mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

第97回『日本陸上選手権(2013年)』:NHK総合&BS1放送予定。

2013-06-06 22:00:00 | 芸能・スポーツ

第97回『日本陸上選手権大会』放送予定。

【NHK-BS1】
*第1日目。

~2013年6月7日(金)午後7:00-午後8:50(録画)

【NHK総合】
*第2日目。
~2013年6月8日(土)午後4:00-午後6:00(生放送)

*最終日。
~2013年6月9日(日)午後4:00-午後6:00(生放送)

【NHK総合(再放送)】
-1日目-
~2013年6月8日(土)午前1:40-午前2:40(録画・再放送)

【NHK-BS1(再放送)】
-2日目-

~2013年6月9日(日)午前1:00-午前2:50(録画・再放送)

-最終日-
~2013年6月10日(月)午前0:00-午前1:50(録画・再放送)

*NHK番組HP→ http://www1.nhk.or.jp/sports2/athletic/index.html

*陸連タイム・テーブル→ http://www.jaaf.or.jp/jch/97/timetable.php

※ ※ ※ ※ ※

毎年恒例は“お楽しみ”の日本陸上選手権。
今年は東京調布市の味の素スタジアム。
生中継を含む、
日本の陸上競技の最高峰の戦いが幕を開ける。

昨年2012年はロンドン五輪で注目された陸上競技。
多くの輝かしい成績を残した水泳競技と比較し、
陸上競技は選手層の薄さや精神面の弱さが露呈され、
思い通りの結果には至らなかった。

また水泳チームに見られたチームワークの力も、
陸上競技の選手達の間では希薄に感じられた。

代表選手のメンタルの弱さと
原因としての“個”の注目。
スポーツと“個”について注目の発言がある昨今だが、
“個”を磨くことと同時にチームとして研鑽や情報交換。
短距離、長距離、フィールド。
畑違いの経験を聞くことも“個”のメンタルを伸ばす。
大舞台の魔物を封印するに必要なメンタル・コントロール。
期待を力に変えるメンタルと期待に押しつぶされるメンタル。

多くの選手たちが大舞台で実力を発揮できなかったロンドン五輪。
“個人”への注目が集まる中での全体の底上げと若手の育成。
努力と才能が最大限の形で実を結ぶ(結果でなく自己ベスト)ための、
陸上協会の思い切った改革が待たれる。
*チーム日本としての国の支援と安心して競技できる環境の整備。

※ ※ ※ ※ ※

<番組の見どころ(NHK)>
97回目を迎えた陸上日本一を決める日本陸上選手権。
今年は東京・調布市の「味の素スタジアム」で行われます。
注目は男子100mの高校生スプリンターの桐生祥秀選手。
4月に日本人初の9秒台に迫る10秒01をマークし一躍脚光を浴びています。
小柄な体ながらダイナミックな走りで頂点を目指します。
100mにはロンドンオリンピック代表の山縣亮太選手や江里口匡史選手らもエントリー。
トップスプリンター同士の激しい争いから夢の9秒台が生まれるかもしれない。

男子やり投げはベテランと若手の対決に注目です。
33歳の村上幸史選手は今年、日本歴代2位の記録をマークし好調。
一方、21歳のディーン元気は去年のロンドンオリンピック代表で勢いに乗っています。
二人の対決と日本記録を超えるビックアーチに期待がかかります。

男子ハンマー投げにはアテネオリンピック金メダリスト38歳の室伏広治選手が登場。
世界と戦い続けるベテランが日本選手権19連覇を目指します。

女子では短距離の第一者、福島千里選手に注目。
ロンドンオリンピックで不振に終わった福島選手は再び世界を目指し日本選手権の舞台に立ちます。
その他、
女子やり投げに今年日本記録を更新した海老原有希選手。
女子1万mにロンドンオリンピック9位の新谷仁美選手。
などトップアスリートが多数エントリー。
ハイレベルな熱戦が期待されます。

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【小橋建太:引退試合(2013年5月11日/日本武道館】:友人とTV観戦。

2013-05-13 22:00:10 | 芸能・スポーツ

プロレスラーの“鏡”としてプロレス界に君臨した小橋建太が引退した。
当ブログ&ツイッターでは重ね重ね情報発信していたので興味のある方は観たと思う。

2013年5月11日:午後7時58分に運命のゴングが鳴る。
昨年(2012年)2月19日の東日本大震災復興支援イベント。
『ALL TOGETHER 仙台』以来のリング登場となる。
その時の映像を観たプロレス・ファンなら理解できるだろう。

試合開始直後に大怪我(脛骨折等、複数)をしながら試合を続行。
精彩のない動きのまま最後はムーンサルトプレスで勝利。
しかし、その勝利は、
前年(2011年)に武道館で行われた『ALL TOGETHER』
とは比較にならない素人目にも“お粗末なファイト”だった。

仙台での試合のイメージが引退試合である武道館戦とリンクする。
*果たして本当にリングに立ち“まともな試合”ができるのか?


*****

結果は心配無用だっった。
最高のメモリアル試合を“最高の形で締めくくった小橋選手”の勇姿を目に焼き付けた。
最高の引退セレモニーでの小橋選手の一言一言の誠実に心打たれ震える思いがした。
友人が途中4回はウルウルしたと後で告白(私もそうだ!)。
2年前の『ALL TOGETHER』の試合はその年のベスト・パウドであったが、
5月11日の小橋建太は“その時”を遥かに凌駕する素晴らしい激闘を制した。

*****

プロレスとは何だろう?の答えに、
“不意を突かなければ何をしても良いルールのある喧嘩”
との回答は小橋選手の師匠であるジャイアント馬場さんの言葉。
“さあ、来い!”と覚悟を決めて相手の技を受けること=プロレスの美学
そのセオリーを武道館のメインで戦った8人全員が実践して見せた。

最高の試合をして見せたのは小橋選手だけではない。

武藤敬司、佐々木健介、秋山準。
KENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口。
メインイベントのリングに立った8人総ての選手が素晴らしかった。
特に佐々木健介選手と潮崎豪選手の意地の張り合いは見応え充分。
また、
小橋選手の執拗なローリング・クレードルを受けたのも潮崎選手だった。

小橋選手の付け人達は小橋スタイルである“受けの美学”を実践した。
だからこそ40分にも及ぶ長時間の試合はダレることなく前に進んだ。
受けの美学なきプロレスは素人目には強く頼もしく見えるものの、
一方の選手のマスターベーションに過ぎず“通の目”からは記憶に残らない。

*****

日本武道館には17000人もの観客が詰めかけた。
武道館のチケットは即日完売だったらしい。
武道館に入れなかった人たちは映画館でのライブ・ビューイング。
首都圏ではライブ・ビューイングのチケットすら売り切れた。
試合はBSスカパーにて全国の電波にのった。
試合後のツイートの速度はその感動を誰もが伝えた。
武道館への入場の際は雨の中で40分もの行列を作った。
*しかし問題は数字ではない。

*****

小橋選手の事を文字にすれば数万字が必要となろう。
今の私には“その時間”はない。
レスラー生活、最後の技はムーンサルト・プレス。
小橋選手のムーンサルトは膝から落ちるために自らに衝撃。
ヤングボーイ時代の軽い体重から絶対王者時代の重い体重。
ムーンサルトについてファンからの賛否はあった。
一日でも長く続けて欲しいファンはムーンサルトの封印を求めた。
ラリアートや投げ技だけでも絶対王者の地位に揺るぎはない。
しかし小橋選手は大試合では必ずムーンサルトを決めた。
*自分の身体の心配よりもファンが求める小橋建太の実現。

引退試合の夜に日本テレビのスポーツ情報番組に出演。
小橋選手は自らの必殺技をバーニングハンマーであると断言した。
2003年3月に三沢光春選手からフォールを奪った大技だ。
小橋選手はインタビューで、
「バーニングハンマーは危険な技なんですよ」。
と証言するもコメンテーターは“その意味”を理解していない。

危険な技とは受け身が取れない技の意味であり、
その技の使用は大きな怪我や死を意味している。
*つまり技をかける側が相手を選ぶ技なのだ。

プロレスは格闘技であるものの相手を倒すことだけを目的としない。
長期巡業を考えながら相手に怪我をさせない配慮が求められる。
だからこそプロレスは見る側に想像力が要求される。
「勝ったのは〇〇だが、強いのは★★だろう」。
そんな話が通用するスポーツは他にない。
それはどこか大相撲の地方巡業にも通じる“粋”な世界。
プロレスとは、
リアルだけを求めてはいけない大人の娯楽でもある。

*****

デビューから25年で、
年間最優秀選手を2回。
年間最高試合(ベストパウド)は何と8回。
3年に1度はベストパウドを受賞する選手が“小橋建太”なのだ。
“相手選手が光らななければ、自分自信が光ることはない”
この言葉の意味が分からなけらばプロレスの真価に辿り着けない。
*相手選手の技を総て受けとめてこその“傷だらけのベストパウド”。

小橋選手の引退式は同時に、
三沢光春の引退式でもあった。
会場に大きく鳴り響く三沢コール。
馬場、鶴田、三沢、小橋の王道プロレス。

小橋選手の母と妻からの花束贈呈。
アナウンサーが指摘した、
“三沢×小橋の命を懸けた一戦”
小橋建太が母に告げた決意の言葉。
プロレスの凄さを知るエピソードの1つである。

*****

「今、幕を閉じようとしているプロレス人生。
自分の青春でした。
しかしまだ46、47、48と青春は続きます。
1つの青春は終わりました。
また、
次からの青春を頑張ります。」

「26年前に入門をして色んなことがありました。
しかし自分で自分自身で、
決断をして歩んできたプロレス人生に悔いはありません。
苦しいこともたくさんありました。
しかし、それを乗り越えた時、
何倍もの嬉しい事、幸せなこと、たくさんありました。
その幸せなプロレス人生を共に歩んでくれた、
ファンの皆様に感謝の気持ちで一杯です。
今日私は引退しますが、
プロレスで学んだ不屈の精神でこれからも頑張っていきたいと思います。
そしてこれまで小橋建太にかかわってくださった全ての皆様に感謝します。
もう一度言わせてください、ファンの皆さん。
私は最高のプロレス人生を送ることができました。
本当にありがとうございました」。
☆小橋建太☆


*****

<小橋選手に贈るレスラー達のつぶやき>

▽武藤 敬司 ‏@muto_keiji
ブログを更新しました。
『小橋引退試合』
http://ameblo.jp/muto-ajpw/entry-11528921852.html

▽ハヤブサ ‏@projecthayabusa
ありがとうございました。
小橋さんの引退試合、素晴らしい大会でした。
オレも小橋さんのリクエストで、
図々しくも開会宣言をやせてもらいました。
何度も何度も湧き上がる1万7000人の、
大"小橋コール"試合後のバックステージでは…。
http://ameblo.jp/fushichou/entry-11525570484.html

▽鈴木みのる ‏@suzuki_D_minoru
ブログを更新しました。
『最初で最後に…』
http://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-11528765838.html

▽棚橋 弘至 ‏@tanahashi1_100
日本武道館を出発。
小橋選手引退、名残惜しい。
小橋さんの飾らない言葉がガシガシ胸に響いた。
エネルギーの塊を持って帰ろう☆

▽永田裕志 ‏@nagata769
小橋さんの引退試合終了ゼァ。
完全燃焼出来たのだろう。
試合後の小橋さんは素晴らしい笑顔だった。
改めて小橋さんお疲れさまでした。
そしてありがとうございましたゼァ。

▽小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 ‏@cozy_lariat
武道館大会終了。
ここまでの感動を目の前で見れたのは人生で初めてかもしれない。
小橋さん、ありがとうございました。

▽蝶野正洋/Chono Masahiro ‏@masahirochono
小橋選手引退試合。
最後まで小橋くんは素晴らしかった
ファイトもメッセージも…ご苦労さん

▽中西学 Manabu,Nakanishi ‏@nobitokun
小橋選手長い間お疲れさまでした。
あなたは同年代の誇りであり我等が京都の誇りです。
ゆっくり休んで下さい本当にお疲れさまでした。

▽後藤 洋央紀 ‏@510njpw
小橋さんの引退試合をTVで試聴。
また一人、偉大なレスラーがリングを去った。
お疲れ様でした。

▽潮崎豪 ‏@goshiozaki54039
あ~、昨日の余韻がまだ残ってるな(>_<)
カラダ イテ~シ
体を回復させるべく夜は肉だ!!肉だ!!
昨日はあのリングに立てて最高だった!!!

▽秋山準 ‏@jun0917start
昨日の試合で潮崎の良さは解ってもらえたと思うが、
マルの良さも解ってもらえたかな?

▽秋山準 ‏@jun0917start
小橋さんから御礼の電話が来た。
いやいや御礼を言わないといけないのは僕ですよ。
やっぱり尊敬すべき人だ!

*****

*みずき舞(小橋建太夫人)オフィシャル・ブログ。
『FINALBURNING in budokan』
最初に本人から引退の話しを聞いた時は正直ホッとしました。
これまで、どんな時も真っ直ぐに向かい合ってきた主人が
この先、自分のプロレスができなくなる。
だから引退する。
この次に向かう決断を、今度はまた応援していきたいと思い、
そのスタートの日が昨日の引退記念興行でした…。
http://ameblo.jp/mizuki-mai/entry-11528914489.html

*小島聡のコジログ(ブログ)
『小橋 建太選手が小橋 建太さんに戻った日』
そして、クライマックスがやってきた。
武藤さんのムーンサルトプレスの後、
小橋さんがゆっくりとコーナーポストによじ上ったのだ。
自分は信じられなかった。
というか、
心の中で「それは止めた方がいい」と叫んでいた。
なぜなら、
一年三ヶ月前のオールトゥギャザーでの試合を観ているから。
あの日放ったムーンサルトは相手に届かず、
小橋さんは両ヒザから落ちて、骨折してしまっているのだ。
あの光景を観ていれば「もう封印するべき」と誰もが思ったはず。
それでもコーナーに上ってしまった小橋さん。
そして一気に飛んだ。
http://ameblo.jp/f4koji/entry-11528783897.html

*****

小橋建太から学ぶもの。
それは“不屈”である。

※※※※※

*小橋建太選手/引退関連の雑誌。

週刊プロレス増刊
小橋健太引退記念号
2013年6/15号 [雑誌]
840円(税込)
ベースボール・マガジン社

※※※※※

*小橋建太選手/引退関連の映像。

FINAL BURNING in Budokan
小橋建太引退記念試合 [DVD]
2013.5.11/日本武道館大会
バップ(7月24日発売予定)

※※※※※ 

<ニュース:各スポーツ紙からの記事を抜粋>

【小橋建太引退記念試合】
▽8人タッグマッチ60分1本勝負
〇小橋建太、秋山準、武藤敬司、佐々木健介
(39分59秒 ムーンサルトプレス→片エビ固め)
●マイバッハ谷口、潮崎豪、KENTA、金丸義信
*****
小橋の105キロの巨体が宙に弧を描いた。
トップコーナーに駆け上がり危険な封印技ムーンサルトプレスを解禁だ。
1回転しながらマットで横たわる金丸に体を沈めて勝利を勝ち取った。
1万7000人観衆の地鳴りのような“小橋コール”を受け、
鉄人は「プロレスが好きです。プロレスは自分の青春でした!」と涙。
すべての技を万感の思いを込めて放ち「プロレス人生に悔いなし」と完全燃焼した。
「三沢さん、馬場さんに心の中で天国に届くように引退しますと報告した」と小橋。
青春のすべてをかけたリングに感謝をささげて去った。
(2013年5月12日:スポーツ報知/記事転載)


【小橋建太:青春、完全燃焼!】
感情を前面に出す戦いぶりは全盛時と変わらなかった。
自身の付き人だった現GHCヘビー級王者のKENTAや、
潮崎、金丸、谷口に得意のチョップを浴びせ続けた。
その数、実に185発。
「いつもと変わらない気持ちで戦えた。応援してくれる人たちが力になった」。
ファンの声に満身創痍の体が突き動かされ最後は月面水爆を決めた。
右手に力を込める「青春の握り拳」からトップロープに上がると、
きれいな弧を描き金丸を仕留めた。
「プロレス人生は自分の青春でした。
46、47、48と青春は続きます。
一つの青春は終わりましたが次の青春を頑張ります」。
有終の美を飾ったリング上で涙ながらにあいさつした。
(2013年05月12日:スポニチ/記事転載)


【鉄人、小橋が完全燃焼引退!ムーンサルトで有終】
小橋建太引退記念試合が東京・日本武道館で開催されチケットは即日完売、
立ち見までギッシリの超満員となる1万7000人を動員した。
小橋は1987年に全日本プロレスに入門し88年2月にデビュー。
故・三沢光晴さん、川田利明、田上明との『四天王プロレス』で、
90年代後半のプロレス黄金時代を築き上げ三冠ヘビー級王座世界タッグ王座などを獲得。
00年には新団体プロレスリング・ノアに移籍し、
03年月から約2年間に渡ってGHCヘビー級王座を13度防衛し絶対王者の称号を得た。
06年6月には腎臓ガンが発覚し右腎臓を摘出しながらも、
07年12月に546日ぶりの奇跡の復帰を果たした。
その後もヒジやヒザの故障に悩まされ長期欠場と復帰を繰り返していたが、
昨年7月に行った首の手術後のコンディションが思わしくなく、
「これ以上、小橋建太のプロレスができない」
との思いから昨年12月にリングに別れを告げる決心をした。
*****
試合後、最愛の母・都さんと妻のみずき舞さんこと真由子夫人から労いを受けた小橋は、
「最高のプロレス人生でした」と何のバックボーンも持たないまま、
裸一貫で這い上がってきた自分を25年間応援し支えてくれたファンに感謝。
引退試合をしないままリングを去った恩師のジャイアント馬場さんと、
兄貴分であった三沢光晴さんの分までファンの思いを受け止めた。
(2013年05月12日:スポーツナビ/記事転載)


【小橋引退150発超!魂のチョップありがとう】
「とうとうこの日がきました。26年前に入門していろんなことがあった。
自分自身で決断して、歩いてきたプロレス人生に悔いはありません。
幸せなプロレス人生でした」
激闘の歴史に別れを告げるテンカウント。
武道館に響きわたるファンの“コバシコール”の中、静かにリングを去った。
*****
数々の大けが、大病を克服してきた鉄人の肉体は限界に達していた。
最近は首の古傷の影響で両手や足に力が入らず満足なトレーニングができない状態だった。
昨年7月、力皇猛の引退試合での復帰を目指したがかなわず、
骨盤から骨を取って首に埋めこむ手術に踏み切った。
だが除去した骨盤の代わりにセラミックを埋め込んだものの、その周辺の部分が骨折。
上半身しか練習ができない状態に追いこまれた。
医師からは「引退するか手術するか決めてほしい」と最後通告を突きつけられ、
昨年12月に引退を表明した。
(2013年05月12日:サンスポ/記事転載)


【小橋が翔んだ!さらば鉄人、伝説に幕】
引き際は自身で決めた。
99年に亡くなった師匠のジャイアント馬場さん、
09年に死去した兄貴分の三沢光晴さんは引退試合をしていない。
昨年7月、医師から引退との二択を迫られ首を手術。
リングでの事故で死去した三沢さんより悪い状態で現役続行を迷う中、
妻で歌手のみずき舞(39)からは「生きていて欲しい」と言われ、
悩んだ末に引退を選んだ。
「小橋建太のプロレスができない」という思いに加え、
三沢さんの死をむだにしたくなかった。
「体の状態が悪い自分がリングに上がり続けていいのか。
何かリング上であったとき野蛮に見られたりするのは、
プロレスを愛するものとしてつらい。
退かないといけないと思った」。
*****
「三沢さん、馬場さんには心の中で引退しますと天国に届くように言いました」
と話すと会場に三沢コールがこだました。
「しっかり花道を歩いて帰ることしっかり引退することが恩返し」
と誓った2人との約束を果たした。
「一つの青春は終わりました。また次の青春で頑張ります」。
小橋はけじめのリングに別れを告げた。
笑顔が完全燃焼の証拠だった。
(2013年05月12日:デイリースポーツ/記事転載)


【小橋建太、ラストマッチで奇跡の月面水爆】
リングに立つのは両ヒザに重傷を負った2012年2月19日。
「ALL TOGETHER」仙台大会以来、実に447日ぶり。
レスラー生活の集大成を見せるべく聖地に帰ってきた小橋が、
『GRAND SWORD』で入場すると17000人のファンから、
耳をつんざく大歓声が巻き起こった。
腰には絶対王者時代の2代目GHCヘビー級ベルトが巻かれている。
*****
88年2月のデビューから約25年。
全日本プロレスとノアで活躍しプロレス大賞MVPを2度、
ベストバウトを8度獲得するなど数々の金字塔を打ち立てた。
その一方で激闘の代償で体は満身創痍となった。
しかしそのたびに鉄人・小橋は不屈の闘志で困難を乗り越えてきた。
この日も完全燃焼するため、ファンにケジメをつけるためリングに戻ってきた。
そしてその責任を全うした。
(2013年05月12日:東京スポーツ/記事転載)


【小橋“魂の187発”で現役に別れ/ノア】
◆小橋建太(こばし・けんた)本名・小橋健太。
1967年(昭42)3月27日、京都府福知山市生まれ。
高校卒業後、一般企業に就職もプロレスへの夢を断ち切れず87年に全日本入り。
88年2月26日に大熊元司戦でデビュー。
96年7月に田上明を破って初の3冠王座を獲得。
2000年にノア旗揚げに参加。
03年3月1日に三沢光晴を破って第6代GHCヘビー級王者の座を獲得。
2年間にわたって団体内外の強敵を倒し続け13度の防衛を記録。
「絶対王者」が代名詞に。
06年7月に腎臓がんを手術し07年12月2日に復帰。
12年12月9日、両国国技館で引退表明。
得意技は剛腕ラリアット、チョップ。
夫人は、演歌歌手のみずき舞。
186センチ、105キロ。
(2013年05月12日:日刊スポーツ/記事転載)

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【女子柔道暴力問題】:武道憲章×山口香氏の朝日新聞インタビューを読む。

2013-02-08 23:00:00 | 芸能・スポーツ

【武道憲章】

武道は、
日本古来の尚武の精神に由来し長い歴史と社会の変遷を経て、
術から道に発展した伝統文化である。

かつて武道は、
心技一如の教えに則り、礼を修め、技を磨き、身体を鍛え、
心胆を錬る修業道・鍛錬法として洗練され発展してきた。

このような武道の特性は今日に継承され、
旺盛な活力と清新な気風の源泉として、
日本人の人格形成に少なからざる役割を果たしている。
いまや武道は、
世界各国に普及し国際的にも強い関心が寄せられている。

我々は単なる技術の修練や勝敗の結果にのみおぼれず、
武道の真髄から逸脱することのないよう自省するとともに、
このような日本の伝統文化を維持・発展させるよう努力しなければならない。

ここに武道の新たな発展を期し、
基本的な指針を掲げて武道憲章とする。

<第1条(目 的)>
武道は武技による心身の鍛錬を通 じて人格を磨き識見を高め、
有為の人物を育成することを目的とする。

<第2条(稽 古)>
稽古に当たっては終始礼法を守り基本を重視し、
技術のみに偏せず、心技体を一体として修練する。

<第3条(試 合) >
試合や形の演武に臨んでは平素錬磨の武道精神を発揮し最善を尽くすとともに、
勝っておごらず負けて悔まず常に節度ある態度を堅持する。

<第4条(道 場) >
道場は心身鍛錬の場であり規律と礼儀作法を守り、
静粛・清潔・安全を旨とし厳粛な環境の維持に努める。

<第5条(指 導) >
指導に当たっては常に人格の陶冶に努め術理の研究・心身の鍛錬に励み、
勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく師表にふさわしい態度を堅持する。

<第6条(普 及)>
普及に当たっては伝統的な武道の特性を生かし、
国際的視野に立って指導の充実と研究の促進を図るとともに、
武道の発展に努める。

昭和六十二年四月二十三日制定
日本武道協議会

※※※※※

【山口香氏インタビュー(朝日新聞/2月7日記事・抜粋)】

「(暴行を訴えた謝罪後にも)園田前監督が被害者に心ない態度をとった。彼女が頑張った試合のあとに“おれが厳しく指導してきたことが今回につながったんだ”というようなことを言ったという。私は女子柔道家として日本代表でナショナルフラッグを背負う選手に“そういう態度”をとることは絶対に許せない。 まして言動を注意された後にみんなの前で暴力を肯定するようなことを言うなんて言語道断。 日本の女子柔道が長い時間をかけて強くなってきたのは選手一人ひとりが力を合わせて切り開いてきたからだ。決して暴力的な指導をしたからではない。園田前監督は情熱があり指導力もあるかもしれない。だが国を代表する選手に対するリスペクトがなかった。続投は昨年11月に発表されたがもっと後でもよかった。選手の話に真摯に耳を傾け手順を踏んで選手が納得してから発表するべきだった」。

「悪い言い方をすれば選手たちはここまで我慢してしまった。声をあげられなかった。(中略)彼女たちの行動には賛否両論あると思うが彼女たち自身が起こしたものであるとはっきり言いたい。声明文にもあるように彼女たちは気づいた。何のために柔道をやり何のために五輪を目指すのか?監督に言われ“やらされて”ということでいいのか?それは違う」。

「私は今回のことで一番重要だったのは体罰を受けている選手はその中に入ってしまうと麻痺(まひ)してしまう。(稽古中の暴力が)自分のプラスになっているんじゃないか?先生は自分のことを思ってやってくれている。そんな考えに陥りがちだ」。

「時間が経つにつれ彼女たちのことを『何様なんだ』と言う人たちが必ず出てくる。今度は私たちが矢面に立って守ってあげなきゃいけない。柔道界をあげてサポートするという姿勢が大切だ。訴えたことが悪いんじゃない。問題をすりかえてはいけない。選手が自発的に起こした行動を見守り自立するのを待っててあげる。選手の自立を助ける。それがスポーツだろう。選手は臆せず意見をはっきり言える人間に成長している」。

「柔道はもともと相手を倒す戦闘目的のものだった。いわゆる柔術だ。ところが柔道の創始者:嘉納治五郎師範はそこに疑問を持ち指導方法を体系化して安全に学べるものにした。強くなるには『術』が大事だがそれが目的ではない。その術を覚える過程で自分という人間を磨く大切さを説いた。だから『道』になった。園田前監督らは金メダルを取らせないといけないという重圧から戦闘目的の『術』に戻ってしまった。人間教育がどこかにいってしまった。嘉納師範は柔道の修行として『形』『乱取り』『講義』『問答』の四つをあげている。後ろの二つ(講義と問答=相互理解)を一部の日本人が省略し柔道の姿を変えてしまった」。

「柔道界は強い者が絶対という思想がある。柔道家同士だと『お前弱かったのに』というような部分がどうしてもある。先輩後輩という関係もつきまとう。でも本当に柔道を愛しているのは“強くなくてもずっと続けた人”だと思う。そういう人を尊敬し適材適所で力を発揮してもらう。キーワードは『リスペクト』と『オープンマインド』。強い弱いを越えて相手を尊敬し広く開かれた組織になって多種多様な意見を取り入れる。そこから始めることが大切だ」。

※※※※※

読み方は個人の判断。
山口氏の主張は正しくもあり、間違いもあり。

*男性と女性の視点の違い。
*(指導者の)生まれ育った時代と考え。
*礼節を重んじる武道とスポーツの相違。
*柔道を支えるマネー(塾経営等)の問題。
*護身術としての理不尽な暴力への対抗技術。


山口氏の視点は、
現代女性が語るスポーツとしての見方。
*多くの識者が机上論で語る競技論。


血気盛んな荒くれ男達を抑え込み、
武道精神で鍛えることで立派な社会人として育てる。
論理以前の理不尽(粗暴・性質)を、
真っ当な人間に育成する。

その過程での、
力を抑え込むために力を見せつける。


恐らく山口氏が生まれる以前の武道(武術)の精神(目的)。

その時代を歩み支えた指導者達を否定し論で抑え込む危険。
*論理の断定は必ずや亀裂を生む。

武道(古武術)の本来の目的は理不尽を抑え込む論理的技術。
山口氏が指摘する柔術(講道館以前)とは、
相手を殺さず生け捕りにするために生まれた技術と記憶している。
*警察官や自衛官が武術を習得する目的は理不尽との対峙。

人は何のために強くなりたいと願い、何故に自分を鍛えるのか?
日本人(庶民)の視点はオリンピックや競技会のみに目が向くが、
単純に“喧嘩が強くなりたい”との目的で、
武道(格闘技)の門を叩く者も多いだろう。

*目的を修正し自分を鍛え自信を持たせることも指導者の役割。

*****

今回の問題で守るべきは訴え出た15人の女子選手の未来。

理不尽は暴力だけでなく組織の論理(=既得権や主導権)。
組織の論理に基き柔道界から選手達が抹殺されない工夫と擁護。

山口氏が語る“私の立場でできる限界”
選手への
“ここからはあなたたち自身でやりなさい”
の言葉の意味。
*15人の選手と山口氏の告発には尊敬を持って敬意を表する。

組織の論理と組織の理不尽(=万国共通の階級支配)。
山口氏を含めた選手達の立場を擁護・支援する第三者委員会。
男性と女性の違いと女性の地位向上。
*全柔連だけに問題の解決を任せてはだめだ。


全柔連は守りに入り粛清(しゅくせい)を行わず、
選手側は自分たちの主張に頑なにならず。

『形』『乱取り』『講義』『問答』
講義と問答を繰り返しながら新しい柔道界の創出。
*力の論理、数の論理でない話し合いでの理解と尊重。


柔道は武道かスポーツか?
私は西洋思想に靡く必要はないと思う。
“勝って驕らず!”
の礼の精神。


暴力を廃し、
自らに厳しく。


組織の押し付けでない、
個人の意思の確認。


他人に勝つのではなく、

己に勝つ(=納得・充足)。

日本柔道はJUDOに染まらず、
日本文化を継承して欲しいと願う。

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【五輪強化選手への暴力問題】:女子柔道選手側の訴え(声明全文)を読む。

2013-02-05 01:55:00 | 芸能・スポーツ

日本女子柔道代表監督の暴力問題が浮上し監督の辞任から5日後の2013年2月4日。
監督の辞任だけでは問題は解決しないとの女子選手たちの声明文が発表された。
女子選手が求める問題の本質を声明文だけでは読み解くことはできない。
肝心な部分はオブラートの包まれ何が問題の根底かを具体的には示していないからだ。
しかし尚且つ彼女らの勇気ある行動には誰もが敬意を払うべき事例として強く印象に残る。
スポーツに於ける暴力や体罰の問題に決定的な矢が放たれた事を私達は真摯に受け止めよう。
下記に声明文の全文を記載(転載)する共に各キーワードを色別に記入した。

※※※※※

皆様へ

この度、
私たち15名の行動により皆様をお騒がせする結果となっておりますこと、
また、2020年東京オリンピック招致活動に少なからず影響を生じさせておりますこと、
先ずもってお詫び申し上げます。

私たちがJOCに対して園田前監督の暴力行為やハラスメントの被害実態を告発した経過について述べさせていただきます。
私たちは、これまで全日本柔道連盟の一員として所属先の学校や企業における指導のもと全柔連をはじめ柔道関係者の皆様の支援を頂きながら柔道を続けてきました。
このような立場にありながら私たちが全柔連やJOCに対して訴え出ざるを得なくなったのは、憧れであったナショナルチームの状況への失望と怒りが原因でした。

指導の名の下に、または、
指導とは程遠い形で園田前監督によって行われた暴力行為やハラスメントにより私たちは心身ともに深く傷つきました。

人としての誇りを汚されたことに対し、ある者は涙し、ある者は疲れ果て、又チームメイトが苦しむ姿を見せつけられることで監督の存在に怯えながら試合や練習をする自分の存在に気づきました。
代表選手・強化選手としての責任を果たさなければという思いと各所属先などで培ってきた柔道精神からは大きくかけ離れた現実との間で自問自答を繰り返し悩み続けてきました。

<キーワード>
人としての誇りを汚されたことに対しある者は涙し、ある者は疲れ果て、
また“チームメイトが苦しむ姿を見せつけられる”ことで、
監督の存在に怯えながら試合や練習をする自分の存在に気付いた。
*チームメイトが苦しむ姿を見せつけられる~自分の存在 ←注目!

ロンドン五輪の代表選手発表に象徴されるように互いにライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)し励まし合ってきた選手相互間の敬意と尊厳をあえて踏みにじるような連盟役員や強化体制陣の方針にも失望し強く憤りを感じました。

<キーワード>
互いにライバルとして切磋琢磨し励まし合ってきた選手相互間の、
敬意と尊厳を“あえて踏みにじる”ような連盟役員や強化体制陣の方針。
*敬意と尊重を敢て踏み躙る ←注目!

今回の行動をとるにあたっても大きな苦悩と恐怖がありました。

私たちが訴え出ることで、お世話になった所属先や恩師、その他関係の皆様方、家族にも多大な影響が出るのではないか?今後、自分たちは柔道選手としての道を奪われてしまうのではないか?私たちが愛し人生を賭けてきた柔道そのものが大きなダメージを受け壊れてしまうのではないか?と、何度も深く悩み続けてきました。

決死の思いで未来の代表選手・強化選手や未来の女子柔道のために立ち上がった後、
その苦しみは更に深まりました。

私たちの声は全柔連の内部では聞き入れられることなく封殺されました。
その後、JOCに駆け込む形で告発するに至りましたが学校内での体罰問題が社会問題となる中、依然、私たちの声は十分には拾い上げられることはありませんでした。
一連の報道で、ようやく皆様にご理解を頂き事態が動くに至ったのです。

<キーワード>
全柔連の内部では聞き入れられることなく封殺されました。
その後、JOCに駆け込む形で告発するに至りましたが、
学校内での体罰問題が社会問題となる中、
依然、私たちの声は十分には拾い上げられることはありませんでした。

このような経過を経て前監督は責任を取って辞任されました。

前監督による暴力行為やハラスメントは決して許されるものではありません
私たちは柔道をはじめとする全てのスポーツにおいて、
暴力やハラスメントが入り込むことに断固として反対します。

しかし、
一連の前監督の行為を含め、なぜ指導を受ける私たち選手が傷付き苦悩する状況が続いたのか?
なぜ指導者側に選手の声が届かなかったのか?
選手、監督・コーチ、役員間でのコミュニケーションや信頼関係が決定的に崩壊していた原因と責任が問われなければならないと考えています。
前強化委員会委員長をはじめとする強化体制やその他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、“ひとり前監督の責任”という形を以て今回の問題解決が図られることは決して私たちの真意ではありません。

<キーワード>
前強化委員会委員長をはじめとする強化体制や、
その他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、
“ひとり前監督の責任”という形を以て今回の問題解決が図られることは、
決して私たちの真意ではありません。

今後行われる調査では、
私たち選手のみならずコーチ陣の先生方の苦悩の声も丁寧に聞き取って頂きたいと思います。
暴力や体罰の防止は勿論のこと世界の頂点を目指す競技者にとって、
またスポーツを楽しみ愛する者にとって苦しみや悩みの声を安心して届けられる体制や、
仕組み作りに活かして頂けることを心から強く望んでいます。

<キーワード>
私たち選手のみならずコーチ陣の先生方の苦悩の声…。
*コーチ陣の先生方の苦悩 ←注目!

競技者が安心して競技に打ち込める環境が整備されてこそ真の意味でスポーツ精神が社会に理解され、

2020年のオリンピックを開くに相応しいスポーツ文化が根付いた日本になるものと信じています。

2013年(平成25年)2月4日

公益財団法人全日本柔道連盟女子ナショナルチーム
国際強化選手15名
(2013/02/04/朝日新聞)

http://www.asahi.com/sports/update/0204/TKY201302040293.html


*****

世論は感情的に選手たちの側に立たず冷静な目で今後の進展を見守るべきだろう。
ただし、
選手たちの活動が制限されないよう十分な
監視と相互の思いを汲み取る心の余裕。
また今回の件を鑑み、
暴力を受けていた選手側(生徒達)に活動の制限を行う行政との比較。
多面的な視点から学ぶことは多い。

守られるべきは誰で改善すべきは何なのか?
決して感情的にならず何が現代の日本で正しいのかの議論が待たれる。

この問題(女子選手たちの改善要求と際どい立場)は決して封殺してはならない。
大人たちは選手や生徒の声に耳を傾け体制の在り方に疑問を持とう。
この問題(パワーハラスメント)はスポーツだけでなく総ての組織に共通した問題である。
*組織内のパワハラ=力のあるものが力のないものに理不尽な要求を突き付ける(権威主義)。

暴力行為や理不尽な振る舞いは必ず否定され改善されなくてはならない。
と同時に、
仮に組織が追い込まれた理由が金メダルへの評価なら世間も改める目。
目標と現実の狭間に立たされる中間管理職の憂いも考慮。
問題は一筋縄では解決できない。


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【五輪女子柔道代表監督:園田隆二氏】:共同会見に感じた情熱の空回り。

2013-01-31 23:22:22 | 芸能・スポーツ

*柔道・園田隆二監督辞意を表明(37分ノーカット*日テレNEWS24)
http://www.news24.jp/articles/2013/01/31/07222284.html

スマホから見られない場合は下記から順に辿ってください(提供:テレビ朝日)
*1/8→ http://www.youtube.com/watch?v=NVzwxvrL6_w

*****

<園田隆二代表監督の記者会見の要旨>

選手との信頼関係を築いていたつもりが、
私からの一方的な信頼関係になっていた。
2月に開催されるヨーロッパ選手権を辞退し、
代表監督を辞任する旨の進退伺を提出した。

*私自身は(選手から協会に告発されるまで)暴力との認識はなかった。
*(当時の)私の認識には暴力行為でなく乗り越えるために活を入れる意味で手をあげた。
*厳しい指導の対比に食事会などを持って選手の意見をリラックスした感じで聞いていた。
*(そのことで)選手たちとのコミュニュケーションはとれているつもりでいた。
*選手の告発から学んだことは選手の自立を優先して考え選手との信頼関係を構築すること。
*選手たちには申し訳ないと思う。
*(叩いた理由)力はあるが“もう一つ越えられない壁”を何とかしたいとの思いが強かった。
*私自身の焦り(強化選手の潜在能力と成長)が叩く行為になって行った。
*選手たちの声(協会並びJOCへの告発)を聞いて叩く行為は暴力と感じる(気付く)。
*指導者として友達ではないが離れすぎてもいけないとの思いがあった。
*指導者と選手の立場の区分の中で“友達との線引き(上下の関係)”が厳しさにつながった。
*ロンドン以前は一人で全体を指導したが以後は個人々々で指導するシステムに変更された。
*全日本の代表監督の使命としての金メダル至上主義への期待と(自分が背負う)重圧。
*指導者と選手とのコミニュケーションにおいて選手が納得する形をサポートすることが今後の課題だ。
*柔道の瞬間瞬間のタイミングを伝えるためにそのポイントで手を出したつもりが選手の受け取りは違った。
*重く受け止め反省しているものの気持ちの中では選手たちに勝って欲しいとの思いが強くあった。
*私自身は感情的や気分的に叩いているつもりはなく選手のためにとの思いが強かった(つもりだ)。
*進退伺は会見後に協会に出したいと考えている。
*全日本の合宿の中では他に叩いている指導を見たことがないので私は特殊だったかもしれない。
*叩く代わりに時間をかけてコミュニュケーションを緻密にし選手達の声を拾いあげていくことが大事だった。
*選手時代の過程において叩かれたことはあるが体罰との認識は(私には)なかった。
*私の暴力行為を選手たちが告発したことに(現時点の)私自身は納得している。
*「死ね」の言葉には前後に日の丸をつけて戦う事の意味を噛みしめて欲しいとの思いがあった。
*ナショナルチームの一員として“逃げていると感じている部分”に自覚を持てと言いたかった。
*私財を投じて町道場を経営している方々にもご迷惑をかけたと深く反省している。

*****

2013年1月31日夜
みみふく通信 ‏@comimifuku
女子柔道。 園田隆二監督。 会見を断片的に聞いた。 立派な監督だと思う。 だが20%が間違っていた。 園田氏の話を聞きロンドンを思い出す。 確かに無気力試合と思える試合があった。 五輪終了後の浮かれた気分。 園田氏の心情に苛立ち。 行き過ぎた暴力に行きつき9月。 予想の域は越えないが無念だろう。

2013年1月30日深夜
みみふく通信 ‏@comimifuku
ふと思った。 スポーツ指導者の暴力行為。 指導の評価と自己努力。 評価と勝利。 勝利のための情熱。 生徒に求める情熱の同調。 何で俺の気持ちが分からない。 情熱と苛立ち。 苛立ちからの感情的な暴力。 何故俺の気持ちが分からない! 度重なる暴力行為の恐怖。 これはダメだ。

2012年1月31日8月3日
みみふく通信 ‏@comimifuku
女子柔道○○級決勝。○○選手が延長の末に惜敗。攻め手を欠いた。同級の地元英国の○○選手。念願の銅メダル獲得に会場が沸いた。また○○さんの解説はクレバー。北京決勝の名勝負を思い出す。○○選手に○○さんの、負けを恐れず前に出る姿勢があれば。本当に惜しい。

*****

私に目には立派な記者会見と捉えた。
代表監督辞任は当然との見方もあるが暴力行為への本人の認識は深いものだった。
選手15人が連名でのJOCへの告発文書。
園田監督の人柄を見ると15人全員が園田監督の辞任を求めているかは疑問だ。
暴力をなくし反省してくれさえすれば指導を仰ぎたいとの選手も多いように感じる。

9月の柔道連盟への告発は個人だったのだろうか?
ここからは推測の域を出ないが、
確かにロンドン五輪ではメダルが取れれば良しとする選手の守りの姿勢があった。
メダルと同時に多くのメディアに出演し浮かれている様子も垣間見えた(許容範囲)。
*協会の金メダル目標と選手のメダル獲得への意識の違いはメディアの露出?

園田監督が頭に描く金メダルへの重圧は、
指導者の目から許されない行動(守りの姿勢)と感じたのだろう。
園田監督の、
“死ね”の言葉には“死ぬ気で頑張れ”との思いもあったのだろう。
だが、
言葉とは受け止め方によって傷つく人と軽く受け流す人がいる。
たった一言でも総ての信頼関係が失われる事例は決して少なくない。

金メダルを要求する要望は柔道関係者だけでなくマスコミにも強くあった。
特に産経新聞の“それ”は痛烈で私は理解しがたい疑問さえも覚えた。
それどころか、
“今回の暴行行為が日本の女子柔道が金メダルに至らなかった理由”
と切り捨てる論者に視聴者として驚きを隠せないしスポーツを語る資格はない。

園田氏の言い分に対し代表選手たちからの違った見方もあるだろう。
語られない真実に辞任してさえ許せない思いでいる選手もいるかも知れない。
しかし暴力行為は論外として指導者としての園田氏の認識と反省に誤りはない。

園田監督の柔道人生はこれからだし飛躍を期待する。
と同時に断片的な切り取り映像(不十分な情報)で、
人の人格までをも否定する論者には嫌悪を覚える。

今回テレビ朝日が記者会見の模様ををネットの形ではあるもののノーカットで伝達。
その判断には深く感謝したいし断片的情報が如何に操作されたものかを知る機会になった。

“園田監督の発言の総てを確認してから言葉を語れ!”
今夜の怒りは“人の人生を軽くあしらう言論(識者)”に向ける。

<追記:2月4日夜>

新たな動きは選手側からの声明文。
園田氏個人だけに責任でなく協会全体の責任を問う内容。
全文はコメント内に記入した。
問題は暴力だけでなく処遇や意見の黙殺など根が深そうだ。
この問題は個人の暴力だけに止まらない大きな問題に発展しそうだ。

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『伝説の名勝負/東洋の魔女(東京五輪女子バレー)』:NHK-BS1(再放送!)

2013-01-26 18:00:00 | 芸能・スポーツ

テレビ放送60周年特集:伝説の名勝負(再放送)
『東洋の魔女:世紀の金メダルロード』
~NHK-BS1:2013年1月27日(日)am9:00~am11:50
~NHK-BS1:2013年3月1日(金)pm11:00~am1:49

2013年1月2日夜に放送された番組の再放送。
東京スポーツお正月号に紹介された当番組。
なかにし礼さんの番組レポを読んで知った放送は、
期待にそぐわぬ素晴らしい映像として蘇った。

なかにしさんの話では、
「当時はテープが高価でNHKにはハイライトシーンの映像しかなかった。
ところが半年前に一般視聴者が試合全体を収めた1時間25分の映像を保存。
情報を得たNHKは視聴者から保存テープを入手したものの、
保存テープには音声は記録されておらず手元にあったラジオ音声を嵌め込み。
土門正雄アナウンサーの名調子は過去に音声のみの販売もされた実況録音。
ただし最初の5分間が前の競技の実況が押したために音声も空白になっていた。
果たして…。」
*この文書を読んでいなかったら見なかったかもしれない。
本当に48年ぶりに陽の目を見た番組は素晴らしい内容だった。


約40年前頃から以前のNHKテープには欠落が多い。
「タイム・トラベラー」のテープの発見も驚きであったが、
まさか東京オリンピック:東洋の魔女の伝説の映像まで、
保存していなかったとは…。
*いくらテープが高価とだったとは言え貴重な文化財の喪失に驚く。
日テレのプロレス保存を考えると当時のNHKスタッフの罪は重い?
東洋の魔女が放送された前日には、
お正月『徹子の部屋SP』で石原裕次郎さんの幻のテープを公開。
紛失(消去)テープには計り知れない価値がある。


番組は当時の試合映像を完全ノーカット放送。
映像は視聴者保管にもかかわらず時代以上のクリア。
試合内容は未視聴者の方のために内緒(ないしょ)。

東洋の魔女誕生秘話や厳しいトレーニング。
厳しいトレーニングに打ち勝った方々のその後。
80歳を過ぎて尚も回転レシーブをする今の姿に賞賛の声。
さらに、
素晴らしかった土門アナウンサーの平等な目配り。
*昭和38年の日本人の真摯な言葉に心を打たれる。
戦後18年にホームエディションを排除した実況は模範。
現代の絶叫型アナウンサーと比較して拝聴すると面白い。

学生スポーツが社会問題になっている今日であるが、
厳しさ、悔しさ、工夫から導かれた栄光の記録。
勝負終盤オリンピックの魔物と戦う選手の精神状態。
大松監督が最後に残した言葉。

人はスポーツの何に感動するのか?
その片方の答えを“此処”に見い出す。

<東洋の魔女の軌跡(奇跡)>
日本人必見の番組になっている。

*****

【付記】
東京オリンピックのテレビ放送を担当した、
鈴木文弥氏が2013年1月20日に急性肺炎のため死去(88歳)。
1948年にNHK入局。
主にスポーツ中継で活躍し1964年の東京五輪では日本がソ連を破った、
女子バレーボール決勝戦のテレビ実況を担当。
マッチポイントを“金メダルポイント”と表現し話題となった。
*日本経済新聞記事参照。


※※※※※


*NHK-HP→ http://www.nhk.or.jp/bs/densetsu/

感動の名勝負!
東京五輪・女子バレーボール日本×ソビエト決勝戦。
48年ぶりに発見されたフルタイムの試合映像をもとに、
“昭和が最も燃えた瞬間”をよみがえらせる。

66.8%という脅威的な視聴率を上げたスポーツ中継がある。
1964年10月23日の東京オリンピック女子バレーボール「日本×ソビエト」の決勝戦。
幻といわれていたフルタイムの試合映像が48年ぶりに発見された。
ゲームはどのように展開し人々は何に興奮したのか。
3セット約1時間30分の名勝負の映像に激闘を演じた日ソ両選手の証言。
著名人たちの記憶などを交え“昭和が最も燃えたあの瞬間”をよみがえらせる。

【出演】
中村昌枝、吉井妙子、立木義浩、なかにし礼、三遊亭小遊三
海老名香葉子、寺山恵美子、井戸川絹子、中島百合子、神田好子、丸山サタ
タチアナ・ロシチナ、タマラ・チホニナ、土門正夫、西田善夫

【語り】
湯浅真由美

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【松井秀樹選手の現役引退表明(2012.12.27)】:朝刊各紙の印象を読む。

2013-01-05 23:55:55 | 芸能・スポーツ

2012年12月27日。
松井選手が現役引退を表明。
文字にしようにも何を文字にすれば良いのか?
あの日から1週間以上が過ぎた。
相変わらず文字にする言葉が浮かばない。
翌日、翌々日の朝刊紙の社説やコラム。
多くが松井選手の引退にふれている。
その多くは賞賛に尽きた。

※※※※※ 

新幹線や飛行機の待ち時間があれば嫌な顔一つ見せずにサインや写真撮影に応じた。
負けた試合でも記者の取材に丁寧にかつ誠実に応じる姿は渡米してからも変わらなかった。
★毎日新聞社説

念願のメジャー入りだったが会見では、
「裏切り者と言われるかもしれないがいつかは行って良かったと言われるようになりたい」
と硬い表情を崩さなかった。
人一倍強い日本球界への思いがあったからに違いない。
★南日本新聞社説

積み重ねた本塁打は日米通算507本。
球史に残るスラッガーだが不器用を自認する。
座右の銘は「努力できることが才能である」。
先輩を敬い謙虚さを失わず努力を続ける姿勢は後輩選手の良きお手本になるだろう。
★京都新聞社説

ひたむきさや誠実さ素朴に努力し続ける姿勢は現代社会が失いつつあるもののようにも思える。
我々は松井選手の姿に“再び取り戻したいもの、なくさずに守っていきたいもの”
の面影を見ていたのかもしれない。
★東京新聞社説

*****

引退会見も北陸人らしい誠実さがにじみ出ていた。

ことに一番の思い出のシーンが、
“長嶋監督と素振りした時間”
と答えたのが泣かせた。
★産経新聞コラム

日米通算2643安打、507本塁打の記録は常に
「チームの勝利のために」と繰り返した松井選手には結果にすぎまい。
チームへの献身は移籍して訪れたヤンキースタジアムでの5万人の総立ちの拍手で報われた。
★毎日新聞コラム

ヤンキースタジアムのデビューで放った満塁本塁打。
ぼてぼてのゴロ。 手首を折ったスライディングキャッチ。
ワールドシリーズの活躍。
ただノーマルすぎるがゆえに痛々しく見えることも最近は多かった。
★日本経済新聞コラム

2003年のヤンキースとレッドソックスのリーグ優勝決定戦が忘れられない。
劣勢だった8回、同点のホームに松井秀喜選手が滑り込み両の拳をぎゅっと握りしめ、
体を丸めて跳躍しゴジラの異名さながらの雄たけびを上げた。
★高知新聞コラム

「僕のプレーを見に来ている子どもたちのため」フル出場にこだわった。
渡米してまずテロの傷跡が残る「グラウンド・ゼロ」で祈りをささげた。
作家の伊集院静さんは、
「戦後、日本がアメリカに送り出すもっとも美しい日本人」と書いた。 
「人の悪口は二度と言わない」中学2年の野球少年は父親と固く約束した。
「そんな下品なことはするんじゃない」と叱られたからだ。
謙虚で礼儀正しく全力でチームとファンのためにプレーする。
松井秀喜選手の原点かもしれない。
★山陽新聞コラム

<人間万事塞翁が馬>
甲子園での5連続敬遠は結果として松井選手の名を高める結果となった。
悔しいと思っても相手投手をにらんだりしない潔さが好印象を残した。
★神戸新聞コラム

「イチロー選手はほとんどバットの形状や重さを変えていないが、
松井選手は毎年のようにシーズンオフにバット工場を訪れ、
グリップの太さやバランスを微妙に調整していた」。
松井選手の生真面目さが伝わるエピソード。
★岐阜新聞コラム

プロスポーツ選手として一流であるとは何だろう?
その競技を天職と定めプレーを通して生きるとは何かを示す。
子どもたちに夢を与え失意の大人を励ます。
華やかさの半面、厳しい仕事を20年間続けた。
★神奈川新聞コラム

何人ものベトナムの子どもの里親になり、
あるいは難病の子に多額の寄付を続けていると伝わる。
数々の偉大な記録だけでなく野球以外でも日米のファンが心から誇れる選手だった。
★河北新報コラム

星稜の主砲は松井秀喜。
宮古のエースは真っ向勝負を挑んだが松井は2打席連続本塁打を放った。
当時の本紙記者は、
「あっという間に球が飛んでいった。高校生では考えられないスイングの速さだった」
と振り返る。
★岩手日報コラム

ゴジラの愛称は高校3年の春。
スポーツ紙の女性記者につけられた。
「もっと良いのないですか?」
と難色を示す松井に、
「可愛いじゃない」。
と一蹴された。
★北海道新聞コラム

※※※※※

石川県に住む者にとって松井秀樹は特別な存在だった。
石川県民にとって星陵高校野球部は大きな希望だった。
1976年:中日ドラゴンズに進んだ
小松辰雄選手の活躍。

1979年:箕島高校との延長18回の歴史的攻防。
1991年:松井選手を擁しベスト4進出。

1992年:球史に残る5打席連続敬遠。
1995年:決勝まで進み帝京高校に惜敗。
すべてが私の記憶に残る。
1994年10月8日:巨人×中日戦。

私の野球熱のピークの試合に松井はいた。
2001年:長嶋監督の引退。
2003年:松井選手のヤンキース移籍。
このころから私の野球熱は急速に冷めていく。
野球熱だけでなく大好きだったプロレス熱も冷めた。
と言うよりもスポーツ全体をテレビで鑑賞する時間の減少。
インターネット時代。
多チャンネル時代。
興味の対象の拡散。
文字にしようにも何を文字にしてよいのか?
松井選手の思い出は遠い過去となっている。

野球と言えばWBC(ワールドベースボールクラシック)。
松井選手は一度も出場していない。
石川県民の中にも不満は噴出した。

丁寧なインタビューとファンを大事にする松井選手。
マスコミ対応にムラがあり横柄に見えたイチロー選手。
マスコミ受けの良いマツイとマスコミ嫌いの鈴木一郎。
その立場が逆転したのが第1回のWBCだったと思う。

ふと思う。
イチロー選手が平泳ぎの北島康介選手なら、
松井選手はバタフライの松田丈志選手。
真面目ゆえの平凡は時代の変化。
言葉のマジックにマスコミは翻弄された。

松井選手や松田選手は武士のような日本人。
イチロー選手や北島選手はクールな欧米思考。

時代の要求の変化は少しだけ松井選手に不利に傾いた。
晩年の松井選手は成績不振同様にニュースを提供できない性格。
日本人の心は少しずつ松井秀樹から離れて行ったように感じる。

しかし松井選手を悪く言う者は私の周辺には一人もいない。
新聞のコラムや社説も的を射たものが目につく。
私が何も語らずとも新聞のコラムや社説の引用に総ては尽きる。
偉大な偉業と純朴な性格。
不世出のスラッガーにありったけの賛辞と感謝を贈りたい。

お疲れ様でした。
そして、
ありがとうございました。

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【ロンドン五輪・男子柔道“金なし”報道】:穴井隆将選手の重圧と心の動き。

2012-08-11 12:00:00 | 芸能・スポーツ

日本中に感動と寝不足を与え続けたロンドン五輪。
多くの栄光の陰で肩を落とし泣いているアスリートも多い。
特に“柔道の凋落”についての一部マスコミ報道。
個人的な意見としては何の問題もない、
男子柔道“金メダル”0個の現実。


柔道最軽量級に、
野村忠宏さん、谷亮子(旧姓田村)さんがいた時代。

確実にメダルが狙える2人の存在が大きい。
“田村が弾みをつけて野村が燃える”
オリンピック3連覇の偉業は日本チームにとっての先制弾。
先ず弾みをつけることができなかったことに問題があった。

穴井隆将選手は日本のエース。
日本選手権の常連である。
ただし、
全日本柔道選手権の連覇はなく、

勝ち癖のある選手ではない。

格闘技において“勝ち癖”は重要。
王者と2位の違いは、
同じ実力でも過去の記憶が勝負を決める。
つまり、
試合中に膠着状態に陥った時に、
過去の経験が頭を過ることにより本能が動く。
“自分が負けるわけがない”
の自信と経験こそが王者としての心の余裕。
勿論、
過信による墓穴も勝負の世界では多々みられる。
*吉田沙保里選手の五輪前の敗戦と不安・緊張。
*五輪で突然頭角を現す新生選手の勢いも注目(心理状態)。

*根拠(実績)なき自信の脆弱(ぜいじゃく)。

穴井選手に足りなかった勝ち癖(=自信)。
さらに、
五輪初出場で担わされた重圧。
また、
重い責任を感じると身体が硬直する真面目な性格。
*福見友子選手にも共通する五輪の経験不足。
*中村美里選手はクジ運が悪かった。
*思い出す最強:小川直也選手の五輪敗退。

篠原信一監督が言うように、
穴井選手の前に誰か1つでも金メダルを取っていれば、
後続選手の精神状態は2個の金も可能だったように思うし、
今大会がもし仮に、
重量級からの開始だとすれば結果は違っていたのかも知れない。
*タラレバの話は常勝:女子レスリングの金メダルとは比較にならない。
女子レスリングの金メダル3選手の過去の実績は金最有力も当然。
柔道界にはそうした絶対王者(女王)が足りなかったし、
絶対女王でも佟文(とうぶん)のように敗れることもある。


日本の柔道競技は過去の王者達が長く国際大会で活躍したため、
入れ替え時期にあったロンドン五輪では絶対王者不在が祟った。
*北京五輪の王者:石井慧さんがプロ格闘家の道へ至った経緯も考慮。

一部報道機関は、
そうした問題を検証・提起せず闇雲に
「“金メダル”がない」。
を問題(テーマ)にすることは不毛に尽きる。
*特に産経新聞の姿勢に私は反発を覚えた。
*問題にするのであれば解決策の提案。

また、
格闘技にはメンタル部分のケア。
頭ごなしに否定することは、
傍観者のすべき行為ではない。
*発破(はっぱ)をかけることは重要だが。

“サポートの意味は選手との同調”
選手が苦しんでいるなら一緒に苦しみ、
選手が喜べば一緒に喜ぶ。
机上論の報道機関の誤った正義や、
無責任な傍観者(庶民)の揶揄、否定。
そうした人たち(マスコミ・一般人)は、
自分は何者かを見つめなおし、
反省して欲しい。

重要なことは、
どうすれば選手たちが本物の力を出せるか?

そのヒント(自発的なチームの団結)を、
ロンドン五輪は教えてくれた。

なでしこジャパンの銀メダルを見て、
それでも金メダルが必要と断言するか?

未だに、
柔道だけは別(国技?)だと問題にする人たち。
私は傍観者の立場から金でなくても良いと思う。
*勿論選手が金メダルを目標にすることは必然。
私が観たいのは選手たちの最高のパフォーマンス。

国技は既に、
日本国内で開催される大相撲の世界で崩壊している。
国際競技JUDOは世界各地で開催されるグローバル・スポーツ。
柔道の所作・礼節(精神の鍛錬)を日本選手団が忘れなければ、
傍観者(日本人)としての立場から勝ち負けを超越して嬉しく思う。
勿論、
協会の思惑として広告塔としての選手の活躍。
直接に選手たちと接している関係者の願い。
その問題は今回のテーマとは完全に異なる。

*****

『柔道男子金ゼロ:リオに向け立て直し急げ』
(産経新聞:08月05日社説抜粋)

ロンドン五輪で日本の男子柔道は、
金メダル0(ゼロ)の惨敗で競技を終えた。
1964年の東京五輪で柔道が五輪種目に採用されて以来、
日本が参加しなかったモスクワ大会を除けば初めてとなる。
ゆゆしき事態だ。
柔道は日本が生んだ競技である。
この惨状を放置することは許されない。
4年後のリオデジャネイロ五輪に向けて、
早急に立て直しを図る必要がある。
ロンドン五輪では日本柔道を守るのだという気概が、
選手らの戦いぶりからほとんど伝わらなかった。
残念でならない。
現状ではパワーだけでなく一本を取る技の切れや、
大舞台に力を発揮する精神力においても、
世界に後れを取っている。
金メダル1つに終わった女子柔道についても同じことがいえる。
今大会は日本がストックホルム大会で五輪に初参加してから、
100年にあたる。
その初代選手団長が嘉納氏だった。
一層の奮起が期待された今大会で無残な結果をさらしたことを、
柔道界は猛省して再建に臨んでほしい。
今大会の成績だけではなく、
特に重量級で次代を担うエース候補が見当たらないことも、
大きな懸念材料だ。
強化とあわせ若手発掘の方法についても、
根本から見直さなくてはならない。


『国際化の歩みの一つの帰結』
(日本経済新聞:08月08日コラム抜粋)

日本では明治維新のあと、
古くから伝わる柔術に工夫を加え、
嘉納治五郎が柔道をたちあげた。

当時のダイナミズムを感じるのは、
柔術家と柔道家が入り乱れ国内だけでなく、
海外でも普及を競ったことだ。
近代日本は欧米諸国からひたすら学んできた印象があるが、
柔術と柔道は早くに海外進出した異色の文化といえる。
ロンドン五輪で日本の男子柔道が、
史上初めて金メダルを獲得できなかった。
(それは)日本の柔道界にとっては大変なことなのだろうが、
100年を超える国際化の歩みの一つの帰結ではあろう。
そういえば、
英国生まれのスポーツに卓球があるが、
英国が金メダルをとった記憶はない。

*****

【穴井隆将“金”なしに号泣】
(日本経済新聞:08月10日記事)

これほど金メダルを熱望された選手はいないだろう。
金なしが続いていた日本男子柔道。
8月2日。
期待された男子100キロ級の穴井隆将軍選手。
穴井選手が敗れた瞬間にその恐怖が現実味を帯びた。
翌日100キロ超級の上川大樹選手が2回戦で敗退。
1964年の東京五輪以来初めて、
“お家芸である男子柔道に金メダルなし”
という屈辱を味わうことになった。

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柔道金メダリスト:松本薫選手に美獣のニックネーム(愛称)を贈ろう。

2012-08-11 10:20:40 | 芸能・スポーツ

石川県加賀南部では束の間の雨。
茶の間でテレビを見ていた。

柔道女子57キロ級金メダル:松本薫選手。
試合前の風貌からつけられた仇名は、
野獣、野生児、アサシン(暗殺者)、鬼神。
本人はもののけ姫を希望。
仲間内ではクレイジーガールの称号も?

ロンドン五輪の金メダル第1号は世間に衝撃を与えた。
柔道ファンにはお馴染みの表情も世間は騒然。
試合に挑む前の闘争心剥き出しの表現。
しかし、
試合を終わった後は感情を爆発させるわけでなく、
畳の上では冷静に本来あるべき柔道の所作に戻る。
その礼節に私は感心し敬意を表す。

畳を降りれば普通の24歳の何処にでもいる明るい女性。
鋭い目つきも細面な顔立ちは美人さん。
そのギャップの面白さに早くもマスコミは目をつけている。
その際の紹介に野獣はどうだろう?

少し考えてみた。

プロレスラーに見るニックネーム。
*美獣:ハーリー・レイス。
*超獣:ブルーザー・ブロディ。
*狂乱の貴公士:リック・フレアー。

美獣と呼ばれたハーリー・レイスは、
泣く子も黙るNWAチャンピオン。
睨みの怖さに誰もが恐れた。
*G馬場選手のライバルとしても有名。

松本薫さんの新たなニックネーム。
『美獣』なんてどうだろう?
あるいは、
『狂乱の女三四郎』
いくらでも思いつく(笑)。

蛇足ながら、
松本薫さんの鬼気迫る表情。
斜め上からの角度の写真に、
“藤田嗣治さんのアッツ島玉砕”
を思い出した。

『アッツ玉砕(戦争絵画)』を初めて鑑賞した時に、
追い詰められた人間の表情に驚いたものの、
実際にはこうした表情を見ることはないだろうと感じた。

命をかけた戦いでの究極の眼光。
アッツ玉砕は、
8月26日夜の日曜美術館。
「藤田嗣治・玉砕の戦争画」
興味のある方は観るといい。

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【感動のロンドン五輪】:なでしこジャパン&女子レスリングに感謝と敬意。

2012-08-10 07:01:11 | 芸能・スポーツ

2012年8月10日早朝。
ロンドン五輪:女子サッカーの表彰式。
少し前にアメリカに敗れた涙のなでしこ。
ヒクソン流の入場シーンに思わず笑み。
(格闘技でお馴染みのグレイシートレイン)
最後までサービス精神旺盛は心強い。

8万人を超える聖地:ウェンブリー。
銅メダルはフランを破ったカナダ・チーム。
なでしこ(日本チーム)の初戦の相手だった。

銀メダル
は日本チーム。
ジャパンのコールに大歓声。
出場できた選手。
できなかった選手。
皆の笑顔が嬉しい。

金メダル
はアメリカチーム。
オリンピック・チャンピオン。
本当に強かった。
特に決勝戦。
キーパー:ソロの反応は素晴らしい。
ワンバック、モーガン、ロイド等、
有名選手達の確かな仕事。
大きさ、華やかさに惚れ惚れ。
金メダルおめでとう。

*****

下記はツイッターでつぶやいた私の言葉。
最後に少しだけ感想を述べる。

*なでしこジャパン。
なでしこ銀メダル。 勝利の女神はアメリカに微笑んだ。 観戦した不思議な感覚。 勝敗よりもボールの行方に目が行く。 思い出す昨年のワールドカップ。 東日本大震災で消沈する日本。 奇跡の優勝は本物の実力。 それを確認しただけで満足。 夢をありがとう。 私の気持ちは感謝だけだ。

*なでしこジャパン。
ロンドン五輪。 女子サッカー決勝。 日本×アメリカ。 前半終了。 ワクワクする展開。 面白いゲーム。 あっと言う間の45分。 白熱と言うより楽しい試合。 1点差は気にならない。 チャンネルを回せば女子バレー。 ブラジル相手に大苦戦。 実力の差は如何ともし難く。

*浜口京子。
女子サッカーまでの束の間の時間。 思うのは浜口京子選手。 父がプロレスを引退しボディビルに転身した時。 中学生だった京子さんも父を追う。 その後レスリングに転身。 不器用な浜口選手の努力に次ぐ努力。 努力は実り続けた。 感動をありがとう。 午前3時45分。 TVではキックオフ。

*吉田沙保里。
女子レスリング55キロ級表彰式。 吉田沙保里選手の胸に金メダル。 表彰選手一人ひとりと握手。 場内から英語?のYOSHIDAコール。 やや感情を抑えた笑顔は涙もなく。 思えば広告塔として前面に出る姿勢。 勝つことを要求され勝つことを実現する精神力。 彼女は日本の誇りだろう。

*吉田沙保里。
女子レスリング55キロ級決勝。 絶対女王:吉田沙保里×バービーク。 第1ピリオドは果敢なタックルで先制。 第2ピリオドもタックルからポイント。 見事なオリンピック3連覇。 吉田がセコンドの父を肩車。 父が日章旗を持って歓声に答える。 最高の舞台で最高の結果。 すごい!!

*吉田沙保里。
8月10日のおはよう。 am.0234。 吉田選手の準決勝(再放送)。 ロシア、ジョロボワ選手は19歳。 速い動きも女王の経験が勝る。 セコンドに吉田選手の父親。 鬼門通過は小さなガッツポーズ。 勝てば国際大会12連覇は歴代1位タイ。 会場に姿を見せた怪物カレリンと並ぶ。

*吉田沙保里。
吉田沙保里。 強い! 連勝を止めたロシア選手を圧倒。 リスク回避はタックル封印。 慎重に試合を進めた。 吉田選手のメダルは金か銀。 浜口選手は対戦選手が敗退。 京子のロンドンは終わった。 日本人選手層が薄い72キロ級。 72キロ級はロシアの新生。 今後ロシアが怖い?

*浜口京子。
女子レスリング72キロ級。 浜口京子。 ロンドン初戦敗退。 延長は有利な大勢も詰めの甘さ。 敗者復活戦の可能性も相手選手次第。 残念な結果もキャリアと加齢。 時は待ってはくれない。 ボディビルダーからの転身。 他のメダリストは幼少からの鍛錬。 頑張ったね! 本当に立派だった。

*伊調馨。
女子レスリング63キロ級表彰式。 伊調馨選手。 涙なき笑顔の金メダル。 伊調に見る武士道。 不戦敗を除く通算154連勝。 山下泰裕選手の203連勝。 双葉山の69連勝。 格闘技の連勝の困難。 口数の少ない伊調馨の笑顔。 千春の声は天の声。 現役続行を示唆。 凄い選手だ。
*文中の154連勝は153連勝(未公認)の間違い。

*伊調馨。
女子レスリング63キロ級決勝。 伊調馨選手。 絶対王者の安定。 レスリング競技は怪物カレリン以来の3連覇。 更に日本女子史上初の3連覇。 国民栄誉賞の最有力。 個人でも団体でも。 女子レスリングの栄誉を讃えたい。

*小原日登美。
午前3時36分。 涙の表彰台。 思えば伊調姉妹の陰で山本姉妹や坂本姉妹。 幻のオリンピック・チャンピオンは日本の選手層。 レスリング王国時代に活躍した父親達の遺伝子。 切磋琢磨し築かれた王国の復興。 レスリングの伝統は女性が担う。

*小原日登美。
午前3時15分。 女子レスリング48キロ級決勝。 小原日登美選手が金メダル獲得。 両選手に大きなコール。 騒然とした会場。 ポイントをリードされた小原。 瀬戸際の逆転劇。 幻のオリンピック・チャンピオンは階級外。 旧姓坂本は結婚、引退、カムバック。 関係者皆が涙。 おめでとう。

*****


2012年。
ロンドン・オリンピック終盤。
8月9日の早朝と8月10日の早朝。
日本中が歓喜した女子スポーツ選手の活躍。
長く語り継がれる2日間となるだろう。

女子サッカーチーム&女子レスリング。
5つのメダルエントリーに、
3つの金メダルと1つの銀メダル。
残念ながら女子レスリング72キロ級の、
浜口京子選手だけがメダルに手が届かなかった。
ツイートでも文字にいしているが、
レスリングの広告塔として長く注目された好人物。
浜口選手の世界選手権でのピークは、
女子レスリング初開催のアテネ以前と認識。
時間が少しだけ“彼女に意地悪”をした。
そんな感想を持つ。

誰もが感動した、
小原日登美選手は坂本日登美(旧姓)。
31歳。
最初で最後のオリンピック出場で感動の金メダル。
坂本選手は認識していたが“鬱病”を患う“どん底”の絶望。
光の陰で同じ努力をしながら光ることのできないチャンピオン。
選手層の厚い日本の女子レスリングでは、
国際大会よりも過酷な国内大会。
幻のオリンピック・チャンピオンは多い。
その現実の中で強い光を放った小原日登美選手の活躍。
多くの人々に希望を与えるだろう。
決して諦めるな!

吉田沙保里選手と伊調馨選手。
レスリングW(ダブル)三連覇の偉業は国民栄誉賞。
広告塔として前面に出てレスリング普及に努めた吉田選手。
姉・千春から離れ孤高の高みを極めようと精進する伊調選手。

女子レスリング:メダル3選手の喜びの形。
総てを開放した小原選手の涙。
連覇も自分を客観視する伊調選手の成長。
実の父親を肩車して周回する吉田選手のパフォーマンス。
其々にそれぞれの性格が表れ好ましく思った。

なでしこジャパン。
ツイートでも文字にしたが、
なでしこ銀メダル。
観戦した不思議な感覚。
勝敗よりもボールの行方に目が行く。
思い出す昨年のワールドカップ。
東日本大震災で消沈する日本。
奇跡の優勝は本物の実力。
それを確認しただけで満足。
夢をありがとう。
私の気持ちは感謝だけだ。

敗北の悔しさは微塵も感じなかった。
本当に不思議な気分だ。
メダルの色よりも“大切な何か”は何か?

ロンドン五輪・準決勝のフランス戦。
何が何でも勝って欲しいの願いはハラハラ・ドキドキ。
ロンドン五輪・決勝のアメリカ戦。
昨年のワールドカップの再現は聖地:ウェンブリー。
大歓声の中で行われたサッカー決勝にワクワク。
昨年のワールドカップを思い出しながらの観戦。
もしも“なでしこ”にメダル獲得がなかったら。
世間の評価は昨年のワールドカップの価値を半減。
国民栄誉賞にも傷がつくと言い出しかねない輩の存在。
恐らくメダルが確定したことで世間評価への不安は払拭。
だからフランス戦はどうしても勝って欲しかった。
その意味で、
決勝戦は勝敗よりもゲームを楽しんだ。

と同時に、
三連覇を実現した2人の絶対王者(女王)。
高い理想と自分たちに課した抑圧。
“世間が期待する勝って当たり前”
のプレッシャーの中での完全勝利。
心技体の充実なくして達成はできない。
それは、
庶民が口にするほど簡単なことでなく、
その過酷な鍛錬は想像を絶する。

出勤準備の時間だ。
 

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