福田の雑記帖

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敬老の日2017(2) 高齢者には死生観の確立を望みたい

2017年09月20日 09時07分19秒 | 時事問題 社会問題
 私は医療関係者の一員である。
 高齢者の医療において生活の質を維持向上させ、健康寿命を延ばすための医療、研究等はとても良いことだと思うが、延命を目的とした医療や、慢性的な生活援助、介助を要するほどの状態にある方への濃厚な医療は一考すべきと思っている。
 
 不健康状態にもピンからキリまでのグレードがあるが、少なくとも私は「寝たきりを増やして今年も平均寿命世界一」状況へ医療が加担してはならないと思う。
 しかし、この点に関しては多様な意見があろう。私も個々の方々の状況をつぶさに検討しなければ判断できない。

 ■参考までにお一人の方。90歳の介助を要しながらなんとか自宅におられる女性。最近、切除不能肺ガンと診断されたが、ご家族の希望で延命目的に抗がん剤オプジーボを希望し、某総合病院に入院した。オプジーボは一般の方々に「ガンに効く夢の薬」として知られている。1年間使用続けるとすれば薬価だけで1700万円もかかる。自己負担はあっても月に2-5万円。この意味では「安くて効果のある夢の薬」である。私はオプジーボ療法は効果と費用の兼ね合いから適応でないと思っているが、主治医の判断がどうなるかはまだわからない。

 ■参考までにもう一人。90歳の男性、この数年間体調不良を訴え短期入院を頻回に繰り返してきた。最近は認知症状態も進行し寝たり起きたりの状態になっていた。その原因として脈拍が異常に遅くなる徐脈発作であることがわかり脈拍をコントロールするペースメーカーを装着。その結果、全身状態、認知症症状は明らかに改善、日常生活も年齢相応以上の状態に戻り、畑に出たり、元気に通院してきている。この方の健康寿命は明らかに延びた。

 いま日本の高齢者の環境、現状は、長寿を心から喜べるものとはいえない、と私は思う。
 人間関係も失った「無縁老人」、公的年金だけではとても生活が維持できない。貯蓄も尽きた「無円老人」の生活保護の申請が増えている。しかし、調査は厳しく生保認定の道は狭い。ある申請者は手記で「棄老」に等しい扱いであったと記載されていた。

 7月に105歳で死去した日野原氏は、多分日本国中の高齢者の憧れの方だったと思うが、あのような生き方をされるのは千に一人、いや、万に一人しかない。いわば現代のバケモノのお一人。目標にしてはならない。私は氏を、素晴らしい方であったと思っているが、最も感心すべきだった点は移動能力を最後まで衰えさせなかったこと、である。

 全国の100歳以上の高齢者は年々増加し、約6万8千人に上る。長寿はめでたい、と私は個人的には全然思っていない。高齢化社会ならではの難問も膨らんでいる。「寝たきりを増やして今年も平均寿命世界一」に揶揄される、不自然に生かしている状態は近代医療の怖さだ、罪だ、と思う。本来医療界もこの点を考えなければならないが、集団で考えればまとまらない。

 だから、高齢者は元気なうちに、自らの生活、いのちに対する考え方、すなわち死生観を確立しておくしかない。
 誰しも老いは避けられない。「敬老の日」に際し、自らの生き方を見つめ直す格好の機会にしたいものである。
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