外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(12)~ローマからアンマンに移動・後編~

2023-04-28 09:27:17 | ヨルダン(猫中心)

 

 

前回の更新からまたずいぶん間が空いてしまったが、皆様はいかがお過ごしだっただろうか。私は相変わらず、のたのたのたのた暮らしていたのだが、その間に日本には春が来て、夏が来て、さらに冬が戻ってきてしまった。もしかしたら、そろそろ秋が来るのかもしれない。

 

書くのをあまりに長くサボっていたので、書き方を忘れてしまったが、なんとか思い出せたらいいですね。(他人事か)

 

前回はローマのフィウミチーノ空港からライアンエアーのアンマン行きの便に搭乗したところで終わっていた。

 

出発予定時刻は16:35だったが、30分ほど遅れて離陸した。遅延の理由は不明。

 

機内はほぼ満員で、添乗員を含め、ほとんど誰もマスクをしていないかった。私の席は最後列の窓側だった。たどりついたら、そこにはどことなくレトロな化繊のワンピースを着た国籍不明の若い女の子が座っていたが、私と目が合ったら何も言わずにどいてくれ、隣の席に座った。

 

ライアンエアーは、機内放送も添乗員の説明もイタリア語と英語で、アラブ色は全くなかったが、ヨルダン人(パレスチナ人も)らしき人達もけっこう乗っていた。

 

約4時間のフライトの間、大方寝ていたが、目を覚ました時に周りを見渡すと、機内食のセットやスナック、ドリンクなどを買って飲食している人が結構いた。LCCの機内で販売されている飲食物はけっこう割高だと思うのだが、頼む人が多くて、なんだか不思議だ。私の隣りの女の子もチョコボールを買って美味しそうに食べ、私にも勧めてくれたが断った。コロナはどこへ行った?

 

 

ネットで拾った数年前のメニュー表(内容や価格は変わってると思う)

 

 

 

22時頃にようやくアンマンに到着した。着陸時に、例によってイタリア人界隈から拍手が起こった。それは私の中で、イタリアの余韻のように響いた。ここはもうヨルダンなのだ。

 

 

 

 

入国審査は一瞬で終わった。入国に必要なはずのQRコードや旅行保険の証書、ワクチン接種証明の提示は一切求められず、ほぼ素通り状態だった。私はローマの空港でライアンエアーの窓口のおじ様に、保険証書がなくてもヨルダンは絶対に私を入国させてくれると言い張ったわけだが、やはり私は正しかった。ヨルダンがそんな細かいものチェックするはずないもんね。ふっ…

 

入国審査を済ませた後、まずトイレに行った。

 

 

 

ペーパーを流せず、手動ウォッシュレット的なシャワーが付いたトイレを見ると、いつも「ああ、帰ってきた…」と思う。

 

ATMを探して、クレジットカードで100JD引き出してから、預け入れたスーツケースを受け取って出口に向かった。

 

アラブ諸国の空港の出口では、抱き合って涙を流し、再会を喜び合う家族らの姿がみられる。

 

 

アンマンの空港の出口付近にはスタバがある。入ったことないけど。

 

 

エアポートバスで市内中心部(旧市街)に出るつもりだったので、まずチケット売り場でバスのチケットを買った。1枚3.3JD(現在のレートで約620円)

 

 

バスの発着場所がわからなかったので、その辺をうろうろしている空港職員やタクシーの運ちゃんたちに聞いたら、連れて行ってくれた。

 

私の記憶では、エアポートバスは黄色い大型バスのはずだったが、今回乗ったのは街中をよく走っている乗り合いのミニバスと同じタイプだった。

 

 

運転席の後ろに、荷物を置くスペースがあった。

 

 

終点は北ターミナル(空港から約1時間)だが、いつも途中の第7サークルで降りて、そこから乗り合いのミニバスに乗って旧市街(=ダウンタウン)に出ていたと記憶していたので、今回もそうしようと思ったが、第7サークルで降りようとしたら、運転手さんに「旧市街に行くならそのまま乗ってなさい」と言われ、座り直す。

 

どこで降りればいいんだっけ…と考えながら、暗い窓の外を眺めていたら、後方の席から英語の会話が聞こえた。話を聞いてみたら、乗客の一人のトルコから里帰りしたヨルダン人(パレスチナ人かも)のおっちゃんが、ダウンタウンに向かっている欧米人のバックパッカーたちに、ドウワール・ダーヒリーエ(内務省建物があるロータリー)で降りてセルビス(安価な乗り合いタクシー)に乗るよう説明していた。そうだ、エアポートバスはダーヒリーエにも停まるんだった。あそこの方が第7サークルよりも旧市街に近いし、あまり歩かずに乗り合いタクシーに乗れるから便利なのを忘れていた…

 

バスがダーヒリーエに停まった時、その乗客のおっちゃんはバックパッカー4人を連れて下車し、寄ってきたタクシーの運転手たちからバックパッカーズを守ってセルビスに乗せてあげていた。おっちゃん、天使か…?ここで深夜に外国人がタクシーに乗ったら、ぼったくられるに決まっているが、セルビスなら1JD(約190円)で旧市街に行けるのだ。タクシーの運ちゃんたちは怒っていたが、おっちゃんが相手にしないので、やがてあきらめて去って行った。バックパッカーズは瞳を輝かせておっちゃんを見つめ、「ありがとう!!」「あなたは僕たちのヒーローだ!!!」などと感謝の言葉を述べつつ去って行った(アメリカ人かな)。なんなの、このヒューマンドラマな展開は…

 

私は彼らとは別にセルビスを探して乗ろうと思ったが、おっちゃんはなぜか「あなたも来なさい」と私まで誘導して、自分と一緒のセルビスに乗せ、どこで降りたいのか聞いて運転手に伝え、自分は途中で先に降りて行った。私は旧市街中心部のアラブ銀行の前で降ろしてもらった。

 

旧市街に着いた時にはもう夜中の零時を過ぎていたのに、木曜日だったせいか(ヨルダンは金土が休日)人通りが多くて賑やかで、イルミネーションがキラキラしていた。

 

アラブ銀行の脇の辺りの、クナーファ(チーズ入り焼き菓子)を買い食いする人でいつもいっぱいの老舗菓子店「ハビーバ」の支店がある一角にも、まだ人々が座っていた。さすがに店は閉まっていたが。

 

 

今回は深夜到着の便だったので、宿を1泊分だけ予約していた。3週間にわたる旅の間中、ホテルを予約したのはこの時だけだった。予約というものが苦手だからだ。しかし、深夜に荷物をかかえて宿探しするのはイヤだったので、今回初めてブッキングコムを使って、「ノルマスホテル」という安ホテルを予約してみた。シャワー・トイレ付きのシングルが1泊17JD(約3200円)。すごく安いわけではないが、便利な場所にあるし、ヨルダンは物価が高いからしょうがない。(現在ブッキングコムではこのホテルの予約を受け付けていない模様)

 

建物を入って階段を少し上がったところにエレベーターがあるから、それに乗ってフロントのある階まで上る。

 

 

チェックインして宿泊料を払い、部屋の鍵を受け取る。

 

部屋は大通りに面しているので騒音がひどいし、全体的になんとなく気配が暗かったが(気のせい?)、まあまあ清潔だし、テレビや冷蔵庫、エアコンなどが付いていて、設備面では申し分なかった。

 

 

シャワーはトイレのすぐ脇にあり、浴びると床がびしょびしょになるタイプだった。

 

 

部屋に荷物を置いてすぐ出かける。まず、ホテルのそばの路地にある、かつてよく行っていた酒屋でビールを買った。アンマンは深夜でもお店が開いていて助かる。

 

アムステル(AMSTEL)ビールのマークが酒屋の目印。

 

この酒屋は営業中でもシャッターが半ば降りているので、初めて見た人は閉まっていると思うかもしれないが、よく見たらドア部分は開いているのだ。入り口付近が酒類の販売コーナーで、奥は飲み屋になっている。全体的に後ろめたさがほんわりと漂っているのが味わい深い。店主は堂々とした、押し出しの良い男性なのだが。ヨルダン産のビールが欲しいと言うと、アムステルの他に「ペトラ」という見慣れないビールも出してくれたので、それにする。ヨルダンといえばペトラ遺跡だからね。

 

酒屋のそばのファラーフェル屋さんでロールサンドを買う。こんな時間でも他の客がいた。

 

 

夕食とビールを手に入れたら、速やかにホテルに戻った。疲れていたし、長時間飲まず食わずで、とてもお腹が減っていたのだ。

 

アンマンの旧市街の夜景を眺めながら遅い夕食を取った。

 

 

久しぶりのヨルダンのファラーフェルサンドは、とても美味しかった。ファラーフェルはヨルダンが一番だと個人的に思う。値段も安い(0.4JD=80円弱)。ビールの方は330 mlで2.5JD(約470円)と高い。ヨルダンは酒税が高いのだ。イスラムの国だから、飲めるだけでもありがたいと思わねば…味は普通に美味しいラガーだった。

 

疲れていたので、シャワーは省略して(床がびしゃびしゃになるし)、3時頃に寝た。外は夜中の2時半頃まで騒がしく、ダブケを踊っている若者たちなどもいたが、やがて静かになった。



 

 

(続く)

 

コメント (6)
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