取り留めのない思い出話だ。
先週の土曜日に友人がやってきて、
古いプロレスの録画を見た。
CS805で放送中のサムライTV。
『全日本プロレス王道史』&『新日本プロレス闘魂史』
の2つの番組はプロレス中継のクラシックス。
同番組は両団体の創立40周年を記念して、
2012年4月から始まった新しいシリーズ。
CS放送で観るサムライTVは変則な時間編成も、
月々1050円と割安価格が魅力的。
私には古くからのプロレス・ファンの友人が2人いて、
1990年代には東京や金沢の会場にもよく足を運んだ。
*現在の私はプロレス・ファンとは決して言えない。
取り留めもなく思いついたのは、
我家に初めてカラー・テレビが来た日。
テレビをつけて暫くすると、
見慣れた馬場さんの顔。
相手はサンマルチノだ。
その拙い記憶を頼りにWebを検索。
なんと現役プロレスラーの渕正信さんのブログに行き着いた。
→ http://pure-city.jp/fuchi/cat-32/index.html?page=3
渕さんのブログ(酔々ブルース)を少し転載させていただくと、
39年前のこの日、
全日本プロレスは町田市体育館で旗揚げ戦をおこなった。
そして翌22日は日大講堂で全日本プロレス創立者のジャイアント馬場さんは、
永遠のライバルブルーノサンマルチノと一騎討ちで戦った。
結果は1対1の後両者ダブルフォールによる引き分け。
日大講堂での馬場サンマルチノ戦は土曜夜8時日本テレビ中継で見た。
私はまだ18歳。
北九州の大学を中退して1人神奈川県茅ヶ崎に住んだばかりであった
*ブログ更新の日付は2011年10月21日。
つまり我家に、
“初めてカラーテレビがやって来た”
のは、
1972年10月22日。
近所の親しくしている電気屋さんが取扱店であった、
SONYのトリニトロン・テレビだった。
*白黒テレビは物心がつく頃には家にあった。
プロレス中継を見た思い出は、
白黒TV時代の“風神・雷神のリングCM”を覚えていることから、
ウルトラマンの放送開始頃から見ていたと記憶する。
*プロレス中継がない日はディズニーのTVアニメ・シリーズを放送?
記憶の断片を繋ぎ合わせ簡易に真実に近づけるWeb検索。
さらに、
思い出の試合をキーワードで映像に繋げる動画投稿サイト。
*その衝撃はカラーテレビの比ではないはずだが印象は薄い。
理由としての大量な技術が急速に進歩・変化した過去17年の軌跡。
1995年は日本人にとっても技術革新においてもキーポイントとなった。
初めてカラーテレビが来た日から40年後の未来を予測。
未来予測の達人であり牽引者だった手塚治虫氏も藤子不二雄氏も、
現代の通信技術やスマートフォンの普及は予知できなかっただろう。
それでも人間の凄さは、
“40年前には想像もつかない未来”
を生きながら順応性(慣れ)高く、
何気ない日常に感じる脳の仕組み。
以上は、
取り留めのない私の思い出話だ。
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