今夜の更新記事は今週に入急遽り加入した、
WOWOWをテーマにするはずだった。
夜7時のNHKニュース。
私にとっての今日(6日)最大のニュースは、
スティーブ・ジョブズ氏の死去(現地時間5日)。
2004年に膵臓癌(がん)を患い徹底した治療と管理により、
延ばされた寿命(与えられた時間)は約7年。
生き急ぐかのようなその7年間にジョブズ氏が成し遂げた偉業は、
7年前の社会では想像もできない急速な進化を世界にもたらした。
スティーブ・ジョブズ。
紛れもない時代の偉人であり世界史に刻まれるビック・ネームとなる。
2008年の7月。
mimi-fuku通信ではスティーブ・ジョブズ氏について触れている。
*新型携帯電話「iPhone」を創った男/ スティーブ・ジョブズ。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20080712
過去記事によると、
『新型携帯電話:iPhone(アイフォーン)3G』
が2008年7月にソフトバンクより発売。
と記されている。
2011年10月6日:今朝の朝刊には、
『改良型携帯電話:iPhone 4S』
がKDDI(au)でも販売。
との文字に企業間競争の激化を予感。
アップルの新SEO:ティム・クック氏の地味なプレゼンにも注目は、
ジョブズ氏が亡くなる僅か前日のニュースだった。
iPod,iPhone,iPad。
iPodのカラー液晶画面登場以来凡その未来想定は予測できたものの、
通信の発達もまた想像を超える速さで進みジョブズ氏の思考を刺激した。
アップル社の総帥:スティーブ・ジョブズ(1955年~2011年)についての、
2008年の過去記事を読み返してみると、
ジョブズは一度アップル社を退社している。
退社といえば聞こえは良いが“その実”業績不振による解任。
アップル社の会長職(名誉職)を与えられたものの、
ジョブズは新しい会社NeXTを立ち上げるために、
自身が所有していたアップル株を売却。
売却益をNeXT社に投資しハード&ソフトの両立を試みたが断念。
その後NeXT社をソフトウェア会社として成長させた。
1996年~97年にかけてアップル社がNeXTの買収契約に合意しアップルに復帰。
そしてジョブズ率いる2000年頃からのアップル社の快進撃はご承知の通りである。
iTunesとiPodによる成功は企画力と開発力の圧倒的な独創性を見せつけ、
新しいアメリカン・ドリームの象徴とされている。
そうしたジョブズの経歴は彼の持つカリスマ性を高め、
ビル・ゲイツとは対照的な経営者としての側面も強調されることが多い。
数年前に雑誌:AERAで読んだインタビュー記事が強く印象に残っている。
完璧主義者で自信家の彼が自らの過去を振り返り、
「私は良いものさえ作れば市場は反応すると信じてきた。
そのために価格を無視してでも自分が欲しものを作ろうと考えた。
しかしそれは私の思い過ごしだったようだ。
市場にとってまず大事なことは価格なのだ。
購入できる価格を設定し上で商品作りを考えるべきことに気付いたことは、
私にとっての大きな変化だった。
そして市場の求めているものは完璧なものではなく、
ヴァリュー・フォー・マネー(Value for Money)
~価格に見合った質の高いサービスの提供~
の徹底なのだ。
最高の音質を求めればコストはかかる。
しかしその価格が商品を購買する購買層(ターゲット)に対して、
高嶺の花となってはその商品は自己満足に過ぎない。
大切なことは購入できる価格のライバル製品の中で、
対象商品が如何に傑出しているかが、
ヴァリュー・フォー・マネーの定義であり、
市場において満足度を共有できる商品こそが、
大衆の指示を得ることができる。」
そんな感じのコメントだったと記憶している。
基本コンセプトの徹底。
繰り返すが、
「私は良い商品さえ作れば市場(マーケット)は反応すると信じてきた。
そのために価格を無視(高額)してでも自分が欲し商品を作ろうと考えた。
しかしそれは私の思い過ごしだったようだ。
市場にとって先ず大切なことは(購入可能な=大衆)価格なのだ。
購入できる価格を設定した上で、
商品作りを考えるべきことに気付いたことは、
私にとっての大きな変化(収穫)だった。
そして市場が求める商品は完璧なものではなく、
“ヴァリュー・フォー・マネー(Value for Money)”
~価格に見合った質の高いサービスの提供~
の徹底なのだ。
最高の音質(携帯音楽プレーヤー)を求めればコストはかかる。
しかしその価格が商品を購買する購買層(ターゲット)に対して、
高嶺の花となってはその商品は(製作者の)自己満足に過ぎない。
大切なことは購入可能な価格のライバル製品(他社の商品)の中で、
対象商品(自社の商品)が如何に傑出しているかが、
ヴァリュー・フォー・マネー(=コスト・パフォーマンス)の定義であり、
市場において“満足度を共有”できる商品こそが、
大衆の指示を得ることができる。」
は、
21世紀初頭の急速な変化が起きた国際マーケットの指標となる言葉であった。
~ただし経営コンセプトは時代の変化に対応して異なり続ける傾向から絶対はなく、
今後も価格設定ありきのビジネス・モデルが継続しえるかは流動的と考えたい。
我国でも、
急速に価格破壊が進んだ1998年前後の新しい生産拠点(国際化)と市場の開拓。
“購入できる価格”内での安定した品質と市場への刺激策(=満足度の共有)。
ジョブズ氏が180度転換した市場命題は、
“マイクロソフトの後塵を拝したアップルの逆襲”
でありその基本概念は奇想天外な構想を生んだ。
無料で提供された、
iTunses(ソフト&有料ストア)なくしてアップルの発展はあり得なかった。
生産するだけのビジネスモデルにこだわる多くの企業(生産拠点と価格)に対し、
ジョブズ氏は“だけを廃する”ことで商品の存在価値(=多様性の創造)を高め、
変化する通信技術を逸早く未来想定した上での商品開発と商品(夢)の提供。
“人よりも一歩も二歩も先を見据えた経営哲学&自らの死との対話”
膵臓癌(すいぞうがん)。
多くの場合は発見された時点で手遅れと言われる最も深刻な臓器の腫瘍。
・・・。
ジョブズ氏は生き急ぐ必要があった。
と同時に、
ジョブズ氏の強い個性は絶えず対立を生みだし、
対立もまたジョブズ氏に多くの経験を植えつけている。
過去の経験を活かし最大限に生き抜いたジョブズ氏の生涯。
と、
思いつく言葉を(私が)文字にするのは容易い。
しかし、
ジョブズ氏が歩んだ道のりと経験。
決して誰にも真似のできない未知の領域への挑戦に、
神(悪魔)の申し子と讃える人も多い。
パフォーマーとしての注目される事の多いジョブズ氏。
しかし先進性(開発者)と経営能力(適材適所の人材登用)。
さらに人材(エンジニア)との軋轢(無理な要求の指示・命令)と、
その気にさせる“人を動かす力”は耳にする限り類を知らない。
私はその部分(開発能力&経営能力)に感銘を受けるし、
頭に描く想像(=自身の夢)を実現化する巨大な行動力は、
人々の暮らしや社会環境を大きく変えた。
それは政治力や国家行政ではなく、
それは卓越した個人の創造性と、
実現可能に貢献した企業の能力。
ジョブズ氏の死は業界の勢力図を大きく変えるだろう。
しかしジョブズ氏に代わる人材は当分あらわれそうにない。
“100年(世紀)に1人のカリスマ経営者”
世界は惜しい人材を失った。
<関連リンク>
*スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での卒業式スピーチ
→ https://sites.google.com/site/himazu/steve-jobs-speech
リンク先に記入される2005年6月12日のジョブズ氏の有名なスピーチは、
膵臓癌による生と死の境界を生きている経験(&不安)を前提に語られており、
読み進んで行けば私が文字にした拙文の意味が分かりやすいと感じます。
長文ではありますが是非お読みください。
*****
2011年10月6日。
この日のトップ・ニュースは、
小沢一郎民主党代議士の初公判。
小沢氏の言い分も理解できる。
*総選挙を狙ったかのような検察の暴挙(権力の執行)。
*近年できた法律による民間人の手による起訴。
この部分について小沢氏に同情する余地もある。
しかし私の過去ブログ、
*法律は許されても“それはモラルの問題”。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100827
*平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)に思う事 14。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110414
の記事で述べたような理由から私は小沢氏を信用する事はできない。
自分達(政治家)が作った法律によって起訴された事実を否定する事。
三権分立を論じる前に法に基いた手続きに悪態をつく態度は自己否定。
本当に報道(夕方の記者会見)を見るに及んで“恥を知らない人”だと感じた。
問われるべきは法律ではなく政治家としての姿勢(=在り方)の問題であり、
小沢一郎氏の政治姿勢が自己への執着と感じさせることに残念でならない。
蛇足ではあるが有罪判決を受けた、
小沢氏の元秘書:石川知裕衆院議員は、
早急に議員(国会・衆議院)を辞職すべきだ。
逮捕・起訴は司法の決定機関である裁判所の判断ではない。
私はその点について、
議員の立場や行政職員(公務員)の立場は守られるべきだと思う。
しかし一審とは言え、
有罪判決が出た今もなお何故彼は、
議員の席に身を置き血税を得るのか?
私の常識では議員を辞職し、
地元の有権者に身を委ねる事が真っ当ではないか?
それが守られないことは三権分立の軽視(=司法)に当たる。
と同時に、
それを見過ごす事は、
国会(議員総べて)の良識が問われる。
~以下Web記事転載(ジョブズ氏関連)。
米電子機器大手アップルは5日(2011年10月)共同創業者の、
スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(SEO)が同日死去したと発表。
享年56歳だった。
*携帯音楽プレーヤー:iPod(アイポッド)。
*多機能携帯電話:iPhone(アイフォーン)。
*多機能端末:iPad(アイパッド)」など、
革新的な大ヒット商品を世に送り出し経営不振だったアップルを、
世界最大のIT企業に導いたカリスマ経営者だった。
*****
20世紀から21世紀にかけ、
人類の日常生活に革命を起こしたカリスマ経営者がこの世を去った。
波乱万丈の人生だった。
米サンフランシスコに生まれ直に養子に出された。
大学中退後の1976年。
自宅のガレージで友人のスティーブ・ウォズニアックとアップル・コンピュータを創設。
マウスを使った家庭用パソコン:『マッキントッシュ』がヒットし、
一躍若手起業家の仲間入りを果たすも経営対立から、
1985年に会社を追われた。
ジョブズ氏自身が「ひどく苦い薬だった」と振り返る経験を経て、
映画会社『ピクサー・アニメーション・スタジオ』を設立した。
CGを使った『トイ・ストーリー(95年)』がヒット。
1997年。
12年ぶりに古巣アップルのトップに復帰した。
復帰後は、
デザインと機能性にこだわった一連の商品を発売。
iPodは音楽業界の形態に革命を起こした。
iPhoneも世界的な社会現象となり、
iPadと合わせ、
“10年間で3度の革命を起こした”
と、ITアナリストに評された。
2004年にすい臓がんを治療。
2009年に肝臓移植のため半年間休職した。
2011年1月に再び体調を崩し休職。
2008年にCEOを辞任していた。
最近では今年3月に療養中ながら新製品発表会に登場。
「技術が教養や人間性と結び付いてこそ、
“人の心を動かす”ことができる。」
と持論をアピールしていた。
テクノロジーの世界のカリスマだったがジョブズ氏は、
豊かな言葉を持つ人物としても知られた。
2005年にスタンフォード大の卒業式でのスピーチは、
名演説として今も語り草になっている。
「17歳の時から33年間、毎朝鏡を見て(私は)自問自答している。
“今日が人生最後の日だとしたら私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか”
そして答えがノーであることが何日も続けば何かを変えるべきなんだ。」
強いメッセージを送った後に、
「ハングリーであれ、愚かであれ」
と締めくくった言葉は多くの著書などで引用されている。
(2011年10月7日付/スポーツ報知・記事転載)
*****
5日に死去した米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏が手掛けた製品は、
PCの『マッキントッシュ』から多機能携帯端末『iPad』に至るまで、
ミニマリスト的デザインとシンプルな操作性が特徴だった。
ジョブズ氏のこうした革新的なデザインには、
禅の影響があるのではないかと指摘する声もある。
ジョブズ氏は若いころインドに旅して仏教に触れ、
1970年代にカリフォルニア州の禅センターに通って、
日本出身の禅僧:故・乙川弘文氏と交流を深めたといわれる。
乙川氏はジョブズ氏の結婚式を司り、
1986年にジョブズ氏がアップルのCEOを解任されて設立した、
ネクストの宗教指導者にも任命されるなど2人の交流は長年にわたって続いた。
ジョブズ氏がスタンフォード大学で2005年に行った有名な講演をはじめ、
同氏の発言の中には禅の自力本願の思想が反映されている。
講演でジョブズ氏はこう語った。
「過去33年間、私は毎朝鏡の中の自分に向かって、
“もし今日が自分の人生最後の日だったら、
今日やろうとしていることをやりたいと思うか?”
と問い掛ける。
そして答えが“NO”の日が続いたら何かを変えなければいけないと思う。
自分はいつか死ぬと思い続けることは私が知る限り、
何かを失うかもしれないという思考の罠に陥るのを防ぐ最善の方法だ」。
ジョブズ氏と乙川氏との交流はフォーブズから近く出版される、
劇画小説「The Zen of Steve Jobs」に描かれる。
(2011年10月6日付/CNN Japan 記事転載)
*****
自ら立ち上げた会社であるアップルコンピューターから、
1985年に追い出されたスティーブ・ジョブズ氏は、
12年後の1997年に再びアップルに復帰した。
そして新しい広告キャンペーンを開始した。
キャンペーンのタイトルは、
“違う考え方を持ちなさい(Think Different)”
アルバート・アインシュタインやボブ・ディラン、
マーティン・ルーサー・キングやジョン・レノン、
トマス・エジソンやモハメド・アリ、
マハトマ・ガンディーやパブロ・ピカソ。
彼等の顔が次々に登場しナレーションが流れる。
「ここに正気でない人たちがいます。
社会不適者に不平ばかり言う者。
(所謂)問題児たちです。
世間を違う目で見ている人たちなんです。
人々が彼らに対し正気ではないと囁く時、
我々は彼らの中の天才性を見ます。
正気でない人だけが、
自ら世間を変えることができると信じ、
それによって世間が変わります。」
ジョブズ氏の人生がまさにそうであった。
人々は彼を正気ではないと思い問題児とみなした。
しかしジョブズ氏とアップルは世の中を違う目で見た。
人々がジョブズ氏とアップルは正気ではないと後ろ指を差した時、
彼らは天才的な製品を作り世間を変えた。
スティーブ・ジョブズ氏の56年間の人生。
世の中が変わった。
●アップルの始まり
ジョブズ氏は1955年に未婚の母親から生まれ、
その直後に里親に送られた。
しかし不幸ではなかった。
誰かがジョブズ氏にポールとクララ・ジョブズ氏夫婦について触れながら、
「里親」と表現すればジョブズ氏は直ちに「両親」と言葉を訂正した。
よい家庭だった。
そしてよい環境だった。
その場所は、
ほかならぬシリコンバレーだったからだ。
ジョブズ氏の自宅から遠くないところには、
米航空宇宙局(NASA)のエームス研究所があった。
ジョブズ氏は幼い頃、
そこで同じ年頃の少年らは目にできなかったコンピューターに接した。
オレゴン州のリード大学に通ったが1学期後に中退しシリコンバレーに戻り、
コンピューターに関心のあったエンジニアたちと付き合った。
この集いであった人の1人がジョブズ氏より5歳年上の、
スティーブ・ウォズニアック氏だった。
ウォズニアック氏はアップルコンピューターの初ヒット作、
『アップルII』を作った人だ。
1976年。
ジョブズ氏はウォズニアック氏の新婚宅や自宅の車庫を事務所代わりにし、
アップルコンピューターを立ち上げた。
資本金はポケットマネーをはたいて工面したわずか1000ドル。
ジョブズ氏には確信があった。
ウォズニアック氏が作るコンピューターはまもなく各家に1台ずつ、
冷蔵庫や洗濯機と同じように売られるだろうし、
その時になれば世の中は変わるだろうという確信だった。
誰一人としてジュブズ氏の考えに同調しなかった。
否、正気ではないとさえ言われた。
当時の基準から見ればコンピューターとは、
研究所や企業で使われる高価な代物で、
一般家庭における代物ではなかったからだ。
しかし、
1977年。
ジョブズ氏とウォズニアック氏が作った『アップルII』は、
飛ぶように売れ個人向けコンピューター(パソコン=PC)時代を切り開いた。
●失敗の連続
1984年。
ジョブズ氏が作ったマッキントッシュは失敗の始まりだった。
ジョブズ氏とアップルの従業員らが、
ゼロックスのパロアルトリサーチセンター(PARC)が開発した、
マウスやグラフィックユーザーインターフェイス(GUI)を、
PCに適用したのは革新的な出来事だった。
それまでのコンピューターはキーボードで画面に命令語を打ち込む方式で作動させた。
がマッキントッシュは絵をマウスでクリックすれば作動する未来のコンピューターだった。
問題はこの技術を取り入れたマッキントッシュの価格が高すぎることだった。
マッキントッシュは昨今のコンピューターの形を初めて提案したが、
時代を余りにも先取りしていた。
消費者は高価なマッキントッシュに顔を背け、
ジョブズ氏はアップルから追い出された。
しかし彼のやり方は確かに正しかった。
当時アップルのマッキントッシュ・コンピューター向けソフトウェアを製作・販売した、
小さなソフトウェアメーカー:マイクロソフト(MS)のビル・ゲイツ氏は、
この過程で学んだマッキントッシュ・ソフトウェア技術を利用し、
その後に『ウインドウズ』運営体制(OS)を作り出す。
アップルから追い出されたジョブズ氏は、
アップルを見返したいとの思いから、
ネクスト(NeXT)というコンピューター会社を作った。
素敵なデザインに優れた性能。
先をリードするソフトウェアを使った、
完璧なコンピュータを作るのが目標だった。
しかし、
今度もジョブズ氏は市場を読み間違えた。
ネクストはマッキントッシュよりもさらに高価で、
ターゲットにしている消費者は大学生だった。
売れるはずはなかった。
この時ジョブズ氏は、
映画:【スター・ウォーズ】の監督として有名なジョージ・ルーカスから、
コンピューター・グラフィック会社を一つ買収する。
ルーカスが妻との離婚訴訟に敗れ慰謝料の支払いに追われ、
大急ぎで売りつけた会社だった。
同社はその後に『ピクサー』と名前を変えた。
自社映画:【トイ・ストーリー】が初めて商業的成功を収めた1995年まで、
実に9年間もピクサーは骨折り損の草臥れ儲けのように膨大な損害を受けた。
当時ジョブズ氏と共にピクサーを立ち上げたエド・キャットムル氏は、
ジョブズ氏の死亡のニュースを耳にし、
「スティーブはコンピューターでアニメを作るという、
正気でない考えを心底から信じ我々にチャンスを与えた」
と振り返る。
●ジョブズの復活
1997年。
ジョブズ氏はアップルに戻ってくる。
アップルは不渡り寸前(倒産寸前)まで追い込まれた状態だった。
復帰したジョブズ氏が手がけたことは何一つ前向きな反応を得ることができなかった。
復帰直後ジョブズ氏が手がけた最大の仕事はライバル会社だったMSとの提携だった。
ジュブズ氏は(ライバルの)ビル・ゲイツ氏を訪ね、
MSに自由にアップルの特許を使わせる代わりに投資を頼み込んだ。
1997年。
ジョブズ氏のキー・ノートでMS(マイクロ・ソフト)との提携事実が発表され、
ジョブズ氏の後ろの巨大な画面にゲイツ氏が登場すると、
アップルのファンらは野次を飛ばした。
しかしこの時からジョブズ氏は正しかった。
アップルはこの協力のおかげで急場をしのぐことができ、
立ち直りの足がかりを作った。
2001年に発表した、
携帯向け音楽プレーヤー:『アイポッド』も最初から失敗が囁かれた。
携帯向け音楽プレーヤー市場は数十年間ソニーの独壇場だったし、
携帯向け音楽プレーヤー、メーカー各社は軒並み該当分野だけに集中する、
専門メーカーだった。
(失敗が囁かれた理由は)コンピューターを作り続けたアップルが、
果たして携帯向け音楽プレーヤーを売ることができるだろうか?
という懸念だった。
その結果は皆ご存知の通り。
アイポッドは世界で最も多く売れた、
携帯向け音楽プレーヤーとなった。
2007年に披露した、
多機能携帯電話:『アイフォーン』も失敗の予想が先に出た。
携帯電話メーカーは消費者ではなく通信社を相手に物を売るビジネスだった。
通信会社とのネットワークも営業ノウハウも無かったアップルには、
製品を売る手が無いということだった。
しかしアイフォーンは世界で最も多く売れるスマートフォンとなった。
アイフォーンに熱狂する消費者らは、
通信会社に圧力をかけアイフォーンを販売させ、
アイフォーンを販売できない通信会社は競争で遅れを取った。
ジョブズ氏は市場の力学関係を変えてしまった。
2010年。
多機能端末:『アイパッド』が出たときも皆が口をそろえて、
「サイズだけ大きくなったアイフォーン」
だと酷評を飛ばした。
しかしそのおかげで皆が存在すらしなかった、
“タブレットPC市場”というこれまでにない新しい市場が誕生し、
“アイパッドの人気”のためパソコン市場が揺らいだ。
ジョブズ氏はアップルを自分の最も好きなバンドである、
ビートルズにたびたび例えた。
「ビートルズは4人がお互いに弱みを補い合うバンドですね。
お互いにバランスが取れています。
そしてこの4人の合計は4より一際大きいのです。
企業の偉大なところは、
これは1人で出来ることではないということです。
アップルはチームプレーですね」。
(2011年10月7日付/東亜日報・記事転載)