいいです。

  ちなみに日本外務省HPでは
「薬局は各地にあります。しかし,簡単に医薬品を購入できない可能性が高く、一般的な常備薬(整腸剤,胃薬,目薬,鎮痛薬,総合感冒薬,湿布,体温計,バンドエイドなど)は日本から持参することを勧めます。」
とありますが、常備薬は簡単に買えます。ただ、日本人が考えているところの医薬品がベラルーシにないのが問題です。
 例えば、目薬ですが、日本人が疲れ目にちょっとさすようなお手軽が目薬はベラルーシにはありません。アンプル入りのものすごく本格的な眼病用の目薬ならあります。
 整腸剤は活性炭です。
 処方箋なしで買えるとある鎮痛剤は、ベラルーシ人にはよく効きますが、私には全く効きません。
 湿布は日本人に肩こりが多いので、日本薬局にはいろんな種類の湿布がありますが、ベラルーシではほとんど選択の余地がありません。
 体温計は売っていますが、婦人体温計はないです。
 バンドエイドはまともなものが売られていますが、個包装ではなかったり、めくりにくかったりします。傷口の大きさに合わせて切り取って使うタイプのものもあります。これを知らない日本人が見たらびっくりします。

 他にもどうやって開封したらいいのか日本人には分かりづらい容器もあります。
 例えばとあるインフルエンザの薬ですが、まずガラスのアンプルの口をナイフで切り、同封の粉薬をアンプルに入れて溶かした後、湯冷ましの水で4倍に薄めたものを、やっぱり同封しているスポイトで、患者の鼻の穴に3滴ずつ、1日3回に分けて入れましょう。使い切るまで溶かした液は冷蔵庫で保存すること。
 ・・・といった使用方法がもちろん全部ロシア語で書いてあるものが、薬局で売られていることもあります。

 このように日本人の感覚では簡単に理解できない医薬品があるので、日本外務省は日本から常備薬を持参することを勧めているのです。


チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第208回」

2017-04-05 |  ビタペクト配布活動
 4月5日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第208目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を11個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2526個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算224回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2526人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から2家族が地元の教会の信者の子どもたちなど14人を引率していました。この家族は2011年11月と2012年5月と2014年4月にもSOS子ども村に滞在しています。そのときの様子は以下をご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第126回」

チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第133回」

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第162回」

 今回は家族Bにはビタペクト3を渡していません。この家族Bのお母さんは家族Aのお母さんの娘です。
 それぞれの体重1キロあたりの測定結果はこのとおりです。以前の測定結果も矢印で示しています。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

(家族A)

母親(事故発生時14歳) 4ベクレル → 6ベクレル → 9ベクレル → 6ベクレル
養女(11歳)0ベクレル → 22ベクレル ○ → 40ベクレル ○ → 30ベクレル ○
養女(10歳)0ベクレル → 34ベクレル ○ → 33ベクレル ○ → 29ベクレル ○
女子(16歳)27ベクレル ○ → 22ベクレル ○
女子(16歳)29ベクレル ○ → 21ベクレル ○
女子(13歳)14ベクレル → 23ベクレル ○ → 27ベクレル ○ → 27ベクレル ○
男子(17歳)31ベクレル ○ → 20ベクレル ○
女子(14歳)(2012年測定)27ベクレル ○ → 19ベクレル ○
女子(16歳)(今回初測定)32ベクレル ○
男子(14歳)(今回初測定)15ベクレル
男子(13歳)(今回初測定)33ベクレル ○ 
女子(12歳)(今回初測定)31ベクレル ○
男子(12歳)27ベクレル ○ 


(家族B)
 
母親(25歳)33ベクレル
長女 (2歳)22ベクレル


 この2歳の長女はまだ小さいので、ビタペクト3を飲むことができません。
 家族Aの14歳の女の子は20ベクレル以下でしたが、2歳の女の子にビタペクト3は早いので、それをこの14歳の女の子にあげてほしいとお母さんに頼まれました。
 しかし14歳の女の子は「これ、酸っぱいから飲みたくない。」とか文句を言い出し、お母さんから叱られていたのですが、この子が前回飲んだのは、ビタペクト3ではなく、セルロースですね。たぶん勘違いしています。

 12歳の男の子は2012年にSOS子ども村へ保養に来たときに、最高記録である261ベクレルだった男の子の弟です。
 
 この兄弟については、 チロ基金の活動「ゴメリ在住一家への支援活動・第1回」「ゴメリ在住一家への支援活動・第2回」をご覧ください。
 
 今回この弟にとんでもない結果が出ていなくてよかったです。きっとお母さんが正しい食生活を続けている証拠だと思います。
 
 画像は記念撮影した様子です。今回は日本文化情報センターへ遊びに来てくれましたので、センター内での撮影です。小さい子どもは寝てしまって写っていません。図書館内のソファーで寝ていました。 
 年齢の高い子どもは日本について質問をたくさんしていました。着物や漢字、おすしなどに興味津々でした。

 子どもたちに折り紙、折り鶴、日本のシールなどをプレゼントしました。
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 

第10回 体調と対策メモ 読書

2017-03-27 |  体調と対策メモ
 お久しぶりです。「体調と対策メモ」第10回目の寄稿となりました。
 この投稿記事をお寄せくださっている方から読書がうまくできなくなった、と言う症状についての対策について、詳しく教えていただきました。
 いつものようにこのブログ上で公開しますので、このような症状があるかた、思い当たることがある方、ぜひご覧ください。

(第1回からの「体調と対策メモ」はこちらにまとめてあります。)
 
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 こんにちは。
 お久しぶりです。
 体調と対策メモの者です。

 体調不良対策を続けて、現在の体調は、不調ながら安定しています。
 午前中や気温の低い日の体調はよくないですが、よくないながらデトックスや、体温保持を心がけていると、なんとかすごせているというところです。

 本日は、ある特殊な不調の症状について、対策を書こうかと思います。同じような症状の方の参考になればと思います。

 2011年の夏ごろから、わたしには体調不良とともに、原因不明のある症状がありました。 それは、「テレビドラマを見ても、すんなりと筋立てがわからない」というものでした。
 年が明けて、2012年の2月頃になって、これに加えて深刻な症状が出ました。

 本が読めないのです。

 短い文章や、町の看板のようなものは読めます。
 チャットも出来ますし、文章もかけますし、言葉も話せます。

 しかし、長い文章が、目が滑ってしまってまったく読めないのです。
 ふつうに会話はできますし、長い文章も書けるので、「長い文章を読む」ことだけができないのは、驚きでしたし、不便でした。

 当時、同時に発現していた身体症状としては、持続するリウマチのような神経の痛みと、毎日続く激しい疲労感、忘れっぽい、左手のしびれです。

 もちろん、精密検査も受けました。
 結果として「異常なし」と言われていたため、どうしたものだろうと長い期間悩んでいました。

たとえば、脳梗塞などで右脳に異常が出ますと、左手がしびれて動かなくなったり、言葉を操る能力のにどこかに異常が出ることがあるそうです。

 わたしは、精密検査では異常がないと言われましたけれども、脳梗塞などの重い病気ではなく検査ではわからないくらいの、もっと軽微な異常が右脳のどこかにあったのかもしれないと思いました。

 長い文章が読めないのは、生活していく上で本当に不便なので、わたしは自分なりに出来る限りの対策をいたしました。
 以下にそれを列挙します。


○亜鉛サプリを摂取する。

 長い文章を読むためには、脳の海馬と言うところに読んだ文章を一時的に記憶しておか
ないといけないようです。そうすることで、長い文章の前後関係を理解しながら読んでいくことができるそうです。
 この海馬が必要とするミネラルは亜鉛です。
 亜鉛は、体内に重金属が吸収されたときなどに、免疫力を上げたり有害物質を排出するために大量に使用されるそうなので、亜鉛不足ではないかと思い、亜鉛サプリを飲むようにしました。
亜鉛は、過剰に飲むと身体に害が出ますので、気をつけて一日の摂取量を守ってください。また、鉄は亜鉛の吸収を阻害し、亜鉛は鉄の吸収を阻害するので、亜鉛と鉄のサプリは同時に飲まないようし、朝は亜鉛、夜は鉄と言うふうに時間を離して飲むようにしました。
 サプリで過剰症になるのが不安な方には、食品での摂取をおすすめします。
 亜鉛を安全に摂取できる食品は、ココアとビール酵母です。


○カルシウムをたくさん摂取する。

 脳が必要とする栄養素として大切なのがカルシウムです。
 食品からのカルシウムは、ストロンチウムが含まれている心配があるためなるべく避け、サプリメントで飲むように心がけました。
 食品で摂取したい方には、高野豆腐や切り干し大根など乾物にたくさん含まれています。

○パズルなど、頭を使う遊びをする。

 短期記憶が衰えており、頭を使うさまざまな能力が落ちてきていますので、リハビリのためにパズルや神経衰弱などのソリティアをしました。
 最初は、頭を使うとめまいがしたり頭痛がしたり、神経の痛みを感じたりしましたが、だんだん解けるようになっていき、楽しくなりました。
 後述しますが、わたしが絵本などを読んでいたころ、同時にパズルをしていたのが回復を早めたと思っています。


○編み物をする。

 右脳を刺激するために、左手で細かい作業をしてみようと思いました。また、当時はよく左手がしびれたり、指がつったりしていたので、このまま左手が動かなくなったら怖いな、という不安がありました。
 それで、両手を使う細かい作業は何かなと考えたとき、「編み物をしてみよう」と思い立ちました。
 編み物のいいところは、失敗したらほどいてやり直せるところです。
 身体はだるいし、思い通りにならないことが多い時期でしたが、編み物をしていると落ち着きましたし、何かしら形になるものが出来上がるのは続けるモチベーションになりました。
 他の手芸とちがって、太い毛糸と太い針を使えば、そんなに目にも負担にならないのがいいところです。出来上がったものは、ちょっとしたギフトにもなりますし、体調不良の方にはおすすめの趣味だなと思いました。


○本を読んでみる。

 まず、字の大きな絵本から読み始めました。
 最初は絵本でも、読むだけで疲れてしまったので悲しかったです。でも絵本からはじめたことで、「まだ自分にも読みきれる本がある」と思えたのはモチベーションになりました。
次に、児童書を読みました。
 児童書は字が大きく、わかりやすいのがありがたいです。以前なら30分もかからないで読めたような本でしたが、最初は一冊読むのに一週間かかりました。
 ページを開いて左下まで読むうちに右上のほうの内容を忘れてしまい読み戻る、ということを何度も続けましたが、読みきれたとき、「やった!」と思いました。


 児童書が読めるようになったら、ことわざや格言のような本、ビジネス書のようなノウハウ本を読むことにしました。
 こういう本は、役に立つことも書いてあるのがありがたいです。
 また、ビジネス書は、見出しが大きく書いてあり、そこにポイントをおさえて、いくつかの段落にハウツーが書いてある、という内容が一般的なので、長い文章の前後関係を理解しなくても読めるので、ありがたかったです。
 同時に、読みながらポイントをノートに書き写すようにしました。記憶力を回復させるためでした。これは役に立ったように思います。

 最後に、字の細かい小説です。
 最近、ようやく、字の細かい文庫本が読みきれるようになってきました。
 まだまだ時間がかかり、普通の人が3時間くらいで読める文庫本を読むのに、まる二日くらいかかってしまいます。
 また、じっと読んでいると、めまいがしたり、頭痛がしたり、眠くなったりしてきますが、そんな時は、いったん字の小さな本の読書はやめて、児童書にもどり、ハウツー本を読み、編み物をしたりして目を休めてから、小説にもどるというローテーションで読書しています。

 リハビリの経過を申し上げると、まず、絵本からはじめて児童書を読みきるまでは一年かかりました。その後は緩やかに回復しており、今は字の小さな文庫本を読みきるのに二日、というペースまで回復しました。
 ただ、倒れる前は、文庫本を一冊三時間くらいで読んでいたわけですから、ぜんぜんまったく遅いのですが、それでも小説を読めるようになったのはうれしいことです。
 目標は一日一冊です。

 今回のメモは以上です。
 最近、ネットなどを見ても、字が読めなくなった、文章がわからなくなったなどの症状をちらほらと見かけます。長い文章がダメ、漢字がダメ、むしろひらがながダメなど様々な症状の方がいらっしゃることを知りました。

 読めないけど書ける、しゃべれる、言葉を知っている、等とちぐはぐなところがある症状のため、他人に説明することが難しいですけど、打てる手はどこかにあると思います。必ずなおるとは断言できませんが、わたしの例が誰かのお役に立つことがあればいいなと思っています。

 また、最後になりますが、わたしは自分の症状を被爆のせい、放射能のせいとは断言いたしませんし、脳に異常があったとも申しません。(精密検査では「異常なし」でした)
 ただ、とても不思議な不調で不自由をしたことがありますので、この体験がどなたかの
お役に立てればという思いで書きました。参考程度にしていただければと思います。

 もし、実際に「文章が読めない」「左手がしびれる」という症状がある方は、絶対にまずは精密検査をお受けになってください。脳の異常は、検査をして早めに対処が必須です。
 そのうえで、どこも異常がないという結果になりましたら、ダメもとくらいで、わたしの方法を試していただけたらと思います。


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 テーマが「読書」長い文章が読めないという問題なのですが、その対策がパズルや編み物なんて! と感動しました。
 亜鉛やカルシウムといったサプリの話ですが、食材も挙げてくださってありがとうございます。
 この寄稿が誰かのために役立つように・・・!とベラルーシから祈っています。


ミンスク市立中央児童図書館での「子どもの読書」イベントに参加しました

2017-03-25 | 日本文化情報センター
 ベラルーシの学校は今日から1週間春休みです。
 春休み第一日目の今日、ミンスク市立中央児童図書館での「子どもの読書」イベントに日本文化情報センターは参加しました。
 ミンスクには児童図書館が18箇所ありますが、それぞれの図書館で特にたくさんの本を借りている児童とその両親が選ばれ、このイベントに招待され、最優秀来館者ということで、表彰されました。
 他にも関連イベントがありましたが、日本文化情報センターは児童図書館で日本文化が学べます、ということで参加しました。

 このイベントの詳細はミンスク市立児童図書館のHPで近日中に公開されますので、そのときにはここでもリンクを貼りますね。