私は中年を卒業した高年である。
前文が変わった。
「卒業しつつある」の文言を「卒業した」に変更した。
完全に高年になったと自覚してしまった・・・。
これからのUpのことも自覚を促した一因であるのだが、もうあがいても無駄だと完全に理解してしまった。
私は高年なのだ。
人は必ず老いてくるということは「当然」のことであるのだ。
多くを語るほどのことではない。
さて、我が地域には不思議なお祭りがある。
「卯の年祭り」「御神廻」などと呼ばれて12年に一度行われる。
昔「卯の年(干支のうさぎ年)」に、飢饉や災害が多かったという。
それを鎮めるために神社の神を担ぎ出し各村々の「御仮屋」と称される家を廻り、御付の天狗・おかめ・山太夫たちを家に上げ酒肴でもてなし、舞いや謡で余興を披露するというものだ。
その神様が廻るについては、露払いに神楽(獅子頭を持った若衆)が走り、御付の面々が続き、その後を屋台(笛太鼓のお囃子)が続く。
私がそのお囃子の笛を半年に渡って教えた。
つくずく人にモノを教えるということはむずかしい。
口幅ったいようだが、単に笛を吹くという「技術」を教えることはそれほどむずかしくない。
教える相手に「その気」さえあれば、技術というのは砂にしみこむ水のように相手に伝わっていく。
その手助けをするのが本当の師匠の役目だ。
これは自分自身の問題なのだろう。私は笛の技術以上に「祭を楽しむ」ことを教えたかったのだけれど、逆にそれを教えることは技術を教えることの何倍も大変なのだ。
「祭」というのは「非日常」である。
人間の日常はストレスの連続である。
続く
前文が変わった。
「卒業しつつある」の文言を「卒業した」に変更した。
完全に高年になったと自覚してしまった・・・。
これからのUpのことも自覚を促した一因であるのだが、もうあがいても無駄だと完全に理解してしまった。
私は高年なのだ。
人は必ず老いてくるということは「当然」のことであるのだ。
多くを語るほどのことではない。
さて、我が地域には不思議なお祭りがある。
「卯の年祭り」「御神廻」などと呼ばれて12年に一度行われる。
昔「卯の年(干支のうさぎ年)」に、飢饉や災害が多かったという。
それを鎮めるために神社の神を担ぎ出し各村々の「御仮屋」と称される家を廻り、御付の天狗・おかめ・山太夫たちを家に上げ酒肴でもてなし、舞いや謡で余興を披露するというものだ。
その神様が廻るについては、露払いに神楽(獅子頭を持った若衆)が走り、御付の面々が続き、その後を屋台(笛太鼓のお囃子)が続く。
私がそのお囃子の笛を半年に渡って教えた。
つくずく人にモノを教えるということはむずかしい。
口幅ったいようだが、単に笛を吹くという「技術」を教えることはそれほどむずかしくない。
教える相手に「その気」さえあれば、技術というのは砂にしみこむ水のように相手に伝わっていく。
その手助けをするのが本当の師匠の役目だ。
これは自分自身の問題なのだろう。私は笛の技術以上に「祭を楽しむ」ことを教えたかったのだけれど、逆にそれを教えることは技術を教えることの何倍も大変なのだ。
「祭」というのは「非日常」である。
人間の日常はストレスの連続である。
続く