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【貧困女子】元・月100万円の生活費を得ていた社長愛人の貧困転落~その1~

2015-12-05 17:49:21 | 珍事件・事故・その他・コラム
【貧困女子】元・月100万円の生活費を得ていた社長愛人の貧困転落~その1~

2015年12月5日 10時0分

suit-woman.jp

女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたのに、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちの体験談。

今回お話を伺ったのは、ウェブコンテンツ運営会社の契約社員として勤務する、五十嵐和江さん(36歳・仮名)。現在の仕事の内容は、ウェブサイトの運営です。

「この仕事をして1年になりますが、仕事は朝10時出勤から終電まで。化粧品や革小物など女性向けの商品を販売するメーカーのウェブサイトを運営しています。今のところ私は5つのサイトを任されていますが、どれもすべて毎日更新。全く手が回っていない状態で、毎日深夜帰り、土日も出勤することがあり、もう限界かもしれません」

和江さんが今の仕事を選んだのは、大学の先輩からの紹介。彼女は都内の中堅大学卒業後、現代アートを扱うギャラリーでアシスタントとして働き、その片手間でコラム執筆などもしていました。しかしリーマンショックのときに、そこが倒産。当時は20代だったこともあり、銀座のクラブに勤務します。

「クラブといっても美女が居並ぶすごい店ではなく、アットホームなお店です。小さい頃からオジサンにウケていたので、週4出勤ですが指名も多く、月に50万円は稼いでいました。しかし、税金、社会保険などは自分で払わねばならなかったので、手取りで25万円くらいでしょうか。この時期、昼間は知り合いのギャラリーのお手伝いをして、18時くらいから同伴に行って、24時くらいに仕事が終わり、深夜1時に帰る……という毎日でした」

そこで、ある会社社長の愛人になる話が持ち上がったと言います。

「当時、29歳だったのですが、毎月の手当は100万円。南麻布のマンションの家賃込みの値段です。相手も56歳だったこともあり、悪くない話だと思ってお話を受けました。週に1~2回彼が来るので、その時に食事をととのえて待ち、Hすればいいというかなり楽な生活でした。

しかし、彼は私の料理が気に入らず、有名な料理教室に手当とは別に通わせてくれました。当時、交際男性を毒殺した女性の事件が話題になったのですが、奇しくも彼女と同じ代官山のフレンチの教室に通っていたんですよ。今でも和、仏、伊のフルコースくらいは作れます。

彼は来るときは必ず連絡をくれたし、とても優しかった。変わったこともしましたが、お金だと思えば大したことありません。それに魅力は、大学を出てからずっと月給20万円足らずだったのに29歳にして初めて経済的に安定するどころか、ありあまるお金を手にしたこと。家賃と光熱費を払っても、手元に70万円は残ったので、愛人になってから半年くらいは買い物に暴走しました。アート作品を買い漁り、エルメス、ヴィトン、カルティエ……今まで手が届かなかったものを“爆買い”しすぎて、手元にお金が足りなくなったほど」

しかし、そんな愛人生活は1年半で幕を閉じる。

「彼に次の愛人ができてしまったので、私は手切れ金として200万円もらって、お払い箱でした。今思うと、彼が私にもたらすお金に慣れてしまい、もっと欲しいと思うようになりました。それに、ウチにくるときに“鬱陶しいな~”と顔や態度に出してしまったことが別れの原因だったように思います。それに飽きられてしまったんでしょうね。愛人ってスポンサーが飽きたら即解雇、という世界です。家も追い出されます。毎月の100万円が入って来なくなる絶望感で、次の家を借りる時、家賃7万円台と決めました。それが今も住んでいる渋谷区・笹塚の1Kのマンションです。これは私にしては大正解の判断だったと思います。

南麻布の50㎡の広い部屋からここに引っ越してきた時の絶望感、モノがあふれて入りきらない困惑は、今でも覚えています。冬の寒々しい光の中、カーテンのかかっていない粗末な部屋に、エルメスのバッグやカルティエの赤いジュエリーボックスが散乱。貯金が尽きたらどうしようとばかり考えていました」

その後、ストレスと不安から、和江さんはお酒に走る。

「とりあえず、仕事をしなくちゃと思い、ギャラリーとスナックでバイトしましたが、月収は15万円にも満たなかった。しかも、愛人時代に美食に慣れていたので、いい食材じゃないと満足感が低いんですよ。彼っぽい人もいたのですが、やはり見劣りしてしまって。

デートに行く店も、水っぽいベイリーフに火を入れ過ぎたヒラメの香草焼きとか出してくる変なイタリアン。一年半の愛人生活で贅沢にならされてしまったので、今の現実が受け入れられず、スナックのバイトが終わると350ml6缶パックの発泡酒を買ってきて、荷物だらけの汚部屋ですべて飲んでから寝ていました」

愛人時代を思い出し、酒をあおり眠るという日が3年間続く。

※本連載の内容はプライバシー保護の観点から、体験内容を変えない程度に一部書き変えております。