mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

今日は昭和の日(4月29日)=内容とはあまり関係がないけど。

2011-04-29 23:15:00 | 日記・雑記・独り言

 今夜は母方の親戚のお通夜に参列。
 今月は3件の葬儀と2件のお見舞い。
 平素付き合いの深い方ばかりで、
 我が家としては大きな出費となった。
 
 それは良いのだけど、
 3件のお葬式の形は多様で、
 1件目は家族葬を後に知り香典だけを渡す形になった。
 2件目は比較的平均的な家庭の形式的な葬儀。
 3件目(今夜)の通夜は盛大な形で参列者が会場内に入りきれず外に溢れた。

 1件目と3件目は衰弱していた事や高齢もあり涙のないお葬式なら、
 2件目は2日前までバリバリ仕事をしていた現役の突然死は悲痛だった。

 人の死を経験する時に必要な心の準備。
 突然死(急性疾患、事故、災害、自殺)は残された者に後悔が生じる。

 今夜のお通夜で象徴的だったのは故人が亡くなる前に、
 
“明るく盛大にやってくれ”
 との遺言が親族代表の挨拶で紹介された。

 遺言を従うように家族には笑顔も見られた大往生。
 若い時代には苦労に苦労を重ねた故人の死に、
 家族の誰もが悲しくないわけがないが
 こんな幸せな形の葬儀もあるのかとも感じた。

 今日は昭和の日。

 今日亡くなった方は外地で抑留されたと聞いている。
 戦争を語ることができる人がまた一人亡くなった。
 戦争の風化は日々進んでいる。

 平成を生きる日本人の多くがフクシマを経験する事で、
 放射性物質の飛散の(見えない)恐怖を体験した。
 それは平安な日々に突然起きた戦時の疑似体験であり、
 福島県民は現実問題として放射線の恐怖を背負わされた。
 では、
 空襲の恐怖とは如何なるものだったのか?
 戦地に赴く恐怖とは如何なるものだったのか?
 言論も行動も総てが監視される恐怖とは如何なるものか?
 その恐怖を語る人々が日々亡くなることの無念を思う。

 今日は昭和の日。

 決して風化してはならなことがある。
 ヒロシマやフクシマだけではない、
 本当の恐怖と狂気。
 
 3.11以後。
 私達が震災にのみ注目してる間も、
 世界は大きく大きく動いている。

 少しだけ、
 中東~アフリカに目を向けると、
 殺伐とした恐怖と狂気の交錯。

 決して風化してならない過去の事象が、
 現実問題として今世界を震撼させている。

 いったいどうしたものだろう。
 

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【平成の大地震と貞観(平安時代)の大地震】:地震史に学ぶ(その1)。

2011-04-28 21:55:00 | 地震・津波・震災

 いつ、どの段階(時点)で何を文字にするか?
 東日本大震災からまだ50日足らずで文字にすべき事。
 悩みながらも少しだけ未来予測を過去の事象から文字にする。
 先ずは昨日に発表されたニュースから。

 【震災を検証 防災対策見直】

 国の防災対策を審議する中央防災会議が東日本大震災のあと初めて開かれ、
 想定をはるかに超えた今回の巨大地震と大津波による甚大な被害を検証し、
 地震と津波の防災対策を抜本的に見直していくことになりました。
 総理大臣官邸で開かれた中央防災会議には菅総理大臣をはじめ閣僚や、
 防災関係機関の代表、学識経験者などが出席し、
 初めに菅総理大臣が、
 「今回の大震災は想定をはるかに超えた大きさでこうした大災害に対し、
 十分な備えがあったかしっかり検証して今後の防災対策を大きく見直す必要がある」
 と述べました。
 続いて会議の委員を務める東京大学の阿部勝征名誉教授が、
 今回の地震と津波は5年前に国がまとめた被害想定をはるかに超えていたことや、
 自治体などが作成したハザードマップで津波の被害が想定されていなかった地域にも、
 被害が広がっていることなどを説明しました。
 会議では今回の大震災を検証し地震や津波の防災対策を抜本的に見直すため、
 学識経験者による新たに専門調査会を設けることを決めました。
 専門調査会は被害想定の新たな手法や想定を超える災害への備え方などについて、
 検討し半年後をめどに報告をまとめることにしています。
 これを受けて国は防災対策の方針をまとめた「防災基本計画」を見直し、
 将来、
 “東海地震と東南海・南海地震が連動して起きた場合”
 の対策なども検討していくことにしています。
 (NHKニュース:4月27日記事転載) 

 別段大きなニュースではない。
 注目すべき東日本大震災を経験して、
 東海~南海地震都市部を襲う大地震の見直しに言及した事。
 ならば東日本大震災と似ていると指摘され注目される、
 貞観(じょうがん)11年(869年)の三陸沖地震の時代
 について調べてみると地震の規模だけでなく、
 “巨大地震にたどる足跡(過程)”も似ている事に気付くはずだ。

 <資料:貞観(平安初期)の三陸沖地震時代の地震>

 
承和 6年(839
年)ハレー彗星出現・岩手県では地震が多発。
 ~京都では838年10月に出現、天文学上の最接近は837年。
 
嘉祥 3年(850年)山形・秋田県:M7.0(830年にも甚大な地震被害)
 斉衡 2年(855年)奈良・東大寺大仏の頭が地震で落ちる
 斉衡 3年(856年)京都府で地震が頻発:M6.0~6.5 推定
 貞観 5年(863年)新潟県~富山県で地震:M不明 
 貞観 6年(864年)△富士山で大噴火
 貞観10年(868年)兵庫県・山崎断層周辺の地震:M7.0 推定
 貞観11年(869年)三陸沖地震:M8.3 推定
 貞観13年(871年)△山形・秋田県:鳥海山で噴火
 元慶 2年(878年)関東地震:M7.4 推定
 元慶 4年(880年)出雲地震:M7.4 推定
 仁和元年(886年)△新島で噴火
 仁和 3年(887年)南海・東海大地震:M8.0~8.5 推定
 ~おそらく蝦夷(北海道東西境界域)でも大地震が多発したと思われる。

 <資料:平成の東日本大震災近辺の地震>

 昭和58年 (1983年)日本海中部地震(秋田県):M7.7
 ~余談だが1986年にハレー彗星が再接近(地震とは関係ない)。
 平成 3年 (1991年)△雲仙普賢岳で噴火
 平成 7年 (1995年)淡路阪神大震災(兵庫県):M7.3
 平成12年(2000年)△有珠山で噴火
 平成12年(2000年)△三宅島で噴火
 平成16年(2004年)新潟県中越地震:M6.8
 平成16年(2004年)△浅間山で噴火
 平成19年(2007年)新潟県中越沖地震:M6.8
 平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震:M7.2
 平成21年(2009年)駿河湾(静岡県):M6.5
 平成23年(2011年)△霧島連山新燃岳で噴火
 平成23年(2011年)東日本大震災:M9.0
 
*平成23年(2011年) 新潟県中越・長野県北部:M6.7
 *平成23年(2011年) 秋田県沖:M6.4
 *平成23年(2011年) 静岡県東部:M6.4
 *平成23年(2011年) 宮城沖:M7.1
 *平成23年(2011年) 福島県浜通り:M7.0

 上記の資料は、
 ・理科年表(平成23年度版)丸善
 ・日本全史(ジャパンクロニック)講談社
 ・地震・津波と火山の事典(丸善)
 ・安川旭著:地震の日本史(中公新書)
 ・伊藤和明著:地震と噴火の日本史(岩波新書)
 
を参考に独自で編集(現代の地名)した。

 上記の資料は、
 数字が並ぶことで比較が困難にならないように私が注目した、
 “3つの共通点=秋田・新潟・三陸沖”を年代に沿って指摘。

 <平安時代初期>
  0年:嘉祥 3年(850年)山形・秋田県:M7.0推定(日本海地震の可能性大)
  ~理科年表には最上川の岸崩れ海水は国府から6里(約24km)との記載あり。
 13年後:貞観 5年(863年)新潟県~富山県地震=直下型:M不明
 19年後:貞観11年(869年)三陸沖地震(岩手~福島沖):M8.3推定
 
 <昭和末期~平成>
  0年:昭和58年 (1983年)日本海中部地震(秋田県沖):M7.7
 21年後:平成16年(2004年)新潟県中越地震=直下型:M6.8
 28年後:平成23年(2011年)東日本大震災(岩手~茨城沖):M9.0

 細かい事を“ここ”では述べない。
 あくまでも、
 個人が作成した資料としてご覧いただければと願う。

 平安時代初期。
 850年~890年までの40年間に起きた出来事は、
 貞観の三陸沖地震(869年)の、
 9年後に関東地方(相模・武蔵野)を襲うM7.4の大地震。
 さらに、
 18年後に東海~南海地方をM8~M8.5の連動型巨大地震が襲い、
 貞観:三陸沖地震の前後には富士山や鳥海山も噴火している。
 *他にも元禄~宝永、安政、昭和20年前後にも地震多発時代が存在。

 理解して欲しい事は過去の時代の中には、
 現在我国で起きている事態よりも更に深刻な時代が、
 日本史上には多々存在する事であり、
 今後(我国で)何が起きてもそれは、
 
自然の摂理(神の意志)ではなく、
 物理的理由(自然運動)に過ぎない。

 この場で述べたい事は、
 今後何が起きるかは誰にも分からないが(予測する事はできても)、
 それは必ずしも目の前に迫っているからと恐怖心を煽ることなく、
 必ず将来起きる事態(地震史の事象)への準備をすべきだとの進言。

 幸福を得るために必要な“未来予測”と入念な事前準備。
 少しずつだがそんな事も文字にしていきたい。


 <関連記事>
 独り言:“東日本大震災(巨大地震)と北米プレート”の関連を考える
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110410


 <資料Ⅰ:日本の国内・領海内で記録したM8以上の巨大地震>

 ★印、☆印は東北・太平洋沖のプレート境界大地震。
 ●印は
東海、○印は東南海、南海、◎印は連動で起きた大地震
  ~資料に記載されるM(マグニチュード)は推定値です。

  684年11月29日:南海・東海地震(M8.25:天武)◎
  869年 7月13日:三陸沖地震(M8.3:貞観)★
  887年 8月26日:南海・東海地震(M8.0~8.5:仁和)◎

 1096年12月17日:東海地震(M8.0~8.5:永長)●
 1099年 2月22日:南海地震(M8.0~8.3:康和)○
 1361年 8月 3日:南海地震(M8.25~8.5:正平)○
 1498年 9月20日:東海地震(M8.2~8.4:明応)●

 1611年12月 2日:三陸沖地震(M8.1:慶長)★
 1677年11月 4日:房総沖地震(M8.0:延宝)

 1703年12月31日:相模トラフ(M7.9~8.2:元禄)
 1707年10月28日:東海・南海地震(M8.6:宝永)◎
 1793年 2月17日:仙台沖地震(M8.0~8.4:寛政)★

 1854年12月23日:東海地震(M8.4:安政)●
 1854年12月24日:南海地震(M8.4:安政)○
 1891年10月28日:濃尾地震(M8.0:明治24年)直下型
 1896年 6月15日:三陸沖地震(M8.25:明治29年)★

 1911年 6月15日:奄美周辺(M8.0:明治44年)
 1923年 9月 1日:関東大震災(M7.9:大正12年)*参考・未曾有の災害
 1933年 3月 3日:三陸沖地震(M8.1:昭和8年)★
 1944年12月 7日:東南海地震(M7.9:昭和19年)○
 1946年12月21日:南海地震(M8.0:昭和21年)○
 1952年 3月 4日:十勝沖地震(M8.2:昭和27年)☆
 1960年 5月23日:チリ沖地震*参考・太平洋側で大津波
 1994年10月 4日:北海道東方沖地震(M8.2:平成6年)☆
 1995年 1月17日:阪神淡路大震災(M7.3:平成7年)*参考・直下型

 2003年 9月26日:根室沖地震(M8.0:平成15年)☆ 
 2011年 3月11日:三陸沖地震(M8.8:平成23年)★


 <資料Ⅱ:北米プレート境界で起きたと考えられる大地震>

 *昭和53年(1978年) 6月12日:M7.4 宮城県沖地震(太平洋)
 *昭和58年(1983年) 5月26日:M7.7 日本海中部地震(日本海)=大津波を併発

 *平成  5年(1993年) 1月15日:M7.8 釧路沖地震(太平洋)
 *平成  5年(1993年) 7月12日:M7.8 北海道南西沖地震(日本海)=大津波を併発
 *平成 6年(1994年)10月 4日:M8.2 北海道東方沖地震(太平洋)=津波を併発
 *平成 6年(1994年)12月28日:M7.6 三陸はるか沖地震(太平洋)
 *平成12年(2000年) 1月28日:M7.0 根室半島南東沖地震(太平洋)
 *平成13年(2001年) 8月14日:M6.4 青森県東方沖地震(太平洋)
 *平成15年(2003年) 9月26日:M8.0 十勝沖地震(太平洋)=津波を併発
 *平成16年(2004年)10月23日:M6.8 新潟県中越地震(日本海側内陸)
 *平成17年(2005年) 8月16日:M7.2 宮城県沖地震(太平洋)
 *平成19年(2007年) 7月16日:M6.8 新潟県上中越沖地震(日本海)
 *平成20年(2008年) 5月 8日:M7.0 茨城県沖地震(太平洋)

 *平成23年(2011年) 3月11日:M9.0東北地方太平洋沖地震(太平洋)
 *平成23年(2011年) 3月12日:M6.7新潟県中越・長野県北部(日本海側内陸)
 *平成23年(2011年) 3月12日:M6.4秋田県沖(日本海)
 *平成23年(2011年) 3月15日:M6.4静岡県東部(太平洋側内陸)
 *平成23年(2011年) 4
月 7日:M7.1宮城沖(太平洋)
 *平成23年(2011年) 4月11日:M7.0福島県浜通り(太平洋側内陸)


 <資料Ⅲ:東日本で起きた過去10年以内の震度6以上の地震>

 平成15年(2003年) 5月26日 M7.1 宮城県沖:震度6弱 
 平成15年(2003年) 7月26日 M6.4 宮城県北部〔宮城県中部〕:震度6強 
 平成15年(2003年) 9月26日 M8.0 釧路沖〔十勝沖〕:震度6弱
 平成16年(2004年)10月23日 M6.8 新潟県中越地震:震度7   
 平成17年(2005年) 8月16日 M7.2 宮城県沖:震度6弱
 平成19年(2007年) 7月16日 M6.8 新潟県中越沖地震:震度6強
 平成20年(2008年) 6月14日 M7.2 岩手・宮城内陸地震:震度6強 
 平成20年(2008年) 7月24日 M6.8 岩手県沿岸北部:震度6弱 
 平成21年(2009年) 8月11日 M6.5 駿河湾:震度6弱
 平成23年(2011年) 3月11日:M9.0東北地方太平洋沖地震


 <資料Ⅳ:西日本で起きた過去10年以内の震度6以上の地震>

 平成12年(2000年)10月 6日 M7.3 鳥取県西部地震:震度6強 
 平成13年(2001年) 3月24日 M6.7 安芸灘芸予地震:震度6弱  
 平成17年(2005年) 3月20日 M7.0 福岡県西方沖〔福岡県北西沖〕:震度6弱 
 平成19年(2007年) 3月25日 M6.9 能登半島地震:震度6強

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このブログの事&田中好子(キャンディーズ)さんの葬儀と遺言。

2011-04-25 22:00:00 | 芸能・スポーツ

 3月11日以後。
 当ブログでは集中的に東日本大震災について文字にしてきた。
 特に最初の10日間は目の下にクマができながらも、
 さらに言えば体重を2kg落としながらも、
 自分なりの思いを文字に変えた。

 3月11日以前からブログにお越しくださっている方には、
 何を綴っているのか理解できない方も多いのではないかと思う。
 ~2年以上読んでいてくださっている常連の読み手の方は別として。
 今日は少しだけ気分を変えて3月11日以前の感じで文書を進める。


 2011年4月25日。
 元キャンディーズ(アイドルグループ)出身で、
 女優の田中好子(スー)さんの葬儀・告別式が行われた。
 私としては本当に久しぶりに、
 午前8時・正午・午後2時のワイドショーを留守番録画した。
 ワイドショーの留守録は、
 忌野清志郎さん、三沢光晴さん、マイケル・ジャクソンさん
 と自分が好きだった著名人の死去の時に以来だ。
 でも、
 それほどキャンディーズのファンだっけ?
 と思い起こすと、
 自分がファンと言うよりは、
 友人に熱狂的なファンが多かった。

 そう言えば前の家の私の部屋には、
 キャンディーズの大ファンから譲って貰った、
 自作特大パネルが飾ってあった。
 ~別のコアなファンが目を付けて“1万円で売ってくれ”と言われたので、
 譲ってくれた友人にイイ?と確認・了解をとった上でタダであげたと記憶。
 
CDはベスト盤を1枚持っている程度で、
 ファンと言えるか言えないか?

 友人にはファン・クラブに入っている者が2~3人いて、
 金沢で行われたコンサートの話などを聞かされた。
 コンサートなのかファンの集いなのか握手会があり、
 握手してもらったと手袋をしてきたのにはアングリ。

 当時の私の月のお小遣いが約2~3000円の時代に、
 彼らの浪費ぶりは羨ましいような馬鹿げているような。
 でも、
 自営業の家庭では家庭内アルバイトもあって、
 1万円、2万円は自由になっていたようだ。
 ~高校生にもなれば誰もがバイトしたけど。

 夜7時のNHKニュース。
 田中好子
さんが3月29日に録音した肉声テープが流された。
 聞くからに苦しげな口調で語れらる感謝の気持ち(下記に全文)。
 そして死を目の前にしながらも、
 東日本大震災の被災者への哀悼の意を示す強い心は、
 必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
 それが私の勤めと思っています
 に心が震えないものはいないと思う。
 ~本当に3.11以後は誰もが涙もろくなっている。

 このブログでは何度も紹介しているが、
 病床の作詞家:岩谷時子さん(当時89歳)が、
 病床の歌手:本田美奈子さんに語った、
 あなたも私も、
 これから頑張って生きていかなければならない宿命を持っていると思うのね。
 だから力を合わせて何とか幸せに周囲も幸せになるように頑張りましょうね。
 にも通じる、
 著名人(セレブリティ)としての宿命は、
 周囲の幸せばかりか死後の世界の幸福までに思いを寄せる。

 セレブの言葉に秘められた責任(使命・宿命)を思うときに、
 世間の先頭に立つべき姿勢を強く感じた。
 ~成金をセレブと勘違いする輩の多いことには辟易する。

 周囲も幸せにするための責任のある行動と意識。
 私達凡人には思いもよらぬ強い心を持っている。

 話し変わって、
 昨晩BSジャパン(衛星7ch)で、
 尾崎豊さんの半生を綴ったドラマ『風の少年』が、
 成宮寛貴さんの主演で放送された。
 ~放送中の頻繁な地震情報に東北地方の現状を知る。

 当番組はテレビ東京(地上波)で放送されたもので、
 独りのロック歌手を題材にしたTVドラマは、
 2002年テレビ朝日で矢沢永吉さんの著書『成りあがり』を、
 松岡昌宏さん主演で制作されて以来だと思う。

 尾崎豊さんが亡くなって今年で20年。
 実は今日4月25日が、
 尾崎豊さん20年目の命日にあたる。
 ~明日4月26日はチェルノブイリ原発事故から26年目。

 番組情報としては、
 *NHK-FM
 
『今日は一日“尾崎豊”三昧』
 ~2011年5月5日(木・祝)午後0時15分〜10時45分(中断あり)

 
 2011年4月25日。
 遅い桜の花が葉桜になった春本番のはずのその日に、
 石川県加賀地方の一部では雹(ひょう)が降った。
 ~真っ黒な低い雲は雷をともなって1cm程度の氷の塊。
 午後には関東地方では竜巻も発生。
 不安定な自然現象には居心地の悪さを感じる。

 海の向こうでは過去に日本でも話題になった、
 サイババ氏が亡くなったとの報道。
 人は神にはなれないし、
 神が人の身体を借りて言葉を発するなどあり得ない。
 でも、
 信仰する心を否定してしまえば人の心は荒む。
 利用されてはならないものが信仰なら、
 人の心を癒す手段としての信仰を失ってはならない。
 ~人が心の拠り所とする信仰と人が創り出した宗教は異なる。

 2011年は、
 人の死を考える年になると同時に、
 人の生を考える年にもなるだろう。

 キャンディーズが解散した1978年4月4日。
 今の便利と比較すれば不便な時代ではあろうが、
 今よりも“ず~っと楽しかった”と振り返る理由は、
 決して(学生時代の)若さだけではないだろう。
 人の生を考える上での人が人を必要とした時代。
 1978年の日本は人と人の繫がりが今よりも顕著だった。
 それが不便な時代の証(あかし)なのかもしれない。
 
 
 mimi-fuku通信らしく、
 忌野清志郎さんの特集番組(再放送)の情報を少し。
 ~祝日の1日に一挙放送。
 
 NHK-BSプレミアム
 熱中スタジアム「忌野清志郎」(前編)(再)
  ~2011年4月29日(金)午前11:40~午後0:24  

 熱中スタジアム「忌野清志郎」(後編)(再)
  ~2011年4月29日(金)午後0:24~1:08  

 忌野清志郎が描いた500枚の絵画~(再)
  ~2011年4月29日(金)午後1:08~3:07  

 忌野清志郎、ゴッホを見に行く(再)
  ~2011年4月29日(金)午後3:07~3:31  


 そして今夜から、
 巨大地震のため放送が延期になっていた、
 *NHKアニメ:もしドラ(全10回シリーズ)
 の放送を開始。

 また現在BSプレミアムでは、
 美術ファン垂涎の必見番組は4夜連続。
 『シリーズ:若冲ミラクルワールド』
 ~現在視聴中の細密細緻な超絶映像描写。

  <色と光の魔術師~“奇跡の黄金”の秘密に迫る~> 
  ~2011年4月25日(月) 午後9:00~10:30      

 <カタチに命を吹き込む~細密表現と視覚のトリック~>  
  ~2011年4月26日(火) 午後9:00~10:30   -

 <国際人:JAKUCHU~千年先を見つめた絵師~>   
  ~2011年4月27日(水) 午後9:00~10:30 

 <黒の革命~水墨画の挑戦者~> 
  ~2011年4月28日(木) 午後8:00~9:30 

 *番組ナビゲーターは嵐の大野智さん
 *番組ナレーターは女優の中谷美紀さん。
  
~中谷さんはTBS:仁(JIN)の花魁役も高評価。

 さらにクラシック音楽のファン必見番組は、
 NHK-BSプレミアム
 
『ミュージック・フォー・ジャパン』
 ~2011年4月30日(土)午後11時30分~

 2011年3月11日の東日本大震災から1ヶ月。
 世界中から多くの支援が被災地に寄せられる中、
 世界の音楽界、アーティストたちも相次いで支援に乗り出した。

 ベルリンでは、
 世界最高峰のオーケストラ:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が、
 震災後まもない3月16日の定期演奏会の曲目を変更し、
 巨匠ベルナルト・ハイティンクの指揮で、
 ポーランドの作曲家・ルトスワフスキの「弦楽のための哀悼音楽」を演奏。
 芸術監督サイモン・ラトルのメッセージと共に収録された。

 パリでは、
 4月6日に歴史と格式を誇るシャンゼリゼ劇場で、
 ヨーロッパで活躍する世界のトップ・アーティストが結集し、
 チャリティー・ガラ・コンサートが行われた。
 出演したのは、
 ピアニストのマルタ・アルゲリチ、児玉桃、
 バイオリンの庄司紗矢香、 ルノー・カプソン、
 オペラ歌手のナタリー・デセイ、ロランド・ヴィラゾン、大村博美、
 ダンサーのシルヴィー・ギエム、ニコラ・ル・リッシュ、アクラム・カーン、
 等で日本から指揮者の小澤征爾さんがメッセージを寄せた。
 (NHKホームページより記事転載)

 
と久しぶりの番組情報を掲載。 
 ただし当分は、
 震災についての記事が多くなります。
 ご容赦ください。

 ~以下Web記事転載。

 【田中好子さんの遺言】

 こんにちは。
 田中好子です。
 今日は3月29日(2011年)。
 東日本大震災から2週間が経ちました。
 被災された皆様のことを思うと、
 心が破裂するような、
 破裂するように痛み、
 只々亡くなられた方々の、
 ご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、
 “もしかすると負けてしまうかも”
 知れません。

 でもその時は、
 必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
 それが私のつとめ(任務)と思っています。

 キャンディーズでデビューして以来、
 本当に長い間お世話になりました。
 幸せな、幸せな人生でした。

 特に、
 蘭さん。
 美樹さん。
 ありがとう。
 2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。
 テレビでもっと演じたかった。
 もっともっと女優を続けたかった。
 お礼の言葉を、
 いつまでもいつまでも伝えたいのですが、
 息苦しくなってきました。

 いつの日か、
 妹(義妹)夏目雅子のように、
 支えて下さった皆様に、
 (支えて下さった)社会に、
 少しでも恩返しができるように、
 復活したいと思います。
 かずさん(夫の一雄さん)。
 よろしくね。

 その日まで、
 さようなら。

 (2011年4月25日:産経ニュース記事転載)


 【伊藤蘭弔辞全文】

 スーさん。
 あなたが旅立つときに一人で寂しくないように、
 美樹さんと一緒に名前を何度も呼びました。
 私たちの声はちゃんと届いていましたか? 
 時間が経って大切な人を亡くした寂しさが、
 こみ上げてきて私たちは困惑しています。
 お互い幼い中学生の時に出会い、
 その後キャンディーズで喜びも苦しみも共にし、
 素晴らしい青春時代を過ごすことができました。
 いつも春のように優しいほほ笑みで、
 私たちを包んでくれました。
 その後も女優としていい仕事をたくさんして、
 多くの人に感動を与えてくれました。

 体のことを打ち明けられたときは、
 「なぜスーさんが?」
 と悔しい気持ちでいっぱいでした。

 本当は辛いはずなのに何時も3人で会う時は、
 「笑うときが一番の薬なのよ」と言って、
 明るく楽しい時間を過ごし、
 反対に私たちの方が励まされていたような気がします。

 3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんがいつの間にか、
 “強く頼もしく心豊かな女性”になっていたことに驚かされました。
 お見舞いに行った時も体調が思わしくないのにもかかわらず、
 私たちを気遣い何時ものようにユーモアを忘れない、
 本当に可愛いスーさんでしたね。

 愛情いっぱいのご主人:一雄さんや、
 スーさんが一番気にかけていた、
 お父さん、お姉さん、そのご家族、
 いつもそばに寄り添っていた、
 マネジャーの丸尾さんのお気持ちを思うと、
 とても胸が痛みます。

 私たちはみんな大好きなあなたの笑顔を、
 そして最後まで病気と闘い、
 立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。
 “それを支えになんとか頑張って生きていかなければ”
 と自分に言い聞かせています。
 どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。
 ただ、
 もう一度だけでいいから3人で会いたかったです。
 約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。
 だから、
 今はまださよならは言わずにおきますね。
 いつか会えるときまでもう少しだけ待っていてね。
 これからは、
 今までの心配や不安から解き放たれて、
 どうかゆっくり休んでほしいと思います。

 美樹さんと私にとって、
 いつまでも特別な存在のスーさん。
 心から感謝しています。
 ありがとう。
 スーさん。
 ずっとずっと愛しています。

 (2011年4月25日:スポーツニッポン記事転載)


 【藤村美樹さん弔辞全文】

 スーさん。
 なんでそんなに早く逝っちゃったの。
 おばあさんになるまで恒例の集合写真たくさん撮りたかったのに。
 今度から、
 蘭さんと(水谷)豊さんと3人だけでスーさんがいないなんて寂しいよ。

 数年前。
 スーさんからがんと聞かされたときは本当にショックでした。
 でも、
 「信頼できるお医者さまがついているから大丈夫」
 と言ってそのことを前向きに受け止めていて、
 私たちをいっとき安心させてくれましたね。
 その後も会うたびに変わらぬ笑顔でいつも決まって深夜遅くまで、
 お菓子を食べお茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。
 心から楽しかった。
 3人プラス豊さんとのあの場。
 あの時をずっと忘れないよ。

 家族や周りの人には心配をかけたくないとの思いで、
 病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、
 本当によく頑張りましたね。
 スーさんのことだからすごく辛い時にも、
 優しい心配りで周りの人たちを和やかにさせ、
 その場の雰囲気をパーッと明るく変えたのではないか?
 と想像できます。

 最後まで頑張り通したスーさん。
 亡くなる当日も本当によく頑張ってくれましたね。
 ありがとう。
 私も蘭さんも“もう間に合わないか”と思ったけど、
 3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。

 いつもなら絶対に集まることは不可能な親族もみんなが勢ぞろいし、
 スーさんを取り囲んでお話をしたり、
 代わる代わる声をかけたり手をさすったりしました。
 その柔らかい手の感触を今でも思い出します。

 スーさんは一足先に天国に行ってしまうけど、
 “天国はそれはそれは素晴らしい所”
 らしいですね。

 スーさん。
 どうですか?
 おばあちゃんとおじいちゃん、
 かずちゃん(弟)やお母さん、
 (夏目)雅子ちゃんにも会えましたか?

 神様はこの世のお役目を果たした人を、
 そちらへ呼んでしまうようです。
 スーさんはもうお許しが出たのですね。
 それは神様からのプレゼントだっていうこと。
 新たな命を頂いて、
 そちらで幸せに暮らしてください。

 どうやら私たちは、
 まだ、
 神様からお許しが出ないので、
 スーさんの分まで、
 明るく前向きに、
 一生懸命誠実に、
 一日一日を生きます。
 私たちもいずれそちらに行きますので、
 それまで待っていてね。

 また3人で歌いましょう。
 本当にキャンディーズは楽しかった。
 本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。
 私たちは永遠にキャンディーズだからね。
 おそろいのものも大切にするよ。
 ありがとう、スーさん。
 愛しているよ。

 (2011年4月25日:スポーツニッポン記事転載)

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【平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)】に思う事 16。

2011-04-22 23:10:00 | 地震・津波・震災

 昨晩(2011年4月21日)は、
 人と会うために1日ブログはお休み。
 連日大きなニュースが飛び交って、
 何から話題にすれば良いのやら?
 ってことで、
 気になるニュースを今夜はまとめて、
 私なりの視点で考えて見ます。 

 ☆子供の屋外活動の制限。
 東京電力:福島第一原発事故で、
 空気中の放射線量が文部科学省が定める、
 屋外での活動を制限する数値を上回ったことから
 *福島市内の10の保育所・幼稚園・小学校・中学校。
 *郡山市内の1つの小学校。
 *伊達市内の2つの小学校。
 での砂場の利用や屋外での活動を、
 1日1時間以内に制限した。
 福島市内の幼稚園では、
 *土や砂にさわらない。
 *幼稚園に来たら手洗いやうがいをする。
 *家に帰ったら靴に付いた泥を落とす。
 との注意を呼びかけている。

 文書を読む限りは子供の外出禁止と言うわけではなく、
 運動(激しい動き)をすると埃(ほこり)や塵(ちり)が舞い上がる、
 “グランドや砂場での活動の制限”
 福島市や郡山市では放射線量が連日2μ
sv前後と、
 他の地域と比較すると高めに推移しているが、
 生活する上では問題のない数字とされている。
 今回の子供達への制限は、
 文科省が目安とする毎時3.8μsv以上を示す、
 教育機関に限定された措置と認識している。

 視点としては、
 走り回る事で放射性物質が砂埃と同時に舞い上がるグランドや、
 子供(幼児)が直接手で触れる砂場(砂遊びの砂)に含まれる、
 微量の放射性物質を体内に取り込まないための予防措置。
 
 見方を変えるとコンクリートやアスファルトなどの道路と比較し、
 土や砂は塵・埃を舞い上げやすいことが制限の要因とも考えられる。 
 それは同時に、
 風の強い晴れた日は放射性物質が舞い上がりやすいとも考えられ、
 風の強い晴れ日の通学はできれば自動車などが望ましいのだろうか?

 また、
 
放射性物質に汚染されたとされる地域の田畑を耕す事は、
 土壌表面に附着した放射性物質を土壌内部に閉じ込めることから、
 作付け禁止地域は何もせずに様子を見ることが肝要となるのだろう。
 
 放射性ヨウ素は8日間で放射線量が半減される事から、
 日々放射線量が減少するはずだが、
 放射性セシウムの場合は半減期が30年とされることが懸念材料となるも、
 表面に附着した放射性物質は、
 風に吹かれたり(雨季の激しい)雨に流される事も予想され、
 時間の経過を待つしかない現状はじれったくも如何ともし難い。


 ★母乳から微量の放射性物質
 市民団体が独自に調査した母乳から、
 1キログラム当たり36・3ベクレルの、
 微量の放射性ヨウ素を検出したと明らかにした。
 半減期が長いために懸念される、
 放射性セシウムの検出はなかった。
 ~別の日に同じ人への計測では数値は下降傾向。

 参考:水道水摂取制限(厚労省の判断基準 )
 乳児は放射性ヨウ素が1キログラム=100ベクレル以下。
 乳児(1歳未満)以外の幼児~大人=300ベクレル以下。
 *飲料水・乳製品
 ・セシウム=200ベクレル
 ・ヨウ素=300ベクレル
 *野菜・穀類・肉類・卵
 ・セシウム=500ベクレル
 ・ヨウ素=2000ベクレル
 ~日本の暫定規制値は国際原子力機関規制値の10分の1。

 母乳を与えているお母様には衝撃的なニュースとして受け止めたと感じる。
 ただし文書を綴っていくうちに理由は朧げながらに見えてくる。
 調査サンプルが少いためにハッキリとは断定できないが、
 ヨウ素:2000ベクレル以下の野菜や、
 ヨウ素:300ベクレル以下の水道水を摂取しても、
 体内には幾らかの数値の放射性物質が取り込まれることは想像がつく。
 つまり、
 ヨウ素:250ベクレルの水道水は制限されず、
 ヨウ素:1800ベクレルの野菜も制限はされない。
 なぜなら体内に影響を与える数字でないとされるからだ。

 基準値は合格しているが、
 放射性物質が0(ゼロ)ではない地域の水道水や食べ物を摂取すれば、
 当然の事として母乳から放射性物質が検出される事は容易に想像できる。
 母乳からの最大数値が36・3ベクレルであれば、
 乳児の飲料水摂取制限の100ベクレル以下であり、
 母乳を乳児に与える事に何の問題もないはずだし、
 気にする事で逆に、
 ストレスから母乳が出ないことの方が問題だろう。

 更に再検査では数値が落ちている事実から、
 ヨウ素の特徴(8日間で半減)を示しており、
 今後も母乳に関する話題を耳にするだろうが、
 冷静に数値観察をして欲しいと願う。
 また、
 過剰な報道は海外メディアも注目している事もあり、
 海外に誤った情報(飛語)が伝わる可能性も視野に入れ、
 スクープ的な扱いや、
 実情とは違った過激な見出しを付けないよう、
 情報伝達機関には注意を促したい。


 *警戒区域設定と立ち入り制限。
 福島第一原子力発電所の放射能漏れをともなう事故を受け、
 22日午前0時から周辺の20キロ圏内を警戒区域に設定。
 (原則として)今後立ち入りを禁止。
 20キロ圏内につながる道路には75か所に検問所が設けられる。

 私の視点では遅すぎたとの感は否めない。
 日々リスクが少なくなってきている今の段階での立ち入り制限(禁止)。
 昨日(21日)までは原則的拘束力がなかったことで、
 被災地以外に住居を持つ者が自由に出入りし、
 空き巣や不届きな画像を撮る者やペットの保護と称して、
 被災地域のペット(洗浄されていない)を他の地域に持ち出す者等。
 真面目に行政指示を守った地元住民が怒るのも無理はない。
 とにかく、
 一所懸命に取り組んでいる割には現政権(政府)は、
 目の前の対応が遅すぎると感じる事が多い。

 今後の対応としては、
 放射線量の安全が確保された地域では緊急事態が起きた際の、
 “自己責任を明記した通行許可書”を希望者には配布すべきだ。
 国が個人の行動を制限する意味は理解するが、
 長引いた時の被災地市民の感情を考慮に入れる時、
 何らかの選択権を与えなければ暴発する事象に配慮すべきだ。

 “市民の安全を守る。”
 政府の使命に依存はないが、
 それにしては、
 目の前の対応が遅すぎると感じる。


 ☆福島県から全国への避難生活者。
 福島第一原子力発電所の放射能漏れをともなう事故を受け、
 福島県外の避難所や公営住宅などに
  *1635カ所=合計2万9833人
 が44都道府県(岩手県・宮城県を除く)で避難生活を送っている。
 福島県の避難所は震災被害で被災者の行き場を確保できず、
 さらに、
 原発被害による行き場を失った人達が県外に避難。
 避難者数が多い順に、
  *新潟県:7651人
  *埼玉県:3524人
  *群馬県:2948人
  *栃木県:1767人
  *山形県:1687人

 難しい問題が次々と目に付く。
 福島県から県外に避難している方々の、
 “立位置(立場)が日々変化”する。

 以前に文字にしたが、
 短い期間であれば“お客さん”として歓迎される被災者も、
 時間が長引けば地域にとっての“お荷物”と感じられるのは、
 物の道理として我々は心に留めなければならない。
 
 特に、
 被災者を多く受け入れてくださった自治体には感謝すると同時に、
 自治体負担と国の負担割合がどのように区分されているのか?
 そんなことも強く感じる。
 私が、
 短い期間であれば“お客さん”として歓迎される被災者も、
 時間が長引けば地域にとっては“お荷物”と感じられる。
 と文字にしたのも、
 例えば新潟県民の税金で他地域の被災者の援助負担をしているのか、
 国の予算の中で新潟県が支払った生活援助金を肩代わりするのかで、
 新潟県民の被災者への対応や意識も変わってくるだろう。
 ~すべての被災者受け入れ地域(自治体)に共通して言えること。

 この度の東日本大震災では、
 地方自治体間の援助・協力が非常に目に付いた。
 特に被災地近県の温かい支援や協力は、
 これまでの常識とは異なり、
 積極的に被災者を受け入れる姿勢が顕著だった。
 ~未来のための防災計画の大きな手本として私の心に残った。

 ならば、
 揺れの激しい中での近県協力(東日本)以外の地域の負担を考える上で、
 せめて行政区分(西日本地域)の中での資金援助が必要と考える時に、
 国税の予算配分の中での地域援助も考慮に入れるべきなのだろう。
 
 県外避難している被災者の方々が、
 肩身の狭い思いをしないために、
 安心できる生活をしていただくための国庫負担。

 情報が何も伝わってこないが、
 どのように処理されているのだろう。
 しっかりとした情報(お金の流れ)がなければ、
 県外避難者への不当な言動が増える可能性も考えたい。


 まだまだ文字にしたい事例は多いが、
 キリがないので最後に1つだけ。

 私達の世代には、
 キャンディーズの“スーちゃん”
 で御馴染の
田中好子さんが亡くなった。
 55歳の若さでの突然の訃報は、
 以前に患った乳癌の転移が原因のようだ。

 後楽園球場の“さよなら公演”は今でも語り草となっており、
 石川県に住む私の友人達が何人も後楽園に駆けつけた。
 そのために親にお小遣いを前借するものやバイトに精を出す者。
 熱くなっていた“あの時代のみんな”は、
 スーちゃんの死をどのように受け止めているのだろう。

 TVニュースでは、
 映画『黒い雨』を代表作として紹介されていた。
 辛いつらい映画は広島に落とされた原爆の、
 ニ次被曝としての“被爆症がテーマ”になっている。
 モノクロ画面で公開前から話題となったヌードシーンは、
 この映画のハイライトと言える風呂場のシーンであり、
 冷酷・非情なシーンとして私達の記憶に留める。

 原爆の直接的な被害を私は漫画『はだしのゲン』で知ったが、
 原爆の間接的な被害を多くの人が『黒い雨』で知ったのではないか?

 二度と起こしてはならない原子爆弾の怖さと被曝体験の現実。

 しかし、
 今日の日本国内で瀬戸際の攻防が繰広げられている現実。

 『黒い雨』を知る誰もが“スーちゃんの死”に、
 例えようのない“何か”を感じている事だろう。

 何か不思議な気分にさせられる。
 

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【東日本大震災】:人の死と福島県民への差別について独り思う。

2011-04-20 23:32:00 | 地震・津波・震災

 2011年4月20日(水曜日)。
 お世話になった方のお通夜に参列。
 先週の金曜日(15日)。
 息子さんに電話した時には、
 別段変わった様子はなかった。
 18日(月曜日)の夜。
 突然の死だったようだ。

 お通夜の席で“死”について独り考えた。
 東日本大震災では、
 多くの方が亡くなり多くの方の行方が知れない。
 知人が亡くなった4月18日の朝には、
 栃木県鹿沼市で、
 走行中のクレーン車が歩道に突っ込み、
 小学生6人が死亡する痛ましい事故が起きた。
 
 “総べての死が悲しみであるか?”
 と問われれば必ずしもそうとも言えない。

 齢88歳(米寿)も過ぎれば“死”を、
 “おめでた”と捉えるむきもある。

 要介護が長年に渡ると、
 御家族の口から、
 “死に安堵した”
 との言葉も耳にする。

 突然の死には、
 “せめて1週間だけでも生きていてくれれば”
 は覚悟ができない、
 残された者の悲しみの言葉として感じる。

 また時々耳にする、
 “重度の障害を残し生き続けるよりも本人のために死んでよかった”
 との言葉の真意は当人でなければ理解できないが、
 “本人のプライドがそれ(=家族の負担)を望まない”
 との意味合いが込められている場合もあるだろうし、
 其々の家庭の事情(=肯定的な死)は、
 “愛情の所在・金銭問題・心的負担・支配行為(=暴力)の有無”
 など様々な理由もあるのかも知れない。
 ~人は理想にのみ生きてはいないし何を理想とするかも流動的だ。

 いずれにせよ“死”を思うときに、
 故人の無念よりも残された家族の、
 今後の生活に目が行くのは、
 私特有の感じ方なのかも知れない。

 冷たい言い方になるかも知れないが、
 亡くなった方(故人)よりも、
 生きている“人”に関心を示したい。
 
 突然の死による歯車の喪失。
 家庭にとっての大きな問題は、
 仕事先・親族・友人・知人が協力して、
 仮に助けを求めてこられれば、
 できる範囲内でお世話になった方の恩に報いる。

 故人は、
 残された家族の幸福を一番に願っているはずであり、
 親しくしていただいた故人の冥福を祈るなら、
 残された家族への思いを失ってはいけないように思う。
 ~勿論それは家族ぐるみのお付き合いがある場合に限るが。


 18日午後~20日午前まで雨が降ったり止んだりの雲行き。
 17日には満開だった桜も雨に打たれて散る花びらも多い。
 桜、桜と春の気分で連日にわたり文書を進めているが、
 桜の花から“死を連想”する方も多い。

 忠臣蔵で御馴染の浅野匠守の辞世の句は、
 「風さそう、花よりもなお、我はまた、
 春の名残を、如何にとかせん。」
 は散る桜の花と無念の切腹を、
 リンクさせた句として名高い。

 以前にも文字にした、
 日本の美意識に深く浸透する“散り際(散り様)の美学”。
 日本人が自然を愛でる時に欠かせないのが桜と紅葉。
 花が咲く(色が付く)美しくも短い期間を終えると一斉に落下する桜と紅葉。
 日本人が好む演題:赤穂浪士(忠臣蔵)での浅野内匠頭や四十七士の死は、
 桜の散り際を連想し何時の時代かを明記することはできないが、
 武士道が旨とする「潔さ」と「桜の散り様」が結びつけられたことは、
 その後の軍国主義に強い影響を与えたと人伝に聞いたことがある。
 
 『同期の桜』
 ♪ 貴様と俺とは同期の桜
 ♪ 同じ兵学校の庭に咲く
 ♪ 咲いた花なら散るのは覚悟
 ♪ 見事散りましょ国のため。

 『同期の桜』に読み取れる“自己犠牲”を(現代人が)頑なに否定することは虚しく、
 現代の日本人気質にも深く浸透する自己犠牲(=極端な痩せ我慢?)の本質は、
 相手(軍国主義の場合は味方)=他人を思いやる気持ちである。
 『同期の桜』の時代の自己犠牲はナショナリズム(国家主義)に傾倒し、
 現代の世界(先進各国)が目標とする国際協調にはほど遠い愛国思想が、
 現代教育を受けた者(戦後生まれ)には理解され難いのだと感じる。
 本文 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100530

 そうした教育を受けた時代の人達にとって、
 桜の花に“春の喜びや再生・復興のイメージ”を持つ事は困難だろう。
 ただし、
 “散り際の美学”は軍国主義(=古来の武士道?)の中での桜の意味づけであり、
 日本人が桜と紅葉を愛でる心情は“厳しい冬”が基準になると考えられる。

 現代とは違った、
 隙間風の入る住宅に暖房器具もない時代。
 特に北陸や東北の日本海側では雪も深く、
 “冬の厳しさ”は現代人には想像を絶する。

 “厳しい冬は木々の落葉に始まり春の芽吹きに終わる”

 有史以後の日本国民にとって紅葉(もみじ)と桜は
 “季節の変わり目
(=収穫の季節)を知らせる象徴”として、
 人々の心に深く刻まれ続けたのではないか?
 ~今年は桜の開花を例年以上に待ち望んだ私がいる。

 桜の木が散ったときに桜の季節は終わるのではない。
 桜は実をつけ葉は緑から季節を通じて赤茶色に色付く。
 桜の紅葉(こうよう)も美しく冬の到来の前に落葉する。
 ~そして翌年の春には再び目に優しい花を咲かせる。

 東日本大震災を経験し日本国民は“大量の死”と対峙した。
 しかし震災から40日の月日が経ち人々の目は
 “死者への哀悼”
から“懸命に生きている被災地の人達”
 に向けられていることは自然の道理なのだろう。

 家族を失くした人達にとって、
 再生や復興のイメージを抱くにはまだまだ時間が浅いが、
 支えるべき私達(=非被災地区で生活する人々)は、
 亡くなった方々よりも生きている人々に関心を示すべきだろう。
 
 大震災による突然の喪失(=人・財産・生活・地域・環境)。
 できる範囲でお世話になった方々(=国家の構造)の恩に報いる。
 故人は残された家族や地域の幸福を一番に願っているはずであり、
 故人の冥福を祈るなら残された家族(被災地)への思いを失ってはいけない。


 そんな私が抱く意識の中で、
 残念なニュースを耳にする。

 それが、
 *無知からくる恐怖なのか?
 *地域特有の排他思考なのか?
 は理解できないが、
 福島県民への差別的な意識の働きや、
 東京電力に向けられた不当な抗議。

 先ず断っておきたい事は、
 “放射能汚染は伝染病のように人から人に伝染する事はない”

 1つだけ憂慮すべきは、
 大量の放射線被曝を受けた場合に除染が行われていない時点では、
 衣服や皮膚に残った放射性物質から放射線が放出される場合はあるが、
 現在国(政府機関)が発表する数値の中で、
 福島県民の放射線被曝の報告は微数であり、
 既に初期段階での除染作業は完了している事実から、
 福島県内で起きた放射性物質の拡散から、
 伝染病のように他地域の市民に伝染する事は絶対にありえない。

 私が憂慮する、
 *無知からくる恐怖。
 は予想された事態(=個人レベルで)とは言え、
 地域の行政機関までもが過剰に反応する事実に、
 得体の知れない“思い込み”が存在するように感じる。
 ~人間は本能的に自己防衛反応が働くことを否定はしないが。

 また、
 *地域特有の排他思考。
 は特に地方に多く、
 “よそ者を受け入れたくない”
 といった排他的心理(個人・地域)は、
 少なからず現代も残っているのは確かだ。

 ただしその事が、
 避難している福島県民への差別行動に結びつくかは微妙で、
 少なからず耳にする福島県民への差別意識の根底には、
 “(得体の知れない放射性物質への)無知からくる恐怖”
 があると感じられ、
 政府は報道機関を通じて、
 放射性物質の特徴や人から人への被曝感染の有無を
 説明すべきなのかもしれない。

 だが、
 説明が専門的であったり中途半端だと誤解も与え、
 “無知からくる恐怖が創り出す流言飛語”
 を助長しかねないので、
 細心の注意を払わなくてはならない。

 最低でも6ヶ月~9ヶ月の戦いは未知数であり、
 長い戦いの中で渦巻く心理的不安と差別の創出(風評)。
 さらに、
 長い戦いの危険な最前線で活動する戦士達の士気の保護。
 ~事態収束に全力を傾ける東電関係者には感謝すべきだろう。
 
 市民行動の中で起きている許されない事例。
 先ず“無知の解消”に全力を尽くすべきだし、
 特定の地域や組織に差別的感情を持つ心の動きは、
 私の目には許されざる状況にうつる。

 

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『踊る阿呆に見る阿呆』:阿呆(アホウ)の美学を考える。

2011-04-19 00:20:00 | 経済・産業・mono

 珍しく缶コーヒーを片手に、
 今夜(2011年4月18日)は3つ目のエントリー。
 先程まで、
 午後8時からBSプレミアムで放送された『女優・夏目雅子』を観た。
 つくづく惜しい人を亡くしたと感じる素敵な女優さんだった。

 本題は昨日(17日)の花見の話。

 朝の8時30分頃に、
 本多の森ホール(旧厚生年金会館)前の駐車場に車を止めた。
 積んであった自転車を車から下ろし、
 犀川の川縁~寺町界隈~西の茶屋街~広坂通り~金沢城
 ~浅野川~東茶屋街~主計町~黒門前緑地~尾崎神社
 ~尾山神社~武家屋敷~香林坊裏手の飲食街~兼六園
 を心地よく走り抜け撮影した写真の数は202枚。
 ~家に帰ると真っ赤に日焼けした顔を家人に笑われる。

 4月17日の金沢市街はどの駐車場も満杯。
 兼六園の人出も今シーズン最高を記録。
 午後2時頃には、
 桜の花を求め園内の賑わいは最高潮。
 茶店(ちゃみせ)も屋台も行列ができる様子を見て、
 世に吹き荒れる不景気風も吹き飛んだ。
 ~園内では韓国語や中国語も飛び交っていた。

 徳島県の阿波踊りで有名な
 “踊る阿呆に見る阿呆”
 との言葉がある。
 “同じ阿呆なら踊らな損々”と続く。

 “踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々”
 言葉(歌)の意味は、
 “お祭りを楽しむなら見るよりも参加するほうが楽しい”
 と私は認識している。

 “踊る阿呆に見る阿呆”
 見方を変えると、
 “行動する者と傍観する者”
 さらに、
 “演技する者と鑑賞する者”
 などに置き換えれば、
 言葉の意味は違って見えるし、
 “言葉を発する者と言葉を聞く者”
 との解釈もできる。

 阿房(阿呆=あほう)を広辞苑で調べてみると、
 <愚かである様、ばかなこと、またそのような人>
 と説明されている。

 話を戻そう。
 桜の花を求め園内の賑わいは最高潮。
 茶店も屋台も行列ができる様子を見て、
 不景気風も吹き飛んだ。
 で示される阿呆(あほう)は合理的ではない。
 屋台にせよ茶店にせよ、
 市街地での飲食と比較し価格は割高。
 賢い選択は、
 “事前にコンビニ等でお弁当を買って公園で食べる事”
 と文字にして賛同する方はどれだけいるだろう?

 お花見することで陽気な気分になり、
 食べたり飲んだりを楽しむのが賑わいの醍醐味なら、
 “茶店や屋台での買い食いを否定する事が賢い選択なのか?”
 と考えを巡らせれば、
 潤いのないコンビニ弁当を持ち込むことが、
 賢い選択とするのは野暮ではないか?
 
 私は地元のお祭りに参加し、
 “見る阿呆の粋(いき)”
 
について考えるようになった。
 “踊る阿呆(愚者)に見る阿呆(愚者)”
 の言葉に秘められる参加する意味。
 言葉を変えてみると、
 “踊らない賢者に見ない賢者”
 
となるのか?
 ~踊る者も見る者も参加者する意義。

 購入する飲食物の価格が高いとか安いとかの前に、
 目の前でお祭りを盛り上げようする者(=踊る阿呆)に、
 1つでも協力する者(=見る阿呆)は、
 同じくお祭りを楽しむ者なのだろう。
 ~損を承知で阿呆に転じるのもお祭りの楽しみ。

 たこ焼きの1つ、ビールの1杯を購入する心がけが、
 来年のお祭りの開催を約束するもの(=収入)と考えれば、
 阿呆(あほう)になること(=価格が高い事を承知で購入)
 も美学として成り立つ。
 ~阿呆の美学とは損を承知で協力する心意気。

 近年の日本人は、
 賢い選択として自分を中心に損得の判断基準を勘定する風潮が顕著だ。
 しかし、
 その判断基準(=損得勘定)は地方を衰退させ地域のコミュニティを希薄にし、
 社会構造を一極化させ金太郎飴のような不思議な平等(平価)を築いた。
 ~その影では多くの貧困者を生み出した事実にも目を向けるべきだ。

 勿論現実問題としての収入の悪化(減収減益)や先行きの不透明は、
 “賢い選択として自分を中心に損得の判断基準を決める”
 ことを私は否定できない。

 しかし日本的な美学としての、
 “思いやる心”や“もてなしの心”は、
 大きな災害を通し、
 亡失してはならない意識として存在する。

 東日本大震災を通じ、
 国民の意識に芽生えた、
 “自分のためにではなく、
 被災者(地)のためにお金を使おう。”

 それは同時に、
 “自分のためにだけでなく、
 地域のコミュニティを守るために、
 お金の使い方を皆で考える。”

 その意識こそが、
 日本再生への近道となる。

 兼六園での賑わいを見て、
 そんなことを感じた。

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東日本大震災:長渕 剛さんの自衛隊基地訪問に感銘を受ける。

2011-04-18 22:10:10 | 芸能・スポーツ

 2日間お休みしたことで今日は2件の投稿。
 1件目はお堅い文書だったので2件目は軽めに。

 一昨日(16日)歌手の長渕 剛さんが、
 宮城県石巻市内の高校(武道館?)と、
 東松島市の航空自衛隊松島基地を慰問し、
 ミニ・コンサートを開いた記事を、
 昨日(17日)のスポニチで知った。

 今朝(18日)の『日テレ:スッキリ!』
 朝刊のテレビ番組欄で長渕さんの放送を知り、
 録画してあったものを先程観終え心打たれた。

 “やるな長渕!”
 そんな感じだ。

 自衛隊基地の慰問は気がつかなかった。
 私達はどうしても被災者ばかりに目が行くが、
 疲労困憊の自衛隊員を慰問する姿勢に感心。

 朝鮮戦争の折、
 マリリン・モンローさんが米軍を慰問し大きな話題を振りまいた。
 また昭和の名人、
 “噺家の志ん生さんと円生さん”が満州に慰問したまま終戦。
 その時の悲惨な逸話は伝説であり芝居にもなっている。

 “士気を保つ。”

 長淵さんの行動は、
 100の言葉よりも説得力があり、
 今は戦時ではないけれど、
 有事の途中である事を再認識した。

 生ギター1本で熱唱する長渕さんの歌声も迫力満点なら、
 自衛隊員が肩を組んで『乾杯』を歌う場面映像に歌手が持つパワーを強く感じ、
 年輪を重ねたストックもまた適時・適所に自在に合わせる長渕さんの凄味を感じる。

 “感謝すべきに感謝する。”

 東日本大震災は私達に多くの事を教えてくれる。


 ~以下Web記事より転載。

 歌手:長渕剛が16日、
 東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市を訪れ歌で被災者にエールを送った。
 被災地のラジオ局10局で、
 復興番組『長渕剛 RUN FOR TOMORROW~明日へ向かって~』
 をスタートさせるなど積極的に支援活動を行っており、
 自衛隊と被災者を励ましたいと訪問を決意。

 この日朝に都内を出発し飛行機で現地入り。
 避難所である石巻高校などを慰問し、
 大ヒット曲『とんぼ』、『愛しているのに』をギターをかき鳴らして熱唱した。
 また、
 
自衛隊の活動拠点である同県東松島市の松島基地を激励に訪れ、
 『乾杯』など生歌を披露。
 迷彩柄の制服を羽織って約1500人の隊員ともにガッツポーズ。
 1人1人と握手し、
 「実際に歌わせて頂いて歌の力を感じた、これからも継続的に支援を行いたい。」
 と誓った。
 (2011年4月17日:サンスポ記事転載)


 東松島市の松島基地を訪れた長渕さんは、
 代表曲の『とんぼ』、『乾杯』、『HOLD YOUR LAST CHANCE』
 を含む6曲を熱唱。
 『乾杯』では隊員たちが肩を組んで体を揺らし、
 長渕さんがマイクを向けて歌うように促すと大合唱に。
 『HOLD YOUR LAST CHANCE』では、
 歌詞にある
 “傷つけ打ちのめされてもはいあがる力がほしい”
 という言葉に静かに耳を傾けていた。

 松島基地の広報担当者は、
 「(震災後の)生活で隊員たちはテレビを見る時間も、
 ゆっくり食事を取る時間も(勿論)音楽や文化的な時間も、
 ほとんど割くことのできない制限された生活をしている。」
 と言う。

 しかも、
 今最も力を入れている任務は行方不明者の捜索だ。
 遺体を目にする毎日。
 士気も高いとはいえ応援に駆けつけた隊員たちの、
 精神的な疲労は極限に達している。
 そうした中での長渕さんの生歌。
 隊員たちのモチベーションも上がったようだ。

 最後の曲を前に長渕さんはこうも話した。
 「まだまだ(復興までに時間が)かかるかもしんないけどさ、
 みんなで力を合わせて(隊員たちの)腕章に刻んでいる、
 “絆”を大事にして1つずつ1つずつ前へ前へ進んで行こうよ。
 オレも頑張るからみんなも一緒に頑張ろうよ。」

 長渕さんの慰問の様子はツイッターでも話題を集めた。
 「感動ものでした、自衛隊の皆さんへのねぎらい素晴らしい。」
 「涙する一人一人の隊員の方達の顔を見て、
 改めて彼らの激務と使命感に感謝し祈る気持ちになる。」
 「歌を聴いた隊員が男泣きしていたのが印象的だった。」

 なお長渕さんは4月3日。
 東日本大震災復興支援を願うラジオ番組を自らが企画し立ち上げ、
 FM青森、FM岩手など被災地の10の放送局ではじめた。
 第1回の番組の冒頭に復興への思いをつづった、
 散文詩『復興』をときおり声をつまらせ怒りを込めながら読み上げた。
 詩は、
 「私たちのささやかな営みを奪い去った海への憎しみ」
 を露わにしつつも現実に対峙する
 「覚悟」を力強く詠んでいる。
 (2011年4月17日:J-CASTニュース記事転載)

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【平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)】に思う事 15。

2011-04-18 21:10:00 | 地震・津波・震災

 スピーカーからは一昨日の深夜に録画した小澤征爾さんのマノン・レスコー。
 昨日(4月17日)は一人で金沢に自転車を持ち込み観桜を楽む。
 撮影した写真は午前8時30分~午後2時50分までバッテリー限度の202枚。
 犀川周辺と浅野川周辺を撮ったのだけど紹介できる日はいつかな?

 3月11日以降で2日続きでブログをお休みしたのは初めて。
 それでも昨晩はカルロス・クライバーの記事に追加文を記入。
 記事中に予告してあったものが1週間遅れの追記で責任を遂行。
 先週は宮城県沖と福島県浜通りの地震被害に目が行って、
 クライバーの記事は後回し=自分なりの優先順位。

 気になったのは、
 4月11日に起きた福島県浜通りの震度6弱は巨大地震の余震と発表され、
 4月16日に起きた茨城県・栃木県の震度5強の地震は巨大地震とは別の地震。
 調べてみると、
 4月11日は緯度:北緯36.9度、経度:東経140.7度の内陸地震で
 4月16日は緯度 北緯36.4度、経度 東経140.0度も内陸地震。

 福島県浜通りが内陸直下型でも巨大地震の余震とされる理由は、
 震源地を基準に計算された南北500kmと東西200kmの枠内に入るから。
 でもその曖昧で大まかな数字“500×200の余震設定の枠内”から、
 逃れられない気象庁の判断は官僚主義(=決められたことの厳守)の象徴?
 決められたことが仮に正しくなくても正しくないままに進められる行政手順。
 福島原発の事故も(過去の)行政手順に大きな誤りがあっことは否めないようだ。
 ~巨大地震(プレート境界地震)の余震と内陸地震は別物であると私が拘る理由は、
 直下型地震に襲われた地域の余震規模や頻度の把握が防災上、不明瞭となるから。

 福島第一原発の事故は東京電力だけが悪者のように言われるけれど、
 冷静に考えれば東電も巨大地震の被害者(組織)である事に変わりはなく、
 天を悪者にはできないけれど、
 天災を予想できなかった数々の機関(研究者)にも責任はあると感じる。

 手元にある、
 『Newton別冊:想定される日本の大震災』(2006年発行)では、
 想定される地震として,
 *福島沖はM7.7を予測し過去400年では津波による死者は僅少。
 *宮城県沖は連動地震(岩手との)でM8.0の想定も死者の予想は87人。
 *岩手県は津波被害が多い地域でもあり“重大な被害予想”を喚起。

 そうした地震学者たちの意見や研究を元に作成された原子力発電所の防災計画。
 また、
 原子力発電を推進した日本の行政とそれを認可した当時の自民党政権(他多党)。
 “起きてしまった事の責任を現政権と福島原発(東電)に押し付けるだけでよいのか?”
 の問題提起は今後の課題となるだろうし、
 予想される東海地震(M8.1?)や、
 東海~東南海~南海の連動地震(M8.7以上?)を考慮すると、
 静岡県:浜岡原子力発電所をこのまま継続運転してよいのかの議論は、
 万が一を超え、
 臆が一、京が一あってはならない原発事故の安全性への配慮も必要だ。 

 福島原発での事例は人類史上初めての事態であり、
 国際社会の目から同情される余地もあるが、
 同じ過ちを2度繰り返す事は絶対に許されず、
 原発建設の新規凍結は当然のこととして、
 リスクの高い原発は安全が確証されるまでは、
 停止する処置が必要ではないか?

 福島で起きている現状が、
 想定される最悪の事故とならないであろう事実を踏まえ、
 最悪の可能性が含まれる運転の継続を許してよいのか?

 国民の議論が高まる事は必至であり、
 さらに東電の補償の成り行き次第では、
 原発を運営する電力会社の原発保持の意識低下。

 行政は今後の国民の意識変化を認識すべきだし、
 低エネルギー社会受け入れの新たな模索は、
 一人ひとりの意識改革も求められる。

 東京電力の工程表が17日に示された事で、
 少しずつ“そんな話題”も文字にしていきたい。

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『石川県加賀地方(金沢市・白山市・小松市・加賀市)』満開の桜を撮る。

2011-04-15 22:00:00 | 街ネタ(写真館)

 2011年4月15日。
 石川県加賀地方では“ソメイヨシノ”が満開!
 本日はmimifukuのお薦めスポット7ヶ所を、
 私が撮りためた写真の中から公開。
 “少しでも明るい気分になってくだされば!”
 と思います。

  
  *金沢城公園・石川門の桜(金沢市)

 
  *金沢城公園・石川門の桜2(金沢市)

 石川県の顔。
 名勝:兼六園に隣接する金沢城公園:石川門(重要文化財)の桜。
 と言っても、
 本当は大きな道路を挟んだ兼六園側(茶店通り周辺)からパシャリ。
 斜めからの角度の撮影が定番ですが“あえて正面”から。
 結果的にやや単調な写真になりました。
 そこで“桜2”は定番の斜めからの撮影ポイントは桜並木。
 どこからとっても絵になります。

 ☆金沢城→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/ee01badf6afc1e5a5e1b4789fbd269cf


 
  *兼六園・ことじ灯篭:湖面の桜(金沢市)

 
  *兼六園:眺望台周辺の桜(金沢市)

 日本三名園のひとつとして名高い
兼六園。
 金沢城公園:石川橋から桂坂口を入り、
 兼六園のシンボル徽軫(ことじ)灯篭。
 撮影は散り桜の季節で池には桜の花弁。
 花弁で埋め尽くすめるように撮影したかったので、
 灯篭は斜めになってしまいました(笑)。
 
 ことじ灯篭近くに位置する眺望台は、
 斜面に沿って多くの桜が植えられています。
 桜と町並みの撮影は自由自在。
 石川県の県都:人口過密な金沢市だけあって、
 山地まで住宅が延びている様子が見られます。

 兼六園には様々な種類の桜があるので、
 時期を外しても大丈夫?
 でも狙いどころはソメイヨシノに限ります(笑)。


 ☆兼六園→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/ba99cb8d9f43424c0b826ffe31da1bdb


 
  *石川県林業試験場樹木公園の桜(白山市)

 知る人ぞ知る石川県の大阪造幣局(=桜の見本市)。
 公園入り口付近のソメイヨシノと枝垂れ桜が終わった頃、
 様々な種類の桜が次々と開花することを、
 知る人は極めて少ないようです。
 ただし所在地は、
 鶴来周辺(白山比神社近く)の山沿いのため、
 平野部と比較して開花は1週間ほど遅め。
 多種の桜は、
 兼六園の満開から7~17日後が見頃。
 是非お越しください。


 
  *芦城公園の桜(小松市)

 小松
市民にとっての憩いの場。
 “花より団子の桜公園”です。
 満開時の晴れ日には朝からブルシートで場所とり。
 賑わいの絶えない芦城公園で飲む酒は格別です。

 ☆芦城公園→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/641b25ddd72b70ecec6127a6425a2af3


 
  *木場潟公園Ⅰ:白山と桜(小松市)

 
  *木場潟公園Ⅱ:千本桜

 近年私の一番のお気に入り。
 霊峰・白山を望む全長6.4kmの散歩道に飽きることはありません。
 ただし白山が見える日は年間でも限られているので、
 他府県から来られる方は運次第。
 晴れたからといって必ず見えるとは限りません。
 ~白山の眺望は西園地からの入園がお薦め!

 千本桜は中央園地~北園地に延びる約1・5km。
 植えられて日も浅いために桜の木は低いのですが、
 近い将来、
 県下を代表する桜の名所になることは間違いなし。
 ただし土日の晴れ日は、
 駐車場の大混雑の覚悟が必要です。。

 ☆木場潟→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/4997fab3bd70c71648164359c5f6f5fb


 
  
*加賀市中央公園Ⅰ:桜のアーチ(加賀市)

 
  *加賀市中央公園Ⅱ:桜と眺望(加賀市)

 加賀温泉駅⇔大聖寺駅の中間部から、
 西側の小高い山にある巨大な公園。
 もしも都会にこのような公園があれば、
 毎日多くの方々が訪れるはず。

 数々のスポーツ施設や芝生や子供の広場や音楽堂。
 音楽堂のある芝生沿いの桜並木は見事な枝ぶり(写真Ⅰ)。

 また、
 小高い丘から見下ろす桜の木々と加賀市の眺望(写真Ⅱ)。
 晴れた日は白山が見えるのですが(スポットは滑り台付のお城)、
 生憎この日は黄砂の影響か花粉の影響か山も霞んで見えます。
 もっともっと、
 注目されて良いはずの桜公園なのですが・・・。

 
  *熊坂川の桜(加賀市)

 最後は加賀市大聖寺を流れる熊坂川の桜。
 JR大聖寺駅前から線路沿い福井方面へ歩くと、
 200mほど先のガソリンスタンド周辺がスタート地点。
 小川沿いに、
 石川県立九谷焼美術館が所在する公園を抜けて、
 小さなお堀のような川沿いをてくてくと歩いて、
 江沼神社までの約1・2kmの桜並木。
 さらに、
 江沼神社の裏手にある“重文:長流亭”から、
 対岸の桜並木を歩くと船乗り場に辿りつきます。
 大聖寺地区の川沿い桜並木の総延長は約2km?
 川を歩けば桜があると言っても過言ではありません。
 
 熊坂川河畔の桜並木は、
 昭和9年9月9日(1934年)に大聖寺でおきた、
 大聖寺大火の復興工事を記念して植樹されたもので、
 75年以上も前に植樹された老木の痛みは激しいものの、
 若木にはない侘び・寂びのある憂いある面持ちは、
 色気さえ感じる銘木揃い。

 もう少し川の水がキレイなら…。
 川面の浮かぶ水鳥も絵になるのですが。

 ☆船乗場→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/a7f659c1c40fd43d1ebf3b0f18e78a30

 ★大聖寺川→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/dd46a50cc4f5eebe20b082613f348eeb


 2011年3月11日。
 東日本を襲った巨大地震災害。
 塞ぎこんだ気持ちを救ってくれるだろう、
 季節の移ろいと日本の自然美。

 復興と桜の植樹。
 熊坂川の桜並木の事例は、
 年月を過ぎても、
 人々の心を和ませます。

 必ずや!

 それは、
 日本の歴史が物語っています。

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【平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)】に思う事 14。

2011-04-14 21:31:21 | 地震・津波・震災

 石川県加賀地方では桜が満開。
 桜ばかりか柔らかい若葉の色や真っ白な雪柳。
 道端にも、
 タンポポや名前の知らない花が美しさを競う。
 石川県では例年と何も変わらない、
 そんな季節がやってきた。

 以前に文字にした、
 
阪神・淡路大震災では“石川県南部でも大きな揺れ”の記憶と、
 平素は揺れる東京の人が神戸の震災の揺れを経験しない事で、
 意外と冷静(淡白)だった事が記憶に残る。
 同様に、
 石川県内では関心事は東日本大震災の悲惨な現状よりも、
 福島第一原発の今後や深刻化する景気の動向に話題はシフト。
 まだ1ヶ月と3日しか経っていないのに、
 人間心理の風化は止めようがない。
 ~石川県加賀地方で揺れを感じたのは3月11日だけと思う。

 それにしても福島第一原発の事故は余計な出来事だった。
 地震災害は起きた瞬間から復興への道のりがはじまるが、
 人間が創作した原発災害は収束の時期すらメドが立たず、
 起きてしまった衝撃よりも現在進行形で起きている不安に、
 被災しなかった地区の関心が集まるのは仕方のないことだろうし、
 メディアの扱いも“先ず原発ありき”の姿勢を崩さなかった事も、
 大きな要因となるのだろう。

 地震災害だけに目を向けても、
 大きな犠牲者を出した津波被害地域に世間の目が向けられるが、
 地盤沈下、液状化、道路や橋の崩落、水田の破壊、溜池の決壊。
 は多くの地域で大きな被害が出た。

 甚大な津波被害が顕著な、
 青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県の他にも、
 東京都・千葉県・神奈川県・栃木県・埼玉県・群馬県や、
 北海道、秋田県、山形県の被害情報は数え切れない。
 ~都内でもかなりの住居の修理が必要と聞いている。
 さらに、
 新潟県・長野県や静岡県では震度6強の直下型地震も起こり、
 東日本大震災の名称通りに、
 甚大な被害額の総計は如何なるものか?

 また、
 避難(県内・県外を含め)の長期化は人間心理に微妙な影響を及ぼす。
 通常の地震災害の場合は被災地のライフラインの整備が終われば、
 被災者は被災地に戻る事が通例であり、
 その期間は凡そ30日を目処にするが、
 “津波災害による町村の消失”や、
 “原発災害による未定の避難期間”は、
 受け入れ側の自治体(既に受け入れている)や、
 善意ある民間団体の負担の大きさは計り知れない。

 私の理解に誤りがなければ多くの場合、
 善意は同情(心理)から生ずる事例が多いが、
 負担できる金額が同情心理の枠(領域)を越える時に、
 善意の側の忍耐が“どの位置”にあるかを考慮しないと、
 今後は(人間の心理変化から)摩擦が表面化することもありうる。
 ~長期滞在による摩擦は差別意識を生み出す可能性(戦時の疎開の事例)。

 その対策としては、
 国からの資金援助(受け入れている自治体や民間団体への)や、
 避難者の避難地での生活費負担(労働力を含む)は肝要であり、
 さらに、
 福島県原発避難地域(帰るに帰れない)以外の自治体の、
 仮設住宅の建設促進は急務であり、
 求人がない被災地区での、
 “労働力としての被災者の活用”と、
 そのための資金調達(=賃金の支払い)に、
 国(政府)は全力をあげるべきだ。
 また、
 ボランティアに一定の賃金の支払いをすることも近々話題に上るが、
 被災地区の被災者には善意よりも実務としての労働を創出しないと、
 いつまでたっても、
 復興のイメージを被災者(地)は抱く事はできないのではないか?
 と同時に、
 無からの創出に必要な意識としての労働(身体を動かす)の所在。
 政府(国)は絵空事の未来志向の復興計画に思案するよりも、
 目の前の事態から逃げるべきでないし、
 何よりも、
 “福島県民が持つ曖昧な立場の解消を最大課題”
 にしなければ、
 今後の復興計画を語るべきではない。

 私の考えではどう解釈しても、
 “政府の優先順位がチグハグ”
 な気がしてならない。
 
 菅総理や政府のこれまでの努力を、
 ある程度までは認めたいと思うが、
 目に見える結果(政策)を国民は求めている。
 それは、
 “自分達が同じ立場になれば政府は何をしてくれるのか?”
 総べての有権者の政府への問いかけ。

 そのことを決して忘れてはならないし、
 優秀な指導組織とは、
 部下を自在に操る能力であり、
 独りよがりは事態を後退させる。


 <追記:私は怒っている!>

 最近になって何もしない外野から、
 どうにも無責任な発言を耳にする。
 特に民主党:鳩山
由紀夫前首相と、
 小沢一郎元幹事長に言いたい。
 
“恥を知れ!”
 少なくとも彼等よりも、
 日々奮闘している現総理を、
 私は支持(応援)したいし、
 既に彼等には何も言う資格はない。
 “恥を知れ!”
 それは多くの庶民の思いとして、
 私は受け止めている。

 それ以上は今日は言うまい。
 
 

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