外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2017年10月のトルコ旅行のこと~ガジアンテプ観光

2018-02-24 01:12:23 | トルコ

 

今回はシャンルウルファの次の目的地、ガジアンテプ(以下、アンテプと呼ぶ。ウルファと同様、これが旧称・通称)の写真をご紹介する。

アンテプにはウルファから2、3時間かけてバスで移動し、バスターミナルで乗り換えて市内中心部に出てから、ホテルを探した。タバコ屋さんにいいホテルを知らないかと聞いたら、すぐそばにある三ツ星ホテル「カレリ・ホテル」を勧められたので、そこにする。(ホームページはこれ。開くと怪しい音楽が流れるので要注意)朝食付きのツインで1泊120TL(約3400円)。トルコのホテルは普通朝食付きだ。フロントにもなにかとお世話になったし、場所も便利で良かったが、ここの物価が比較的安いことを考えると、私的にはやや高級だ。もっと安くて良さそうなホテルを発見したので、次回行く時は(行くことがあればだが)そちらに泊まりたい。

この街では、中心部にあるいくつかの市場(=商店街)を歩いて見て回った。中でも、「銅職人たちの市場」(バクルジュラル・チャルシュス、おそらく19世紀建設)や「屋根付き市場」(ジンジルリ・ベデステン、18世紀建設)は有名らしい。ガジアンテプ城は休館日だった。あまりたくさん歩きたくなかったから、それほど残念でもなかったが・・・

 

まずこの市場から観光開始。

 

道端でリング状のチュロス風の菓子(ミュシェッベク)を揚げているおじさまがいた。アンテプ名物のピスタチオ(粉末)入りのもある。ご婦人たちがひっきりなしにやってきては買っていく。

 

ドヤ顔のミュシェッベク職人とそのお友達。後光が差しているのは気のせいか?貧しそうなおばあさんには無料で差し出していた。人情がある街だ・・・

 

近くにある別の市場

 

中身をくりぬいた乾燥野菜。首にかけてフラダンスするためのものではない。

 

郷土菓子屋さん。ピスタチオをふんだんに使ったことがありありとわかる緑色のお菓子が目に付く。

 

「朝食用ザアテル」 アラブ諸国でお馴染みのドライタイムをベースにしたスパイスミックス「ザアタル」はトルコ南部でも食卓に登るらしい。色とりどりのピラミッド・・・こういうのを見ると、手を突っ込んで崩したい!という衝動に駆られるのは、私だけだろうか。

 

「銅職人たちの市場」。アンテプは職人の手作業による銅製品で有名のようだ。

 

お店の人たちがこうやって店先でじっと座っていると、道が聞きやすくて便利。日本では道端で暇そうにしている人は滅多にいないので、道が聞きにくくて不便である。

 

銅製品以外にも、魅惑的な製品が色々ある。

 

アラブ諸国でよく食べられるデーツやピスタチオ入りのサクサククッキー「マアムール」の模様付け用の道具を発見。トルコ南部のメルシンやアンタクヤ等でも「マームル(マーミュルに近い発音)」という名前で作られているらしい。シリアが近いせいか。

 

入り込みたくなる路地

 

伝統的な衣装を着て「メネンギチュ・カフヴェシ」(メネンギチュ・コーヒー)を売る人。「メネンギチュ」(日本語ではテレビンノキ)とはピスタチオと同属の植物で、その実をコーヒー豆代わりに煎って粉末にし、トルココーヒー式に淹れたものらしい。

 

「屋根付き市場」。流暢なトルコ語を話すアレッポ出身の男性がお店を出していた。

 

こういうところを歩いていると、「物欲があまりない人間でよかった」と思う。

 

日本でもお馴染みのモザイクランプ

 

ドライタイム(ハーブティー用)とハイビスカスティー

 

昼食をとった串焼き屋さん。カメラを意識しまくり

 

シシュタウック(スパイシーなチキンの串焼き)、炭焼きなので香ばしい。

 

古そうなモスクのミナレット。木製の枠が目を引く。

 

日曜日の街の広場は賑やか。座っているのはたいがい男性なあたりがアラブと同じ

 

ガジアンテプ城(外から眺めただけ)

 

城付近の道端で売られていたオリーブ。シーズンだった。

 

戸外で手仕事に励む銅職人たち。家族経営らしい。

 

建物の中では女性たちも働いていて、快く写真を撮らせてくれた。家族経営の工房で働くイタリア人女性を思い起こさせる

 

歩き疲れたので、おじさんカフェで休憩。外国人の女性客は迷惑がられるかと思ったが、全然そんなことはなく、少し離れた場所にテーブルを用意してくれた。こういう楽しそうなおじさんの集団って、見ていて飽きない。

 

疲れた時は甘くしたトルコチャイが一番。

 

ガジアンテプ観光を終えた後はペガサス航空でイスタンブルに戻り、3泊してから帰国した。

アンテプで買い忘れてはならないもの、それは名物のピスタチオ入りのバクラワ。地元の人お勧めのギュッルオウルという有名店(高い)で買ったが、イスタンブルで支店を発見して、ちょっとがっかり。で、でも本場のほうが美味しいに違いない・・・土産に買っただけで、自分では食べてないが。

 

アンテプでは、猫をほとんど見かけなかった。猫だらけのイスタンブル、それに近かったカッパドキアに比べて、ウルファには猫が少ないように感じられたが、アンテプに至っては、めったに見かけることがなかった。これは一体どうしたことだろうか・・・考えるのがコワイ。

 

では、これにてトルコ旅行記は終わり。帰ってきてから4ヶ月にして、ようやく・・・気が向いたら、イスタンブルについて追加で書くかもしれないが、いつになるかわからないので、とりあえず終わったことにしておこう。読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。ぺこり。

 

(終わり)

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年10月のトルコ旅行のこと~シャンルウルファ

2018-02-23 02:26:59 | トルコ

 

今回は去年のトルコ旅行でカッパドキアの次に滞在した南東部シャンルウルファ(以下、ウルファと呼ぶ)の写真を載せる。ここを拠点にしてハランに日帰りで行ったのだ。

ウルファにはバスで夜到着し、ロンリープラネットに載っていた市内中心部の「ホテル・バカイ」(Hotel Bakay)に向かったのだが、満室だったので(私にはホテルを予約する習慣がない)、その近くで見つけた「ホテル・ギュヴェン」というビジネスホテル風の宿に泊まった。ツインが空いてなかったので、ベッドが4つある部屋をあてがわれた。シャワー・トイレ・朝食付きで1泊120TL(約3400円)。きちんとしていて清潔で、良いホテルだった。

ホテル周辺の界隈にはカラオケパブ風の店や酒屋があって、私好みの雰囲気だった。酒屋で店番の男性に「この店で一番安いワインを下さい」と言ったところ(この逆のセリフを一度言ってみたいとよく思う)、彼はにやっと笑いながら「ああ、いいのがあるよ。これは安いけど美味いよ」と言いつつ、足元からワインの瓶を取り出した。1本15TL(約430円)。翌日もこの酒屋にビールを買いに行ったのだが、彼は私のことを覚えていて、「昨日のワインはどうだった?」と聞いてくれた。案外美味しかったです。

 

ホテルの朝食。例によってオリーブ、トマト、きゅうり、パン、ハム(ハラールの)、チーズなどが並ぶビュッフェ方式だったが、食欲がなかったのでスープとパンだけにしておいた。トルコに来たら一度は食べたいレンズ豆のスープ(メルジメッキ・チョルバス)。

 

ウルファ観光では、「聖なる魚の池」を見に行った。この池は、私の好きなトルコ人作家エリフ・シャファクの小説「イスケンデル」(名誉殺人がテーマ)に出てきて、気になっていたのだ。名前が。

ウィキペディアの説明:

聖なる魚の池(バルックル・ギョル、Balikligöl) - アブラハムがニムロド王により火の中に投げられたが、火が水に変わったという言い伝えがある。アイユーブ朝時代の1211年に、かつてのキリスト教会の聖堂を再利用し建設されたハリル=ウル=ラフマン(Halil-ur-Rahman)・モスクの中庭にあり、周りは庭園に囲まれている。大勢の魚が観光客の投げるえさに殺到しているが、白い魚を見たものは天国に行けるという言い伝えもある。

 

妹が行ったシャンルウルファ博物館。でかい

 

池に向かう途中で遭遇した猫連れのボーイズ

 

伝統的なダボダボのズボンを履いたクルド人のおじいさん。トルコ南東部にはクルド人が多数居住している

 

聖なる魚の池がある公園への入口

 

池はすぐに見つかった

 

魚がうじゃうじゃいる。鮒?鯉? 

 

同じ敷地にあるハリル・ウル・ラフマン・モスク

 

中庭には鳩がいっぱい。うっとり

 

背後にある崖の洞窟は、預言者イブラーヒーム(アブラハム)の生誕地だと言い伝えられている。

 

洞窟内部が覗ける空間への女性用の入口

 

洞窟

 

この後併設の市場に入り、昼食を取れる店を探した。

 

通りすがりのクルドのおじさま

 

なんだか皆楽しそう

 

市場風景。なんだかダマスカスを思い出す・・・

 

小さな食堂でレバーの串焼きを食べた。

 

ヨーグルトドリンクのアイラン

 

お店で働いていた少年たち

 

 

この後、ホテルに戻って預けていた荷物を引き取り、バスでガジアンテプに移動した。

 

道すがら見かけたウルファ城

 

これも道すがら見かけた遺跡からの発掘品らしき石

 

ウルファ2日目の夕食の写真も載せておく。そのへんの人にオススメの店を聞いて、ホテル近くのギュルハンという綺麗なレストランで食べた。何もかも美味しくて、サービスも丁寧だった。ここは名店だと思う。

 

ウルファ名物のチーキョフテ

 

ラフマジュン

 

アンテプ風アリ・ナージク・ケバブ。ヨーグルトソースの下にペースト状の焼きナスが隠れていた。

 

というわけで、ウルファはとても素敵な街だった。イスタンブル以外でトルコに住むならここだわ!と思ったが、そんな日が果たしてくるだろうか・・・

 

シャンルウルファの食に関するトルコ国営メディアTRTの記事。日本語が怪しいが。

http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2015/04/26/siyanruuruhualiao-li-woyunesukowu-xing-wen-hua-cai-nishen-qing-251081

 

(終わり)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年10月のトルコ旅行のこと~シリア国境近くのハラン

2018-02-14 04:21:25 | トルコ

また大分間が空いてしまったが、引き続き去年のトルコ旅行の写真を載せる。あと少しだ…

今回は、トルコ南東部のハラン(ハッラーン)に行った時の分。

カッパドキアからカイセリ経由でシャンルウルファにバスで移動して(バスでカイセリから8時間ほど。このルートの航空便はない)そちらで2泊した際、2日目に日帰りでハランに行ったのだ。ハランはウルファ(シャンルウルファはこう呼ばれることが多い)の南方45km前後で、バスターミナルからミニバスで1時間ほどで行ける。シリア国境から近いが、砲弾が飛んでくるほど近くもないようだし(トルコの観光業者のサイトによると25km)対面のシリア側の地域の情勢も安定していたので、問題はないと判断した。

バスで町に着いて歩き出すと、英語が話せるガイドの男性たちが近づいてきて、主要な名所は徒歩では回れないから車で案内すると言ってきたが、私たちはさほど真面目に観光する気がなかったので、遠慮しておいた。自分たちでその辺を散歩して、この地に特有のとんがり屋根の日干しレンガの家(ビーハイブ・ハウス)をいくつか見て回り、写真を撮れればそれでいいのだ。

 

遺跡のある地区への入口の城門

 

門の向こうに写っている男の子2人によると、ガイドの男性が言っていた通り、博物館となっている旧家の建物や大学などの観光名所はかなり遠いそうなので、近くに見えているとんがり屋根の家々を見て歩くだけにする。

 

ざくろの木

 

 

古代遺跡にしか見えないが、子供たちによると、この辺にある家屋はさほど古いものではなくて、今も普通に使われているらしい。

 

国境のシリア側にも、同様の日干しレンガの家が並んでいる地域がある。かつてシリアに滞在していた時、イタリア人やスウェーデン人(イタリア語ペラペラ)の友人たちと観光に行って、とんがり屋根の下で一泊したことがある。どの地方だったか覚えていないが(アレッポ郊外かな?)、バスが通っていない僻地で、有料でヒッチハイクしてたどり着いた記憶がある。

 

屋根がひらべったい納屋らしき建物もあった。土だけでできているので、雨が降ったらあっさり流れ落ちそう

 

その辺で遊んでいる子供達に話しかけたら、家に案内してくれた。

 

とても人なつこくて可愛らしい子供達だった。人柄の良さが顔に出ている。緑のシャツの女の子は、たしか将来先生になりたいと言っていた。(うろ覚え)

 

とんがりハウスを借りて住んでいるというシリア人の母子も見かけた。最近アレッポから避難してきたという話だった。家の中の様子からみて貧しい家庭のようだったが(入らせてもらった)、ご主人は働いていて、なんとか暮らせているということだった。ハランにはシリア難民キャンプもあるという話だが、場所がわからなかった。

 

猫発見。ニワトリには興味がなさそう

 

綺麗な模様の子もいた

 

塀を登るヤギさんたち

 

登りきってドヤ顔で周りを見下ろす

 

古そうな塔。子供たちの説明によると大学の遺跡らしいが、詳細不明

 

疲れてきたので、ここらで観光を切り上げ、街に出てランチを食べて帰ることにする。

 

メインストリートをうろうろして、そのへんの人に教えてもらったケバブ屋さんに入る。

 

入口からは想像もできないほど、中は綺麗で広かった。

 

アダナケバブ。肉が新鮮で、味付けも焼き方も申し分ない。

 

お店の人はアラブ系トルコ人で、アラビア語とトルコ語のバイリンガルだった。シリア人の従業員の男の子もいて、和気あいあいと働いていた。ハランはアラブ系トルコ人の住民が多いので、シリア難民も住みやすそうだ。言葉が通じるって大きいと思うのだ。

ケバブ屋の皆さんと携帯で記念撮影などしてから店を出て、近くのお菓子屋さんに入った。

アレッポから避難した青年が働いているアレッポ菓子のお店。

 

懐かしいシリアのお菓子…

 

私は基本的に甘いものに興味がないのだが(チョコレート以外)、妹が食べたものを味見させてもらったら、美味しかった。

 

眩しい日差しと乾燥した空気、日干しレンガのとんがり屋根の家々、家に招いてくれる人なつこい子供たちや、お店の人たちとのお喋り、美味しいケバブやシリアのお菓子…ハラン、最高なんじゃないだろうか。

ハランへの旅は今回のトルコ旅行の頂点だったと思う。またいずれ行きたいものだ。

今、トルコがシリア北部のクルド人勢力支配地アフリーンに侵攻しているが…シリアから早く撤退してくれることを願うばかりだ。トルコの平和のためにも。

 

(終わり)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする