完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

やっぱり、私はエラかった。    ~落語ディーパ「長屋の花見」を聴いて~

2020年09月24日 | 落語





私は初老男である。





自分はひょっとしてエライのかもしれない・・・って、思っていたのだが。







本当に「エライ!」ということを思い知った。









その理由は後記。









毎度おなじみの「落語ディーパ」である。








通常収録が滞っているのかスペシャルが続く。








春風亭一之輔演じる「長屋の花見」








いい出来!








やはり、一之輔の本領はコッチにあるのだろう。









真に「古典落語」の落とし噺の方に彼の軸がある気がする。








後半の柳家わさびとの対談でも「コッチ側」と認めている。







小痴楽の時に話した通りなのだが、一之輔の与太郎はとても際立っている。










それは「ゆっくり」しゃべっているからだ。













残念ながら他のキャラクターの演じ分けが少々荒いですけどね・・・。








一之輔はすでに当代では「人気者」であり、それに見合っただけに実力は備わっているだろう。








しかし、これから「大看板」になるにはこの「キャラクターの演じ分け」がもう少しって感じ。









こうしてみると、落語家のピークはやはり50代ではないかと思う。










悪い癖と思いながら引き合いに出してしまう。








「五人回し」という廓噺がある。








三遊亭圓生がこの噺を得意としていたのだが、廓の客5人を見事に演じ分けている。










一之輔ならやれるだろう。楽しみだ。










さて、私が「エラクなったこと」の理由であるが。









先に出した柳家わさびと一之輔のショート対談が番組の後半であった。









その時に少々驚かされたのだ。










柳家わさびが一之輔に「それなりのお金が入ってきたら、貧乏噺がやりにくいのでは」とか。








「結婚してない自分が夫婦噺をしては?」とか。









「歯科矯正していては古典落語の信憑性が薄くなるのでは?」とか・・・・。









尋ねていたのだ。










いかになったばかりとは言え「真打」である。










そんなことは当然知っている(覚悟している)ものだと思っていた。












しかし、さすが一之輔が「それを感じさせないのが『腕』」と答えていた。











お客と自分(落語家)両方の想像力が同じ景色を見せるのだと。













あぁ。だからわさびは「八人芸」みたいな「死神」になったんだ・・・。








そんな風に思ってしまったのは、私がそのことを知っているからだと。








つまり「落語」に関してはそのことを知っている私は「エライ」ってことを自覚したんだよね。











今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語においては見た目や姿は大したファクターではないことを知りますように。






             May






当たり前だけれど、わさびのやった八人芸と圓生の五人の演じ分けは「全く」違うモノですからね。それは聴いて見なければ分からない。いや、聴き分ける力がないと分からないだろうなぁ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すいません。エラソウです。    ~落語ディーパ「ぞおん」を聴いて~

2020年09月20日 | 落語



私は初老男である。





こうなるとやっぱりUpせねばならない気になってきた。






落語ディーパである。







通常放送を見逃してしまい今日の再放送で立川吉笑の「ぞおん」を聴いた。










そうしてみると落語ディーパのレギュラーの若手3人はたしかに毛色が全く違う。








この「立川」を名乗る若手は、新作落語を得意として以前の二人と違う道を行っている。












今回の「ぞおん」は・・・・。









良い出来だったと思う。








普段は標準語で話す吉笑が関西弁になっている。








彼自身が京都の出身だし、舞台が江戸時代の大店である。








こんな噺のときは関西弁の方がハマっている。









サゲも悪くない。









ただ。







ただ・・・・。









噺を演じる「力」が足りない。










だいたい、落語家の「キャリアの差」が一番出るのはどこだろうか?










私には「声の大きさ」と「しゃべるスピード」だと思えるのだ。










若手はどうしても声が「必要以上に」大きくなる。









それによって「抑揚」が効きにくくなる。










不安なのか「早口」にもなる。











そのため「滑舌」も悪くなる。















だから、なお噺の芯が伝わりにくくなってしまう。










この噺をもう少しキャリアのある中堅、ないし大名跡が演じればもっとウケたはずだ。









特に終盤。









サゲの時に「定吉、それな。・・・ぴぁ・ぴぁゆうてなにいってるか ぜんぜん ききとれ へんわ」くらいゆっくりでないとオチない。









ゆっくりサゲて、お客の笑い声をしっかり聞きながら一拍置いて下げた頭を上げてちょうどよい。









さらに、サゲの後「ヤレヤレ」って顔をしてはいけない。








舞台を降りて姿がお客から見えなくなるまで「演じ」なければ・・・・。










お客はそれをちゃんと見ている。











結局、前の若手二人と同じことを言うことになってしまう。












彼の20年後の「ぞおん」を聴いてみたい。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語家の成長を楽しみにしますように。









              May






番組終盤で出ていた新作落語「万引き」であろうとも、枝雀レベルになれば少しも「違和感なく」笑えるようになるのが落語というものだ。それにはとてつもない「精進」が必要だろうけれど・・・・。











コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついに本当にエラソウに・・・?     ~落語ディーパ「居残り佐平次」を聴いて~

2020年09月15日 | 落語



私は初老男である。






順番が逆になってしまったのだが。







落語ディーパの特別編の最初は「居残り佐平次」だった。








演じたのは春風亭一之輔。








「居残り佐平次」と言えば、廓噺の名作にして代表作。








先回のUpでも記した通り、廓のことなど本当に知っている人間はほぼ生きていない。










だから、演じる人間も聴いている人間も、本当のことなど分かるはずがない。










そうした中で互いのイメージが共有でき瞬間があるのが落語の醍醐味だ。











春風亭一之輔という落語家は、王道の落語家になりつつある。








メディアへの露出もとみに目立つ。










結局のところ落語家というのは、そのパーソナリティーをいかに多くの人に知らしめることが仕事の半分であろう。(自己プロデュースってやつね)












余程のモノ好きでもない限り、知りもしない落語家の噺をわざわざ聴きに行ったりはしないのだから。











王道の噺家の証拠に、自分の子どもを持ったことでの原体験としての「初天神」などのとても良い出来だし。








そのことを踏まえて・・・・。








今回もかなりいい出来だったと思うのだが・・・。









一之輔の実力から言えばってことで「エラソウ」に言っちゃいます。









彼のイメージしている「佐平次」という男が、まだ固まっていないのではないだろうか?











というか、今の一之輔はこういう佐平次を演じるのが正解とおもっている?











だとするならば彼にもまだまだ先がある。











もちろん、噺家には師匠が居て稽古をつけてもらい噺を確立させていく。









そこに何かを付けたしたり、削ってみたり。









そんなことの繰り返しが続いているはずだ。








落語を聴いている人には「そんなことは気にしない」って人もいるかもしれないが、彼の「佐平次」での仲間から集めるお金が「1円」と言っていたと思う。










そうした金額を集めた時代の男が「拳銃で若い衆を打つマネ」をするだろうか?









このクスグリで私は一気に冷めてしまった。








もしかしたら、おかしくないのかもしれない。









しかし、遊郭(たぶん吉原)で花魁がいた時代に「バンバン」はないだろうって思ってしまった。










それさえもおかしく感じさせない位引き込んでくれればいいのだけれど。(あれ、どこかで同じようなことを書いたような・・・・)








この噺の芯の部分は「佐平次」という男の「したたかさ」をいかに描くかにあると思う。








前半は「情けなさ」や「ひょうきんさ・如才なさ」が前面に出る。










しかし、佐平次の最終盤の「したたかさ」によってオチで生かされることになる。









一之輔の終盤にはその「したたかさ」が薄かった気がするのだ。









一之輔の持っている「洒脱さ」が良い方向に作用して、ストンと「あなたの頭がゴマ塩でございます」のセリフが聞けるようになることを期待している。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「廓」があった時代の空気感を味わいますように。









                 May






やっぱり、オチにつながる廓の主人のセリフ「どこまで私をおこわにかける」の意味が分からないと噺を楽しむことができないだろうなぁ。










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらにエラソウになっちゃった?     ~落語ディーパ「死神」を聴いて~

2020年09月13日 | 落語



私は初老男である。







やはり、人間には「波」があるようだ。






今の私には「落語の波」がきている。








気が付くとまた、落語ディーパを見ている。








特別編としての「死神」







演じるは柳家わさび。







一之輔が、この「死神」を演じるには彼がピッタリと言っていたが・・・・。







ちょっと何を言っているのかわからない。








落語は「面白おかしい」ものである。







それは間違いはない。






しかし、逆に「良くわからない噺」も少なくない。







「死神」も笑えるタイプの噺とは思えない。







故に「むずかしい噺」とも言える。








実は今「死神」は、私が初めて買った落語カセットである。








演じたのは三遊亭圓生。








高校生くらいの時だった。








落語の醍醐味でもあるのだが・・・・。








その噺を最初に聞いたのが「いつ・どこの・だれが演じたモノであるか」が非常に大事になる。








なぜなら、それを基準として同じ噺を聴くことになるからだ。








高校生の時に聞いた圓生の「死神」は、それほど「おもしろい」とは思わなかった。








しかし、おもしろいとあまり思わないのに「ひきつける力」は半端なかった。









そうした意味において、柳家わさびには酷だったかもしれない。









当たり前であるが、古典落語の世界は江戸時代から明治あたりが舞台になる。








当然、時が経てば経つほどその当時のことは「想像」になる。







演じる方も聴く方も。








その想像による解釈に、私のような初老男はついつい違和感を感じる時がある。






それが「落語」であるって思えればいいのだけれど。








その違和感さえ、力尽くで抑え込んでくれるような落語を聞かせてもらえないと・・・・許せないなぁ。









話が飛んでしまって申し訳ないが「寄席芸人伝」(古谷満敏著)という古いマンガがある。









その中に「八人芸」という芸があったことが書かれている。







マンガの中で「つまらない芸」と称されているのだが、私は見たことがない。







柳家わさびの「死神」は、その見たことのない「八人芸」に見えた。








そんな八人芸もどきをやらなくても、噺のおもしろさを伝えることはできるはずだ。








それができるようにならねば真打の名が泣くというモノだ。







彼はまだ若い。昨年真打になったばかりだ。








本人が言っていたように、この噺は「笑い」を求めるものでは無く「人間の生き死に」を際立たせることが噺の主であろう。







彼の今の若さで演じた「死神」は、やはりまだまだ「完成された」とは思えない。








20年後の彼の「死神」を楽しみにしよう。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語家がいかに成長していくかを目の当たりにしますように。










                May








「死神」のハイライトは、ラストであろう。最後の「倒れ方」にある。それまでの流れの中がどうであるかも当然大切なのだが・・・・。彼の倒れ方は、やはりちょっと勢いがありすぎるんじゃないかなぁ。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エラソウになっちゃったかなぁ・・・。   ~落語ディーパ「大工調べ」を聴いて~

2020年09月08日 | 落語







私は初老男である。






この歳になって、自分が「エラソウ」になってしまったのかなぁ・・・・。







って思うことが多い。









そう思いながら記すのだが・・・。









先日、不定期に放送される某国営放送局の「落語ディーパ」なる番組で特別編が放送された。









一席まるまるを放送するという。









「大工調べ」である。









演じるのは柳亭小痴楽。










私から見ればかなりの「若手」に見える。











調べると31歳。昨年真打になったばかりとのこと。











まずはとにかく聴いて見ることに。










早い。









喋りが早すぎて、よく聞き取れない。










私の歳のせいはあるのだろうが、この速さで江戸っ子のセリフをしゃべられると細かいところは聞き取れなかった。











収録時間の関係もあるのだろうか?










他の噺家のモノを聴き込んでいるので、たぶんそういっているのだろうと思って聞いたが。










落語も時代によって変化するのは当然のこと。










今の時代においては、このペースが正解なのかもしれない。









ただ、この速さでしゃべると与太郎が与太郎っぽくない。










与太郎ってゆっくりしゃべってボケないと。











そして、やっぱり演じている小痴楽自身が若い。










良い意味でも悪い意味でも「若い落語家のエネルギッシュさ」が溢れた落語だった。










小痴楽も最後に言っていたが







          「大工調べ『序』でございます」






                              と。









この噺は、この後棟梁が奉行所へ訴え出て大家との白黒をつけるところまで行く。











その間の奉行と与太郎のやり取り、そして棟梁のヤキモキからサゲの奉行の裁き。












私はその最後までの噺を「古今亭志ん朝版」で聞き込んでいる。












生まれながらの江戸っ子であり、その聞き取りやすいしゃべり口は「絶品」である。











そうした意味で、小痴楽の20年後の「大工調べ」を聴いてみたい。













落語はたのしい!












今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「比べること」の楽しさを知りますように。









                   May








落語には最後まで行かず、途中で切るのが当たり前になっている噺も少ないくない。「替り目」なんて最後まで聴かないとなぜその題名になったかが分からない。

これは桂枝雀のモノが絶品。酔っぱらいをやらせると枝雀はすごい。









コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする