私は中老男である。
60歳定年という物が。
自分にとってどう言うものであったか?
まだ2ヶ月ほどしか経っていないが実感することは多い。
それを少々Upしてみたいと思う。
定年を迎えたが、仕事はそれ以前と同じ仕事を続けている。
変わったのは「責任の重さ」と「作業内容」である。
定年前はつまりその仕事の「すべての責任は自分」にあった。
しかし、現在は後任にすべて移って私の仕事における責任は、かなり限定的である。
そうした意味では「本当に楽」になった。
だが、当然給与の額は下手をすると6割に満たない。
まあ、致し方あるまい。
作業内容が変わった中では「事務処理」がほとんどなくなった。
それこそが責任の軽さでもあるのだが・・・・。
恐ろしいことに、そうした事務仕事がなくなったことで私は1日に数えるほどしか文字を書かなくなった。
どうしてもスマホやPCで入力する事はあっても、紙に文字を書くということは意識して行わない限りあり得なくなった。
こうしたことが「老化」に繋がっていくのだろう。
事務仕事が減ったことは仕事的には「肉体作業が増えた」ことを意味する。
今までは、ある程度「人任せ」にしていた部分が「任せられる」側に回ったのだ。
この「任せられる」ということは、かなり自分の仕事における「感性」を試されることでもある。
特にその職場で「任せる側」でいた時に「こうしておいて欲しい」と思っていたことを想像し実行しなければならないのだから。
自分がそうして欲しい!とおもっていたことはやっておかなければ・・・と思ってしまう・
もしかすると考え過ぎなのかもしれないけれど。
仕事以外でも、なにか「吹っ切れた」というか「一山越えた」というか。
急に人間のすべてが変わるはずはないのだが、なにかの「区別」の意味で60歳はかなり意味がある。
本人よりも回りの人々にとっての方がそれは大きいように思う。
以前のUpで示したのだが。
60歳というのは人生の3/4が終わったことを意味する。
問題は自分本人がそれをどう認識するかだ。
「生涯現役」というのが、私の憧れであり目標であるが。
どういう状態をそう呼ぶのだろう・・・・。
改めてそのことを考えなければならないようだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも自分の過ごした時間の意味を考えますように。
May
なんだか、まとまらなかったけど。Part2~3と報告していきます。