そんなに頑張って、結論を得ようとする必要はないであろう。
天国に行けば、結論は簡単に手に入る。ある場所の事を考えたら、一瞬でその場所に行くらしいと。地球に生まれてきた理由は過程を楽しむためである。結論だけなら、天国にいれば手に入るのだけれども。なぜ、それが正解なのか、理由が分からないという問題がある。なぜ、それが答えなのかについて、知ろうとすれば、地球上における生まれ変わりという長い人生が必要な訳で。
たくさんの人がこの地球上に存在すると言う事は。そのたくさんの人の数だけ、その人なりの生まれてくる目的というのがあるのだと思う。無価値な人生はない。だから、自殺はダメなのでしょうけれども。名誉と栄光を得る事が人生の目的ではない人の方が多数派であろう。『もうダメだ』と思っても、あきらめずに、自殺しないで生きていたら、それなりに、人生は続く。ただ単に、自殺は、『もったいない事である』という感じかも知れないけれども。光の部分のみを知るために、生まれてきた訳ではない。闇の部分をも知るために、人生は存在するのだからして。栄光のみの人生では生まれてくる価値がない。闇の部分も含めて経験するために、人生があるのだと思うけれども。
美しい光景のうちの一つが。夜景のような気がする。暗い夜道を自転車で帰っている時に、家の明かりを見ると、とても幸せな気持ちになる。
太陽のみの世界では、光の価値が分からない。周りが闇に包まれているからこそ、光の価値が分かる。だから、いかにネガティブ(否定的)に見える事実があったとしても。ネガティブな事実自体は、ネガティブな事ではないと思う。光の価値を知るために、闇がある。そう思えば、人のありがたみを知るために、人間関係の困難さがあるとも言えると思う。
名誉と栄光を手に入れた人にしか興味のない人がいる。「その考えは、人生の8割、9割の喜びをどぶに捨てているようなものではないだろうか」と思うのだけれども。
闇がなければ光の価値もないのだよ。知的障害者という存在がいて初めて、自分は恵まれているなあと感じる。この世界から知的障害者が消えたら、自分が幸福な人間であることが分からなくなるのではないか。
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