《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

月去り星は移るとも 夢に忘れぬ 我が母校

2020年07月28日 20時44分40秒 | Weblog
コロナ騒ぎの余波で、
今年大学に入学した我が姪は、いまだに母校の校歌を斉唱した経験が無いそうな。

このままでは文化や精神の伝承が途絶える・・・・・・
私は、これは由々しき事態と思いまする。
ITやらAIやらインスタバエやらが世代間の壁を乗り越えがたいものにしつつある今だから。
ただでさえ
ナボナがお菓子のホームラン王だと知らない30代
が出現しているのですぞ。

無症状の感染者が感染拡大をさせる懸念とか、
医療体制の逼迫とか、
充分すぎるほど理解できますが、
テレ何チャラでは、やはり文化や精神の伝承はできませぬ。

昭和の末年近くに入学し、生協で校歌CDを購入した私はずっと
「やがて~も くうお~んの り~そうのかげは」
と神宮球場で唄ってきたのに、最近応援部の諸君は
「くおん~~の」と唄うように応援席をリードしている(ように思う)。
どちらが正調かとかではなく、これは文化であり、精神なのだ。
コンバットマーチの合いの手「そ~れそ~れ」や「ホームラン」
などが消滅したのと一緒。
一糸乱れぬ応援を美しいとし、応援歌の作曲者の意図通りの応援するか、
応援部を困らせぬ範囲で、という自制のもとに心の声を叫ぶ盛り上がりを許容するのか、
は正邪ではなく、文化、精神ではないのか。
平成の頃は応援部員も共に合いの手を入れていたのに。
どうも最近の母校の応援席からは風の歌が聴こえないんだよね。

またもや、よくわかんない、私にしかわかんない書き込みをして、
申し訳ない。
姪の話を聞いて、ユ○チュ○ブでいろんな大学の校歌、応援歌、学生歌を聴きまくって、
KO賛歌の歌詞は、文字では
「我等が若き力以て 理想の祖国を打ち建てん」
だが、
「理想のクニを・・・」と唄うのだと今さらながら気づいたものでね。

「入」という字を見てみろ。ヒトとヒトが支えあっているだろ!
なんで終わったんだ、『時効警察』!