外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(38)~ポテンツァからローマへ、そして帰国~

2020-12-30 23:19:20 | イタリア

 

 

今回は旅の最終日の話。ポテンツァからローマまでバスで北上して、夜フィウミチーノ空港から帰国便に乗った。

 

 

朝7時に起きて荷物をまとめ、朝食を取ってから出発した。イタリアのホテルなので、朝食はパンとヨーグルト、飲み物程度で大したことはないが、ここは一応三ツ星というだけあって(本当なのか)、一応フルーツもあった。他のお客は誰もおらず、部屋は薄暗かった。

 

 

 

 

四次元ポケットが欲しいと思いつつ、スーツケースを引きずりながら駅方面に下るエスカレーターの乗り場に行ったら、空に黒い煙がもくもくと上がっているのが見えた。高台にある乗り場の周辺に人だかりができていて、通学途中の子供たちが騒いでいた。煙は眼下の住宅の庭木の間から出ているように見えた。

 

 

 

 

 

う~む、なんだか不吉な一日の始まり方だ・・・

 

 

エスカレーターを降りて駅に向かう途中、通りすがりの若い女の子が「うちの近所の人の家のガレージが火事になった!」と電話で話しているのが耳に入った。振り返ってみると、火事の現場周辺には消防車が何台か集まっており、煙はほぼ収まっていた。すぐに消火されたようだ。

 

ポテンツァ中央駅に着いて、前日ローマ行きのチケットを買った窓口の男性に、チケットの日付が違っていたことを説明したら、「これは1か月後の分だから、今日乗りたければ買い直すしかないね。払い戻し不可のキャンペーン価格のやつだから」とあっさり言われ、「で、でも、今日の日付の切符を下さいって言ったのに1か月後の分を売ったのはあなたでしょう~なんとかしてよ~買い直すお金なんてないもん~貧乏なのよ~」と食い下がってみたのだが、相手は「もうお金を払ってしまったから、どうしようもない。あなたは買う時に日付を確認するべきだった」の一点張りだった。まあそれはそうだし、実際、一度代金を収納したら払い戻しはできないシステムになっているのだろう。

 

これ以上議論しても無駄そうだと考えた私は、下手に出ることにした。押してダメなら引いてみて、それでもだめならサクッと諦めて忘れる。それが私の生き方さ・・・

 

お腹を減らした子猫のような眼(イメージです)で彼を見つめ、「それはそうだけど、何とかして下さい~お金がないんです~」とすがるように頼んでみたら、相手は少し考えてから、「ナポリまでのバスになら無料で乗せてあげられるよ。ナポリからローマへは自前で行ってもらうしかないけど」と言ってくれた。多少は譲歩してくれたわけだ。二つ返事でOKして、駅の前に停車していたバスに乗り込んだ。彼は基本的に親切な人であるらしく、後味の悪そうな顔をしつつ、「次からは日付を確認するようにね」と念を押しつつ見送ってくれた。

 

ナポリには2時間ほどで着いた。10時半だ。バスターミナルのすぐ近くに鉄道駅があるので、ローマへは列車で行った方が早いと運転手に言われたが、短距離と言えどもナポリのあの雑踏の中を歩いて駅の喧騒に飛び込み、チケット売り場に並ぶことを思うと気力が萎えたので、バスで行くことにした。

 

ナポリというのは、何かのついでにちょっと散策したり、空き時間に寄って気軽に観光するような街ではない。「私はこれからナポリに行くんだ!」という強い決意と自覚を持って、気合を入れて臨むべきところなのだ。スリ、盗難が非常に多いからだ。イタリア人に「ナポリに行く」と言ったら、必ず「スリに気をつけてね」と言われる。相手がナポリ出身の人でもそうなのだ。ピザもワインも魚介料理もお菓子も美味しいし、ナポリ人は面白いし、古い町並みも海も歴史的建造物もあって、実にステキなところなのだが。

 

そういうわけで列車移動はやめて、12時頃に出発してローマ・ティブルティーナに15時に着くバスのチケットを買った。1時間ほど待ち時間があったので、お菓子を買ってハトを餌付けして時間をつぶした。

 

 

 

南イタリアの素朴なお菓子、タラッリの小さいやつ。固めの塩味のビスケット。非常食によさそう。

 

 

バスの中では、後ろの席の若い男の子がひっきりなしに誰かに電話して喋っているのを、聞くともなく聞いていた。マンマ、バッボ(お父さん)、友達・・・彼はおそらくナポリ人だが、イタリア最北部のコモ(スイスとの国境にある街)の大学に通っていて、おそらく実家で夏休みを過ごした後、バスで12時間かけて移動しているところだった。ご苦労なことである。途中で車掌さんが車内をめぐり、「携帯を充電してほしい人がいれば、やってあげるから言うように。差込口に限りはあるけどね」と乗客に声をかけていた。親切だ。

 

時刻通りにローマ・ティブルティーナに到着した。すぐそばに地下鉄の駅があるので、ローマ・テルミニ駅へは地下鉄で出た。

 

 

地下鉄駅で何となく写真を撮っていると、そばに立っていた若いイタリア人の男の子がそれを見とがめて、「地下鉄の駅構内での写真撮影は禁止されてる。罰金を取られるから止めた方がいい」と私に忠告した。どうして禁止なのか理由を聞くと、「テロ防止のためだよ。写真をテロリストが使うかもしれないから」との答えだった。テロが起こる可能性があるのは、地下鉄駅に限ったことではないし、一般に開かれた場所だからテロリストは歩き回って直に下見できるわけで、他人の写真を使う必要などないと思うのだが・・・彼にそう言ったら、「とにかく、そういうことになってるんだよ。禁止なんだよ」と言い張るのだった。目つきも鋭いし、この人はちょっとヤバいヒトかも・・・カメラをカバンに仕舞って、彼から離れる。

 

 

こんな写真を参考にするテロリストがいようか。

 

 

ローマ・テルミニ駅にはすぐ着いた。

 

 

 

 

駅構内の荷物預かり所で6ユーロ払ってスーツケースを預け(後払い・パスポート提示)、身軽になってから空港行きのチケットを買い、駅の近くのバールでサンドイッチを食べ、ビールを飲んだ。

 

 

 

 

トマトとツナのサンドイッチは、パンがパサパサで味が薄く、あまり美味しくなかったが、ビールと合わせて5ユーロだったので文句を言う筋合いでもないだろう。バールの女主人らしき年配だが華やかなイタリア美人にプリモはないのかと聞いてみたら、「あるけど、うちのはレンジであっためるやつよ。ちゃんとした料理が食べたければ、向かいのリストランテに行けば」と率直に言ってくれたが、向かいの店は観光客だらけで高そうだったのでやめておいた。

 

結局、イタリア(フィレンツェ以外)ではミニピザだのサンドイッチだのばかり食べ、バールのオープン席でビールを飲んでばかりいた気がする・・・・美味しいものだらけのイタリアで、もったいないことだ。

 

その後、駅に併設のコープや周辺の店で土産物を買ってから、荷物を取りに行って、早めに空港に移動することにした。フィウミチーノ空港には、列車で30分ほどで着く。

 

 

フィウミチーノ空港駅のハトさん。足が悪いようだった。

 

 

空港では、カフェテリアに座って窓から飛行機を眺めながら、優雅にイタリア最後のビールを楽しもうと思っていたのだが、フィレンツェの友達にメッセージを送ったり、電話をかけたりして別れの挨拶をしているうちに時間切れになった。出国手続きをして、搭乗口へ向かう。

 

 

 

 

帰国便は中国国際航空の北京経由の便で、21時頃に出発し、北京での約3時間の乗り継ぎを経て、翌日の夜20時に羽田に到着予定だった。約16時間の長旅だ。中国国際航空を選んだのは、安かったからなのだが、北京行きの機内は騒がしく、機内食も美味しくなくて、酒もワインとビールしかなかったから、今後は乗らないかもしれない。あと、トイレの数が少ない気がしたけど、気のせいだろうか・・・隣に座った中国人の女の子は、非常にフレンドリーでかわいい子だったが。彼女は収納具の製造会社で働いていて、今回はフィレンツェで展示会をやるために出張し、6日間は仕事だけして、残りの2日間でフィレンツェとローマを観光したそうだが、その間ずっと会社の人と団体行動で、中華料理しか食べていないという話だった。な、なんてもったいない・・・

 

 

機内食の夕食、ご飯がフリーズドライのやつをふやかしたような食感だった。

 

 

朝食の牛そぼろと豆のお粥は、米が原型をとどめていなかった。副菜はマカロニサラダで、パンとケーキ付き。炭水化物の嵐だ。

 

 

 10時間ほど乗って、ようやく北京に到着。

 

 

 

 

待ち時間にタイガークリスタルビール(シンガポール産)を飲んだ。約5ドル。

 

 

 

 

北京空港のセキュリティーは厳重で、荷物検査の時に女性係員に念入りなボディーチェックを受けた。

 

 

北京から羽田の便の機内食は比較的まともだった。赤ワインは中国の「万里の長城」で、なかなか美味しかった。しかし、ドリンクが食事の終盤にしか出ないのが難点か。ワインは食事と共に飲むべきものなのだが・・・

 

 

魚のフライはふにゃふにゃで餡が少なかったが、抹茶ムースはちゃんと抹茶の味がしたし、サラダのゆずドレッシングも美味しかった。

 

 

隣りに座っていたのは、筋骨隆々としたこれまたフレンドリーな若者で、南アフリカ出身でロンドン在住とのことだった。ラグビーワールドカップを観戦しに日本に行って、ついでに東京・京都・神戸を1週間で回るという。やはり、国際的なスポーツイベントを開催したら、外国観光客を呼び込めるのだな。ちなみに彼はブレクジッドには反対とのことだった。彼とお喋りしたり、機内食をつつく以外は、大体眠って過ごした。バスでも結構寝たのだが、飛行機でもひたすら眠かった。ビジネスで旅したら、ゆったり眠れるのだろうが、そんな日は一生来ないだろう。ふっ

 

 

飛行機が無事に羽田空港に着陸した瞬間、イタリア人の乗客たちが拍手した。彼らはどこでもこれをやるのだ。なごむわ~

 

 

空港のトイレがウォッシュレットなのを見た瞬間、「ああ、帰ってきた」という感慨を抱く。

 

 

羽田からの移動は、成田に比べて段違いに楽だ。途中で日高屋に入り、焼き鳥丼とビールでひっそり帰国を祝った。

 

 

焼き鳥丼はミニサイズで250円。小食の人にピッタリ。

 

 

というわけで、長い旅を終えて無事に帰国したのだった。

 

 

ここまで読んでくださった忍耐強い方、本当にありがとうございました。こんなに長くなるとは思わなかったが、考えてみたら、2週間以上の旅を日記にしたら長くなるに決まっている(普通やる前に気づくだろう)。そうでなくても、更新が遅いのに・・・でもなんとか年内に書き終えられてよかった。これで心置きなく年が越せるというものだ(大げさ)。

 

というわけで、皆さま良いお正月をお迎えくださいませ。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

(終わり)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(37)~イタリア南部バジリカータ州への旅・ポテンツァでうろうろ編~

2020-12-18 20:02:37 | イタリア

 

 

アリアーノで1泊した翌朝、7時半のバスでポテンツァに移動した。ポテンツァはバジリカータ州の州都で、そこそこ大きな街だ(といっても2019年の統計で人口6万6千人ちょっと)。

 

朝6時に起きて、荷物をまとめてから朝食をとるために階下に降りたが、朝食が用意されているはずのダイニングルームに鍵がかかっていて入れない。む~・・・

 

しばらくドアをガチャガチャやってみたが、開く気配がない。経営者に電話をしてドアを開けてもらうこともできたが、元々それほど朝食を食べたいわけでもなかったので、やめておいた。ここはB&Bのはずなのに、Bになっちゃったな~

 

入口を閉めてから、教えられた通りに鍵を郵便受けに入れ、スーツケースを引きずって教会の向かい側のバス停に向かった。早めに行ったのだが、もう中高生らしき男の子たちが何人か集まっていた。やがて女の子たちもやってきた。毎日バス通学か、ご苦労なことだ。

 

教会のファサードも人の顔に見える。可愛い・・・

 

 

ほぼ時間通りにバスが来て、子供たちと私を乗せて出発した。さようなら、アリアーノ。またここを訪れることがあるだろうか?

 

・・・ないかもな。遠すぎるもん。

 

終点のサンタルカンジェロには、8時頃に到着した。乗り継ぎについて運転手さんに質問したら、バス停で1時間ほど待てばポテンツァ行きのバスが来るし、もっと待てばローマ行きの便なども来ると言われた。

 

 

 

 

時刻表をチェックしたところ、ローマ行きは3時間くらい待たなければいけなかったので、ポテンツァ行きに乗ることに決める。ポテンツァからローマへは、比較的安いインターシティ(国内特急列車)でも5時間かからない。翌日のローマ・フィウミチーノ空港発の帰国便は深夜に出るので、ポテンツァに1泊して翌朝の電車でローマに向かっても余裕があるはずだった。

 

9時にやってきたバスに乗り込み、うとうとしているうちに2時間ほどでポテンツァに着いた。料金は5.9ユーロ。アリアーノ・サンタルカンジェロ間は1.3ユーロだったと思う。

 

運転手さんの話では、バス停のすぐそばのエスカレーターに乗れば、市内中心部(チェントロ)の旧市街に行けるという。予備知識がなければ、「え、なんでエスカレーター?」と戸惑うところだが、ネットであらかじめ情報収集した結果、ポテンツァには江の島のエスカーのような有料の長距離エスカレーターがあって、それが公共交通機関の1つとして機能しているらしいことが分かっていた。イタリアでこういう用途のエスカレーターにお目にかかるのは初めてだ。

 

これが乗り場

 

 

チャージが出来る交通系カードを最初に買う。2.5ユーロで、4回乗れると言われた。

 

 

何階分か乗り継ぐ。チェントロは随分高いところにあるようだ。

 

 

チェントロに着いたら、ホテル探しを開始。

 

路上で通りすがりの人に安めのホテルを知らないかと質問していたら、それを耳にしたらしい小柄なおじさんが近寄ってきて、「近くに知り合いがやっているホテルがあるから、そこはどうだ?」と話しかけてきたので、彼について行った。

 

それは、街の中心の広場から少し坂を下ったところの建物の2階に入っている三ツ星ホテルで、「アルベルゴ・ミラモンティ」(Albergo Miramonti)という名前だった。ネットで下調べした時、こういう名前のホテルを見た記憶がある。怪しいホテルじゃなくてよかった・・・(HPはこれ

 

 

 

 

おじさんは、建物の前まで案内してくれた後、中に入らずに「じゃあ」とあっさり立ち去って行った。客引きを頼まれているわけではないらしい。中に入ってみたら、受付の担当の人は不在で、代わりにお掃除担当の女性が対応してくれた。シャワー・トイレ・朝食付きのシングルで1泊40ユーロ(5千円ちょっと)。

 

この人もマテーラで喋った人たちもそうだったが、この地域の住民は丁寧語で話すとき、通常の2人称単数の代名詞「LEI」(あなた)ではなく、2人称複数の代名詞「VOI」(あなた方)を使うことがあるようだ。相手は1人なのに、「あなた方は1泊されるのですか?」と質問するわけだ。これは古い用法で、イタリアの時代物のTVドラマでそういう話し方を見たことはあるが、直に耳にしたのは今回が初めてだった。

 

「Narciso」(ナルチーゾ=ナルシス)という名前の部屋だった。私にピッタリか。

 

 

バルコニーが付いていて、見晴らしがよかった。

 

 

2時間くらい昼寝して、少しエネルギーが回復したところで、翌日のローマ行きの列車のチケットを買いに中央駅に行くことにした。ポテンツァ中央駅は、さっきバスを降りてから乗ったエスカレーターを逆方向に乗って、さらに10分ほど坂を下りたところにある。スーツケースを運ぶのはちょっと大変そうだ。

 

エスカレーターを降りたら、ライオン像のあるロータリーがみえた。ポテンツァはライオンの街らしい。

 

 

 

中央駅

 

 

駅の窓口で、翌日のローマ行きの特急のチケットが欲しいと言ったら、係の男性が安いチケットを探してくれた。オフェルタ(キャンペーン価格)で16ユーロ(2千円ちょっと)と格安だ。普通はこの倍以上はするはず、おかしいな・・・と思いつつ、深く考えずに支払いを済ませ、駅を出て歩き出す。この時にしっかりチケットを見て、日付を確認をしていれば良かったのだが・・・

 

 

ブーツ型のイタリア半島の土踏まず(?)の上のポテンツァから、サレルノ・ナポリ経由でローマに出るチケットを購入。

 

 

チェントロ行きのエスカレーターのところに戻る途中、通りかかったバールで休憩することにして、プロセッコを1杯飲む。カウンターの中の地中海美人にパニーノはあるかと聞いたら、「ないのよねえ」と申し訳なさそうに言いつつ、サービスでポテトチップスをお皿に盛って出してくれた。優しい・・・

 

戸外のテーブルに座り、プロセッコを飲んで塩味のポテトチップスをつまむ。イタリアのポテトチップスは美味しい。

 

 

通りの向こうを眺めていたら、茶トラの猫が見えた。すぐにどこかへ行ってしまったが。



 

飲み終わってから通りを渡り、さっき猫がいた辺りに行ってみたら、近くの駐車スペースですごく可愛い子猫を発見した。

 

 

 

薄汚れてはいるが、アイドル級の可愛さだ。

 

 

手持ちのカリカリをあげたら、がっついて食べていた。お腹が減っていたらしい。君は私に遭遇してラッキーだったね。ふふふ・・・

 

子猫を眺めていたら、ピザの残りのようなものをくわえた白黒の大人猫も登場した。ここは猫スポットのようだ。ためしにカリカリをあげたら、ピザを放り出して飛びつき、必死に食べていた。高級で美味しいカリカリだから、固くなったピザより美味しかったに違いない。

 

 

 

 

駐車場のそばの魅惑的な階段。登りたくなったが、体力がないので我慢した。

 

 

カリカリを全部あげてからまた歩き出し、エスカレーターに乗ってチェントロに戻ってから、その辺を当てもなく散策した。すると、別のエスカレーター乗り場があったので、そっちにも乗ってみることにした。我ながら暇なやつ。

 

郊外に出るエスカレーターで、けっこう長い。

 

 

 

降りたところは緑豊かな住宅地で、野原や木立の向こうには団地が並んでいた。

 

 

 

野原に生えていたイチジク。実がなっていた。

 

 

特にやることもないので、またエスカレーターに乗って戻り、散策の続きをやる。

 

 

コンビニっぽい小さなスーパーを発見したので入ってみた。

 

サボテンがある。

 

 

ヨルダンで時々買っていた甘くて美味しいつぶれ桃もある。

 

 

ここで猫のエサとワイン、水を買い込んだ(重い)。桃も少しだけ。イタリアのスーパーで果物や野菜を買うときは、好きなだけ取って袋に入れ、秤に載せてボタンを押せば値段のラベルがにゅうっと出てくるので、それを袋に貼ればいい。

 

適当に歩いていたら、チェントロの中心の広場に戻ってきたので、広場に面した大きなバールに入り、オレンジとザクロの生絞りのミックスジュースを飲んだ。立ち飲みの値段なのに、3ユーロした(約380円)。プロセッコの2ユーロより高い。

 

オレンジとザクロのミックスジュース。旅先でのビタミン補給にピッタリだ。高いけど。

 

サンドイッチもあった。

 

 

外の広場で座ってお喋りしている年配の仲良しグループが多い。

 

 

 

 

次第に日が暮れてきた。また少し歩いて、目についたバールの屋外のテーブルに座り、アペリティーヴォ(食前酒)を頼む。ビールとワインを1杯ずつ飲んだのだが、つまみにコロッケのようなものや揚げパン、ミニピザの盛り合わせが付いてきて、それを食べただけでお腹いっぱいになってしまったので、これを夕食代わりにした。

 

めっちゃ茶色

 

 

ホテルに帰ってから、ベランダでバジリカータ州の白ワインを飲みつつ夜景を眺めていた時、猫らしい影が通りを横切るのが見えた。やはりバジリカータには猫が多いようだ。

 

 

 

 

すっきりした味の美味しいワインだったが、白は途中で飽きる。

 

 

このホテルはWi-Fiが弱くて、あまり使い物にならなかったので、ネットは諦めてテレビを見て夜を過ごした。国営放送のRAI3を見ていたら、私の好きな長寿番組「CHI L'HA VISTO」(=誰がその人を見たか?)が始まったので、ついついのめりこんで見てしまった。冒頭では、14歳と16歳の少年2人が91歳の知り合いのおばあさんを強姦した事件が取り上げられていて、興味深かった・・・これは、主に消息不明になった人を探すための番組なのだが(視聴者から電話で寄せられた目撃証言によって番組中に探し人が見つかることもある)、時には刑事事件なども取り上げ、目撃証言を集めて警察に提供したりしているのだ。

 

ネットから取った写真。司会者は私がイタリアにいた頃からずっと同じ人だ。

 

 

かつてイタリアに住んでいた頃、「もし私が消息不明になったら、この番組で探してもらいたいな・・・」などと不吉なことを考えていた時期がある。結局、探してもらう必要はなかったわけだが。

 

 

寝る前に、今日買った電車の切符を念のために確認したら、なんと日付が1か月後になっていた・・・やれやれ、道理で安かったわけだ。早期割引だったのだろう。明日早めに駅に行って変えてもらわないといけない。睡眠不足で重い荷物を引きずるのは体にこたえるから、早く寝なければ・・・

 

 

(続く)

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(36)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノ観光編~

2020-12-12 07:03:52 | イタリア

 

 

またしばらく更新をサボっているうちに、もう12月も半ばに近づいた。なんと、もうじき年末じゃないか。う~む、この旅行記、今年中に書き終わるんだろうか。あとちょっとなんだが。来年に持ち越さないようにがんばらなければ。

 

というわけで、今回はバジリカータ州アリアーノを訪れた時の話の続き。前回は、町をうろうろして猫だまりを見つけて満足し、一休みするために宿に戻ったところで終わっていた。

 

宿に戻ってベッドに横になり、夕食まで眠るつもりでうとうとしていた時、天啓に打たれたかのように不意に目覚め、「はっ!私はわざわざアリアーノまで猫を見に来たんじゃなかった~!せめてカルロ・レーヴィの家には行っとかなくちゃ!」と思い立ち、むくりと起き上がって、急いでまた出かけることにした。日が暮れるまでにカルロ・レーヴィの家にたどり着かなくては。彼が流刑先のアリアーノで暮らしていた借家が保存されていて、今は博物館になっているはずなのだ。夕方なのでもう閉まっているかもしれないが、せめて外から眺めるくらいはしなければ申し訳ない(誰に)。

 

スマホで場所を調べ、そちらに向けて渓谷沿いの道を歩いていたら、彼の本に出てきた「狙撃兵の墓(溝)」(Fosso del Bersagliere)の案内板に行き当たった。

 

 

19世紀のイタリア統一直後、南部でブリガンテ(brigante=山賊)らが新政府に対する抵抗運動を繰り広げた時期に、北部のピエモンテから来た狙撃兵が投げ落とされたという渓谷だ。

 

 

そのそばの広場でまた猫を発見したので、ついつい写真を撮ってると、小柄なおじいさんが話しかけてきて、「猫を撮ってるのか?向こうの家にも何匹かいるよ」と教えてくれた。

 

 

要所要所に猫がいる

 

 

教えられた家に行ってみたものの、周辺に猫は見当たらなかった。広場に戻っておじいさんにその旨伝え、これからカルロ・レーヴィの家に行くのだと告げたら、彼は急に真顔になり、「カルロ・レーヴィの家か。よしわかった」と力強くうなずいて、手でついて来いという合図をして歩き出した。頼んでいないのに案内役を買ってくれた彼を少し不審に思ったが、結局素直に着いていくことにした。彼は道中、町の建物などについて色々説明してくれた。

 

 

これは、アリアーノの伝統的な建築様式の住宅「目のある家」(la casa con gli occhi)

 

 

家の正面が人の顔の形をしていて、目と鼻と口がある格好になっている。悪い精霊を怖がらせて遠ざける効果があると信じられていたらしい。

 

 

こちらの家も、窓が目のようになっている。

 

 

カルロ・レーヴィの胸像がある広場に着いた。もう夕暮れ時だ。

 

 

彼の著作「キリストはエボリで止まった」に出てくる場面を地元の高校生が描いた壁画を通りかかる。

 

 

 

まもなく、カルロ・レーヴィの家(博物館)にたどり着いたが、案の定閉館していたので、外側から眺めるだけ。

 

 

すっかり修復されて、一見普通の住宅にしか見えないが、かつてここの屋上でカルロが絵を描き、夜は暖炉の炎の前で風の音を聞きながら、孤独をかみしめていたのだ。

 

 

夕闇と沈黙がしだいに濃くなり、周囲の谷を包み込む様子がたいそう良かった。

 

 

しばらく1人で風景を眺めながらぼんやりしていたい気分だったが、おじいさんがいるのでそういうわけにもいかない。彼は私を従えて、また町の中心部に戻り始めた。

 

 

 

 

歩いている途中で、年配のイタリア人の4人組の旅行者が近寄ってきて、カルロ・レーヴィの家はどこかと質問したので、おじいさんは彼らを案内するためにまたカルロの家に戻ることになった。「あなたも、もう一度一緒に来なさい」と言うので、行きがかり上私も付いていく。

 

おじいさんは、カルロの家の他にも、かつての「ポデスタ」(ファシスト政権下で任命された自治体の長)の家や司祭の家などを回ってくれ、最後に皆と握手して別れた。この日の私の印象では、アリアーノの住民は「フレンドリーだが、余所者とはある程度距離を取り、ほどほどに親切」というイメージだったが、このおじいさんの親切はその範疇をはるかに超えていた。

 

イタリア人の4人組は、ローマとサルデーニャ在住の年金生活者の夫婦2組で、以前からの友達で一緒にイタリア国内をあちこち回っているとのことだった。女性の1人がカルロ・レーヴィの読者で、彼女が提案してみんなでアリアーノを訪れることにしたらしい。

 

彼らも私の宿の下のリストランテで夕食を取る予定だというので、一緒に行くことになった。

 

 

リストランテの名前は「目のあるロカンダ(宿屋兼食堂)」(La locanda con gli occhi)

 

 

前述の「目のある家」(la casa con gli occhi)と同じく、建物の窓部分が目のようになっているのだと思われるが、建物全体の写真を撮っていないので確認できず・・・

 

 

内装は民芸調 

 

 

イタリア人の夫婦たちはプリモ(1皿目)とセコンド(メイン)の両方を取ったが、私はプリモだけにして、ワインはシェアした。私たちの他の客は、若い男性の外国人旅行者1人だけだった。彼は先に食べ終わって席を立った際、私たちのテーブルに近づいて、英語で「僕はイタリア語は喋れないけれど」と前置きをしてから、「ブオナッペティート!」(Buon appetito 「美味しく召し上がれ」)とひとこと言って微笑み、立ち去って行った。

 

 

この辺りの郷土料理、カヴァテッリ(cavatelli)というパスタのトマトソース。プリモは皆これを頼んだ。

 

 

パスタは手打ちで、もちもちした触感で美味しかったが、トマトソースとチーズはごく普通だった。

 

 

 

 

彼らは穏やかで話しやすい人たちで、日本に興味があるらしく、色々質問された。私の方も、イタリアの当時の政府についてどう思うか、原発には賛成か反対かなどと、ここぞとばかりに質問した。彼らは反原発、反サルヴィーニ(極右政党「同盟」の党首)ということで、非常に話が合った。私の翌日のバスや電車のことも心配してくれた。

 

彼らとフェイスブックで友達になってから、自分の分を清算してもらって(10ユーロ)別れ、早めに階上の宿に戻ってシャワーを浴び、マテーラからペットボトルに詰めて持ってきたワインを飲んでくつろいだ。

 

アリアーノではやたらに猫に出くわし、猫に導かれて出会ったおじいさんに連れられて町を歩き、その時に知り合った人たちと夕食を共にしたわけだ。猫に導かれた1日だったと言えるだろう。そもそも今回は、旅の始まりのチュニジアからずっと、猫と酒に導かれて進んできた気がする。そんな旅も、あと少しで終わり。最後までしっかり楽しみたいものだ。

 

 

(続く)

 

 

 

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