外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(22)~ヨルダンからトルコに移動~

2023-10-25 19:00:52 | トルコ

 

 

少し間が空いたが、今回から2022年の旅行記を再開する。なるべく年内に終わるよう努力するが、まあ無理だろうねえ…(悲観的なわけではなく、単に現実的)

 

 

今回はヨルダンのアンマンからトルコのアンカラに移動した時の話。ちなみに、トルコの首都はイスタンブールではなくて、アンカラだ。(テストに出るよ~)

 

 

ヨルダンの首都はアンマンだけど、あんまんは売ってません。(テストに出ないよ~)

 

 

 

この日は朝8時に起きて荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトして、ダウンタウンからセルビス(白い乗り合いタクシー)で北バスターミナル(مجمع شمالي ムジャンマア・シャマーリー)に移動した。セルビスの運賃は1JD(現在のレートで約210円)だったが、荷物代として0.5JD余分に払わされた。

 

北バスターミナルにはすぐ着いた。うろ覚えの空港バス乗り場を探したら、大きいバスではなくてミニバスが停まっていた。以前は黄色い大型バスにしか乗ったことがなかったが、今回は空港から市内行きもその逆もミニバスだった。時間帯のせいなのか、コロナ禍で利用者が減ったせいなのか、よくわからない。(アンマン空港バスの時刻表はこちら

 

 

空港行きのミニバスは黄色が目印

 

 

空港はアラビア語で「マタール」(مطار)なので、そのへんのおっちゃんに「マタール?」と聞けば、乗るべきバスを教えてくれると思う。タクシーに乗せようとするかもしれないが。

 

 

チケットは乗る前にバス会社のオフィスで買う。

 

 

「チケット売り場はあっち」と教えてくれたおじさん

 

 

「Sariyah」(سارية サーリヤ)と書いてあるところがバス会社のオフィスだ。

 

 

チケットは3.3JD(約700円)

 

 

一番上の欄は日付(6月23日)、その下は時刻(10時)だ。9時と書きかけて直した形跡あり。手書きのアラビア語の数字を解読するのは難しい。

 

 

(参考)ネットから拝借した表

 

 

 

他の乗客は、道中にある大学に通う学生や、出迎えに行くと思しき地元民ばかりで、スーツケースを持っているのは私だけだった。

 

 

1時間ほどでクイーン・アリア国際空港に到着。

 

 

フランス企業が建設を請け負って2013年にオープンした新ターミナルが、けっこう老朽化して見えた。(空港運営会社もフランス企業)

 

 

左が国民に慕われていた前国王、真ん中が現国王、右が皇太子

 

 

 

チェックインを済ませ、早めにゲートの方に向かう。

 

 

以前の記事で言及したヨルダンの高級菓子店「ザラティモ・ブラザーズ」が入っている。

 

 

ヨルダン土産に最適(私には買えない値段だが)

 

 

土産を買う必要はなかったので、売店はどこも素通りした。しかし、出発前に最後にヨルダンビールを飲まねばならないという、酒飲み特有の使命感を抱えていたので、アルコール類が置いてありそうな店を探して歩いたが、なかなか見つからず、半ばあきらめかけた時、ゲートのそばのカフェテリアの奥の方に酒瓶を並べたコーナーがあるのに気が付いた。

 

 

これを見逃すような私ではない。

 

 

素晴らしい眺め。さすが空港だ。

 

 

このコーナーのカウンターには人がいなかったので、レジのところに行ってビールが飲みたいと言ったら、缶ビールとジョッキを渡してくれた。アムステルが1缶4JDだったが、小銭が足りなかったので3.5JDに値切ったら、あっさり負けてくれた。ヨルダンって、素敵な国よね…

 

 

ジョッキが冷えているのがポイント高かった。

 

 

良く冷えたアムステルをゆっくり味わって、幸せを満喫する。もうヨルダンでやり残したことはない。

 

 

私が乗ったペガサス航空アンカラ行きは、13時20分発の予定だったが、若干遅れて離陸した。トルコのLCCであるペガサス航空は、HPでチケットを購入するのがほぼ不可能だし(毎回最終段階でエラーが出てどうしても買えない。この時はbooking.comで購入)、過去に何回か大きな事故を起こしたことがあるので(参考)、できればあまり乗りたくないのだが、ヨルダン・トルコ間はこれより安く飛べる航空会社がないのでしょうがない。幸い、今回も無事に到着した。40分くらい遅れただけさ。(予定では15時15分アンカラ着、時差なし)

 

 

着陸した時、客席から拍手が起こった。イタリア人は乗っていないように見えたので、トルコ人かもしれない。イタリア人だけではなく、世界各地で航空機の着陸時に拍手をする人々がいると聞いた。

 

 

 

 

入国手続き等は簡単に済んだ。出口付近に両替所があったので、カウンターの中の女性係員に日本円のレートを聞いてみたら、思ったよりも低かった。

 

み「それはちょっと低いですね…ここ以外にも両替所はありますか?」

係「別に低くないわよ。両替所はここしかないから、ここを出てしまったら、もう両替できないわよ」

み「う…じゃあ、ATMはありますか?」

係「国際線のエリアにはないわよ。国内線のところまで行かないとないからね」

み「うう…まあ探してみます」

係「お好きに」

(会話はトルコ語)

 

 

なんだか、空港の両替所の担当者なのに、悪徳商人のようで興味深いお姉さんだった。結局、国内線発着のターミナルまで行ってATMを見つけ出し、カードでリラを引き出した。

 

 

空港から市内へは、アンカラ在住の日本人の友人に教えられた通り、Belko Airの空港バスに乗った。ネットで調べたところ、Belko Airはもう運行していないようだが、他のEGOという空港バスがあるらしい。(詳細不明)

 

 

 

 

乗り場の脇にいたカラスさん達

 

 

車内は快適

 

 

 

終点のクズライ・ギュベン公園で降りた。

 

 

バスを降りたところに、前述の友人が待っていてくれた。久しぶりの再会を喜び合ってから、彼女が取ってくれたホテルにタクシーで向かう。この友人は小さいお子さんがいて、私を泊める余裕がないからということで、私のために家の近くのホテルを予約してくれ、宿泊料まで払ってくれていた。この夜は彼らの家で夕食をご馳走になる予定だったし、至れり尽くせりだ。彼女はシリア留学仲間で、出会った頃からずっと、一回り以上年下のお姉さんのような存在だった。

 

友人が予約してくれたホテルは、アンマンで泊まっていたホテルとは全然格が違って、大きくてピカピカ。ホテルマンもフレンドリーで親切だった。

 

 

分不相応に綺麗な客室

 

 

 

 

ホテルの駐車場の脇は、猫スポットだった。餌付けしている人がいるそうだ。

 

 

 

 

 

 

撫で放題。さすがトルコの猫だ。うふふふふふふふ‥‥

 

 

 

近くに桑の木が生えていた。美味しそうな実もなっている。他の所でも見かけたので、トルコには桑の木がけっこう多いのかもしれない。

 

 

 

猫を満喫してから、友人宅に移動。商社勤めの駐在の旦那さんとお子さん(男の子)が出迎えてくれた。食事はもう用意されていて、ワインをいただきながら食べ始める。

 

 

トルコ料理のメゼ(前菜)屋さんでテイクアウトしてくれたおかず

 

 

煮物や、焼いたハルーミチーズなども用意してくれた。

 

 

 

動き回る小さい子供を眺めつつ食事するという体験が、私にとっては新鮮だった。友人夫婦は交代で子供の相手をしながら、隙を見て食べている。子育てって、大変なんだなあ…

 

 

旦那さんもアラビア語が出来るので、皆で大きなテレビでアルジャジーラを観たりもした。どこにいてもアルジャジーラを観たがる私。トルコメディアのニュースは政治的に偏っていてプロパガンダ色が強かったり(TRTとか)、国際ニュースが少なかったり、三面記事みたいなニュースが多かったりして、どれもイマイチだしね。

 

 

帰りがけに酒屋に寄って、一番安いワインを買ってからホテルに戻り、飲みながら寝てしまった。買ったワインはトルコ産で90リラ(約480円)だった。ヨルダンより安い。

 

 

ホテルの窓からの夜景

 

 

(続く)

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨルダンの軍事・戦略専門家がみるイスラエル・ガザ情勢の行方とガザの猫動画

2023-10-14 11:01:00 | 中東ニュース

 

 

今回は珍しく中東ニュースがテーマ。現在のイスラエルとガザをめぐる情勢について書く。

 

10月7日、イスラエルの封鎖下のガザから、ハマースの軍事部門「カッサーム部隊」が境界を突破して周辺のイスラエル南部地域を襲撃し、100人を超える人質を取るという、前代未聞の事態が発生した。これに対する報復として、イスラエルはガザ地区を完全封鎖して水も食料も燃料も入らないようにすると宣言し、市街地の地区が丸ごと瓦礫の山になるような、かつてない激しさの空爆を続けている。13日の段階で、イスラエル側の死者は約1300人、ガザの死者は約1900人に達した。なお、ガザの人口は230万人を超えており、その約半数が子供である。

 

 

空爆で多くの建物が完全に倒壊

 

 

ガザの保健省によると、空爆の被害者の約6割が女性や子供(アラビア語の関連記事

 

 

 

この情勢に関しては、日本のメディアでも大きく取り上げられているようなので(うちにはテレビがないから観ていないが)、皆さんもよくご存じだと思うが、よく知らないという方は、NHKの解説記事がわかりやすいので、参考にしていただくといいと思う。

 

イスラエルにイスラム組織「ハマス」が大規模攻撃 何が起きた?

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2023/10/10/35010.html

 

 

そもそも「パレスチナ問題」がよくわからない、という方もおられるかもしれないが、それを説明し出すと長くなるし、書く根性がないので、そちらもNHKの記事を参考にしていただければ幸いだ。

 

パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ

https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

 

 

2006年にハマースが選挙で勝利し、その後ガザ地区を支配するに至り、イスラエルが封鎖を開始した時、私はイタリアのフィレンツェの下宿にいて、毎日テレビのニュースでガザの人々が苦しむ様子を観ていた。このイスラエルによるガザ封鎖開始、そしてレバノン侵攻のニュースの影響で、私の中でアラブ世界への関心が育ち、やがてフィレンツェ大学でアラビア語を勉強し、そこでシリア人の先生に出会い、やがてイタリアからシリアに移動することに決めたのだ。

 

2008年12月から2009年1月にかけてのイスラエルのガザ攻撃の時、私はシリアのダマスカスにいて、下宿の中庭にあるテレビでそのニュースをみていた。旧市街の路上にはイスラエルの国旗が描かれ、人々はそこを踏んで行き来していた。例年なら新年を祝う花火が上がるところだったが、ガザで多くの人々が犠牲になっていることを鑑み、祝賀イベントは自粛された。政治の道具として「パレスチナ支援」を前面に押し出すシリア政府をよく思っていない人々も、ガザの情勢に心を痛めていた。

 

シリアを2011年初めに出て、トルコとエジプトで数か月過ごした後、ターバ国境の検問所でイスラエルのセキュリティを突破して(8時間かかって)入国し、東エルサレムのパレスチナ人一家の住宅の一階を借りて3か月滞在した。その間、西岸地区の各地を訪れ、入植地建設に対する抗議デモに多少参加したりもした(一番後ろでビビりながら)。あの時に占領下で暮らすということはどういうことかを少しだけ学ぶことができたと思う。ガザには行ったことがないので、封鎖下の暮らしの苦しみを知ることはできなかったが。

 

2014年の夏、イスラエルがガザに地上侵攻した時、私はヨルダンのアンマンにいて、アパートのテレビでそのニュースをみていた。近所の商店などでも、テレビがあるところではずっとアルジャジーラを流していて、お店の人達が悲しそうに画面を見つめていた。ガザ地区からのロケット弾がエルサレムあたりに到達した時、それを遠くから見たヨルダンの人々は花火を打ち上げ、嬉しそうに祝っていた。私には彼らの気持ちがわかるような気がした。

 

ヨルダンから帰国した後も、仕事でアルジャジーラを視聴し続け、2021年のイスラエル・ガザ紛争の様子は自宅でインターネットのライブ中継をパソコンで見ていた。今はほぼ無職状態で時間があるので、ニュースの視聴だけではなく、SNSでも情勢を追っている。

 

 

(参考)2008~2020年のイスラエル・パレスチナ紛争での死傷者数の推移

 

 

 

長々と書いたが、これは前置きである(ええ~なが~)。本題は、アルジャジーラによく出演しているヨルダンの軍事・戦略専門家、ファーイズ・ドゥウェイリー氏(私の推し)によるイスラエルとガザをめぐる情勢についての分析の翻訳だ。2回分の話を1つにまとめ、要旨を箇条書きにした形で以下に載せる。

 

 

<ヨルダンの軍事・戦略専門家ファーイズ・ドゥウェイリー氏によるイスラエルとガザの情勢に関する分析>(要旨)

(イスラエルのガザへの地上侵攻関連)

イスラエルが激しい空爆を続け、未だ地上侵攻を始めていないのには、様々な理由が考えられるが、ガザに侵攻するだろうことは、あらゆるデータが示している。しかし、そのタイミングはわからないし、規模も不明だ。イスラエルの多くの研究機関は、3つのシナリオを想定している。1つ目はガザの再占領、2つ目はガザをいくつかの地域に分割することだ。3つ目は、ガザのイスラエルとの境界から一定の距離の範囲の農地を支配することだ。1と2はイスラエルによって非常に困難なので除外されるが、3は可能性がある。その際、境界からの距離は、捕虜交換の交渉に関係してくるだろう。

 

ガザの地下にはトンネルが張り巡らされており、地上の街の下に地下都市があるような状態だ。イスラエルはガザの境界付近の地域を支配することにより、中心部から境界の外に繋がるトンネルを遮断することを狙っているかもしれない。

 

 

(イスラエルの北方にあるレバノン南部のヒズボラ関連)

レバノンのヒズボラ(イランの支援を受けるシーア派組織)の戦力は、ガザの全武装勢力の戦力の合計の数倍あるが、イスラエルがレッドラインを超えない限り、全面戦争には入らないだろう。レッドラインは、衝突がカフル・シューバーからシェバ農場にかけての地域の外に広がることだ。同地域はイスラエルの占領下にあるが、レバノンもシリアも領有権を主張しているため、ヒズボラにとってグレーゾーンとなっている。しかし、イスラエルがなんらかの過ちを犯して、戦闘がレバノン南部の奥深くに至れば、ヒズボラは全面衝突に向かうだろう。

 

ヒズボラは、これまでのガザのイスラエルとの度重なる戦いに参加してこなかったし、今参加するとは思えない。イスラエルがガザへの地上侵攻を開始しても慎重な態度を維持し、レバノン南部が被害を受けた場合も、在レバノンのパレスチナ人の武装集団を通じて限定的に衝突する程度だろう。イランの決定があった場合を除いて。

 

ヒズボラのイスラエルとの対戦に関する決定権はイランの手にある。イランは状況を操る糸を完全掌握しようとしており、傘下のヒズボラ、イラクの武装集団、シリア、イエメンの武装集団の戦線の統一は目指さないだろう。イランの核合意に関わる場合や、イランが軍事的に攻撃された場合を除いて。

 

イランの支援を受けるイエメンのホウシー(フーシ)派は、イスラエル南部に届くミサイルや無人機を所有しているが、イスラエルに対してこれらを使用しないだろう。イランが直接攻撃を受けた時以外は。

 

イスラエルはパレスチナ内部やガザ・ヒズボラが統一戦線を張ることを恐れている。一方、レバノンは経済危機や社会的問題、(2022年10月末から)大統領の座が不在である等の政治問題で苦しんでおり、余裕がない状態だ。ヒズボラはそれを承知している。

 

米国は東地中海に空母を派遣したが、それはガザやヒズボラに対して使われることはないだろう。あれはイランをけん制するためのメッセージでしかない。(了)

 

 

(資料)

خبير عسكري وإستراتيجي: في هذه الحالات سيدخل حزب الله الحرب ضد إسرائيل

https://www.aljazeera.net/programs/2023/10/11/%D8%A7%D9%84%D9%84%D9%88%D8%A7%D8%A1-%D9%81%D8%A7%D9%8A%D8%B2-%D8%A7%D9%84%D8%AF%D9%88%D9%8A%D8%B1%D9%8A-%D9%81%D9%8A-%D9%87%D8%B0%D9%87-%D8%A7%D9%84%D8%AD%D8%A7%D9%84%D8%A7%D8%AA

 

محلل عسكري: إسرائيل تسعى لإخلاء غزة والاجتياح البري سيدخل حزب الله بالحرب

https://www.aljazeera.net/news/2023/10/12/%D9%85%D8%AD%D9%84%D9%84-%D8%B9%D8%B3%D9%83%D8%B1%D9%8A-%D8%A5%D8%B3%D8%B1%D8%A7%D8%A6%D9%8A%D9%84-%D8%AA%D8%B3%D8%B9%D9%89-%D9%84%D8%A5%D8%AE%D9%84%D8%A7%D8%A1-%D8%BA%D8%B2%D8%A9

 

 

(おまけの猫動画)

ガザ初の猫カフェ

 

今どうなっているのか心配だ…

 

 

 

空爆で損壊した建物で動けなくなっていた猫を救出したガザの少年

 

 

(終わり)

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日付不明まとめ書き日記2023年8月後半~10月初旬

2023-10-11 18:04:54 | 日記

 

 

私の住む世界(おうちヤマンバ地方)では、永遠に続くように思われた夏がようやく去ったと思ったら、もう冬が到来したかのような寒い日が続いたが、皆さんのところはどうだろうか。私は衣替えをし(段ボール1個分しかないので一瞬で終わる)、ホットワイン開きをした。うちの妹はカイロ開きを済ませたらしい。コタツもそろそろ用意するべきかな…

 

今回は旅行記をお休みして、久しぶりにまとめ書き日記。過去ブログを読み返してみると、なんと前回のまとめ書き日記は昨年末の日付だったので、ほぼ十か月ぶりとなる。その間に色々なことが起こったわけだが、私は忘却力が優れているので、もはや最近の事しか覚えていない。

 

というわけで、コロナに感染して回復した後、つまり8月後半から今までで、記憶に残っていることを書く。もはや時期もはっきりしないが、古代メソポタミアでシュメール人がビールを飲んでいた頃から現在までに経過した年月に比べたら、誤差の範囲よね…

 

 

 

某月某日

夜のベンチ飲みで、実家からのお中元のヱビスビールを飲む。届いてからまだ半分も消費していない頃にコロナに感染し、カロナールを服用している間は飲めなかったので、まだ残っていたのだ。

 

8月も後半に入り、秋の使者であるはずのキリン秋味が発売されても、これでもか、これでもかと猛暑日が続いていた。そういう時こそ良く冷えたビールが美味しいのは常識である。

 

 

家で飲んだ時の写真

 

 

ヱビスは今のところ、日本の大手メーカーのビールの中で、私の一番お気に入りだ。美味しいだけではなく、缶が金色に輝いていて特別感がある。値段も他のビールより少し高めだ。それゆえ、ベンチ飲みでヱビスを飲むと、ホームレスの人と間違えられにくいだろうし(間違えられたことがある)、他のベンチドリンカーに差を付けることもできそうだ。

 

そう思って、いそいそベンチ飲みに繰り出したのだが、周りのベンチに座っている人達は、私のヱビスには目もくれず、スマホを眺めたり、恋人といちゃいちゃしたりしていた。そりゃそうよね、私だってベンチ飲みしてる時、周りなんて見てないもんね…

 

しょうがないので、座っていたベンチの前に立っていた山桜のやまちゃん(愛称)にヱビスを自慢することにした。やまちゃんは私が何を言っても、黙って聞いてくれるのだ。まあ、傍目には一人でブツブツ言ってるヤバそうな中年女性にしか見えないだろうが…

 

 

もはや秋の使者と呼べないキリン秋味(過去写真)

今年は秋が10月くらいまで来なかったし、フライングで冬が来たりしたしな…

 

 

 

某月某日

昼過ぎに目覚めてから、1時間以上布団の中でツイッター(別名「ぺけ」)を眺めた末、そろそろ起きようかなと考える。

 

起きると決めた時、「特に急いでやるべき用事は何もないのに、起きるなんてエライ~」と自分を褒めた讃えたが(「褒めて伸ばそう良い自分」キャンペーン永年継続中)、起きてから何をしようか考えているうちに、いつの間にかまた眠り込んでいた。

 

二度寝から目が覚めた時はもう夕方近かった。私は引き続き布団の中で寝そべったままで思考を巡らせ、最終的に「とにかく、私はあの時起きようとした。その心持ちが尊いではないか。実際に起きたかどうかは重要ではない。大事なのは結果ではなく、過程なのだ」という結論に達した。

 

以前のまとめ書き日記に、「私は自分がどんなことをやっても褒めるスキルを身に着けつつある」と書いたと思うが(いつだったかな…)、最近はもはや、何もやらなくても褒めることが出来るようになってしまった。もうこの道(自画自賛道)を極めた感がある今日この頃だ。

 

 

 

某月某日

スマホアプリのカレンダーが最近妙に優しい。

 

私はスマホにヤフーカレンダーのアプリを入れているのだが、

 

このカレンダーは割とおせっかい焼きで、予定が入っている時にリマインダーとして通知するだけではなく、なんにも予定がない日も、「今日の予定はありません」と通知してくるのだ。私は控えめに言って予定の少ない女なので、しょっちゅうこの「今日の予定はありません」攻撃を受けることになる。

 

その度に、「ちっ、予定がある時だけ教えてくれればいいのに。『お前ヒマやな~』と言われてるみたいで感じ悪いぞ…」と思っていたのだが、それが伝わったのかどうかは知らないが、最近は「今日の予定はありません。いい一日になりますように」「明日の予定はありません。いい一日になりますように」と、予定のない日が良い一日になるように願ってくれるようになったのだ。

 

それを見ると、なんだかカレンダーに同情されている気がして、しんみりした気分になるのよね…

 

 

 

某月某日

昼過ぎに起きて、ラジオ体操などをしてから、日記をつける。

 

日記をつけるのは、しばらく前から私の日課の一つになっている。元々はその日飲んだアルコールの分量を把握する目的で、「酒日記」のつもりで始めたのだが(近年酒量が増えてアル中が懸念されるため)、ついでに睡眠時間や食べた物、その日やったことなども書くようになった。

 

睡眠時間や食べ物について記録するのは健康管理のためだが、その日やったことを書くのは、書くこと自体によって、出来事を記憶に定着させるためであり、認知症防止的な目的があるのだ。何しろ、前の日の事なんて、ほっといたらすぐ忘れちゃうからな…

 

しかし、この日記はある意味で危険物のような存在でもある。もし外出中に事故に遭って命を落とした場合、家族が遺物を整理しに来てこれを見つけたらどうなるだろうか。「あの子は毎日こんなに飲んだくれてたのか。酎ハイ飲みすぎやろ」とか、「いい年して、晩御飯の後にポテチ一袋一気食いしてたのか」とか、「何が面白くてこんなに毎日ベンチ飲みに行ってたん…?」とか思われるのではないだろうか。それはなるべく避けたい事態である。

 

そう思うと、うかつに事故に遭う訳に行かないので、外出先では慎重に行動するようになった。自宅でも急病で倒れないよう、健康管理にも以前より気を遣うようになった。小さな子供がいたり、ペットを飼っている人達は、「あの子を残して事故に遭う訳にはいかない」と思うのだろうが、私の場合は「あの日記を残して事故に遭う訳にはいかない」となるのだ。

 

逆に言うと、日記のおかげで(今のところ)行き倒れることなく暮らせているのかもしれない。一人暮らしの人の健康法として、「誰かに読まれたら恥ずかしい日記をつける」というのは、ありなんじゃないだろうか。

 

 

「日記より猫を飼う方がいいにゃ~」

飼いたいのはやまやまなんですがね…

 

 

 

某月某日

初めてペルシャ語のオンラインレッスンを受ける。ズームのグループレッスンだ。

 

私はズームというものをほとんどやったことがないので、やり方がわからず不安だったが、先生から送られてきた説明書きの通りにやったら、なんとか出来た。

 

語学のレッスンなので顔出しが基本だが、うちのボロアパートが写らないようにしたかったので、設定で背景を変えることにして、朝露に光る原っぱみたいなやつを選んだら、小麦畑に降り立ったマッドサイエンティスト風ヘアスタイルの宇宙人のおばちゃんみたいになった。私は寝起きでなくても髪の毛が爆発しているのだが、人工的な背景を設定したことにより、髪の毛のぼわぼわ加減が妙に強調されてしまったのだ。

 

先生も他の生徒さんたちも普通に自宅を写していたので(背景をぼかしている人はいたが)、私だけ明らかに浮いていた。でも、浮いていたのは映像だけではなかったと思われるので、まあいいかな…(?)

 

 

 

(唐突なペルシャ語豆知識)

 

数字の5が逆さハート

 

 

 

おしりっぽくもあるよな…

 

 

 

 

(終わり)

 

 

 

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(21)~ヨルダン最終日後編・アンマンの猫おじさんの家~

2023-10-05 20:41:41 | ヨルダン(猫中心)

 

 

前回、アンマン城(城塞の遺跡)に向かう階段を登っていく三毛猫を見かけ、なんとなく誘われたような気がして付いて行くことにした、というところで終わっていた。(前回の話

 

アンマン城は丘の上にあり、そこまでかなり急な石段が続いている。私はそこをスローモーションでえっちらおっちら登って行った。

 

少し行ったところで、階段と階段の合間の踊り場のように平らになった部分に出た。ここで一休みしようと思い、しばし立ち止まって辺りを眺めていたら、階段の脇の空き地に子猫が3匹いて、周りの草木の間をちょろちょろして遊んでいるのが目に入った。

 

 

向こうもこっちに気が付いて、恐る恐る覗いてくる。

 

 

なんなの、君らのこのかわいさは…

 

 

天国への階段か?

 

 

しばらく子猫たちを眺めて目の保養をしてから、また階段の続きを登る。最初に見たミケちゃんはもう見失ったと思っていたが、さにあらず。少し先で私を待っていてくれた。一度登り切って、また戻ってきたのかもしれないが。

 

 

 

 

「ちゃんとついてきてる?」

 

 

導かれるまま階段を上まで登り切ったら、ミケちゃんが子猫と一緒にいた。お子さんですかね。

 

 

ここは坂を横切る形で通っている道路で、上にはまだアンマン城に向かう階段が続いていた。道案内のお礼に、ミケちゃんたちにカリカリをあげたら、他の猫も数匹寄ってきた。片隅には、ペットボトル入りの猫用の水も置いてある。誰か猫好きの人が用意したのだろう。

 

 

記念撮影風

 

 

すみっこぐらし風

 

 

グラビアアイドル風

 

 

子猫多発地帯だった。

 

 

写真を撮っていたら、何か容器を手にした男性が登場して、猫たちにエサをあげ始めた。フライドチキンの食べ残しに見えた。おお…この人は、猫おじさんだ~ 

 

 

 

 

猫のために水の容器を用意したのも、この人かもしれない。そういえば、階段の下でも猫にエサをあげる男性を見かけたのだった。ヨルダン、猫おじさんが多いな。トルコに負けてないのでは。

 

 

エサやりの様子を見守り、写真を撮っていたら、彼はすぐそばにあるという自宅に招いてくれた。家の中にも猫がいるから、見に来ないかという。人相の良い人だったので(っていうか、けっこう男前)、家に上がり込んでも問題がないと思われた。まずミケちゃんに誘われて階段を上り、そこに登場した猫おじさんに誘われたわけだから、ここはひとつ、流れに従って付いて行くべきだろう。

 

 

話の通り、家にも猫が数匹いた。

 

 

猫おじさんの秘蔵っ子、ふわふわの子猫ちゃん

 

 

やはり、家猫の方が外猫より毛並みが綺麗だ。どっちもかわいいけど。猫だから。

 

 

彼は、「部屋でうちの妻が昼寝してるから、起こさないように気を付けてね」と小声で言い、その部屋の端っこをそうっと横切って、ベランダに出た。えっ…私は奥さんが昼寝してるのに、家に入り込んでるの?やましいところは何もないけれど、もし私が奥さんだったら、寝てる時に夫が見知らぬ女を連れ込んでるのを知ったら、一生許さないと思うが、いいんかいな??

 

 

とりあえず、言われた通りに忍び足で歩き、彼の後を追ってベランダに出てみたら、そこには素晴らしい風景が広がっていた。

 

 

ほぼ正面に円形劇場が見えて(写真では小劇場オデオンが中心に来ているが)

 

 

左手にアートな壁絵があり

 

 

右手にはアンマンの街が一望できる

 

 

庇の所には、扇風機が設置されていた。彼は夏場はいつもベランダで寝るのだそうだ。廊下には、いい匂いのするハーブの植わった鉢がいくつか並んでいた。

 

 

彼は内戦前からヨルダン在住のシリア人で、年の頃は私と同年代か少し下くらいに見えた。奥さんはヨルダン人だそうだ。特に裕福そうには見えなかったが、このような絶好のロケーションの家で、かわいい猫たちに囲まれて過ごすのは、とても贅沢な暮らしのように思えた。ラッキーな人たちだ。

 

 

ベランダからの眺望を堪能させてもらった後は長居せず、さくっとおいとました。奥さんが目を覚ましたら、エライことだからな…

 

 

またさっきの猫スポットに戻って、猫たちの様子を眺め、写真を撮った。前日にザルカで買ったタイ製のちゅ~る類似品をあげてみたら、すごく食いつきが良かった。これはちゅ~るだと認定していいだろう。

 

 

「うみゃ~」

 

 

そうこうしているうちに、彼が追加のエサを持ってやってきた。一日に何度もあげるらしい。私が猫たちにタイ製ちゅ~るをあげているのを見て、それは何かと聞くので、猫が大好きなペースト状のおやつだと説明し、1本渡して猫にあげてもらった。

 

 

こぼしすぎ

 

 

なくなったら、もう1本欲しいと言われたのであげた。高いんだがな…残り1本になってしまったので、後でペットショップで買い足すことにして、彼に別れを告げ、ホテルに帰るべくダウンタウンに向けて歩き出した。

 

 

適当に坂道を上り下りして、気が付けばけっこう遠回りしていた。

 

 

通行人のための無料冷水器。フィルターで濾過してあるって書いてあるけど、ほんとか。

 

 

やっとダウンタウン付近の平地まで降りてきた。

 

 

チキンの丸焼きで有名な店「アンワール・マッカ」(أنوار مكة)に遭遇。

 

 

他にも色々メニューがある。ここでヨルダンの国民的料理「マンサフ」を食べたことがあるが、美味しくてまあまあ安かった気がする。

 

 

チュロス風の揚げ菓子のあるお菓子屋さん

 

 

チュロスとちゅ~るって、ちょっと似てるよね。「ちゅ」の音とか、にょろにょろしてるとことか。

 

 

ダウンタウン中心部に到着。ゴールドスークの辺りでも子猫を発見。

 

 

ようやくホテルに戻り、ビールを飲んでしばらく仮眠を取った。暑い中歩き回って疲れた時は、冷えたビールが一番だ。なんならスプマンテ(イタリアの発泡ワイン)でもいいんだが、ヨルダンでは高いから一生買えない。

 

 

エアコンの効いた部屋で死体のように眠り、夕暮れ時にゾンビのようにむくっと起きて、また出かけた。まずちゅ~るを買い足すため、アンマン山(という名の丘)の第一サークル付近のペットショップ街に行く。

 

 

今度は中国製を買ってみた。値段はタイ製と同じ。

 

 

アンマン山からダウンタウンにかけて歩いている時、いくつか壁絵を見かけたので、写真を載せておく。

 

 

 

 

これは壁絵ではないが、そのようなものだろう。

 

 

 

 

「何も考えたくない」と書いてある。わかる。

 

 

ダウンタウンに戻ってきたら、もう日が暮れていた。

 

 

市場方面に歩いて、例の靴屋に顔を出し、母猫と子猫に最後の挨拶をした。

 

 

母子ともに健康そうで安心。母猫はまた私にすり寄って来る。うう、かわいい…

 

 

例の如く撮影に失敗…でも、愛くるしさは伝わるのでは。

 

 

靴屋の店員たちにしっかりエサをもらっているようだが、最後なので、母猫に中国製ちゅ~るをあげた。こちらもタイ製のものと同様、食いつきが良かった。世界各地にちゅ~る類似品が登場しているようだが、いなばペットフード社、特許を取った方がよかったのでは。

 

店員2人にも別れの挨拶をして、セブンイレブンの品川巻きをあげた。おやつ用に持ってきたけど、食べなかったやつだ。彼らも日本が好きで、いつか日本に行きたいと話していた。猫たちも彼らも、また会えるかどうかはわからないけれど、元気に幸せに暮らしてほしいな…

 

帰りにいつもの安食堂に寄って、シャワルマサンドとアラーイス(挽肉ベースの具をピタパンに挟んでオーブンで焼いたもの)を買って帰り、ホテルで食べた。獰猛な顔の売り手から大量に買わされたサクランボもがんばって消費した。

 

アラーイス(عرايس、ネットで拾った写真)

 

 

翌日は朝8時に起きて、トルコに移動する予定だった。ヨルダンでの1週間は、時間を持て余すかと思ったが、けっこう色々なことが起こり、退屈する暇がなかった。トルコではどうなるだろうか。

 

 

(続く)

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(20)~ヨルダン最終日前編・アンマンの看板博物館とダウンタウン散策~

2023-10-02 16:13:23 | ヨルダン(猫中心)

 

 

ヨルダン最終日は朝9時半に起きた(やや早起き)。例によって、洗濯やら写真の整理やらツイッターやらをしてから、12時過ぎにようやく出かける。

 

 

まず、ホテルのすぐ近くにあるのに今まで行きそびれていた「アンマン看板博物館」(متحف آرمات عمّان 地図)に出かける。ここは2020年にオープンした時に、ヨルダンメディアで紹介記事を読んで、いずれ行ってみたいと思っていたところだ。なにしろ、無料ですしね(重要)。

 

 

道行く人をぐいぐい誘う赤い矢印

 

 

建物の3階まで狭い階段を上っていく。

 

 

下はグーグルで拾った写真。「入場無料」を前面に押し出してアピールしている。

 

 

入場無料って、素晴らしい。(有料のところには滅多に入らない私)

 

 

階段には「マスク着用遵守」と一段一段描かれていた。

 

 

中に入ってみたら、誰もマスクしてなかったが。ヨルダンは新型コロナの感染が収まっていたのでね。

 

 

博物館の内部は、昭和レトロなミニテーマパーク(看板専門)のような雰囲気だった。アンマンの人達が見たら、「あ、あれ昔よく見たやつ!懐かしい~」となるのだろう。

 

 

こじんまりした空間をいくつかに仕切ってあり、年季の入った渋い看板が壁や通路を埋め尽くしている。

 

 

ここにある看板は、かつてアンマンの街のあちこちで実際に使われていたもの。それを博物館のオーナーが数十年かけて収集し、20世紀半ば頃からのアンマンの街の記憶を宿す大切な遺産として、こうやって展示して次世代に受け継ごうとしているのだそうだ。民俗博物館の一種と言えるかもしれない。商品の壁広告もあれば、お店の看板、学校やクリニックの表札など、種類は様々だった。

 

感じのいい若い女性が入り口付近で案外係をしていたので、主要な看板を教えて欲しいと頼んでみたら、丁寧に説明してくれた(アラビア語で)。しかしメモを取る余裕がなかったので、聞いた端から忘れてしまった…確か、一番古い看板は1949年のもので、歴史的に重要な看板はヨルダン最初の私立学校やイラクの銀行の表札だと言われたような気がする(うろおぼえ)。彼女によると、1日あたり100人から200人がここを訪れるらしい。私がいた時も、けっこうお客が入っていて驚いた。小さくて地味そうな博物館だから、閑古鳥が鳴いているはずだと思っていたのに(失礼)。年配の人たちも、若者のグループもいて、おしゃべりしながら楽しそうに看板を眺めていた。おそらく私以外は皆地元民だろう。

 

 

この国立書店の看板も大事だと言われたような…

 

 

説明板(ぼけた)

 

 

このひと昔前のアイドル歌手みたいな人が博物館を開いたガージー・ハッターブ氏。

 

 

ちなみに、彼がポーズを取っている背後の看板に「صرصور」って書いてあるけど、これはアラビア語であの茶色くてつやつや光って動きが素早くて飛ぶこともできる困った虫のことなんですよ。あの虫を売っている店の看板と言う訳ではなくて(そんな店あるんかな)、店主の名字(ゴキ○○氏…?)をそのまま取った店名なのだと思われる。これはハッターブ氏が最初に手に入れた看板だと書いてあるが、彼はなぜこの看板が欲しいと思ったのか?

 

 

アンマン看板博物館を紹介する動画(アラビア語)

 

 

動画の最後の方(2:00~)に出てくるイラクメディアのリポーターのキャラが強め。

 

 

見学を終えて、下の階に入っているカフェでミントティーを飲んだ。後で調べたら、この「セントラルカフェ」は創業1930年でアンマン最古のカフェだという。看板博物館とセットで訪れるべき場所だろう。

 

 

バルコニーで飲んだ。壁のアラビア書道風のデザインがお洒落

 

 

ヨルダンのミントティーは紅茶にミントの枝を突っ込むタイプ

 

 

ここは紅茶が一杯0.75JDで、おじさん御用達のマクハー(喫茶店)とオシャレカフェの中間ぐらいの雰囲気と価格帯だった。つまり、お洒落な壁絵のあるバルコニーで景色を楽しみながらお茶が出来て、その割に値段は安めで、室内ではおじさんたちがまったりと水煙草を吸っているという、まさに「いいとこどり」という感じのところだ(個人の意見です)。

 

それにしても、私が旅行していた当時(2022年夏)、1JD(ヨルダンディナール)は185円くらいで、私がかつて住んでいた頃(1JD=150円弱だったような)に比べてずいぶん上がっていて怯えたものだが、今はさらに上がっていて、1JD=210円になってるじゃないですか。円安ディナール高、恐ろしい…

 

 

カフェの後は、市場付近にある「カイロレストラン」(مطعم القاهرة )という安食堂に行ってランチにした。ここは地球の歩き方にも載っていたところで、日本人旅行者にもよく知られている。私もずいぶん前に人に連れられて来たことがあった。

 

 

店頭のショーケースの中には美味しそうな料理がいっぱい。(外観は撮り忘れた)

 

 

3階が女性を含む家族客用のスペース

 

 

メニューは写真と英語つき(ぼけた)

 

 

バーミヤ(肉入りのオクラのトマト煮)とライス(アラブ風ピラフ)にした。

 

 

アラブ諸国には豪快で写真映えする料理がたくさんあるのに、いつも地味で安いものばかり食べて、なんかすいませんね…

 

 

バーミヤは美味しかったが、肉がほとんど入っていなかったし、ライスと水と合計で2JDだったから、私がよく行く安食堂(アンワール・クドゥス)よりやや高めの価格設定だ。但し、広い空間で落ち着いてゆっくり食べることが出来るという利点がある。そのせいか、地元の女性の一人客もいた。ヨルダンで一人で食堂に入る地元の女性を見たのは、これが初めてかもしれない。

 

 

食後、腹ごなしに市場の周りをぐるっと回ってからホテルに帰って、休憩することにした。市場の外側にも色々店が出ているので、眺めながら歩いていると退屈しないのだ。

 

 

サクランボを大量にトッピングしたかき氷

 

 

狭いカゴに子猫や子ウサギ、鳥たちがぎゅうぎゅう詰めになっているペットショップ…

 

 

サトウキビジュース屋さん

 

 

お友達も登場。2人ともネグリジェ姿(違う)

 

 

武器屋

 

 

ダウンタウンの商店街の端っこには、武器を扱う店が何軒かあるのだ。剣呑、剣呑…

 

 

ダウンタウンの外れにある高速バス乗り場

 

 

ぼんやり写真撮ってたら轢かれそうになった。

 

 

アンマンの高速バスは、出来る出来ると言われつつ、永遠に出来ないような気がしていたが、いつの間にか完成して走っていた。まさか本当に出来るとは思わなかったわい…

 

 

商店街の端っこでUターンして、市場の裏側に回った。

 

 

家具屋街のとっつきの家電製品店

 

 

二層式洗濯機も現役

 

 

ゴミの山に限りなく近い激安古着

 

 

アンマンの市場周辺でも、カメラを構えていると色んな人にポーズを取られる。

 

 

 

花屋もある。

 

 

量り売りのドライフードが買える店

 

パン屋さん

 

 

座薬形の窓の建物

 

 

小さな公園スペース

 

 

なんとなく歩き続けているうちに、ローマ劇場に着いてしまった。その手前でホテルに戻るはずだったのに。

 

 

 

 

入口

 

 

何回か入ったことあるけど、せっかく来たから入って行こうか…とはならず、その前の広場の木陰に座って休憩した。木陰でぼんやり座っている人は他にもけっこういた。

 

 

子供が水を売りに来たので買った。

 

 

ヨルダンでは、ベンチ飲みは水かお茶、コーヒーでやる。公衆の面前で屋外でビールなどを飲むわけにはいかないからな…

 

 

すずめさんも休憩中

 

 

三毛猫さんが広場を横切っていった。

 

 

呼んでも完全無視だった。何か用事があるのかもしれない。

 

 

ローマ劇場の向かい側の丘の上には、アンマン城が見える。

 

 

アンマン城も一度行ったことがあるので、遠くから眺めるだけで十分だ。暑い中、あそこまで上りたくないしな~

 

 

そろそろホテルに帰ろうと思い、そちらの方に向かって歩き出したら、坂道の下のところに猫が集まっていた。

 

 

年配の男性が、なにか内臓系のエサを振舞っていた。みんなシッポがピーンとなっている。

 

 

猫「あんたも何かくれるんですかい?」

 

 

猫たちの視線をスルーして、坂を上っていたら、アンマン城に向かう階段が目の前に現れた。そこにさっきとは違う三毛猫がやってきて、ゆっくりと登って行く。

 

 

 

 

アンマン城に行く気は全然なかったのだが、どうもミケちゃんに誘われたような気がしたので、がんばってついていくことにした。

 

 

(続く)



 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする