mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【平成23年(2011年)7月:新潟・福島豪雨】資料と解説(報道メモ)。

2011-07-31 00:00:00 | 自然・気象・災害

 “やまない雨はない”と人は言うが、
 2011年7月27日~30日にわたって新潟・福島両県に降りしきった大雨は、
 “いつ止むのだろうか?”と多くの方々が心を痛め不安な日々を過ごした。
 特に29日午後⇔30日午前の天気概況に、
 “戦慄”を覚えたのは私だけではないだろう。



 上記の気象衛星画像は北半球東部アジア地区を写した拡大版。
 天気図は気象庁発表のレギュラーサイズを転載した。
 日本の西南には、〝2つの台風〟と沖縄地域は高気圧による青い海。
 被災地の方々にとって最も不安がつのったであろう29日の夜9時頃。
 その時の状況は十日町で時間雨量112ミリの降雨を記録。
 新潟から福島にかけて、
 真っ白な厚い雲(積乱雲)が鎮座しているのが分かるだろう。
 2つの台風とは沖縄の南の海上にある
台風9号が7月28日に発生(北上中)。
 新潟・福島での豪雨災害に影響をもたらした〝湿った空気の原因〟の一つと考えられる。
 南シナ海に位置する台風8号は7月26日にフィリピンの東の海上で発生し、
 フィリピンを横断するルートをたどることで大きな被害(27名が死亡)を出した。
 また台風8号は、
 26~28日に
起きた韓国での豪雨災害(40人以上が死亡)にも影響を与えたと考えられる。
 韓国を襲った前線はソウルでも500ミリを超える雨量を記録し前線はその後に日本へと達した。

 転載画像(天気図+衛星写真)は28日午後9時頃の状況。
 翌29日(最上部の画像)の夜と比較すると、
 雲が全体に散らばっている様子が分かるものの、
 既に新潟から福島県地方には大量の雨が降っていた。
 *韓国東部海岸線にも強い雨雲が見られる。
 また注目すべきは〝京都・滋賀地方〟にかかる濃い雨雲。
 28日夕方の京都府南部地方では局地的豪雨が観測され、
 京都市や宇治市で浸水被害が相次いだ。
 京都地方気象台によると、
 ・宇治市と城陽市付近で約110ミリ。
 ・宇治田原町荒木で約99ミリ。
 の猛烈な雨が降ったとみられている。
 

 29日は午前6時→昼12時→午後6時の順で気象庁発表の画像(衛星+天気図)を、
 日本地図にそって独自に切り取り比較しやすいよう衛星画像と天気図の位置を並べた。
 注目すべきは〝前線の位置〟であり最上部29日午後9時ごろの気圧配置は、
 新潟・福島県地方を基点に北東と南西に“ほとんど停滞”と記された高気圧。
 前線が停滞した理由として注目される2つの高気圧の位置は、
 平成16年:新潟・福島豪雨のさいの気圧配置との類似点が指摘されている。
 *下記気象庁のPDF(リンク)には16年:新潟・福島豪雨の詳細なデータを記載。

 当初の予報(29日)では前線は西に移動(新潟西部~富山方面)すると見られたが、
 48時間に渡り50km圏内の同じ地域に前線が止まったここと南の台風9号の発達。
 *台風+前線の危険性は当ブログでは何度も指摘している。

 さらに、
 ヒステリック状況をもたらす南からの湿った空気と北からの寒気の遭遇。
 特に29日:午後6時~翌朝にかけての積乱雲の発達は自然が生み出す驚異(脅威)。
 これまでの日本海側では予想もしなかった記録的な豪雨は山沿いだけでなく、
 海上からわき立つように見える“積乱雲の発生”は平野部にも降りそそいだ。
 *前日からの湿った空気が前線を刺激した状態+寒気の入り込みが原因とみられる。

 アメダスランキング(全国)
 
最大1時間降水量(29日)
 1. 新潟 十日町 112.5mm 21時  
 2. 新潟 宮寄上 91.5mm 11時  
 3. 新潟 塩沢 64.5mm 22時  
 4. 新潟 村松 57.5mm 10時  
 5. 福島 只見 50.5mm 17時  
 6. 新潟 下関 49.0mm 7時  
 7. 新潟 三条 49.0mm 12時  
 8. 新潟 川谷 45.5mm 20時  
 9. 新潟 赤谷 42.5mm 9時  
10. 新潟 村上 39.0mm 5時 

 アメダスランキング(全国) 
 
日積算降水量(29日)

 1. 福島 只見 314.0mm  
 2. 新潟 宮寄上 291.5mm  
 3. 新潟 三条 208.0mm  
 4. 新潟 十日町 174.0mm  
 5. 新潟 塩沢 158.5mm  
 6. 福島 舘岩 148.5mm  
 7. 新潟 入広瀬 146.0mm  
 8. 新潟 津川 131.0mm  
 9. 新潟 村松 131.0mm  
10. 新潟 赤谷 127.5mm
*tenki.jp(日本気象協会)のデータを転載(23時⇔23時)。

 30日も深夜~朝の状況は変らず深刻。
 写真編集に誤り(6時12時)があるものの整理すると、
 *気象衛星(上から):午前0時→午前6時→昼12時。
 *天気図(上から):午前3時→午前6時→昼12時。
 午前6時に新潟県上空に見られる真っ白な雲の塊が、
 昼12時には地表が透けて見える事に気付くだろう。
 (この時間)ようやく被災地にとっての明るい兆しが見えた。
 その後雨雲は南西に移動し、
 群馬県・静岡県・山梨県には局地的な大雨(短時間)。
 新潟県中部~福島県西部を狙いすますかのように襲った、
 長時間の集中豪雨の危機は去った。

 しかしこれまでの日本海側の常識では、
 考えられない雨量を記録した、
 
平成23年:新潟・福島豪雨災害。

 当面は山地に十二分に含まれた降水量(溜まり水)の危険を考慮し、
 土砂災害・山脈から染み出る大量の濁流の処理に注意が必要。
 100年に1度のはずの、
 平成16年:新潟・福島豪雨を遥かに超える雨量が、
 僅か7年後に同じ地を襲うとは誰にも想像できなかっただろう。

 梅雨があけても梅雨末期と同じ状況をもたらす気象配置は自然の摂理(=人知の外)。
 私の住む石川県に伝わる昭和9年(1934年)の手取川水害(白山麓豪雨)での甚大被害。
 自然災害は何時如何なる時に何処ででも起き得る事実(=人知の外)を忘れてはならない。

 その中で、
 今回の新潟・福島豪雨に於いて伝わる情報によると、
 家の中で待機し亡くなった方はいないようだ。
 “早めの避難と正しい情報伝達”
 少しずつだが地域の防災意識が高まっているようにも感じ、
 多くの方々の努力(自治体・地域消防等)にも敬意を表したい。

 
アメダスランキング(全国)
 最大1時間降水量(30日)
 1. 新潟 栃尾 67.0mm 5時  
 2. 新潟 塩沢 65.0mm 4時  
 3. 静岡 高根山 56.5mm 14時 
 4. 山梨 甲府 55.5mm 17時 
 5. 新潟 長岡 54.5mm 6時  
 6. 新潟 入広瀬 53.5mm 3時  
 7. 新潟 川谷 53.5mm 8時  
 8. 群馬 藤岡 52.5mm 23時  
 9. 新潟 小出 50.0mm 0時  
10. 秋田 五城目 48.5mm 14時

 アメダスランキング(全国)
 日積算降水量(30日)

 1. 新潟 宮寄上 224.0mm  
 2. 新潟 塩沢 194.5mm  
 3. 新潟 松代 193.5mm  
 4. 新潟 栃尾 189.5mm  
 5. 新潟 小出 170.5mm  
 6. 新潟 入広瀬 166.5mm  
 7. 新潟 川谷 150.0mm  
 8. 新潟 長岡 137.0mm  
 9. 新潟 新津 133.5mm  
10. 群馬 藤原 124.5mm
*tenki.jp(日本気象協会)のデータを転載(23時⇔23時)。


 <関連災害資料>
 *平成16年7月新潟・福島豪雨
 *平成16年7月福井豪雨(pdf形式3,288kb)
  http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/saigaiji/200407gouu.pdf

 <気象庁PDF資料転載>
 
*平成16年7月新潟・福島豪雨
 ~2004年7月12日18時~7月13日24時

  総降水量(30時間)
 ・新潟県 栃尾市 栃尾 427㍉
 ・新潟県 栃尾市 守門岳 362㍉
 ・福島県 只見町 只見 333㍉
 ・新潟県 加茂市 宮寄上 324㍉
 ・新潟県 上川村 室谷 305㍉
 ・福島県 金山町 金山 254㍉
 ・新潟県 津川町 津川 243㍉
 ・新潟県 長岡市 長岡 233㍉
 ・福島県 昭和村 博士峠 233㍉
 ・新潟県 三条市 三条 216㍉
 ・新潟県 寺泊町 寺泊 202㍉


 ~下記Webニュースを転載(日時別=下記ほど新しい情報)。

 【速報】
 2011年7月27日~30日にかけて新潟・福島で記録的豪雨災害。
 一時は40万人以上の避難指示・勧告が出された。
 7月30日の夜の時点で、
 *
新潟県:十日町市や三条市などで孤立。
 *福島県:檜枝岐村や只見町、南会津町で孤立。

 国土交通省北陸地方整備局によると、
 *三条市の五十嵐川で約150メートルにわたって堤防が決壊。
 *魚沼市の破間川でも堤防が決壊。
 新潟県によると決壊は5カ所に上った。

 ▽新潟県では
 *11棟の住宅が全壊。
 *魚沼市や阿賀町で住宅など合わせて715棟が床上まで浸水。
 新潟市、魚沼市、田上町などで合わせて1926棟の床下が浸水。
 ▽福島県では、
 *只見川が氾濫した只見町で少なくとも100棟が床上浸水。
 ~新潟県と福島県を合わせると浸水被害は3000棟を超える。
 また今後調査が進むにつれ更に被害状況は深刻になる予測。

 【記録的な雨量(NHK)】
 今月27日の降り始めからの雨量は、
 福島県の多いところで650ミリを超えたほか、
 新潟県三条市に設置した雨量計では1000ミリを超え、
 平成16年7月に起きた、
 『新潟・福島豪雨』を上回る記録的な数字。
 

 ▽気象庁によると29日の夕方までの1時間雨量は、
 *午後4時までには新潟県が三条市笠堀で76ミリ。
 *午後3時までには三条市下田地区付近で約100ミリ、阿賀町上川付近で約90ミリ。
 *加茂市の宮寄上では24時間に319ミリの最多雨量を記録。

 ▽気象庁によると29日深夜までの1時間雨量は、
 *午後8時50分までには新潟県十日町市で120.5ミリ。
 *午後10時までには新潟県南魚沼市で64.5ミリ。
 *午後10時までには新潟県小千谷市付近と南魚沼市中部付近で約80ミリ。

 ▽気象庁によると29日夜から30日朝にかけての1時間雨量は、
 *午前6時までには新潟県長岡市で54.5ミリ、十日町市松代では39ミリ。
 *午前4時までには新潟県長岡市栃尾付近と三条市下田付近で約100ミリ。
 *午前4時半までには新潟県十日町市十日町付近で約80ミリ。
 (以上2011.7.30:NHKニュースから記事転載・独自に再編集)
 
 【7.13を上回る記録的豪雨(新潟日報)】
 新潟県内に大きな被害をもたらした大雨は30日、
 降り始め(27日正午)からの総雨量が新潟地方気象台の観測地点で最大600ミリを超えた。
 2004年の7.13水害では最大でも400ミリ台だったため、
 同気象台は7.13水害を上回る大雨となったとしている。
 県内上空付近では停滞していた前線に向かい、
 南の太平洋高気圧から暖かい湿った空気、
 北のオホーツク海高気圧から冷たい湿った空気が流れ込み、
 前線の活動が活発化。
 積乱雲が3日間次々と発生し局地的な豪雨が何度も各地を襲った。
 雨量を観測する同気象台の県内観測地点44地点のうち、
 降り始めから30日午後4時までの降水量は、
 *加茂市(宮寄上)で623・5ミリ。
 *南魚沼市(塩沢)で562・5ミリ。
 ~7.13水害では長岡市(栃尾)の431ミリが最も多かった。
 また30日は塩沢で午前4時半までの1時間に89・5ミリの猛烈な雨を記録した。
 ~7.13水害では1時間降水量の最大値は長岡市(守門岳)の63ミリ。
 今回の豪雨では十日町市で29日に県内過去最多の121ミリを記録した。
 (以上新潟日報:2011年7月30日・記事転載)

 【豪雨被害(速報)】
 ▽新潟、福島両県の豪雨災害
 *死者は新潟県で3人。
 *行方不明者は両県で3人。
 住宅の、
 *全半壊18棟、床上浸水1263棟、床下浸水4667棟。
 (毎日新聞:2011年7月31日現在・記事転載・資料部分)

 【断水被害(速報)】
 
▽断水(新潟・三条全域と田上町一部)
 五十嵐川が決壊し市内全域に避難勧告が出るなど甚大な被害が出た、
 新潟県三条市では五十嵐川の濁りがひどいため取水できず、
 ほぼ全域で上水道が断水したり水圧が下がったりしている。
 *午前8時(31日)現在での断水は約4500世帯。
 同県田上町でも取水先の大谷ダムの水が濁ったため、
 *一部地域の約1740世帯で断水。
 (朝日新聞:2011年7月31日現在・記事転載・資料部分)

 【浸水被害(総務省)】
 総務省消防庁(8月1日)によると、
 浸水の被害を受けた住宅:合計7424棟
 新潟県では、
 床上浸水が1447棟、
 床下浸水が5549棟に上っているほか、
 福島県でも
 床上浸水が127棟、
 床下浸水が286棟に上っています。このほか、
 群馬県と長野県、神奈川県、栃木県でも2棟が床上浸水し、
 13棟が床下浸水する被害が出ています。
 (以上2011.8.01:NHKニュースから記事転載)

 【過去の教訓と河川改修】
 国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所によると、
 全長367キロと日本一の長さを誇る信濃川は7年前に、
 新潟県内で2つの川の堤防が相次いで決壊し15人が亡くなった豪雨を教訓に、
 下流域で6年間かけて堤防の高さを水を安全に流せる計画高水位より、
 2メートルほど高くかさ上げしたり川幅を広げたりしました。
 このうち新潟県田上町の堤防では、
 高さが9メートル60センチだった堤防は11メートル46センチになりました。
 今回の豪雨では9メートル82センチまで水位が上がり、
 河川事務所は整備を進めたため堤防の決壊を防ぐことができたのではないか?
 と分析しています。
 (以上2011.8.01:NHKニュースから記事転載)

 【命名(気象庁)】
 新潟県と福島県を襲った記録的な豪雨について気象庁は、
 『平成23年7月新潟・福島豪雨』と名付けました。
 気象庁が豪雨などの気象災害に名前を付けたのは、
 2009年7月に中国地方や九州で被害が出た、
 『平成21年7月中国・九州北部豪雨』以来です。
 (以上2011.8.01:NHKニュースから記事転載)

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【なでしこジャパンの選手達】:ブログで読む“3.11”東日本大震災。

2011-07-28 21:00:00 | 芸能・スポーツ

 7月24日の更新で、
 
“時間が足りない”
 それは多くの方々にとって共通の悩みとして存在し、
 情報過多(時間×好奇心=葛藤)が原因であるだろう。
 と文字にした。
 “情報過多な時代”は多くの事を調べることが可能だ。
 
 7月17日の更新では、
 “なでしこジャパン”の選手達のブログURLを記した。
 そこで頭に浮かんだの“選手たちの3.11(その日)”
 ブログの多くにはカレンダーやバック・ナンバーがついている。
 そのカレンダーを辿ればブログに綴られたそれぞれの“3.11”に遭遇する。
 今夜は短い時間を利用し脚光を浴びている選手達の“3.11”に注目したい。

 *丸山 桂里奈(ブログ)→ http://ameblo.jp/karina14/

 3月11日:M8.8→ http://ameblo.jp/karina14/entry-10828086642.html
 3月13日:連絡→ http://ameblo.jp/karina14/entry-10829164116.html
 4月 4日:お詫び→ http://ameblo.jp/karina14/entry-10851504519.html

 *岩清水 梓(ブログ)→ http://ameblo.jp/azusa1014/

 3月13日:帰国→ http://ameblo.jp/azusa1014/entry-10829996871.html
 3月24日:故郷→ http://ameblo.jp/azusa1014/entry-10840442103.html

 *川澄 奈穂美(ブログ)→ http://pure-city.jp/nahomi/

 3月11日:帰国→ http://pure-city.jp/nahomi/2011/03/post_862.html
 3月13日:地震→ http://pure-city.jp/nahomi/2011/03/post_865.html

 *大野 忍(ブログ)→ http://ameblo.jp/shinobuohno/

 3月11日:大地震→ http://ameblo.jp/shinobuohno/entry-10835864463.html
 5月 3日:開幕→ http://ameblo.jp/shinobuohno/entry-10880304589.html

 *永里 優季(ブログ)→ http://ameblo.jp/y-naga19/

 3月12日:ドイツで→ http://ameblo.jp/y-naga19/entry-10828852184.html


 <補足:ツイッター>
 *安藤 梢選手(サポート)→ http://twitter.com/#!/FCRjapan
 *熊谷 紗希選手→ http://twitter.com/#!/kumagai1017
 *鮫島 彩選手→ http://twitter.com/#!/sharkaya


 注目すべき点は多々ある。

 先ずは丸山選手は元東京電力の社員であったことから福島県とは縁が深く、
 さらに自宅での大きな揺れを経験する事で震災への思いの強さが伝わる内容。
 特に注目は4月4日のお詫び。
 この文書は4月3日に丸山選手が投稿したとされる文書が炎上。
 文書は丸山選手によって削除されその経緯をお詫びした内容となっているが、
 前の記事をからの繫がりが不明瞭で一見すると何が何やらの不可解な文書。
 調べてみると、
 福島第一原発の事故への思いを綴ったもので“丸山選手の心情”が述べられており、
 丸山選手宛てのコメントを読んでみても同情する者が多い。
 さらに調べると削除されたはずの“文書全文”に行き着くのは時代の凄さ!(下記リンク)。
 http://tepcofriends.pbworks.com/w/page/39376372/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E3%80%80%E6%A1%82%E9%87%8C%E5%A5%88

 少しだけ引用させていただくと、
 今原発内にいる人達は、みんな命懸けです。
 きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、
 報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。
 私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる
 東電社員の方々を本当に誇りに思います。
 今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる
 東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います。
 削除するには惜しい真面目な文書であるし、
 丸山選手のブログ記事が炎上に至る過程も、
 今の環境であれば違った結果が出ていたのだろう。

 岩清水選手は岩手県出身と言うこともあり思いが強いものの、
 地震当日は韓国遠征中で帰国後の3月13日が最初のブログ更新。
 そして“ふるさとは負けない”の思いは、
 あの“W杯・日の丸メッセージ”へとつながる。
 今、私にできることはサッカーを通じて明るいニュースを届けること。
 
喜んで元気になってもらいたい。
 
一日でも早く復旧されますように。
 
一日でも早く多くの人々に笑顔が戻りますように。
 
そのために私はがんばります。
 
 チームの広報担当を自認する川澄選手はポルトガル遠征の帰国直後で、
 3月11日は地震については触れられておらず3月13日に“思い”を発表。
 日本中が地震のニュースで辛い思いをしているのにブログの内容が不適切だというご指摘を受けました。
 地震が他人事とは今も全く思っていませんし、できる限りのことをしたいと思っています。
 
“できる限りのこと”を私なりに考えましたが最終的に思いつくことは同じことでした。
 サッカー選手としてサッカーを頑張り、皆様に元気になっていただくこと。
 サッカー選手として続けているブログを通じて皆様とコミュニケーションをとり、
 記事を見て元気になっていただくこと。
 この思いは地震が起こる前も起こった後も変わりありません。
 地震のことには触れない記事ばかりになると思いますがそれは何も考えていないのではなく、
 私なりに考えた結果、私がしている表現だと思っていただければ幸いです。
 
公の立場と私の立場の心情の揺らぎは筆まめ?な川澄選手らしく、
 “ハッキリとした自己主張”が読み取れる。 
 
 大野選手は3月11日当日の更新から5月3日までの50日に渡る空白は、
 大野選手が感じた“事の成り行きと衝撃”が伝わる内容になっている。
 震災の影響でリーグに参加出来ないチームもあります。
 サッカーを出来る環境に感謝して今シーズン頑張りたいと思います。
 は短い文書ながら震災の影響が強く感じられる。

 ドイツで所属する永里選手は3月12日の更新。
 自分に何ができるかを自問し、
 “今ある命で、今ある身体で、今ある心で、最大限、表現すること”
 と逸早く文字を綴っている。

 誰かのブログを読む
 その時に3.11周辺(後日2週間ほど)をブログ内カレンダーで検索する。
 その結果、
 震災を経験した場所や立場により違った感想を見つけることができる。
 *震えた地域と震えなかった地域では感じ方がまるで違う。
 また、
 その日(周辺)の“コメントを読めば”思いもよらぬ情報も見つける。

 W杯優勝以後は一躍シンデレラ・ガールに躍り出た、
 なでしこジャパンの選手達へのコメントも、
 3月11日周辺では10件前後が日常であったものが、
 今日(7月27日)の数百件のコメント=注目度アップの特異点は、
 宮間あや選手が危惧するフィーバー(熱狂・興奮)の現れなのか?
 *思い出すのは北京五輪:女子ソフトボールのフィーバーと現状。
 笛吹けば踊る国民感情の右倣えは横一列。
 注目されるために最も必要な勝ち続ける努力と、
 機敏なメディア対応はプロとしての両輪。

 メディアに流されることなく、
 ブログ(=コメント)に気を集中することなく、
 バランスの良い精神状態を保つ。
 
 そのお手本としての澤穂希選手の立居振舞。
 浮かれることなくアジアを制す。
 フィーバーの持続に必要な“勝利”の報告。
 彼女たちへの期待は高まるばかりだ。

  【追記:7月29日】

 *報告:永里優季+大儀見浩介=入籍。
  http://ameblo.jp/y-naga19/entry-10968458185.html

 *報告:大儀見浩介+永里優季=入籍。
 http://ameblo.jp/gimigoal/entry-10967569536.html

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【アナログ放送終了+ぴあ休刊=情報の拡散】:今夜も時間不足は私的メモ。

2011-07-24 23:55:55 | 政治・社会・時事

 2011年7月24日正午。
 総てのアナログ放送が一斉に終了した。
 7月25日午前0時。
 総てのアナログ放送終了の告知画面が消え完全移行。
 約60年間の放送に幕を閉じた。
 *岩手・宮城・福島の3県を除く(2012年3月末日の放送終了予定)。

 【アナログ番組、3県除き終了】
 地上テレビのアナログ放送は、東日本大震災でとくに大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の3つの県を除き終了日を迎え、正午には通常の番組が終了しました。このあと日付が変わる25日午前0時までに電波も停止しデジタル放送に完全に移行します。地上テレビのアナログ放送は平成13年の電波法などの改正を受けてデジタル放送への移行が進められてきました。
 そして24日、東日本大震災で特に大きな被害を受けた岩手・宮城・福島の3つの県を除く44の都道府県で終了日を迎えNHKと民放のアナログ放送は正午に通常の番組の終了と問い合わせ先を知らせる画面に一斉に切り替わりました。総務省によりますとデジタル放送に関する相談に応じる「総務省地デジコールセンター」には24日午前0時から午後3時までの間におよそ7万5400件の問い合わせがありました。
 また全国のNHKには受け付けの開始から午後2時までに合わせておよそ1万3300件、民放各局には午後1時までに合わせておよそ4800件の問い合わせがあり、いずれも通常の番組が終了した正午の直後に集中しました。アナログ放送は、このあと日付が変わる25日午前0時までに電波も停止してデジタル放送に完全に移行し昭和28年にテレビ放送がスタートして以来、60年近くの歴史に事実上の幕を閉じます。
 残る岩手・宮城・福島の3つの県でも来年3月末でアナログ放送が終了し地上テレビ放送のデジタル化が全国で完了することになっています。
 またBSアナログ放送も24日(同日)全国で放送を終了します。
 「総務省 地デジコールセンター」の電話番号は、
 TEL:0570-07-0101。
 「NHKアナログ放送終了お問い合わせセンター」の電話番号は、
 TEL:0570-07-2011。
 いずれも24時間受け付けています。
 (以上はNHKニュース:2011年7月24日・Web記事転載)

 昨日(23日)は休日を利用し書店回りをした。
 お目当ての書籍は、
 『ぴあ』最終号&『なでしこジャパン』特集号。
 『ぴあ』は8月4・18日合併号(680円)。
 『なでしこジャパン』は週刊サッカー・ダイジェストを購入(700円)。
 今夜は『ぴあ』のお話。 

 【さらば「ぴあ」の時代】
  ~首都圏版休刊~

 『ぴあ』とは。
 1972年、当時学生だった矢内廣社長らが東京で創刊した地域型情報誌。映画や演劇、コンサート、展覧会などの情報を網羅的に掲載して人気を得た。及川正通の表紙イラストは、世界最長連載として2007年、ギネスブックに認定された。
 月刊でスタートし、79年から隔週刊化。中部版と関西版も創刊された。80年代後半には、首都圏版が53万部に。90年には首都圏版が週刊化。08年に隔週に戻した。現在の部数は6万部。
 (以上は朝日新聞Web記事を転載)

 『ぴあ』の時代(上)
 
 映画、演劇、演奏会などの予定を掲載してきた雑誌『ぴあ(首都圏版)』が21日発行の1341号で休刊する。1972年7月の創刊から39年。『ぴあ』を片手に劇場通いを楽しんだ人は数知れない。ピーク時には50万部を超えインターネットの普及後も根強いファンに支えられてきたがついに「最後の情報誌」として幕を閉じる。『ぴあ』はどう歩み、何を時代に残したのか。2回にわたって検証する。

 創刊時からの中心メンバーの一人で現取締役の林和男さん(60)は「休刊はハッピー・リタイアメント(幸せな引退)」と切り出した。「この会社の役目は、出版というより情報伝達。創刊時には雑誌しか手段がなかったが、いま最もふさわしいのはインターネットですから」と説明する。雑誌『ぴあ』のコンテンツは、今後もネットに引き継がれる。「雑誌『ぴあ』への思いもあるが、ぴあという会社がエンタメビジネスの中心的企業であることにこだわり続けたい」と、展望を語った。
 『ぴあ』創刊の1972年は、時代が音を立てて変わろうとする激動時だった。「いつ、どこで、何が。名画座の上映作品や時間を網羅的に知りたい」。中央大の学生だった現社長、矢内廣さん(61)や林さんらの、素朴な欲求が発端だった。アルバイト先のTBSで賛同した他大学の学生ら7人が、演劇やコンサート情報も含めた雑誌作りを始める。
 「学生運動を経験し、自分たちはどう生きていくか。普通に就職するのではなく、何かほかのことができないか。そんなことを考えていた時代だった」。既存の発想にとらわれなかった彼らの「熱」の背景を、林さんが振り返る。情報収集から編集まで、何もかも一から学んだ。創刊号は1万部印刷し、書店に持参できた2000部のうち、約1800部が売れた。8000部は配りきれなかったのだ。
 東京都中野区の矢内さんの下宿で生まれた『ぴあ』は、口コミで人気が広がり、2年後には10万部に達する。74年に株式会社化。76年には直販から、取次店を通す一般の流通ルートにのり、駅売りも始まった。わずかな空欄に読者のメッセージなどを載せる「はみだし情報」の開始もこの時期だ。当時は珍しかった学生からの起業ベンチャーでもあった。

 月刊から隔週刊になった79年9月ごろから、学生の間に急速に広まる。「花金(はなきん)」という言葉が浸透し、週末情報を得られる雑誌として定着。他の情報誌が映画内容への評価といった「意思」を交える中、『ぴあ』は「情報」をそのまま載せるというポリシーを貫く。例えば、ロードショーの大作映画も自主上映作品も、情報として同等に扱ってきた。後に「文化の時刻表」と呼ばれるゆえんだ。
 84年4月には、現在の社業の中核を占める「チケットぴあ」を開始。チケットを買うために『ぴあ』を買う、という新たな購買層を開拓し、88年10月14日発売号(秋の学園祭超特大号)では最高実売部数53万部に達する。

 85年に関西版、88年に中部版も誕生し(いずれもすでに休刊)、90年11月には週刊化。世はまさにバブルの時代だ。発行も40万部台で好調が続く。90年代後半には都市型情報誌が相次いで発行され、「東京ウォーカーVSぴあ」といった図式も注目されたが、2000年ごろから全体的な退潮が始まる。03年、ぴあはチケット事業拡大を念頭に東証1部に上場した。

 執行役員の小林覚さん(45)によれば、『ぴあ』本誌の今後を検討し始めたのは5、6年前から。他の情報誌が消え、ぴあの部数減は続いた。「90年代後半までは、読者の年代は幅が広かった。年齢を重ねた層はエンターテインメントから足が遠のき『卒業』していったが、ネットの影響もあり、若い年代がそれを補うほど増えなかった。年々まさに卒業生の分だけ、発行部数がゆっくりと減少していった」
 さらに、新しいチケット販売システムの導入トラブルで08年3月期から3期連続で赤字になったのも、休刊に多少なりとも影響を与えたようだ。休刊直前は6万部にまで減少した。
 (以上は毎日新聞:2011年7月20日の東京夕刊・記事転載)

 『ぴあ』の時代(下)

 情報誌『ぴあ』が7月21日発売号で休刊すると発表された4月22日、ツイッター上では「悲しい」「時代が変わってしまう」「おれたちの青春は終わりなのか」といったつぶやきが、何千本も飛び交った。作家の盛田隆二さん(56)もそこに参加した一人だが「若者も含め、これほど大勢が『ぴあ』について自分たちの思い入れを語りたがるとは予想していなかった」という。盛田さんは1978年4月、ぴあに入社、独立する96年3月まで18年間、編集に携わった。「『ぴあMap』などの企画を考え、新宿の街を歩き回ったり、忙しいけれどおもしろい仕事でした。社長も社員もみな若く、大学の映画研究会の部室がそのまま編集室に移行したような雰囲気があった」と語る。欄外の「はみだしYouとPia」はツイッターの原型であり、大手映画館も小劇場も同等に扱うカタログ化はネット時代を先取りした。『ぴあ』が「紙のインターネット」と称されるのも不思議ではない。

 高校で8ミリ映画のサークルに入っていたというコラムニストの泉麻人さん(55)は、新聞に載らない名画座の上映予定を『ぴあ』で調べて劇場に通ったと語る。「まだレンタルビデオもなく、足を運ばないと映画を観(み)られない時代でしたね。でも、途中でおもしろい町並みをみつけたりで、マイナーな劇場を発掘する楽しみを教えてもらった。講演会の情報などもあり、若者が行動し、参加するメディアだった」

 タウン誌の研究で知られる東京経済大学名誉教授の田村紀雄さん(76)は、『ぴあ』が出版界に二つの革新をもたらしたと指摘する。「一つは伝統的な流通を通さない直売で、その後のタウン誌の手本にもなった。もう一つは、情報を分類して提供するディレクトリー化です。それまでの雑誌が取り上げたのは既に起こったニュースでしたが、『ぴあ』は事件でもない生活の情報を一覧にして読者に提供した。こちらは他のメディアが次々と追いかけ、今や定番になっています」。ミニコミ誌として誕生した『ぴあ』はメジャーな雑誌へと成長する。だが、ネット時代の荒波をかぶって部数は低迷、ついに休刊に追い込まれた。創刊39年後の休刊について田村さんは「始まりがあれば終わりがある。寿命だった」と分析する。70年代から80年代に創刊されたタウン誌の多くは、ベトナム戦争や大学紛争を経験し(挫折した)若者が大手メディアに対抗して出したもので、その情熱は次世代に引き継がれなかったというのだ。

 若者たちがネット情報を便利だと感じたのは時代の趨勢(すうせい)とはいえ生き残る方法があったのではないかと語るのは作家の坪内祐三さん(53)だ。「ここ10年あまり『ぴあ』は時代後れでした。若者向けの若手俳優のインタビュー記事や『ススめる!』などの特集は、若者にも中年にも受けなかったと思います。たとえば、そこで編集のギアを替えて、オリジナルな読者、50代以上の人たち向けに編集を変えることもできたのではないか。ネットよりも雑誌で情報を得たいという世代は『ぴあ』を必要としているのだから、対象を絞ってぜひ復刊してほしい」

 最終号の表紙はこれまでのハイライト場面のコラージュとなった。75年9月号以来、すべての表紙を遊び心たっぷりに描き、『ぴあ』の顔だったイラストレーターの及川正通さん(72)は、背広姿の矢内廣社長が表紙を頼みに自宅にやって来た日のことをよく覚えている。「ひと晩中、仕事そっちのけでお互いに夢を語ったんですよ。ぼくは映画好きでもなかったけれど、若い人の手助けができるならと引き受けた。それ以来、ずっと時代の流れを感じながら時代の人物を描き続けてきた。自分でいうのもおこがましいのですが、浮世絵を描かせてもらったかなとも思います」
 (以上は毎日新聞:2011年7月21日の東京夕刊・記事転載)

 アナログ放送終了については意外と多くの方が慌てたかもしれない。
 総ての放送の終了は当然別室TV・録画機器のすべての放送が終了。
 *でも慌てないで。
 デジタルテレビに外部出力があれば録画機器の入力に接続(番組を見ながらの録画)。
 さらに廉価商品でなければ外部出力からの留守録機能がついているテレビも多く、
 アナログ・ビデオでも録画&録画保存は可能(DVD転送はワン・コピー×裏番組録画不可)。
 またアナログテレビでもデジタル対応のDVDレコーダー(HD付)を接続すれば、
 テレビをモニター使用(入力切替)することでテレビが壊れるまでの視聴は可能で、
 “どちらかがデジタル”であれば何の問題もない事実情報は伝達不足。
 言いかえればBSデジタルの放送さえもアナログ・ビデオに録画できるし、
 廉価版のデジタル対応(BS対応)のDVDレコーダー(2万4000円位~)
でも、
 アナログテレビの視聴が可能はチューナーとして使用なら中古5000円もあり?
 *もちろん地デジ・チューナーを買えば安上がりだけどTV買ったら捨てるだけに抵抗感。
 何でも捨ててしまえば良いと言う訳ではないので買い替え前の再考も手かな?
 *mimi-fuku通信の常連さんなら“そんなこと”ご存知ですよね。

 時間を持たないことは罪なことで“自分の言葉”が少ない。
 そんな時は“人の言葉”を拝借するのが今の時代なのか?
 文字を埋めるために“私的メモ”と題してWebニュースを転載。
 私の思い出も少しだけ述べてみたい。
 
 『ぴあ』の休刊(廃刊?)には思うことが多い。
 毎日新聞・東京夕刊の記事によると、
 *1972年:創刊(実売1800部)
 *1974年:10万部突破。
 *1979年:月刊→隔週
 *1984年:「チケットぴあ」を開始。
 *1988年10月14日発売号は最高実売部数53万部。

 *19
85年:関西版発行。
 *1988年:中部版誕生。
 *1990年:隔週→週刊化(発行も40万部台)
 *1990年代後半:『東京ウォーカーVSぴあ』の図式。
 *2000年頃から全体的(出版物)な退潮が始まる。

 『ぴあ』最終号には創刊号の付録つき。
 月刊『ぴあ』創刊号は28Pで100円。
 昭和47年(1972年)7月10日発行は、
 ・テアトル東京で「ゴッドファーザー」の封切。
 ・コンサート情報を見るとガロとRCのジョイントコンサートが当日600円。
 ・外タレはディープ・パープルが武道館で2700円~1600円。
 ・EL&Pは後楽園球場(スタジアム)で2300円~1300円。
 そんな時代に『ぴあ』は産声をあげた。 
 
 私が『ぴあ』を意識したのが1988年頃。
 仕事で東京へ出張するようになったからだ。
 金沢に“ぴあステーション”が誕生したのもこの頃だと思う。
 当時はチケット・セゾンとチケットぴあが覇権を争ったように記憶。
 *ローリング・ストーンズの初来日公演(1990年2月)はぴあ券が手元に残っているし、
 *ポール・マッカートニーの初来日公演(1990年3月)はセゾン・チケットが手元に残る。
 1993年頃の石川県の書店では
 ぴあ首都圏版、ぴあ関西版、ぴあ中部版の3冊が同時に並び、
 1990年代は毎月のように東京・名古屋・関西へと出張。
 コンサートに通っていた時代の1990年代には『ぴあ』は私にとっても愛読書だったし、
 2000年代に入っても羽田に着くと直ぐに『ぴあ』を購入するのが常だった。
 開催されているイベントや美術展情報&テレビ番組表を電車の中・ホテルの部屋でくまなく調べた。
 *1990年代はプロレス雑誌も発売日には必ず購入する習慣があり電車のお供だった。

 文字にし足りないが“もう5分”で日付が変わる(ここで時刻セット)。 
 1995年のターニングポイントは阪神大震災と通信の変革(携帯電話+PC通信)
 でもパソコン通信の最先端をチケット販売で大成功させたのが“ぴあ”だった。
 その『ぴあ』が高速通信(インターネット+光通信&フルブラウザの携帯電話)に足元をすくわれた。
 もちろん“ぴあ”だけではなく多くの媒体や産業が高速ネットワークに足元をすくわれ瀕死の惨状。
 情報の拡散は如何ともし難いが時間もなく“その話”は別の機会に…。
 
 2011年7月24日。
 連日の大きな大きなニュースを下記に記録(私的メモ)。
 高速情報化社会&個々が配信する膨大な情報網。
 この文書が多くの方々の目に留まるのも、
 情報の拡散の形態であることに違いない。

 “時間が足りない”
 それは多くの方々にとっても共通の悩みとして持っており、
 情報過多(時間×好奇心=葛藤)が原因の一因であるだろう。
 *選択肢の拡散=自主的削除(自己コントロール)が必要。

 益々難儀・難解な時代が続くようだ。


 ~以下グーグル・ニュースの朝・夜のトップ・ページを転載。

 <2011年7月24日:朝のニュース>

 *中国:高速列車が脱線 2両落下、11人死亡(温州市)
 *ノルウェー連続テロ、死者90人超す、首都中心に避難勧告
 *松井が古巣で本塁打、日米通算では501本目
 *玄海原発1号機に欠陥の可能性、鋼材不均質?井野氏ら指摘
 *駆け込み地デジ化、量販店に列、チューナー品切れも
 *米、南シナ海領有権で中国けん制 「国際法で解決を」

 *R&B歌手、エイミー・ワインハウスさん死亡
 *待ってました!勘三郎、8か月ぶり号泣復帰
 *はいだしょうこの楽屋に泥棒!マネジャー殴り逃走
 *甲斐よしひろ 3年ぶりソロツアーで熱唱

 *藍、今季初優勝に王手!ノーボギーで単独首位浮上
 *オールスター:坂本、球宴1号に猛打賞「うれしかった!」
 *エバンス、総合首位で最終Sへ=ツール・ド・フランス
 *日馬富士、白鵬の8連覇を阻止!2度目の優勝(名古屋場所14日目)

 <2011年7月24日:夜のニュース>

 *中国高速鉄道の脱線事故、共産党政権に衝撃
 *テロ容疑者、犯行認める「残虐だが必要だった」
 *なでしこリーグ:世界一効果でINAC戦に1万7812人
 *増税12年度から5年で調整 25日、閣僚会合に提示
 *地デジ:窓口へ、量販店へ殺到…完全移行
 *アナログ放送終了、地デジコールセンターに相談7万5400件

 *勘三郎“心の故郷”松本で半年ぶり舞台復帰
 *水樹奈々に2万5000人熱狂!さいたまスーパーアリーナ公演
 *鳥居みゆき「見どころは全裸シーン」

 *北島が2位で決勝進出=男女400リレー、五輪出場権獲得、世界水泳
 *琴奨、鶴竜の大関とりは来場所-貴乃花審判部長が明言
 *大相撲名古屋場所:日馬富士 Vに花の全勝ならず
 *オールスター: 155キロを連発 地元で初先発の由規「仙台でできてよかった」

コメント
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【W杯サッカー女子:ドイツ大会・なでしこ(撫子)・魁皇引退】私的メモ。

2011-07-21 07:30:00 | 芸能・スポーツ


 いつもとは違うピンク色でスタート。
 この色を見れば“なでしこジャパン”を連想する方も多いだろう。
 文書の構成も私的なメモとして平素とは大きく変更。
 先ずは前記事でも紹介した選手達のブログと関連リンク。

 *川澄 奈穂美選手の優勝報告(速報)
 http://pure-city.jp/nahomi/2011/07/post_995.html

 *丸山 桂里奈選手の優勝報告(金メダル付)
  http://ameblo.jp/karina14/entry-10957646220.html#main

 *大野 忍選手の帰国報告(写真付)
  http://ameblo.jp/shinobuohno/entry-10959264177.html#main

 *安藤 梢選手のツイッターで見つけたアルゴリズム体操(微笑み)
 http://www3.nhk.or.jp/news/nadeshiko_taiso0719/index.html

 大きな話題の後は恒例の新聞購入。
 今回は選手見たさに各局ワイドショーを軒並み録画視聴。
 選手たちの個性とキャラクターを楽しんだ。
 
 『横から目線、清潔、ユーモア』が身上の佐々木則夫監督。
 ブログ更新がマメでスウェーデン戦で2Gした川澄奈穂美選手の本音は、
 PK戦(5番目)を蹴りたいがために熊谷紗希選手の決勝Gを外せと願う(笑)。
 ~川澄選手のブログによると早くもSMAP×SMAPの収録を終了。
 新聞情報(ニッカン)によるとエースの澤 穂希選手は昨年末に失業し、
 “正月から無職か”と不安の中で過ごした日々なども紹介され、
 大きな栄光とは裏腹に各選手が決して恵まれていない毎日を過ごす。
 MVP以上の活躍との評価も高い宮間あや選手のブレない言動や、
 TV番組では彼氏同伴で婚約報告をして祝福された永里優季選手のクレバーな切り口。
 ドイツ戦のヒロインであり福島では辛い経験をした丸山桂里奈選手の明るさ。
 何よりも意地悪な言動が憎めない大野忍選手は特異なキャラで一躍注目の的に。
 ~選手たちのマスコミ露出は個人の人気ばかりか競技人口にも大きな影響。
 見る側(視聴者)にも様々な意見があろうが人気選手=広告塔としての役割も強く、
 どれだけのスターを輩出できるかがメジャー・スポーツとマイナー・スポーツの区別なら、
 選手たちはマスコミに振り回されることなく露出(利用)し注目を集めるべきだと感じる。
 スター気質が高い女子サッカー・チーム:なでしこジャパン。
 今後もグランド(ピッチ)とは違った一面(表情)を見せ楽しませて欲しい。
 明るい勝利で前向きな“なでしこ”の姿勢にスポーツの楽しさを見た。
 お洒落を楽しみ、恋を楽しみ、試合を楽しむ選手たち。
 悲壮感を良しとした過去のイメージを覆す現代っ娘による世界一の栄冠。
 学ぶことは多い。

 
なでしこ(撫子)について、お勉強】

 撫子は日本を代表する夏~秋に咲く野草の1つ。
 色合いはこんな感じの淡紅色で万葉の頃から寵愛される。
 大和撫子(やまとなでしこ)とは大和(=日本)の撫子の事で、
 唐撫子(からなでしこ=中国の石竹))と区別するための名称で、
 一般的には河原撫子(かわらなでしこ)と同義語とされる。
 撫子を含む秋の七草は古くは平安期頃からやまと絵や工芸意匠に描かれ、
 特に茶道具や江戸期の装飾小物には好まれる花として知られ、
 “撫でたいほどに可愛い子”は可憐な薄いピンクが女子の肌色と連想され、
 大和撫子は目立たずに野に咲く可憐な小花から慎ましい印象を受け、
 花言葉は、純潔の愛、無垢と手元の資料『万葉の花を生ける』にはあり、 
 遠慮深く家庭を支えた古い時代の理想の女性像として見るべきだろうが、
 サッカー女子“なでしこ”の花言葉は、
 不屈、闘志、実現などが適切であろうか?
 *撫子は古今和歌集の時代には常夏(とこなつ)と表記される。

 
 【大関:魁皇関の引退と会見】
 
 
Q.引退を決めた今の気持ちは。
 A.あまり実感はなく不思議な感じ。でもテレビの報道を見て本当に力士生活が終わったんだなとも感じる

 Q.どの段階で引退を決意したのか。
 A.(最後の琴欧洲戦の前日に)明日の相撲で負けるようならと師匠と話した。これまでさんざん引き際というのを逃してきてこれが本当に最後の引き際かなと思って決めた。場所前から記録のことを騒がれて自分の中でも気になってしまった。そこに目標を置いてしまって苦しんで達成した。そうしたら今まで以上に負けたときに悔しさがないというか自分の相撲がとれない。前に攻めようという気持ちがあっても体が動かない。もう無理かなと思い始めた。自分の相撲をとれないならもうやめようと思った。」

 Q.これまでに引退を真剣に考えたことは。
 A.何度かある。師匠に『もう少し相撲をとらせてください』と言ったこともある。ただ、もう後はないと思ったときに相撲がとれる。カド番のときは、そういう気持ちが強かった。後悔しないようにと思って相撲をとってきた。

 Q.来場所、カド番でももう一度とる気持ちはなかったか。
 A.周りの人には言われたが自分の中の責任というか、これが引き際なので次の場所はないと考えた。場所が始まって3連敗の時点で(引退しようか)どうしようか悩んだが応援してくれる人に(最多勝)記録のことを言われていたのでなんとかそこまでは頑張ろうと思った。

 Q.現役23年振り返っての感想は。
 A.相撲人生としては最高だった。相撲界に入るのも迷っていたが稽古して番付が上がっていくたびにだんだん楽しくなった。(相撲を通じて)いろいろな人と知り合って多くの人が応援してくれた。この世界でなくては味わえないことが経験できた。

 Q.23年間で一番充実していた時期は。
 A.関取に上がってから上位を倒すことが楽しかった。思い切って相撲がとれて強い人を投げると。三役に上がった頃くらいだと思う。

 Q.ライバルと意識した力士は。
 A.常に周りの人はライバルだと思っていた。その中でも武双山関(現藤島親方)というのは年も近いし負けたくないという気持ちで戦っていた。最近では千代大海。同じようにけがで苦しんだ

 Q.やり残したことはないか。
 A.もっと上(横綱)にとか地元の九州場所で優勝したいという夢はかなわなかったがそれ以上に十分いい人生だった。悔いはない。

 Q.横綱という地位への思いは。
 A.何度かチャンスがあったがことごとく失敗した。そこで思ったことは並大抵の精神力では上がれないということ。

 Q.大関としての責任感もあったが。
 A.成績は褒められるものではなかった。ただ大関にいる以上は稽古もしっかりやって務めなくてはいけないなと思った。

 Q.こだわっていた記録は。
 A.幕内在位記録にはこだわりがあった。90場所を超えたときに、ここまで来たら100場所までいきたいと思うようになった。(達成して)ようやくここまで来たなと思った。

 Q.忘れられない相撲は。
 A.(2000年初場所の)千秋楽に武双山関に負けた相撲。あのときの悔しさがあったから自分は大関に上がれたと思う。相撲に対する考え方も変わった。

 Q.指導者としての夢は。
 A.早く自分より強くかっこいい力士を育てたい。自分の形をしっかり持った相撲取り。まじめに稽古する力士を育てたい。自分の相撲が取れるようにしたい。

 Q.部屋を持ちたいという思いは。
 A.焦って部屋を持ってもいいことはない。いろいろしっかり勉強してある程度覚えたところで自分の部屋を持てたらなと思う。

 Q.長く続けられた支えは。
 A.いろいろな人が一生懸命支えてくれるのに自分の気持ちが折れたら失礼だと思った。応援してくれる人も勝つと自分のことのように喜んでくれてうれしかった。だからできるところまでやろうと思った。

 Q.魁皇コールを送ったファンへの思いは。
 A.あそこまで応援してくれるのはなかなかないことだった。最初はビックリして緊張もあったけどあの中で相撲がとれるのはどれだけ幸せなことかと思った。その中で勝っていくとそれが力になった。本当にうれしかったし応援してくれた人に感謝しています。

 Q.いま一番やりたいことは
 A.なんでしょう。少しずつやっていきたい。車も乗れなかったしどういう格好をしたらいいのかもわからない。15でこの世界に入ったから靴を履く習慣もない。いろいろなことがほかの人と比べて遅れているので聞いていかないと恥をかく。
 (2011年7月20日:Web日本経済新聞より記事転載)


 大関:魁皇が引退会見を行ったその
日の名古屋場所(7月20日)。
 大関の座を狙う関脇:琴奨菊が力相撲の末に全勝の横綱:白鵬を押し出す。
 琴奨菊は魁皇と同郷の福岡県出身で空白になった日本人大関の最右翼。
 ふと思ったことは大関の座を守ることと大関の座を譲ること。
 まだやれるとのファンの期待を背負いながらも、
 大関在位中の引退を決意した大関:魁皇の決断。
 素人目には余力を残して土俵を去る男の引き際。
 それはそれで“見事・立派”と捉えるべきなのだろう。

 個人的な意見としては、
 40歳、1100勝、大関在位70場所、幕内通算900勝、幕内出場1500。
 “十両陥落まで相撲を取って欲しかった”
 は私の勝手な妄想でしかない。

 日本人大関の地位を長年守り続けた魁皇関の辛抱。
 本当に“お疲れ様”でした。

 ☆魁皇の歴代1位記録◇
 ・通算勝ち星:1047勝
 ・幕内勝ち星:879勝
 ・幕内在位:107場所
 ・幕内出場:1444回
 ・大関在位(タイ) 65場所



 ~以下女子サッカー日本代表が世界一を決めた翌日の、
   朝日、毎日、読売新聞のコラム&社説の転載(私的引用)。

 2011年7月19日(火)
 
朝日新聞:天声人語

 最後まであきらめない。
 祝日の早朝、そんなメッセージがフランクフルトから届いた。
 サッカーの女子ワールドカップ決勝。
 なでしこジャパンは米国に2度追いつきPK戦を制した。
 今の日本にすれば、あらゆる政治の言葉より意味がある世界一だ。
 押しに押されゴール枠の「好守備」に再三救われた。
 しかし残り3分、頼れる沢主将がすべてを元に戻した。
 宮間選手のコーナーキックに飛び込み示し合わせたような右足一発。
 居合抜きを思わせる美技だった。
 この同点弾で、なでしこの至宝は大会の得点女王と最優秀選手に。
 前言通り「人生最高の試合」にしてみせた。
 仲間の粘りを勝利につなげた守護神、海堀選手の神業にもしびれた。
 米国の女子サッカーは国技に近い存在らしい。
 女の子の3割が習い事でたしなみ人気選手はCMにも出る。
 「女子は男女同権の国ほど強い」(W杯米国大会プログラム)。
 そうした誇りと期待を代表の面々は担う。
 かたや日本は代表チームができて30年。
 ルールは男女同一に競技人口は10倍以上になったが、
 主力選手の多くが働きながら練習している。
 凱旋(がいせん)の旅もエコノミークラスと聞いた。
 世界一の次は実力にふさわしい環境だろう。
 早起きを3回しただけの素人にも魅力は分かる。
 俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議がなく、ボール回しを楽しめた。
 なでしこは国を励まし、世界を驚かせ、この団体球技の面白さを教えてくれた。
 雑草の根っこを持つ大輪たちに感謝したい。

 *朝日新聞社説:なでしこ世界一

 伸びやかさを力に朝まで続いた熱戦に釘付けになった人も多かったろう。
 サッカー日本女子代表チーム(なでしこジャパン)が、
 ドイツで22日間にわたって開かれた女子ワールドカップで頂点に立った。
 サッカーでは男女、年齢別の大会を通じても初の世界一だ。
 女子スポーツの中でも難しいといわれる団体球技では、
 五輪と世界選手権で優勝したバレー、ソフトボールに次ぐ快挙。
 回転レシーブなど独自の技術を編み出して体格差を克服し、
 「東洋の魔女」と世界から称賛された東京五輪の女子バレーを思い起こさせる活躍ぶりだ。
 印象深いのは男子とは違うその伸びやかな戦いぶりだ。
 相手の猛攻にひたすら耐えるだけではない。
 肩に無駄な力を入れず結果を恐れず素早いパス回しとセットプレーという、
 武器を存分に生かした。
 決勝で世界ランク1位の米国に2度のリードを許した時間帯も、
 重圧との戦いでもあるPK戦も、
 恵まれない環境でサッカーを続けてきた日々を思えば、
 さほど苦しくなかったのかもしれない。
 PK戦前の円陣には笑顔すらあった。
 悲壮感や根性論とは無縁のスポーツの原点である、
 「プレーする喜び」が彼女たちの全身からあふれていた。
 そんな姿に日本中が熱狂したのは大震災以降の重苦しさのなかで、
 人々がなでしこの快進撃に希望や期待を重ね合わせたからだろう。
 一瞬でも苦しさを忘れ勇気を与えられた人は多かったに違いない。

 今大会は女性スポーツ大会の発展という意味でも節目になりそうだ。
 女子サッカーの歴史をひもとけば北欧や北米などリベラルな先進国を中心に広がってきた。
 そこに南米やアフリカ勢が台頭し世界のレベルは着実に上がっている。
 中でも体力任せの大味な競技スタイルだった世界の潮流に、
 技術という要素を加えたことは日本の大きな貢献だ。
 体格やスピードの差から男子に比べおもしろさに欠けると見られがちな女性スポーツだが、
 力と技の組み合わせで競技の魅力はまだまだ高まるはずだ。
 1試合平均約2万6400人という観客動員数もこのことを裏付けている。
 女性のスポーツの興行面での将来的な可能性も示したのではないか。
 世界から追われる立場になったなでしこは9月にはロンドン五輪予選を迎える。
 周囲の期待はいや増すばかりで時に重圧となるかもしれない。
 それでもドイツで見せた伸びやかさを失うことなく再び世界にチャレンジしてほしい。


 2011年7月19日(火)
 
毎日新聞:余録

 「特別のことはない。これまでのステップを積み重ねればいい。
 ただし、最後の1歩は歩幅が広い」。
 決勝戦にのぞむ心構えについて男子サッカー日本代表の、
 イビチャ・オシム元監督はそう語った。
 ならば、その大会がW杯、その1歩に世界一がかかる決勝戦ならどうか。
 過去の対戦で1勝もしたことのない米国、
 そのチームに2度のリードを許しながら粘り強く追いついてのPK戦だ。
 気の遠くなりそうな深淵(しんえん)をみごと飛び越えたなでしこジャパンの優勝だった。
 米国ディフェンダーのすきを突いた宮間あや選手の同点ゴール。
 クロスに右足アウトサイドで合わせた澤穂希選手の土壇場の同点ゴール。
 PK戦1本目のゴールキーパー海堀あゆみ選手の右足によるセーブ。
 これから時代の記憶として後世に語り伝えられるシーンだ。
 ついでながらオシム元監督の言葉にはこんなのもあった。
 「毎日奇跡が起こるわけではない。奇跡を金で買うこともできない。
 入念に準備をした上でしか奇跡は起きない」。
 「勇気をもってのぞまないと幸運は訪れない」。
 (千田善著「オシムの伝言」みすず書房)
 佐々木則夫監督のいう“小さな娘たち”が体格で勝る強豪を粘りで倒してきた、
 「入念な準備に根ざす奇跡」である。
 満員のドイツの観衆が大歓声で祝福し敗れた米国のメディアも、
 震災から立ち直る日本の不屈の精神を表すとの賛辞を寄せた日本女子の「勇気」だ。
 その感動をすべての人が分かち合えるスポーツの栄光である。
 震災の被災地、その支援をしてくれた世界中の人々。
 この国のすべての住人を今度は歓喜で結びつけてくれたなでしこに感謝する。 

 *毎日新聞社説:なでしこ世界一!大輪咲かせた感謝の心。

 18日は日本中が元気になる、素晴らしい朝になった。
 ドイツで開かれていたサッカーの女子ワールドカップ(W杯)で、
 初めて決勝に進んだ日本代表「なでしこジャパン」がPK戦の末、
 世界ランキング1位の米国を降し初めて世界一のタイトルを獲得した。
 米国との決勝戦は日本時間午前3時45分開始という早朝の試合だったが、
 テレビの前で声援を送った人は少なくなかっただろう。
 米国とは過去24度対戦し21敗3分け。
 まだ一度も勝ったことのない相手だった。
 この試合も2度先行を許す苦しい展開だったが粘り強く食い下がり、
 最後はPK戦でGK海堀あゆみ選手がスーパーセーブを連発。
 最高の舞台で最強の相手から価値ある初勝利をもぎ取った。
 主将としてチームを引っ張る澤穂希選手は延長後半の貴重な同点ゴールを決め、
 今大会5得点で得点王とMVP(最優秀選手)を獲得、優勝に花を添えた。
 澤選手の技ありゴールを含め歓喜のシーンは何度見ても感動は薄れない。
 東日本大震災からの復興を目指す日本にとって何よりの励ましとなる優勝だった。
 感動したのは試合内容だけではなかった。
 決勝戦を含め出場したすべての試合後になでしこたちは、
 『世界中の友人たちへ支援に感謝します』
 と英文で書かれた横断幕を手に場内を回りスタンドの観衆の声援に応えた。
 今回の東日本大震災に際し世界中から送られた支援に、
 なでしこたちが日本を代表して感謝の意を表してくれているようで胸が熱くなった。
 2強といわれたドイツ、米国を破って一躍世界の頂点に立ち、
 これからは“追われる立場”となったなでしこジャパン。
 だが海外のプロリーグに所属する一部の選手を除けば、
 選手たちを取り巻く環境は恵まれているとは言い難い。
 所属する企業チームの休廃部が相次ぎ、
 “仕事とサッカー”の両立に苦戦を続けている。
 かつては国際大会の代表に選ばれても遠征費用の半分は自己負担だったという。
 マイナー競技の悲哀を味わい続けた先輩たちの犠牲の上に今回、大輪の花が開いた。
 なでしこたちが“感謝の心”を忘れないのはそんな背景があるのだろう。
 競技人口の拡大が今後のカギを握る。
 全国高等学校体育連盟が主催する高校総合体育大会(インターハイ)で、
 女子サッカーが実施されるのは来年の北信越大会から。
 今回のなでしこの活躍にあこがれサッカーを始めたいと思う少女たちの、
 夢をかなえるための環境整備が急務だ。
 ともあれ、
 なでしこジャパンの皆さん。
 本当におめでとう。


 2011年7月19日(火)
 
読売新聞:編集手帳

 缶コーヒーのCMで宇宙人が内心つぶやいていたのを思い出す。
 「この惑星の住人は上を向くだけで元気になれる」と。
 明察ではあるが上を向くのもそう簡単ではない。
 気がつくと、うつむいて手を見つめていたり、靴の爪先をにらんでいたり、
 心の沈みがちな時はそういうものだろう。
 被災者の品格ある振る舞い、国内外から届いた激励、詩『雨ニモマケズ』、唱歌『故郷』…。
 震災以降、日本人の目を上に向かせてくれたものは幾つもある。
 スポーツもそうだろう。
 頂点をめざす競技者は“上を向く”ことを習性として身につけた人々である。
 サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で日本代表、
 “なでしこジャパン”が初優勝の快挙を成し遂げた。
 準々決勝の直前には全員で被災地のビデオ映像を見たという。
 被災者の懸命に生きる姿が選手たちに上を向かせ、
 選手の躍動が被災者に上を向かせる。
 きれいに通った心のパスに酔いしれている。
 目も心も昨日は上に向けた人が多かろう。
 米国との決勝戦でなでしこがPK戦を制した朝、
 物の輪郭がいくらか滲(にじ)んで見える目で仰いだ夏空を忘れまい。 

 *読売新聞社説:なでしこ世界一、日本中を元気付けてくれた。

 “なでしこ”が見事な花を咲かせた。
 日本のサッカー史上ひときわ輝く快挙である。
 サッカー女子ワールドカップ(W杯)決勝で日本は米国を、
 PK戦の末に破り初優勝を果たした。
 「小さな娘たちが本当に粘り強くやってくれた」。
 佐々木則夫監督は選手をそうたたえた。
 早朝のテレビ中継を見て歓喜した人たちも同じ思いだろう。
 試合後、選手たちは世界中から寄せられた東日本大震災への支援に、
 感謝する横断幕を掲げ場内を一周した。
 被災地からは、
 「私たちも頑張らなくては、という気持ちになった」という声が上がった。
 日本全体を元気付ける“なでしこジャパン”の奮闘だった。
 それにしても彼女たちの強い精神力には驚かされる。
 準々決勝では、これまで一度も勝ったことのなかった開催国ドイツを、
 ホームの大声援をはね返して撃破した。
 決勝では、やはり過去未勝利だった世界ランキング1位の米国に、
 2度リードされながらも追いついた。
 PK戦を前に見せた選手たちの笑顔からは、たくましさが感じられた。
 体格で勝る相手でも最後まであきらめずに勝利をもぎ取った。
 フェアプレー賞も受賞した。
 1991年に始まった女子W杯は、五輪と並ぶ女子サッカー最高峰の舞台だ。
 4年に1度開催され日本はこれまで6大会すべてに出場してきた。
 95年大会でベスト8に入ったがそれ以外は決勝トーナメントに進めなかった。
 日本の女子サッカーが強くなった原動力は、
 世界の壁にはじき返された悔しさだったろう。
 近年、女子でも海外のチームに移籍する選手が増えた。
 レベルの高いプレーの中でもまれ力をつけた選手が日本代表に加わることで、
 海外組と国内組が競い合う。
 それが“なでしこ”のチーム力の底上げにつながったといえる。
 サッカーに打ち込む小学生や中学生の女子選手が増えている。
 沢穂希選手らの活躍を見て、
 「いつかは自分も」と誓った“未来のなでしこ”もいるだろう。
 W杯制覇は日本女子サッカーの一層のすそ野拡大につながるに違いない。
 選手たちは休む間もなく9月には来年のロンドン五輪のアジア最終予選に臨む。
 追われる立場になった「なでしこ」だが、ぜひとも勝ち上がり、
 五輪でも金メダルを手にしてもらいたい。

コメント (3)
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超大型の台風6号・なでしこ2011・大相撲・テレビ・長渕剛のSONGS。

2011-07-17 23:06:00 | 台風関連

 台風6号(マーゴン)
 何よりも注目すべきは超大型の台風6号が日本に接近。

 *台風6号の進路
 http://www.jma.go.jp/jp/typh/1106.html

 
*NHK気象災害情報
  http://www3.nhk.or.jp/weather/

 
*国土交通省:XバンドMPレーダ雨量情報
  http://www.river.go.jp/xbandradar/
 
 気象庁の予報(17日夜の時点)では、
 <17日20時の実況>
 大きさ 超大型
 強さ 非常に強い
 存在地域 南大東島の東南東約300km
 進行方向、速さ 北西 20km/h(10kt)
 中心気圧 935hPa
 中心付近の最大風速 50m/s(95kt)
 最大瞬間風速 70m/s(135kt)
 25m/s以上の暴風域 全域 260km(140NM)
 15m/s以上の強風域 南東側 950km(500NM) 北西側 650km(350NM)
 *下段に日別の台風実況を転載。

 
現在(17日夜)の予報では強い勢力を保ったまま太平洋側沿岸を進行する見込み。
 台風の暴風域が260kmと広く強風域が中心から北西側650kmは非常事態。
 7月の台風としては過去に例がないほどの巨大な台風が接近している。
 台風が陸地から南にずれて300km沖の海上を南東に進んでくれれば良いのだが、
 現在発表されている予報を読み解くと、
 南九州沖~四国沖~紀伊半島沖~伊豆沖へとゆっくりとした速度で移動。
 半径650kmの強風域は時間を追って西日本~関東~東北南部の全域にかかり、
 19~20日には九州~四国では瞬間的には50mを超える暴風を伴う豪雨と、
 20~21日には紀伊~東海でも35mを越える暴風と18日からの長時間の大雨。
 ~台風の外側の雲(強風域)は巨大であり18日早朝から各地で大雨の注意が必要。
 九州・四国・中国南部・紀伊・東海では厳戒態勢が必要な事態になっている。
 更に台風が19日未明までに950hPaよりも衰えないままで(可能性は少ない)、
 台風の中心位置の進路が北側にずれ上陸する場合には各地で甚大な被害も想定。
 “大荒れの前の避難”が求められる。

 【追記:7月19日朝】
 台風6号は予報よりも発達せず衰弱の方向(955hPa)に向かうものの、
 予報進路は四国に上陸し紀伊半島を抜けるコースは、
 四国・近畿中部(都市部)・近畿南部が暴風域に入る可能性が高まり非常事態は変わらない。
 上陸と同時に台風の勢力は衰えるものの速度の遅さと大型を保っている事実は長時間豪雨の危険。
 早め早めの明るい時間帯の避難が肝要で特に土砂崩れの可能性が高まる地域は厳戒態勢を願う。

 【追記:7月19日夜】
 台風6号は四国には上陸せずに沿岸を西に進み紀伊半島沿岸部に接近する予報。
 そのため近畿中部(都市部)は暴風域には入らず暴風域も時間をおって縮小(w110/e190)。
 ただし大型(強風域)であることに依然変わりがない上に速度の遅さは如何ともしがたく、
 近畿南部~東海・伊豆地方は今後更に危険な状態が20日の深夜まで長引くと考えられ、
 21日になれば台風6号は紀伊半島の東南海上に進み列島への危険は次第に薄らぐとみられる。
 注意点は中心位置と風向きによって運ばれる大量の雨雲をさえぎる山の高さと斜面下流の市街地。
 台風は事前に予測できる数少ない自然災害なので早急の対策が命を守るカギとなる。 


 【追記:7月20日朝】
 台風6号は不自然な進路をとり徳島県に上陸との発表も間もなくに海上に戻り紀伊半島へ。
 近畿南部は今後数時間暴風域にさらされるものの970hPaまで気圧をあげた台風のリスクは緩和。
 ただし大雨による冠水の危険性は今夜遅くまで続き土砂崩れの危険性は数日間続く見込み。
 安全が確保されるまで引き続きの避難態勢の継続が望まれる。

 【台風6号の被害と記録】

 
*毎日新聞調べ。
 台風6号による風雨の影響で高知県で1人が死亡。
 奈良県と三重県で2人が行方不明。
 計58人が負傷するなど各地で被害が出た。

 *朝日新聞発表。
 高知県馬路(うまじ)村では19日の1日分の雨量が851.5ミリで、
 三重県尾鷲市で1968年に観測された過去最高(806ミリ)を更新。
 20日午前11時までの72時間雨量も、
 高知県馬路村で1199.0ミリ、三重県大台町で992.0ミリ。
 静岡市葵区で727.0ミリなど広範囲で600ミリを超え記録的な豪雨。


 
なでしこジャパン
 W杯ドイツ大会2011。
 夢の決勝進出をはたし突如注目されるピンクのヒロイン達。
 *ジャパンブルーにピンクをあしらったユニフォームは日本女子のお洒落!
 と言う私も、
 ドイツ戦(ベスト8)までは関心がなかったのが実情で決勝の観戦が3戦目。
 
mimifukuも今夜は11時までには就寝したいと希望
 
*寝苦しい暑い(熱い)夜も明朝のために誰もが早寝?(それとも徹夜組?)
 
そんな徹夜組の方のために私の趣味を兼ねた調べ癖は、
 なでしこジャパンの選手達が綴るブログ&ツイッターの紹介。

 <ブログ>
 *大野 忍選手→ http://ameblo.jp/shinobuohno/
 *岩清水 梓選手→ http://ameblo.jp/azusa1014/
 *川澄 奈穂美選手→ http://pure-city.jp/nahomi/
 *永里 優季選手→ http://ameblo.jp/y-naga19/
 *丸山 桂里奈選手→ http://ameblo.jp/karina14/

 <ツイッター>
 *安藤 梢選手(サポート)→ http://twitter.com/#!/FCRjapan
 *熊谷 紗希選手→ http://twitter.com/#!/kumagai1017
 *鮫島 彩選手→ http://twitter.com/#!/sharkaya
 
 W杯優勝(追記)
 2011年7月18日:午前6時21分。
 見応えたっぷり“感動満載”のW杯2011・ドイツ大会決勝戦。
 日本中が歓喜に包まれた。
 日本中が感動に震えるゲームだった。
 PK戦までもつれる稀にみる死闘だった。
 *PK戦
 ・米国 ×××○
 ・日本 ○×○○

 サッカーで日本チーム女子が世界一の栄冠。
 長年にわたり俯き続ける日本人に勇気を与えた女神たち。
 “夢をあきらめない”を実践した11人(21人)の選手たち。

 強運を味方につけ実力で勝ち取った世界一の座を、
 まぐれという人は世界中に誰もいまい。
 両チームのエースである澤選手とワンバック選手の才能と活躍。
 そして結果、
 闘神:キャプテン澤 穂希選手の得点王(5得点)はゴールド・シューズ。
 ~澤選手は最優秀選手賞(MVP)も同時に獲得。
 ワンバック選手も4得点まで得点をのばしブロンズ・シューズを獲得。
 2011年7月18日:午前6時41分。
 金色の紙吹雪(テープ)舞い散るフランクフルトの表彰台。
 トロフィを掲げる日本チーム女子の歓喜を確認しつつ文字を綴る。

 <選手一覧>

 
GK  1 山郷 のぞみ(1975.01.16 163cm 61kg)
 GK 12 福元 美穂(1983.10.02 165cm 66kg) 
 GK 21 海堀 あゆみ(1986.09.04 170cm 64kg)

 
DF  2 近賀 ゆかり(1984.05.02 161cm 53kg)
 DF  3 岩清水 梓(1986.10.14 162cm 54kg)
 DF  4 熊谷 紗希(1990.10.17 171cm 59kg)
 DF  5 矢野 喬子(1984.06.03 164cm 55kg)
 DF 14 上尾野辺 めぐみ(1986.03.15 157cm 54kg)
 DF 15 鮫島 彩(1987.06.16 162cm 53kg)
 DF 16 田中 明日菜(1988.04.23 164cm 52kg)

 MF  6 阪口 夢穂(1987.10.15 165cm 58kg)
 MF  8 宮間 あや(1985.01.28 157cm 50kg)
 MF  9 川澄 奈穂美(1985.09.23 157cm 50kg)
 MF 10 澤 穂希(1978.09.06 164cm 55kg)
 MF 13 宇津木 瑠美(1988.12.05 168cm 63kg)

 FW  7 安藤 梢(1982.07.09 164cm 57kg)
 FW 11 大野 忍(1984.01.23 154cm 50kg)
 FW 17 永里 優季(1987.07.15 168cm 60kg)
 FW 18 丸山 桂里奈(1983.03.26 163cm 56kg)
 FW 19 高瀬 愛実(1990.11.10 165cm 59kg)
 FW 20 岩渕 真奈(1993.03.18 155cm 52kg)

 監督 佐々木 則夫る


 相撲
 大関:魁皇の新記録の偉業と横綱:白鵬の8連覇の期待。
 にもかかわらず盛り上がりに欠ける大相撲名古屋場所も今日が中日。
 8日目までは大入りはなく平日の観衆は見るからに閑古鳥状態。
 しかし相撲内容は見るべき力士も多く特に大関:日馬富士の強さが光る。
 と、
 日馬富士関のブログも発見→ http://blog.goo.ne.jp/harumafuji

 横綱:白鵬の安定感は群を抜くものの千秋楽までもつれて欲しい願望。
 それにしても白鵬関の相撲は美しく、
 微動だにしない蹲踞の姿勢と仕掛けにのらない安定した足腰の強さは目を見張る。 
 それと今日(17日)放送で話題(式守伊之助の差し違え)になった、
 木村庄之助が持つ短刀は差し違え(軍配)た時には切腹する覚悟を示す。
 記憶では立行司が差し違えたときには進退伺いの上での引責辞任だったような?
 でも調べてみると、
 協会からの注意でお咎めなしの慣例があるようだ。

 テレビ
 ブログをお休みすることで映像を見る時間も増える。
 昨晩(16日)家族で視聴した祇園祭の宵山の様子。
 伝統の継承と地域の協力や失われつつある神事の意味づけ。
 貞観の大地震はこのブログでも紹介した1000年前の大震災。
 その頃から受け継がれた祇園祭は応仁の乱や大戦時代を除いて、
 休むことなく続いた庶民文化の形態は豪華絢爛な技術の粋(すい)。
 学ぶ事の多い番組だった。

 また深夜放送の、
 モーリス・ベジャールの「80分間世界一周」はベジャールの遺作であり、
 世界中の興味深い民族音楽に乗って華麗に舞うダンサー達の競演は見事。
 アイディアの勝利はモダン・ダンスではない伝統的な基礎バレエの到達点。
 面白かった。

 長渕 剛
 面白かったといえばNHK:SONGSに登場した長渕 剛さん。
 4月16日に石巻を訪問した長渕さんの映像は松島基地でのライブ「乾杯」を含み、
 6月に再訪して子供達とのふれあいを通して歌われた「TRY AGAIN for JAPAN」。
 さらに、
 1990年の発表ながら現状を憂いながらも歌詞を入れ替えた「お家にかえろう」の熱唱。
 歌う武闘派のイメージも強い長渕 剛さんの面目躍如のパフォーマンスは時代にマッチ。
 *再放送が下記に予定されているので見ていない人は是非に。
 特に長渕は苦手だと言う方にこそ見て欲しい内容になっている。
 でも個人的には、
 初期の長渕の名曲「素顔」(リメイクも有り)が一番好きかな(笑)。
 

 ~以後NHKホームページから記事転載。

 SONGS「長渕剛」
 ~2011年7月20日(水)午前1:30~午前2:00(30分)
 ※気象・災害情報(台風6号)のため放送が休止になりました。

 今回のSONGSでは3月の東日本大震災を経て、
 自らの音楽を見つめなおした長渕剛さんを特集します。
 東日本大震災のあった3月以降、
 長渕さんは“歌は無力”という思いに苛まれ悩み続けてきました。
 しかしいてもたってもいられず、
 4月上旬には自ら宮城県石巻市を訪れ避難所や自衛隊基地の慰問を行いました。
 被災地の人々と触れ合うことで改めて“歌の力”を信じることができたという長渕さん。
 今回のSONGSでは、そんな長渕さんの動きに密着。
 6月下旬に石巻を再訪し地元の皆さん1000人とともに復興を願う曲、
 「TRY AGAIN for JAPAN」を歌い上げるまでの ドキュメントをお届けします。
 
 
長渕剛
 1956年生まれ(鹿児島県出身)。
 1978年シングル「巡恋歌」で本格デビュー。
 翌年にファースト・アルバム「風は南から」をリリースし、
 1980年「順子」でチャート1位を獲得する。
 以後、
 1985年「勇次」、
 1987年「ろくなもんじゃねぇ」、
 1988年「乾杯」「とんぼ」など、
 80年代を通じてヒットを連発。
 ライブ活動も精力的に行いその激しいステージ・パフォーマンスでファンを魅了している。
 TVドラマや映画への出演や詩画展を開催するなど音楽のみに限らず、
 多彩なジャンルでその才能を発揮している。
 
 <曲目リスト>

 
乾杯(1980)
 4月、航空自衛隊松島基地での激励ライブで披露した。
 日本全国から集まり過酷な環境の中で救援活動に臨む、
 自衛隊員2500人に向けて贈られた曲。
 
 
TRY AGAIN for JAPAN(2011)
 2010年に発表したアルバム「TRY AGAIN」表題曲の新バージョン。
 3月の東日本大震災を受け長渕さんは、
 この曲の「何度でもやり直せる」というメッセージこそ今発信すべきと考え制作した。

 
お家へかえろう(1990)
 1990年発表のアルバム「JEEP」収録曲。
 当時、強烈なインパクトを与えたこの曲の歌詞の一部を震災後、
 長渕さんが自ら書き直し今回のSONGSで初めて発表した。

 ~以下気象庁ホームページより記事転載(継続)。

 台風第6号(マーゴン)

 <20日19時の実況>
 大きさ 大型
 強さ -
 存在地域 御前崎の南南西約150km
 中心位置 北緯 33度25分(33.4度) 東経 137度30分(137.5度)
 進行方向、速さ 東 15km/h(9kt)
 中心気圧 980hPa
 中心付近の最大風速 30m/s(55kt)
 最大瞬間風速 40m/s(80kt)
 25m/s以上の暴風域 全域 70km(40NM)
 15m/s以上の強風域 東側 650km(350NM) 西側 460km(250NM)


 <19日19時の実況>
 大きさ 大型
 強さ 強い
 存在地域 室戸岬の南西約60km
 中心位置 北緯 32度55分(32.9度) 東経 133度50分(133.8度)
 進行方向、速さ 北東 15km/h(9kt)
 中心気圧 960hPa
 中心付近の最大風速 40m/s(75kt)
 最大瞬間風速 55m/s(105kt)
 25m/s以上の暴風域 東側 190km(100NM) 西側 110km(60NM)
 15m/s以上の強風域 東側 650km(350NM) 西側 410km(220NM)

 <18日20時の実況>
 大きさ 大型
 強さ 非常に強い
 存在地域 種子島の東南東約230km
 中心位置 北緯 29度30分(29.5度) 東経 133度00分(133.0度)
 進行方向、速さ 北 25km/h(14kt)
 中心気圧 945hPa
 中心付近の最大風速 45m/s(85kt)
 最大瞬間風速 60m/s(120kt)
 25m/s以上の暴風域 東側 260km(140NM) 西側 170km(90NM)
 15m/s以上の強風域 東側 800km(425NM) 西側 560km(300NM)

 <16日18時の実況>
 大きさ 超大型
 強さ 非常に強い
 存在地域 沖の鳥島近海
 中心位置 北緯 21度35分(21.6度) 東経 137度35分(137.6度)
 進行方向、速さ 北西 15km/h(9kt)
 中心気圧 940hPa
 中心付近の最大風速 50m/s(95kt)
 最大瞬間風速 70m/s(135kt)
 25m/s以上の暴風域 全域 220km(120NM)
 15m/s以上の強風域 南側 1000km(550NM) 北側 650km(350NM)

 <14日18時の実況>
 大きさ 大型
 強さ 強い
 存在地域 小笠原近海
 中心位置 北緯 20度05分(20.1度) 東経 145度30分(145.5度)
 進行方向、速さ 西 20km/h(11kt)
 中心気圧 960hPa
 中心付近の最大風速 40m/s(75kt)
 最大瞬間風速 55m/s(105kt)
 25m/s以上の暴風域 全域 170km(90NM)
 15m/s以上の強風域 東側 650km(350NM) 西側 460km(250NM)

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熱中症の予防と対策(2011年版)&7月14日の出来事。

2011-07-14 05:37:33 | 健康・医療・科学


 【熱中症の予防と対策2011】

 <基本>
 *水分摂取の確保(基本的にはノンカロリー飲料水が望ましい)。
 *塩分摂取の確保(個人の活動・疾病状況により異なり注意も必要)。
 *身体の清潔と下着の交換(発汗作用の促進と不快感の解消)。
 *規則正しい食事(生活)と充分な睡眠時間の確保。
 ~水分管理は血流・心不全・脳梗塞の重大疾病とも大きな関係を持つので要注意。
 ~水分・塩分の摂取量⇔高血圧・糖尿病・メタボ等の疾患者は医師との相談も必要。

 <移動・活動>
 *できるだけ直射日光を避け日陰を選ぶ(日傘・帽子の使用を推奨)。
 *徒歩でのお買物は温度の低い午前中か斜光で日陰が増える夕暮れを選ぶ。
 *高齢者はできるだけ自動車での移動が望ましい(地域や家族の協力が必要)。
 *晴天時は長時間の野外活動を避ける(高温放射熱下での長時間労働の監視)。

 <室内>
 *直射日光を室内に入れない工夫と風通しの工夫(西側・南側の窓には簾や遮光ネット)。
 ~エアコン使用の場合はカーテンやブラインドで室内に日光が入らない工夫
 *室内気温が30℃を超える条件では28℃前後の温度設定でエアコンを使用。
 *外気温と室内冷房との温度差は5℃以内に押さえる事が好ましい。
 *就寝中の温度管理と湿度管理(密閉と寝汗)の徹底。
 *晴れた朝の涼しい時間を見計らい換気を兼ねて窓を開放する。

 ~下記詳細と注意点を明記。


 【熱中症の分類】

 *熱射病。
 体温の異常な上昇がみられ、
 体温の上昇が脳内に到達した時に重篤な事態を起こす。
 症状としては意識障害や昏睡状態もみられ、
 その場合は即座に救急車を呼ぶなど迅速な対応が必要となる。

 *熱痙攣。
 塩分不足からおきるとされ筋肉に痛みをともなった痙攣を起こす。

 *熱疲労。
 水分不足からおきるとされ倦怠感やめまいなどの症状を引き起こす。

 *熱失神。
 血管の拡張から血流不足が起こり一時的に失神症状を起こす。
 確定はできないが(運動・労働等の)大量の塩分排出が原因と考えられる。
 
 ~共通して言えることはすべての熱中症には脱水症状がともない、
 さらに(症状により)体内の塩分不足が原因だと考えられる。

 ~血圧の急激な低下と熱中症との因果関係は不明だが、
 体内の水分量と塩分量のバランスはケース・バイ・ケースなので、
 
自分の身体状況(疾患・年齢・労働条件)に応じた熱中症対策が必要。

 
 【熱中症対策】
  
 *水分の摂取(排尿時間の間隔の確認)。
 水分摂取は飲料水だけではなく野菜や果物などの食物からの摂取も望ましい。
 冷えたものばかりでなく温かい飲み物も身体への負担が少ないとされる。
 排尿が定期的であれば体内水分量が確保されていると考えられる。
 ~利尿作用のある飲料水は水分としてカウントしない(ビール、コーヒー等)。
 ~高カロリー&高糖質の飲料水は限度を超えないよう注意(炭酸飲料、ジュース等)。
 ~お手洗いのあとは必ず水分(ウォーター)を補給する習慣をつける(血流の確保)。

 *適度な塩分の摂取。
 できるだけ食生活で塩分を取るほうが適量確認できて良い(家族で管理)。
 乾燥麺(そうめんやうどん)は塩分を多く含むので塩分摂取に適合。
 普段の生活ではごま塩やふりかけも適度な塩分を含むので推奨。
 塩飴などの“いつでも口に含めるもの”は過剰摂取にならないように注意。
 ~ただし高血圧症の人は医師と相談し平均血圧との対比をチェック。

 *発汗の円滑。
 身体の清潔を保つために入浴は効果的。
 ~特に高齢者や寝たきりの方には身体の清潔を保持。
 体温上昇時には適温の冷水でシャワーをするなどで身体を冷やす。
 ~ただし心臓疾患などの方は急激な冷水は厳禁。

 *冷暗の確保。  
 涼しい室内(エアコンの完備)の確保や通気性の確保。
 できれば避暑地(高地・水辺・緑地)への定期的バカンス。     

 *通気性の良い衣料や帽子の選択。
 衣類は保温効果の少ないメッシュ状で温度吸収の少ない淡色が望ましい。
 ~黒色は紫外線対策には効果的だが熱吸収が高いために晴天の高温日は避ける。
 下着は汗(水分)を吸収・保持(冷却作用)しやすい綿(コットン)が望ましいと思われる。
 ~特に炎天下の野外労働者は体内水分の蒸発を防ぐために極度な肌の露出を避ける。
 ~雨天や高温多湿では体内水分が蒸発しにくいため汗を拭き取り小まめに下着を替える。
 通常の外出での帽子はできるだけツバが長く通気性の良い麦藁帽子系が最適。
 ~屋外
労働者は帽子の中に濡れタオルを入れる事を推奨。
 濡れタオルは首から肩を覆い乾いたら直ちに濡らすことで熱射病の予防。

 *バランスの取れた生活。
 睡眠時間の確保や食生活の乱れをなくす。
 夏季はダイエットせず食欲旺盛のほうが夏バテ対策に効果的。

  
 【補足】
 
 *体温調節の話。

 肉体労働をする人や極度の運動により大量の汗をかく場合は、
 汗をかいた分だけ必要量をそのつどに水分補給をすべき。
 身体が熱っせられた場合は汗によって身体を冷やす効果があるので、
 その汗をふき取りながら汗をかいた分の水分補給・塩分補給が原則。
 身体から適度の汗が流れ続けていれば体内水分が適量だと考えられる。
 ~ただし汗が適量を超えて過度に流れる場合は体力の低下をともなう。

 また体内水分だけが熱中症の問題点ではなく重篤な症状としての、
 “脳を守るため頭部に異常な熱をもたせない”ように工夫・注意し、
 帽子や濡れタオルなどで頭や首のまわりを防御することも必要とされる。
 そのため身体に熱が帯びていると感じられる場合(体温上昇)は、
 風邪の場合と同じように頭・首筋・脇下を冷やすことも効果的だと考えられ、
 睡眠不足対策には水枕(氷枕)は効果的だと言われている。
 ~高熱を冷ますために股下内側(太腿の付根)の冷却効果も指摘される。
 また体内温度を冷ますための応急手段として、
 濡らしたタオルを心臓に当てることも効果が期待できる。
 ~フラフラして立っていられないなどの症状が出れば直に医院で診療。
 凡その熱中症症状は点滴の投与・涼感・安静で劇的な改善が見られる。
 
 
 *熱失神と脱水症状。
 強い日差しの下で長時間の労働や運動などで起こりやすい症状。
 大量の発汗による脱水症状と血管の拡張によって体全体の血液の循環運動が低下し、
 心臓から脳に血液を送る力が弱まるために一瞬に意識が飛ぶ症状(失神)が見られる。
 仮に意識がなくなっても多くの場合は一時的な症状であり早期回復が見込まれるが、
 失神時に脳を地面に打ちつけた場合や失神の原因が別の疾患にある可能性も考慮し、
 回復の有無に係わらず専門医での問診が推奨される。
 
 また、
 脱水症(に伴う失神)は夏の暑さによるものだけではなく、
 
*食中毒などによる激しい下痢や嘔吐。
 *病原体と免疫との攻防による発熱と発汗。
 *環境による必要量の食物摂取不足。
 *気温に関係なく長時間にわたる激しい運動や労働。
 の場合にも適合するため“この場合”も失神する可能性がある。
 
 特に、
 “夏の暑さ=冷えた飲食の嗜好”の関係から、
 下痢の症状は多くの方々にとって頻繁に見られると考えられ、
 下痢の症状が出たときには必ず暖かめの水分補給をするなど、
 熱中症予防のための体内水分量には細心の注意が必要とされる。

 【補足2:食物摂取の推進】

 報道では水分不足や塩分不足ばかりが指摘されるが、
 人間が口にする食物の殆どは水分である。
 体力消耗が甚だしい猛暑には食物摂取不足が心配。

 夏には豆腐、乾麺(ソーメン等)、トマト、スイカをよく口にする。
 ~特に果実や野菜は水分量が高いので体力保持にも推奨。

 豆腐やソーメンには生姜(しょうが)を添え、
 スイカやトマトには塩を振り掛ける方も多い。
 乾麺は保存食であり塩分量が豊富とされ、
 乾麺は煮炊きすると共に大量の水分を含み、
 生姜は身体を冷やす役割を果たすとされる。
 さらに、
 肉が豊富でなかった時代の鰻(うなぎ)の効用。
 ~鰻にはビタミンが豊富で疲労感や倦怠感をとる効果があるとされる。

 夏の熱中症予防に推奨される食欲の増進。
 料理には必ず水分や塩分等の栄養素が総て含まれており、
 余程医師に(高血圧等で)塩分摂取を止められていない限りは、
 汗をかいた分の塩分補給を怠らないための規則正しい食生活。

 高齢や病後のため食物を身体が受け付けない場合には、
 必ず病院に行って必要分の栄養を点滴で摂取すべし。
 栄養不足(バランスの悪い食生活)は夏バテの原因になるばかりでなく、
 体内水分量の保持の面からも熱中症になりやすいと感じる。

 文頭には、
 “ビールやコーヒーは利尿作用が高いために水分としてカウントしない”、
 と文字にしているものの、
 肉体労働者の経験談によると仕事で火照った身体に冷たいビールを飲めば、
 多量に汗をかくことにつながり必ず熱中症対策になるとの見解も耳にするし、
 何よりも(肉体労働者に限らず)適度のアルコールは食欲増進の効果も期待でき、
 ビールに塩分のきいた枝豆を食す習慣を夏の身体が求めている事は誰もが承知。
 ~ただし私の経験上から、
 暑い夏の夜に“ビールだけ”を飲みすぎると就寝時にノドの渇きや苦味を感じ、
 炎天下の屋外外活動時に糖分を多く含んだ清涼飲料水を大量に飲むと、
 口の中がカラカラ・ベタベタになり身体が水分を受け付けないので、
 そうした場合はノンカロリーの飲料水(水・麦茶・日本茶等)がお薦めと感じる。
 よって基本形としての、
 ノンカロリー飲料とバランスの取れた嗜好飲料の組み合わせが望ましい。

 *****

 2011年7月14日:早朝5時37分30秒(日本時間)。
 ワールドカップ・サッカー女子ドイツ大会:なでしこジャパンが見事決勝進出。
 45431人の大観衆の中、3-1で強豪スウェーデンを逆転で撃破した。
 暗いニュースが先行する2011年の日本に勇気を与える大殊勲。
 決勝戦は世界ランク4位の日本がランキング1位のアメリカと
対決。
 BS1では7月18日(海の日=祝日)早朝3時30分に放送の予定。
 頂点めざす日本人女子の頑張りが凄い!
 *追記:BS1での放送は午前3時からに変更。
 *地上波ではフジテレビ系列での放送が予定されている。
 *関連記事 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110717
 
 *****
 
 北陸地方では7月9日に梅雨明け。
 以後5日連続の真夏日も明日以後は北陸でも猛暑日の危険大。
 日本の南海上にある台風6号は今後猛烈な台風に発達し、
 西に移動することで湿った温かい南風によるフェーン現象も予感。
 さらに台風6号は日本への接近・上陸の可能性も高く進路を注視。
 全国的に15日~19日の5日間は猛暑日&熱中症の用心が必要。

 *****
 
 大相撲は昨日13日。
 大関:魁皇(38)が大横綱:千代の富士が持つ史上最多記録の通算1045勝に並ぶ。
 プレッシャーからか初日から3連敗の魁皇は変わり身から豊ノ島を力付くで突き落とす。
 今日7月14日(平成23年・名古屋場所5日目)。
 平幕の旭天鵬を相手に前人未到の新記録を目指す大一番には大注目。
 1046勝といわずに1100勝:40歳の土俵を目指し頑張れ魁皇!
 *追記:大関・魁皇が不滅の大記録である1046勝を7月14日に達成。

 <関連記事>
 *大相撲:魁皇が現役引退(2011年7月19日)
 魁皇は元横綱・千代の富士が持っていた初土俵から通算最多勝記録(1045)を更新。
 同記録を1047に伸ばしていたが慢性的な腰痛に加えて腰のしびれを訴え本来の相撲が取れず、
 10日目には琴欧洲に敗れ3勝7敗と黒星が先行し引退を決めた。

 ☆魁皇博之:本名・古賀博之。
 福岡県直方市出身:185センチ、164キロ。。
 15歳だった1988年春場所に後に横綱になった3代目若乃花、貴乃花、曙らとともに初土俵。
 1992年初場所で新十両に昇進し1993年夏場所で新入幕を果たした。
 2000年夏場所、小結で14勝を挙げて初優勝。
 同年7月の名古屋場所後に大関に昇進した。
 優勝5回、殊勲賞10回、敢闘賞5回。
 得意は左四つ、寄り、上手投げ。

 ☆魁皇の歴代1位記録◇
 ・通算勝ち星 1047勝
 ・幕内勝ち星  879勝
 ・幕内在位  107場所
 ・幕内出場  1444回
 ・大関在位  ※65場所
 平成23年名古屋場所10日目現在。
 ※はタイ記録
 (2011.7.19:Web毎日新聞・記事転載)

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節電の夏・梅雨明け・納豆の日・放射線・戦争・不安症候群・言葉。

2011-07-10 23:55:55 | mimifuku

 節電の夏
 mimi-fuku通信では節電の夏のテーマとして、
 7月、8月は自室ではビデオを除き電源は3つだけ。
 と決めた。

 現在差込口に差し込まれている電源は、
 パソコンとルーターと扇風機とビデオのみ。
 平素は音楽を聴きながらテレビ画面をつけてPCの前に座る。
 音楽を聴くということはアンプとプレーヤーやチューナーの電源を入れること。
 スイッチ6個が付いた個別差込口タップ2個が大活躍。
 調べてみると差込を必要としている電化製品が1部屋に17個。
 大容量の古いエアコンを除いてはタップやアンプに装備された差込みがフル回転。
 それで決意したことはこの夏は“ながら”は許さない。
 パソコンの画面を開いた時はテレビも見ないし音楽も聴かない。
 パソコンのバッテリーは外して使わない時は電源を切る。
 テレビを見る時は音声を外付けスピーカーに通さない。
 音楽を聴くときは集中して音楽のみを楽しむ。
 本を読む時は電気スタンドを1つと数える。
 エアコンは原則として使用しない。
 等など私の個室のみの対応だが決めたことは守ろう。

 と言うことでパソコンを開く時間を限定し、
 平日のブログ更新は基本的に短文1回とし、
 日曜日の夜を長文ブログ更新日とする。
 と決めた。

 と言うことで今夜の話題は?

 北陸地方は平年よりも4日遅く梅雨入り(6月16日)して、
 平年よりも15日も早く7月9日に梅雨明けした(梅雨計:23日)。
 平年では子供達が夏休みに入ったあとの梅雨明けと、
 15日過ぎには梅雨末期の大雨に不安がつのる時期の梅雨明け宣言。
 “嬉しいような悲しいような”は、
 節電の夏が叫ばれる中での早々の梅雨明けは長い夏の予感。
 ふ~っ、
 とひとつ溜息をついて夏本番を楽しむ覚悟。

 2011年7月10日
 7月10日は納豆の日なのだそうだ。
 なっとう=な+とう=7+10。
 単純な語呂合わせ。
 マイ・ナビゲーションが教えてくれた。
 
 今日も放射線(放射性物質から放たれるエネルギー)の話題を耳にした。
 福島県南相馬市から出荷された牛の肉から基準を超える放射性セシウムを検出。
 南相馬市から東京に出荷された11頭の牛肉の部位が国の基準を超えた。
 神経質と捉えるか瀬戸際で出荷制限したことで市場の肉は安全と捉えるか? 
 先日恒例の居酒屋会議で“静岡茶の命題”について問うた。
 荒茶:500ベクレルで出荷制限される静岡茶。
 400ベクレルでは出荷され、600ベクレルでは出荷されない。
 では質問。
 出荷された400ベクレルのお茶を1日に10杯(約2ℓ)飲む人と、
 出荷制限され廃棄処分にされた600ベクレルのお茶を朝に1杯(0.2ℓ)飲む人。
 どちらが放射性物質を多量に飲料するか?
 と同時に“静岡茶の命題”に照らし合せて“水道水の命題”を解くときに、
 あなたは何を感じるか?

 質問にたいする私の答えは、
 “神経質と捉えるか?出荷したことで安全と捉えるか?”
 は、
 “人によって判断が違う以上はその人の判断に委ねられるべきだ”
 となるが、
 *神経質な人は頑なに出荷制限される基準値のみに目を奪われ、
 *無頓着な人は国の安全基準に適合したものはゼロである
 と誤解してはいないか?
 と同時にバランスの良い食物摂取を心がけていれば、
 放射線基準値を超えた食料摂取をしたとしても、
 別段気にする必要はないとの考えは誤りと言えるか?
 私の答えは同時に読み手の方々への質問となるし、
 私は市場に出回る国内の生鮮食料品について、
 現時点に於いても何の疑いも持たない。
 *この先について断言するものではないが。

 先日東京に行った折に久しぶりに顧客企業の社長さんに会った。
 午後4時40分頃から定時を終えて6時20分頃まで話しただろうか?
 内容は当初は3.11の巨大地震の話から昭和16年~20年の戦争の話題に移った。
 昭和3年生まれの社長さんの経験は戦地には赴かなかったものの現代人には凄絶。
 しかし淡々とした口調で当時の状況を話してくださった。
 話は昭和19年12月の東南海地震の時に名古屋市の軍需工場で働いておられて、
 たまたまその日は映画館で映画を観ていて地震を体験。
 一時は外に出たが映画代金が惜しいと揺れがおさまり中に入ったら再び激しい揺れが。
 そうした話から、
 軍需工場を転々とし(昭和20年1月:三河地震の影響などもあったようだ)、
 最後は豊川の軍需工場で豊川空襲と遭遇。
 目の前をグラマンが何度も低空飛行し多くの人達を殺戮したという。
 *調べてみると1945年8月7日の豊川海軍工廠(こうしょう)への攻撃のようだ。 
 
 昭和3年に静岡県で生まれた社長が語る戦争体験と戦後の混乱期の逞しい商魂は、
 現代日本が抱える不安が如何に些細で取るに足らない問題かを痛感すると同時に、
 情報過多の時代の中に生まれる不安症候群の問題について考えなければと思う。
 *あくまでも大津波&原発被災地区の方々の話ではなく安全地域で暮らす人々の話。

 今夜のNHK:7時のニュースでは、
 ここ数年、
 精神疾患の患者が急増していることを受けて厚生労働省は、
 “がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病”の「4大疾病」に、
 “精神疾患”を加え「5大疾病」として重点的に対策を進めていくことを決めました。
 
厚生労働省は、
 がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病は患者数が多いことなどから、
 平成19年から「4大疾病」として重点的な対策に取り組んでいます。
 その後に精神疾患の患者が急増し、
 平成20年に行った調査では、
 *糖尿病の患者が237万人、
 *がん患者が152万人だったのに対し
 *精神疾患は323万人といずれも上回りました。
 また年間3万人を超える自殺者の、
 およそ9割は何らかの精神疾患にかかっていた可能性があと指摘されています。
 (NHKニュース:記事転載)

 平成20年(2008年)9月に起きたリーマン・ショック。
 職の安定や負債の返済に大きな衝撃を与えた不確実な社会。
 また、
 平成17年(2005年)頃に顕著化するWeb革命(検索の多様化)。
 その意味は、
 勤労=代価が常識だったこれまでの社会形態の崩壊と、
 答えを求め情報を求め自分の正義の確認に疲れ果てる文明人。
 先に文字にした、
 賢いようでいて点の視点に振り回される現代病(情報過多不安症候群)。

 “少しだけ電子情報から目を背けて年配者の経験談を聞け!”
 
 本日の自分自身に私が与えた時間が残り少なくなってきた。

 最後のテーマは言葉。 
 意味の説明はせず3つの金言を文字にする。
 今日の疑問に対する答えのヒント。
 それぞれがそれぞれに、
 何かを感じてくれれば、
 それで良い。

 「優しいだけじゃ人は救えないんだ。
 人の命を救いたきゃ、それなりの知識と医術を身につけな。
 腕がなけりゃ、誰一人救えないんだよ。」
 *漫画ワンピース:Dr.くれはがチョッパーに語った言葉。
  
 「(歌舞伎)役者が白粉(おしろい)使わぬわけにはいかないよ。
 死ぬかもしれないからと戦場に行かない武士は武士じゃないだろ。」
 *漫画JIN-仁-:澤村田之助(三代目)
が白粉の鉛中毒を怖れずに語るシーン。
 澤村田之助は実在した人物で重度のバージャー病(脱疽)を患い手足を切断しながらも、
 死ぬ間際まで舞台で演じ続けた伝説上の女形。

 「心配またよし」
 「好況よし、不況さらによし」
 *松下幸之助

 

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七夕の夜の独り言(2011年7月7日)。

2011-07-07 20:20:00 | 日記・雑記・独り言

 2011年7月7日:七夕の夜の石川県の天気は雨。
 では七夕っていつなの?
 の問いに伝統的な古典行事に従えば旧暦の7月7日は、
 2011年は8月6日(年によって違うらしい)。
 
 *大阪市立科学館:よくある質問とその答え(七夕)。
  http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/tanabata/tanabata.html

 節電の夏。
 7月と8月は週に1度。
 日曜日の夜だけブログを更新するつもりだった。
 その真意は7月10日(日曜日)の夜に文字にするが、
 今週はどうにも我慢ならないことが立て続けに続いた。

 今日の本題に入る前に以前にも文字に起こした、
 アメリカの著名投資家:ウォーレン・バフェットの新聞テスト
 我が社は潤沢な資金があるので多少の損失を出す余裕はあります。
 しかし評判を落とす余裕はありません。
 企業が評判を落とすことは“その企業にとって命取り”となりかねません。
 現代の社会では企業イメージを高めることが最も有効な宣伝となるのです。
 私の会社では経営陣に対して新聞テストと言う方法を採用しています。
 “自分がしたことが翌日の新聞に掲載されたとして、
 家族や他人が読んだ時に嫌な感じを与えないか”。
 という基準です。
 それにクリアーしない事は“してはならない”のです。
 身近な人が嫌だと感じることは多くの人にとって嫌だと感じると考えてみれば、
 答えは出るでしょう。
 他人が嫌だと思うことをすることは企業イメージを悪くすることとイコールなのです。
 逆に他人が良いと感じることは企業イメージを高めます。
 企業に対するイメージはその企業を認知してくれることと同じなんです。
 そして、
 そのことを“新聞テスト”において考えることで、
 企業の倫理性を保つことができるのです。

 当ブログでは何度も何度も繰り返し紹介したバフェットの金言をそのままに、
 今週に入って大人げない数々の不始末を起こされた方々にプレゼントします。
 今週に入り日本国内で起きた悪態・不祥事・内紛には誰もが呆れています。
 自分の言動が電波にのって国内に流れる事を承知でイメージを低下させた、
 政府関係者や企業トップの言動。

 少なくとも国を代表する立場の方々は、
 表面上だけでも賢く振舞ってください。
 育った環境や時代錯誤な思考の中で、
 賢く振舞う自信がなければ口を閉ざしてください。
 余りにも幼稚すぎて適切な言葉を失います。

 最後に菅首相に一言
 今週に入っての政府内・民主党内の混乱。
 
“もう限界です”
 一日も早くお辞めください。
 それはあなたの名誉を守るためにも必要と感じます。
 でないと、
 貴方の大好きな“後世”に最大の汚点を残すことは確実です。

 ご苦労様でした。
 

 

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『BSプレミアムシアター:バレエ&ダンス特集(2011年7月/5週連続)』

2011-07-02 23:30:06 | オペラ・バレエ・舞台


 BSプレミアムシアター:バレエ&ダンス特集

 Ⅰ:アンジュラン・プレルジョカージュ振付
  パリ・オペラ座バレエ団公演
  バレエ「シッダールタ」
 Ⅱ:モンペリエ・ダンス・フェスティバル2010
 ~2011年7月2日(土)午後11時30分~午前2時55分

 Ⅲ:パリ・オペラ座バレエ公演
  *「ドガの小さな踊り子」
  *「ランデヴー」
 Ⅳ:ピナ・バウシュ振付:パリ・オペラ座公演
  *バレエ「オルフェウスとエウリディケ」
 ~2011年7月9日(土)午後11時30分~午前3時40分

 Ⅴ:モーリス・ベジャール・バレエ団公演
  *バレエ「アリア」
  *バレエ「80分間世界一周」
 Ⅵ:モンテカルロ・バレエ公演
  *バレエ「ダフニスとクロエ」&「シェエラザード」
 ~2011年7月16日(土)午後11時30分~午前3時30分

 Ⅶ:ジョン・ノイマイヤー振付
 サンフランシスコ・バレエ&パリ・オペラ座公演
  *バレエ「人魚姫」
  *バレエ「椿姫」
 ~2011年7月23日(土)午後11時30分~午前4時

 Ⅷ:アメリカン・バレエ・シアター日本公演2011
  *バレエ「ドン・キホーテ」
 Ⅸ:サンクトペテルブルク白夜祭2008
  *バレエ「火の鳥」「結婚」「春の祭典」
 ~2011年7月30日(土)午後11時30分~午前3時30分

 <mimifukuから一言>

 BSプレミアムでは定番となったバレエの世界。
 今回の特集はオーソドックスで古典的な名作バレエとは違う、
 豊かな表現力が試される創作バレエ&新作バレエに期待大。
 しかし最注目は、
 第5週(7月30日)アメリカン・バレエシアターのプリマとして来日する、
 加治屋百合子さんの凱旋公演は“まだ先”の7月23日の舞台映像。
 ミンクスの代表作“ドンキホーテ”は高さが要求される華の多い演目。
 同じく、
 第5週の白夜祭は数回目の再放送ながらゲルギエフの“春の祭典”
は、
 原点回帰のニジンスキーの原始的集団舞踏が異色の出来栄え。
 *春の祭典 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20091224 

 バレエが苦手な方には耳にする音楽だけでも楽しい演目も多く、
 逆にクラシックが苦手な方でも、
 総べてのダンスの基本となる肉体表現の美と躍動。
 鍛え抜かれたダンサー達の驚異の身体能力や、
 溜息の出るようなプロポーションにもご注目してください。

 個人的な興味は、
 第3週(7月16日):モーリス・ベジャール・バレエ団の音楽チョイス。
 洒落の効いたタイトル『80分間世界一周』&『アリア』
 同じく第5週に放送される吹奏楽ファンに必見は御馴染の、
 『ダフニスとクロエ』や『シェエラザード』

 気楽な気分でご覧ください。

  ~下記NHKホームページより記事転載。

 バレエ:「シッダールタ」(Ⅰ)

 <内容>
 アンジュラン・プレルジョカージュはヌーベル・ダンスの最前線を走ってきた振付家。
 「クラシック・バレエの持つ物語性とアメリカン・ダンスの抽象性とを吸収し、
 その“最も豊かな真ん中”で作品を作る」と評される。
 現代バレエとモダンダンスの振付家の中でもっとも挑戦的かつ野心的とも言われるが、
 その作品は精度の高い堅牢なもの。
 パリ・オペラ座バレエ団に振り付け、
 シャカの生涯を描いた今回の新作「シッダールタ」は2010年3月~4月に上演され、
 大きな評判を呼んだ。
 パリ・オペラ座の若手フランス人作曲家:ブリュノ・モントヴァーニ。
 そして現代美術作家:クロード・レヴェックとのコラボレーションも見所のひとつ。

 振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
 出演:ニコラ・ル・リッシュ、オーレリ・デュポン、
 パリ・オペラ座バレエ団

 収録:2010年4月 
 パリ・オペラ座バスチーユ

 *モンペリエ・ダンス・フェスティバル2010(Ⅱ)

 2010年6月。
 30周年を迎えた現代舞踊の祭典:モンペリエ・ダンス・フェスティバルが、
 世界的なカンパニーを招いて開催した記念公演の舞台。
 20世紀初頭以来の現代舞踊の新しい潮流は、
 この30年の間にコンテンポラリー・ダンスと称され、
 その主導権をアメリカからヨーロッパに移し一段と早いテンポで変貌を遂げてきた。
 その変容を現代舞踊の先進国フランスの一地点から俯瞰するという意味で、
 注目されるフェスティバルから3人の振付家の新旧の作品をピックアップしてお届けする。

 1)「リフラクション」
 振付:アロンゾ・キング 
 音楽:ジェイソン・モラン 
 出演:アロンゾ・キング・ラインズ・バレエ団

 2)「グノーシス」   
 振付:アクラム・カーン、ガウリ・シャルマ・トリパティ
 出演:アクラム・カーン 砂畑好江(鼓童)

 3)「ロアラトリオ」  
 振付:マース・カニングハム 
 音楽:ジョン・ケージ 
 出演:マース・カニングハム舞踊団


 *パリ・オペラ座バレエ公演(Ⅲa)
 バレエ「ドガの小さな踊り子」

 音楽:ドゥニ・ルヴァイヤン
 出演:クリールマリ・オスタ
   :エリザベット・モーラン
   :ドロテ・ジルベール
   :マチュー・ガニオ
    ほか

 パリ・オペラ座バレエ団
 振付:パトリス・バール

 収録:2010年
 パリ・オペラ座ガルニエ宮


 *パリ・オペラ座バレエ公演(Ⅲb)
 バレエ「ランデヴー」

 音楽:ジョセフ・コスマ
 出演:ニコラ・ル・リッシュ
   :イサベル・シアラヴォラ
 
 パリ・オペラ座バレエ団
 振付:ローラン・プティ

 収録:2010年10月
 パリ・オペラ座 ガルニエ宮


 *ピナ・バウシュ振付:パリ・オペラ座バレエ公演(Ⅳ)
 バレエ「オルフェウスとエウリディケ」(グルック)

 <出演>
 ヤン・ブリダール(ダンサー)、マリア・リッカルダ・ウェッセリング(メゾ・ソプラノ)
 マリ・アニエス・ジロ(ダンサー)、ユリア・クライター(ソプラノ)
 ミテキ・クドー(ダンサー)、イム・ソンヘ(ソプラノ)

 パリ・オペラ座バレエ団
 バルタザール・ノイマン合唱団
 バルタザール・ノイマン・アンサンブル

 指揮:トーマス・ヘンゲルブロック
 美術・照明:ロルフ・ボルツィク
 演出・振付:ピナ・バウシュ

 収録:2008年
 パリ・オペラ座 ガルニエ宮


 *モーリス・ベジャール・バレエ団公演(Ⅴa)
 バレエ「アリア」

 振付・舞台:ジル・ロマン

 <出演>
 (男)フリオ・アロザレーナ
 (もう一人の男)ジュリアン・ファブロー
 (アリアーヌ)エリザベット・ロス、カトリーヌ・ズアナバール、ダリア・イワノワ
 (若い娘)ダフニ・モイアッシ
 (闘牛士)シャルル・フェルー

 <音楽>
 バッハ「ゴールドベルク変奏曲」
 ナイン・インチ・ネイルズ「Eraser」
 Melponen/Melonai
 イヌイットの歌から抜粋

 <衣装>
 アンリ・ダヴィラ
 <照明>
 ドミニク・ロマン

 収録:2009年12月20日
 ローザンヌ・ボーリュ劇場

 *モーリス・ベジャール・バレエ団公演(Ⅴb)
 バレエ「80分間世界一周」

 <出演>
 ジル・ロマン、エティエンヌ・ファヴロー、エリザベット・ロス
 カトリーヌ・ズアナバール、ダヴィッド・クピンスキー、那須野圭右
 ほか

 <音楽>
 伝統音楽
 ワーグナー
 ストラヴィンスキー
 テオドラキスほか

 <オリジナル音楽・演奏>
 イリア・シュコルニク
 ティエリ・オシュタテール
 ジャン・ブリュノ・メイエ

 <振付>
 モーリス・ベジャール

 <衣装>
 アンリ・ダヴィラ

 <照明>
 ドミニク・ロマン
 デニス・フォカール

 <芸術監督>
 ジル・ロマン

 収録:2008年2月
 パレ・デ・スポール(フランス)


 *モンテカルロ・バレエ公演(Ⅵ) 
 バレエ「ダフニスとクロエ」

 <出演>
 (クロエ)アンハラ・バジェステロス
 (ダフニス)ジェローン・ヴェルブルジャン
 (リュセイオン)ベルニス・コピエテルス
 (ドルコン)クリス・ローラント

 <音楽>ラヴェル
 <美術>エルネスト・ピニョン・エルネスト
 <衣装>ジェローム・カプラン
 <照明>ドミニク・ドゥリヨ
 <振付>ジャン・クリストフ・マイヨー

 収録:2010年11月6日
 モンテカルロ歌劇場(モナコ)

 バレエ「シェエラザード」

 <出演>
 (ゾベイダ)ベルニス・コピエテルス
 (シャリアール王)ジェローム・マルシャン
 (王の弟)レアルト・デュラク
 (宦官長)オリヴィエ・ルセア
 (金の奴隷)アレクシス・オリヴェイラ、ジェオルジェ・オリヴェイラ
 (奴隷)ステファン・ボルゴン、ジェローン・ヴェルブルジャン
     クリス・ローラント、アシエ・ウリアゼレカ
 (宮殿の女たち)小池ミモザ、エロディ・プナ、キャロリン・ローズ

 <音楽>リムスキー・コルサコフ
 <美術>レオン・バクスト、ジェローム・カプラン
 <照明>ドミニク・ドゥリヨ
 <振付>ジャン・クリストフ・マイヨー

 収録:2010年11月10日
 モンテカルロ歌劇場(モナコ)

 
 *ジョン・ノイマイヤー振付
 サンフランシスコ・バレエ公演(Ⅶa)
 バレエ「人魚姫」

 <音楽>
 レーラ・アウエルバッハ
 
 <出演>
 ヤンヤン・タン、ロイド・リギンス、
 ティート・ヘリメッツ、サラ・ヴァン・パタン

 サンフランシスコ・バレエ団
 振付:ジョン・ノイマイヤー

 収録:2011年4-5月予定
 ウォー・メモリアル・オペラハウス(サンフランシスコ)

 ジョン・ノイマイヤー振付
 パリ・オペラ座バレエ公演(Ⅶb)
 バレエ「椿姫」

 <出演>
 マルグリット : アニエス・ルテステュ
 アルマン : ステファン・ビュヨン
 ムッシュー・デュヴァル : ミカエル・ドナール
 マノン : デルフィーヌ・ムッサン
 デ・グリュー : ホセ・マルティネス
 プリュダンス : ドロテ・ジルベール
 オリンピア : エヴ・グリンツテイン
 ガストン : カール・パケット
 公爵 : ローラン・ノヴィ
 ナニーヌ : ベアトリス・マルテル
 伯爵 : シモン・ヴァラストロ

 バレエ : パリ・オペラ座バレエ団
 ピアノ : エマニュエル・ストロッセル
 〃 : フレデリック・ヴァイセ・クニッテル
 管弦楽 : パリ・オペラ座管弦楽団
 指 揮 : ミヒャエル・シュミッツドルフ

 音楽 : フレデリック・ショパン
 美術 : ユルゲン・ローゼ
 照明 : ロルフ・ワルター
 振付・演出 : ジョン・ノイマイヤー

 収録:2008年7月2,5日
 パリ・オペラ座

 *アメリカン・バレエ・シアター日本公演2011(Ⅷ)
 バレエ「ドン・キホーテ」(ミンクス)

 <出演>
 加治屋百合子、ダニール・シムキンほか
 アメリカン・バレエ・シアター

 <原振付>
 マリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴールスキー

 <振付>
 ケヴィン・マッケンジー、スーザン・ジョーンズ

 収録:2011年7月23日(予定)
 東京文化会館


 *サンクトペテルブルク白夜祭2008(Ⅸ)
 バレエ「火の鳥」「結婚」「春の祭典」

 サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の白夜祭から、
 ゲルギエフの指揮でストラヴィンスキーのバレエ作品を放送する。
 今回の演目はストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」「結婚」そして「春の祭典」。
 ゲルギエフは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽を非常に得意としており、
 オーケストラコンサートでも「春の祭典」や「火の鳥」をさかんに取り上げ、
 独自の解釈による圧倒的な演奏で聴衆を熱狂させている。
 今回収録するのはオーケストラコンサートではなく、
 ニジンスキーらの振り付けによるバレエの舞台で、
 ストラヴィンスキーの新しいスタンダードを予感させる公演である。

 <演目>
 バレエ「火の鳥」(ストラヴィンスキー)
 振付:ミハイル・フォーキン
 バレエ「結婚」(ストラヴィンスキー)
 振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ
 バレエ「春の祭典」(ストラヴィンスキー)
 振付:ヴァーツラフ・ニジンスキー

 <出演>
 マリインスキー劇場バレエ団 
 マリインスキー劇場管弦楽団
 指揮:ワレリー・ゲルギエフ

 収録:2008年6月
 サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場

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