日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

自分たちの「常識」は、あくまで自分たちだけのもの。異国の常識を理解しろとは言わないけれど、知っておいた方が、嫌な思いをせずに済む…ことが少なくない。られる

2024-03-27 08:00:22 | 日本語学校
晴れ。

朝はかなり寒くとも、昼にはポカポカになるという予報だったので、昼対応でやってきました。少々寒く、室内ではまだ暖房が必要です。

ただ、「今週末から、冬物は要らないでしょう」ということなので、春本番が、いよいよやってくると見ていいのでしょう。学生達も公園の「サクラ」やらを見て、和める時間がとれるかもしれません。いつでしたか、ベトナム人学生が、日本人が公園で花見をしているのに倣い、日曜日自分たちでもそういうのを開いたことがあったそうです。その頃はベトナム人学生が多かったので、彼ら一国だけの花見になったのでしょう。

時々、ベトナム人と中国人がよく似ているなと思うことがあります。人によりけりなのは当然なのですが、特に団体行動をとる時に、どことなく、「あれ?軍隊式だな」と思わせるような行動をとる人がいるのです。「さあ、ベトナム人(中国人)諸君、頑張ろう」とでもいう感じでしょうか。他の国の人達もいるというのに、天上天下唯我独尊みたいで、愛国心がバアッと全面に押し出されていて、しかも、それに条件反射のように、多くが反応のしているのですから、それはもう、ちょっとばかりというか、それ以上に、けったるい。

もちろん、最初は、当方としても「びっくらこいた」で、開いた口が塞がらなかった。けれども、すぐに、「止めなさい。ここは日本であるし、君たち(の国の人達)だけではない」と、こちらが怒っているのをわからせたのですが。当然のことながら、そういう社会で生きてきた人達にはそれがわかりません。おいおいに、わからせていくより他はないのでしょう。人数が少なければ(被害者ですから)、それがすぐにわかるのでしょうが、人数が多ければ、多数決と同じでそれが主流となるのです。

ただ、今は、こういう気配のない人達が多く、彼らも人数が少ないので、幅はきかせられません、いいことです。なにせ、今いる学生達(卒業生が、3月に去ったので)の出身国は、スリランカ、ミャンマー、中国、ネパール、タイ、バングラデシュ、インド、フィリピンと、小さな学校である割には、多国籍で、皆それなりに仲良くおっとりとやって行けていますから、まったく、こういう問題の出ようがない。

学生達の出身国が一国だけに固まってしまうと、どうしても「群れ」の悪い面が出てきます。いきおい、自分たちの「あたりまえ」が、こ、異国である日本においても、「あたりまえ」であると思ってしまうようなのです。それを改めさせていくのも、ある意味、日本における日本語学校の役目であるのでしょうが。

ここは、日本で、彼らにとっては異国である故に、「常識」も彼らの国のものとは違う。「郷に入っては郷に従う」ではなく、「郷に入っては郷に従え」ですね、まずは。

その上で、周りの人達との理解を得て、変えていくべきところは変えていく。と、こういう態度や考え方が必要であると。異国では、自分周辺に、いかに同国人が多かろうと、国全体として見れば、日本で生まれ育ち、祖父母も高祖父母も日本人である人達が圧倒的に多数なのですから。周りの理解を得ぬまま、「自分たち」を押し通そうとすれば、軋轢が生じるのは当たり前のこと。もちろん、よほどのことがない限り、排斥とまでは行かないでしょうが、嫌われることはあるでしょうね。

以前、日本語を習いに来ていた在日の中国人が、「私たちはここへ来ているんだよ。お客さんなんだよ。どうして(周りの日本人は私たちを)親切にしない」と文句を言っていましたが、私の返事は「客なら客らしくしろ」。とはいえ、この「客」に対しても彼我により捉え方の違いがあり、そこから態度の違いも生じてくるのでしょう。

日本なら「客らしく遠慮しろ」、彼らは「客は大切にされるべきである」。こういう認識の違いを相互理解していくというのは、なかなか難しいことです。

その人には、日本人の考え方を説明し、彼らがここでとるべき態度についても話したのですが、どうも、わからない(様子)。「どうして、どうして」と文句を言い募るだけ。「こりゃあ、しょうがないな」と、こちらも匙を投げた。こういう感性は、通じない人には一朝一夕には伝えようがない。これも適応力の有無、程度とも関係しているのでしょうね。

同国人であっても、人によっては、「ああ、日本ではそうなのか」で、すぐに理解してくれる人もいるし、態度を変えてくれる人もいる。が、年が長けていてそれができるかというと、それも無理なようで、結局、最初のその人は「被害者意識」のまま、日本嫌いになったようです。帰国して、自国で平和に暮らしていてくれればいいのですが、文句を言いながらも日本に居座られると、これもまた、お互いに不幸なこと。

日本人は島国で育ったせいか、どこへ行っても、ここの人はどう考えているのだろうとか、例えばキリスト教のことは多少知っていても、イスラム教のことはあまり知らないので、そういう国へ行った場合、まず動けなくなる。相手の様子がわかってから、少しずつ動いていこうという感じになる。それが自分の常識は世界の常識、皆、それに従え」という考え方が染み付いている人達だと、それはどこでも面倒を引き起こしてしまいます。

昔、日本でも、そういうことはありました。外国へ行く時に「何かあっても、すぐに『ごめんなさい』と言っちゃあだめだよ。」とか、「おもてなしだと考えて、うっかりサービスなどを受けてはだめだよ。後で請求書が来るんだから」とか、 痛い目を見た人達が、後人のために、戒めとして伝えていたのでしょうね。もう人口に膾炙していることですが。

日本の「当たり前」は、日本だけのものである。学生達にも、「君たちの『当たり前』は、君たちだけのものである」というのをよく言います。「自分たちはこうする」とか、「自分たちはこう考える」とか言い合えるようになるまで、自分たちの『常識』を現地の人間の前でおおっぴらに広げたり、押し付けたりするのは、やはり止めた方がいいでしょうね。

日々是好日
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