マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

「2度目には一般化して言う」という文法法則

2013年03月11日 | ナ行
 先日のブログ記事「寺沢恒信氏と哲学」で「2度目には一般化して言う」という法則について説明しました。しかし、日本語の用例を出せなかったので、イマイチ理解が難しかったかもしれません。

 ちょうど好い用例を見つけましたので、再論します。なお、当のブログは既に書き足してあります。

 01、継之助はファブルブランドから贈られた遠眼鏡(とおめがね)をもっており、それでのぞくと、マストにも船尾にも長岡藩の藩旗がひるがえっていた。藩旗は、戦国三河以来の「五段梯子」である。 / どうかすると、甲板にいるスネルの姿までめがねでとらえることができた。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170頁)

 感想・まず「遠眼鏡」と言ったのを2度目にはただ「めがね」と言っています。こういうのは、多分、何語にもあるのでしょう。ドイツ語ではそれが相当頻繁に使われているだけなのでしょう。思うに、日本語とドイツ語を比較しますと、人称代名詞を使う頻度が大きく違います。こういう事も関係しているのではないでしょうか。

 02、しかもこの二階座敷の便利なことは小さな北窓がついていて、それをあければ沖合のスネルの蒸気船がみえるのである。(略)
 三日目に揚陸が完了し、継之助は日没後伝馬船を出し、スネルのにむかった。調印をするためであった。
 スネルの蒸気船の名は
 ──カガノカミゴウ
 というのである。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170-1頁)

 感想・ここでは初め「蒸気船」と言ったものを2回目はただ「船」と言っています。これは「2度目には一般化して言う」という法則の通りです。問題は3回目に、離れてもいないのに、再び「蒸気船」と言ったことです。

 思うに、これはこの文が、啄木の俳句のように、3行に分けて書かれている事と関係しているのでしょう。つまり、この句を強調したかったのでしょう。もし特別強調する意図がないのなら、最初の時に「沖合のスネルの蒸気船『カガノカミゴウ』がみえる」と言っていたでしょう。

 ともかくこれは文法の問題ではなく、文学の問題です。私は文学を解さない人間ですし、司馬文学に造詣が深くありません。その道の愛好家のご意見を求めます。

 文法としては、①「2度目(以降)では一般化して言う」という「法則」を確認する事(これを明記した文法書はこれまでに出ていないのではなかろうか)、②ただし、「何らかの理由のある時はこの法則の守られない事もある」という事も知っておくことでしょう。

    関連項目

寺沢恒信氏と哲学


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする