完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

あと20年か・・・。    ~60才(定年)になるということ~

2021年03月20日 | Weblog



私は中老男である。






人間というのは、平素の生活の中で自分の状況を自覚しないで生きている。







昨日の朝である。









出勤途中の車の中で急に気が付いた。









「私は人生の3/4を過ぎてしまった」ことに。









仕事における「定年」というモノを目の前にして、様々雑務が迫ってくる中で自分が60才であることを強く意識させられた。









40年来続けてきた日々の仕事が続く中で、区切りが来ることなど当然分かっていたはずなのに。










自分と同じく退職する中に定年でなく40~50代で早期退職する人が数名いて驚いた。











その理由を尋ねると









           「今を逃せば、自分のやりたいことができなくなる」











                                      
自分が60才となってみると「まさにその通り!」と声を上げてしまう。











やはり、昭和30年代生まれの人間とそれ以後の人たちの感覚の差だろうか。











自分の50才の時には「仕事の絶頂期」だったし「その時の家計状況」から「辞める」という選択肢は頭の片隅にも無かった。










もちろん「好きなことがしたい!」という意識は強くあった。










それが「仕事をやめる」というところには結びつかない。そういう世代なのか、私自身の問題なのか・・・・。










自分の父親が88才でカクシャクとしているが、それは「好きなことができている」ことではない。











私には彼は「死ねないから生きている」ように見える。(本人にその自覚があるかどうかは分からないが)









私は彼ほどに長生きできるとも、したいとも思わない。












もし生きれても80才と言えば長生きのしすぎだろう。











そうだとしても。









あと20年である。












さりとて、体力・気力の無くなる前に「存分に好きなこと」をやろうと思い切れるかというと。












やっぱり、思い切れない。









忸怩たる思いが胸の中に残る。









ただ、だから今の人生が「むなしいか」と問われれば絶対に「そうではない」と答える。









どこかで聞いた話。











「人生において『すべて』を求めてはならない、この人生では『ここまで』にしておこう」











たぶん・・・・・・そういうことなのだろう。











今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「すべて」を欲しがりませんように。








          May







でも、やっぱり「死ぬまで現役」ってのが理想でもあったりして。。。。。












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こういうのを「沼にハマった」っていうの?      ~コーヒーミルを購入~

2021年03月14日 | いま興味のあること






私は中老男である。









なかなか暖かくならない。







雪国の春は遠い。







ずっとUpしようと思っていたのだが、そのままになっていた。








いま、コーヒーに凝っている。








中老男にとってコーヒーという物は、自分の成長と共に日本における「成長の象徴」とも言える代物だ。









今はどうだが分からないが、インスタントコーヒーの購入量は日本が世界一だったことがある。










まあ、文化的に「日本茶」というモノが飲料の中心だった国であるから、本当のコーヒーという物に対する意識が違うのは仕方がない。











だいたいインスタントコーヒーが「おいしい」と思ったことが私はない。









抹茶ではない、フリーズドライで粉にした日本茶にお湯を注いで「日本茶はおいしい」と言って飲んでいる外国人に違和感を覚えない日本人はいないだろう。









文化的にインスタントコーヒーがそれと同じ感覚で世界的にとらえられているのではないかと思う。










故に「本物」が飲みたくなった。










中学生になったころからペーパーフィルターでコーヒーを淹れるようになった。








大人になった気がした。(苦笑)








それから、諸々あるのだが・・・・・。








まあ、長くなるので。









友達が次々と結婚し一人遊びをするようになったのが20代後半。









3~4年は、喫茶店に入り浸っていた。









そこでコーヒーの味を覚え、時分でもさまざま試すようになる。









しかし「本当のこと」が分かるようになったのは数年前だ。











ペーパーフィルターでコーヒーを淹れる時、なかなか「膨らまない」のはなぜか?









メリタとカリタのコーヒードリッパーの違いはどこか?










コーヒー豆の焙煎の差はどこか?










まあ、すべては「どのレベルまで行くか」ってことなので、気にしない人なら「何やってるの?」て話。










だからこそ「沼」なんだけどね。











今は「豆の挽き方」が一番の懸案。











最初はおもちゃの様なコーヒーミル。2杯分くらいしか挽けない代物。








数か月使ったら・・・。壊れた。








その次は電動のブレードタイプ。これだと、余程うまくやらないと挽き加減が一定にならない。(時間はかからないけど)










そして、やっぱり手動のコーヒーミル。(4000円ほどした)











そして、以前Upした500円の手動ミル。












そして、ついに。










電動コーヒーミルに。










と言っても7000円ほどのブレードではないタイプ。











時間がかからないし、力もいらない。挽き加減も一定になる。










しかし、なんとなく味気ない。










そして、微粉が多いのが気になる。












コレクター意識と同じで「沼にハマる」というのは。












               「終わりがない」










                       ということ。










だからこそおもしろいんだけどね。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「沼にハマる」面白さを手に入れますように。








                 May







次はやっぱり「手動式ミル」に興味が行くなぁ。たしか20000円位だったような。。。。。






ここまで書いていてナンであるが・・・・。



美味しいコーヒーを淹れるコツは一つしかない。


            「良いコーヒー豆」


                     を手に入れること。
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どちらを信用すればいいんだろう・・・・?    ~どっちも信用できねぇよ~

2021年03月11日 | 時事ネタ


私は中老男である。








年度末が近づいて何かと気ぜわしい。








定年となると尚の事である。








かなり、心千々に乱れるのだが。。。。。









雑事は待ってくれない。









そうしたところでも、ついついUpしたい気が打ち勝つのである。









政治のことをUpし始めるとついつい後から後から湧き出てくる。










まるで私の思った通りに日本の政党政治が流れていく。










官僚・役人が「国会でウソを言う」ことは、私の世代では「ありえなかった」のである。(政治家はちょくちょくウソを言うけど)











故に、国会中継を見ているとお笑い番組みたいなやり取りが結構あった。











こうした時は、見ている私たちは「あ、政治家の方がウソを言っているな」と思っていたし、ほぼその通りだった。









しかし、今の「東北新社・菅息子疑惑」では、次々に官僚がウソを言っている。









これが「モリカケ」からの流れであることは疑いようが無い。









官僚・役人は、ある時以前は「公務員の良心」(実は最終兵器)として、内部告発に似た「政治家と刺し違える行為」があった。










政治家の首を取ることで、刺し違えて自省の権益を守る。











そんなことで、政治家との力関係を維持してきた。










それが、国民にとっては+(プラス)に働くことの方が多かった。(役人も世論と天秤にかけたろうけど)











だが、行政府が「役人の人事」を握ってから状況が変わった。










「内閣人事局」という伝家の宝刀を手に入れたのである。(2014年5月30日 第2次安倍内閣時制定)








政治家が自分の「スキ・キライ」(まあ、それだけではないだろうけれど)で役人の首を切れる(昇進権)ようになったのである。(ここから「忖度」ってことが起きるようになった)








以前は政治家と刺し違えることで、自省の後輩たちのその権益を譲り渡し、自分もちゃっかり「天下った」のである。









このことが、すべて








           「政治家の良心」と「役人の良心」







から始まっているのであれば話は、それほどむずかしくない。









しかし。








個人的であれ、組織的であれ。








「欲」が介在している部分が見え隠れしてくるからややこしい。








当たり前であるが・・・。







人間には「欲」があり、それが「成長・進化」の元となっている。








だが、それぞれが求められている「自律性」の度を越してしまう。







役人から官僚になると「7万円」の接待が「大した額ではない」という感覚になる。






もらっている給料に比例してしまうのかなぁ。







大胆な政治改革が、役人によって潰されるのも困るが。







政治家の暴走を役人レベルで抑え込むことができなくなるのも困る。








そして、どちらも「強い自律心」を持っていてくれればそうした駆け引きも国民レベルではあまりケチをつけないけれど。










「役人」と「政治家」のどちらに信用・信頼を置くかによってこの構図の見方が違ってくるのであるが。










この状況では。








           「どっちも信用できねぇよ・・・。」








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも今が日本の政治・行政の「爛熟期」から「荒廃期」であることに気が付きますように。









                May






安倍晋三という人が、この状況の引鉄を引いた人であることはまちがいない。歴史に名を残したねぇ。

現役時代の「総理大臣の私の言葉を信用してもらうしかない。」というセリフ。。。。どの口が言っていたのだろう。本人がいたって「本気」で言っていたのが恐ろしい。









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もうやめようと思ってたんだけど。       ~政治関連のUp~

2021年03月01日 | 時事ネタ






私は中老男である。








そうでなくてもUpすることが少ないので、数少ない読者の貴兄はおもいだしもしないのだろうけれど。






「政治的なこと」をほとんどUpしていない。










今の日本の政治に「完全に失望」したからだ。










60歳になるまで、政治にそれなりの興味を持ってきた。










歴代の総理大臣が何をやってきたかも、それなりに覚えている。









「森喜朗」なんて人は、結局総理大臣時代と何も変わっていない。









彼の総理時代を知らない若者たちが罵声を浴びせたりしているが・・・・。









あの人は1mmも変わっていなくて、ああいう人なのだ。







だから、問題なのは「政府与党」というところが「ああいう人」というのが分かっていて「五輪大会組織委員会会長」に据えたことである。







それこそ、若い議員はいざ知らず私と同じ位の年以上の議員なら分かっていたはずだ。











こうしたコロナ騒ぎが無ければ彼の「失言」もなく、オリンピックが行われたのかもしれない。










ただ遅かれ早かれ「なにか」やらかしたろうけれどね。









それはそれとして。











私が本当に政治に「完全に失望」したのは・・・・。











安倍晋三という人が長期に総理大臣を務め、ああした形で辞めたからである。












彼が総理大臣当時予算委員会の質問に立っている野党議員に「野次」を浴びせたのだ。












信じられなかった。










いやしくも総理大臣。いやしくも国会の予算委員会。











一体国会を何だと思っているのだろう。











例の「ご飯論法」なんて一般人なら「恥ずかしくて言えない」レベルの話だ。












昔の「中学生の遊び」ではないのだ。











それを一国の首相が「国会答弁」でやったのである。










しかもその総理を追い込めない野党の面々。












更にその後「菅義偉」なる人物が、総理大臣になったのは私にとっては「不思議で不思議で」仕方がない。













色んな総理がいたが、これほど表情に変化がない人は見たことがない。












何を考えているのか皆目見当がつかない。










なんだか不気味なひとである。










政治家っていい意味でも悪い意味でも「魅力」があるものだし、そういう人でないとなれないと思っていた。











日本式「議会制民主主義」もここに極まれり。











議会制民主主義というのは議会に集まった議員たちが選んだ人が「総理」になるということ。










つまり、国民が選んだ人ではないのである。










さりとて大統領制が良いかどうか・・・・。











政治家に追って怖いのは「選挙に落ちる」ことだろう。










それが怖いから真剣に「仕事」をする。









だから、安定多数の政党など作ってはいけない。











まあ、そうするとなかなか政策が実行しにくくなる。











そんな状況には・・・・・・どうせなりはしないって思って・・・・・失望したのさ。















今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんは簡単に政治に失望しませんように。









                  May








55年体制って、自民党が主流派・反主流派に分かれて上手に「党内浄化」していたから政権を維持できた。


今は国民がその時の「幻影」から逃れられずに自民党から離れられずにいるのではないだろうか・・・。





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