井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

やはり日本は言葉の国だった

2020年01月12日 | 日本語について

日本の文字の発祥が中国由来の漢字であるということがどうにも腑に落ちず、神代の文字について以前触れたことがある。

枕草子や源氏物語を送り出すほど言葉の豊穣さを誇った日本が、他国に文字を頼るほど言語に不自由していたとは思えなかったのだ。

神代文字は神社の御札やヒェログリフとして古い岩に刻まれた文字に見られるのだが、学説として定着しているわけではなく、わたくしなどは片隅でボソボソ呟いてきたに過ぎないが、このところ神代文字について、真っ向から肯定的な意見が出されるようになっていて、それが專門の学者ではなく、矢作直樹氏のような医学畑の人が堂々と発信なさるようになり、わたくしごときも、語りやすくなって来た。

矢作直樹・東大大学院名誉教授の発信なさる内容に共感を抱き、尊敬申し上げつつ私淑していることは、以前こちらでも記した。

まず、日本最古の歴史書とされている『古事記」『日本書紀」の編纂が8世紀のはじめ。それより古い文献が実はあるので、それが『古史古伝』である。『古史古伝』他、磐座の文字が神代文字であり、重要な情報がコード化されて埋め込まれているという。霊性の高い神代文字が一種の隠蔽をされたのは西暦663年の朝鮮半島における白村江の戦い以降であるというのが矢作説である。白村江での敗戦により日本に入り込んできた唐勢力が日本文化抹殺の一環として神代文字を抹殺した。

第二次大戦後のGHQも全く同じことをしている。日本人の精神と日本の国体の弱体化を試みる時、まず言葉が狙われる、ということをはらに据えて置きたい、すなわち言葉というものはその民族の精神であり、国体なのだ、と。靖国神社のぼんぼり祭りに奉納するぼんぼりに貼る半紙にも、わたくしは「日本語は国の防波堤」であるとして、同じ文言を書き続けている。

矢作先生もGHQによる日本弱体化施策について発信していらっしゃるし、霊的感受性も強いようで、不思議な体験も多く、このところ今まではいわゆるスピ系の人しか発信しなかった事柄を積極的に語られるようになっていていよいよ親近感を勝手に抱いているのだが、お目にかかりたいと願いつつ、接点がない。一度わたくしが出入りしていた尾崎財団にいらしたことがあり、お付き合いのあった明治神宫至誠館の館長さんが現在いらっしゃるところにも顔を出していらっしゃるようでご縁をたどればまったくないというわけでもないようだ。もしご縁を結ぶ必然性があるなら、時満ちればお目にかかれるだろうし・・・・当分は書籍で追っかけをやるだろう。

矢作先生は、日本の縄文文化を高く評価、これも同意。縄文展に出かけ、そこに展示されたものたちの 火焔土器(トーラスであろう)はじめ日用品が、世界の四大文明の出土品に引けを取らず、それどころか優れているものもあることに驚嘆しまた不思議に思ったことは、以前述べた。火焔型土器はトーラスというフリーエネルギーのひとつだというのも、矢作先生からの受け売りである。 遮光器土偶は宇宙人であるという説にもわたくしは諸手を上げて賛同する。

矢作先生は、縄文時代の文字や稲作他の文明が、むしろ世界に伝播したのだとおっしゃる。縄文時代の高い精神性を私たち日本人は思い出すべきだとも。縄文文化はレムリアからの移住者により影響を受けているのだとも述べられ、先生自身が過去世 を感知、高次元に意識をつなぐことが出来る霊的感性をお持ちであることを近年、隠さず表明されるようになり、ますます親近感を抱くようになっている。

 

そういう時代なのか、矢作先生を筆頭に、医学博士や物理の専門家の錚々たる人たちが賛同を表明し、グループを形作って、ユーフォや宇宙人の存在を肯定、世の中に発信すべく活動を始められている。我が意を得たりと思っていた矢先、英国の女性の宇宙飛行士が宇宙人はいると明言、地球上にもいるとさえ発言したというニュースを見かけた。

今まで狭いスピ系の世界でしか通用せずオカルトとして退けられて来た事柄がこれも近年、量子力学という科学の見地から語られるようになった。

時代が大きく転換しているらしい。いわゆるアセンション次元上昇についても、冷静に述べられることも多くなっている。

量子力学について一端でも学ぼうと取り寄せたのが『量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」、岸根拓郎・京都大学名誉教授著である。專門の見地から量子とは何かが述べられ、かたわら「祈り」の力他にも言及されていて興味深い。読みながら矢作先生たちの論と突き合わせつつの検証など、いずれ試みてみたい。

ここ一連の急速な動きを見ていると、世界は新たなパラダイムにシフトしつつある、というわたくしの感慨も、大仰だとも思えないのだ。

自らに関わる余談だが、よく見る夢のパターンのうちから二つ。 1つ目は、洪水に飲まれ流されている夢で、それ自体に伴う恐怖感はあるが、もっと怖いのは、洪水から逃れて山の頂上まで逃げ延びて、しかし頂上からふと眼下を見ると、洪水はひたひたと山の頂きにまで迫っていて、その時の絶望感。日本国内で山の頂上まで来る洪水は想定できず、となれば外国での過去世の体験の再現か、大陸ごと沈んだとされるレムリアやアトランティスにいた頃の”記憶”やもしれぬ。

 

もう一つの夢のパターンは、地面からふわりとからだが浮き上がり、(ああ、そういえば人間は空を飛べたのだった)としみじみと”思い出して”いて、目が覚めてからは、人間は半分光で半分が肉体であるという《半神、半人》の時代が確かにあった・・・という記憶にも似た思いなのだ。思い出す、というニュアンスが添う。

こんならちもなきことを人前で述べたことはないのだが、ムー、アトランティスまで語り始めた矢作先生とそのグループの学者の人々の近年の発言姿勢に背中を押されるていで、末尾にふと記してみた。私にもいくつか過去世の記憶めくものはあり、エジプトで神官をやっていた時代の名前まで"知って”いる。矢作先生も、古代イスラエルの失われた十支族のメンバーであった頃のポジションと名前を述べていらした。 ヘンな人たちが増え、皆さんとびきりのインテリであることで、わたくしのような者まで息がしやすい時代になりつつある。

どこぞの星からワンダラーとして地球に来たわたくしたちは、地球という魂の修行場で営々と進化の旅の途次にある者かもしれない。楽しく学ぶ、ということも言われているが、わたくしにそんなゆとりはない、喘ぎ喘ぎ苦しみながら、それでも楽しいことも華やいだ祭りもあるというのが わたくしが選んだ修行内容レッスンの実相であるらしい。進化の道を苦悩しながら歩む同士よ、とふと誰かに呼びかけたくなった。

いずれにしても魂という意識体それ自体に消滅はない。《永遠の進化》が宇宙の法則であろう

。笑みを忘れず進みたい。

誤変換他その他の不首尾は後ほど・・・・。