mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【朝日、毎日、読売、産経】:左から右への思想基準と世論誘導。

2012-11-11 11:05:00 | 文芸・思想・書物

11月11日:ポッキー記念日の朝。
ツイッターに〝こんな文書〟を呟いた。

『TBS:サンデーモーニング』が伝えた中国の対日感情。
『FNN:スーパーニュース』が伝えたとされる抗日ドラマ。
見る側の国民の意識。
自分達の主張を都合よく編集するテレビの世界。
朝日、毎日、読売、産経。
左から右への思想基準。
社の方針と社員の自覚。
視聴者は認識している。

140文字の限界は伝えきれない部分が多い。
『サンデーモーニング』は今朝の放送で“風をよむ”のコーナーを視聴。
『スーパーニュース』友人から聞いた話をWebで検索(未視聴)。
互いの番組も日中両国の国民に街頭インタビュー。

友人が怒っていたFNN(産経)の世論誘導。

中国で見られる抗日ドラマの残虐なワンシーンを、
東京都内街頭の市民に見せて感想を述べさせる。
*この手法は明らかに世論誘導に値するだろう。

昨日その話を聞いたばかりで今朝のTBS(毎日)。
ある大手スーパーの再開に向けて中国人に意見を求める。
日本人の民意の高さに賛辞を語る中国の若者。
その映像を手に持ち街頭インタビュー。
点の答えを持って市民に答えを尋ねれば返答は異なる。
*この手法もまた世論誘導に相違ない。

さらに20のインタビューを撮っても放送されるのは2・3件。
限られた中での編集は番組制作担当者の判断で決められる。
と同時に、
番組制作担当者は“社員の立場”を自覚しての解答を提示。

私たちはその事実を遠の昔に認識している。
番組を観ながら制作者はどのような意図を持っているか?
制作者が提示するテーマは視聴者にどのようなイメージを与えるか?

と同時に、
情報の多様化と通信の発達は多くの違った視点を容易に提示してくれる。

恐らく番組制作者も大手報道機関も“その事=通信環境”を強く認識してはいない。
世論誘導の方向性に乗る方々も多いが即時に発信される様々な意見・反論。
*世論誘導と同時に世論迎合も多くみられる事実は伝達媒体の弱さでもある。


朝日、毎日、読売、産経。
左から右への思想基準。

左から右への思想基準。
そのことは日本の誇りである。
言論の自由は民主主義の根幹である。
だから、
世論誘導は自分達(主張)の仲間をつくる手段として認めよう。

ただし、
度を超した世論誘導は即座に見透かされ顰蹙(ひんしゅく)を買う。
今は“そんな時代”だ。

左から右への思想基準。
それは日本の誇りだ。

先般の勝利宣言でオバマ大統領が語るアメリカの強み。
それは“人種の多様性=性差・宗教”を受け入れることだ。

民主主義とは何か?
そのことを140字以内に纏める能力を私は持たない。

*****

【オバマ大統領:勝利演説抜粋】
人口3億人の国の民主主義というのは、
煩くてごちゃごちゃしていて複雑なものになりがちです。
みんな自分の意見を持っているし、
誰もが信じる何かを深いところに抱いている。
そして大変な時代の最中に国として大きな決断をする時、
感情がかき立てられ対立がかき立てられるのは当然のことです。
この夜が明けてもそれは変わらない、変わるべきじゃない。
私たちが議論するのは私たちの自由の印です。
自分たちが何かを主張しているまさにその時に遠い国々の人たちは、
大事な問題について言い争うチャンスのために戦い命を賭けている。
私たちが今日そうしたように投票する権利のために命を賭けている。
それは決して忘れられない。

私たちが豊かなのは、どの国よりも財力があるからではない。
史上最強の軍隊を持つけれども、だから強いわけではない。
この国の大学や文化は世界中からうらやましがられているけれども、
世界中の人がこの国にやってくるのは、それが理由ではない。
アメリカが特別なのは、
地球上でもっとも多様なこの国をひとつに束ねる絆のおかげです。
自分たちはひとつの運命を共有しているのだという信念のおかげです。
お互いや将来の世代に対する一定の義務を受け入れなければ、
この国はうまくいかないというそういう確信です。
アメリカではあまりに多くの人が自由のために戦い自由のために死んでいった。
そうやって勝ち取った自由には権利もあれば責任もあるのだと。
責任とはたとえば愛すること、思いやること義務を果たし国を愛することだと。
その信念があるからこそアメリカは偉大な国なのです。
(書き起こし・翻訳:加藤祐子/goo.HP転載)

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【石川啄木・没後100年】:閉塞の社会に生き、ぢっと手を見る。

2012-04-14 07:33:33 | 文芸・思想・書物

朝起きて、
いつものように床中でコラムを読む。


『2012年4月13日:岩手日報』
きょう没後100年の啄木忌。
今また閉塞の中、
託された言葉をかみしめる。
の文字を1日遅れでiPodで見つける。

啄木の生きた時代の閉塞感。
はたらけど 、はたらけど、
猶、わが生活(くらし)楽にならざり。
ぢっと手を見る。
<一握りの砂>
の言葉が、
平成に入り国内で復活。

それ以上に深刻な、

はたらきたくて、はたらきたくて、
猶、世間はリストラと合理化の嵐。
認められない自分に頭を抱える、
を感じる人々が多いのではないか?

*****

昨日(啄木没後100年の日)は、

大きな大きなニュースが多くある中で、
北の国の話題でニュースは占められ、
問題提起にもならない、
空白の議論を続けた。

その北の国で生きる国民達は、
愚痴ひとつこぼせず。

われは知る。
テロリストのかなしき心を。
言葉とおこなひとを分ちがたき、
ただひとつの心を。

奪はれたる言葉のかはりに、
おこなひをもて語らんとする心を。
われとわがからだを敵に擲げつくる心を。
しかして、
そは真面目にして熱心なる人の、
常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の、
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに。

われは知る。
テロリストの
かなしき、かなしき心を。
<ココアのひと匙>

では、
テロリスト(行動)になるしかない、
軍事国家の恐怖(言論統制)
が表現されているのだろうし、
蛇足ながら、
北の国ではテロリストすらうまれない、
強力な圧政が敷かれているのだろう。

また、

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も
近づく日のあり。
<悲しき玩具>

の意味するものは、
亡くなっていったテロリストとの共通点である、
“死”を見つめた言葉なのだろうか?
*文中のテロリストは“闘う同朋”との意味も強い。
*闘う同朋(行動と言論)=圧制への抵抗運動。


*****

2012年4月14・15日の週末を利用し、
お花見見物を決め込む愚鈍な私に、
突きつけられた言葉は、

病みて四月──

その間にも、猶、目に見えて、
わが子の背丈のびしかなしみ。
<悲しき玩具>

101年前(亡くなる1年前)の、
花咲く四月の啄木の深い悲しみ。
幼い子供の成長と自分の死。

26歳で亡くなった、
啄木の言葉を思い起こし、
今の時代は、
何と軽い時代なのだろうかと思う。

しかし、
それでも、
2012年4月14・15日の土・日を利用し、
お花見見物を決め込む愚鈍な私に、
井上陽水さんの名曲:『傘がない』
の歌詞は大きな慰めになりえる。

閉塞の時代に、
ぢっと手を見る。

それは、
平成に入り誕生した、
格差社会により、
感じ方が大きく異なる。

はたらきたくて、はたらきたくて、
多くの会社を訪問しても、
受け入れられない自分に、
ひとり頭を抱える。


若者たちの希望は何処にあるのか?
また、
若者たちの求める希望が何なのか?
それを考えることも、
大人の努めであり政治の責任であるし、
若者たちもまた、
自分たちの希望が画一化していないか?
自分の希望に生涯をかける覚悟があるか?

と論ずるも、
花見を決め込む愚か者の言葉は弱い。

1日遅れの啄木忌。

合掌。

*****

一握の砂・悲しき玩具
石川啄木歌集 (新潮文庫)
420円
新潮社

 

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Newsweek日本版:『完全保存版・ジョブズ、天才の軌跡』雑誌紹介。

2011-10-13 23:30:00 | 文芸・思想・書物

 10月12,13日と出張だった。
 御徒町の書店で偶然見かけたニューズ・ウィーク。
 先般亡くなったスティーブ・ジョブズ氏の特集。
 今夜も少しだけジョブズ氏を回想したい。

2011.10.19号(10/12発売)
『完全保存版:ジョブズ・天才の軌跡』
2011年10月19日号(10/12発売)

 雑誌のページ数は80ページ。
 その内19p~67pまでがジョブズ氏&アップル関連の特集で、
 正味45ページの記事はNewsweek(ニューズウィーク)ならではの切り口。
 私が頭に描くジョブズ像通りの誇張なくありのままの等身大が語られている。

 私はジョブズ氏を、
 “100年(世紀)に1人のカリスマ経営者”
 と文字にしている。
 *本文
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20111006
 
 実際にジョブズ氏よりも優れた経営者は古今多く存在するだろう。
 しかし、
 ジョブズ氏ほどに“カリスマ的な存在”に神格化された経営者は類を見ない。
 *日本で言えば松下幸之助氏が伝説の経営者として現代にも語り継がれる。

 その理由として考えられる両氏の共通点は、
 ”経営哲学の表立った自己主張(伝達)”

 ジョブズ氏のプレゼンテーションは、
 まるでエンターテインメントのような注目を集めた。
 ジョブズ氏の巧みな言葉の表現は“人々をその気”にさせた。
 ジョブズ氏のストーリーは紆余曲折と成功と落伍が交互に訪れた。
 そんな物語に興味がある方にとって450円で手に入る最良の良書。
 それがニューズ・ウィーク(2011年10月19日号)最新号なのだろう。

 昨晩宿泊先のホテルの一室で深夜一気に読み通した。
 1時間30分程もかかっただろうか?
 雑誌を読み終えた感想は(Newsweek誌の)明快な構成。
 多くもなく少なくもない適度な情報量は読み手を安心させる。
 もし同じ情報量をWebに求めれば10時間以上もかかるだろう。
 それでも同じ内容量を自己に記憶(吸収)させることは困難。
 ペーパーとWebの大きな差は手に入れた情報の安定的保存。

 Newsweek誌の豊富な写真はアップルの進化を伝え、
 壮若のジョブズ氏の軌跡や、お洒落(ファション)の変化。
 ジョブズ氏の過去のゴシップからジョブズ氏への他者からの評価。
 そして浮かび上がるジョブズ氏が求める美意識(シンプル・デザイン)は、
 音楽と禅に深い共鳴を覚えたジョブズ氏が目指す方向性。
 *ジョブズ氏の禅は永平寺で修業を積んだ乙川弘文氏との深い関係。

 読み進みながら、
 ふとジョブズ氏の美意識の中にある日本文化に根付くシンプル性。
 禅の美術を学ぶ時に誰もが気付くであろう簡潔な美意識。
 禅と茶道に共通する美意識(精神文化も含め)については、
 鈴木大拙氏の名著:『禅と日本文化』に詳しい。
 *余談ながら10月18日:金沢市に鈴木大拙館がオープン。
 
 日本的な美意識として有名な、
 *桂離宮(江戸期の王朝文化)⇔日光東照宮(武家の権威象徴)。
 *茶室:待庵(千利休)⇔黄金の茶室(豊臣秀吉)
 *松林図屏風(長谷川等伯)⇔唐獅子図屏風(狩野永徳 )
 の対比は広く知られる。

 また読み進みながら、
 *ウッド・ストックとカウンター・カルチャー
 *ボブ・ディランが結んだジョブズとウォズニアックとの絆。
 *ビートルズのヒストリーと若きジョブズのインド放浪。
 そんな事が頭の中を駆け巡った。

 ジョブズ氏がiPodに賭けた夢と理想。
 ジョブズ氏が得意とするプレゼンとディランやレノンの卓越したメッセージ。
 ジョブズ氏が愛したカルチャー(音楽とデザイン)の具現化としての商品開発。

 やはり“アップル”の意味はビートルズ?
 もしかして“マッキントッシュ”の意味は高級アンプへの憧憬?
 そして、
 もしかして
i”の意味は愛?

 読み進みながらの色々な想像は楽しい。
 様々な事象を結びつけていく想像の楽しさ。
 今夜はそんな戯言を少しだけ。

 一番興味深かった記事は?
 奥様(ローレン・パウエル)との出会いとその日の決断(p30)。
 “今日が人生最後の日だとしたら、
 俺は彼女より仕事仲間を選ぶだろうか?”
 1年後2人は結婚した。

 また、
 ジョブズ氏の実妹は米国では著名な小説家:モナ・シンプソン(p26)。
 *兄妹の存在を知ったのはジョブズ氏が30歳を超えてからとされ、
 生活環境ではなく血筋が持つ神秘性を感じる事例として興味深い。

 もし書店で見つけることがあれば…。
 今週の私のお薦めです。

 *****

 以下新刊。
 スティーブ・ジョブズ I
 ウォルター・アイザックソン(著)
 講談社

 

 スティーブ・ジョブズ II
 ウォルター・アイザックソン(著)
 講談社

 

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NHK2011『日本怪談物語&妖怪・日本の闇の物語』:恐怖の本質。

2011-08-14 00:00:00 | 文芸・思想・書物

 『日本怪談物語』

 放送局 :NHK総合
 放送日 :2011年8月15日(月)
 放送時間 :午前0時35分~午前2時5分(90分)
 *14日(日曜日)深夜の放送です。

 新日本風土記スペシャル
 『妖怪~日本の闇の物語~』

 放送局:BSプレミアム
 放送日 :2011年8月19日(金)
 放送時間 :午後7時~午後8時30分(90分)

 <mimifukuから一言>

 3年続きで紹介する“話芸による怪談番組(地上波デジタル)”。
 今年も恒例、お盆の深夜の放送は、
 昨年、一昨年と放送された『百物語』とは趣向を変えた、
 怪談文学の傑作として名高い、
 「東海道四谷怪談」、「小幡小平次」、「牡丹燈籠」
 等を中心に紹介される時間短縮バージョン。
 過去の2回の放送は何れも再放送がなく、
 今回の番組も再放送は微妙な事から、
 お見逃しのないように!
 *第1回を見逃した!再放送お願い(笑)。

 また昨年、一昨年と放送された、
 『最恐!怪談夜話(BSデジタル)』
 について今年の8月には放送の予定がなく代りとして?
 新日本風土記スペシャル:『妖怪~日本の闇の物語~』
 が放送されこれまでとは視点を変えた番組制作となっている。
 
 昨年(2010年)の私の番組紹介を読み返すと下記の文書で締められている。
 >“蛇(へび)に呪いをかけたのは人々を蛇から遠ざける先人の知恵である”
 >~呪いの多くは子供を危険から守るために親達が創造した知恵である~
 >~同時に“もののけ”などの精神的な負担を人々に与えた事実も否めない。
 >詳しくは述べない。
 >言葉の意味を各々で考えていただきたい。
 >この続きは、
 >来年の怪談物語で続けよう。

 その続きは下段で触れるとして、
 “怪談&妖怪”について少しだけお勉強。

 怪談の源流を探れば宗教的な概念に行き当たる。
 しかしそれ(宗教)とは別に、
 “もののけ(物の怪・ものの化)”については、
 平安時代の日本の代表的な文学である、
 『源氏物語』『枕草子』にも記述され、
 “もののけ”とは〝物の気に憑かれる〟を意味するものと考えられ、
 祈願×呪術は平安時代に日本に齎された密教(新宗教)の発展に伴い、
 人心に大きな影響を与えたとの見方を見出す事もできる。

 “祈祷や呪術は平安時代において最先端の科学であり医術”
 
であったと考えられ、
 人々(主に権力者)は仏の力を信じ寺院を建立し仏像を彫り写経に力を入れた。
 恐らくは“文字=漢字・梵字”に魔力や神秘性を見出す事でお札やお守りが誕生。
 また一心不乱に写経(書道行為)する事で一時でも世俗の不安から解消できる事実。
 現代の混沌とした学問とは違う当時の学問は心の慰めでもあったように思える。
 *現代人にとって心の慰めは信仰よりも娯楽性を重んじる。

 宗教的な概念として平安・鎌倉時代に描かれた不思議な絵画。
 その多くが国宝・重要文化財にも指定されている。
 地獄(六道)をあらわした、
 *国宝:『地獄草紙絵巻』(奈良国立博物館蔵)
 *国宝:『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵)
 *国宝:『六道絵』(聖衆来迎寺蔵)
 餓鬼(六道)を表した、
 *国宝:『餓鬼草紙』(東京&京都国立博物館蔵)
 中国の影響を強く受ける、
 *国宝:『辟邪絵』(奈良国立博物館蔵)
 は江戸期に流行った怪談文学よりも遥か以前の物語。

 日本美術から学ぶ不思議な世界は、
 毎年8月頃の国立博物館・常設展でも展示され、
 手持ちの資料(博物館ニュース&だより)では、

 ▽東京国立博物館(2002年夏)
 *『天狗草紙絵巻』(延暦寺蔵)
 *『土蜘蛛草紙絵巻』(東博蔵)
 *『百物語』より「さらやしき」(葛飾北斎作)
 *『百物語』より「お岩さん」(葛飾北斎作)

 ▽京都国立博物館(2006年夏)
 *『光明真言功徳絵巻』(明王院蔵)
 *『融通念仏縁起』(禅林寺蔵)
 *『矢田地蔵縁起』(矢田寺蔵)
 *『仏鬼軍絵巻』(十念寺蔵)
 *『百鬼夜行図』(真珠庵蔵)
 *『日高川草紙』(個人蔵?)
 
~年によっては『餓鬼草紙』も展示された。
  
 などが展示されており(私は全作品鑑賞済)、
 美術作品としてての視点だけでなく、
 日本の文化を知る一級の資料としても重要で、
 多くは(宗教的)啓蒙の目的として制作されたと考えられるが、
 当時の制作者の想像力は最先端の科学(SF)だったとも捉えられる。
 *そのほかにも奇想天外な絵巻(天狗と妖怪の大戦争等多数)があり、
 興味があれば上記のキーワードを検索して何れは本物に触れれば楽しい。

 呪術(儀式)についての資料は縄文時代の遺跡からも出土されており、
 “もののけ⇔物の気に憑かれる(=精神状態の不安定)”は、
 医療(疫病)も気象(食料・保温)も神の思し召しの時代に於いて、
 現代以上に精神の安定を保つ事は難しく“憑依=錯乱”は、
 神仏への帰依を強める結果になったとも考えられ、
 現代人が考える想像力とはまるで違った“怨霊の実態”を鎮めるために、
 多くの人々が心を砕き寄進したのだろう。
 *国宝:『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵=鎌倉時代の制作)では、
 大宰府(福岡県)に左遷させられた菅原道真の怨霊の祟りが示されている。

 江戸中期以後の怪談文学は平安時代の宗教的な意味合いから大きく外れ、
 読み物(娯楽)として成立している事は時代の変化(大航海時代以後)が顕著で、
 東洋思想(文化)から西洋思想(文化)が流入した事実(文明の進歩)に着目すれば、
 時代の中での怪談話(怨霊=成仏できない霊魂×人間の遭遇)は、
 人の心(脳の働き)が創作する怪談話に時代の映し鏡として捉える事もできる。

 >“蛇(へび)に呪いをかけたのは人々を蛇から遠ざける先人の知恵である”
 >~呪いの多くは子供を危険から守るために親達が創造した知恵である~
 >~同時に“もののけ”などの精神的な負担を人々に与えた事実も否めない。

 今回示した文書の内容は、
 私が昨年示した怪談に思うイメージとは違った見方を敢えて行った(視点の変更)。
 昨年の内容に沿えば、
 呪いの多くは子供を危険から守るために親達が創造した知恵である”
 の言葉の意味は、
 “危険には近づけたくないと思う気持ちが池(子供と水辺の事故)に河童”
 を見出し、
 “毒のない日本の蜘蛛は吉兆であっても毒のある外国の蜘蛛は呪いをかけられた”
 との世俗的な事例(伝承=言い伝え)などから考えた。

 しかしどんなに時代が変ろうと、
 “生(=存在)”の不思議や、
 “不条理な死”の不思議についての答えを見出す事はできず、
 誰か1人でも鎮めるべき心(慰め)を抱くなら、
 鎮魂のための送りの文化(風土)を継承する事は当然で、
 「霊魂も妖怪も地獄も天国もなく、あるのは“今”だけなのだ」
 と物知り顔で語る輩の合理的な考えを私は否定する。

 と同時に、
 “もののけ⇔物の気に憑かれる(=精神状態の不安定)”
 とは怨霊や妖怪の仕業だけではなく

 “物の気に憑かれる”とは、
 “根拠のない恐怖”の場合も多く、
 “放射能と言う目に見えないもののけ”が、
 2011年8月14日の日本を彷徨っている事実。

 もののけとは何か?

 私達は“実態のある恐怖”とは別に、
 3月11日以後、
 “現代のもののけ=実体のない恐怖”
 に取り憑かれてはいないか?

 もののけとは、
 “人の心(=脳の働き)に住みつく得体の知れない恐怖”
 であると同時に、
 “心に住みついた恐怖(=もののけ)”
 こそが<恐怖の本質>であり、
 時に人は、
 “心の安定を保つために根拠のない差別をも生みだす”
 
ことも歴史の事例(魔女裁判等多数有)を見ても明らかだ。

 歴史(過去の事例・現象)を学ぶ。
 それは人の心の動き(働き)を学ぶ事であり、
 世界を突き動かすのはとどのつまり人の心だ。

 そんな視点を片隅において怪談話を聞けば、
 庶民大衆の低俗な発想などとは誰も言えない。

 もう一度“同じ言葉”を繰り返す。
 
 
どんなに時代が変ろうと、
 “生(=存在)の不思議”や、
 “不条理な死の不思議”
 についての答えを見出す事は誰にもできず、
 誰か1人でも鎮めるべき心(悲しみ・不安・怒り)を抱くなら、
 鎮魂のための送りの文化(風土)を継承する事は当然で、
 「霊魂も妖怪も地獄も天国もなく、あるのは“今”だけなのだ」
 と物知り顔で語る合理的な考えを私は否定する。


 <ブログ内:関連記事>
 *NHK2010『日本怪談百物語&妖しき文豪怪談』:怪談の考察
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/544c4efe56a189ac8dbc93d332d46e9c

 *怪談夜話2009:怪談映画/話芸/Jホラーの秘密(NHK)
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/76a9a3797e1286d14e6035e1dc848d5d
 
 
*日本の怪談2008/名作映画放送:NHK-BS2(番組情報)。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/863101c25b35f2b88761533d1e711e5a 


 ~以下NHKホームページより記事転載。

 『日本怪談物語』

 人間のさまざまな情念を語り伝えてきた日本の伝統文化「怪談」。
 90分にわたり黒木瞳、近藤正臣ほか個性豊かな読み手たちが怪談を語る。
 怪しげな映像の中、迫真の朗読劇。

  【番組詳細】
  一昨年、昨年と、
 夏の深夜に放送し好評を得た『日本怪談百物語』。
 日本伝統の怪談を個性豊かな俳優陣が朝まで語り聞かせる番組だ。
 3回目を迎える今夏は語り手の妙を生かした演出はそのままに、
 見やすい89分にして放送する。
 今回の特色は江戸時代に書かれた怪談を中心にすえた内容だ。 
 この時代は太平の世。
 士庶や男女の性別を問わず様々な形で怪談が好まれ怪談本が全盛を博した時代。
 文化や芸術にまで大きな影響を与えた。
 鶴屋南北「東海道四谷怪談」。
 山東京伝の「小幡小平次」。
 三遊亭円朝の「牡丹燈籠」。
 などの名作怪談や、
 江戸時代の女の園“大奥”や“遊郭”を舞台に描かれた愛憎渦巻く話。
 さらに厳しい身分制度による侮蔑から巻き起こった怪談話など、
 身のすくむ様な恐ろしい怪談を語りつくす。

 
<出演>
 黒木瞳、近藤正臣、小島聖、
 藤本隆宏、新妻聖子、熊田かほり
 

 『妖怪~日本の闇の物語~』

 夏のスペシャルは日本人の大好きな「妖怪」を訪ねる旅
 それはまた妖怪を生み出した土地の暮らしと歴史を知る旅

 【番組詳細】
 子どものころ河童(かっぱ)行列を見たと言う熊本の女性。
 宮崎の実家に住むという「くろちゃん」という妖怪を探る女性。
 予言獣「くだん」と伝わるミイラを譲り受けて人生が変わった男性。
 町中あちこちに妖怪の出現記録があり妖怪屋敷を作った四国の町。
 先祖が実際に体験したという妖怪退治の記録を代々受け継ぐ広島の家族。
 日本の各地には今なお「実話」として伝わる妖怪の物語が残されている。
 その証言からはアニメや漫画で見慣れた姿とは違った妖怪の姿が浮かび上がる。
 つい最近まで日本人は妖怪と共に暮らす世界観の中に生きていた。
 今も心の中は妖怪の住まう闇の世界とあいまいにつながっている。
 その豊かでおもしろく恐ろしくも温かい世界に暮らす人たちの、
 証言を集めて全国を旅する。
 それはまた妖怪を生み出した土地の暮らしと歴史を深く知る旅でもある。
 東京のある小学校が行う身近な妖怪探しの実習にも密着しつつ、
 日本人の愛する妖怪世界を描き出す。

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【朝日新聞×読売新聞(縮刷版)】:東日本大震災(文字の記録)を読む。

2011-05-21 07:38:00 | 文芸・思想・書物

 2011年3月11日。
 東日本大震災が起きたその日から毎朝コンビニへ朝刊を買いに行く日々が続いた。
 500円玉1つ持って朝日、日経、読売の3紙440円を購入しお釣を募金箱に入れる。
 ~440円の内訳は朝日が150円、日経が160円、読売が130円(50音順に表記)。

 5大紙とされる産経新聞と毎日新聞は、
 私の家の近くのコンビニにでは手に入らず、
 仕事帰りや休日に図書館に行って記事を確認した。
 日経(日本経済新聞)は3月末には購入を止め、
 朝日と読売もGW頃から毎日は購入していない。
 
 今日紹介する2冊はそんな新聞の縮小版。
 新聞縮小版(完全版)といえば、
 *朝日新聞縮刷版:各6000円
 *読売新聞縮刷版:各5800円
 が毎月発行されるが、
 今回紹介するのは東日本大震災の集中特別版。
 *朝日新聞社縮刷版:東日本大震災(1575円)
 *読売新聞社縮刷版:東日本大震災(1470円)
 は3月11日からの1ヶ月間の記録を再現。

 私は2冊を購入してみて各家庭の保存版にとお薦めします。
 特に震災でメディアとの接触ができなかった地域の方は、
 “その時、何が起きていたのか?”
 を確認する資料として最良のものとなることに疑いを持ちません。

先ずは、
『朝日新聞縮刷版:東日本大震災・特別紙面編集』

日新聞縮刷版:東日本大震災 
特別紙面集成2011.3.11~4.12
クリエーター情報なし
朝日新聞出版

次に紹介するのが、
『読売新聞特別縮刷版:東日本大震災・1ヶ月の記録』

読売新聞特別縮刷版:東日本大震災
1か月の記録
クリエーター情報なし
読売新聞社

 2冊を比較すると、

 朝日新聞縮刷版:東日本大震災(5月18日発売)
 巻頭には原寸大の当日(11日)の号外の綴じ込み付録。
 8ページのカラー紙面のあとはモノクロ紙面。
 3月11日~4月12日までの朝刊・夕刊を掲載。
 *4月12日が掲載される事で福島県浜通り地震の報道も。
 ページ数は約680p。

 読売新聞縮刷版:東日本大震災(4月22日発売)
 基本的にはオールカラー(紙面通りの構成)で、
 3月11日の号外を先頭に3月12日は20面の紙面完全版。
 
*注目すべきは3月12日のテレビ面(10面)までも掲載。
 *誤り:全面掲載ではなく12面13面の株式面は未掲載。
 3月11日~4月11日までの朝刊・夕刊を掲載。
 ページ数は約420p。

 朝日・読売のどちらもお薦めだが、
 ソファーに寝転がってペラペラと読みたい向きには読売縮刷版が軽くて便利。
 朝日の冊子は重厚で敷居が高いものの文字数(情報量)が多く保存向け。
 ただし両方共に、
 縮刷版であることから文字がかなり小さく老眼の方には読み辛いことを明記したい。
 *私の願望としての産経新聞縮刷版・毎日新聞縮刷版の販売が待たれる。

 *****。

 その他にも写真集として販売されている、
 『戦う日本:東日本大震災1ヶ月の全記録』(産経新聞社)
 は“文字の記録”としてもお薦め。

 また同じく写真集ではあるものの、
 『東日本大震災:ふくしまの30日』(福島民報社)
 は入手ルートは限られるようだが、
 “30日間の一面記事”を巻末にまとめてカラー掲載。
 福島県(地方紙)では何が報道されたのかの資料として、
 興味のある方はお早めに入手してください。

 東日本大震災については、
 写真集や評論本も多く販売されていますが、
 何よりも熱いリアルタイムの生の現場報道。
 
 私がお薦めするのは“そんな本”です。

 個人的な希望として地方で暮らす方には、
 地方(地元)の税収不足解消のために、
 地元の書店(本屋さん)でお求めください。


 <後日販売された縮小版>

 『河北新報特別縮刷版:東日本大震災1ヵ月の記録』
 通常価格:¥1,260  

河北新報特別縮刷版
3.11:東日本大震災
1ヵ月の記録
クリエーター情報なし
竹書房



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地震史(地震・火山噴火・津波の歴史)を調べる資料の紹介。

2011-05-19 21:13:00 | 文芸・思想・書物

 2011年5月18日付の、
 読売新聞:文化歴史欄(シリーズ:平安大震災)や、
 翌5月19日の、
 TBS『朝ズバ』でも紹介された、
 平安時代初期(850年~887年頃)の
大地震の歴史。

 当ブログでも、
 
【平成の大地震と貞観(平安時代)の大地震】:地震史に学ぶ(その1)。
 紹介した、
 貞観(じょうがん)11年(869年)の三陸沖地震の時代。

 周期的に起きる日本の地震史を学ぶ事で、
 今後起き得る“何かのヒント”を探る災害の歴史。
 
 本来ならば、
 “地震史に学ぶ(その2)(その3)”を文字にすべきですが、
 それよりも“興味のある方は自分で調べる”のはどうだろう?
 と言うことで、
 今日は私の手元に現在ある(借本含む)地震史5冊の著作をご紹介。
 ~紹介する書物にはWebでは手に入らないものもあるようですが、
   興味のある方は地元の書店や図書館でお尋ねください。


理科年表(平成23年版):国立天文台 (編集) 価格:1470円

理科年表 平成23年
クリエーター情報なし
丸善

安価で手に入る地震史といえばなんと言っても理科年表。
ポケット版と机上版があるのですが細かい字が気にならない人には、
安価で持ち運びが便利なポケット版がお薦め(1470円)。
約1000ページの頁数の中で地震史は30頁ほどですが、
年代別に分かりやすく過去の地震の歴史を紹介。
暦、天文、気象、物理、生物・・・とあらゆる資料(数字)が満載。
1冊求めれば毎年購入する必要はありません。


地震・津波と火山の事典:東京大学地震研究所 (監修) 価格:6825円

地震・津波と火山の事典
クリエーター情報なし
丸善

地震史資料と言うよりも地震・津波・火山のメカニズムは専門的?
推挙すべきは理科年表にはない火山噴火年表が掲載されている事で、
地震と火山の深い関係を知る資料としてお薦めも価格がやや割高。


地震の日本史~大地は何を語るのか:中公新書/価格:840円

地震の日本史―大地は何を語るのか (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

文字で読む地震の日本史は寒川 さんの著作。
縄文時代~阪神淡路大震災まで古典や歴史書の紹介も交え、
時代順に詳細な被害状況など読み物としてもお薦めの一冊。


地震と噴火の日本史:岩波新書/価格:735円

地震と噴火の日本史 (岩新書 新赤版 (798))
クリエーター情報なし
岩波書店

NHKの解説委員をされていた伊藤 和明さんの著作。
時代別ではなく項目別の地震史は、
 *古代の地震
 *火山の噴火
 *巨大地震と大津波
 *内陸直下型地震
 *大都市直下の大地震
に分類され、
古代~明治までの主要な地震を分かりやすく紹介。

日本の地震災害:岩波新書/価格:735円

日本の地震災害 (岩波新書 新赤版 (977))
クリエーター情報なし
岩波書店

伊藤 和明さんの著作『地震と噴火の日本史』の姉妹編。
本作では大正~平成の地震災害を紹介。
特に、
日本海側を通過した台風による大火災の延焼や、
津波地震でもあった“関東大震災”の記述は必読。
読みやすく一般の方には一番のお薦めだと感じます。


 他にも超高価ながら、
 『最新版:日本被害地震総覧(東京大学出版会)』 定価:29400円
 『地震の事典 (第2版:朝倉書店)』 普及版・
定価:19950円
 は未読ながら理科年表にも紹介されている一級の資料のようです。

 地震史を調べてみると色々な事実が分かります。
 地震が起きにくいとされている、
 “若狭・敦賀地区=琵琶湖北部地帯”は古くからの地震地帯である事実や、
 ひとつの地震が数年単位で連動して同じ地域を襲った事実や、
 僅か数年の間に大地震が一挙に各地で頻発した事例など。
 ~1677年11月4日には福島県沖~千葉県沖に津波被害も。

 日本の今後の最重要課題としての、
 “原発とエネルギー問題”
 =生活と安全のどちらを選ぶかの究極の選択。

 過去の地震史を其々が調べ検証する事は、
 答えの道筋を導き出すヒントかも知れません。

 また、
 科学による地震予知の限界を痛切に感じた東日本大震災。
 調べるべきは過去の詳細な資料と連動のメカニズムの関連性。
 埋もれた資料(地方・地域の災害史)は日本の各地に存在するはずです。

 津波災害を軽んじた日本の専門機関の反省。
 脆くも崩壊した原子力発電所の安全神話。
 その答えは、
 貴重な“先人の教え”の中にあるようです。

 歴史を学び未来(将来)を予測する!
 科学の答えは発展途上に過ぎません。

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『幸福とは何か?不幸とは何か?』:幸せの定義(2011年3月27日記)

2011-03-27 22:50:00 | 文芸・思想・書物


 人から、
 “幸せとはなんですか?”と聞かれる時に、
 私はいつも1つの答えを用意している。

 『幸福(幸せ)の定義』は、
 “考えていたいこと”を考えていられる状態を保つこと。
 
であり、
 『不幸(不幸せ)の定義』は、
 
“考えたくないこと”を考えなければならない状態(現実)。
 である。


 【幸せについて】

 我国で最も信頼が高いとされる、
 語学辞典:広辞苑(岩波書店)には、

 *幸福=満ち足りた状態にあって幸せだと感じること。
 *不幸=幸福でないこと、不幸せ、不運。
 また、
 *幸せ=幸福、幸い、運が向くこと。
 と記載されており、
 まるで“禅問答”のようだ。

 誰もが“幸せになりたい”と願いながら、
 幸せとは何かについての明確な答えを持たない事実は、
 幸せとは(個人個人の)感覚(感情)的な問題と捉えるからだ。
 
 幸せとは心の中の感じ方であって個々に感じる事が違う限り、
 幸せを定義する事は難しく殆どの辞書・事典では、
 幸せ(=幸福)について曖昧な表現に留めることは承知の通りだ。

 では“幸福”を仮に、
 “考えていたい事を考えていられる状態”
 と定義すればどうだろう。
 それは、
 個人の感覚的な問題ではなく、
 “人の脳の働き”の問題となる。

 また幸福を定義する上で必要な、
 不幸(=幸福の対義語として)を、
 “考えたくない事を考えなければならない状態”
 と定義すればそれもまた、
 個人の感覚的な問題ではなく、
 人の脳の働きの問題となる。

 人の心(=経験・環境・教育等で築かれた感情)は、
 多種多様であるが脳の働きは基本的には個々に変化はない。
 幸せを定義する上で必要な基本的な脳の働き。
 ~ソフトとしての感情に対するハードとしての脳が持つ機能。

 書き手(私)が文書を進める上で、
 読み手はこの事実(脳の働きの視点で捉える幸福の定義)
を、
 あなたの心(=脳の中の記憶)に留めて欲しい。


 【嬉しい気持ち】

 昭和の名人と言われる、
 落語界の巨人:古今亭志ん生さんの話で、

 「露天の店先で、
 支払いをしようと手に持っていた1万円札が、
 突然の風に吹かれて飛んでしまった。
 一生懸命探すが見つからない。
 探しながら、
 “1万円あればあれも買える、これも買える。”
 と頭に描きながら、
 更に探すがどこにも見つからない。
 仕方なく(覚悟を決めて)、
 1万円を失った事実を受け入れようとしたその時に、
 ふと目の前の“自分が乗ってきた自転車”のカゴの中に、
 探していた1万札を見つけたとき、
 人は“心から嬉しい”と感じる。」

 話の内容は、
 理解しやすいよう現代風に改良したが、
 志ん生さんが語る“嬉しさの意味”は深い。

 つまり、
 ある程度のレベルの生活(標準的な先進国の生活)は、
 心の動き(=脳の働き)は一定の状態が保たれており、
 平素の生活で“嬉しい”と感じることは少ない。

 しかし突発的に、
 自分が思ってもいない不幸(=考えたくない事実)に襲われたときに、
 その不幸(=考えたくない未来)が解決に導かれた時の心理こそが、
 “嬉しいと感じる瞬間”なのだろう。

 平素私達の多くは幸福(=安定)な環境の中で生きながらも、
 幸福である事に気づかないことが多い理由はそのためだ。

 戦時の中で生き抜いた古今亭志ん生さんの時代。

 “嬉しい”と言う感情は日常(=平和な状態)と、
 非常時(=災害や戦争状態)では大きく異なる。

 “嬉しい”と言う気持ちを、
 欲っしている人達と立場と、
 与える事のできる人達の立場。

 2011年3月27日。

 “嬉しいの言葉の意味”
 
を多くの方々が、
 思い悩んでいるだろう。


 【不幸の回避】

 幸福の定義を、
 “考えていたいことを考えていられる状態”
 だと仮定して
 “考えていたい事を持続(保持)”
 するためには何が必要か?

 人は、
 *病気にもなれば、
 *事故にも遭遇する。
 それは、
 偶発的な出来事の場合もあれば、
 自己責任の生ずる場合もある。

 考えていたい状態(=幸福な日常)が仮に“食べたい”と言う感情から、
 暴飲暴食の状態が続けば必ずいつかは内臓に障害をきたす。
 ~深刻な病気になれば生涯に渡って食事制限が課せられる。
 
 考えていたい状態が仮に“贅沢な暮らしがしたい”と言った感情から、
 見分不相応な生活が続けば近い将来に暮らしは必ず破綻する。
 ~不要な負債を繰り貸せば必ず将来“考えたくない事”を迫られる。

 考えていたいこと(=安定した生活)を持続するためには、
 計画的な生活と自らへの自制心が必要となり、
 そのためには、
 考えたくない事(=不幸)を先に見通し(=未来予測)、
 自身の生活環境のバランスを保たなければならない。
 ~それは個人も企業も国家も同じシナリオを持つ。

 不幸を回避する最善の方法は、
 自分や家族にとっての不幸な未来予測を推測し、
 回避するための準備(抑制)や知識の収得。

 幸福の定義が仮に、
 “考えていたいことを考えていられる状態”
 だとして、
 “考えていたい事(=幸福)”
 を持続するためには、
 自分自身をコントロールできる能力を身に付ける。 
 不幸の回避は、
 それに尽きるのだろう。

 
 【突発的な不幸】

 人は時に無情を感じる事が多い。
 2011年3月11日。
 東日本を襲った巨大地震
は、
 多くの人々の“考える能力”を永久に奪い去った。
 
 今を生きる者にとって、
 不幸であると感じるのが脳の仕組みなら、
 幸福だと感じるのも脳の仕組みによる所が大きい。

 亡くなった人の不幸は如何なるものか?
 その問題を解決するために宗教は、
 人々(=残された)に必要とされ続けた。
 ~特に念仏とお題目は鎌倉期から大衆に指示される。

 残された者の不幸とは何か?
 それは、
 *第1にすべてを失った喪失(焦燥)感であり、
 *第2に見通すことができない未来への不安。

 人類は、
 安心の中に生きる知恵として、
 衣・食・住に改良を重ね、
 人々が安心して毎日を過ごすために、
 医療の進化や環境の整備を整えてきた。

 しかし自然は時として、
 余りに多くの安心を一瞬にして奪い去る。
 *同時に日々の自然からの恵への感謝。
 
 災害時の衝撃的経験は幸福や不幸も通り越し、
 人の考える能力を一時的に停止させる事もある。
 
 しかし人(=人間)は、
 必ず何かを考えなければ生きてはいけない。
 
 多くの人達が、
 幸福である事に気付かなかった3・11以前と、
 多くの人達が、
 幸福とは何かを真剣に考え出した3・11以後。

 幸福は決して、
 一人では実現(達成)できない。

 個人個人が幸福を持続するために、
 自分自身をコントロールできる能力
 が必要なように、
 社会の幸福を持続するためには、
 社会全体が個人個人の役割に気付き、
 社会の一員として、
 一人ひとりがコントロールできる能力。

 それが何であるかを掴み取れば、
 残された人間は、
 どんな不幸をも乗り越えることができる。 
 ~社会の幸福なしに個人の幸福はありえない。

 皆が“考えていたい事”を、
 個々に考える事のできる社会。
 我国で実現できない理由はない。


 【補足:不幸の最大値】

 仮に、
 *幸福(幸せ)の定義=考えていたいことを考えていられる状態を保つこと。
 *不幸(不幸せ)の定義=考えたくないことを考えなければならない状態。
 だとすれば、
 *最大の不幸=考えることを許されない状態。
 ではないかと感じる。

 独裁国家、(極度な)主従関係、拉致・監禁、拘束、束縛。
 などの理由で、
 個人の自由や権利が侵された状態が“最大の不幸”と考える。
 ただし、
 何らかの依存症(薬物等)に対する一定期間の自由の拘束や制限は、
 その限りではないと感じる。
 また、
 他人の権利を法的に侵した罪人に対する自由の拘束や制限も、
 (法に基づく拘束=収監)その限りではない。

 個人個人が自由に考え自由に感じる事のできる社会環境。
 *幸福(幸せ)の定義=考えていたいことを考えていられる状態。
 が可能な社会こそが“幸福な社会”と私は定義付けたい。


 追記

 今日初めて知った事だが、
 
3月27日は“さくらの日”なのだそうだ。
 ~自家用車に備付けのナビゲーションが教えてくれた。

 桜の開花の早い年なら、
 3月27日頃(今日)には上野公園~不忍池周辺の桜が満開になり、
 4月3日には京都周辺のソメイヨシノが満開の花を咲かせ、
 4月10日すぎには大阪造幣局の花見に多くの人出で賑わう。

 それが今年はどうだろう?
 私の地元では今朝も雪化粧。
 桜の蕾(つぼみ)もまだまだ固い。
 
 巨大地震により壊滅的な被害を受けた被災地。
 燃料が少ない中での極寒の3月。
 自然の与える試練はあまりに厳しく惨い。
 しかし明後日(29日)以降は、
 平年並みの暖かい日が予想され、
 桜前線も徐々に北上していく事だろう。

 季節の春が必ず来るように、
 “被災者の方々の心に幸福感が芽生えますように”
 と、
 無力な自分は祈るしかできない。

 mimi-fuku通信

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“輝く女:吉田都”と“生き抜く:小野田寛郎”&お薦め本を3冊。

2010-12-13 22:00:00 | 文芸・思想・書物


 先ずはテレビ番組の話題。
 昨晩テレビを観ていて気が付いた、

 *ハイビジョン特集「輝く女:バレリーナ・吉田 都」
 ~NHK-BShi 2010年12月14日(火) 午後8:05~午後9:57(112分)
 バレエ界の頂点に立つ吉田都さん。
 ロンドンっ子の心をつかんだ彼女の魅惑のステップの秘密は何か。
 「オンディーヌ」のリハーサルにじっくり密着し、
 稽古(けいこ)の合間やさっそうと劇場に出入りする道すがら、
 彼女がみせる微笑み、冗談、さまざまな表情をつづっていく。
 
~以上NHKホームページより記事転載。

 この番組は以前の記事、
 クリック→ NHK地上波:『吉田都の芸術&バレエ・ロメオとジュリエット』
 でも紹介したmimifukuのお気に入り番組。
 ゆったりとした時間の中に真摯に芸術に取り組む吉田さんの姿勢に感銘。
 また、
 自分に厳しい吉田都さんの日常の表情や女性としての可愛らしさも満載。
 番組が進むにつれ時間の流れに心が和んでいく反面、
 演じられる演目の難しさや究極を目指す吉田さんの厳しさに気付いて欲しい。
 そんな番組になっています。

 
 更に今日紹介したい(すべき)お薦め番組は、
 *ハイビジョン特集「生き抜く:小野田寛郎」
 ~NHK-BShi:2010年12月16日(木)午後8:05~午後9:55(110分)
 太平洋戦争が終わってからもフィリピン・ルバング島で戦い続けた小野田寛郎。
 戦前、戦中、戦後と激動の時代を生き抜いてきた小野田氏に徹底インタビュー。
 人生の真相に肉迫
 【きき手】作家…戸井十月
 ~以上NHKホームページより記事転載。

 
この番組も以前に紹介済みの番組。
 クリック→ 「生き抜く、小野田寛郎」ハイビジョン。 ~mimi-fuku番組情報
 この番組の見方は様々だと感じます。
 私の番組感想は、
 以前の記事(アンダーラインをクリック=移動)のコメント欄に表記。
 其々の時代の中で小野田さんへの感じ方(評価)は違うでしょうが、
 2010年の我国に蔓延する“思いやり”に対する疑問(=甘え?)。
 番組で語られる小野田さんのメッセージは、
 “国家に頼らず自分の力で生き抜け”
 弱者のふりをして国税を当てにする精神や、
 国税を我が物顔で懐に入れる歪んだ心。

 “国家に頼らず自分の力で生き抜け”
 柔和な語り口の中での小野田寛郎さんからのメッセージは痛烈。
 この番組を見て何も感じない日本人は皆無だと感じます。
 最後の日本兵としてフィリピンで戦い続けた小野田寛郎の生き方。
 勿論拒否感を示す人も多くいるでしょうが、
 それはそれで誤りではありません。
 是非ご自身の目でお確かめください。
 

 話を日常に変えて、
 昨日(12月12日)は金沢~美川~根上~山代温泉でお買物。
 朝10時45分に金沢市役所の駐車場に到着。
 家人は香林坊の百貨店に向かい、
 私は柿木畑の地元きっての大型書店へ。
 12時(お昼)に百貨店の室内広場で待ち合わせ。
 1時間ほど立ち読みを兼ねて書籍を物色。
 楽しい時間を過ごした。

 購入した本は、
 『俳句の解釈と鑑賞事典』(笠間書院)
 『禅と日本文化』(岩波新書)
 『古寺巡礼』(岩波文庫)
 の3冊で何れも既に読書済み。

 読み終わった本をなぜ買うの?って質問は野暮。
 お気に入りは手元に置いておきたいのが人の心。
 ネット通販でも購入できるけれど、
 地元の優良店にお金を落とすのが粋(いき)。
 ~でないと地方の凋落を止めることはできない。
 なんて言いながら懐具合と相談しつつ割安感のあるモノは、
 県外から進出している量販店やネット通販を利用。
 ~自分の中の矛盾に“野暮な男”やな~っと。

 先々週から始まった『坂の上の雲』の第二部。
 昨晩の放送(12日)は正岡子規の死。
 『俳句の解釈と鑑賞事典』(笠間書院)には、
 正岡子規の俳句(代表的な)も当然掲載。
 番組関連(病臥)の句で胸を締め付ける、
 “活きた目を つつきにくるか 蠅の声”
 正岡子規が唱えた写生(リアリズム)の精神。
 俳句無知の私にも理解できる壮絶。
 日本の和歌や俳句も勉強しなければと思いつつ、
 時間がないからと逃げて逃げて後回しにして…。
 習うよりも慣れろ。
 この本を手元に置いて自分に俳句を慣らそうかと。
 ~姉妹編の『新編:和歌の解釈と鑑賞事典』もお薦め!

新編 俳句の解釈と鑑賞事典

笠間書院

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 『禅と日本文化』(岩波新書)は、
 鈴木大拙(すずき だいせつ)さんの名著。
 今年読んだ書籍(図書館)の中で最も感銘した書物。
 郷土・石川県が生んだ巨人としての大拙と幾多郎(西田)。
 何故今日まで読まなかったのかと勉強不足を痛感。
 同時進行でサンデルの『正義』も拝読したが、
 人を選ぶ“サンデルの哲学”よりも、
 人を選ばない“大拙の禅”のほうに私は傾倒。
 『禅と日本文化』についてはいずれ詳しく文字に…。
 って何時のことやら。

禅と日本文化 (岩波新書)
鈴木 大拙
岩波書店

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 『古寺巡礼』(岩波文庫)は、
 和辻 哲郎(わつじ てつろう)さんの仏像入門。
 30歳頃に読み終え一度は手に入れたのだけど、
 飛行機の中に置き忘れたまま紛失。
 書店の本棚で偶然に見つけて思わず購入。
 たぶん直には読み直す事はないのだろうけど、
 著作の内容を思い出す時がたまにあって。
 再び手元に置いておく事にした次第。
 奈良や京都の古寺探訪には欠かせない一冊。
 内容の8割は“奈良の旅”ですが、
 仏像の見方が学べます。
 
~通常の文庫本も岩波書店より発売されています。

古寺巡礼 (ワイド版 岩波文庫)
和辻 哲郎
岩波書店

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 帰り道は、
 美川で“大根寿司”を購入し、
 根上で“丸いも”を購入し、
 山代温泉の総湯傍の和菓子屋で“福梅”を購入。
 さらに、
 家の近くのスーパーで“ブリのお刺身”を購入。
 “蟹?”
 庶民のお口には毎度は入りません(笑)。
 
 今日は今日で鶴来の酒蔵(さかぐら)から、
 今年の“酒粕”の準備が出来ましたよとの連絡。
 次の土曜日にも取りに行こうかと…。
 
 地方地方での、
 冬の味覚を楽しむ季節です。
 
~石川の食は美味しいよ!

 

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『読書の秋、芸術の秋、日本文化再考』 ・・・乱文。

2010-10-09 00:00:00 | 文芸・思想・書物


 ビール大瓶2本に焼酎のソーダ割りを2杯にお銚子1本。
 さっきまで近所の料理屋さんで友人と食事をしてました。
 かなり酔っ払っています。
 酔っ払った時のmimi-fuku通信は面白い。
 ってことで今夜は乱文。

 只今手元にある本は、
 *鈴木大拙著:『禅と日本文化』
 *西田幾多郎著:『善の研究』
 *別冊太陽:『妖怪絵巻
(日本の心170)

 鈴木大拙さんと西田幾多郎さんは石川県出身(私と同郷)。
 先日拝見した裏千家:千玄室さんの100年インタビューで、
 アメリカ滞在中の話題の中で鈴木大拙さんの名が。
 さらに茶道と禅との係わりについて興味を抱き拝読。
 西田幾多郎さんは昔に読んだ事があるのだけど、
 25年近くの年月を経て理解力が増したかな?と再読。
 『妖怪絵巻』は単に美術愛好家としての興味から。

 『禅と日本文化』は元々は英文を現代和訳。
 読みやすくスーッと頭に入ってくる。
 思うところがあるので別の機会にでも。

 『善の研究』は20代に読んだ時よりも今読むと辛いものがある。
 時代背景の違いや言葉の捉え方の違いは如何ともし難く、
 西田哲学が、
 現代社会~未来に於いて普遍性を保つのは難しいかと…。
 ボクの理解力(読解力)のなさもあるけれど、
 余りに多くのことが分かってしまった現代病(科学万能&情報通信)は、
 『善の研究』と現代社会との距離を感じざる得ない。
 
~特に脳科学の進歩は過去の観念や哲学(疑問の答)に衝撃を与えた。
   西田幾多郎さん自身が“思想はその時々に生きたもの”と捉えており、
   純粋経験は時代の中で変化しうる事実を否定してはいない。

 哲学の敗北。
 哲学する事の意義は必要だが過去の哲学に答えを見出すことは難しい。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/c31479c1e725e46156aae3d1848770d3
 
 先週は、
 *マイケル・サンデル著『これからの正義の話をしよう』
 *カーマイン・ガロ著『スティーブ・ジョブズ/驚異のプレゼン』
 の2冊を読んでいた。
 『これからの正義』はアメリカ的。
 『驚異のプレゼン』はHow toモノ。
 読んで損はなし。
 でも強い感銘は得られない。
 ~『これからの正義』にみられる点の論説は机上の学問。
    人の感受性はもっと複雑で個体の異なった経験に配慮が足りない。
   『驚異のプレゼン』は言葉の技術を焦点に論じているが種明かしは、
   言葉の技術が他者に見透かされてしまうことで新鮮さを失いかねない。
   だからHow to本なのだけど…。

 
 そう言えばマイケル・サンデル教授。
 NHK教育テレビにご出演。
 と言っても東京大学での生徒を交えての講義。
 “3×1の命の比重”や“イチロー選手の年棒”の話。
 ~著作では鉄道の例えやマイケル・ジョーダンは納税。
 まあね。
 実(み)のない講義に感じた。

 イチロー選手の年棒とオバマ大統領の年収の話は陳腐。
 民間人と公人。
 イチロー選手の入団時の年棒は430万円。
 約20年の努力(功績)で1800万ドルの年棒を獲得。
 http://www.sponichi.co.jp/baseball/mlb/2008/japanese/ichiro/profile.html

 その年棒は球団との契約であり選択権は両者(甲乙)にある。
 支払う者(球団)は得るものがあるから支払うのであって、
 自らの価値を市場に委ねざる得ない民間人(選手)の権利。

 オバマ大統領は公人。
 税金により給与は支払われ給与を決定するのは法律。
 公務員の収入は法の下の権利であり市場に価値を求めない。
 ただし、
 オバマ大統領が大統領の任務を離れ民間人になれば、
 著名人としての扱いは数千万ドルの価値を持つかもしれない。
 人気の高いままに大統領の任期をまっとうすれば、
 CM1本に数億円(数百万ドル)支払う企業も目白押し。

 土俵が違うものを同じ土俵に乗せて何が正義だ?
 と酔払いの独り言。
 そう言えば10日(日)の午後6時からはNHK教育テレビで後編。
 文句を言いながらも録画予約はバッチリさ。

 *ハーバード白熱教室@東京大学「戦争責任を議論する」
   http://www.nhk.or.jp/harvard/


 『妖怪絵巻』は興味深かった。
 特に新発見とされる伝土佐吉光作:「百鬼の図」
 「百鬼夜行絵巻(重文)」は京都の国立博物館で鑑賞しているが、
 確かにこの「百鬼の図」は見た記憶はない。
 蛙(かえる)の描写が「鳥獣人物戯画(国宝)」に類似するが、
 巻末の黒雲の段は不・思・議。
 “文化の伝播”を感じざるえない西洋との融合。
 好きな項目(課題)を考え出したら夜も眠れない。
 と振った上で9日の夜11時からBS2で、

 *BSアーカイブス名作選:「鳥獣人物戯画の不思議ワールド」
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20071111

 NHKホームページの番組紹介では、
 平安時代の末期。
 12世紀後半に描かれたとされる国宝「鳥獣人物戯画」。
 ウサギやカエルが相撲を取ったり水浴びをしたりして戯れる姿を描いた絵巻物で、
 世界を席巻する日本アニメのルーツともいわれている。
 講談師・神田山陽による作品世界の解説、
 アニメーション監督・高畑勲のアニメにも通じる驚くべき技法の検証、
 各地に残された模本などからの謎の解明。
 鳥獣人物戯画の魅力を、さまざまな角度から味わっていく。

 って、
 この時間はBShi:『バーンスタイン没後20年SP』とかぶるじゃん。
 どうすんの?
 って、
 『アニメのルーツ:鳥獣人物戯画不思議ワールド』は、
 以前の放送を録画してあるし、
 『バーンスタイン没後20年SP』はBS2で再放送があるし。
 “あわてない、あわてない”は一休さん?

 バーンスタインと言えばNHK教育(水曜夜)で放送された、
 こだわり人物伝:『バーンスタイン・愛弟子が語る』の第1回。
 指揮者:佐渡裕さんの回想を興味深く聞いた。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/e5f759889148e5b1335b577471b28ecd

 <日本文化再考>
 R・シュトラウスの『ドン・ファン』の最初の棒(タクト)の一振り。
 フリッツ・ライナーの逸話を織り込みながら緊張感についての講義。
 佐渡さんの手とバーンスタインの手に数十センチの距離を保ち、
 ゆっくりと握手をしようとバーンスタインが提案。
 数十センチの距離に数分間の時間をかけ少しずつ少しずつ接近。
 “あわてるな”とバーンスタインの指示。
 2人の手の動きを固唾を呑んで見つめるギャラリー(=緊張感)。
 男性ならプラモデル(模型)の微細部品をピンセットで嵌め込む時に経験?
 ~年齢によりバラツキがありそうな例えだけど…。
 微妙な微妙な手の動きに全神経を集中。
 この動きこそが、
 日本文化の精髄である“能(のう)”の動きと符合。
 バーンスタインが佐渡さんに教えたのが日本文化の質の高さ。
 先日も茶の湯の話題でよく似た話を記述した。
 ~1杯のお茶も“心がけひとつ=観察力”で多くの事を知る。
 → http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/ae94225b1e71ff5c902f2cd2edb73397

 日本人ですら多くの方々が気付かない能楽の真髄(精神統一)を知る、
 西洋の知識階層の絶え間ない向上心や向学心。

 失われつつある日本文化の精神。
 “まっ、いいか”の精神が蔓延ったのは何時からだろう?
 バーンスタインは天上から、
 <日本人がそんなことではダメだよ>
 と言っているように聞こえた。 
 
 <日本文化再考>
 緊張感を持った毎日を否定した平成の価値観。
 日本文化ってなんだろう?
 でも私の好きな言葉“粋(いき)”は許す事(=諦め)?
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/5fcc2e1fe15aef11caf2928e01154f03
 
 日本文化って何だろう?
 私達が“昭和”に忘れてきたものは何だろう?

 菅総理大臣が言った言葉
 「有言実行内閣のスタートだ。
 経済低迷が20年続き、
 社会の閉塞感が深まっている。」

 菅総理は、
 “言葉の意味”を理解しているのだろうか?
 経済だけが問題ではない。
 ・日本人の思想観。
 ・日本人の生活形態。
 ・否定された日本的な情緒(文化)。

 “失われた20年”とは何か?
 そんなことも考えて行きたい。

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外山滋比古著『思考の整理学』:雑感(脳の働きと散歩の効用)。

2010-06-27 00:06:27 | 文芸・思想・書物


 今日は一日梅雨の雨。
 これと言ってすることもなく、
 久しぶりに“のんびり”とした休日を過ごした。
 並行して何冊かの本を読んでいる中で、
 外山滋比古著:『思考の整理学』に気になる文書を発見。
 気になる箇所を
メモしようと考え同じメモをするなら、
 “ブログで共有”するのもイイかな?なんて。

思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房

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 1983年早春に書かれた『思考の整理学』は、
 東西の知の雄である“東京大学&京都大学で一番読まれた本”
 との評判(宣伝)で近年部数を飛躍的に伸ばしている。

 全部で6つの章に分かれる平易な文書は中学3年生以上ならお薦め。
 最初の2章は著者の個人的な見識が多々見られ読んでいて退屈を覚える。
 第3章はデジタル社会の現代にアナログ志向の方式が支持されるかは疑問。
 ハズレかな?と思って第4章を読み出すと気になる文書が満載。

 「人間頭脳にとっておそるべき敵があらわれた。
 コンピューターである(1983年以前の大型コンピューター)。
 これは倉庫(記録装置)としては素晴らしい頭脳を持っている。
 いったん入れたもの(入力されたデータ=記録)は決して忘れない。
 必要な時にはさっと引き出すことができ整理も完全である。」
 さらに、
 「そこでようやく創造的人間ということが問題(重要)になってきた。
 “(それは)コンピューターのできないことを(人間が)しなくては、”
 ということである。」
 ~別項として第6章:末項に人とコンピューターの関わりが予測されている。
 
 私のお薦めの第4章は“脳科学”の言葉がなかった時代に、
 人間の脳の仕組みを著者の見識と経験で語っている。

 要約し“自分の言葉”に置き換えると、

 ・心に何か“引っかかり”があれば記憶することは困難。
 ・関心のあることと関心のないことでは脳は“関心のある事”を優先する。
 ・頭(脳)は忘れるべきことを忘れなければ的確な判断ができない。
 ・人間の脳を倉庫(記憶と再生)としてのみ機能させたのでは、
  本来の脳の効率的な働き(思考)を阻害する。

 「人間は忘却を恐れるが人とコンピューターの違いは忘却であり、
 倉庫としての役割(記憶)をコンピューターに専念させることで、
 人間の頭(脳)は知的向上としての役割(創造)に専念させることが、
 これからの(人間の)方向性でなくてはならない。」

 「“忙しい”とは脳に様々な情報が入り脳の処理が混乱状態に陥ることで、
 その場合必要な情報と不必要な情報に振り分け脳内を整理すべきだ。
 情報過多による脳の混乱に収拾が付かなければ脳の活動は必ず乱れ、
 ノイローゼ(=不安定な精神)等はそうした原因から起きる(ことが多い)。」

 「人間(特に文明人)は“忘れてはならない”との強迫観念にかられるが、
 情報過多な社会に於いて人間は忘れる努力(脳の整理)が求められる。
 人の脳の役割は記憶(大脳新皮質による情報の記憶)ではなく、
 知的向上(生活の知恵)を求める機能(思考)に専念させることが望ましい。」

 となる(脳内の自然忘却には睡眠が最も適した方法と著者は指摘)。

 「(自分の身に)気にかかることがあり“何か(作業)”をしようとしても、
 頭の中は“上の空”ですべき作業に集中できない時がある。
 そんな時は(持ち時間を)思い切って外に散歩に出かけよう。
 散歩は早歩きが脳の活性に適しており30分も歩いていると、
 一番近い記憶(気にかかる事柄)は退散していくものだ。」

 散歩については、
 噺家・古今亭志ん生著:『なめくじ艦隊』に興味深い文書がある。
 「貧乏で金がないと電車にも乗れない。そんな時は歩く。
 (しかし)ただボンヤリと歩くのではなく噺(はなし)の稽古をしながら歩く。
 歩きながら稽古をしていると時間を忘れ2~3時間平気で遠くまで歩く。
 声を出しながら歩くと周囲から変人に見られるがお構いなしに稽古を続ける。
 (若い頃の)私にとって噺(落語)を覚える一番イイ方法は歩くことでした。」
 と語っている。

 私の(胡散臭い)記憶に間違えがなければ、
 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏が、
 「歩きながら考え事をしていると自宅の前まで来ているのに
 もう一度(遠回りをして)自宅の周辺を歩き回ることがある。
 そうする事で脳が整理されアイディアが纏まる事がよくある。」
 と述べている。

 3者3様に面白いのは、
 外山滋比古さんは気になる記憶を退散させるために歩くことを推薦し、
 古今亭志ん生さんは記憶する方法論として歩くことを薦めている。
 さらに私の記憶に誤りがなければ、
 益川敏英さんは思考の整理と創造を求めて歩くことを実践されている。
 
 散歩(歩くこと)の効用。

 現代社会で散歩することは、
 生活習慣病予防やメタボ予防のための健康管理法として語られるが、
 上記の事例に示されるように脳の活性化にも大きな役割を果すようだ。
 ~他にも多くの作家や芸術家の経験談が様々な形で目に付く。
 歩くことによって血流がよくなり脳に潤滑な栄養分が行き渡る。
 ~澱んだ水はいずれ汚濁するが流水は絶えず場面を清らかにする。
 また散歩することは、
 視界に入る情報の処理や自然(季節や気象)を認識するなど、
 人間の脳の働きを活性化する要因を多数秘めている。
 ~エコにもなるし出きる限り歩こうね!
 そんなことを思いながら第4章を読んだ。

 その他に第4章、
 “とにかく書いてみる”ではサッカー:本田圭佑選手の
 100冊を超えると『本田ノート』を連想したし、
 “ホメテヤラネバ”では先日記述した歌手:矢沢永吉さんの
 『人を動かす』(デール・カーネギー著)の一説を連想した。
 さらに、
 “ホメテヤラネバ”での<ピグマリオン効果>は初めて聞く名称。
 褒めることの効用については別の機会に…。 

 <追記:第6章・コンピューター>

 ~1983年に記入された外山滋比古氏の予言~

 「人間は機械(主に産業機械)を発明して労働を肩代わりさせてきた。
 機械は(人間にとって)召使であり人間が思うように使いこなす道具。
 それは逆に人間は自分達が作り出した機械(テクノロジー)に、
 仕事(主に肉体労働)を奪われる続けた歴史(産業革命)でもある。
 人間は機械のできない事務処理(頭脳労働)に仕事を求めた。」

 「コンピューターの出現は、
 人間の聖域であるべき領域(頭脳労働)を脅かし、
 人間達が優れていると信じた部分(記憶と再生)を、
 曖昧な事実として受け止めたさせるに至った。」

 「(これまでの日本の)学校教育は、
 記憶と再生を中心とした知的訓練(知識の習得)を主に行った。
 そのため(日本の教育制度が)子供達に求められたものは、
 コンピューター的な人間の育成であり、
 そのことを疑う者はまれであった。」

 「(世界に先立ち)コンピューターが普及したアメリカでは、
 創造性の開発(育成)に目を向けた事は偶然ではない。
 人間が真に人間らしく生きるためには、
 機械(コンピューター)の“手が出ない分野”や“出しにくい分野”に、
 (人間の)活路を求めるしか手はなく創造性はその最良な手段である。」

 「これからを生きる人間は“人間にしかできない仕事”を見極め、
 抽象的な概念である創造性を具体的に具現化(思考の発達)することで、
 創造的生き方や独創的生き方を模索・実行する事が求められている。」
 
と記されている(自分の言葉に置き換えた)。

 1983年のコンピューターの役割であった記憶と再生は、
 2010年:解析や分析(判断)の分野でも人間の持つ知的領域に進行し、
 人間が人間に求める事柄が日々退却する毎日を誰もが感じている。

 デジタル技術の開発は日進日歩に加速し人知を超える過多な情報に、
 「“忙しい”とは脳に様々な情報が入り脳の処理が混乱状態に陥ることで、
 情報過多による脳の混乱に収拾が付かなければ脳の活動は必ず乱れ、
 ノイローゼ(=情緒不安定)などはそうした原因から起きる(ことが多い)。」

 を実感している方も多くいるのではないだろうか?

 人間らしく生きるとは何か?
 外山滋比古さんが見出す答えは意外にも?
 散歩する(=自然を肌で感じる)事から始まるのかも知れない。

 著作を読みながら“そんなこと”を私は感じた。

 

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