比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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3月10日・・・今日は何の日・・・アメリカ軍による史上最大の東京大空襲・・・あれから72年

2017-03-10 | 語り継ぐ責任 東京大空襲
1945年3月10日深夜0時07分、325機のアメリカ空軍戦略爆撃機、艦載戦闘機が東京都江東区、墨田区、台東区、中央区を中心に焼夷弾(木造住宅焼き払い用の油脂爆弾)を雨のように降らせ火の海にした。機銃による民間人、非戦闘員に対する掃射も行われている。

●当時の東京警視庁の調査によれば損害は
  死者・83793人 負傷者・40918人 被災者・1008005人 家屋・26835人・・・(新聞社や民間団体の調査・推定では死者10万人を超すといわれ死者10万人が定説となっている) 
  当時の東京都在住在日朝鮮人・97632人 うち被災者・41300人(死者は1万人を超すと推定されている)。 
※数字はWikipediaより。

原子爆弾を除けば史上最大のアメリカ軍による大量虐殺です

カテゴリー「語り継ぐ責任 東京大空襲」・・・3月10日が来るたびに東京大空襲のブログを起してきました。わたし自身は田舎者で、幼少のころの話ですから、東京大空襲のリアルなことは何一つ知りません。新聞、テレビの特集、早乙女勝元さんの著書、当時の東京警視庁写真班員の石川光陽の残した「33枚の空爆被害写真」高木敏子さんの「ガラスのうさぎ」海老名香葉子さんらが建立した上野公園の「慰霊碑・・・哀しみの東京大空襲」「時忘れじの塔」、墨田区横網町公園の中の「東京都慰霊塔」・・・など見たり読んだり訪ねたりして、少しでも・・・東京大空襲とは何だったか・・・に思いを寄せてきました。


ここに1冊の本があります。

戦争中の暮しの記録」保存版・・・写真は1986年8月(第10刷)刊行のもの。
文章など書いたことのない普通の人の綴り方による戦争体験の証言記録。貴重なアーカイブです。
1968年8月に刊行した「暮しの手帖」の特集号を上製本仕様にして1969年8月15日に発行。いらい版を重ねたもの。
現在も通販市場で出回っています。


戦争中の暮しの記録」巻頭のグラビア写真・・・東京大空襲。
空いっぱいにひろがる焼夷弾・・・一夜で焦土と化した東京・・・とにかく生きていた・・・そして戦争の終った日。
右下の写真は天皇様のいらっしゃる皇居前で泣き崩れる東京都民の姿です。

鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「神風が吹く」「神州は不滅」「八紘一宇」「五族協和」「王道楽土」・・・とか思考停止して強制的に暗唱させられて「教育勅語]を唱えていた時代。
それから数か月後の8月、「民主主義」「小作解放」「財閥解体」「婦人参政権」「現人神から人間天皇へ」・・・日本人のアイデンティティ―そのものが崩れる世界になりました(うまく立ち回った人もいましたが)。

今日は「3月10日メモリアルの日」「東京大空襲の日」「東京都民大虐殺の日」・・・それが何だったか・・・
それから数ヶ月後、焼夷弾よりもっと効率の良い攻撃兵器「原子爆弾」でイクサが終わります。
if ・・・もし戦争が起こったら勝っても負けても原子力兵器の打ち合いで地上は放射能に侵された永久焦土になります。

これからの人はどうすればよいか・・・それはこれからの世代の人が自分で考えていくことです・・・知らんぷりはしてほしくない。


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