外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(19)~イスタンブール4日目後半~

2020-06-28 08:37:54 | トルコ

 

 

イスタンブール滞在4日目、ファーティフ地区を訪れた後、ホテルで休憩することにしてメトロに乗った。アクサライまで戻り、トラムに乗り換えようとした際に少し道に迷って、歩き回っているうちにアラブ料理店が集まっている一角を発見。イラク料理店、パレスチナ料理店、イエメン料理店などが軒を連ねている。

 

 

店名が「イラクレストラン」。直球勝負か。隣にも別のイラク料理店が並んでいた。

 

店のウインドウに見られるマークは、逆さまのシャワルマ(アラブのドネルケバブ)ではなく、イラクのサーマッラーにある「マルウィーヤ・ミナレット」だろう。登るの大変そう。

(ウィキペディアから拝借した写真)

 

 

こちらの「シャワルマの王様・クドゥス(=エルサレム)」という店はパレスチナ系かな?

 

 

以前の記事で紹介したシェフ・ブラクのレストランの別の支店もあった。アラブ人の客を意識して、店名がアラビア語でも表記されている。トルコ語の本来の店名「ハタイ・メデニイェットレル・ソフラス」(=ハタイ・文明の食卓)と違い、アラビア語では「マディーナ・レストラン」となっている。アラブ人にわかりやすくしたのだろう。

 

 

付近に安宿も何軒かあったので、次回の旅行ではアクサライを拠点に滞在し、イラク料理を楽しみたいものである。イラク料理はあまり食べたことがないので、気になるのだ。

 

 

犬たちはお昼寝タイム

 

あ、起きてた。

 

 

猫は瞑想タイム?

 

 

トラム駅になんとかたどり着き、スルタナメットに戻った。っていうか、普通あんなところで道に迷わないよな・・・

 

 

 

 

ホテルまであと少しという時に、土産物屋の前で立ち話をしていたおじ様3人組が、日本語で私に「こんにちは。日本人ですか?」と声をかけてきた。土産物のセールスか?と思いつつ、そうだと答えると、そのうちの1人が「やっぱり日本人でしたか。日本人に見えるけど、そうじゃない感じもするので、確かめるために声をかけたんですよ」と笑いながら言った。そんな理由で声を掛けられたのか・・・

 

彼は土産物屋の店主で、一緒にいたのはお兄さんと友人。店主とお兄さんはクルド人で、友人はラズ人(少数民族の一つ)だが、ラズ語は話せないとのことだった。

 

店主は仕事で日本にいたことがあるという話で、日本語を流暢に話した。クルド人が多数居住していることで有名な「ワラビスタン」(埼玉県の蕨市に由来する名称だが、実際には川口市の方がクルド人は多い)に住む友人がいて、行ったこともあるという。奇遇だ。

 

しかし、私が「その辺りにはクルド人の知り合いがいる」と言うと、彼は顔をしかめて、「向こうのクルド人たちは、『クルド人はトルコ人に嫌がらせをされている』と言っているだろうが、それは嘘だ」と強い口調で言った。また、「トルコにはクルディスタンなどというものは存在しない」と、トルコ政府の公式発表と全く同じことも言っていた。建前を言っているわけではなく、彼が心から信じていることをそのまま口にしているのだということは、表情を見ればよくわかった。「トルコにはクルド人差別はない」と言い切るクルド人に会ったのは、これが初めてではない。

 

埼玉県南部の蕨市や川口市等に住む在日クルド人の大半は、トルコ東南部ガジアンテプの農村部やその周辺地域の出身だ。彼らは、子供の頃からいかにトルコ人から差別を受け、トルコ政府からいかに迫害されていたかを克明かつ具体的に説明する。私が「トルコのクルディスタンの首都」的な存在のディヤルバクル、そしてやはりクルド色の濃厚なワンに旅した時も、現地の住民は自分たちの受けている差別について、旅人の私に懸命に訴えかけてきたものだ。そもそも、街の外観からして西部と全然違い、インフラ投資がおろそかにされているのが一目瞭然だった。トルコから日本にやって来たクルド人の意見と、イスタンブールの観光地で自分の店を経営しているクルド人の意見が違うのは自然なことだ。彼らを十把一絡げに論じることは出来ない。

 

 

ホテルに戻って少し昼寝し、夕方また出かけた。まずシルケジの老舗のお菓子屋さん「ハジュベキル」で土産のロクムを購入。ロクムはトルコ名物の一つで、もちもちとした口当たりのお菓子だ。(アラブにもある)

 

 

私はピスタチオ入りのロクムが一番好きだが、色々種類があって、どれも美味しい。コーヒーに合う。

(2枚ともネットから拝借した写真)

 

 

1777年創業のハジュベキルのシルケジ店。2つの店舗が隣り合っていた。

 

 

ロクム以外にも様々なお菓子が売られていた。私はさほどお菓子に興味がないので土産用のロクムしか買わなかったが、お菓子が好きな人はどれを買おうか迷うだろう。

 

 

お店の人も感じが良かった。

 

 

こちらはハジュベキルの近くにあるスイーツのカフェ。賑わっていた。

 

 

 

通りすがりに見かけた迫力のある建物。いつか倒壊するのでは。

 

 

ついでにエジプシャンバザールに寄って、EU版ちゅ~るを買い足す。

 

 

「メフメット・エフェンディ」という有名なコーヒー屋さんにも寄って、トルココーヒーを少々購入。こちらは1871年創業で、地元の客でいつも混雑している。

 

 

そうこうしているうちに日が暮れてきたので、アジア側のカドゥキョイ行きのフェリーに乗った。フェリーに座って夕闇に沈むイスタンブールの街をぼうっと眺めていると、心が鎮まる。

 

 

黄昏時のガラタ橋。ネオンが明るく輝き始める。

 

 

 

カドゥキョイでは、酒屋を見つけてツボルグを買い、その近くの安食堂で夕食用の鯖サンドとラフマジュンをテイクアウトした。

 

ケバブもあった。焼きたてのパンが山積み。うっとり・・・

 

 

鰯フライも魅力的だった。次回は店内でこれを食べてみたい。おそらくアルコールはないが。

 

 

入り口のところでは、シリアやヨルダンでもおなじみの丸い揚げ菓子も売られていた。トルコでは「ロクマ」、ヨルダンでは「アウワーメ」と呼ばれていた。

 

 

帰りのフェリーではチャイを飲んだ。イスタンブールのフェリー、最高だ。

 

 

ホテルに戻ってラフマジュンとビールで夕食。鯖サンドの鯖は、途中で半分以上猫にあげてしまったので、ほぼパンだけ。

 

 

ラフマジュンにはサラダが付きもの

 

開いたらこんなかんじ。(ボケた)

 

 

 

(参考)

ウィキペディア「マルウィヤ・ミナレット」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

 

絶対に喜ばれるトルコ土産!ロクムの老舗ハジュ・ベキル

https://tripnote.jp/istanbul/sweets-for-souvenir-haci-bekir

 

イスタンブールの老舗トルココーヒー専門店"メフメット・エフェンディ"

https://tokuhain.arukikata.co.jp/istanbul/2017/01/post_543.html

 

トルコの揚げドーナツ~ロクマ

http://www.gurumetoruko.com/2019/05/07/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%8F%9A%E3%81%92%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%84%EF%BD%9E%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%83%9E/

 

ウィキペディア「ラフマジュン」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3

 

トルコに行くなら一度は味わいたい!おすすめの食べ物や飲み物を紹介

https://turkish.jp/turkey/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E6%96%99%E7%90%86/

 

 

(続く)

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規制緩和中のイタリア~フィレンツェ特派員からの写真(2)~

2020-06-22 20:01:05 | イタリア

 

 

今回はフィレンツェの友人(=特派員)から最近届いた写真をご紹介する。(前回の記事はこちら) 

 

5月4日にロックダウンの規制緩和を段階的に開始したイタリア。6月3日にはEU諸国やその他のシェンゲン協定加盟国、英国等からの入国制限が撤廃されて14日間の自己隔離の義務がなくなり、国内での州間移動の制限も解除された。(参考

 

まだ感染状況が完全に収まってはいないのに、大丈夫なのかと心配になるが、夏のバカンスシーズンを前に観光客を少しでも呼び戻そうと必死なのだろう。観光産業の立て直しはイタリア経済にとって死活問題だもんね。

 

最近はフィレンツェのチェントロ(歴史的な中心地区)で、夜に地元の若者たちがあちこちのパブのオープンテラスに集まって、和やかにおしゃべりに興じている様子が見られるとのことだ。観光客がいないから街は歩きやすいし、お店も混まず、地元住民にとっては前より暮らしやすい面もあるのだろう。観光客不在のため閉まっているお店も多く、先行きが不安な面の方が大きいだろうが。

 

 

レプッブリカ(共和国)広場。それなりに賑わっている様子。

 

 

チェントロの劇場「テアトロ・ヴェルディ」は、19~20日に久々にコンサートを開いたらしい。

 

 

このコンサートでトスカーナ管弦楽団を指揮したのは、俳優みたいな外見の若手のダニエーレ・ルスティオーニ氏。ベートーベンの交響曲第3番(op.55)をやるって書いてあるけど、これって「英雄」ってやつかな?クラシック音楽には暗くて、よくわからないが・・・通し券を持っている人と、キャンセルになったコンサートのチケット代金の返金を受けずに寄付した人を招待して開かれたという。

 

 

 

 

 

ポスターには、「#stiamotornando(私たちは戻りつつあります)」というハッシュタグを添えて、「こんなに何か月も練習した後だから、どんなすごいコンサートになることか!」等と書かれている。期待させるね~

 

 

ダニー君(勝手にあだ名付けた)、来日してたんですね。オペラ界のプリンスと呼ばれてるんだ~

 

 

友人が見つけてくれた彼のインタビュー記事(日本語)

https://www.tmso.or.jp/j/archives/special_contents/2018/20180604/?fbclid=IwAR2yhPfUA7UzmxiSWWuv7-DkzoTv74nblH55aGCc8dURVpsuRgTZ6TSSYl8

 

 

(おまけ)

トスカーナの夏の郷土料理「パンツァネッラ」(panzanella)のレシピ動画

 

 

固くなったトスカーナパンを水に浸してから絞って、適当な大きさに切ったキュウリ・紫玉ねぎ・トマト・バジリコと混ぜて、白ワインビネガー(赤でもいいと思う)、塩胡椒、オリーブオイルで味付けしたサラダ。トスカーナパンがなければ(日本で見たことない)カンパーニュやバゲット等でもいいと思が、食パンはお勧めできない。「濡れたパンなんか食えるか!」って方は、パンではなくて茹でた米を入れるといいかも。「インサラータ・ディ・リーゾ」(insalata di riso=ライスサラダ)という別の料理になってしまうが。パンツァネッラは材料が決まっているが、インサラータ・ディ・リーゾの方は、具は何でもいいようなので、冷蔵庫の余り物をフリーダムに投入しても、イタリア人に激怒されることはないだろう。

 

(終わり)

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(18)~イスタンブール4日目前半・ファーティフ地区「リトルダマスカス」編~

2020-06-21 16:18:00 | トルコ

 

 

イスタンブール滞在4日目は、シリア人が多く住んでいて「リトルダマスカス」(参考)と呼ばれているという噂のファーティフ地区に出かけた。

 

 

まず、いつものようにテラスで朝食。この日は鳥たちにパン屑を投げながら食べた。すずめ、キジバト、カラス、カモメ等、お馴染みの鳥たちが集まってくれた。

 

 

ああ、楽しかった~餌付けしながら食事をするのはけっこう忙しかったが。

 

 

ファーティフ地区には、トラムとメトロを乗り継いで行った。スルタナメットからトラムに乗り、アクサライで降りて少し歩いてメトロに乗り換えるのだ。メトロの「Emniyet-Fatih」(エムニイェット・ファーティフ)駅で降りて、ほんの少し歩けば「リトルダマスカス」と呼ばれている界隈に着く。

 

 

スルタナメット駅付近のケバブ屋さん。毎日猫にケバブをおすそ分けしているそうだ。

 

 

メトロ

 

 

この駅で降りた。

 

 

駅からアクシェムセッティン(Akşemsettin)通りを少し行って、イエメン料理屋の角で右に曲がってバリパシャ(Balipaşa )通りに入ったら、アラビア語の看板を出したシリアの食材を売る店やシリア菓子店が集まる一帯に着く。

 

 

イエメンレストラン「ハドラマウト」。イエメンレストランの名前は、「バーブルヤマン」か「ハドラマウト」であることが多い。

 

 

シリアの食料品があるとのサインを出しているお店

 

 

ファラーフェル屋「あなた好みのファラーフェル」(ファラーフェル・アラー・キーフ・キーファック)←シリア風の発音

 

 

ファラーフェル屋のすぐそばの少し大きめの食料品店に入ってみたら、懐かしいシリアの食材が並んでいた。うっとり・・・

 

シリアでよく見た塩辛いチーズが色々ある。塩抜きをしてから食べる。

 

 

ムハンマラ(焼いた赤パプリカのペースト)やオリーブ

 

 

あれもこれも買いたくなったが、ホテル暮らしで冷蔵庫もないので我慢して、土産用のザアタルミックス(参考)の小袋のみ購入。

 

 

緑色のと黄土色のがあった。黄土色の方はアレッポ風で、クミン粉末が入っているらしい。

 

 

シリア人の常連客とアラビア語のダマスカス方言で挨拶を交わしていた年配の男性店員に、シリア人のお店が集まっている場所はどこにあるか質問したら、「ここですよ」という答えが返ってきた。やはり、この辺りが「リトルダマスカス」なのだ。語尾を伸ばして歌うように抑揚をつけて発音するダマスカス方言は、イタリア語のヴェネツィア方言のような優美さが感じられ、耳に心地よく響く。

 

 

ついでにシリア菓子とファラーフェルのおススメの店も聞いたら、「シリア菓子店はこの店の周辺に3か所あります。その中で一番美味しいのは『ヌレッティン』ですが、値段がかなり高い。他の2軒も十分美味しいので、そのどちらかで買えばいいでしょう」とアドバイスしてくれた。私にお金がないって、どうしてわかったのかな。(見りゃわかるわ) ファラーフェルは先ほど見かけた「あなた好みのファラーフェル」が美味しいということなので、後で買いに行くことにした。

 

 

トルコ在住のシリア人とゆっくり話す機会はなかなかないので、ここぞとばかりに他にも色々質問したのだが、彼は終始笑顔で快く答えてくれた。いい人だ。大まかな内容は以下の通り。細かいことはもう忘れてしまったが。

 

(この辺は「リトルダマスカス」って呼ばれているそうですね)

この辺りの店は、どれもダマスカス出身のシリア人の店ですよ。ちなみに、南部のガジアンテプには、国境を挟んだ向かい側のアレッポから避難した人が多いです。ガジアンテプとアレッポには、昔から国境を越えた経済的・社会的な繋がりがありますから。アレッポ側にはトルコ語を話すトルクメン人が住んでいるし、ガジアンテプ側にはトルコ語と並んでアラビア語を母語とするアラブ系トルコ人がいます。

 

(あなたはこのお店の主人ですか?)

いやいや、この店の主人はサウジ在住のシリア人で、私は単なる従業員ですよ。トルコで自分の店を開くには多額の資金が必要ですから、私には無理です。シリアでは開店資金はほとんどかかりませんでしたが。トルコでは税金や家賃などの費用も高くつきます。私はダマスカスでは洋服工場を営んでいましたが、ここでは資金がないので無理です。

 

(トルコでの生活はどうですか?)

トルコは生活費が高いので、暮らしは厳しいですね。トルコ語も話せませんし。でも、シリア人を大勢受け入れてくれたのはトルコです。

 

(最近、トルコでは滞在許可等に関して、シリア人に対する扱いが厳しくなっていると聞きましたが)

以前はシリア人に対する労働・居住地等に関連した取り締まりはゆるかったのに、最近厳しくなったことは確かです。イスタンブールの滞在許可を持っている人以外は、当局に強制退去させられるようになってきています。私はガジアンテプで滞在許可を申請しましたが、仕事を探してイスタンブールに移住しました。ここ以外の地域では、なかなか仕事が見つからないのです。強制退去になってはいませんが、私にイスタンブールの滞在許可がないせいで、子供たちは3人とも学校に通うことができないでいます。公立ではなくて私立の学校であれば通うことは可能ですが、費用が高額で手が届きません。

 

(国連や支援団体から、何か支援は受けていますか)

国連からの支援は一切ありません。赤新月社からは月120リラ(現在のレートで1900円弱)を支給されていますが、全然足りません。

 

(シリアに帰ろうと考えていますか)

シリアに帰るための状況が整って、早く帰れることを願っています。シリアでは戦争のために大勢が亡くなり、多くの人が国外に避難せざるを得なくなりました。今は一部の地域を除いて戦争は、ほぼ終わっています。しかし経済状況が厳しくて物価も高く、生活していける基盤がありません。イラクやレバノンとの国境も未だ閉ざされており、ビジネスを開始するのは困難です。

 

(イスタンブールのイマモール新市長についてどう思いますか)

イスタンブールの市長は国家の法律・決定事項の制約を受けるので、人が変わってもあまり変化はないと思います。

 

(トルコ以外の国、例えばサウジなどに移住したいと考えたことはありますか)

サウジは、シリア人に対する締め付けを強めています。トルコはシリア人を300万人も受け入れてくれましたが、同じアラブの国であるサウジは違います。サウジに限ったことではありませんが。

 

 

せっかくの機会なので、アサド政権やロシア、イランについてどう思うか、反体制派とクルド人勢力の関係をどう見ているか等、もう少し突っ込んだことを聞こうかとも思ったが、その場の和やかな雰囲気が壊れそうな気もしたし、ジャーナリストでもないのに初対面でそういう政治的な話をするのも気が引けて、言い出せないままに終わった。どうも私は気が弱いというか、詰めが甘いんだよな・・・

 

 

店を出てから周辺を少し歩いてみた。シリア人のお店が集中しているところはごく限られた区域で、その周りは普通のトルコの街という感じだった。(ファーティフモスクの辺りまで行けば、もっと色々お店があったのかもしれないと後で思った)ファーティフ地区には宗教熱心なムスリムが多いので、イスタンブールの他地域に比べて、ヒジャーブで髪を覆った女性の姿が目立った。

 

 

「私ほど君を愛せる人間は誰もいない」と落書きされている。そんなこと壁に書かれても。

 

 

この辺りも猫が多かった。

 

 

うちの近所の駐車場にいる子にそっくりの猜疑心の強そうな顔。ドッペルゲンガーか。

 

 

 

その辺をくるりと一回りしてからさっきの店の辺りに戻り、シリア菓子店の1つで土産用のバクラワ詰め合わせを買った。

 

 

高級だという「ヌレッティン」は素通り

 

 

ヌレッティンほどではないが、十分美味しいという「スルタン」に入る。だって予算があまりないんですもの。スルタン菓子店のフェイスブックはこちら

 

 

アラブ菓子界の横綱(?)「クナーファ」様。若い男性の2人連れがイートインコーナーでこれを嬉しそうに食べていた。

クナーファの本場と言われるパレスチナ西岸地区ナブルスのクナーファ情報はこちら

 

 

シリア人の菓子職人がマスクや手袋を着用して作業していた。コロニャの時代を先取りか。

 

 

数種類のバクラワを合計1㎏分買って、250gずつ箱に詰めてもらった。137リラ(現在のレートで約2140円)。賞味期限は1週間から10日くらいで、保存状態によるとのことだった。お土産として渡したイタリア在住の友人たち(日本人と中国人)には非常に好評だった。

 

詰めてもらうのを待っている間、職人の1人のおっちゃんと少しお喋りした。初対面のアラブ人男性と話すといつも聞かれる類のことを案の定質問される。

お「どこでアラビア語を勉強したの?」

み「ダマスカスです」

お「結婚してるのか?」

み「してません」

お「なぜ結婚しないんだ?」

み「結婚は女性の自由の墓場だからです」

(別にそういう理由で結婚していないわけではないのだが、こう言うとウケることが多いので、大体いつもこう答えている。実際、話を横で聞いていた従業員の若者が大受けしていた)

お「日本にはムスリムはどのくらいいる?日本の人口は?出生率は?」

み「ムスリムは少ないです。人口は1億2千万くらいだったかな・・・出生率はものすごく低いですよ」

(これもよく質問されるが、覚えてないので、いつもてきと~に答える)

 

おっちゃんの家庭は奥さんと子供5人の7人家族らしい。彼も「トルコは物価が高くて大変だよ。状況はだんだん厳しくなっている」と嘆いていた。シリアに帰りたいかと聞くと、それまでとは違う真剣な面持ちになって、「シリアには今もまだ戦争があるから帰れないよ。過去には化学兵器攻撃などもあって、大勢が亡くなった。でも、帰れる状況になれば、もちろん帰りたいよ」と話していた。

 

お菓子の次はファラーフェルサンドを買って、公園で食べることにした。

 

 

さっき勧められた店へ行くと、この状態だった。行列のできる人気店のようだ。

 

 

レジで先に払って番号札兼レシートを受け取り、順番を待つ。飲み物は外の冷蔵庫から自分で取って一緒に払うシステムだ。

ホンムス25gとアイランも買った。サンドイッチと合わせて12リラ(200円弱)。

 

 

ファラーフェルサンドはトマト・レタス・玉ねぎとピクルス入りで、シリア風の巨大なサイズ。ホンムスはタヒーナたっぷりの濃厚な味だった。どちらも懐かしいシリアの味だ。トルコにも「フムス」はあるが、味が少し違う。

 

 

公園のベンチを占拠するお猫様。足がはみ出てますぜ。

 

 

「昼寝のジャマすんなよ」 はい、すんません。

 

 

食後は、いつものようにホテルに戻って昼寝した。

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(17)~イスタンブール3日目後半・ベイオウル散策と昔のアパート再訪編~

2020-06-15 17:43:28 | トルコ

 

 

サウジ総領事館を眺めた後は、またメトロに乗ってタクシムに戻り、イスティクラール通りやその脇道(ベイオウル地区)をうろうろして過ごした。夜はかつて3か月住んだアクサライのアパートを見に行った。

 

 

駅の電光掲示板。次のイェニカプ行きは2分後、その次のは7分後だ。

 

 

駅のトイレは有料。交通系カード「イスタンブル・カルトゥ」をピッとやって入る。

 

 

間もなくタクシムに到着。時計を見たら午後3時だった。ホテルを出てから、もう4時間も経っている。そんなに活動してないのに、時間が経つの速すぎないか。

 

 

タクシム広場。この路面電車はさほどスピードを出さないが、こういう乗り方をすると危険かも。

 

 

広場から伸びているメインストリート、イスティクラール通りはいつも賑やか

 

 

イスティクラール通りに入ってすぐの脇道に、かの有名な(アラブのSNSで)シェフ・ブラクのレストランがあった。入ってみたかったが、1人では大して食べられないのでやめておく。後に市内の別の地域でもこのレストランの支店を見かけた。何か所かあるのだ。

 

 

シェフ・ブラクさんはこの人。笑顔を絶やさず、手元を見ずに豪快な料理を作る動画をよく見かけたが、この料理は豪快とかいうレベルを超えている。

 

 

 

脇道には、店の前にテーブルを並べているレストランやカフェが多い。トルコ人は戸外で飲食するのが好きだな。

 

 

外の席で食べると、猫と触れ合うことが出来るという特典がある。

 

 

メイハネ(居酒屋)が集まっている「チチェッキ・パサジュ」(=花小路)1876年に建てられた歴史的な建物。

 

 

さすがにお腹が空いたので、「魚市場」(バルック・パザル)と呼ばれる魚介類の食堂やレストランが何軒か並んでいる一角で遅い昼食をとることにした。

 

 

「シェン・バルック」という魚食堂に入った。直訳すると「陽気な魚」。これから食べられることを知りながら、あえて陽気に振舞う魚・・・?

 

 

定番のムール貝のフライ(ミディエ・タワス)を頼んだ。ガーリックヨーグルトソース添え。アイランと合わせて22リラ(350円弱)。パンは自動的に出てくる。

 

 

フライもソースも味があまりなくてイマイチだったが、比較的安いからまあいいだろう。パンは美味しかった。2階の家族用の席に通されたのだが、他の客は皆シリア人だった。アラビア語を話せる店員がいるので、口コミで集まるのかもしれない。

 

 

店を出て、イスティクラール通りのどんつき(関西弁?)の方向を念頭に置きつつ、脇道をふらふら散策した。

 

 

果物やナッツを売るお店。トルコの果物やナッツ類は美味しい。

 

 

西洋建築に上階部分が張り出したオスマン建築の要素が取り入れられており、興味深い。

 

 

このオーガニック製品の店で石鹸をいくつか買った。ロバのミルク入りの石鹸など、珍しいものもあった。お肌にいいらしい。

 

 

トルコが誇るストリートフード「クムピル」の専門店。ベイクドポテトにチーズとバターを混ぜてマッシュしてから色んなトッピングをてんこ盛りにしてマヨネーズやケチャップなどをかけた食べ物。高カロリーのものを食べたい人はぜひどうぞ。値段もカロリーに合わせて(?)、それなりにする。私はまだ食べたことがない。

 

 

なんしか、こういう食べ物ですわ。ソーセージはハラールの牛肉製。

 

 

 

この界隈では、やたらに猫と遭遇した。スルタナメット広場と並ぶ猫スポットだと言えるだろう。沿岸地域ではあまり見かけなかったが、全体の数が減っているわけではないようなので安心。

 

 

ちょこん

 

 

入り口に野良猫用の水やフードを用意しているキャット・フレンドリーなトロヤ・ホテル

 

 

由緒ありげな書店に入る猫さん

 

2階に上って行った。看板猫かお客猫か・・・

 

 

こんな隙間にも。

 

「何か?」 

 

 

大通りにも。

 

「苦しゅうない。もっと撫でてもよいぞ」

 

 

トゥネル駅の前にある「赤猫書店」(クルムズ・ケディ・キタベヴィ)

 

 

「世界一短い地下鉄」と言われるトゥネル(テュネル、参考)とトラムを乗り継いでホテルに戻る。

 

 

ホテルに戻ると、受付の若い男の子が「コンニチハ」と片言の日本語で挨拶してくれた。日本に興味があって、行ってみたいし、できれば住んで働きたいとのことだった。日本人の友達もいるらしい。日本に移住したいと話すトルコ人男性は多い。トルコでは良い職にありつけないから、外国に移住して人生を変えたいということなのだろう。彼は非常に感じが良く、育ちの良さそうな外見なので、日本に来たらすぐ彼女が出来そうだ。

 

 

部屋に戻って少しワインを飲んでから昼寝し、夜7時半頃にまたトラムに乗って出かける。以前住んでいたアクサライのアパートを訪ねてみようと思いついたのだ。

 

 

夜のアヤソフィアもなかなか良い。

 

 

私は2011年の春、トラムのアクサライ駅からイェニカプ(クムカプかも)方面に向けてしばらく下ったところでアパート住まいをして、そこからタクシムのトルコ語学校「トメル」に通っていた。アパートの周辺は歓楽街だったらしく、飲み屋(パブ)や怪しげなホテルが何軒か集まっていて、夜明け頃に酔っぱらいのおじさんたちが喧嘩する声が聞こえてくることもあった。夜に近所を歩いている時、知らない男性(たぶんトルコ人)に「How much are you?」と話しかけられたこともある。びっくりして答えずに逃げてしまったが、あの時どう答えればよかったのだろう? 今でも時々考える。

 

 

かつてのアパートはホテルになっていた。安いかもしれないが、場所柄、泊まると何か勘違いされそうな気もする。

 

 

当時、東日本大震災やシリアの革命関連のニュースをチェックするため毎日通ったインターネットカフェは健在だった。

 

 

写真を撮っていたら、ネットカフェで働くお兄ちゃんに写真を撮ってくれとせがまれたので、隣のパン屋で働くお友達と一緒に記念撮影。

 

 

かつて1,2回入ったことがある付近の酒屋でビールを購入。猜疑心の強そうな気配の無口なおじいさんがレジに座っている小さな店だ。奥にテーブル席がいくつかあり、数人のおじいさんやおじさんが無表情にビールを飲んでいた。私もいつか、おばあさんになったら仲間に入りたい。

 

 

この店は少し値段が高かったので、別の酒屋でワインを購入。値切ったら負けてくれた。

 

 

夕食はテイクアイトでホテルで食べることにして、ウズベク料理屋さんでピラフを購入。サラダ付きで10リラ(160円弱)。

 

 

店頭の大鍋からいい匂いが漂っていた。

 

 

この辺りにはウズベキスタン・アフガニスタン・トルクメニスタンなど、中央アジアからの移民が集まって住んでいるらしく、そっち系の料理店が何軒かあった。

 

 

ホテルに帰ってビールを飲みながら夕食。

 

 

ピラフの具はひよこ豆・人参・羊肉のぶつ切り。ニンニクが効いていて、ほのかにクミンの風味もして美味しい。油っぽいのでサラダと一緒に食べるとサッパリする。

 

 

「土曜日」(ジュマルテシ)という名前の赤ワイン。味は軽め。土曜日ですから(?)

 

 

なんだか長い一日だった。今日は早く寝よう・・・

 

 

(続き)

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(16)~イスタンブール3日目前半・サウジ総領事館編~

2020-06-10 09:28:37 | トルコ

 

 

イスタンブール3日目、どこに行こうか少し考えた結果、サウジ総領事館を訪ねてみることにした。閉鎖されているから外から眺めるだけだが。

 

 

9時頃に起きて、まず屋上テラスで朝食。我ながら早起きだ。

 

 

ブルーモスクを眺めながらいただくトルコ式の優雅な朝食。片付け魔の若者と戦いつつゆっくり楽しむ。

 

 

食休みしてから11時頃に出かけようとしたら、ホテルの玄関で話しかけられた。

 

 

この方に。

 

 

近所のノラちゃんらしい。お腹は減っていないようなので、撫でるだけ。特に嬉しくなさそうだったが。

 

 

近くのホテルの入り口には野良犬がいた。

 

 

いったん捕獲してワクチンなどを施して耳にチップを付けてからリリースされているので、でかいけど安心。

 

 

スルタナメット広場に出る。

 

 

すずめさんたちもいる。やっぱり色が薄い気がする。

 

 

ここからトラムとメトロなどを乗り継いで、「4. Levent(ドルドゥンジュ・レヴェント)」駅に向かう。さほど遠くないが、2回乗り換えないといけない。

 

 

新市街のカバタシュ・タクシム間は地下を走るケーブルカーに乗る。

 

 

タクシムでメトロに乗り換え。

 

 

トラムやメトロの駅で見かける飲料水の自販機。小さいペットボトル入りで16円強、店で買うより安い。

 

 

メトロの車両。このイェニカプ・ハジュオスマン線(M2)は比較的新しく、乗るのは初めてだった。

 

 

4.Leventに着いたら、地図を眺めつつサウジ総領事館を探す。地図が読めない極端な方向音痴の私だが、サウジの緑の旗が遠くから見えたので探しやすかった。

 

 

この地域には外国大使館・領事館が集まっていて、私に中では高級住宅街というイメージだった。行ってみたら、実際にハイソ(今はセレブって言うんですかね)な雰囲気の家族連れを見かけたが、猫とスーパーも多かった。

 

 

レヴェント猫たち

 

 

 

パーティーにお出かけですか?(レレレのレ)なご家族。

 

 

少し迷ったが、無事にサウジ総領事館に着いた。

 

 

周辺が「POLIS」と書かれた柵でがっちり閉鎖され、近づけない状態だった。辺りには誰もいない。

 

 

イスタンブールのサウジ総領事館と言えば、2018年の10月初めにサウジ人ジャーナリストのジャマール・カショギ氏が殺害された場所である。日本のニュースでも一時期ずっと取り上げられていたので、皆さんご存知だと思うが、もうあんまり記憶にないという方は、下のリンクを参考にして下さいな。

 

サウジ記者殺害、皇太子関与で「信頼できる証拠」 国連報告者

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46318290Z10C19A6FF2000/

 

 

ちなみに、彼の最後の言葉は「息ができない」だったと言われている。(参考)今世界中で話題になっているアメリカで白人警官に殺された黒人のジョージ・フロイドさんの事件を知った時、「『息ができない』と言いながら殺された人の話、聞いたことあるな。誰だっけ・・・」と気になったのだが、よく考えてみるとカショギさんだった。事件の性質は全く異なるわけだが。

 

フロイドさんを死に至らしめた警官は裁判にかけられるが、カショギさんの場合は、殺害を指示した人物が裁かれることは決してないだろう。無念な事である。無念と言えば、2016年1月にエジプトで治安当局に拘束されて拷問死したと見られているイタリア人学生ジュリオ・レジェーニさんもそうだ。(参考)そういう事件って、後を絶たないな・・・

 

そういうわけで、今回はカショギさんのお墓参りの代わりにサウジ総領事館にやって来たのだ。遺体が発見されずじまいで、お墓がないのでね。

 

花を持ってくるのを忘れたので、キャットフードを少々お供えする。

 

 

カショギ氏が生前インタビューを受けている最中に猫に膝に乗られた時の写真

 

 

ついでに、猫を抱くジュリオ・レジェーニさんの写真

 

 

 

総領事館の周りを柵に沿って歩いてみた。

 

 

反対側に回ってみても、やはり柵だらけ。

 

 

写真を撮っていたら、領事館の勝手口らしきところで立ち話をしていた男性2人がこちらに気が付き、「写真はダメだ!」と叫んだので、カメラをカバンに収めて向かいにあったスーパー「ミグロス」に入る。追いかけてはこなかった。

 

 

なんだか不思議な気分だった。ここから新しい事件が始まり、自分がそこに重要人物として登場する気がした。謎めいた東洋の女性として。あるいは、自分の人生の転換点がそこにあるような気がした。カショギ氏の事件は、私の人生に意外に深く関わっているような気がしたのだ。まあ気のせいか。

 

 

スーパーを出て周辺を少し歩き、商店などで道を尋ねつつサウジ領事公邸に向かった。テレビで見た通り、総領事館からは目と鼻の先だった。

 

 

サウジの国旗が目印

 

 

綺麗な建物だが、この敷地内でカショギさんの遺体が焼かれたとか、溶かされたとか言われている。真相は不明。

 

 

すぐ近くにアラブ首長国連邦(UAE)の総領事館もあった。UAEはトルコ(とカタール)の天敵である。

 

 

UAEの皇太子は、サウジ皇太子の相談相手だと言われており、カショギさんの殺害にも深く関与していたと思われる。証拠はないが、そうとしか思えない。

 

 

左がサウジ皇太子、右がUAE皇太子

 

 

 

用事が終わったので、またメトロに乗ってタクシムに戻ることにした。

 

 

途中で見かけた眠り猫さん。少しだけ日が当たっていた。

 

 

(続く)

コメント (2)
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