マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

ベルン

2011年08月10日 | ハ行
 昔ながらの面影の未だに残るベルンの町は、スイスを旅した人にも、また旅せざる人にも、スイスの首府として、あるいは又、紺碧深いアーレの急流に臨む古風な町として、記憶に残っていることであろう。

 アルプスに登る者にとっては、ベルンの町ほど忘れ難い所はあるまい。私が筆をベルンの町に起こしたのも、山を思うたびに、瀬になって落ちるアーレの音が、心に響くからである。

 胸の痛むほどに山に焦がれつつアーレの懸崖(けんがい)の上に立った日の思い出、幾日かの激しい山旅の後、手足にまだ生ま生ましく尾根の岩を、崖の氷を感じつつ、議事堂のテレスの上から遙かの山につきざる名残りを惜しんだ日の回想。ベルンの町は、山に入る前の日に、山から下りた後の日に、つながって懐かしい思い出を残している。

 よく晴れ渡った日、町はずれの丘に立って、遠く眺めたオーバーランドアルプスの姿は、スイスの美しい風景の1つであろう。ブリュームリスアルプから、遙かに左のはずれのウェッターホルンまで、空高く、岸を目がけて崩れかかる大浪のように、有名な山々が一列に並んで見渡せる。山の雪が飽くまで青く澄み切ったアルプスの空に、時の移るにつれてあるいは煌(かがや)きあるいは煙る。しかしいつ見ても厳(おごそ)かに美しい。山を愛する者は、その峰の上に燃えざる火を、沸き立つ血に感じよう。

(浦松佐美太郎「たったひとりの山」から)

   感想

 浦松氏の名紀行文集ですが、随分古いものなのに、古さを感じさせません。ここに引いたのは「頂上へ」と題するものですが、自分が初登頂した山行の記録ですから、やはりベルンの叙述から筆を起こすことになったのでしょう。

 これと「マッターホルンの麓」が双璧だと思います。
コメント
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