完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いよいよ面白くなってきました!    ~「麒麟がくる 第34回」焼討ちの代償~

2020年11月29日 | テレビ







私は初老男である。







先回に続き「麒麟がくる」である。







以前から言っていたことがある。








大河ドラマは「サイドストーリー」の時代に入った、と。







今回の「麒麟がくる」は、まさにその「最たるもの」であろう。







過去の信長の描かれた大河ドラマを見たり小説を読んだりしていたなかで「?」と思うところは少なからずあった。








それが、こうしたサイドストーリーによって明かされていく。








非常にありがたい!










今回のドラマの主人公はもちろん「明智光秀」ではあるが、やはりどうしてもダブルキャスト的に「織田信長」を描かずには進まない。








前回の比叡山焼き討ちの件も、今回の筒井順慶と松永久秀の確執も、さらに信長が何故将軍義昭との関係が悪化していったのかも。







そうした部分が次々と描かれる。








信長の真に敬っていたのが「帝(天皇)」である。








その彼が「尊王家」であることがその後の室町幕府の滅亡、ひいては戦国時代を終わらせることにつながっている。










ここからは「妄想」になるが・・・・。











この幕府を敬いながらの「尊王」意識が、幕末の武士たちの「混乱(?)」に似ている気がしている。
(尊王攘夷や公武合体への意識の揺れ具合はマサにである)









日本の権力構造のおかしさは、世界的には多分ほとんど理解されないであろう。









中国の例を引くまでもなく、権力の頂点になるために武力・権力闘争を繰り返すのが当たり前である。








しかし、日本は権力と財力(租税権)を分離したまま№2を争うということに疑問を抱かずに時代を重ねてきた。









なぜ、武力の頂点に立ったものが「帝」になろうとしなかったのだろう・・・?










だた、それによって世界に類を見ない天皇を中心とした一度も歴史の途切れない国として存在している。








ドラマの中でも言っていたように「信長」という人が、突然変異的にこうして登場しなければ時代は進まなかったのだ。











その信長を歴史の表舞台に引き上げた光秀や、周りの人物たちはその気性に恐れおののいていたのは充分に理解できる。









それが、このドラマのラストにつながるポイントのような気がしてきた・・・・。








益々次回が楽しみになってきた!








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、サイドストーリーの面白さに気が付きますように。







                May







今回も松永久秀(吉田鋼太郎)がいい味だしてるねぇ~~~。キャスティング最高!



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満を持してUpします。      ~大河ドラマ「麒麟がくる」第33回~

2020年11月23日 | テレビ




私は初老男である。







こうして連日ブログをUpするなどということは、ずいぶん久しぶりであるが。








それは、自分に少しであるが「余裕」が戻ってきたということだろう。







被害妄想のヒドイ初老男も「底を打った」ということになってほしいなぁ・・・。








ということで大河ドラマ「麒麟がくる」第33回 ~比叡山に棲む魔物」~である。







今回の大河ドラマは、むずかしい収録を強いられている。









戦国時代なのに合戦シーンが「密になるから」という理由で撮影できないという。









たしかに今回まで、以前までの大河ドラマのような合戦シーンは見られない。








故に「政治的なやり取り」が中心のドラマとなっている。









少々フラストレーションがたまる感がないではないが・・・。









今までの大河ドラマでできなかった「人物像の掘り起こし」が、非常に良く出来ている。











特に今回(33回)は良かった!












信長の「天下布武」においての将軍・足利義昭との関係性や、有名な比叡山焼き討ちにおいては大抵サラっと流されているドラマや小説が多い。










そこいら辺が、どうにも不思議だった。










今回はその細かいところが見事なキャストによって演じられていた。










まずは比叡山の天台座主覚恕を演じた春風亭小朝。









この頃の大河ドラマに一人は落語家が出演するが、客寄せの感が無くはない。










しかし、今回の小朝のこの役はハマっている。











初登場シーンが良い。









物憂げに薄目を開けて朝倉・山崎・光秀の方を見る。










宗教と幕府(政治)と武士(武力)は、いつの時代も駆け引きの材料となる。










信長が話の中心になる時、この「比叡山焼き討ち」は信長の残酷さの象徴として描かれる。









だが、今回のように細かく描かれてみると人間臭い背景が見えてくる。










覚恕なる天台座主が、時の正親町天皇の弟だということ。(実は知りませんでした)










そこにある覚恕のコンプレックス。そして、天台座主の権力と財と欲望。









もう一方の時の正親町天皇を坂東玉三郎が演じている。









これも秀逸。










やはり、彼でなければ出ない「気品」がある。










こうした時に相手をしている堺正章が、またピッタリハマっている。








さらに幕府政所頭人、摂津晴門を演実片岡鶴太郎。これが権力の裏で宗教とつながっている。









まあ、小憎らしい。なんとなく、演技が「半沢現象」っぽいけど。。。。。。







様々な欲望が入り乱れてストーリーが進んでいく。









帝(天皇)という存在が、時代時代でかなりの差があったことは分からなくないが、では将軍という人物はどういう存在なのか?










信長が将軍でなく、帝に比叡山・朝倉との和睦を願ったのにはどういう意味があるのか?









今までの流れで帝が、この当時ずいぶん貧した暮らしぶりだったことが分かる。









将軍は帝が任ずるもので帝に頭は下げるが、それ以上ではない。







結局、この体制が明治維新までの主導権争いが明治まで続く。








やっぱり、歴史というのは政治の積み重ねなんだなぁ・・・・。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、大河ドラマの奥深さを楽しみますように。








             May





しかし、菊丸(岡村隆史)が今頃出てきてセリフ無し。かなり、収録の割を喰ったんだろうね。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説の「まぼろし」を見た!       ~「ホワイト・レインボー」って本当にあった!~

2020年11月22日 | Weblog




私は初老男である。







・・・・・・伝説の「まぼろし」を見たのだ!







最近、このブログでの閲覧回数が増えているUpに









           「あの寿司炒飯はおいしいだろう。」





 
                              がある。





5年前のUpだ。












「ヨルタモリ」なる番組で、タモリが「Mr炒飯」となり「すべての料理は炒飯にできる」ことを証明するというコーナーについて縷々述べている。













タイトルと関係ないじゃん?










とか思ってますか。











もう覚えていない人が多いと思うので、そっちに振ったのさ・・・。











タモリが「タモリそっくりの別人」に扮して、湯島にあるスナックに立ち寄り客たちと語り合う。という設定のバラエティ。








ママさんはあの「宮沢りえ」








店の名前覚えてますか?








そう「WHITE RAINBOW」なのです!










番組の中でタモリが説明していた。










               「色のない『真っ白』な虹が出るらしいよ」








私は嘘だと思った。












だが、











なんと・・・・。









その「まぼろしのWHITE・RAINBOW」を、今日の朝見たのだ!









今日の朝はひどく冷え込んだ。








2~3℃くらいだったと思う。








外はとても濃い霧に包まれていた。









そんな朝に作業をせねばならず、8時に田んぼの真ん中に居た。










5m先が見えなかった。










10分ほど経つと、徐々に霧が晴れ始めた。










何の気なしに、太陽と逆の山を見上げると・・・・。それはあった。









ハッキリはしないが「虹」である。










しかも色が「白」なのだ。











厳密に言えば上と下に微妙に色がある気がするのだが、普通にみる「虹」とは完全に違う。










そうしてみると「そうだったのか・・・」と腑に落ちた。











普通の虹は雨が降った後などに、残った空気中の水分が太陽の光に反射して見える。










WHITE・RAINBOWは、その残った水分の粒が細かすぎて色がハッキリ出ないのだ。











だから、虹の上と下だけは粒が切れるところになるので若干色が出る。











調べてみたらやっぱりである。WHITE・RAINBOWは日本語で「霧虹」だった。










初老男はWHITE・RAINBOWが観れたから「しあわせ」になれるんだ!








おもわなしゃぁない・・・・・。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「まぼろし」と言われるものを見ることが出来ますように。






                 May






皆さん。虹のダブルリング(二重虹)見たことあります?私見たことあります。それどころか・・・。
トリプルリング(三重虹)も観たことあるんですよ!













コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜこんなに笑えるのか・・・。     ~夜明けに聞いた「百川」~

2020年11月19日 | 落語

私は初老男である。






様々な心乱れる事柄に流されている初老男である。






しかし、そうしたことをすべて飲み込んでの日常を過ごして行こうと思っている。








この歳になる睡眠が不安定になる。







変に目が冴えて眠れないのに、早くに目が覚めたり・・・・。








大きく朝寝坊してしまったり。








今週の初めに、朝方4時頃に目が覚めた。






真っ暗である。








眼を閉じるが・・・眠れない。








そうした時にはラジオのスイッチを入れる。







すると。








なつかしい声が聞こえてきた。









三遊亭圓生が「百川」を演っている。









実はこのCDは持っている。








最近は落語ディーパや落語会に行ったりで、CDを聴いていない。








噺は終盤。







田舎者の百兵衛が魚河岸の若い衆に使いに出されるところ。







なんとも「たまらく可笑しい」








百兵衛が若い衆に常磐津の師匠を呼びにやらされるシーン。







三遊亭圓生という人は、多人数の演じ分けが富にうまかった。







百兵衛は訛りがひどくて、簡単に演じ分けられると落語初心者は思うであろう。







しかし、その訛りが少しでも滞って聞こえると台無しなのである。







そのヒドイ訛りの百兵衛と相対する江戸っ子の河岸の若い衆を瞬時に演じ分けること。







これが「百川」の真骨頂だろう。







「ひ」が「し」と自然に発音してしまうくらいに圓生は江戸っ子を演じきっている。(実は大阪出身なんだな)






そこに大看板になるまでの彼の練られた芸の凄みを感じるのだ。







寝床の中でクスクス笑いながら、オチを聴く。







「全部じゃぁねぇたった一字だ」








もともと、この「百川」という話は一度くらい聴いても全く意味が分からない。








「四神剣」(しじんけん)がなんのことなのか?







それを百兵衛が「主人家」(しゅじんけ)を訛って言ってしまうことで、若い衆が聞き間違えるとか。






「今朝から魚河岸の若い衆が4、5人来てるから常磐津語りの女歌女文字(かめもじ)を呼んで来い」と言われたのを






「袈裟懸けに斬られた若い衆が4、5人いるから外科医の鴨池玄林(かもちげんりん)」を連れてくるとか







こうした言い回しや、言葉の意味はある程度聴き込んだり、調べたりしないと理解できないはずだ。








ただ、逆にそれらを調べると江戸時代から明治期かけての東京の風景・暮らし・人間の気質みたいなものが生き生きと感じられるのだ。








・・・・落語はいい・・・・。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「楽しむ」ための努力を怠りませんように。








              May








落語で最初から「爆笑」したいなら・・・。まあ、やっぱり「桂枝雀の軽い噺(時うどん・八五郎坊主とか)」から始めることをおススメします。確実に笑えます。とにかく「笑わせる」ことを突き詰めた噺家さんですから。










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり、LIVEですね。その2     ~落語会はいい~!~

2020年11月07日 | 落語

私は初老男である。







初老を迎えたからだろうか?








寒さに鈍感になった。









これで冬も嫌いでなくなればよいのだが・・・・。











落語会の話。その2。












開場は大ホールだったが、ほぼ半分程度の定員なので400人くらいの入りだったろうか。










隙間なく入って400人位のホールは落語においては「大箱」の方だろう。









同じ人数でも「余白」が倍なのであるから、演じる方もある程度勝手が違っているはずだ。









それを踏まえて・・・。









まず三遊亭遊吉が「安兵衛狐」を演った。










実は彼のことを知らなかった。










プロフィールを見るとほぼ初老男と同世代。









落語家としては円熟に達する時期だ。











演目の「安兵衛狐」も、通して聴くのは初めて。(とおもったらどうやら内容は「天神山」と同じらしい)











三遊亭遊吉のプロフィールの続きに、コメントとして「どんなはなしも現代にわかりやすいように話す事、いろいろな落語をやってみたいと思います。」とある。












本人の言っている通り。非常に聴きやすい。マクラの振りから無理なく噺に入りスラスラと進む。










こうした古典落語は、当たり前であるがその当時のことを原体験している人が居るわけがない。









故に演じる方と聞く方とのイメージを共有できるかどうかがポイントになる。










そうした意味では少々軽すぎる気はする。










あとに出てくる小痴楽のためにサッと流した感もあるなぁ。










そして柳亭小痴楽。








演目は「佐々木裁き」










これは大ネタ。









この噺のポイントは当然、主役の白吉という小僧であろう。いかにこまっちゃくれてるて機転のきくところと、それに振り回される大人たち。








そして、佐々木信濃守。








ちょっと喰い足らなかったのは、この佐々木信濃守が「キキワケが良すぎる」感じだするのだ。







佐々木信濃守は何とか白吉を凹まそうとしながら、ヤキモキしながら逆にやられてしまう。









そんなところ「落語らしさ」があるのに・・・・。







以前の落語ディーパの時に彼のことを示したのだが、ちょっとイメージが変わった気がする。









ホールが大きいせいもあるだろう。声の通りがよく、若干話すスピードが遅くなっている。










もちろん、それは良いことだろう。







それが第二部のひざがわり(トリのすぐ前)でやった「一目上がり」(七福神)で際立っていた。







噺の中で掛け軸の目がどんどん上がっていくことで「縁起が良い」ということで、正月などに演じられる前座噺である。







彼はこうした話の方が、多分「練れている」のであろう。






与太郎と次々に現れる掛け軸自慢の大人たちが、見事に演じ分けられている。







これからも「江戸の粋」ってやつを益々磨いてほしいなぁ。







そして、トリが遊吉。







得意の「猫の災難」







酒好きの男が酒を全部飲んでしまったことの言い訳を猫のせいにするという話。







そうした意味で、やはり噺家にもいろんなタイプがいることを思い知らされた。







この三遊亭游吉という噺家は、ある意味「爆笑」をとるべきことを、はじめからあまり重要と思っていない気がするのだ。








語り部としての噺家に徹することに存在理由を見出しているように見える。











「爆笑を取る」だけが、落語家ではないのだ。という彼の心の声が聞こえてくるようだった。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、LIVEの面白さに感激しますように。








            May






落語の面白さは、やっぱりある程度「知識を持って」聞かないと楽しめない!特に今回思い知りました。

















コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり「LIVE」ですな。その1     ~落語会に行ってきた~

2020年11月01日 | 落語






私は初老男である。









なんとLIVEの落語会に行けたのである。









こうした田舎では珍しい。










出演は








           できたくん(発泡スチロール切り絵)

             



                三遊亭美よし             




                 柳亭小痴楽




                 三遊亭游吉









当たり前であるが「芸能」というのは見る人あってのものである。











とくに落語などの場合、その場の客がどうした反応をするかによって出来がかなり変わってくる。












今回もそうだったのだが、演じている中でちょっとした「クスグリ」を入れたりするのがある意味落語家の真骨頂でもある。











まず、前座









                   三遊亭美よし








女流落語家の前座さん。










演目は「転失気」











みたところ20代後半から30代前半といったところか。










前座の噺家の典型的な出来である。











こうした前座話でも、弄り方によっては随分おもしろい出来にできるはずである。










しかし、当然それを師匠が許すはずがない。(ちなみに師匠は後出の三遊亭游吉)










女流落語家は残念ながら、私の知る限り大成した噺家はいない。










だからこそ挑戦する人が絶えないのであろうけれど。











落語家のむずかしいところは、どうあがいても持って生まれた「フラ」(おかしみ)に敵わない部分があるということ。









これはなかなか言葉では言い表せない。










三遊亭美よしは、まじめに修業しているし本人が言っているように充分に女性として整っている。









それが落語家としてやっていくのに、プラスにばかりなるかどうか・・・・。









頑張ってほしいものである。










色物としての「できたくん」切り紙でなく発泡スチロール切芸。










こうした状況の中では芸に生きていくのは大変だろうと思う。










お笑いやこうした芸能の世界に生きる人間にとって、こうした状況は「最悪」である。








そうした人たちの一番の補完職である「飲食店のアルバイト」がやりにくくなっているのだから。











こうした芸は、いかに話芸で「盛り上げるか」がポイントになるのであるが・・・・。










今のこの状況ではなかなかむずかしい。









頑張ってほしいものだ。










文字数が多くなりすぎた。









落語家の二人については、その2に続きます。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ちょっとしたイベントで調子を取り戻しますように。








           May









普通の勤め人と違う世界のむずかしさをヒシヒシと感じるねぇ・・・・。









コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする