みどりの一期一会

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政権と決め方―基盤崩す「結論ありき」/耳傾けぬ政治家よ/ひやひやフローズンイチゴ

2015-07-26 17:53:58 | ほん/新聞/ニュース
春に大量にとれた無農薬イチゴに、
グラニュー糖を少しふりかけて、
倉庫の冷凍庫に入れて凍らせておきました。

毎日暑い日が続くと、冷たいものが食べたくなります。

外で仕事をする人たちのために、シャトレーゼでソーダアイスを買ってきて
冷凍庫に入れて置くことにしたので、
冷凍庫に入れてあった冷凍イチゴは、家の冷凍庫に持ってきました。

カチカチに凍っている冷凍イチゴのかたまりを、
煮溶かしてイチゴジャムを作ろうと思ったのですが、
もったいないので、そのまま少しだけ味見することにしました。

フローズンイチゴです。

少し溶けて、シャーベット状になったイチゴ。

さっぱりとして、甘酸っぱくておいしいです。

お昼ご飯は、冷やし中華。


炭水化物を「冷たくして食べる」だけで、
ダイエット効果が期待できるとテレビでやっていたので、
今年は積極的に冷やした麺類を食べることにしましょう(笑)。

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きょうの新聞各紙の社説。

朝日新聞の「政権と決め方―基盤崩す「結論ありき」」と、
中日新聞の「耳傾けぬ政治家よ 週のはじめに考える」。

どちらも政治家について論じた内容で興味深かったです。

 社説:政権と決め方―基盤崩す「結論ありき」 
2015年7月26日 朝日新聞

 仏つくって魂入れず。

 安倍政権下での物事の決まり方を見ていると、見てくれは立派だが魂の入っていないうつろな仏が、ごろごろと転がっているような印象を受ける。

 決定の正当性や公正性を確保するためには、各界各層の幅広い意見を聴き、それを十分に考慮したというプロセスこそが重要だ。そのための仕組みは、現にさまざま用意されている。

 一般から広く意見を募るパブリックコメント。学識経験者らの意見を聴く、国会の公聴会や参考人質疑……。だがその多くは、政権がやりたいことをやるための「通過儀礼」や「アリバイづくり」と化している。

 経済産業省は今月、2030年度に原発の割合を約2割にする電源構成を原案通り決めた。しかし、2千件以上寄せられたパブコメの賛否の割合などは分析せず、公表したのは「概要」だけ。「2030年代原発ゼロ」を打ち出した民主党政権時代は約8万9千件のパブコメをすべて公表し、賛否などの分析結果もまとめていた。

 安全保障関連法案をめぐっては、衆院憲法審査会に招かれた3人の憲法学者全員が「違憲」と断じ、世論を大きく動かした。一方で、衆院特別委員会の地方での参考人質疑や中央公聴会で出された意見が法案に採り入れられた例は、全くない。

 衆院特別委での法案審議は116時間半。自民、公明の与党はこの数字をもって「議論は尽くされた」と主張したが、内実が伴っていないことは、安倍首相自身が委員会採決直前に「国民の理解が進んでいる状況ではない」と答弁したことからも明らかだろう。

 さらに言えば、集団的自衛権の行使容認は、首相の私的懇談会が出した報告書を受けて閣議決定されたが、メンバーに反対派は一人もいなかった。

 圧倒的な議席を有するがゆえか、安倍政権下、結論は最初から決まっているのだから、定められた手順を踏み、一定の時間を費やして外見を整えればそれでいい――そう言わんばかりの態度が目につく。

 しかし、そのような統治のあり方は、実に不安定だ。

 民主的なプロセスを軽視すれば、民主的に選ばれたはずの自らの基盤も揺らぐ。できるだけ多くの意見を聴き、納得をえたうえで物事を進めることは、一見遠回りなようだが、政権の正当性を高め、足腰を強くする。このことに安倍政権が思いを致すことができるか。

 あすから、参院で安保関連法案の審議が始まる。


 社説:耳傾けぬ政治家よ 週のはじめに考える
2015年7月26日 中日新聞

 最近、政治家が聞く耳をもたなくなった、とよく聞きます。つまり昔は聞いていたようだ。聞く耳なくしては、国民の声が政治に届くはずもありません。

 政治家が聞く耳をもたなくなった、と話した一人は先輩の元政治部記者でした。

 質問しました。

 「では、聞く耳をもった政治家はいたのでしょうか」

大平、宮沢、橋龍さん
 返事は、
 「首相でいうと、大平正芳、宮沢喜一さんはよく聞いた方だったね。橋龍(橋本龍太郎)さんなんかは何度も沖縄を訪ねて話を聞いていたし、首相じゃないが梶山静六さんもそうだった。聞かなかったのは佐藤栄作さん、かな」

 名前のあがらなかった政治家にももちろん聞く耳をもつ人はいたでしょうが、どうも少なかったようです。つまり聞く耳をもつことは易しくはないのです。

 もう少し詳しく、新聞などマスコミとの関係でいえば、聞く耳をもつ政治家とは、マスコミの仕事とは国民に代わって権力を監視することだと承知している政治家であり、聞く耳をもたない政治家とはそうでない人たちだということです(宇治敏彦「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」新評論)。

 権力監視とは文字通り権力が悪事を働かないよう、国民を裏切ることのないよう、国民に知らせるべき情報を隠さないよう、税金の使途が適切か否かなどをチェックすること。民主政治のまさに基盤的部分でもあります。

 大平さんが聞く耳をもったのは若い時分から、おとうちゃんと呼ばれる人柄も手伝ったのでしょうが、目標を「信頼と合意」の政治としていました。宮沢さんはアメリカ通の合理主義者。

 人柄もあるでしょうが、ともに権力の有り様についてはそれなりの考えがあったと思われます。

新聞は帰ってください
 加えれば、ロッキード事件で逮捕されることになった田中角栄首相は、「マスコミもおれの悪口を書くことで生活しているのだから…」と言っていたそうですが、それはそれで庶民宰相らしい現実感覚といってもいいか。

 先輩記者に聞く耳をもたなかったと名指しされた佐藤栄作氏はテレビカメラだけが回る記者会見で知られます。

 官邸で行われた引退会見で「テレビカメラはどこにいる。新聞記者の諸君とは話さないことにしている。国民に直接話したいんだ。文字になるとちがうから偏向新聞は大嫌いだ。帰ってください」と興奮気味に述べた。応じて記者たちは出て行ってしまった。

 先輩記者は、佐藤という政治家、いや人間の本性の爆発を見たと述懐していました。

 七年八カ月の長期政権を続け、沖縄返還という大仕事をなした政治家ではありましたが、政権末期の米中国交回復、金・ドル交換停止という二つのニクソン・ショックへの対応はまずかったといわれます。マスコミはたたきました。

 しかし難事にこそ、批判に耳を傾けねば知恵は出ないだろうし、国民との間に信頼がなければ難局は乗り切れない。


 翻って今の安倍政権はどうか。
 国会の前に人々が集まるのは、危機感を募らせるからですが、政治が国民の声に耳を傾けないことの証明でもあるでしょう。

 ただの反対ではありません。憲法学者がマイクを握り老いも若きも声をあげています。そこへ行けばわかりますが、いわゆる組織の動員デモとは違う。声なき声が声をあげているのです。

 ベトナム戦争当時、アメリカではホワイトハウスに数十万人という反戦デモが押し寄せ、執務室のニクソン大統領は耳をふさいだといいます。耳はふさいでも結局は米軍の撤退を決断しました。耳を傾けざるをえなかったのです。

 世論調査では安保法制、原発再稼働に対し、多数が不安を訴えています。抗議は国会前だけではありません。

世論という声なき声
 六〇年安保の時、国会に押し寄せたデモ隊に対し、岸信介首相は「認識の違いかもしれないが、私は声なき声に耳を傾けなければならない」と述べました。米ソの対立、自社対決、思想対立の時代であり、国論は割れ、デモがあり、声なき声もあったのです。

 今はどうか。政府の安保法案には、デモも声なき声も反対しているのではないでしょうか。保守系議員が多いはずの地方議会でも慎重さを求める決議が次々なされています。

 国会よ、国民に耳傾けよ。
 信頼できる政治を国民は求める。国民の声を聞くのは政治本来の仕事であるはずです。
 安保法案の参院審議が始まります。声は届かねばなりません。 


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