帰化なさった在日三世の方からコメントを非公開で頂戴して・・・・
その日本語の綺麗なことに心打たれたのですが、ご本人いわく
「日本語が世界で一番美しい」
と、思う心あればこそ、ご本人の言葉遣いが端正なのでしょう。
私は言語学者ではないし、他国の言語との比較も出来ないので
独断で言ってしまうしかないのですが、語彙の多彩さからだけから
見ても、日本語はおそらく世界有数の豊潤な言語であろうと思われます。
言葉を護ることは、文化を護り継承することであり、ひいては
国を護ることにつながります。「言葉は国の防波堤である」とは
すでに、誰かが言ったことかもしれません。
漢字を捨て去った韓国語と中国語の不自由さ、貧しさ。
中国では実は日本人が作った言葉を、たくさん使用しています。
普段使っている言葉が和製であることを知ったら、彼らも驚くでしょう。
歴史、民族、国家、宗教・・・・他多数。
民主化、現代化など「化」の使い方。独自性、人間性などの「性」。
その上に日本ではカタカナ表記で海外の言葉を取り入れ
日本語化して自在です。
近年随分壊れてきたとはいえ、美しいと同時に自由闊達な
言語です。
人は言葉を用いて思惟しますから、言葉の豊かさは思考や発想の
豊かさにも通じます。漢字の制限などして、交ぜ書きなど
醜い方向へ行くのは、思考を貧しくすることでもあります。
韓国語には同音異義語がやたら多いのです。漢字を交えれば
どれほど誤読から開放されるかと思うのですが。
中国では漢文を読めなくなっています。レ点などを駆使して
漢文を読みこなしてきた日本人のほうが今は孔子も
漢詩も読み解けます。
韓国語というより・・・・北も使っているので、朝鮮語というべきでしょうが、
昨今、ヘイトスピーチ禁止とやらヘタしたら「朝鮮」という言葉自体が
使いづらいのです。
そういえば、「バンキシャ!」に出演している時、かつて民主党が返還する必要もないのに返却を決めた「朝鮮王朝儀軌」、これを言おうとしてしかし文言に
「朝鮮」の一言が入っていることで、とっさに「韓国の古い文献」と
言ってしまったことがあります。過剰な用心なのですが、
こと韓国に対しては、テレビで喋る時はナーバスなまでに
気を使います。なんでこう、気を使わなければならないのか、
と思うこともありますが、迂闊に発言すると「徒党を組んでやられちゃう」ということが日本人には刷り込まれているのかもしれません。
現代ではそうでもないのかもしれませんが、
京都で関連を喋るときは、戸を締めた立ててからヒソヒソと
語るのだ、とそれを伝えてくれた人は高齢なので、これも現在は
解りません。
ここは日本の国だ!、と当たり前のことを叫びたくなることがあります。
あまりに気を使いすぎ、発言が窮屈で。
「ある3点」・・・・3つの分野に関しては、日本は言論の自由があるとはとてものことに言えません。お察しくださいとしか言えませんが。
某所のありようについて論評した対談を載せた雑誌、それを私も
読んでみましたが、ごく穏やかな内容。それでも、それを
面白からず思う者はいて、編集部に殴り込みをかけて来たそうで
困ったことだと思います。言葉は大切にしたいのです。その発信する
自由と共に。
言葉から話題が逸れましたが・・・・
先だって道を歩いておりましたら「ではお願いしますぅぅぅーーーーーー」
と語尾を最近長く伸ばす、あの喋り方が聞こえてきたので見ると、
スマホを手にして電話していたのは、白人です。
流暢な日本語でしたから、彼は何の迷いもなく彼の周辺で
日本人の同僚たちが「すぅぅぅーーーーーーーー」と語尾を
伸ばすのに倣っているにすぎません。
なぜ、こういう気色の悪い喋り方が行われるようになったのか、
原因を思いつかないのです。お願いしま「す」と、短く切っては
失礼だという如き感覚があるのでしょうか。あるいは、「す」で
歯切れよく終わると相手より先に電話を切ってしまいそうで、それを
避けるために伸ばしているのか?
あと以前から気になっているのが「~になります」という言い方。
「こちらが説明書になります」
「これが本日のメニューになります」
「消費税込みで300円になります」
なります? なんで? 「説明書です」「メニューです」ではなぜ、いけないのでしょう?
考えてもしょうがないのかもしれません。誰かが言い始め、誰かが
それに抵抗を感じぬまま、自然に増殖していった言葉なのでしょう。
よろず、日本語から切れの良さが失せつつあるようです。
セリフを書く人間としては、リアリティを重んじれば「すぅぅーーーーー」も
「なります」も時に書かねばならず、しかしなるべく書かないように心がけてはいます。日本は古来より詩歌に優れ、音感に敏感だったのですが、
いつの間にか言葉への感性が粗雑になっています。
私が気になっている日本語に、「~と言っては嘘になりますが」というのがあります。「不安がないといえばうそになります。」「気にならないといえば、うそになります。」など、しっかりした感じの人でも結構使っているように思います。
「嘘」だと分かっていることをなぜあえて言うのか、「嘘」というマイナスイメージの言葉をあえて口にする必要はないのではないかと思い、いつも違和感を感じています。「不安もありますが」とか「気にならないわけではありませんが」でいいのではないでしょうか。
もう一つ、「~させていただきました。」というのも最近耳につきます。普段TVをほとんど見ないので、主にラジオからですが、「CDを出させていただきました。」「行かせていただきました。」などと多様しているのを聞くと、「だれがあなたにそれをさせてあげたの?」「誰に向かって話してるの?」と聞きたくなります。
自分の子供に対して「~してあげる」が変だと思う私は古いのかもしれませんが、丁寧な言葉を使おうと頑張りすぎて、おかしな日本語になっている面もありそうに思います。
私は使わないし、セリフでも書かない表現の
一つです。もう半世紀、日本人は使い続け
定着してしまいましたが、私は使うのを拒否しています。
させて頂く、は日本人には「おかげ思想」・・・自力だけではない・・・
上手く行っても、天の助け、ご先祖様の加護、人様の強力により・・・・というニュアンスだろうと私は受け止めていて、こちらは使い方を著しく違えなければ、さして気になりません。
あと、店員を呼ぶのに「すみません」もやり玉に上がりますが、私は気になりません。
あなたの時間を取って、また手間をかけて恐縮です、という心持ちなので。相手も商売なんだから、というのは西欧的、といってまずければ中国的。といってまずければって・・・・w まあ日本的です。
なんとなく丁寧な話し方をしているような気がするのか、はびこっていますよね。
私は「○○していただいてもよろしいですか?」という頼み方が嫌いです。絶対間違い!と言い切る自信がないのですけど、なんだか居心地の悪い表現だと思うのです。