完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

どうにも止まらない。        ~映画「悪魔の手毬唄」観ちゃいました。~

2023年05月06日 | テレビ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

ゴールデンウイークも後半である。

 

 

とにかく、今回のGWは・・・。

 

 

 

家の「断捨離」である。

 

 

 

なぜ「今なのか?」という理由は・・・いずれUpします。

 

 

 

 

ということで、その断捨離の途中で観たのが

 

 

 

 

 

       「悪魔の手毬唄」

 

 

 

                である。

 

 

 

満腹なるまで「犬神家の一族」を観た後では、普通の人はもう「金田一モノ」は観たいと思わないだろう。

 

 

 

 

 

しかし、中老のヒネクレ者は逆である。

 

 

 

こうなると、トコトン金田一モノに突き進むのさ!

 

 

 

一般的に「犬神家の一族」ほどのインパクトはないが「悪魔の手毬唄」は名作である。

 

 

 

録画媒体に残してあるのは、わかっていたのだが・・・。

 

 

 

探し出すのに結構かかってしまった。

 

 

 

この作品の最大の特徴は「キャスト」が「完全にハマっている」ということ。

 

 

 

 

特に「岸恵子」「若山富三郎」がいい味出してますなぁ。

 

 

 

この映画の場合も、原作を読んだのは映画を観てからだったような記憶がある。

 

 

 

 

だが、それほどの違和感を感じた覚えがない。

 

 

 

 

岸恵子の「艶っぽさ」は、今の女優達には出せないものだ。

 

 

 

三味線の腕もしっかりしていて、いかにもこの時代の旅館のおかみらしさがある。

 

 

 

若山富三郎もやはりその存在感が、横柄でありながらどこかしら純朴なヤモメ警部をうまく演じている。

 

 

 

石坂浩二の金田一耕助も、すっかりなじんでいる。

 

 

 

そして、やはり「北公次」だろう。

 

 

 

このがフォーリーブスというジャニーズ事務所の古いグループで、絶大な人気を誇った人だということは、

 

 

 

私の世代の人は知らない人はいないだろう。

 

 

 

 

★★★★★★★★★★★★ちょっと、ブレイクします★★★★★★★★★★★★

 

 

 

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ついでに観ちゃいました。        ~映画「犬神家の一族」(2006年版)~

2023年05月05日 | テレビ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

ゴールデンウイーク真っ最中である。

 

 

 

観光地が「劇混み」している様が報道されているが。

 

 

 

 

私はとにかく家の片づけに追われているのである。

 

 

 

 

 

そんな中「ついでに」映画「犬神家の一族」(2006年版)を観た。

 

 

 

 

前作から30年後のリメイクである。

 

 

 

 

言い切ってしまおう。

 

 

 

 

「残念!」

 

 

 

 

私の感覚では・・・。

 

 

 

 

前作と「かぶっている役者と監督」が「最大の失敗」に思えるのだ。

 

 

 

 

脚本・演出はほぼ同じと思ていいのだろう。(実はとんでもなく違うところがあるのか?)

 

 

 

 

キャストはこの当時とすれば「過不足なく豪華」である。

 

 

 

 

その「豪華さで映画を観せる」という感覚は間違っていない。

 

 

 

 

しかし、私としては「失敗」と思える「松嶋菜々子の野々村珠代」を、

 

 

 

 

プロデューサー・一瀬 隆重が監督市川崑に対して強硬に主張したという。

 

 

 

 

当時の彼女の演技や存在感にプロデューサーが惚れていたのは十分理解できる。

 

 

 

だが、私にはこの映画の中で「彼女だけが『浮いて』いる」ように見えるのだ。

 

 

 

やはり、彼女の「体格的存在感」が強すぎる。

 

 

 

 

また、逆に「石坂浩二の金田一耕助」は監督市川崑が「彼以外を起用しない」ことを条件にしたという。

 

 

 

これも彼の役者としてのキャリアや存在感に問題があるわけではない。

 

 

 

単純に30年前の彼と彼の演技を観てしまっていると「違和感」を抱いてしまうのだ。

 

 

 

この役は全く違う役者がやるべきだったと私は思う。

 

 

 

 

さらに、その二人を起用したなら、監督は「市川崑」以外で撮れば違った演出・インパクトがあった気がするのだ。

 

 

 

 

当たり前の話なのだが、自分がこの映画の「前作の空前のブーム」を知ってしまっている上に、

 

 

 

若い時の石坂浩二の演技を観てしまっている。

 

 

 

当然、それを比べてしまう。

 

 

 

 

すると、周りの役者たちをこれだけ変えて「彼だけが変わらない」のには違和感があるのだ。

 

 

 

 

彼だけがタイムワープしたのか?って感じ。

 

 

 

 

ゆえに、76年版を観ていない人は十分楽しめたのだろう。

 

 

 

 

さらに言えば、十分に「街並みや小道具等」の時代考証的が行き届いた分、

 

 

 

 

なおさら役者の身体的特徴が、その時代背景とズレてしまっている。

 

 

 

 

こうなると・・・・。

 

 

 

なぜ「リメイクしたんだろう?」って気になるんですよね。

 

 

 

 

まあ、興行的にはそれほど失敗ではなかったんでしょうけど。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、リメイクした映画をヒネクレて観ますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

 

実は「特に失敗しているキャスト」があって、柏屋旅館の主人(九平)を「林家木久蔵(現木久扇)」が演じている。

 

 

彼が「失敗しているキャスト」ではなく・・・。九平の女房である。

 

 

それが「中村珠緒」なのである。

 

 

これだけの豪華映画に、なぜこんな小さい役を彼女にキャスティングしたのだろう。それががまた「うまいんだ」旅館のおかみさんの「演技」が本当に。(その分、喜久蔵の演技のヘタさが際立っちゃってるんだよね)

 

 

 

 

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なるほどねぇ・・・。そうした見方があったのね。    ~BS「犬神家の一族」観ました~

2023年05月03日 | テレビ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

ゴールデンウイーク前に「怒涛の忙しさ」を経験した。

 

 

 

それらも三々五々Upしていこうと思うのだが・・・。

 

 

 

まずはタイトル通りドラマ「犬神家の一族」の感想を。

 

 

 

 

 

すでに様々な感想が述べられているので、中老男があれこれUpするまでもないのだろう。

 

 

 

 

 

しかし、中老ならでは「ひねくれた観方」になっていれば幸いである。

 

 

 

 

先回、映画版を観ておいたUpしたが・・・若干禍いしたかもしれない。

 

 

 

 

いまさらメディアとしての「映画」と「ドラマ」の違いを語るつもりはないが・・・。

 

 

 

 

大抵の場合キャストにかける「出演料を含めた製作費」が違う。

 

 

 

映画にはそれにより「大物キャスト」がそろいそれだけでもお客が呼べるものになる。

 

 

 

そして放映時間が映画の方が短い。(たいていは長くて3時間が限度だろう。シリーズものは除くけど)

 

 

 

 

だから、私の感覚では原作にある「細かいディテール」を描くにはドラマの方が向いていると思う。

 

 

 

 

その代わり短時間での「迫力」では映画の方が上だろう。

 

 

 

 

しかし、今回のドラマは前後編で3時間。

 

 

 

映画よりも長くはあるが「細かいディテール」を描くには短すぎないだろうか。

 

 

 

細かいディテールを描いたのは「古谷一行版ドラマ『犬神家の一族』」の右に出るものはあるまい。

 

 

 

 

★★★★ここからは「ネタバレ」があります。ドラマを観ていない人は気を付けてね!★★★★

 

 

 

結局のところ、今回のドラマは「最後の15分」にすべて集約されているといえる。

 

 

 

 

原作を読んで、映画を観て、さらに私のような「ヒネクレ者」ならこの「最後の15分」のところに、

 

 

 

 

それほどは違和感を覚えないのではないだろうか。

 

 

 

 

それは今回の「犬神家の一族」の原作や映画の完成度に問題があるのではなく、すべての「小説・映画、果ては事実」までが、

 

 

 

 

観方によって「まったく違うモノ」に観えてくるものだからだ。

 

 

 

 

最後の30分で映画では「静馬による種明かし」が、ドラマでは「佐清による種明かし」になっている。

 

 

 

 

それによってずいぶん興が削がれた感があったのだが、それこそが「最後の15分」につながっている。

 

 

 

 

なるほどって思った。

 

 

 

そして、私は佐清が最後に「ニヤリと笑う」と思ったのだが・・・・。笑った(ように見えた)のは「珠代」の方だった。

 

 

 

 

そうなのだ。今の時代であれば「珠代の笑い(のように見えること)」が「新解釈」と説明できる。

 

 

 

 

原作ができた1972年当時にこのラストシーンだったら、たぶん「非難轟々」だったと思われる。

 

 

 

 

そろえたキャストのイメージもあるし、その当時はどんな映画にも「カタルシス」を求められていたしね。

 

 

 

 

そうした意味では、今の時代だからこそ「こうしたラストシーンのドラマ」になったのだろう。

 

 

 

 

そして、だからこそ今回、何度も映像化されたこの「犬神家の一族」をわざわざドラマにした理由ともいえる。

 

 

 

 

ただ、私にとっては「良い出来」とは思えなかったですねぇ。

 

 

 

 

大竹しのぶの演技なども評判が良いけれど、彼女の演技などは私の予想を超えるものではなかったし。

 

 

 

 

吉岡秀隆の金田一耕助は、回を重ねるたびに私は「違和感」しか覚えない。

 

 

 

 

どちらかといえば「獄門島の時の長谷川博已」の方が新しい「金田一耕助像のイメージ」なのだな。

 

 

 

 

たぶん、このシリーズはまだ続いて「本陣殺人事件」や「悪魔の手毬唄」なんかが作られるかもしれないね。

 

 

 

 

さて、どうなりますやら。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、中老になったときにドラマを観る目が変わりますように。

 

 

 

 

 

                May

 

 

 

そうした意味では、ドラマの中でも「松子が一人でどうやって静馬を殺したか」とか「その死体をどうやって湖のあの場所へ逆さに突き刺したか」なんて疑問がわいちゃうけどね。(もし佐清が手伝ったのであれば、最後の種明かしがとんでもない茶番になっちゃう)

 

 

さらに蛇足です。原作では「湖に刺さった死体」は「スケキヨ」が逆さなっているから「ヨキケス」となり、最初の二文字で「ヨキ(斧)」を使った殺人になるってことになってるはずですね。(苦しい解釈で~~す)

 

 

そのことの解釈は「映画版」が一番納得できるし、それらを含めてこの映画が「原作を超えた映画」と私には思えるのだ。

 

 

 

 

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