チューリップが咲きました。

2017-04-16 19:42:07 | Weblog


今日は静かで美しい日。

ずっと考えていたのですが・・・

亡くなった人たちは必然的に聖性を帯びます。

大げさな物言いですが「歌」というものも聖性を帯びます。

何故だか存在自体がHOLYなものになるのです。

「この世のものではない」から・・・・なのかもしれない。

こういう日は考えが次から次へと移り変わっていって、

「とりとめのない」ことになります。

僕の花壇では、チューリップが咲きました。

華やかな事この上ない。むせるような生命力を感じる。色とりどりで、

狂い咲き・・・みたいな感じで、でも「狂い咲き」は季節はずれの花のこと言うのかな。

チューリップが秋に咲いたら「狂い咲き」なのかもしれないけど

春だから、そうじゃないよね。

でも狂い咲きって素敵な言葉だ。

「狂い咲きサンダーロード」っていう映画あったよね?

増子兄ィも出てるんだっけ?

・・・「歌」の話に戻る。

先週・・・「歌」づくりを制御する事はできない、とラジオのインタヴューで

COCCOが言っていた。

(COCCOって、シンガーソングライターの女性。「強く儚い者たち」という曲が大ヒットした。)

・・・・始まってしまったら止められないのだ、と。

わかる気がする。

そうそう、俺はCOCCOと会ったことがあるのですよ。

1998年のSXSWで一緒だったのだ。俺は「ばるぼら」のギターとして出演した。

COCCOも、バンドを引き連れて出演していた。

テキサスに到着した日、

ホテルのロビーで偶然、COCCOが一人でいるところを通りかかった。

うわ、COCCOがいる、一人でいる、話かけようかな?と一瞬思ったのだが

俺も人見知りなので・・・・。

でも目が合ったので、会釈だけした。

COCCOは笑顔で会釈を返してくれた。いい人だ。

会った、と言ってもそれだけなのだけれど。

その翌々日の、SXSWでのCOCCOのライヴは良かった。美しかったし、ちょと壮絶な感じもした。

真っ白なサマードレスに素足。

彼女の「RAINING」という歌がいちばん好きなのだが、

その歌詞の中に「髪がなくて今度は腕を切ってみた、切れるだけ切った」

というのが出てくるのだが、

まさか本当に自傷癖があったなんて思わなかった。

拒食症を最近、やっと克服した、というのも何かで読んで最近知った。

壮絶な人だ。

彼女が言うに、「歌」は、制御できないから、遊びに行くときとか、

今日は「(歌が)来なければいいな」とか思うらしい。

来たら、抗えないのだそうだ。アートだ。

でもやはり、「歌」に聖性を感じるのは俺だけではないのだ、と思って

勇気付けられた気がする。

「歌」は聖なるものなのだ、それでいいのだ。

亡くなった人たちも、聖なるものだ。

きっと、「八百万の神々」の仲間入りをしたのだ。

そう考えると、

すっと

「腑に落ちる」

よね。








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