比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

武蔵野の晩秋・・・野火止の・・・平林寺・・・紅葉の雑木林を歩く

2015-12-05 | 道をゆく 埼玉イイなっ
平林寺の紅葉狩りは,最後に国指定天然記念物の武蔵野の雑木林を歩いて終わりにします。
小さく回って約1㎞25分、中くらいに回って1.5㎞40分、大きく回って2.3㎞約60分。



若葉の季節にまた来たいなあ
※平林寺のことを書いたブログはクリック


武蔵野の晩秋・・・野火止の・・・平林寺は・・・紅葉に燃えている

2015-12-04 | 道をゆく 埼玉イイなっ
12月2日、武蔵野の野火止の古刹、臨済宗妙心寺派「金鳳山平林禅寺」の紅葉狩りです。

本堂脇の本坊、庫裏の前の紅葉。



仏殿の扁額「無形元寂寥」。
読めない ワカラない

萱葺の仏殿の前の紅葉、仏殿は1600年前後に岩槻で建てられ、1663年に野火止の地に移築。県指定有形文化財。

放生池の鯉も真っカッカ・・

放生とは・・・生き物を放してやること。殺生戒。






晩秋の武蔵野・・・野火止の平林寺の・・・紅葉狩り

2015-12-02 | 道をゆく 埼玉イイなっ
10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・
新座市野火止の古刹、臨済宗妙心寺派「金鳳山平林禅寺」を尋ねました→クリック

12月2日、ふたたびの平林禅寺です。

山門のまわりはみごとな紅葉・・・紅葉を愛でる人の群れ。





武蔵野の野火止・・・平林禅寺の紅葉はまだ見ごろです。

紅葉狩り・・・「狩り」とはケモノ扁がつくように獣を捕えることをいうのですが、いつのまにか「紅葉狩り」なんていう鑑賞することや、「キノコ狩り」「イチゴ狩り」なんていう植物を採集することもいうようになりました。理由は・・・ワカリマセン。
日本人って春はお花見、夏は蛍狩り、秋は紅葉狩り、冬は雪見酒・・・四季を愛でる・・・心優しき民族ですね。


秋の一日・・・武蔵野の里山・・・国指定天然記念物の平林寺境内林を散策

2015-10-30 | 道をゆく 埼玉イイなっ
10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・新座市野火止の平林寺を尋ねました。
臨済宗妙心寺派「金鳳山平林禅寺」の総門の脇から入山。山門、中門をくぐり本堂を参詣して左側から散策路に。

モミジの林です。11月下旬には真っ赤に燃え上がります。

散策路はモミジのトンネル。
その奥はアカマツ、杉、ヒノキの針葉樹、シラカシなどの広葉照葉樹、クヌギ、コナラ、クリ、シデなどの広葉落葉樹の雑木林です。

小さく回って約1㎞25分、中くらいに回って1.5㎞40分、大きく回って2.3㎞約60分。

部分的に紅葉したモミジが見られます。



ベンチのほかは何もありません。作庭した庭ではなく花壇も剪定した樹木もありません。茶店も自動販売機もありません。
自然のままです。こういうところが好きです。できるだけユックリ歩きたい。


里山という言葉は森林生態学者、京都大学名誉教授、京都府立大学名誉教授の四手井綱英(1911~ 2009年)という人が広めたといわれます。むかしから人と共生した雑木林の荒廃の危機感から生まれた言葉です。
全国どこでもそうですがかつての雑木林は人が薪炭として10年から20年周期で伐採を繰り返し、堆肥の素材の落ち葉、牛馬の秣として下草を利用してきました。それが近年になって化石燃料の使用、化学肥料の普及。農機具の機械化などにより、雑木林が放置されるようになり荒廃が進んできました。ここ国指定天然記念物平林寺境内林も指定から40年余、樹木の高木化、林床が笹で覆われてきたようです。
文化庁、埼玉県教育委員会、新座市教育委員会、平林寺では平成25年に策定した「国指定天然記念物平林寺境内林保存管理計画」に基き里山の再生事業に取り組んでいるそうです。(パンフレットより)

11月下旬から12月初旬・・・モミジの季節です。
また、来ようっと



彩の国・・・「コスモスアリーナふきあげ」は・・・いま秋桜が満開です

2015-10-28 | 道をゆく 埼玉イイなっ
ここは荒川左岸の鴻巣市吹上の大芦、公称1000万本のコスモスがコスモスアリーナふきあげ周辺の荒川 河川敷の花畑に咲き広がります。

コスモスアリーナ吹上の前の広大なコスモス畑(30000㎡)。満開です。



勝手に摘み取らせていただき、家に持ち帰り花瓶に入れて窓辺に置きました。

荒川河川敷・・・このあたり川幅1000m余、広いところでは川幅1600m余あります。広大な遊水地です。ポピーやコスモスを植えて人を楽しませていますが、やがて畑地に戻り、稲や麦の畑になります。

※「コスモスアリーナふきあげ」のアクセスマップです。

秋の一日・・・武蔵野の禅刹・・・平林寺を尋ねた

2015-10-28 | 道をゆく 埼玉イイなっ
10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・新座市野火止の平林寺を尋ねました。
臨済宗妙心寺派別格本山「金鳳山平林禅寺」・・・本堂です。

1880年再建、入母屋造茅葺。1976年に銅葺に。堂内に石川丈山揮毫による「平林禅寺」の扁額が。

平林寺縁起・・・南北朝時代の1375年岩槻城主太田備中守の帰依により武州騎西郡渋江郷金重村(現さいたま市岩槻)に創建、江戸時代に入り平林寺が大河内家の菩提寺であったことから大河内松平家を興した初代川越藩主松平信綱の宿願であった武州新座郡野火止への平林寺の移転を1663年に信綱の子、輝綱が実現した。
新座郡五ヶ村・・・現新座市の野火止、大和田、菅原、北野、現志木市志木の五ヶ村は大河内松平家が他地に転封した後も飛び地として松平家の所領でした。
野火止‥・古い地名らしい、地名由来は諸説あるようですが定かでない。関東ローム土層に覆われた保水力のない台地。いったん野火が拡がったら止めようがない。何らかの火災遮断地帯を作っていたのかもしれない。

平林寺公式ホームページ


秋の一日・・・武蔵野の雑木林に佇む・・・平林寺山門

2015-10-27 | 道をゆく 埼玉イイなっ
10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・新座市野火止の平林寺を尋ねました。
臨済宗妙心寺派「金鳳山平林禅寺」の総門の脇から入山。

平林禅寺山門・・・入母屋造茅葺の楼門、1664年建立。楼上に釈迦・文殊・普賢の三尊像、十六羅漢像を安置。埼玉県指定有形文化財。

山門の扁額「凌霄閣」(りょうしょうかく)は総門と同じく京都詩仙堂の石川丈山の揮毫によるもの。
凌霄(りょうしょう)・・・凌霄花(ノウゼンカズラ)と同じ意味。なぜ「のうぜん」と表音したか定かでない。

左右には「電力王」と称された松永安左衛門(1875~1971年)寄進の金剛力士像。


2014年12月7日、友人の撮影した山門前の紅葉の風景。紅葉は盛りを過ぎていたようでした。
平林寺の紅葉は11月中旬~12月上旬、年によって進捗状況が違います。

いちどは尋ねて見たい紅葉の名所です。
11月~12月は撮影用の一脚、三脚は禁止だそうです



秋の一日・・・武蔵野の雑木林・・・平林寺を尋ねた

2015-10-26 | 道をゆく 埼玉イイなっ
10月19日、ふるい友だち夫妻と秋の武蔵野散歩・・・新座市野火止の平林寺を尋ねました。

臨済宗妙心寺派「金鳳山平林禅寺」の総門(切妻作り茅葺、四脚門)。埼玉県指定有形文化財。
武蔵野の雑木林そのもの・・・13㌶の境内林は国指定天然記念物

扁額は1648年に京都詩仙堂の石川丈山によって揮毫された「金凰山」。

行ずることは禅である」は総門の脇に書かれていた言葉。「平常心是道」「一期一会」は入門するときに渡された小さなカード。

」って正直ワカラナイ
平常心」とは平らな心ではなく・・・
欲しい、憎い、惜しい、食いたい、悲しい、嬉しい、可愛い・・・きわめて人間的な煩悩そのものをいう・・・のだそうです。

さて、入山(拝観料500円)します。


臨済宗・・・唐末の臨済が創宗.日本における5つの禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)のひとつ。。建仁寺派、建長寺派、円覚寺派、天龍寺派、南禅寺派など15派があり、6000余の寺から成る。妙心寺派はそのうち3400余の寺を擁する最大宗派。
石川丈山(1583~1972年)・・・江戸時代初期の文化人、三河川家の譜代武士、大阪夏の陣で手柄を上げるも抜け駆けであったため賞されず、浪人して京都妙心寺に隠棲。後に儒者、漢詩人、書家、茶人、作庭。1641年丈山58歳のとき京都洛北の一乗寺村に詩詩堂を建てて終の棲家とする。

彩の国・・・「コスモスアリーナふきあげ」は・・・いま秋桜の花盛り?

2015-10-15 | 道をゆく 埼玉イイなっ
ここは荒川左岸の鴻巣市吹上の大芦、公称1000万本のコスモスがコスモスアリーナふきあげ周辺の荒川 河川敷の花畑に咲き広がります。

コスモスアリーナ吹上の前の広大なコスモス畑(30000㎡)。まだ8分咲きのようです。

蕾はイッパイついてます。

遠くに見えるアーチ橋は荒川水管橋、全長1100m(水管橋では日本最長?)、鴻巣市大芦と熊谷市小八林のあいだ。
利根大堰で取水された水が行田浄水場で浄水され比企、入間地区に送配水されています。

見ごろは今週末から10月下旬まで・・・と思います。
※カメラは Panasonic LUMIX DMC-GH2 14~140mm。


荒川河川敷・・・このあたり川幅1000m余、広いところでは川幅1600m余あります。広大な遊水地です。ポピーやコスモスを植えて人を楽しませていますが、やがて畑地に戻り、稲や麦の畑になります。