ロシアの文豪A・プーシキンの
韻文小説『オネーギン』
ウ~ム。難しそうじゃわい。
だいたい、ロシア文学って
『罪と罰』を読んだだけ…。
”しんどかった”という思い出だけ…。
韻文ってなんじゃいな?
詩みたいな感じなのかな?
ドキドキしながら
読み始めてみた…ら…ら…
ホ~。プーシキンが、
作者自身として出てくるんだ。
オモロ~イ♪
水先案内人っていうか、
ツアコンみたいになったりするの。
時々、作者がこれからする事を
教えてくれたりするんだよぉ。ククク
オネーギンはどうしているのか。
ちょうどいい、ついでに諸君の辛抱をお願いして、
私は彼の毎日の生活ぶりを詳しく描写しておこう。
アハハ。んでね、
田舎で退屈な生活を送ってるんだぜ。
って事を描いてくれるわけよ♪
しかもステキな言葉の連続で♪
でもって
こんな心情、小説の中に入れちゃうんだよぉ。
ああ、読者よ、私は我にもあらず同情に胸を
締めつけられている。
失礼して私はひと言いってしまおう。
ー 可愛いタチヤーナが、
私は好きで好きでたまらなくなったのだ!
あんたが創ってんねやん。
キャハハ
1823年、キシニョーフ、オデッサにて
1825年、ミハイロコフス村にて
全8章に分かれてるんだけど、
最後は必ずこういう風に書かれてるの。
日記っぽいよね。
え~っとプーシキンは
どういう人だったのかな?
モスクワの名門貴族出身なのね。
専制政治とか革命とか、
そういうものに対する感情で、
都市を追放されたり。
恋も沢山したり。
放埓な生活をしたり。
でもきちんと結婚したのか。
わぁ、奥さんのことで決闘!
そうして命を落としたっ。
まるで小説っ。
物語にス~っと入っていけたのは、
『オネーギン』という宝塚の舞台を
先に観たおかげだと思うんだけどね。
オネーギンとタチヤーナの恋
1行で書いたら
なんちゃないものみたいだけど。
極寒。そうして白樺。
華やかな社交界や舞踏会。
そんな中で、
境遇の違う男と女が出会って別れて
運命の再会があって…。
切なかった……
オネーギンもタチヤーナも……
どっちもド~ンときて
心がフルフル震えたぁ……
小説を読んで知ったのは、
タチヤーナが
オネーギンに拒まれてから
どうしたのか。
主がいなくなった家の
書斎に入れてもらって、
日がな一日彼のことを想って…。
幽霊みたいに…フラフラ…。
うわぁぁああ。
そんなに想っていたんだねぇぇ…
魂の抜け殻になった娘を
母親が放っておくはずがなぁい。
いざっモスクワへ
花婿探しにレッツゴ~!
おどおどした田舎娘だったのに
いつの間にやら社交界の華に。
そ~して2人の再会。
タチヤーナの夫と、
顔見知りだったオネーギン。
家に訪ねてくる彼に、
淡々と接するその態度。
ついにオネーギンから
熱烈なラブレターを貰っちゃう。
でもオネーギンは、報われないまま…
季節が変わって春。
ターニャに会いたくって!!
ダッシュッッ。
そこで彼が見たものは
青ざめた顔、はらはらと涙を流し、
一通の手紙を読む公爵夫人の姿。
ターニャは、
やっぱりオネーギンのことを…!
そう。それはそうなんだけど、
なんで今更、こんな手紙をって、
彼女は悲しんでるわけよ。
あの頃の田舎娘ではなく、
地位も名誉もある都会の女に
恋するなんて…。
舞台だけじゃぁここまでの
彼女の気持ちは判らんかったぁ。
嗚呼、タチヤーナ…
オネーギン
プーシキン/著
池田健太郎/翻訳
岩波文庫
ところで、
韻文ってどういうもんやの?
和歌とか俳句にも通じるらしい…。
う~ん。あんまりピンとこない…ぃ
”ある一定のリズムをもった文章”
アワワ!それならガッテン!
プーシキンの文章って
リズミカルなんだよぉ。
なんか、こう、
文字を追う視線が、
自然と先に先に行くのよ。
スキップしてるみたいに、軽やかに♪
こりゃぁめっちゃ
翻訳が大変だったんじゃぁ…。
な~んて思ってたら
”付録”ってところに
翻訳家池田健太郎の
もがき苦しむ様子がぁ。ヒヤァァア。
ロシア文学研究家鳴海完造
という人のことも!
そっかぁ、
こういう人達がいてくれたから
私がこの作品に出逢えて、
至福の時を味わえたんだね…♪
ありがと~♪
実は、岩波文庫の
この字の小ささも好きだったりするし♪
このまま色んな
ロシア文学ワールドに嵌りたぁい。
…あっアカン!
スペインに行かなくっちゃ。
ヘミングウェイが
『誰がために鐘は鳴る』(宙組公演)
っていう本を片手に、
私のことを待ってるわぁぁあ。
チックショ~~!
轟悠 オネーギン1 (2010.11.14記)
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宝塚歌劇団 オネーギン DVD 2011.1.20発売
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