外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ユリカモメおばちゃん

2012-12-30 12:26:47 | イタリア
(ウィキペディアからとったユリカモメの写真)



最近の私の娯楽のひとつは、ハトやユリカモメのエサやりである。
日本にいた頃は、近所の猫スポットで猫を餌付けしていたのだが、フィレンツェでは猫スポットがなかなか見つからない。
それで仕方なく、ハトやユリカモメで満足することにしたのだ。
ハトは日本と同様どこにでもいるし、ユリカモメ(イタリア語でgabbianoという)の方は、アルノ川流域にたむろしている。
その昔フィレンツェに住んでいた頃には、アルノ川でユリカモメを見た記憶がないので、彼らの登場はさほど昔のことではないのかもしれない。

ユリカモメは白とグレーの羽根に黒いワンポイントの入った、なかなかシックな水鳥だが、よく見るといかにも猛禽類という感じの、獰猛な顔つきをしている。
この獰猛な顔と、エサを取り合いするときのアグレッシブな態度が、私のハートをワシづかみするのだ。
カモメなのに、ワシづかみ。

クリスマスの前日も、私はアルノ川の橋の上でユリカモメに餌をやっていた。
イブだというのに、一人で暇を持て余していたのだ。
せっかくのクリスマスなので、ありきたりのパンではなく、クリスマス菓子のパンドーロを大盤振る舞いすることにした。


パンドーロ



私が橋の上から景気よくパンドーロのかけらを振りまくと、ユリカモメたちがわらわら集まってきて、戦闘機のように滑空しながら、真剣な顔で奪い合いをする。
たいていのかけらは川面に落ちてしまうが、なかには空中でうまくキャッチするヤツもいる。

しばしエサやりに熱中する。
いつのまにか、ユリカモメの数は50羽くらいに増えていた。
・・・なんだか、ものすごく愉快な気分。
戦後の日本で、進駐軍のアメリカ兵たちがお腹を空かせた日本の子供たちにガムやチョコレートを投げ与えるとき、こんな気分だったのではないだろうか?とふと思う。

私の傍らには3,4歳くらいの可愛らしい女の子と、そのお父さんらしき男性(30代前半くらいで、わりと男前)が立っていた。
彼らはユリカモメをじっと観察しながら、「ほら、カモメがパンを食べてるよ」「ほんとだ~」などと、たわいのない会話を交わしている。

その女の子もエサをやりたいかもしれないと思い、私はその親子に近づいて、親切にもパンドーロを少し分けてあげた。
女の子は最初ためらっていたが、やがて意を決したようで、小さな腕をえいっと振って空中に投げた(全然飛ばず、下にポトっと落ちただけだったが)。

自分の投げたエサを食べるユリカモメを見て、はしゃぐ女の子。
その姿を見て、私も満足だった。
うふふふ、良いことをすると気持ちがイイ。

そのときである。
女の子の父親が、感謝に目を輝かせて私に礼をいい、それから女の子に向き直って、
「ジュリア、このタータにありがとうって言いなさい」と言ったのだ。
その瞬間、私はかたまってしまった。
うっ・・・タータ?
タータって、タータって、どういうこと?!

イタリア語で「tata(タータ)」といえば、小さい子供の世話係の女性のことで、「ねえや」とか「ばあや」とかいうニュアンスがあるのだ。
しかし四十すぎの私に対して、「ねえや」も「ばあや」もないだろう。
するともしや・・・
「おばちゃん」ってこと?!
ユリカモメおばちゃん?!

くそ~、エサなんか分けてあげるんじゃなかった!
アタシのパンドーロ、返してよ~、と言いたいところだがもう遅い。

もう夕暮れが近かった。
ユリカモメたちはまだエサを求めて飛び交っている。



アルノ川のユリカモメたち エサやり前



エサやり後


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアでニセモンの和食を作る

2012-12-27 18:46:38 | イタリア



近頃、「なんかニセモンの和食を作りたい!」という欲望がむらむらと湧いてきた。

別に和食が食べたいわけではない。
本物の和食を作りたい、というわけでもない(そもそも私には、ちゃんとした和食が作れないし)。
私がいま作りたいのは、「日本通でない外国人が、聞きかじりの情報を頼りにテキトーに作った、ちょっと困った感じのニホン料理」なのだ。
なんでわざわざそんなものが作りたいのか、自分でもよくわからないが、まあ病気のようなものであろう。
今に始まったわけではなくて、日本にいるときから時折症状が出ていたから、持病というべきか。


ともかくそんなわけで、昨夜「白菜漬けのニセモン」を作ってみた。
当初の目標はキムチっだったのだが(キムチは和食やないやろ!と、自分でツッコミを入れておきます、すんません)、唐辛子の量が少なすぎて全然赤くならなかったので、結果として白菜漬けになったのだ。

白菜はカッシーネ公園の市場で買った。
ちなみに白菜はイタリアで「CAVOLO CINESE」、つまり「中国キャベツ」と呼ばれていて、スーパーなどで簡単に買える。
大根も普通に売っている。
これは、この地に数多く在住する中国人の功績によるものだろう。
ありがとう、中国人の皆さん。

調味料として使用したのは、ペペロンチーノの粉末、塩、ニンニク、グレープフルーツジュース、アンチョビ、白ワインビネガーである。

グレープフルーツジュースは梨の代わりである。
昔読んだ韓国料理の本に、キムチの隠し味に梨をすりおろして入れるとよい、と書いてあったのを思い出したのだ。
アンチョビはもちろん、アミの塩辛の代わりである。
さらに、発酵を待たずにすぐに食べられるように、ビネガーを加えてみた。
さすが、我ながら配慮が細かい・・・
ビネガーを加えた時点で、「漬物」ではなく「ピクルス」になってしまった気がしないでもないが、あまり深く考えないことにする。

ザクザク切った白菜に、これらの調味料を混ぜ、重しをして一晩おいた。

翌日(つまり今日)食べてみると、酸味が強めではあるものの、普通の白菜漬けの味がした。
見た目もごく普通で、私が当初目指していた「外国人の作ったエセ和食」とはほど遠い感じだ。
がっかりこ・・・
調味料が平凡だったせいだろうか?
やはりトマトペーストも入れるべきだった。
そうしたら、見た目はキムチ、食べたらイタリアンな代物が出来たかも~

しかし、一度失敗したくらいでくじける私ではない。
失敗は成功のマンマなのだから。
次の野望は、「なんちゃってにぎり寿司」である。
白ワインビネガーで作った酢飯(コメはもちろん粒が長いタイプ)に生ハムとかサラミをのっけて、醤油とマヨネーズをつけて食べるのだ!
けっこう美味しそうじゃないですか?


カッシーネの市場で見つけた、ガイコツ柄のセーター



同じくカッシーネの市場、興奮して商品の入ったカゴを噛む犬



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本刀って、フィレンツェでは現役の武器なのか?

2012-12-09 23:33:37 | イタリア



土曜日の朝、台所でカフェラッテを飲みながら、一日遅れの新聞にゆっくり目を通しているとき、ふと日本刀の写真が目にとまった。
それはラ・レプッブリカ紙(12月7日付け)の国内犯罪ニュース・ページにある短い記事で、タイトルは「口喧嘩の末、カタナで父親の指を2本切断した若者を逮捕」だった。
以下に内容を要約してみる(要約っていうほど要約じゃなくて、ほとんど全訳だけど)。

「21歳の若者(無職)が弟と一緒に寝室で眠っていたところ、父親が入ってきて小言を言ったので口論になった。
若者はカッとして、戸棚からカタナを取り出して振り回し、父親の両手の親指を切り落とした。
事件が起こったのは昨日の朝、サン・サルヴィ通りである。
警察は若者を殺人未遂で逮捕した。
父親(57歳)はカレッジ病院で指の接合手術を受けた」

無職でふらふらしている息子(私みたいだ・・・)を親が叱って喧嘩になり、刃傷沙汰に発展するというのは、イタリアではわりとありがちな事件だが、武器として使用されたのが日本刀だというところが技あり(?)といえようか。

私が気になった点は、
その場に居合わせた弟はどのように振舞ったのか、
どうして戸棚に日本刀なんかが入っていたのか、
もしかしてこの若者は日本マニアなのか、
ちゃんと銃刀法の届出は済ましていたのか(イタリアにもあるはず)、
親指を1本だけではなく、2本とも切断するのって、なんか不自然じゃないか、
というか、そもそもあの長い刀で親指だけを切り落とすのって難しいんじゃないのか、
などである。

疑問を解決するためネットで検索したら、この件に関する別の記事が見つかった。
「il Reporter.it」というフィレンツェ・ニュースサイトに載っていたもので(12月6日付け)、タイトルは「親子喧嘩の末、父親の指を1本切断した若者を逮捕」である。
う~む、切断された指が1本減っているぞ。
これも内容を要約してみよう。例によって、要約というよりは全訳なんだけど。

「今朝フィレンツェで21歳の若者が、サン・サルヴィ通りにある自宅で父親(57歳)と口論のうえ、カタナでその親指を1本切り落とした。
警察は彼を殺人未遂の疑いで逮捕。
『katana』は日本語で、1400年代に普及してサムライが使用していた片刃の剣を指す。
父親はカレッジ病院に運ばれ、外科手術を受けた。
若者が夜ずっと窓を開けっぱなしにしていたことが、口論の発端だとみられている」

こちらの方は日本刀についての説明つきである。
私はこの手のことに詳しくないので、正しいのかどうかは知らないが。
口論の発端は「窓を開けっ放しにしたこと」とあるが、それは寒いからだろうか?
まあ喧嘩のきっかけって、些細なことが多いよね。
日々の不満が積もり積もって、ある日些細なきっかけで堰を切ったように噴出して、暴力的な結果を生むのだ。
コワイ。

2つ目の記事を読んでもまだ疑問が残っていたので、さらなる情報を求めてしつこく検索していたら(私はこういうことを調べだしたら止まらなくなる)、包括的な記事が出てきた。
これは「Stamp Toscana」というトスカーナ・ニュースサイト(12月6日付け)に載っていたもの。
タイトルはごくシンプルで、「父親と口論してカタナで負傷させる」である。
今回はキチンと要約してみよう。何しろ包括的なだけあって、比較的長めの記事なので。

「フィレンツェ- 昼近くに家に帰ったとき、窓が開けっ放しだったのを見て激怒し、父親(57歳)は家にいた息子(21歳)を叱りつけた。
父子の間には以前からよく口論が発生していた。
原因は息子が『仕事を見つけようとしない』ことである。
口論の末、息子はカタナ(日本の剣)を持ち出し、父親の喉元を狙って振り回した。
父親はとっさに手を伸ばして刃を避けようとしたが、その際指が一本切断された。
父親はカレッジ病院に運び込まれ、外科手術を受けた。
息子の方は銃刀法違反と傷害罪の疑いでフィレンツェ警察に逮捕され、ソッリチャーノ刑務所に連行された」

やはり銃刀法違反だったようだ。
なんかまだ不明な点も色々残っているけど、この辺でやめておこう。
何はともあれ、お父さんの指が無事にくっついたことを願います。
壊れてしまった家庭はもう元には戻らないだろうけど・・・

<参考>
もし物好きにも記事の原文が読みたい人がいればトライしてくださいね。
・「La Repubblica」の記事
http://ricerca.repubblica.it/repubblica/archivio/repubblica/2012/12/07/litiga-con-il-padre-afferra-una-katana.html?ref=search
・「il reporter.it」の記事
http://www.ilreporter.it/index.php?option=com_content&view=article&id=25000:lite-in-famiglia-amputa-un-dito-al-padre-con-una-katana&catid=77:cronaca&Itemid=129
・「Stamp Toscana」の記事
http://www.stamptoscana.it/articolo/toscana/litiga-con-il-padre-e-lo-ferisce-con-una-katana

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒とヤギ乳とヘルペスと

2012-12-04 23:28:47 | イタリア
問題のヤギ乳




今日、下唇にヘルペスが出来ているのに気づいた。
指で触ってみると、一箇所ぷくりん、と腫れているのだ。
胃が荒れているせいに違いない。
実際、イタリアに来て以来、胃が不吉な感じにジワジワ痛むことがよくあるのだ。

私はヘルペス持ちなので、野菜を数日食べなかったり、暴飲暴食が続いたりして胃が荒れると、すぐに唇のあたりに水泡が発生する。
これをほうっておくと水泡が大きくなったり、数が増えたりして、オソロシイ顔になってしまう。
元の状態に戻るまでにはかなりの日数がかり、その間お見合いにも合コンにも参加できない(今までの人生で、どちらもやったことないけど)。

だから私は抗ヘルペス剤(ゾビラックス軟膏)のチューブを常に持ち歩き、少しでも症状が出たら患部に塗りまくって対処してきた。
私はゾビラックスを全面的に信頼している。
ゾビラックスは凄い。
なにしろ、これを塗ってヘルペスが引っ込まなかったことがないのである。
おかげで安心して暴飲暴食できるというものだ。
ぬりぬりぬり・・・

さて、ゾビラックスを塗って一息ついたところで、胃の不調の原因を考えてみようと思う。

野菜は毎日食べているので、野菜不足は原因から除外していいだろう。
食事の量は増えたけど、間食をやめたので、「暴食」もしていないことにしよう。
すると考えられるのは「暴飲」だけである。
私が近頃「暴飲」していると考えられるのは、以下の2種類の飲料である。
(1)酒
昼食の時も夕食の時もワインを飲み、さらに食後酒としてクレーマ・ディ・リモンチーノ(レモン風味の生クリーム入りリキュール)や、ラム酒を飲んでいる。
夜は食前酒としてビールも飲む。
(2) ヤギ乳
私は朝食のときにカフェラッテを飲むが、牛乳ではなく、ヤギ乳(こちらでは普通にスーパーに売っている)を温め、そこにエスプレッソを注いで作っている。
このヤギ乳がものすごく獣臭い味がして、怪しい。
どうしてそんな代物を毎朝飲んでいるかというと、パッケージが可愛いからである。

酒とヤギ乳、どちらがヘルペスの原因かわからないので(全然別のものが原因かもしれないし)、とりあえずどちらも飲み続けることにしよう。

ああ、それにしても胃がイタイ。
早くゾビラックスが効きますように!
問題は、今使っているゾビラックスの使用期限が2006年9月なことだな・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「EDISON」を個人的に追悼する

2012-12-04 00:09:32 | イタリア
閉店セール風景(全て30%引き、と看板に書いてある)




「EDISON(エディソン)」というのは、電球を発明したアメリカ人ではなくて、フィレンツェのレプッブリカ広場にあった人気書店の話である。
店内はさほど広くはなかったが、地下1階、1階、2階、そしてロフトのような最上階があるという縦長の構造で、全体的に「なんかセンスがよくて知的」な空気が濃厚にただよっていた。
アート関係の本が置かれた2階部分にはカフェもあって、飲み物(エスプレッソもビールもワインもお茶もよりどりみどり。パニーノやドルチェもある)を飲みながら売り物の本をゆっくり読めるようになっていた。
私はあまり参加したことがないが、朗読会や講演会などの催しも頻繁に行われていたようである。
要するに、現代のフィレンツェ文化の一角を担う重要な存在だったといえよう。

そのエディソン書店が去る11月末にお亡くなりになった。
インターネットの普及に伴い、高いお金を払ってわざわざ紙の本を買う人が減り続けているうえ、イタリアのこの不況である。
レプッブリカ広場周辺の建物の家賃は天文学的な金額だと聞くし、つぶれない方が不思議なくらいだ。
閉店後の店舗にはアップルのチェーン店が入る予定だが、フィレンツェ文化(ひいてはイタリア文化)の低迷を憂える人々が、この書店の救済のための署名運動を起こしており、地元の政治家も動き出したようなので、この先どうなるかはまだ不明である。

かつてよくこの書店にお世話になった人間のひとりとして、ここで私は個人的にエディソンを追悼してみたいと思う。

私にとってエディソン書店とは、「待ち合わせ場所」だった。
本を買ったことは数える程しかないが(だって本って高いんだもん)、友達との待ち合わせに利用した回数は数知れない。
そういう人は多いと思う。・・・エディソンがそのファンの多さにもかかわらず、つぶれてしまった理由はこの辺にあるのだろう。
お気の毒なことである。

エディソンが待ち合わせ場所として優れていた点は、
(1) 街の中心にある
(2) 有名なので誰でも知っている
(3) 店内の随所に座るスペースがある
(4) 本を読みながら待てるので退屈しない
(5) 2階のカフェで待ち合わせて、ゆっくり座って何か飲みながらお喋りすることもできる
などであろうか。
イタリアのバールは立ち飲みが基本で、椅子に座ると高い料金を払わなければいけないことが多いのだが、エディソンのカフェは座り料金を取らなかったので安くついた。
しかも何時間いても文句を言われないのだ。

しかし美しい花にはトゲがあると相場が決まっている。
エディソン書店は「ナンパじいさんの待機場所」でもあったのだ。しかも彼らは日本人女性専門である。
日本人女性がナンパに引っかかりやすいせいなのか、それとも優しくておしとやかだから人気があるのか(それはそのとおりだと我ながら思うけど、ふふふふふふふ)、あるいは、実は日本人専門だけではなく、中国人専門、ペルー人専門、ベネズエラ人専門などのナンパ男性も存在するのか、詳細は不明である。
とにかくエディソンのカフェで日本人の女友達とお茶をしていると、どこからともなくその手のヒトが現れて、そばに座って会話に乱入しようと試みるのだった。
これが若くて可愛い男の子なら嬉しいのだが、みんなどうみても年金受給資格を持っていそうで、しかも相当うらぶれた外見なのが残念だった。
まあ相手は老人だし、特に害があるわけでもないので、私は暇なときはある程度相手をしてあげて、電話番号を聞かれたら断るようにしていた。
しゃべるのが面倒なときは、つーんと無視したが。

エディソンが閉店してしまった今、彼らはどこに行ったのだろう。
少しだけ心配だ。

・・・あれ、私はエディソンを追悼していたはずなのに、なんでナンパじいさんの心配をしているのだろう?



最終日のイベントのひとつ、ジャズの生演奏をバックにした朗読会の風景




閉店セールで私が買った本2冊と、最終日のイベントのチラシ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする