井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

国家論から糠味噌論まで

2014年03月31日 | ドラマ

コメント欄に国家論から糠味噌論まで書くブログ、と頂戴して
笑ったのだが、時にあやしいオカルトまで述べて
確かにごった煮ブログではある。

何を目的に営んでいるのかわからないのだが、文章の
訓練は兼ねている。ピアニストもバレリーナも
一日練習を休んだら退化するそうで、文章もたぶん
同じことだと思う。

オバマ大統領の仲介でというより、圧力で安倍さんが
朴槿恵大統領と会ったが、それで事態は何ともならず、
連日、韓国の(中国もだが)日本貶めニュースが入って来る。
見なきゃいいようなものだが、つい見てしまい心がざわつく。

真実を認めるにやぶさかではないが、捏造で日本人が貶められるのは困る。

韓国の三大産業でさえ、日本があるゆえに回っているという事実を
知らないのだろうか、といぶかしい。負っている部分が莫大なのに
ここまで叩けるか、と。それだけ、日本が甘く見られているということなのだが。
毅然とこわい国ならこうはいかない。日本が持つ特許を使わせないぞとか
精密機器は輸出しないぞということになれば、韓国の3大企業が
即座に立ち行かなくなる。

アメリカに対しては、米韓相互防衛条約Mutual Defense Treaty between the United States of America and the Republic of Koreaがあるので
韓国もおとなしいが、しかし日本もまた韓国に対して、国防の援護者である事実を
韓国国民は知らないのであろう。

1999年に成立した「周辺事態法」は、韓国が北朝鮮から攻め込まれた時、
米軍とともに、自衛隊が北朝鮮と戦うことを主目的に作られた法律であるらしい。

経済と国防と二つながらおぶさっている相手を、ここまで憎み叩くか・・・・。
それも従軍慰安婦などいもしなかった存在を理由にして。

敗戦以来の米による日本弱体化政策により、政府が対韓国に弱腰でしか
いられないことは、先に述べた。だから民間でやっていかねばならず、
私もこういうブログで細々とながら真実をのべているわけだが
しかし、政府として対応しなければやはり限度があるなあ、と
思い知った出来事があった。

東京にいる海外の特派員たちの多くが、中韓の言い立てる形での
従軍慰安婦を信じていると知った出来事である。

 

アメリカ、グレンデール市の慰安婦像の抗議に訪れた地方議員団の方々が
日本外国特派員協会に呼ばれてお話をなさったのだが、そこで
特派員たちから浴びせかけられたのは、日本への批判論であり、
要するに彼らは「強制の性奴隷」の存在を信じているわけだ。

記者である。調査はお手の物なのに、過去の慰安婦の実態は調べないのである。
そりゃそうだろう。他国の名誉がかかることを、日々の報道に追われている
彼らが親切に勉強してくれるはずもなく、要するに政府発表レベルでしか
彼らは判断しないのである。

私も慰安婦はずいぶん勉強して、発信して来たほうだと思うが、
無力感を味わうのはこういう時である。
日本国民が目覚めて立ち上がって欲しいと書いてきたが、しかし
最終的には政府レベルで対応するしかないのだ、と
思い知ったのが今回の、外国特派員協会での出来事である。

しょせん彼らも東京裁判史観の西洋人なのであった。

さて、民間対応で中韓のプロパガンダに対応出来ないとなると、どうするか。
意見発信をやめるわけにはいかないが、政府を突き上げるしかないだろう。
日本にいる特派員の知識と意識がこのレベルでは、彼らの本国へは
そのまま、発信されてしまうのである。

対応がいかにも半端である。河野談話否定から始めねばならないが、
アメリカの圧力があるので、短期間には行かない。
もどかしいが今の安倍政権の速度が限度であろう。

しかし安部総理も、半端に反省などするからことが混乱する。
当時の慰安婦を、現代の女性人権の観点から語るから、
ややこしくなるのである。きちんと立て分けないと。

売買春の是非を含めた女性の人権論と、強制の性奴隷がいなかった、
ということを、同じ土壌で語るべきではない。橋下市長もこれを
やらかして逆効果だった。

兵隊への性提供なら日本を責める韓国もやっている。
しかもそれを組織化したのは、朴槿恵大統領の父親である
朴正煕元大統領である。

日本人はつくづくディベート下手なこともあり、理屈理屈でかかってくる
西洋人に対していかにも語彙は少ないと思う。
訓練すべきであろう。「朝まで生テレビ!」に出演時の田母神氏にも
もどかしい思いをしたが、悪意でかかってくる議論に無防備すぎるのである。
ディベートなんて、手を使って殴り合わないだけで、喧嘩なのである。
格闘技にはスキルが要る。当たり前のことである。日本人は
言葉の喧嘩にもっと慣れ、訓練をするほうがいい。

想定問答集でも、作っておこうかと思うこともあるが、私の
問答集など目にも留まらぬだろうし、さてどうしたものか。

 

在京外国特派員たちの、(こと慰安婦に関する)誤解と偏見、無知ぶりに、いささか参っている。

安倍政権は中韓の日本貶め作戦に対して、遅ればせながら(本当に遅い、遅過ぎる)
『国際情報検討委員会』を置いたが、対象は中韓だけではなく、西欧圏の記者たちも
据えるべきであろう。

西欧流ディベートに対抗し得る能弁の議員を数名、政府から申し込んで
外国特派員協会に送り込めばよい。事態は急を要する。
特派員達の嘘情報が世界を席巻してしまうのだから、政府はもっと
本腰でやって欲しい。申し入れ送り込むべきだ。
自民党員に限定する必要もない。ろくでもないのも多い。
維新の会にも論客はいる。超党派で早急に、外国特派員協会に
送り込むべきだ。

民間でよけりゃ、私も腕まくりして喧嘩しに出かけても良いが、気が短いので
彼らを面罵して怒らせて事態をこじらせてしまわないか、それが心配である。

 

*追記

「周辺事態法」について述べたら、次の記事がアクセスナンバー1だということで
目についたので、貼っておく。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140329-00000012-ykf-soci

「日本は助けない」発言に韓国高官は絶句 朴大統領、反日外交のツケ回る

(要するに・・・・韓国に北朝鮮からの侵攻があっても、日本の腹一つで、
米軍すら援助に駆けつけられない、ということである)


長所と欠点

2014年03月30日 | 日記

一度書き上げた脚本に延々と手を入れ続けている。
見る人はにとっては、電波の波の一瞬に浮かんで消えるセリフなので
さほどこだわらなくても、というレベルの直しを延々と
やっている。

我ながら執拗である。粘着質でもある。こういう気質がストーカーに
なるのかもしれない。私はなりはしないが、それはプライドと理性があるからだが、
気質としては、まことにしつこい、と思う。

といえば、欠点なのだが、しかし脚本の向上を目指し、延々と直し続ける根気や
訴えたい政治上のことなど、倦まずたゆまず発信し続ける根気として
活かせば、即ち長所である。

概ね、長所と短所は背中合わせなのであり、教育というものは
基本的に短所を切り捨てることではなく、長所に変えるよう導くこと
なのではないか、と思っている。

私は、科目により出来不出来の激しい学生であり、いい科目は全国レベルで
トップクラス、反面悪いのは全校で下から数えたほうが早い、という秀才と
落ちこぼれを両面持つ子であった。だから両方の生徒の気持ちが判る。
脚本と小説を書くようになってみると、むしろありがたいことではある。

私がへしゃげずに来られたのは、その都度私のいい方の面に着目してくださる
先生が小中高といたからで、いまだにありがたいことに思っている。

今思うと、私の場合は「これが、なぜ自分に必要なのか」と納得しない科目は
頭からぶん投げてやらない、生意気な生徒でもあったと思う。
それは無論、浅薄な判断であり、数学などという当時の私からしてみれば、
不必要な学問も、実はすべて有機的に結びついているのであり、それぞれの
科目が単独で存在しているわけではない、と今なら理解できる。

日本史は大変点のいい科目であったが、内容を理解していたわけではない。
暗記は得意だったので、一夜づけてしのいでいただけで、身にはついていない。
今なら現代の事象、それから世界史と結びつけつつ学んだろうから、
もっと、実質的な勉強が出来たかと思うが、残念ながらそれに気づくほど
頭のいい子でもなかったのだろう。

あと、密かに思っていたことがあって、何かに突出したければ
他がバカであるくらいで、ちょうどいいので、まんべんなくできるという事は
即ち、何か抜きん出て鮮やかな才能は持ち得ないということと
同義ではないかと、そう思い込んでいた。一面正しいのかもしれない。

一面正しいが、しかし中高で教わる程度のこと、まんべんなく学習した
ほうがよかったなと、これも今ならそう思う。

脚本で数字や年代を書く箇所は必ずと言っていいほど計算違いするので
前もってスタッフにお願いしている。「数字、だめなんで必ず間違うから、
よろしく」と。実は慎重に計算して、今回は大丈夫だと渡した脚本に
「せんせー。計算違いですーーー」と言われるのが毎度で、そこで萎えて、なんで
間違えたのかの検証もせず、直して不始末は忘れたことにして、
次の脚本でまた間違えるのである。

言い訳すると、書いている最中に年齢、年代を計算しないとセリフが書けない
ことがあり、しかし、それを正確に計算していると
動き始めた「ドラマ脳」が停止するようで、どうもいい加減な計算で
済ませているような気がする。ドラマ脳と計算脳は相反するのかもしれない。
・・・・・・と勝手に、ほざいている。

「朝まで生テレビ!」で、安倍内閣の教育再生論をやっていて、ぼーっと
眺めていたきりなので、それなりのまとまった意見も出せぬけれど、
戦後の歴史教育が歪められてきたその理由について、ある論者が
「ステレオタイプ」と何度も侮蔑的に言い棄てていたが、いや、
事実は・・・・真実は一つきりで、それは解釈の相違という次元ではないので、
同じ内容のことがずーっと言い続けられるだけのことである。

ステレオタイプというなら、その論者こそがそうなので、もう長年政界に
いる人なので、思考法も発想もこちら知悉していて、何を次に言うのか
すべて予知出来て、表情や語彙まで察知、これをこそ紋切り型というのだよ、
と内心呟きながら見ていたのだが。

安倍内閣の教育改革に私は賛成である。

そう言えば文科省の下村大臣も出ていらして、この方の名刺が手元にあって
大臣になられる前、どこかで名刺交換したのだろうが、これがさっぱり
思い出さないのだ。
たぶん、政治に全く関心のない時にお目にかかっているのだろう。

下村大臣のお考えは、いたって温和で順当なもので、私は
安倍自民の教育改革の中身は知らないながら、賛成と書いたのは
そういう理由である。内容を精読しての賛成ではないので無責任なのだが。

しかし、道徳許育の本がきれいごとという論者がいるのには驚いた。
きれいごとでない道徳教育なんてあり得るのか。
誰も自らを顧みれば、道徳など教えられはしない。
世界に一人として、いはしない。

でも、「これを目指そうね」と問いかけるのが教育なんであって
「夫婦相和し」がなんで、文句のやり玉に上がるのか。

現実は、夫婦げんかあり、不倫あり、離婚ありでそれはそれでいいのだ。
「夫婦相和し」は目標設定レベルなのであって、ではそこに近づくには
どうしたらいいのだろう、と考えるのが教育なのだと思う。

それとこれは、かねがね私の持論だが現代に不倫はない。
なぜなら、不倫というほど倫理がないからだ。
昔は、不義密通はお手打ち、処刑。
文字通り、倫理に背く覚悟での恋であったから、それなりの
美意識があった。

現代は男女間の倫理がないのだから、不倫はない。

「夫婦相和し」などと教えこむとと離婚が悪いことと刷り込まれるなどと
おっしゃる論者もいらしたが、そんなことはない。避けたいと思いつつ
そこへ向かう人間の弱さを考えるのも道徳教育であろう。

そこから敷衍して、一夫一婦制がなぜ採用されているのか。
男はなぜ浮気に走りがちなのか、それには女性はどう対処すべきかとか
ディスカッション形式で授業をすればいい。
結論はひと色でなくてもいい。

印象的であったのは「いじめはなくならない」と言ったある方の一言で、
それはそうかもしれない。時代時代の病巣としての、いじめは
様相を異にしていて、昔は現代のそれほど過酷ではなかったが。

私は、「いじめは犯罪である」と規定して、罰則を相手が子供にかかわらず
課するのがいいのではないかと思う。現実どうその「犯罪」を実証するかなど
難しい問題は派生するが、一人の子を自殺に追い込むほどの
陰湿で過酷ないじめは、道徳教育ではなくならない。
端的に犯罪である、と規定してそれなりの縛りをかけることは
可能である。度を越したら少年院に放り込むべし。

いじめを含むあらゆる犯罪の原因は相手の痛みを思いやる「想像力の欠如」から
来るのであり、それには小説を読んで、じっくり考えるなどという迂遠な
学び方しかない。犯罪は、優しさという情緒の欠如でもあるので、情緒の
スイッチを押す如き教育があらまほしい。

私は、政治家になろうとも思わぬしその能力もないが、一つだけ
どうしてもやらねばならぬというなら、10年はまかせてもらえるという条件で
文科相である。幾つか考えていることもあり、なんでまた下村さんという
打ってつけのお話し相手にいったん接触していながら、逃したのだろうと
今になって思うが、その時は関心外だったのだから致し方ない。

今の子がすぐキレるのは、感情と思考を表現するだけの語彙を持たぬからだと
いう説があるが、私もそう思う。まずは国語力のアップから取り組みたい。

 

 


ぬか漬けと家と女と

2014年03月28日 | ドラマ

すでに書き上げたドラマ脚本の、細部をいまだ推敲している。

もうこれ以上ない、と思うまでいじっているのだが、しばらく
間を置き、見直すとまだある。

時にはシーン丸ごとカットすることさえ。

頭にまだドラマの世界が色濃く、登場人物たちが一人で動いたり
主張したりするので、お風呂に入っているときなど、その人物が
語りかけてきて、上がるもそこそこ、その人物のセリフに書き足したりしている。

語りかけてくる人物は、配役が決まっている場合はその俳優さんの
顔をしているが、その俳優さんそのものではない。
あくまでもドラマ世界における、誰それさんとして、主張して来るのである。

「ここは私、こういうことは言わないでしょ」
「言うとしても、こういう言い方はしないなぁ」
「えー、私ってこういう動きしませんよー」

と、賑やかなことである。

最終的に脚本をお渡しするまで、脳裏にあるドラマ世界は崩さぬよう
大事に保っていないと、そういう登場人物からの「語りかけ」が消えてしまうのである。

合間に政治的な情報を集めたり勉強したり発信したりしているが、
いまだ脳内のドラマ世界は堅牢なので、影響はない。

今回は演歌と、ぬか漬けが細部ながら、ポイントとして大事なので、「月の法善寺横丁」を
何度も何度も聴き、ぬか漬けを調べ、詳しい人に教わったり勉強中である。

家庭家庭で、ぬか漬けの方法論も、それからぬか床を休める期間もまちまちで
面白いことである。
ぬか漬けは、きゅうり半日、なす1日の勝負で、冷蔵庫のない時代は
3日間以上は、家を空けられなかったので、昔の女達の「家を守る」という
覚悟の証だったのかなあ、などと思いを馳せている。

いまだぬか漬けをなさっている方がいらしたら、ぜひお宅の流儀を
聞かせて頂きたいのである。
中には祖母・母の代から受け継いで100年のぬか床などあるだろう。
3ヶ月ごとに新たに投入する唐辛子も、いつの間にか糠に溶け込み
また、かき回す手によりけりでぬか床の風合いも異なるのであろう。
ビニール手袋などしないほうがいい気がする。
体温が大事なような。寿司を握るには女の手は温かすぎるというが
糠味噌をかき回すには男の手ではなく、女の手だろう。

私が間接的に知る80歳ぐらいの方は、ぬか床の上の水を
吸い取るのに、ペーパータオルではなく、さらしを使っていらっしゃる。
これも何となく、だがそちらのほうがいい気がする。
ぬか床は生き物なので、それなりの敬意を払いたい。

ドラマの中で、演歌とぬか漬けがいかに生きてくるか、楽しみに
お待ちいただきたい。


食糧危機と移民政策

2014年03月26日 | 歴史・政治

テレビをぼーっと見ていたら、地球の温暖化に関する番組で、
さほど身を入れて見ていたわけではないので、詳細は
掴んでいないが、世紀末には食糧危機が訪れるという
試算。

科学者ではないのでわからぬが、いずれ来るべき食糧危機は
ずいぶん前から言われている。
先のことで、今30歳以上の人は概ね生きていないだろうが、
子や孫の代に、もし来るとすれば来るわけである。

人類は工夫で苦難を乗り切ってきたが、乗り切れない危機もあった。
何度か絶滅したことがある、という説もある。

政府は今早急に移民政策を実施することはないと言っているが
「1千万人移民受け入れ」は、自民党のみならず、民主党も
熱心に言っていた。私は自発の主張ではなく、言わされている、と
思っていることは、先の稿で述べた。大国の圧力と恫喝、そして利権がらみ
であろうかと想像している。

ただし、移民政策を行った国の混乱と失敗を政府は踏まえていないわけがないだろうに、
ということが前提の他者からの押し付けではないかという推論なので、こちらが
期待するほど政府が賢明でないなら、自発論なのかもしれない。
しかし、そこまで愚かか?
1千万人も外国人を住まわせて、無事に済むと思うほど頭が悪いか?

中華人民共和国には一人っ子政策により、戸籍を持たぬ子たち=黒孩子(ヘイハイズ)がいることは、先稿で述べた。その子(相当数が成人している)たちに、中共が戸籍を与えた上で日本を棄てどころとして一気に放出すれば、助かるのである。
しかも彼らは円を稼ぎ、中国に送金する。

黒孩子の数は、正確にはつかめず1億人に達するとも言われているが、
公式には約1300万人と言われている。
日本の民主・自民党共に主張している「1千万人移民受け入れ構想」とも
符合はする。

中国からの圧力(もあるの)ではないかと想像する所以である。
中国派の議員たちが自民党にもいる。利権が絡む可能性もあろう。

さしあたって政府の案は、1年間に20万人の移民導入である。
これに「留学生の大量受け入れ」が加わるから、実質
20万人以上の、主に中国、プラス韓国人その他がどっと
入って来るわけであるが、そのことの危険性も先稿で触れた。

犯罪率の増加、風俗習慣の違いからくる日本人との軋轢と数々デメリットがあるが、
中国側は余剰人口というより、「いないことになっている」幽霊人口の整理、
そしてそれらが本国に送金して来る円の額を思えば、いいことづくめなのである。

何か不審の点がある時は、常にそれにより、誰が得をするのかを考えれば良い。
WinWinの場合もあるが、移民に関してはどうやら日本側のメリットが極度に少ない。

*Wiki より

黒孩子孩子, hēi hái zi, ヘイハイツ、ヘイハイズ)または黒子子, hēi zi, ヘイツ)とは、中華人民共和国において、一人っ子政策に反して生まれたために戸籍を持つことができない子供のことである[1]

この言葉におけるは「」という意味で、これは政府の視点による言葉である[2]。その数は数千万から数億人と言われており、実数ははっきりしていない。2010年に中国国家統計局が行った人口調査では、戸籍を持たない人の数が総人口のおよそ1%にあたる約1300万人に及び、その大半が黒孩子だとみられている[3]。黒孩子は戸籍上は存在しないため、国民として認められておらず、学校教育や医療などの行政サービスを受けることができないといった状況にある。

背景には一人っ子政策における賞罰の明確性が挙げられる。一人っ子の時には様々な恩恵が得られるのに対し、二人以上の子どもを持つと「両親ともに昇級・昇進の停止」、「学校への優先入学権の剥奪」、「各種手当ての停止」などの極めて大きな待遇の差が生じる。こうした不利益を避けるために、二人目以降の子供の出生登録をしないという事態が起こっている[4]。特に、労働力を必要とする西部の農村地域ではその傾向が強いと考えられている。農村では一人っ子政策実施以降、男子の誕生を願う傾向が強化され、胎児が女子であることが分かると中絶することも多く、人口統計でも男子の誕生割合が他国に比して極めて高いという結果となって現われている。

 転載ここまで』

*日本は少子高齢化によって、今後人口減少が加速し、国の研究所によると、西暦2060年には人口が今より4000万人減って、およそ8700万人にまで減少すると試算されている。

 

本稿は食糧危機の見地からの反対論である。
日本は気候も温暖で、土地も肥沃。その気になれば自給自足が
成り立つ国なのである。
何を好き好んで、食い扶持の必要な人口を増やすのか?
困った人を助けるのは必要だが、まず自らが食えてからのことではないか。

食糧危機の他に、水飢饉も言われて久しい。
日本は水を輸入する必要もない。だが、飲み水をいずれ輸入しなければ
ならない国だってあるのだ。

土地と水資源を安易に外国に売り渡してはならないが、呆れたことに
日本は自由に外国人が土地を所有出来る。

一度売ったら、そこは日本ではなくなるのだ。もう戻っては来ない。
建物の目的の割には、不必要に広大な土地を買われてしまった市もあるが、地方自治体としての危機感がまことに薄い。
いったん、有事になった際の地勢上の問題点を指摘しても、
国際化の人間が、きょとんとしているのである。
いざ侵略された時、そこが基地になる想像力も持ちあわせていないのである。
武器をどれだけ貯蔵しても、もしそこが大使館の敷地であれば、治外法権であり、
何をされても判らず、文句も言えないというのに。

事実、阪神淡路の時には崩壊した某国の建物から、武器がザラザラ出て来たではないか。

さらに・・・・

中国には「国防動員法」がある。中国有事となった時、海外にいる中国人が
いっせいに、人民軍兵士として蜂起する法律である。

移民政策は、毎年わざわざ、(潜在的)人民軍兵士を日本国内に導き入れるに
等しい。留学生に至っては、国費でそれが行われるのである。
さなきだに、日本に住む中国人は年々増え続けている。
一定年令に達した中国人は皆、兵士予備軍なのである。

こういうことを語ってもピンと来ない人たちがいるのだが、
そしてそれは地方自治体の国際課の職員ですらそうなのだが、
チベットへの中国の圧政に抗議して行われた聖火リレー妨害に対して
長野に集結した中国人留学生たちが、国家の一声でいかに集結、
五星紅旗を振りたて、暴虐を振るったかあの現実を見るがいい。

あの、数十倍規模の蜂起が日本でなされるのが、中国の「国防動員法」なのである。

日本の人口が減っているのも、来るべき食糧不足を見越しての天の摂理かも知れぬ。
強引に「質の違う」国民を大量に自国に引き入れ、治安と風俗の混乱を呼び込みつつ、
自らの食い扶持を減らすごとき政策は、長期視野で観れば自らの首を締める
ことであろうかと思われる。

政府は、移民受け入れ国が軒並み政策に失敗、混乱をきたし
国を疲弊させていること知っているだろうに。
それを知らぬほどに愚かとも思えぬので、私は何らかの圧力をかけられての
移民受け入れ政策なのではないかと、疑っているわけである。

少なくとも政府は人口の減少率と並んで、食料が2060年時点でどのような
状態にあるかシミュレーションをして欲しいのである。
ひょっとしたら、人口を少なく国をスリムにしておくことのほうが正解かもしれぬのだ。

あと、起こりうる「万一」は朝鮮半島有事における、大量の難民の押し寄せである。
これに対してどうするか、政府は具体的対処法を考えているのだろうか。
済州島の粛清、朝鮮戦争での困窮から避難民があの当時、相当日本に
押し寄せたという歴史的事実がある。

移民よりある面では喫緊の、こちらをまずシミュレーションしておいて欲しいのである。

いつだったかStar and Stripes(星条旗)紙の記事で、半島有事の際の米軍高官避難ルーツに日本が上げられているのを読んだことがある。それは日米同盟があるのでいいとして、しかしその際、韓国の軍部の高官も同じく日本に退避と書かれてあり、日本人が知らされぬまま、何を勝手なことをと思った記憶がある。
アメリカは、「占領国」日本にお伺いを立てることもないという感覚なのかもしれない。

いざ危機が迫れば朴槿恵大統領の避難先も日本に想定されているのかもしれぬ。

オランダでの朴槿恵大統領の相変わらずの日本への悪口三昧、そして安部総理へ
写真撮影の時だけは微笑を浮かべたが、後は目も合わせぬ無表情を見ると、
割り切れない思いを抱く日本人も多いかもしれない。

とりあえず、オリンピックを理由に建設業界に外国人大量導入がなされるであろう。
それは、あるいは必要な措置なのかもしれないが、それを皮切りに、一種の
めくらましとして移民の必要論に持って行き、国民の
判断をまたず、移民大量受け入れ路線へと国が走らぬか、そこに
注意していたほうがいい。

 


家畜としての日本人

2014年03月25日 | 歴史・政治

昼食をとりに外出、うららかな道を歩いてきた。

春の気配が濃いこんな日に、政治の話も無粋だが私ごとき素人の
政治談義を楽しみに待つ奇特な方々も少数いるらしく、思わぬところで
お声がけいただく。

というわけで、本日もつたなき一席を。

 

日米同盟の存在があり、それに対して日本人が期待するのは、中国の尖閣・沖縄侵略を防ぐことであり、そのために米国も中国とは敵対構造がいまだにあるように錯覚している人も多いかと思うが、そうではない。

 

国連は、戦勝国側が「戦勝国利権」のために作り上げた組織であり、日本を利する存在ではない。これは知っている人のほうが多いだろう。

 

この国連で、戦勝国利権で日本に対して利害を共にするのがアメリカと中国であることは、腹に据えて置いたほうが良い。

 

日米同盟はあの、病的なほどにも愚かしい鳩山由紀夫氏が嘴を突っ込んで、つつきまわして以来、脆弱化の一途を辿っている。それはあながち鳩山氏のせいだけではなく、アジア情勢の変化によるパワーバランスの変質によるものかもしれない。

 

そんな折、ミシェル・オバマ夫人が中国を一週間の予定で訪れていて、

記憶に誤りがなければ、今日あたりが最終日のはず。

同盟国である日本や韓国を差し置いて、娘二人と母親まで引き連れての、

ご家族親善旅行である。

 

もともと、オバマ大統領の片親違いの弟の連れ合いが中国人で、その弟は人民解放軍OBの援助を受け、中国各地に10店舗以上の焼肉店を経営、また妹も中国人(カナダ籍)と結婚しているというふうで、家系的にも中国とは密なのである。

 

尖閣や沖縄が、果たして日米同盟の存在故に万全か、というとオバマ故にということでは必ずしもないのだが、情勢の変化でかつての堅牢さは失せたように思う。流れによっては、今後ますます日米同盟が日本の国を守ってくれる確率は低くなって行く。

 

もともと、日米同盟も幻想の部分があって、日本国民が思い込んで来たほど、盤石ではない。石原慎太郎氏や田母神俊雄氏などは、前々からそれを指摘して来て、アメリカが自国を核の犠牲にしてまで、守ってはくれぬ、自らの国は自らで守れと。

 

 

言われるまでもなく理の当然であるが、日本人の多くは国防に関しては異常に緩く、「気分で」「何となく」大丈夫。平和憲法を護持して、反戦詩を読み、不戦の誓いを毎年終戦記念日や原爆記念日に唱えていれば永遠の平和が保てるように思い込んでいるようだが、錯覚である。

 

先稿では、中国と韓国の反日の背後でいかに、アメリカが糸を引いているかを書いたが、オバマ政権が末期に近づくに連れその構造が明らかになって来たと思う。気づく日本人も幾らかは増えて来ているのではないか。

 

国連にはいまだ日本を敵国扱いする「敵国条項」があることを知っている人は多いと思うが、条項があるだけではなく、実のところ現実にいまだ敵として扱われていることに対しては、疎い人も多いように見受ける。

 

そこそこ日本が豊かで、労働力とお金を搾取され続けていることに気づきにくいからかもしれないが、基地と国連、渋谷にある国連大学から、日本はこれでもかというくらいに、お金を吸い上げられている。吸い上げられる先は、アメリカ、中国、韓国、そして他の途上国である。

 

国力に比して日本人の暮らしは貧しい。これは、もはや自覚したほうがいい。国民年金で生きてもいけぬのに、消費税は上がり、その一方でアメリカ、中国、韓国、他へ貢ぎ続けているのである。

 

戦後70年間アメリカが巧妙に作り上げてきた日本人使役と、搾取の構造である。日本は先の大戦で、白人の有色人種搾取である植民地化からアジアを開放したが、その代償に自らが植民地にされてしまい、現在に至る。

 

このままでは日本人は、かつて白人たちが有色人種を動物のように使役したとおなじ扱いを受け続け、永遠の家畜であろう。家畜は飼われていることを自覚しない。大戦以降、飼うほうは露骨には表わさなくなった。

 

安倍さんはその立場故に、明確な表明は出来ないでいるが、戦後レジウムからの脱却とは、畢竟中韓米の日本人飼育の檻からの脱出ではなかろうか、と最近の私は考えている。

 

家畜であることを自覚しない人も多い。餌はほどほどに与えられ、家畜には家畜の安逸があるのだから。

安全もいちおう飼い主が守るが、我が身が危険とあれば家畜は打ち捨てられる。

 

政府は、移民と留学生の大量受け入れ政策など、自国の首を締め上げるごとき政策を実現しようとしているが、これは民主党政権の時も同じくであった。

少子化が、本当の理由ではないと思う。移民を大量受け入れした国々の疲弊と混乱、窮乏を政府が知らぬ訳もない。

 

おそらく、中国とアメリカの圧力であろうと私は思っている。

中国の余剰人口の捨場として日本は打ってつけなのだ。

余剰人口とは、「黒孩子」(ヘイハイズ)を含む。黒孩子とは

一人っ子政策により、それ以降誕生した子たちは「生まれていない者」として、

戸籍も与えられていない、子どもたちのことであり、それらが上は

もう、計算を正確にはしていないが30歳以上になりつつあるのではないか。

 

片や人工余剰の国、片や少子化に悩む国。構図としては誠にきれいな計算で、過剰から欠乏へと、流し込めば双方バンザイだが、しかし現実はそうは行かぬ。

 

自民党が今計画しているところによると、1年間に20万人の移民受け入れ、最終的に1千万人を受け入れるという。加えて大量の留学生受け入れ。
日本は壊れる。

黒孩子の正確な人数は中共も把握はしていないだろうが、1千万人も日本が引き受ければ
相当「はける」上に、彼らは円をせっせと本国に送金して、それが1千万人分まとまれば、相当な金額。

 

ありていに言えは、移民として来る人たちにさして優秀な人材がいるわけもなく、

また潜在的犯罪者へのチェック機能もない。民度も文化度も風習も異なる。
治安も地域の秩序も乱れる。
また白人国からさほど来るわけでもなく、現状と同じく中国が圧倒的で、次に韓国、そしてわずかに他の国々であろう。

彼らの多くは狭い部屋に大勢で暮らし、本国へ送金するであろうから日本国がさして潤うわけでもなく、また一族郎党を呼び寄せる習性があるので、入れたらもうそこでおしまいである。

 

自民民主共に目論む一千万人の移民受け入れ構想が果たして、自発的なものなのか、背後に何かあるのではないか、と目を凝らしていたい。

 

軍事力を増し、自給率を年々増やして、少人数でも品のいい文化度の高い国家を営むのは可能である。中韓米他に吸い上げられる構造から脱すれば、さほど貧窮するわけでもない。
むしろ思いもかけない豊かさが日本人を待っている。
もともと日本の人口は数千万でそれなりに豊かに暮らして来た。戦後の困窮期以外は。

 

現実に今地域で起こっている外国人と日本人との軋轢を観れば、今の10倍、20倍のトラブルを将来招くと思っていればいい。

犯罪率も上がるし、皆が知っているように外国人の犯罪の手口は残虐なことが多い。
朝日新聞とNHKが日本名、いわゆる通名でしか報道しないので多くの極悪犯罪の犯人が日本人だと思われているが「外国人」であるケースが非常に多い。

日本人から強制的にお金を徴収して成り立っている公共放送がNHKなのに、日本人に

濡れ衣着せてどういう気だ。

 

少子化対策を移民で補うべきではない。

中国や韓国に上納するわけわからぬお金をカットしたら、働く母親のための24時間可能な育児施設が国営で安く運営できる。

 

それでも人口が増えねばそれはそれでいいではないか。
自給率を日々高めれば、日本は食うに困る国ではない。水も清浄で豊富。
軍隊を自立させ、できれば核を保持し(核兵器は使われない兵器と言われている。要するに防衛の護符なのである)、人口は少ないが幸せで、品のいい文化度の高い国になればよい。米中韓他に排出させられているお金がなくなるだけでも、相当日本は豊かになれるのではないか。