完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「出来」は悪くなかったです。     ~今年最後は「西郷どん」の感想~

2018年12月31日 | テレビ


私は初老男である。




昨日某国営放送大河ドラマ






            「西郷どん」総集編





                       が放送された。








途切れ途切れであるが、今年の大河ドラマは「良く観た方」だったといえる。








歴史のことでいまだに「腑に落ちない」部分というのが、私には幾つかあるのだが。。。。








その一つが西郷が維新を成し遂げたのちに、最後の内戦「西南戦争」を起こすところからその死までである。









この間に起こることが、それ以前(維新を成し遂げる迄)の彼とのギャップが、どうしても理解できないのだ。








そうした意味において、今回の大河ドラマは「答え」をくれなかった。








あれで納得する人も少なからずいるのでしょうけれど。






多分であるが・・・。






わざとその部分に触れずに話を進めて行った感がある。








原作(林真理子著)は、これから読もうと思っているのだが・・・。







多分、小説にはあまり準じていないのではないのかなぁ。







大河ドラマにおいては良くあることだし。







ドラマにおいてはほとんど描かれない形だったが「明治の男たちの欲望」の部分が、実は維新の原動力であったはずだ。








つまり私の「知りたいと思っていた部分」は、そちらに多く含まれている。








以前の大河ドラマ「龍馬伝」の時に、西郷を演じたのが高橋 克実。







実は今は私にとっての彼が西郷のイメージに近い。








出番は非常に少なかった。








が、龍馬と対峙したシーンで男の欲望・政治的陰謀家の考えが見事に演じられていた。










西郷の冷酷さから来る部分を、極力出さないことで今回のドラマが終わってしまったことで、私の疑問は結局解き明かされることは無かった。









大河ドラマにおいて「女流脚本家は成功しない」というのが、私のイメージだったが、今回においては







                「悪くなかった」







                           と思う。






それは「原作が女性」で「主役が男性」だったからではないだろうか。








主役の鈴木亮平のアクの無さが良い方へ作用した気もするし。







今回の大河ドラマは「ドラマとして良く出来ていた」と思う。







だから、最後までの私が観れたんだな。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、一年間続けて観れるドラマに出会いますように。








                May




今回のキャストで一番ハマっていたのは・・・・「岩倉具視」と「川路利良」の二人だった気がする。瑛太の「大久保利通」も良かった。逆に「桐野利秋」と「西郷糸」がミスキャストにかんじるなぁ・・・。








みなさま、良いお年を。








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ついに「破れた」のでしょうか?     ~IWC脱退とレーダー照射映像公開~

2018年12月30日 | ライフワーク



私は初老男である。





IWC(国際捕鯨委員会)から日本が脱退したという。





こうした国際機構から日本が脱退するのは「大変」珍しいことだ。






初老を名乗る私の感性が「高度成長期」に作られたのは間違いあるまい。







高度成長期というのは、戦後復興を成し遂げた後に続く経済成長であろう。







「国際協調」をある意味「絶対正義・絶対条件」と掲げていた。








その路線は間違っていなかったと思う。








・・・・というよりも、それなしで輸出を中心とした経済発展はできるわけがない。






経済発展のために、様々なものを「犠牲」にしてきた。







いちいち指摘していればキリがないが・・・・。東京の景観なんてその最たるものだろう。







そうした中で、今回の「クジラ問題」






今もワイドショーで言っていたが「感情的なことがこじれて『堪忍袋の緒が切れた』感じ」というのが本当のところだろう。







この歳になって思うのだが「政治」とか「国際協調・外交」というのは、結局「感情」で出来ているということ。








それこそ日本の高度経済成長と冷戦の間の緊張状態が続いている中ではそうしたことが無かった。






が、時代は変わった。







グローバルとネットが地球全体を覆う中で、アメリカ大統領という人が国際協調路線とは全く逆の政策を次々と打ち出している。






今回の脱退劇には、このことが無関係ではない気がするのは私だけだろうか?






ただ、IWCという組織自体が結局のところ「捕鯨の永久全面禁止」のままであるのであれば、この脱退は「致し方ない」ように私には思える。






30年という年月は「我慢の限界」でありこれ以上の時間が経れば、まさに「捕鯨の意味」自体が日本人の中でなくなってしまうだろう。






反捕鯨団体は、それを狙っていたようにも思える。










韓国が自衛隊機に対するレーダーを照射した問題をどう考えるべきか?





韓国という国に対するイメージや現状において、日本人としては「忸怩たる思い」があるのはある種当然だろう





言い古された言葉であるが「唐辛子の国」と「わさびの国」では、交わりようがないのである。






韓国にはびこる「反日」の感覚には、私は嫌悪感しかない。






引っ込みがつかなくなっている部分はあるだろうが、こと「武力的自衛」についてのことにおいてはほかのことと同じ対応をしてはいけない。







それこそワイドショーではないが、韓国は完全に「シビリアンコントロール」が利いているという。






それなら、今回のことは韓国青瓦台が知らなかったわけがない。(事後報告であっても)







そうした中で、どの国のどこ政治家も「政権を維持するため」「人気を保つため」に躍起になっていることで事が進んでいるのであれば、そうそう「落としどころ」が見つからないだろうね。










この問題でも、日本政府・安倍首相(ひいては日本国民の意識)の「堪忍袋の緒が切れた」って感じだろう。






こんな形で外交的なことが進んでいくことは、あまり良いことではない気もするが「初老男」としては仕方ないって気もしてる。





ただ、どこかでしっかり「ブレーキ」を掛ける必要はある!それは間違いない。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、人間は結局「感情」で物事を進めていることに気づきますように。






              May






繰り返すけれど・・・・。某アメリカ大統領の影響はおおきいなぁ。



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ちょっとlightですな。     ~ドラマ「犬神家の一族」見ました。~

2018年12月24日 | テレビ



私は初老男である。







最近「金田一耕助」モノが見直されているのだろうか?







某国営放送が、年に一度くらいずつドラマにしている。






そのことについては以前のUpを参照していただきたい。






今日も今日とてフジテレビで「犬神家の一族」が放送されていた。








この小説はすでに2度映画化されているのは、周知の通りである。







「今、なぜに犬神家?」という気がするのだが・・・。









まあ、素材としてのクオリティはお墨付きだけどね。








内容を熟知してしまっているので、問題なのは「細部のこだわり」や「クオリティ」ということで見ることになる。









やっぱり、まず問題なのは「キャスティング」だろう。







歴代の金田一耕助が「石坂浩二×2」(新旧映画はともに彼)「古谷一行」(シリーズドラマ)が印象深い。そして、今回は「加藤シゲアキ」。







残念ながら、彼はこの役にはほとんど向いていない。







まあ、そうした意味では石坂浩二も慣れてしまっただけで、本当は金田一のイメージではない。







野々宮珠世は「島田陽子」「松嶋菜々子」そして今回「高梨臨」






これはまず及第点。







そして、犬神松子が「高峰三枝子」「富司純子」そして今回「黒木瞳」






これは竹子・梅子とのバランスにおいて、今回はバラツキすぎた感あり。演技は悪くなかったけど・・・。






昔は良かった。。。的な言い方をする気は毛頭ないけれど、年月を経るごとにストーリー自体に深みを持たせる理由が薄くなっているように思えてならない。







最初の76年映画での「重み」は、その当時の香りを観る者にとって「再現」していた感がある。








しかし、そうした物を感じさせる必要が無いといわんばかりの演出だったように見える。









もちろん、今の視聴者にその当時を知っている人間はほとんどいないであろうから。








それならなぜそもそもこの小説を今なぜドラマにしたのだろうか?









そんな疑問を持ってしまった。







様々時代が変わって、映像化するには「コンプライアンス」なるものが厳しくなった中で描きづらくなったこともあるだろう。








しかし、今回のドラマのなかでも大変な重要なファクターである「野々宮珠世の出生の秘密」をあんな描き方では「興ざめ」というモノだろう。








まあ、76年度版も06年度版も観ていない視聴者も多いだろうし、ストーリーのクオリティは言った通り低くない。








だから、評判もわるくないのだろうね。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、コクのある映画がlightなドラマになったことを楽しみますように。






               May





★★★★★★★★★★最後ネタバレです。って気にしない人は読んでね。★★★★★★★★★





・・・・だって、犬神佐兵衛と野々宮大弐は衆道関関係で、大弐の妻の晴世と佐兵衛は肉体関係。そして二人の間にできた娘の祝子が珠世の母親なんだから。


佐兵衛が書いた遺書の意味が、このことを背景にしているのに今回のドラマではすっかり薄っぺらにしてしまった気がするのは私だけだろうか・・・・。




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残念ながら・・・・。     ~桂ざこばの「文七元結」~

2018年12月23日 | 落語



私は初老男である。




眠れない夜というのが、この歳になると少なからずあるものだ。





そんな時はラジオを聞くことにしている。





・・・・・というより、私は寝入る時には常にラジオを聴いているのだ。






FM放送の何処かをその時の気分で探しながら。







そうした意味では、たまにしか「NHK・FM」聞かない。








有名な「ラジオ深夜便」のターゲットの歳には、初老と言えども私の感性は付いていっていない。







しかし、たまに「ハマる」ことがある。







先日はそうだった。








ラジオ深夜便大阪発の深夜1時以降の最初のコーナーが「落語」だった。








桂ざこばの落語。






演目は「文七元結」







人情噺の名作だ。








実は「エッ」と思った。














少々話が外れるかもしれないが「上方落語」と「江戸落語」というのは、未だ純然たる違いがあるように私には思える。








これだけグローバルな世界になって、日本と世界との差が無くなっている中で言うのはおかしいのかもしれないが。







時代背景を加味した中でも、結局落語において「江戸っ子気質」(特に人情噺)を上方落語に移植することは無理と感じる。









残念ながら今回の「文七元結」」を聴いて、その想いは強くなってしまった。








桂ざこばと言えば、今や上方落語界でも重鎮と言えるだろう。







あの桂米朝の弟子であり、桂枝雀の弟弟子。







東京では放送されていない読売テレビの日曜昼の某番組でも、ご意見番的存在になっている。






ただ、私はあまり好みのタイプの噺家ではないが・・・。








人情噺の代表的な話「文七元結」は、先代圓楽の物を一度聞いたことがある。(多分、このブログでUpしてあるはずだ)








三遊亭圓生の直弟子の脂の乗り切った時の「文七元結」は、とてもいい出来だった。






・・・一ヵ所間違えたけど。(それも依然のブログ参照)








今回ざこばの噺の入りの部分ですでに「気」が萎えた。







噺の前に解説が入って、近年になって上方にこの噺を移植したとのこと。








故古今亭志ん生が落語においては









          「東京人にあらずば、人に非ず」








という暴言を吐いたというが、それほど「江戸落語」の意味・意思というモノは東京人以外には伝わらないと言いたいらしい。








お笑いの評論本に高信太郎(漫画家)が書いていた記憶がある。






そして、高信太郎も「力弱くもうなずいてしまう」と、締めくくっていた。








それくらいに江戸落語の芯の部分は「江戸っ子」にしか分からない。(らしい)









私はそれを読んだ当時、憤慨した覚えがある。








しかし、それ以降落語というモノに触れれば触れるほど、いや、落語以外の「お笑い」も含めてというべきかもしれない。






笑いにはやはり「ベースとなる意識」があって、それは土地柄や生活習慣・本人の育ちなどがで作られる。





そうした意味においても「滑稽噺」はそれほどの差が出なくても「人情噺」は、その人間気質をベースにする分伝わりにくい気がするのだ。






文七元結などは「江戸っ子気質」の典型的な話であるから、とくにそう感じる。






私のイメージがどうしても上方の文七元結の時代の人の気質が、その話に噛み合っていない気がするのだ。






だから、ざこばが関西弁で噺に入った瞬間に嘘臭く聞こえてしまった。






結局、最後まで私に「上方版文七元結」は響いてこなかった。






若手の噺家たちがこの上方版文七元結を完成させて欲しいと、落語ファンとして切に思う。





上方の気質・風土に合った「文七元結」を。





今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、この噺に落語の真髄を観ますように。





              May





ここまで言ってナンであるが・・・。やはり、江戸っ子気質を最大に残していた古今亭志ん朝の「文七元結」を聴いてみてほしい。私にとってはそれが基準になっている。




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落語界2番目の長老の逝去   ~三笑亭笑三の死~

2018年12月16日 | 落語



私は初老男である。





三笑亭笑三が亡くなったという。






私の数少ない「生」で聞いた落語家の一人である。







92歳だったという。






「最長老」と思っていたら桂米丸が93歳で現役だった。






最長老であろうがなかろうが、落語家三笑亭笑三の重みが変わるわけではない。






彼の落語を聞いたのは、どれくらい前だったろう?








10年以上も前だったかもしれない。






演じていたのは彼の十八番






               「異母兄弟」





                         だった。







10年以上前であったにしても、彼は80歳に手が届く年だったはずだ。











「異母兄弟」は、バレ噺(エロ落語)に近い話だ。








この噺を早齢の噺家がやってしまうと「イヤラシサ」が倍増してしまう。







バレ噺をイヤラシクしないのは、実は大変むずかしいことなのだ。






笑三は、80間近になってその域にたどり着いたって気がするのだ。







無言の顔の表情だけで、客を(しかも落語に慣れていない田舎の客)笑わすことできるのを目の当たりにした。






落語というものの奥深さを彼の噺で知った。






歳を取る度に飄々としていった三笑亭笑三を私は忘れることは無いだろう。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、生涯現役でいることのむずかしさを認識しますように。








          May






私個人のイメージで申し訳ないが、笑三氏より大々的にその死を報道された桂歌丸氏の「紙入れ」(やっぱりバレ噺に近い気がする噺)には、イヤラシサを感じてしまった。それ自体がどちらの噺家の価値を計るものでは無いだろうけれど。





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