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ルター

2012年03月22日 | ラ行
                    歴史研究家・渡辺修司

 宗教改革で最も著名なのはドイツのマルティン・ルター(1483~1546)だろう。

 1517年、「95カ条の論題」で贖宥(しょくゆう)状(免罪符)の悪弊を批判した。公開質問状を教会の扉に掲げたと広く信じられているが、実際は司教に書状を送っただけだった。

 無視すれば宗教改革の口火は切られなかっただろうが、ローマ教皇側は迅速に反応した。喚問や破門威嚇の教書の通告から始まり、皇帝カール5世はルターを法律外に置く、つまり殺害を容認する処置をとった。

 だが彼は頑として自説を曲げず、反教皇・反皇帝の諸侯の保護を受けて活動、支持者はドイツ全土に急速に広がった。

 音楽と活版印刷術が普及を支えた。当時のドイツの識字率は5%程度。ルター支持者は大量の印刷物を配布する中で、教皇を「陰険な動物」「悪魔」のイラストで描き、教皇=悪者の印象を広めた。

 ルターは新約聖書を初めてドイツ語に訳し、近代ドイツ語の基礎をつくった。

 楽譜も印刷され安価で大量に出回った。ルター自身が有能な音楽家で「宮廷で使われるような表現ではなく、平易な日常語で歌わせたい」と多くの賛美歌にかかわり、今も日本基督教団の「讃美歌21」に10曲が採られている。

 宗教改革は一面、音楽の民衆化でもあり、説教師はイラストで視覚に、声や音楽で聴覚に訴えた。

 彼の結婚も多大な影響を与えた。聖職者の妻帯が醜聞の時代に、周囲から推されて修道士出身のルターは元修道女と結ばれた。各界から攻撃が集中したが「結婚は神の賜(たまもの)だ。最も甘美・親愛・純潔な生活だ」と言い切った。

 プロテスタントでは教職者・牧師の結婚が認められ、今に至っている。

 (朝日、2012年03月15日)

         関連項目

ルター(01~04)
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