完全無欠・・・かもしれない「初老男」日記

リニューアルして「中年」を卒業し「初老男」に昇格、引き続きよろしくお願いします。

たまにこんなことあるのね。    〜雑誌「サライ」5月号〜

2012年04月14日 | 
私は初老男である。

今年は遅い花粉症がきた。

最初にひどい目にあったので、藁をも掴む思いで飲んだ薬が

          
            「小青竜湯」

                      である。

これが結構効いたような気がする。

鼻のつまりも緩和されたし、頭も軽い。

漢方由来だから、胃にも優しい。

・・・それにしても、歳をとる毎に花粉症が軽くなっている気がする。

気のせいだろうか?



さて、初老男になると読む雑誌も若いときに読んでいた物とは、おのずと違ってくる。

「テレビ」と「漫画」の世代である初老男51歳。

いまだにその両方とも大好きだけれど、老眼が始まり、集中力も低下する中では様々なものを「選んで」見たり読んだりしなければならなくなる。


そうした中で雑誌というも貴重な情報源であり、ネットとは全く別の価値観を持っている。

そこで今月(5月)号の「サライ」は、今の初老男にぴったりはまった内容だ。


表題1「日本の作家百年の歩み」

総勢60人の作家を1900年から1990年までの年代別の代表作家を紹介している。

さらに「文豪の手紙に学ぶ」「松本清張と森鴎外を旅する」と、作家を中心に本を考える人にはたまらないテーマ。

表題2「毎日続けられるウォーキングのコツ」

まさに今ぴったり。雪が消えてウォーキングを再開したばかりの私にとっては「渡りに船」のテーマ。
それも基本的に「初老男」が実行することを前提とした内容になっている。


さらに特別付録1

    「オリジナル万年筆」

さらにさらに特別別冊
 
    「大人の逸品」カタログ


これくらい初老男の「ツボにはまった雑誌」はそうそう見つからない。

・・・事実ここ三日間コンビニ・書店を探し回ってやっと見つけた。


そんなことを言いながら、この歳になってやっと本当の雑誌の読み方がわかってきた。

初老男は本と言うものに、ついつい軽い「畏怖感」を持っているため丁寧に扱いすぎてきた。

持って歩き暇なときはどこでも広げ、ぼろぼろになるまで読み込む。ってのが正しい「雑誌の読み方」なのだ。

大事に大事にしていて、読んでいない雑誌が段ボール箱にいっぱい入っている。

当たり前だが、雑誌と言うものは「その時読んでおかないといけない本」の筆頭である。(まあ、例外も少なくないと思ってるけど)

読まねばならぬ本もあるし、見なければならないテレビ番組もある中では雑誌を読むのはやっぱスピードが勝負って、再認識した初老男である。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんが価値ある雑誌を見つけますように。


                 May


今月号のサライは880円。破格の安さと思う。


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岩崎夏海著「もしドラ」読み終わりました。   〜本の「旬」と「価値」〜

2012年03月17日 | 
私は初老男である。

昨日のサッカーオリンピック予選であるが・・・。

2−0の勝利だから、文句を言う必要はないのだろうけれど・・・。

あまり「良いサッカー」じゃなかったなぁ・・・。

最近ではBS放送等で海外サッカーも頻繁にみられるようになってきた。

そのため、テレビ観戦ながらわれわれ日本人も目が肥えてきているせいだろう。

その力不足がはっきり見て取れた。


まあ、プレミアリーグ・ブンデスリーガ・セリエAあたりのチームと同じレベルを求めるつもりはないが「意識」の部分が違いすぎる。

細かいところは忘れてしまったが、得点チャンスにトラップミスがあったのを覚えている人もいるだろう。
あれは間違いなく「ノートラップ」で打たねば、いかないシーンだ。

また、得点シーンでも、1点目の時にキーパーと一対一になった時に「サイドパス」を出したが、あれはシュートを打たねばいけないシーンだ。もし、止められたとしてもだ。

残念ながら、オリンピックに出場はできたがメダルどころか一次リーグ敗退の感じがする。

もう言い飽きたが「連携の取れた組織的なパスサッカー」と言うのは「打つべき時に打たないサッカー」ではないはずだ。

瞬間的にでも前が空いたらシュートに行かなければ「怖くもなんともない」のである。


日本人サッカー選手の「メンタル」な部分が変わるのはいつのことだろう・・・。



さて、マクラが長くなってしまった。

本の話である。

岩崎夏海著

        「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」


                                      読み終わりました。

・・・・「遅いよ!」ってツッコミが入りそうだが、初老男得意のリサイクルブックショップで「300円」になっていたので買って読んだ。

爆発的にヒットした本だから、読んだ人も多いだろう。

感想としては・・・「書き込み不足」

ヒットするだけに要素は備えているが、小説としては肉付けが足りない。

まあ、ほとんどデビュー作の本だから、これ以上の厚さにはできないだろうし・・・痛し痒し。

よく言う「行間」を、読ませる気がほとんどないように思われる。

「本」であるから文字にするのは簡単であるが、あえて「書かない」ことで読み手に伝えるという手法がまったく感じられないのが、読書家としては「足りない」気がするのである。


思うに、著者自身が言っていたが元々のイメージはみなみ=峰岸みなみだったという。(もっとも、性格は全く違う設定)

その時点で、この本は映画にすることが前提になっていた匂いがする。

現実に読めば読むほど「台本」みたいに感じられる。



本には「今読まねばならぬ本」と「いつまでも読み継がれる本」がある

この「もしドラ」は完全に前者。

そういう意味では、私のこの本の読み方を間違っている。

しかし、この本は一年経った今でもおもしろく読めることを考えれば、ただの「一時のブーム」と簡単に言い切ってしまっていい本ではないだろう。出版社の売り方によっては、長く読み継がれる本になる可能性もある。

ただ、問題なのはこうした本を書いた後は「次の作品に苦労する」と言うこと。


本来、著者の岩崎夏海は「放送作家」であるという。しかも、それによって年収1000万円を得ていたという。

こうした人が、消雪を・・・。間違えた「小説」だ。(雪国住んでいるとこの時期パソコンで変換するとこういうことになる)

こうした本を書いてしまうと、残念ながら小説でこれから、彼はこの本以上のヒット作を書くことはできないであろう。

しかし、それ自体は問題ではなくマルチに活躍する「文筆家」としてなら、この本をヒットさせたことは「勲章」になれこそすれマイナスになることはないだろう。

そうした意味において、やはり私の最後の感想は


                「秋元康恐るべし」


                              である。

ずいぶん長くなってしまったので、理由はいつの日か。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、本を読む喜びを心底味わいますように。

                       May


しかし、この本のリサイクル本としての値段「300円」は正しい値段なのだろうか?










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佐瀬 稔著 「残された山靴」 読み終わりました。   〜何度読んでも・・・〜

2012年02月18日 | 
私は初老男である。

一週間ほど前に、男3人で毎年恒例の野沢温泉にスキーに行った。

いつもは4人なのだが、一人は都合でいけなかった。

その時に気がついたのだが、同じ50歳を過ぎた男と言っても、というより逆にその年になったからこそなのかもしれないが、まったく興味のある部分が違うということ。

ちょうど日曜・月曜でいったので、泊りの夜は「清盛」そしてそのあと「サッカーロンドン五輪予選」の二本立てだったが・・・。

私以外の二人は、どちらにもほとんど興味が無いという。

・・・信じられなかった。

あろうことか一人は昼間のスキーの疲れと宴会の酒が聞いたらしく、サッカーが始まることには大きな鼾をかいて寝てしまった。

私の方がおかしいのか?


と言うことで、佐瀬稔著

 
         「残された山靴」

読み終わりました。

人間の「好奇心」と言うものはとても面白い。

先ほどの男どもは、大河ドラマにもサッカーにも興味がなかった。

であれば、逆に奴らの興味のあるものに、私がまったく興味がないことも十分あり得る。


そうした意味で言えば、別に不思議がることはないのだろう・・・。

逆に様々なことにこの歳になって旺盛な好奇心を持っている方がやっぱり「変」なのだろう。

まあ、これでも昔よりは気になる事が減ったんだけどなぁ・・・。


そうした好奇心旺盛な私が昔から興味を持っている事の一つに

        「アルピニストの意識」

がある。

私は体を動かすことの中で、なにが一番嫌いといって「山登り」ほど嫌いなものはない。

山登りの「爽快感」や、その良さを語ってくれる人はたくさんいたが、未だかつて全くそのことの意味が分からない。

であるからこそ、逆にそのアルピニストの精神や、山を登ることの意味を知りたいのである。

この本を読むと、その一端が垣間見える。もちろん、本当のことなど絶対に理解できないのだろうけれど。

だから、この本を皮切りに何冊が山に関する本を読むことになったっけ。


「残された山靴」は、ずいぶん前の本だ。

知人がかなりの高齢でありなが山登りを続けていて、この本を貸してくれた。

それももう10年ほど前のことだ。


私の全くわからない世界の話でありながら、非常に惹かれる文章と内容。

何度か借りては読んでいたが、ついに文庫本化されて手に入れた。


副題を記さなかったが、この本は著者佐瀬稔の「遺稿集」である。


そう思うと本というものは不思議なものだ。

本にでてくるアルピニスト・クライマー・冒険家たちはほとんど亡くなっている。そして、著者もずいぶん前に亡くなっている。

しかし、この本はずっと刷を重ね、彼らを全く知らない人たちに読まれ続けていく。

「山に登る」「命を懸けた冒険をする」そのことでしか、生きている意味を見いだせない人間が、たしかに存在しているのだ。

私のように平凡に「生きること」に執着している人間にはやはりどこまで行っても理解できはしない。

しかし、理解できなくてもハンマーで頭を殴られたような衝撃的感動することはできる。

日頃、小説やエッセー・雑誌のコラムなどばかり読んでいると、こうした本に出会うと目が覚める思いになる。

本は素晴らしい。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んだみんなが、生きている限り様々なことに興味を抱きますように。


                         May

日本人初となるヒマラヤ8000メートル峰全14座の完全登頂を目指す「14 PROJECT」(読売新聞社後援)に挑戦中の登山家、竹内洋岳(ひろたか)(41)は16日、最後の1座となる「ダウラギリ」(ネパール、8167メートル)の登山計画を発表した。

何年の時が過ぎても、登山家はいなくならない。






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「政治家の殺し方」読み終わりました。  〜中田 宏著〜

2012年01月14日 | 
私は初老男である。

先回Upした「平清盛」のドラマのことで、兵庫県知事の発言が取り沙汰されている。

初老男としては・・・「自意識過剰」ですよ、って感じ。

失礼かもしれないが、ドラマの最初に説明されたり最後のミニ紀行みたいなところでも紹介されているけれど、ドラマにおけるシーンと紹介された場所を直接リンクさせて考える人がどれだけいるだろうか?しかも現代とドラマのその時代を。

我地域も「天地人」の時、まさに同じような状況になったけど「そうそう、自分の子どもの頃もこんな感じで雪が積もってた」ってしみじみしたくらいの感覚だった。

まあ、知事さんともなれば各方面に気を使わなければならないから、初老男のように鷹揚ではいられないのかも知れないが。


ということで

     「政治家の殺し方」 中田 宏著

読み終わりました。

ちょうどマクラでも、同じ地方の首長の話になったので見方によるとこの本に書かれていることもダブらせて考えられる部分がある。

知らない人はいないと思うが、この「中田 宏」氏のことをざっと紹介しよう。

平成5年から3期衆議院議員を務め、平成14年からは日本一の人口を持つ神奈川県横浜市の市長を2期務めた。現在は青山学院大学院他3つの大学の客員教授である。

議員・市長当時からテレビ等のメディアにも多数出演していたから、知っている人も多いと思う。


政治家が書いた本というのは、今も昔も「自分の都合のよくなるような」内容の物がほとんどだ。

特にこれからも政治家として更なるステップアップを狙う人間なら当然のことだろう。

そしてそれは「現役」(現職政治家)である時ににその効果を最大にする。

逆のパターンがあるとすれば、いわゆる「回顧録・回想録」であろう。

この「政治家の殺し方」は明らかに後者になる。



初老男は、歳を追うごとに「猜疑心」が加速度的に増していく。

現にこうしてコンピューターを使っていても、この機械とシステムさえもかなり疑いを持っている。

そうした意味でいえばこの中田氏の本の内容にも完全なる信頼を寄せるわけにはいかない。

ただ、今の日本全体の風潮を見るとこの本に描かれている権力・既得権益に対する「何でもアリ」の状況はいかにもありそうだ。


やはり、日本の政治・行政というものはある時期から「経済的発展」の名のもとに国民に「私利私欲」を満たすことを容認もしくは煽ってきた感がある。そのために既得権益は途方もない大きさになってしまい、政治家が簡単に突き崩せることができなくなってしまった。

その最たるものが、この地方自治の最小単位「市」の政治に如実に反映している。中田氏が書いているのはそんな現場だ。


繰り返すが、今の世は本当に「信頼できる事柄」が非常に少なくなってきている。

こうしたインターネットの中の情報もひどく脆弱なものなので決して鵜呑みにしてはいけないからね。

特に「マスコミ」の堕落は・・・って、この話は別の機会にたっぷりとやろうと思う。


とにかく、ことの真相ってのは意外なことが多いし政治的なことの「噂」は、かなりの部分政略的なものであることを心にとめていた方がよいと、改めて感じさせる本である。興味のある方は一読を。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいるみんなが単なるうわさで振り回されませんように。

                                        May


何事も「あること」の証明は意外に簡単だけど、「ないこと」の証明はすごくむずかしい。


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言葉の力を信じよう     〜雑誌「Number773」号の話〜

2011年03月03日 | 
私は中年を卒業しつつある中年である。

さて、このブログを読んでくれている奇特な方たちはわかっていると思う。

「おまえは分裂症か?」と疑われるほど、私は様々なことに興味をある。

最近は特に分割百科(毎週とか毎月数枚のDVDとか雑誌・パーツが発売される奴ね)が気になっている。

そして、中年を卒業しつつある私としては中年のご多分に漏れず「時代劇」と「落語」が今の興味の中心である。


特に今は「必殺シリーズ」セカンドシーズン・落語「昭和の名人」完結編・落語「立川談志」シリーズ・ドラマ「鬼平犯科帳」etcがほぼ毎週本屋の棚に並ぶ。

実際これを全部買っていたら、私は小遣いを全部使い果たしても足りないだろう。

しかし、こうしたものは1号でも買ってしまうと全巻がどうしても欲しくなってくる。

身もだえする日が続くこの頃である。


さて、雑誌「Number」の話。

日本のスポーツ雑誌の草分け的雑誌である「Number」を知らない人はいないと思うけど、スポーツにまったく興味のない人もいるからなぁ・・・。

実はこの雑誌の創刊号を読んだ記憶がある。

意外に知られていないが、この「Number」というタイトルは、その後につく数字によって毎回タイトルが変わる雑誌だということ。


スポーツに限らず物事はすべからく「表」があれば「裏」がある。

人に見える「表」だけを見てすべてをわかったような気になってはいけない。

この雑誌は、スポーツにおける「表の奥底」「裏」の部分をじっくりと調べてある。

当然、そのスポーツの結果からそれなりの時間を経過してからしか語られない話が多いので、熱さを保ったままでこの雑誌が発売になるのを待っていることが多い。

ゆえに、すべてのスポーツに興味がある私のような人間には非常にうれしい雑誌なのだ。


そして今週号の「Numbar773」はタイトル「名将の言葉学  〜2011年のリーダー論〜」であった。

表紙にはサッカー日本代表監督ザッケローニ氏が腕組みをして仁王立ちしている。


私はこのブログを通してずっと考えていた。

それは

           「言葉の力を信じよう」

                          と言うこと。

「沈黙は金」なる格言があるが、私は「雄弁は銀」の方が現代においては先に来るような気がしている。(もちろん、沈黙が必要なとき、それこそが意味を持つこともずいぶん多いが)

スポーツの監督においての「沈黙」は今の時代「混乱」を招く危険性が非常に高い。

続く







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久しぶりに読んだ本   〜「やめれば」大橋巨泉著〜

2009年03月01日 | 
私は中年である。

まあ、本当にUpするのが「億劫」になって10日ぶりになる。

Upするネタは山ほどあるのだがブログよりもやりたいこと、やらねばならぬことあるのでこうしたことになってしまう。

しかし、まだ「閉じて」しまうのは惜しい気がして「たまに」Upしようと思う。


と言うことで、久しぶりに本の紹介をしようと思う。

       
           大橋巨泉著 「やめたら」

                          である。

かなり昔だが、著者が司会で「こんなものいらない!」と言うテレビ番組があったのを覚えている人もいるだろう。

非常に面白かったと記憶している。

今回のこの本は、それの「最新活字版」といった感じだ。

31編に渡って現在の「こんなものいらない!(やめたら)」をつづっているのだが、とくに「和製英語」「地デジ」「世襲政治家」「北朝鮮外交」「WBC」「クライマックスシリーズ」「他の日本式ゴルフ」「スポーツ中継」「バラエティ」等々が、とくにお勧めだ。

中でも「和製英語」「世襲政治家」「クライマックスシリーズ」「バラエティ」などは私がおぼろげながら感じていたことを、見事に活字化してくれている。

あまりに抽象的なお勧めになってしまうので、一つだけ私が以前にUpしたこととほとんど同じことを提案している「クライマックスシリーズ」のことを話しておこう。

以前の私の文章を07’11・8のUpを読んでもらうと分かるのだが、日本プロ野球における「クライマックスシリーズ」は、いうまで無くアメリカメジャーリーグの「プレイ・オフ」を意識して作られている。

メジャーリーグにおける「プレイ・オフ」と言うシステムは、広大なアメリカと言う国で30チーム以上のチームがあるからこそ「合理性」が発生するシステムなのだ。

対しての日本プロ野球は12チームしかない。その12チームの中の6チームが参加できると言うのはあまりに「ユル」く無いだろうか。その中でシーズン勝率5割をきったようなチームでも「日本一」になれる可能性があるのだ。

それはいくらなんでも「理不尽」だろう。

最低でも両リーグもう2チーム増やして2リーグ4地域制での「プレイ・オフ」にしないとその特性を生かせない。

単純に書いたが、巨泉氏の「やめたら」の中ではもっともっと分かりやすく興味深く印してある。


彼は現在75歳。

ほとんど私の父親と同じ歳だ。

そうした「戦中派」でありながら、私と同じ感覚で物を考えることが出来るその「感性」の豊かさには瞠目するばかりだ。

是非、一読をお勧めする。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「頭」をやわらかくして「感性」を磨いて物を考えられますように。

                                 may

この本なんかは「今読んでおかないといけない」タイプの典型ですな。
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明治は遠くになりにけり。Up    〜「警視庁草紙」読み終わりました〜

2008年04月22日 | 
私は中年である。

昨日の夜のバラエティ番組「TFP2」で、よゐこの有野がダーツで「パジェロ」を
当てるところを見た。

この番組をかなり長い間見ているが「パジェロ」が当たるところは初めてみた。

有野という人は「よくこれで芸能人がやっていられるなぁ」って感じの人だが、
やっぱり何か「神通力」があるのだろう。


と言うことでこのところ本を読み進めていたのだが、なかなかUpすることができなかった。

興味深い本を読んだので紹介したい。

     山田風太郎著   「警視庁草紙」(上・下)

  である。

ずいぶんUpしていないが私のライフワークがある。

「日本はなぜ、勝てる見込みの無い戦争に突入してしまったのか?」
と言う謎を解き明かすことをライフワークとして、それらの本を読み続けている。

ただ、これだけは間違いないといえることがある。

それは「太平洋戦争」を知るためには「日露戦争」を知らねばならない。

そして「日露戦争」を知るためには「日清戦争」を知らねばならない。

さらに「日清戦争」を知るためには「征韓論」を知らねばならない。

「征韓論」を知るためには「明治維新」を知らねばならないのだ。


歴史と言うのは「時空の流れ」を意味する。だから、本当は地球の誕生から
調べなければ行けないのだろうけれど、さすがにそこまではやれないので、
端的に「近代日本」の創成期である「明治維新・明治時代」を理解しないと
この問題は解けないのだ。


今回は謎に迫るところまで行くのではなく、その「明治時代」が舞台となった
傑作小説を読んだことをUpしようと思う。


「川路利良」という人物を知っているだろうか。薩摩人である。

明治時代の英傑といえば「西郷隆盛」「大久保利通」「木戸孝允」「岩倉具視」などの
名前が早々に挙がるだろうが、この人物は知らない人も多いし実際「英傑」とよぶに
ふさわしいかどうか・・・。

司馬遼太郎の長編小説「翔ぶが如く」(全10巻)の、書き出しが実はこの人のこと
からなのだ。

簡単に言えば「近代警察の生みの親」である。

物語は、その川路利良と元江戸南町奉行・駒井某が中心になりその周りを取り巻く人々と
奇怪な事件を通して、明治時代を生き生きと描き出している。

「小説」はもちろん「作り事」なのだけれど、こうした現実に存在した人物達をふんだんに
登場させて、その時代の時代考証を持ち込んだ中でのフィクションは、とても説得力がある。


思えば文庫本になっている作家もずいぶん物故者が増えた。

山田風太郎などは、もうずいぶん前に亡くなったはずだ。

しかし、明治時代という戦後一回りもした後に生まれた私の「好奇心」を満たして
くれるのが、こうした古い作家であり、その作品であることは、それさえも大きな
「時の流れ」の不思議さを感じずにはいられない。


実はこの本は、読みはじめに一度躓いてしばらく遠ざかっていたのだが、ひょんな
ことから再開して、後は一気に読めた。

本を読むにも「勢い」というものが必要だと言うことが、今回良く分かった。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「明治時代」にもっともっと興味をしめしますように。

                         may

今からは考えられないほど「不便」の時代だったろう。でも、今よりもすごく
「明るい未来」を信じられた時代でもあったんだろうなぁ。

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今「新書」がおもしろい!Up  〜「いつまでもデブと思うな」〜

2008年04月09日 | 
私は中年である。

そろそろ「解散総選挙」っていいそうだけど、あんまり上手な流れじゃないね。

コイズミって人はひどい男だったけど「劇場型」っていわれただけに、こうした
時に選挙まで持ってく「ストーリー」作りはうまかったなぁ・・・。

小沢一郎って人は、その点ではずいぶんへたくそだと思う。


まずいまずい。政治の話を始めると、この回全部それになっちゃう。


さて、最近「新書」を読む機会が多くなった。

新書には新書のよさがある。(当たり前だ)

特に「今」読まなければならない本が多い。

ということで読み終わったのが

     「いつまでもデブと思うな」  岡田斗司夫著

 である。


やっぱり売れる本には「理由」があるのである。

昨今の世相の中で「ダイエット」を試みたことの無い人はほとんどいないだろう。

「メタボ健診」などという馬鹿げた制度も始まったし、自分のプロポーションに満足
している人は、ほとんどいないというし・・・。

そうした中で「1年で50kgの減量」に成功した著者が、実体験を基にして書いたのが
この本だ。


実際この本のすごいところは、普通にダイエットをした時に沸いてくる「疑問」を
ほぼ全部答えてくれているところだ。

たいていの人は一度くらいはダイエットに成功しているはずだ。しかし、

そのとき「じゃあ、ダイエットっていつまで続ければいいの?」って思わなかっただ
ろうか。

辛い思いをしてダイエットしたのはいいけれど「こんな、辛い思いはいつまで続くの?」って
思わなかっただろうか?

そして「リバウンド」したのではないだろうか。

私もご多分に漏れず、最大8kgのダイエットに成功したが、見事にリバウンド
した。


実は、この本にあるダイエット法にとてもよく似た方法を私は試したことがある。

それこそ「パソコンのフリーソフト」を使ってだ。

そのソフトであまり辛い思いをせずに2kg減った。

「じゃあ、なぜその方法を続けなかったんだ?」って言われそうだけれど、そこが
ダイエットの難しいところじゃないですか・・・。


とにかく、この本は「お勧め」である。

単に「ダイエット」の話だけでなく、それによって「人生」自体を変えるチャンスに
なりそうな本なのだ。


ここまで言っていてなんなのだが、私はまだこのダイエット法の成果が出ていない。

ただ、今までのダイエット法とまったく違う現実に「無理なくやせる」方法が書いてあること
だけは確かである。


なんとなく、この本を読破して今こうしていると「確信的」なものを感じている。

その経過もブログでUpしていこうと思っている。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「無理」をしても何事もうまくいかないってことを認識します
ように。

                         may

でも、70kgくらいの人が1年で50kgも減量できたりしないからね。
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喫茶店で1冊読みきったUp  〜「ロング・グッバイ」レイモンド・チャンドラー〜

2008年04月02日 | 
私は中年である。

ついにガソリンが値下げになって、小麦製品が値上げになった。
これもみんな「政治」が悪い。

昔はみんなこんなことを言って溜飲を下げていた。今でもあんまり変わりが無い。

確かに「ねじれ国会」になったことを与党自民党が、自覚できずにいることが
様々な混乱を招いたとしか私には見えないのだが、議員様たちは理解していないなぁ・・。


最近、気に入った喫茶店を見つけ半年ほど前から通っている。

何よりコーヒーがうまい。

コーヒーをおいしく入れるのは、とてもむずかしい。


コーヒーメーカーで、作るのでさえ個人的な違いが出てしまうのがコーヒーだ。

ましてや「喫茶店」である。

技術の差がはっきり出て当たり前なのだが、味わう側がそれを気にしなすぎることで
おいしいコーヒーを入れる人間が育たずにいる。

物事にはやはり「需要と供給」のバランスが大切だということだ。


その店には、経営者の私物である文庫・単行本がたくさん並んでいる。

様々なジャンルの本が並んでいる中で、一冊のハードカバーを見つけた。


  レイモンド・チャンドラー作

      「Long Good-by」(邦題・長いお別れ)


                              である。

「ハード・ボイルド」の原点。フィルップ・マーロウシリーズである。

清水俊二氏の訳で長らく世に出ていた本を村上春樹氏が、再訳したハードカバーだ。

この清水訳の方は7〜8年に1度くらいは読み返すことがあった。

その全編に漂う雰囲気は私たちがあこがれたアメリカの匂いと、それとは全く逆の
「裏の顔」のアメリカを感じさせてくれたものだ。


「再読」ということは、他の人はあまりやら無いのだろうか?

私は、よい本は一生つきあうつもりでいるから、5年に一度くらいは読み返す。

このブログを始めてからも、ここにUpした本でも「銀座日記」(池波正太郎)とか
「坂の上の雲」(司馬遼太郎)などは、すでに再読している。

不思議なもので、かなり読み込んでいるにもかかわらず「新しい発見」が読むたびにある。


話が逸れた。

村上春樹は言うまでもなく、今や日本が世界に誇る「国際的作家」だ。

しかし、私はあまりこの人の小説が好みで無い。

有名になった「ノルウェーの森」の他に2冊ほどしか読んでいないのだが、どうも
しっくりこなかった。

しかし、「訳者」としての彼はすごいと思う。

訳すという行為の中には、オリジナルの物語を作れるセンスがやっぱり必要なのだと
思う。

どちらにせよ、文学というのはその言語で書かれた文化をベースとして持っていなければ、
本当のことは読み取れないのだと思う。

それを訳すということは、それをオリジナルに近い形で読ませ無ければならない。

ある意味矛盾している行為だ。


レベルの高い「コーヒー」を楽しみながら、ハードカバーのハードボイルドを2週間に
1度くらいのペースで通い、半年かけて読み終わった。

気の長い話だと呆れる人もいるだろう。しかし、そこでの30分〜1時間は世間の
ウサから逃れられる大切な時間だ。

人はあんまりこんなことしないのだろうなぁ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが人生において「本を読む」ことがどんなに心の栄養になるか理解
しますように。

                         may

アルビレックスは鹿島アントラーズに0−2で負けました。



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進む「時代小説」(後)Up   〜続き〜

2008年03月09日 | 
私は中年である。

日本の調査捕鯨船に、環境保護団体が薬品の入ったビンを投げつけて捕鯨を妨害していると言う。

人間という生き物は非常に「矛盾」の多い生き物だ。

それはある程度仕方の無いことだと思う。そして、その矛盾は「感情」というものが
その根幹であることは間違いないだろう。

環境保護団体と言うものにも色々あるだろうが、胡散臭いものも多いと聞く。
政治的にこれを利用することもいかにもありそうだし、そこに金を出す人間もいるのだろう。

魚を獲って食べても良いけれど、鯨を獲って食べてはいけない。ということを納得できる
説明をしてくれる人はいるのだろうか・・・。

牛を食べても、豚を食べても、鶏を食べても、植物をたべても「生命」を奪っていることに
変わりは無い。人間はそうした「罪深い」生き物なのだ。

お隣の韓国にはいまだに「犬食」が公然と行われていると聞く。それとて単純に非難してよいとは
思えない。

その国の「食文化」であるなら、ヒステリックにそれを非難するのは控えた方が良い。

論理的には、こんな単純なことを理解できない人はいないと思う。しかし、そこの
「感情」が介在すると今のような状況になるのだろうなぁ。

平和的な解決を望むばかりである。


さて、先回の時代小説の話の続きである。

3冊目は

     「夏草の賦」  司馬遼太郎著

である。

秀吉の天下統一直前の、四国土佐の「長曾我部元親」の話である。

はっきり言って、司馬氏の小説にしては傑作の方ではあるまい。

上巻はずいぶんのどかな話だな、と思って読んでいると下巻に入っていきなり
政治的、戦国時代的な話になる。

前のUpでも書いたが、歴史においてのメインストーリーは「信長・秀吉・家康」で
あろうし、その前は「川中島」や足利氏・源氏平家であろう。

天下統一のためには、どうしても日本の中心部(東海・京阪地域)を制することが
地理的にも必要だ。

これは今も昔も変わらない。

ゆえにその他の地方の戦いは、サイドストーリーにならざるを得ない。

この歳になってやっと、そのサイドストーリーにもメインストーリーに負けないくらいの
物語性があることに気がついた。

この小説は典型的なそうした物語である。

続けて3作品を読んでみて思うのだが、時代小説というものは結局その当時の「政治」の
積み重ねを描いたものだろう。もちろん、それを主人公という「個」の視点、行動に
返還しているけれども。

私がそうした本を好んで読むのも、現在生きている自分の置かれた政治的な状況を
認識したいからなのだろう。

そうした意味でも、資料的なものはそれとして読んでおかねばならないが、主人公の
「息遣いが聞こえる」タイプの小説が好みだ。

特にこの頃、史実的な流れがそれなりに理解できてきた中ではサイドストーリーにこそ
面白みがあると感じ始めている。

「夏草の賦」などは、この後の四国土佐に「功名が辻」の山内一豊が城主として入り
残っていた長曾我部の侍を迫害したことが、ひいては幕末の雄「坂本竜馬」を生んだ
ことを考えると、非常に意味深い。

こうした時流れの中のパーツが埋まっていくように、小説を読むことのおもしろさは
中年になったからだろう。

益々、自分の中の「戦国時代〜明治〜現代」というジクソーパズルのピースが埋まって
いくことに快感を覚えそうだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、自分の中の知的ジクソーパズルが完成しますように。

                         may


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