比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

美ヶ原から・・・槍・穂高の山座同定

2009-08-31 | 山が好き
美ヶ原・茶臼山に来ています。美しき溶岩台地が西に尽きるあたり王ヶ鼻の向こうに山なみが見えます。
1891年ウエストンが保福寺峠で見て「日本アルプス・登山と探検」(青木枝朗訳・岩波書店)に書いた風景。

・・・稜線の中央から南の部分が衝立のように立ちはだかって、飛騨の秘境を隠している。雪の縞をつけた尾根や、一万フィートを超えるみごとな山々が、乳白色(オパール)の夕空に紫の輪郭をくっきりと浮きあがらせていた。・・・・・・

そんな風景が拡がっています。快晴です。青い空に青い山なみが溶けこんでいます。
肉眼でも写真にとっても青い山なみは薄ボンヤリとしか見えません。ところが不思議? 画像編集ソフトで露出自動補正をしたら・・・岩壁も山襞も白い残雪もクッキリ?と見えるじゃないですか。カメラがカメラですからシャープさはありませんが。そこで山座同定です。

槍ヶ岳あたりの山塊。左に向かうと穂高岳への縦走路です。
槍沢のカール、大喰カール、中岳のカールまで見えます。

穂高連峰。奥穂高岳の左の岩塔はジャンダルムか?
大滝山の陰になっていますが涸沢カールの上端が見えます。


2002年に描いた山座同定図(W60×H25)です。お風呂屋さんの看板のようです。

飛騨山脈(通称日本アルプス)の山なみにすっかり満足してふたたび牧場の道を引き返します。行き交う人もなし。この広い野原いっぱい独占です。花とチョウチョを気にしてると赤いザックの人においてかれます。

   そんなにお前は なぜ急ぐ
   草のしとねに 寝ころんで
   くたびれやすめに 山を見て
   腹が減ったら また歩け

こんな歌、知ってますか。「放浪の歌」(作者不明)。1940年代から50年代に流行ったそうです。敗戦後の日本、経済のどん底の中で先の読めなかった若者が山を歩いて癒されたのでしょう。歌詞はウロ覚えでいい加減です。   


ということで美ヶ原の散歩はおしまい。まだ昼前。山あいを縫って和田峠、霧ヶ峰八島湿原に行こう

高原の花と蝶・・・黄色い花は?

2009-08-31 | 野の花や木々
黄色い花を並べてみた。みんな同じように見える

マルバダケブキ・・・丸葉岳蕗・・・蕗の葉に似て丸い。花径が約8cm。


コウリンカ・・・紅輪花・・・名前は紅だが黄色い・・・葉っぱが披針形。花径も3cmくらいとだいぶ小さい。


アキノキリンソウ・・・ホソバキリンソウとかミヤマアキノキリンソウとか。葉が披針形。


メタカラコウ・・・雌宝香・・・葉っぱがハート型で縁がギザギザ。


ハンゴンソウ・・・反魂草・・・薬草みたいな名前だ・・・オミナエシに似るが近寄って見ればかなり違う。花径2cm。


オトギリソウ・・・かな?


8月の17・18日の2日間・・池の平湿原、美ヶ原、霧ヶ峰八島湿原と遊び呆けました。
花や蝶にいっぱい遭えました。
花や蝶の専門家でないので教わったり図鑑で見たりネット検索で写真と比べ合わせたりで名前を載せています。間違っていたらご指摘してください。
黄色い花って類似種が多くて難しいですね。
花や蝶や野鳥の検索ってその過程が楽しいですね。

高原の花と蝶・・・ヤナギラン

2009-08-30 | 野の花や木々
美ヶ原、霧ヶ峰といったら大草原にヤナギランの大群生。
今年はなぜか目だちません。もう終わったのでしょうか、これからなんでしょうか。

この花は単独で見るより群生で見て、初めて感動が沸きます。



こうして単独で咲いてるのを見るとなぜか淋しいですね。

ヤナギラン・・・アカバナ科・・・蘭みたいな花で柳みたいな葉っぱで名付けられた。
アカバナ科の仲間は・・・赤くないけどマツヨイグサ。

美ヶ原を行く・・・大パノラマ

2009-08-30 | 山が好き
8月18日、墓参りをすませて帰宅の日。朝早く美ヶ原に来ました。山本小屋駐車場から茶臼山目標に出発。

快晴です 美しの塔です。
1954年霧鐘塔として建てられ1984年再建、霧が立ち込めたとき方向を知らせるためのもの。


美しの塔から牧場の「塩くれ場」へ。牛や馬が集まってきます。遠くに蓼科山が見えます。

オンマちゃんもいます。


塩くれ場」から牧場の柵の中に入り牛糞の落ちている道を歩いて茶臼山に向かいます。
八ヶ岳連峰が見えます。
道の両側に見える白い花はフウロソウです。蝶も舞っています。

牧場の中を進むとガレ場(岩礫地)に。大きなケルンが積んであります。

茶臼山に近いビューポイントから。
アンテナの林立する王ヶ頭、高原の先端(鼻)は王ヶ鼻
槍穂連峰が霞んでいます。
手前の花はマルハダケブキ、蕗の葉っぱのような大きな丸い葉っぱです。

大パノラマです。これが見たくてここに来ました。写真4枚合成。


2002年訪れたときの絵地図。茶臼山は図の中央下。

槍ヶ岳、穂高連峰は青い空に溶け込んで霞んでいましたがいちおう写真に収めました。写真は次回に

高原の花と蝶・・・短い夏をせいいっぱいに

2009-08-29 | 野の花や木々
高原は夏と秋が一挙に来てるようです。
花はいっぱい花を咲かせ蝶やトンボを呼んでいます。蝶もいっぱい蜜を吸って次世代に命をつなぎます。
あと1月・・・高原は草紅葉に彩られます。

ツリガネニンジン・・・釣鐘人参・・・根が人参だそうだが掘ってみなくちゃわからない。
花も葉っぱも輪状。同じようなのにヒメシャジン、ソバナがあるが。


フシグロセンノウ・・・節黒仙翁・・・平地でも見られる。茎が赤紫。京都仙翁寺で見られた。


シャジクソウ・・・車軸草・・・マメ科だからクローバー、萩の葉っぱに似ている。


トモエシオガマ・・・巴塩竃・・・名前のように花びらが巴。キレイな花です。


ヤマトリカブト・・・猛毒・・・これはもう見間違うことはありません。


8月の17・18日の2日間・・池の平湿原、美ヶ原、霧ヶ峰八島湿原と遊び呆けました。
花や蝶にいっぱい遭えました。
あまり多いので何回かに分けて載せていきます。花や蝶の専門家でないので教わったり図鑑で見たりネット検索で写真と比べ合わせたりで名前を載せています。間違っていたらご指摘してください。
花や蝶や野鳥の検索ってその過程が楽しいですね。

高原の花や蝶・・・お花畑で昼寝をすれば

2009-08-28 | 野の花や木々
   お花畑で昼寝をすれば
    チョウチョが飛んできてキスをする

アカバナシモツケ・・・オニシモツケ、シモツケソウなどあります。低木と多年草とありますがこだわらなくてもいいのでは。


オオバギボウシ・・・コバギボウシとの区別は難しい。


クガイソウ・・・九階草、輪生の葉がダンダンに9F。葉っぱを見る人はいないね。


コオニユリ・・・山に咲いてればこれ。ムカゴがない。クルマユリ・・・葉っぱが車のように輪生。


シシウド・・・高原ならどこにでも。


8月の17・18日の2日間・・池の平湿原、美ヶ原、霧ヶ峰八島湿原と遊び呆けました。
花や蝶にいっぱい遭えました。
あまり多いので何回かに分けて載せていきます。花や蝶の専門家でないので教わったり図鑑で見たりネット検索で写真と比べ合わせたりで名前を載せています。間違っていたらご指摘してください。
花や蝶や野鳥の検索ってその過程が楽しいですね。

信州の山城・・・真田氏本城

2009-08-28 | 古城・城址・陣屋・館跡
8月17日、池の平湿原を散歩したあと上田に下って、それから真田一族の発祥の地で真田館跡、信綱寺、真田家の墓所長谷寺などを訪ね、最後に真田本城に登りました。(→yahoo地図)

真田一族って
戦国時代から、豊臣・徳川の世に移るころ両勢力のあいだに立って一族の継続を計った謀将真田昌幸・・・幸村親子・・・なんていってもわからないでしょうね。
真田六文銭の旗印、上田城を専守防衛して徳川秀忠を撤退させた男、松代10万石の藩主として明治を迎えた家柄。
その先祖が真田家を起した地、上田から菅平スキー場に登る途中の町です。

上田市真田字本原海抜800mぐらいから180mぐらいの比高の地です。
本郭の裏に出ます。


表に回ると本郭にはこんな柱が立ってるだけです。


二の郭から本郭への道。幅は15mぐらいでしょうか。


二の郭から眺めた北方面。道は地蔵峠を越えて松代に出ます。
谷の右側に真田昌幸の兄の信綱の墓所信綱寺、尾引山城、洗馬城、谷の左側に根小屋城。


三の郭から下を見る。比高200mぐらいか。
道は左に行けば鳥居峠、上州岩櫃城、沼田城に。左に下りると上田に。正面の山は戸石城、米山城。

この城、城郭といっても建造物もなく誰が築いたのかも不明。登ってみると三方は傾斜がきつく刀を振り回すようなところではありませんが、裏から攻められると頼りないですね。この上から戦局を見る物見台のようです。北と東は山と峠で神川(かんがわ)という川の川下に上田平、塩田平という肥沃の地が開けています。
16世紀初頭この地の土豪、真田昌幸の父幸隆(滋野一族の海野棟綱の娘婿?)は武田信玄の父の信虎に攻められ上州に逃れ、後に信玄に仕え、1548年上田原合戦、1551年戸石城を奪取、旧領地の上田小県地方を信玄から封ぜられる。幸隆死後、長男信綱、次男昌輝が長篠城の戦い(武田勝頼vs織田信長)で戦死、三男昌幸が跡目を継ぎ、1583年上田城を完成、本拠地を上田に移し真田本城は廃城。

真田氏に繋がる滋野氏は清和源氏の系譜といわれますが定かではありません。上田は大和王朝時代信濃国府のあったところ、都から来た官僚の大伴系ともいわれます。地方豪族がこういう高貴な系譜を言い張るのは眉唾が多いようです。
それからのことは池波正太郎「真田太平記」(新潮文庫)を見るほうが面白いでしょうね。

大河ドラマ「直江兼続」・・・つづけて見たことはありませんが、断片的に見たことはあります。時の最高権力者に対して地方大名のスタッフがいかにしてその封地(組織)を守っていくかということがテーマのようです。政策(治世)ではなく政局(政界遊泳)ですね。真田家は豊臣、徳川の両方に天秤をかけて真田家という組織を300年守りました。国は君主のものでなく民のもの真田六文銭はお酒やお菓子や土産物のラベルになっていまも民に愛されているようです。

上信国境・・・池の平湿原を行く

2009-08-25 | 山が好き
上信国境池の平湿原・・・今年もやってきました。きょねんは湿原の木道の上を歩いただけ
今年は朝早く行って一周りしよう。東御町から地蔵峠に、池の平駐車場へ。

いつもは湿原のほうから歩き出しますが今日は山のほうから。
見晴らし散歩道、雷の丘、雲上の丘と歩いて行きます。道端の山野草がきれいです。
池の平湿原、鏡池、木道が見えます。

駐車場(2061m)、雲上の丘(2110m)、見晴岳(2095m)、三方ヶ峰(2040m)と周ってきました。
コマクサはもう盛りを過ぎていました。キアゲハ、クジャクチョウに遇いました。ラッキー
忠治の隠岩のあたり。鏡池です。このへんでパンと水にします。
ところで忠治の隠岩ってどういうことでしょうか。食べるものもないこんなところで隠れたなんて。

忠治の隠岩から東に向かい、放開口からアヤメ東歩道という山道に入りました。初めての道です。
シシウドが人の背丈より高いです。

池の平湿原の東端の尾根道から水ノ塔山(2202m)が見えます。赤く崩落した尾根は水ノ塔山から東篭ノ登山(2227m)へと続く七千尺尾根。
登山道はなぜか崩落崖ギリギリにあるそうです。雨が続いたり積雪したりしたら近づかないほうがイイですね。

花や蝶にいっぱい遇いました。ここは雲上の楽園です。

上田電鉄別所線・・・千曲川を東急1000系が行く

2009-08-24 | 鉄道と駅 甲信越編
信州上田・・・信越新幹線上田駅、同じ構内に上田電鉄別所線の始発駅があります。

駅を出るとすぐ千曲川鉄橋です。電車は塩田平の別所温泉に向かっています。
千曲川左岸、橋に向かって下流から。左側の山は上信県境、浅間火山帯の高峰高原方面。
なぜか電車は東急電鉄の1000系、色も東急カラーそのまま。2両編成。1時間に1~2本運行。



蛇足
鉄道ファンにおなじみのモハ5250丸窓電車。1928年新造車導入、1986年電圧アップで引退。現在、終点の別所温泉駅の構内と上田市丸子の長野計器(株)内の丸窓電車資料館に留置保存展示されています。

アニメ映画「サマーウォーズ」にこの丸窓電車も塩田平もでて来るそうだ。見に行こうかな。

上田電鉄(上田温泉電気軌道、丸子電鉄)。大正年代にはじまっていくつかの変遷があり青木線、丸子線、西丸子線、真田傍陽線が廃線になり現在はこの別所線だけ。
この別所線にしても1973年廃線の方針になったが、地元の存続運動、補助金などで存続。現在も地方自治体は支援継続しているが先行きは不透明。

東急系の車輌が走ってるのは東急電鉄の系列会社だから。東急電鉄元会長の五島慶太は小県郡青木村(上田市郊外)出身。

塩田平の風景でした。