《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

室町幕府に翻弄された私

2020年08月02日 09時00分59秒 | Weblog
石原比伊呂氏の著書『北朝の天皇』(中公新書)を読んでいる最中。
いま、92ページまで読了したところ。
「私にとってちょうどよい」専門性を備えながら、
読みやすくわかりやすいので、
読んでいて心地よい。
わたしは気に入った本は、読み終えてしまうのが惜しくなってしまい、
わざと一気読みしない。
3日かけて92ページというペースが、
いかにこの本を気に入っているかを示していると思う。

『応仁の乱』をきっかけに室町ブームが来ていてうれしい。
私は中学校時代からの『室町幕府マニア』なのだ。
『室町時代マニア』とは、ちょと違うのだ。
戦国武将にもそれなりに関心があるけど、
何度も京を逃げ出してしまうような幕府が
なんで存続できていたのか、が不思議で不思議で。
将軍、酒飲んでただけなんじゃ?なんか仕事していたんか?というような
興味をずっと持ち続けてきたんだ。

近年、本当に良書の刊行が続き、
(たとえば『足利義晴』シリーズ・室町幕府の研究3 とか 室町幕府全将軍・管領列伝など)
それなりに地域限定ながら統治行為(所領の安堵、争いの裁定など)を継続していたし、
その統治行為を必要とされていたんだということがわかり、
私なりには長年の胸のつかえが腑に落ちる経験をさせてもらっている。

行政権が肥大している国に生まれて生きてきたため、わからなくなっていたが、
室町幕府を知れば知るほど、
争議に対して裁定を下すこと(司法権)が国家権力の中心なのかな、と感じる。
裁定の根拠、公平性などの担保のために立法権を握る必要があり、
裁定の強制のために行政権を行使する。
権力の源泉、および民が求めるものは裁定なのではないか、と。
室町幕府は鎌倉幕府の法秩序を継承したし、強制執行は守護・守護代に丸投げしたし、
司法権偏重の中央政府だったのかもしれない。

なんてな。