mimi-fuku通信

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【小橋建太:引退試合(2013年5月11日/日本武道館】:友人とTV観戦。

2013-05-13 22:00:10 | 芸能・スポーツ

プロレスラーの“鏡”としてプロレス界に君臨した小橋建太が引退した。
当ブログ&ツイッターでは重ね重ね情報発信していたので興味のある方は観たと思う。

2013年5月11日:午後7時58分に運命のゴングが鳴る。
昨年(2012年)2月19日の東日本大震災復興支援イベント。
『ALL TOGETHER 仙台』以来のリング登場となる。
その時の映像を観たプロレス・ファンなら理解できるだろう。

試合開始直後に大怪我(脛骨折等、複数)をしながら試合を続行。
精彩のない動きのまま最後はムーンサルトプレスで勝利。
しかし、その勝利は、
前年(2011年)に武道館で行われた『ALL TOGETHER』
とは比較にならない素人目にも“お粗末なファイト”だった。

仙台での試合のイメージが引退試合である武道館戦とリンクする。
*果たして本当にリングに立ち“まともな試合”ができるのか?


*****

結果は心配無用だっった。
最高のメモリアル試合を“最高の形で締めくくった小橋選手”の勇姿を目に焼き付けた。
最高の引退セレモニーでの小橋選手の一言一言の誠実に心打たれ震える思いがした。
友人が途中4回はウルウルしたと後で告白(私もそうだ!)。
2年前の『ALL TOGETHER』の試合はその年のベスト・パウドであったが、
5月11日の小橋建太は“その時”を遥かに凌駕する素晴らしい激闘を制した。

*****

プロレスとは何だろう?の答えに、
“不意を突かなければ何をしても良いルールのある喧嘩”
との回答は小橋選手の師匠であるジャイアント馬場さんの言葉。
“さあ、来い!”と覚悟を決めて相手の技を受けること=プロレスの美学
そのセオリーを武道館のメインで戦った8人全員が実践して見せた。

最高の試合をして見せたのは小橋選手だけではない。

武藤敬司、佐々木健介、秋山準。
KENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口。
メインイベントのリングに立った8人総ての選手が素晴らしかった。
特に佐々木健介選手と潮崎豪選手の意地の張り合いは見応え充分。
また、
小橋選手の執拗なローリング・クレードルを受けたのも潮崎選手だった。

小橋選手の付け人達は小橋スタイルである“受けの美学”を実践した。
だからこそ40分にも及ぶ長時間の試合はダレることなく前に進んだ。
受けの美学なきプロレスは素人目には強く頼もしく見えるものの、
一方の選手のマスターベーションに過ぎず“通の目”からは記憶に残らない。

*****

日本武道館には17000人もの観客が詰めかけた。
武道館のチケットは即日完売だったらしい。
武道館に入れなかった人たちは映画館でのライブ・ビューイング。
首都圏ではライブ・ビューイングのチケットすら売り切れた。
試合はBSスカパーにて全国の電波にのった。
試合後のツイートの速度はその感動を誰もが伝えた。
武道館への入場の際は雨の中で40分もの行列を作った。
*しかし問題は数字ではない。

*****

小橋選手の事を文字にすれば数万字が必要となろう。
今の私には“その時間”はない。
レスラー生活、最後の技はムーンサルト・プレス。
小橋選手のムーンサルトは膝から落ちるために自らに衝撃。
ヤングボーイ時代の軽い体重から絶対王者時代の重い体重。
ムーンサルトについてファンからの賛否はあった。
一日でも長く続けて欲しいファンはムーンサルトの封印を求めた。
ラリアートや投げ技だけでも絶対王者の地位に揺るぎはない。
しかし小橋選手は大試合では必ずムーンサルトを決めた。
*自分の身体の心配よりもファンが求める小橋建太の実現。

引退試合の夜に日本テレビのスポーツ情報番組に出演。
小橋選手は自らの必殺技をバーニングハンマーであると断言した。
2003年3月に三沢光春選手からフォールを奪った大技だ。
小橋選手はインタビューで、
「バーニングハンマーは危険な技なんですよ」。
と証言するもコメンテーターは“その意味”を理解していない。

危険な技とは受け身が取れない技の意味であり、
その技の使用は大きな怪我や死を意味している。
*つまり技をかける側が相手を選ぶ技なのだ。

プロレスは格闘技であるものの相手を倒すことだけを目的としない。
長期巡業を考えながら相手に怪我をさせない配慮が求められる。
だからこそプロレスは見る側に想像力が要求される。
「勝ったのは〇〇だが、強いのは★★だろう」。
そんな話が通用するスポーツは他にない。
それはどこか大相撲の地方巡業にも通じる“粋”な世界。
プロレスとは、
リアルだけを求めてはいけない大人の娯楽でもある。

*****

デビューから25年で、
年間最優秀選手を2回。
年間最高試合(ベストパウド)は何と8回。
3年に1度はベストパウドを受賞する選手が“小橋建太”なのだ。
“相手選手が光らななければ、自分自信が光ることはない”
この言葉の意味が分からなけらばプロレスの真価に辿り着けない。
*相手選手の技を総て受けとめてこその“傷だらけのベストパウド”。

小橋選手の引退式は同時に、
三沢光春の引退式でもあった。
会場に大きく鳴り響く三沢コール。
馬場、鶴田、三沢、小橋の王道プロレス。

小橋選手の母と妻からの花束贈呈。
アナウンサーが指摘した、
“三沢×小橋の命を懸けた一戦”
小橋建太が母に告げた決意の言葉。
プロレスの凄さを知るエピソードの1つである。

*****

「今、幕を閉じようとしているプロレス人生。
自分の青春でした。
しかしまだ46、47、48と青春は続きます。
1つの青春は終わりました。
また、
次からの青春を頑張ります。」

「26年前に入門をして色んなことがありました。
しかし自分で自分自身で、
決断をして歩んできたプロレス人生に悔いはありません。
苦しいこともたくさんありました。
しかし、それを乗り越えた時、
何倍もの嬉しい事、幸せなこと、たくさんありました。
その幸せなプロレス人生を共に歩んでくれた、
ファンの皆様に感謝の気持ちで一杯です。
今日私は引退しますが、
プロレスで学んだ不屈の精神でこれからも頑張っていきたいと思います。
そしてこれまで小橋建太にかかわってくださった全ての皆様に感謝します。
もう一度言わせてください、ファンの皆さん。
私は最高のプロレス人生を送ることができました。
本当にありがとうございました」。
☆小橋建太☆


*****

<小橋選手に贈るレスラー達のつぶやき>

▽武藤 敬司 ‏@muto_keiji
ブログを更新しました。
『小橋引退試合』
http://ameblo.jp/muto-ajpw/entry-11528921852.html

▽ハヤブサ ‏@projecthayabusa
ありがとうございました。
小橋さんの引退試合、素晴らしい大会でした。
オレも小橋さんのリクエストで、
図々しくも開会宣言をやせてもらいました。
何度も何度も湧き上がる1万7000人の、
大"小橋コール"試合後のバックステージでは…。
http://ameblo.jp/fushichou/entry-11525570484.html

▽鈴木みのる ‏@suzuki_D_minoru
ブログを更新しました。
『最初で最後に…』
http://ameblo.jp/suzuki-minoru/entry-11528765838.html

▽棚橋 弘至 ‏@tanahashi1_100
日本武道館を出発。
小橋選手引退、名残惜しい。
小橋さんの飾らない言葉がガシガシ胸に響いた。
エネルギーの塊を持って帰ろう☆

▽永田裕志 ‏@nagata769
小橋さんの引退試合終了ゼァ。
完全燃焼出来たのだろう。
試合後の小橋さんは素晴らしい笑顔だった。
改めて小橋さんお疲れさまでした。
そしてありがとうございましたゼァ。

▽小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 ‏@cozy_lariat
武道館大会終了。
ここまでの感動を目の前で見れたのは人生で初めてかもしれない。
小橋さん、ありがとうございました。

▽蝶野正洋/Chono Masahiro ‏@masahirochono
小橋選手引退試合。
最後まで小橋くんは素晴らしかった
ファイトもメッセージも…ご苦労さん

▽中西学 Manabu,Nakanishi ‏@nobitokun
小橋選手長い間お疲れさまでした。
あなたは同年代の誇りであり我等が京都の誇りです。
ゆっくり休んで下さい本当にお疲れさまでした。

▽後藤 洋央紀 ‏@510njpw
小橋さんの引退試合をTVで試聴。
また一人、偉大なレスラーがリングを去った。
お疲れ様でした。

▽潮崎豪 ‏@goshiozaki54039
あ~、昨日の余韻がまだ残ってるな(>_<)
カラダ イテ~シ
体を回復させるべく夜は肉だ!!肉だ!!
昨日はあのリングに立てて最高だった!!!

▽秋山準 ‏@jun0917start
昨日の試合で潮崎の良さは解ってもらえたと思うが、
マルの良さも解ってもらえたかな?

▽秋山準 ‏@jun0917start
小橋さんから御礼の電話が来た。
いやいや御礼を言わないといけないのは僕ですよ。
やっぱり尊敬すべき人だ!

*****

*みずき舞(小橋建太夫人)オフィシャル・ブログ。
『FINALBURNING in budokan』
最初に本人から引退の話しを聞いた時は正直ホッとしました。
これまで、どんな時も真っ直ぐに向かい合ってきた主人が
この先、自分のプロレスができなくなる。
だから引退する。
この次に向かう決断を、今度はまた応援していきたいと思い、
そのスタートの日が昨日の引退記念興行でした…。
http://ameblo.jp/mizuki-mai/entry-11528914489.html

*小島聡のコジログ(ブログ)
『小橋 建太選手が小橋 建太さんに戻った日』
そして、クライマックスがやってきた。
武藤さんのムーンサルトプレスの後、
小橋さんがゆっくりとコーナーポストによじ上ったのだ。
自分は信じられなかった。
というか、
心の中で「それは止めた方がいい」と叫んでいた。
なぜなら、
一年三ヶ月前のオールトゥギャザーでの試合を観ているから。
あの日放ったムーンサルトは相手に届かず、
小橋さんは両ヒザから落ちて、骨折してしまっているのだ。
あの光景を観ていれば「もう封印するべき」と誰もが思ったはず。
それでもコーナーに上ってしまった小橋さん。
そして一気に飛んだ。
http://ameblo.jp/f4koji/entry-11528783897.html

*****

小橋建太から学ぶもの。
それは“不屈”である。

※※※※※

*小橋建太選手/引退関連の雑誌。

週刊プロレス増刊
小橋健太引退記念号
2013年6/15号 [雑誌]
840円(税込)
ベースボール・マガジン社

※※※※※

*小橋建太選手/引退関連の映像。

FINAL BURNING in Budokan
小橋建太引退記念試合 [DVD]
2013.5.11/日本武道館大会
バップ(7月24日発売予定)

※※※※※ 

<ニュース:各スポーツ紙からの記事を抜粋>

【小橋建太引退記念試合】
▽8人タッグマッチ60分1本勝負
〇小橋建太、秋山準、武藤敬司、佐々木健介
(39分59秒 ムーンサルトプレス→片エビ固め)
●マイバッハ谷口、潮崎豪、KENTA、金丸義信
*****
小橋の105キロの巨体が宙に弧を描いた。
トップコーナーに駆け上がり危険な封印技ムーンサルトプレスを解禁だ。
1回転しながらマットで横たわる金丸に体を沈めて勝利を勝ち取った。
1万7000人観衆の地鳴りのような“小橋コール”を受け、
鉄人は「プロレスが好きです。プロレスは自分の青春でした!」と涙。
すべての技を万感の思いを込めて放ち「プロレス人生に悔いなし」と完全燃焼した。
「三沢さん、馬場さんに心の中で天国に届くように引退しますと報告した」と小橋。
青春のすべてをかけたリングに感謝をささげて去った。
(2013年5月12日:スポーツ報知/記事転載)


【小橋建太:青春、完全燃焼!】
感情を前面に出す戦いぶりは全盛時と変わらなかった。
自身の付き人だった現GHCヘビー級王者のKENTAや、
潮崎、金丸、谷口に得意のチョップを浴びせ続けた。
その数、実に185発。
「いつもと変わらない気持ちで戦えた。応援してくれる人たちが力になった」。
ファンの声に満身創痍の体が突き動かされ最後は月面水爆を決めた。
右手に力を込める「青春の握り拳」からトップロープに上がると、
きれいな弧を描き金丸を仕留めた。
「プロレス人生は自分の青春でした。
46、47、48と青春は続きます。
一つの青春は終わりましたが次の青春を頑張ります」。
有終の美を飾ったリング上で涙ながらにあいさつした。
(2013年05月12日:スポニチ/記事転載)


【鉄人、小橋が完全燃焼引退!ムーンサルトで有終】
小橋建太引退記念試合が東京・日本武道館で開催されチケットは即日完売、
立ち見までギッシリの超満員となる1万7000人を動員した。
小橋は1987年に全日本プロレスに入門し88年2月にデビュー。
故・三沢光晴さん、川田利明、田上明との『四天王プロレス』で、
90年代後半のプロレス黄金時代を築き上げ三冠ヘビー級王座世界タッグ王座などを獲得。
00年には新団体プロレスリング・ノアに移籍し、
03年月から約2年間に渡ってGHCヘビー級王座を13度防衛し絶対王者の称号を得た。
06年6月には腎臓ガンが発覚し右腎臓を摘出しながらも、
07年12月に546日ぶりの奇跡の復帰を果たした。
その後もヒジやヒザの故障に悩まされ長期欠場と復帰を繰り返していたが、
昨年7月に行った首の手術後のコンディションが思わしくなく、
「これ以上、小橋建太のプロレスができない」
との思いから昨年12月にリングに別れを告げる決心をした。
*****
試合後、最愛の母・都さんと妻のみずき舞さんこと真由子夫人から労いを受けた小橋は、
「最高のプロレス人生でした」と何のバックボーンも持たないまま、
裸一貫で這い上がってきた自分を25年間応援し支えてくれたファンに感謝。
引退試合をしないままリングを去った恩師のジャイアント馬場さんと、
兄貴分であった三沢光晴さんの分までファンの思いを受け止めた。
(2013年05月12日:スポーツナビ/記事転載)


【小橋引退150発超!魂のチョップありがとう】
「とうとうこの日がきました。26年前に入門していろんなことがあった。
自分自身で決断して、歩いてきたプロレス人生に悔いはありません。
幸せなプロレス人生でした」
激闘の歴史に別れを告げるテンカウント。
武道館に響きわたるファンの“コバシコール”の中、静かにリングを去った。
*****
数々の大けが、大病を克服してきた鉄人の肉体は限界に達していた。
最近は首の古傷の影響で両手や足に力が入らず満足なトレーニングができない状態だった。
昨年7月、力皇猛の引退試合での復帰を目指したがかなわず、
骨盤から骨を取って首に埋めこむ手術に踏み切った。
だが除去した骨盤の代わりにセラミックを埋め込んだものの、その周辺の部分が骨折。
上半身しか練習ができない状態に追いこまれた。
医師からは「引退するか手術するか決めてほしい」と最後通告を突きつけられ、
昨年12月に引退を表明した。
(2013年05月12日:サンスポ/記事転載)


【小橋が翔んだ!さらば鉄人、伝説に幕】
引き際は自身で決めた。
99年に亡くなった師匠のジャイアント馬場さん、
09年に死去した兄貴分の三沢光晴さんは引退試合をしていない。
昨年7月、医師から引退との二択を迫られ首を手術。
リングでの事故で死去した三沢さんより悪い状態で現役続行を迷う中、
妻で歌手のみずき舞(39)からは「生きていて欲しい」と言われ、
悩んだ末に引退を選んだ。
「小橋建太のプロレスができない」という思いに加え、
三沢さんの死をむだにしたくなかった。
「体の状態が悪い自分がリングに上がり続けていいのか。
何かリング上であったとき野蛮に見られたりするのは、
プロレスを愛するものとしてつらい。
退かないといけないと思った」。
*****
「三沢さん、馬場さんには心の中で引退しますと天国に届くように言いました」
と話すと会場に三沢コールがこだました。
「しっかり花道を歩いて帰ることしっかり引退することが恩返し」
と誓った2人との約束を果たした。
「一つの青春は終わりました。また次の青春で頑張ります」。
小橋はけじめのリングに別れを告げた。
笑顔が完全燃焼の証拠だった。
(2013年05月12日:デイリースポーツ/記事転載)


【小橋建太、ラストマッチで奇跡の月面水爆】
リングに立つのは両ヒザに重傷を負った2012年2月19日。
「ALL TOGETHER」仙台大会以来、実に447日ぶり。
レスラー生活の集大成を見せるべく聖地に帰ってきた小橋が、
『GRAND SWORD』で入場すると17000人のファンから、
耳をつんざく大歓声が巻き起こった。
腰には絶対王者時代の2代目GHCヘビー級ベルトが巻かれている。
*****
88年2月のデビューから約25年。
全日本プロレスとノアで活躍しプロレス大賞MVPを2度、
ベストバウトを8度獲得するなど数々の金字塔を打ち立てた。
その一方で激闘の代償で体は満身創痍となった。
しかしそのたびに鉄人・小橋は不屈の闘志で困難を乗り越えてきた。
この日も完全燃焼するため、ファンにケジメをつけるためリングに戻ってきた。
そしてその責任を全うした。
(2013年05月12日:東京スポーツ/記事転載)


【小橋“魂の187発”で現役に別れ/ノア】
◆小橋建太(こばし・けんた)本名・小橋健太。
1967年(昭42)3月27日、京都府福知山市生まれ。
高校卒業後、一般企業に就職もプロレスへの夢を断ち切れず87年に全日本入り。
88年2月26日に大熊元司戦でデビュー。
96年7月に田上明を破って初の3冠王座を獲得。
2000年にノア旗揚げに参加。
03年3月1日に三沢光晴を破って第6代GHCヘビー級王者の座を獲得。
2年間にわたって団体内外の強敵を倒し続け13度の防衛を記録。
「絶対王者」が代名詞に。
06年7月に腎臓がんを手術し07年12月2日に復帰。
12年12月9日、両国国技館で引退表明。
得意技は剛腕ラリアット、チョップ。
夫人は、演歌歌手のみずき舞。
186センチ、105キロ。
(2013年05月12日:日刊スポーツ/記事転載)

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