完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ちょっと、何考えているかわからない。      ~映画「燃えよ剣」撮影始まる?~

2019年02月16日 | 


私は初老男である。







私は司馬遼太郎のファンである。







説明不要の日本を代表する時代小説家である・・・・。








私は年に最低1作品は彼の本を読むことにしている。







まあ、大抵は同じ本になる。







           「花神」





                  である。






この本のことは、何度かUpしているので細かいことは割愛するが・・・・。








私の感覚では司馬遼太郎の歴史を見る眼を極限まで鋭く、余計なものをそぎ落として描いたのが「花神」であろう。







そして、その「花神」の次に読むのが







               「燃えよ剣」




          

                         である。








「花神」2:「燃えよ剣」1くらいの割合であろうか・・・。









こちらは「花神」とは正反対。







今も昔も人気者の「土方歳三」を主人公にドラマチックに展開する。






その「燃えよ剣」が映画化されるという。






主演は岡田准一。






監督は『関ヶ原』(2017)で岡田とタッグを組んだ原田眞人。








この小説を読みこんだ初老男とすると・・・・。








「ちょっと、何考えているか分からない」って感じ。








映画「関ヶ原」は、私から見ると。









残念ながら「駄作」と評させてもらうしかない。









どこかでUpしていると思うが、司馬が小説で表したかった内容がほとんど伝えられていない。




非常に大切な存在である有村架純演じる「初芽」を、あろうことか「忍びの者」にしちゃってますもの。





映画という媒体において「原作」というモノをどう扱うかは、とてもむずかしいのは良くわかる。






監督が原作の「何を伝えるか」も、当然監督本人の裁量だ。







そうした意味において「関ヶ原」の見せ場は「合戦シーン」だったと思う。






つまりは小説という媒体における表現の出来ない部分。






だからスペクタクル的なエンターテインメントとしてみるなら、それほどひどい評価をするべきではないのだろう。







とすると、これから撮影される「燃えよ剣」において「関ヶ原」と同じ手法で「殺陣シーン」を全面に押し出して撮影するのではないかと杞憂している。






なぜそう思うかというと。








アクション得意の岡田を主人公としたことと。







「沖田総司」を山田涼介(Hey! Say! JUMP)にしたことだ。







彼自身がどんな演技をするかは、もちろん未知数だが・・・。






映画を作るにおいては、全部が監督が思った通りに進むことなどありえないだろうけれど。







興行収入やスポンサーのことを考えずに映画を撮ることなどできるわけがないから、大変だとは思うけれど。







ただ、原作においての司馬の表現したかったことを撮るならば、すくなくとも沖田総司のキャスティングには山田を選ぶことは無いと思う。





すべては司馬ファンの初老男のイメージでの話。






どうぞ、一笑に付してお許しいただきたい。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、これから撮られる映画に期待しますように。







             May





「関ヶ原」もそうだが司馬の小説は2時間程度の映画にするには、無理なものが多いのだけど・・・。是非「いい映画」になることを期待してます。





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深く深く憂慮・・・・。       ~虐待死?いや拷問死。。。~

2019年02月09日 | 時事ネタ



私は初老男である。






人間60年近くも生きてくれば「それなりの経験」と、いうものをしているはずだ。






「それなり」という中には、もちろん嫌なこと・辛いことなども含まれるわけで・・・・。







私的なことも、公的なことも含んでである。







若い時は






      「多分、人為的な悪いことは減っていくだろう」





                            と思っていた。







だが、この歳になって「人為的な悪いこと」は減るどころか・・・・。










その最たる出来事が、サブタイトルに挙げた出来事である。








私は潜在的に「暴力」というモノに恐怖感と嫌悪感が強い。







子供の頃を除けば、青年期からつい最近まで「キレた」経験がない。






そして、今現在も精神的にキレたことはあるが、それが暴力に繫がったことは一度もない。







もちろん、家人や娘にもだ。








今回の小4女の子の虐待死などは、人間の所業とは思えない。








何かの報道になっていたが、すでに「虐待」などというレベルでなく「拷問死」である。







人間は単に動物的に一定数「突然変異体」が現れるらしい。






こうした人間意識を持ち合わせていない輩がいることを、日本においても「前提」としていかなければならないことに・・・・。







深く深く憂慮する。








「虐待」とか「いじめ」というモノは、すでに「傷害・殺人」の域に分類するべきだ。










それには「警察」レベルに匹敵する強制力を持った組織で対応せねばならない時に来ている。








それは、一定レベルの「突然変異体」以外の人間が・・・・。








とてつもなく「迷惑」を被ることでもある。








ちょっとしたことでも、その児相に変わる組織の人間が家庭に踏み込んで来ることを覚悟しなければならない。








残念ながら、今の状況を改善するということはそういうことなのだ。








児相の対応に批判が集まっているが。








言われているように、すでに今のようにエスカレートした「虐待」というモノに、今の児童相談所は対応できるようになってはいない。









故にである。







私個人の意識として言わせてもらえば。








そうしたところにクレームを殺到させるのは、かなり「愚かなこと」だ。







やり場のない怒りは重々分かるのだけれど・・・・。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、人間にも「突然変異体」が一定数いて、それは自分のすぐに近くにいることに気が付きますように。







             May





私の感覚では、ペットであっても叩くことが出来かねる。それを自分の子供に対して暴力をふるう。冷水をかける。食事を与えない。・・・・まさにそんなことが出来るのは「突然変異体」であり「人間」と呼べるような生き物では無い。





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残念ですけど・・・。     ~アジアカップ準優勝に寄せて~

2019年02月02日 | スポーツ




私は初老男である。







アジアカップが終わった。





日本はカタールに敗れて準優勝。





散々前評判で「日本の優勝80%以上」とか「過去のアジアカップ決勝の日本の勝率100%」とか報道されていたが・・・。





ネガティブな初老男は、それらの報道を大抵は「猜疑心強く」見てしまう。







そして「やっぱりこうなった・・・・」と思ってしまう。







こうなると本当は優勝して欲しいんだか、欲しくないんだか分からない状況だんな。








さて、今回の敗戦をどうみるか?










私には象徴的なシーンとして映った画像がある。









残り時間が10分を切る頃に、度々映される「森保監督」の姿である。









さて、読者貴兄はこの姿をどう見えていただろう?







私には彼のその佇まいに、非常に「たのもしさ」を感じたのだ。







歴代の日本代表監督に、この状況でああした「冷静さ」でいた人がいただろうか?







多分であるが3点目を取られた時から彼の頭の中には、次のコパ・アメリカ(南米選手権)へのゲスト参加に向けてのシナリオが描かれ始めたのだと思う。








決してこの試合を「あきらめた」わけではない。






だが、どんな大会・どんな試合でも勝つためにどうしても必要なあるものが欠けていることに気が付いていたのだと思う。







そう






           「運」






                という奴だ。







どんな勝負でも、これが無ければ勝つことには届かない。








多分、このことに賛同してもらえないかもしれないが、日本代表がらみのVARはほとんどレフェリーの判定は「間違い」だろう。






堂安のPKも、南野がらみのPKも、吉田の2つのプレーも。






吉田の2つハンドは「インテンショナル(故意)」ではありえない。








自分の頭に当てたボールーを、あの時間で故意に手に当ててコントロールできる人間はいない。







もちろん、カタールの優勝になんの不服も無い。






森保監督のいうとおり、日本よりもカタールが「強かった」という事実があるだけだ。







言われる通りピッチに立っていたすべてのプレーヤーが、すべて「海外組」である日本代表が、ここまでやれたのは「充分な収穫」だったと思う。







ほぼ日本代表のメンバーの7~8割方入れ替わった中で、そうそう「息」が合うものでは無い。






そうした中で、曲者ぞろいの「アジアサッカー界」で「準優勝」を勝ち取ったのは充分に称賛に値する。





最終的な目標は「ワールドカップ優勝」であるなら、すべてのことはそれまでの「プロセス」でしかない。





たとえ「アジアカップ」であろうとも。






そうした意味で、森保監督の頭の中には「また一歩、階段を上った」という自信が生まれたことだろう。




次の日本代表の戦いが待ち遠しい。




今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、目の前の戦いに固執しませんように。







              May





アジアサッカー界は「中東タイプ」「東南アジアタイプ」「東アジアタイプ」の3タイプに分かれるみたいだね。





その中でスペインタイプをいち早く取り入れたカタールが優勝したことで、これからのアジアサッカー界に変化が生まれるように思えるなぁ。



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