井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

美しい日本語

2016年05月20日 | 日本語について

帰化なさった在日三世の方からコメントを非公開で頂戴して・・・・
その日本語の綺麗なことに心打たれたのですが、ご本人いわく
「日本語が世界で一番美しい」

と、思う心あればこそ、ご本人の言葉遣いが端正なのでしょう。

私は言語学者ではないし、他国の言語との比較も出来ないので
独断で言ってしまうしかないのですが、語彙の多彩さからだけから
見ても、日本語はおそらく世界有数の豊潤な言語であろうと思われます。

言葉を護ることは、文化を護り継承することであり、ひいては
国を護ることにつながります。「言葉は国の防波堤である」とは
すでに、誰かが言ったことかもしれません。

漢字を捨て去った韓国語と中国語の不自由さ、貧しさ。
中国では実は日本人が作った言葉を、たくさん使用しています。
普段使っている言葉が和製であることを知ったら、彼らも驚くでしょう。

歴史、民族、国家、宗教・・・・他多数。
民主化、現代化など「化」の使い方。独自性、人間性などの「性」。

その上に日本ではカタカナ表記で海外の言葉を取り入れ
日本語化して自在です。
近年随分壊れてきたとはいえ、美しいと同時に自由闊達な
言語です。

人は言葉を用いて思惟しますから、言葉の豊かさは思考や発想の
豊かさにも通じます。漢字の制限などして、交ぜ書きなど
醜い方向へ行くのは、思考を貧しくすることでもあります。

韓国語には同音異義語がやたら多いのです。漢字を交えれば
どれほど誤読から開放されるかと思うのですが。
中国では漢文を読めなくなっています。レ点などを駆使して
漢文を読みこなしてきた日本人のほうが今は孔子も
漢詩も読み解けます。
韓国語というより・・・・北も使っているので、朝鮮語というべきでしょうが、
昨今、ヘイトスピーチ禁止とやらヘタしたら「朝鮮」という言葉自体が
使いづらいのです。

そういえば、「バンキシャ!」に出演している時、かつて民主党が返還する必要もないのに返却を決めた「朝鮮王朝儀軌」、これを言おうとしてしかし文言に
「朝鮮」の一言が入っていることで、とっさに「韓国の古い文献」と
言ってしまったことがあります。過剰な用心なのですが、
こと韓国に対しては、テレビで喋る時はナーバスなまでに
気を使います。なんでこう、気を使わなければならないのか、
と思うこともありますが、迂闊に発言すると「徒党を組んでやられちゃう」ということが日本人には刷り込まれているのかもしれません。
現代ではそうでもないのかもしれませんが、
京都で関連を喋るときは、戸を締めた立ててからヒソヒソと
語るのだ、とそれを伝えてくれた人は高齢なので、これも現在は
解りません。

ここは日本の国だ!、と当たり前のことを叫びたくなることがあります。
あまりに気を使いすぎ、発言が窮屈で。


「ある3点」・・・・3つの分野に関しては、日本は言論の自由があるとはとてものことに言えません。お察しくださいとしか言えませんが。

某所のありようについて論評した対談を載せた雑誌、それを私も
読んでみましたが、ごく穏やかな内容。それでも、それを
面白からず思う者はいて、編集部に殴り込みをかけて来たそうで
困ったことだと思います。言葉は大切にしたいのです。その発信する
自由と共に。

言葉から話題が逸れましたが・・・・
先だって道を歩いておりましたら「ではお願いしますぅぅぅーーーーーー」
と語尾を最近長く伸ばす、あの喋り方が聞こえてきたので見ると、
スマホを手にして電話していたのは、白人です。
流暢な日本語でしたから、彼は何の迷いもなく彼の周辺で
日本人の同僚たちが「すぅぅぅーーーーーーーー」と語尾を
伸ばすのに倣っているにすぎません。

なぜ、こういう気色の悪い喋り方が行われるようになったのか、
原因を思いつかないのです。お願いしま「す」と、短く切っては
失礼だという如き感覚があるのでしょうか。あるいは、「す」で
歯切れよく終わると相手より先に電話を切ってしまいそうで、それを
避けるために伸ばしているのか?

あと以前から気になっているのが「~になります」という言い方。
「こちらが説明書になります」
「これが本日のメニューになります」
「消費税込みで300円になります」

なります? なんで? 「説明書です」「メニューです」ではなぜ、いけないのでしょう?

考えてもしょうがないのかもしれません。誰かが言い始め、誰かが
それに抵抗を感じぬまま、自然に増殖していった言葉なのでしょう。
よろず、日本語から切れの良さが失せつつあるようです。

セリフを書く人間としては、リアリティを重んじれば「すぅぅーーーーー」も
「なります」も時に書かねばならず、しかしなるべく書かないように心がけてはいます。日本は古来より詩歌に優れ、音感に敏感だったのですが、
いつの間にか言葉への感性が粗雑になっています。


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 (Naomi)
2016-05-20 12:45:08
初めまして。こちらには、興味深い話題が多くて、最近、よく読ませていただいています。

私が気になっている日本語に、「~と言っては嘘になりますが」というのがあります。「不安がないといえばうそになります。」「気にならないといえば、うそになります。」など、しっかりした感じの人でも結構使っているように思います。

「嘘」だと分かっていることをなぜあえて言うのか、「嘘」というマイナスイメージの言葉をあえて口にする必要はないのではないかと思い、いつも違和感を感じています。「不安もありますが」とか「気にならないわけではありませんが」でいいのではないでしょうか。

もう一つ、「~させていただきました。」というのも最近耳につきます。普段TVをほとんど見ないので、主にラジオからですが、「CDを出させていただきました。」「行かせていただきました。」などと多様しているのを聞くと、「だれがあなたにそれをさせてあげたの?」「誰に向かって話してるの?」と聞きたくなります。

自分の子供に対して「~してあげる」が変だと思う私は古いのかもしれませんが、丁寧な言葉を使おうと頑張りすぎて、おかしな日本語になっている面もありそうに思います。
Naomiさん (井沢満)
2016-05-20 15:19:46
嘘になる・・・はニュアンスは解りながらも
私は使わないし、セリフでも書かない表現の
一つです。もう半世紀、日本人は使い続け
定着してしまいましたが、私は使うのを拒否しています。

させて頂く、は日本人には「おかげ思想」・・・自力だけではない・・・
上手く行っても、天の助け、ご先祖様の加護、人様の強力により・・・・というニュアンスだろうと私は受け止めていて、こちらは使い方を著しく違えなければ、さして気になりません。

あと、店員を呼ぶのに「すみません」もやり玉に上がりますが、私は気になりません。
あなたの時間を取って、また手間をかけて恐縮です、という心持ちなので。相手も商売なんだから、というのは西欧的、といってまずければ中国的。といってまずければって・・・・w まあ日本的です。
Unknown (けいと)
2016-05-20 23:15:31
「○○になります」は、タモリさんがよくやり玉にあげていました。「○○にこれからなるなら、今は○○ではないんだな」と。 
なんとなく丁寧な話し方をしているような気がするのか、はびこっていますよね。

私は「○○していただいてもよろしいですか?」という頼み方が嫌いです。絶対間違い!と言い切る自信がないのですけど、なんだか居心地の悪い表現だと思うのです。