日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

全体でする「作業」について。イメージがないから、動けない…では、イメージを作らせていくためには…まずは経験。

2024-03-14 08:18:57 | 日本語学校
晴れ。

今週は、今日、明日、土・日と暖かくなり、一気に「サクラ」の開花が進むかなと思っていると、またしても、来週、また寒くなりそうなので、「開花」の足踏み状態が続くかしらん。とはいえ、学校の玄関のカギを差し込む時に感じる、焦るような暗さも影を潜め、まずは「光」から、季節の変化は始まっていると…言えるかな。

さて、学校です。

先日の「ひな祭り」、皆で「男雛女雛」を折り紙で作っていったのですが、その作業でのこと。ネパールの学生達の様にびっくりさせられてしまいました。ネパールからの留学生はここ何年も入れてきていましたので、今更…という感がなきにしもあらずなのですが、これまで注意して見ていなかったのかしらん。ただ「不器用だ」とだけ捉えていたのかもしれません。が、違っていたのです。「不器用」ではなく、使ったことがなかっただけだったのです。

「紙を折る」…(経験が)ない。はさみを使う」…(経験が)ない。「セロテープ」を切って、貼る…(使った経験が)ない。見よう見まねでやるわけですから、作業が遅くなるのも当然のことだったのです。

最初は、どうしていいかわからないから、キョロキョロ、オドオド、ドキドキしている人が、あっちにもこっちにもいた。教師がやり方を説明しているのですが、そういうイメージが全くないので、どう理解していいのかわからなかったのでしょう。

もっとも、3,4人は、作業を進めているうちに、コツがわかったらしく、それなりにできるようになっていった…のですが、一人だけ、最後まで、折り紙を手に、固まっている人がいました。見るに見かねて、左右の学生が手伝ってやっていましたが、あまり人にやってもらっていると、その人も自分の作業が遅れがちになってしまうし、だいたい本人のためにならない。

ということで、時折、(こちらが)「それくらいは、自分でやりなさい」と言ったり、「自分でやらせなさい」と手伝っている学生に言ったりしたのですが、そうなると、一人だけが全然進まないと言うことになってしまう。紙を手に、茫然としてしまうのです。終わりの方ではもう黙認でしたね。これからは、7月に、「七夕」行事もあることだし、まあ、少しずつ慣れていけばいいかなと思うことにして。

ただ、考えさせられたことがいくつかありましたね。こんな簡単なことであっても、作業は作業。「作業」というのに慣れていない…ということは、仕事とまでは言いませんが、日常生活においても、つまり、日々の暮らしの手順も見えていないのではないか。

もちろん、人によって、それぞれ、得手不得手なるものがあるのも事実。自分にも、「こういうことは下手」と自負(?)して、他の人に任せっきりということもあるのですが、彼らは、その「前段階」の所で詰まっている…ように見える。経験がないから、動けない…。経験さえあれば、もう少し、自由に動けるのではないか。

現在は、どう動いていいかわからないから、動かない。手を出さない。わからないから何もしない。結局、皆で何かをしなければならない時に、何もせず、ただ見ているだけということになる。

皆で、準備をしたり、片付けをしたりしている時に、見ているだけでは、手持ち無沙汰になるものだから、つい、汗を流している人を尻目に、同じような者と談笑したりしてしまう。普通、日本人なら、ここで、プッツンいってしまうものなのですが、本人は、これまで、それでやってきているものですから、なんとも思っていない。日本社会じゃ、通用しないよと言いたくなる。実際によく言ってきました。

見ていると、働く(作業する)者と自分とを別と考えているようなフシさえ感じられる。留学させられるということは、彼らの国では、一定の「資産」なり、「階層」者であるということなのかもしれません。

ということで、今、来週の「卒業式」の準備のことを考えています。例年、在校生が式の準備をしているのですが、これまでは人数が多いこともあり、テキパキと動ける人達に、大部分を頼んでいました(教室が狭い割に、人が多いので)。その方が時間も短くてすみますし、こちらも苛つかずに済むからです。が、多少時間がかかっても、全員に、それなりの役割を与え、させた方がいいのではないかと考えています。自分の椅子をたたんだり、並べたりは、これまでもさせていたのですが、それ以上の作業は、見ていると、動く人は決まっていました。

動けるのは、慣れていて、手順がすぐに呑み込める者、自分なりに考えて動ける者ですね。ぼうっと突っ立って他の人の邪魔になっている人は、出来ないのではなく、どうしていいかわからないということなのでしょう。

まずは、作業を呑み込ませ、どうすればいいかを理解させて、動けるようにさせていかなければなりません。

まあ、文句を言っているように感じられるかもしれませんが、皆、根はいい人達なのです。手伝ってと言えば、すぐに手伝ってくれます。一対一だったら、いいのですが、ただ、大勢の中での自分の立ち位置が呑み込めないがゆえに、どこでどう動いたらいいかわからない。

これまでそういうことをしたことがない人達を動かすのですから、時間はかかるでしょうが、これも教育の一環と思えば、たいしたことはありません。最初に、時間が、少し余分にかかるだけのこと。特に女子学生は、国でそういうことをしたことがないように見えますから、一層、やっておく必要があるのでしょう。

日々是好日

コメント
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