井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

アズムンに謝罪なし

2019年01月31日 | 日記

報道では、あたかも柴崎岳の顔を殴ったサルダン・アズムンが
即、日本と御本人に謝罪したかのような和訳が流れているとされ、
しかし、アズムンがツイッターで流したのは母国語であるアラビア語で
書かれていて、幼い絵文字の連打。

⇒アズムンはアラビア語ではない、とご指摘を受けました。アズムンはイラン人で、イランの国語はペルシャ語だそうです。

「親愛なるサポーターの皆さん」で短文は始まり、当然それ以降の
文言は自国ファンに対してである。

「最後まで支えてくれてありがとうございました」
という丁寧な訳も、親切すぎるのではないかと幼稚な絵文字との
アンバランスから、それを感じる。

極めつけが「僕は自分を恥ずかしく思っています。申し訳ございません」

で、これを報道ではあたかも日本選手に行った暴行を恥じているふうに伝えて
いるが、そもそも「主語」がどこにあるのだろう?
彼が恥じているのは、試合に負けて顔向け出来ない、ということ
だけではないのか。

「申し訳ございません」という和訳も、あの絵文字の羅列を見れば、
この翻訳が正確であるとは思えないのだ。申し訳ございません、という
和訳では丁重過ぎると想像されるその謝罪の相手は、自国の
サポーターに対してのみである。

和訳の「親切さ」にもまた、相手が日本人と同じモラルへの
感性を持ち合わせているというお人好しな思い込みから来る
一種の「誤訳」ではなかろうかと思うのだ。

そして、大迫のインスタグラムはアラビア語による?罵詈讒謗の書き込みがひしめいて、休止の憂き目に遭っている。

アズムンの日本チームへの謝罪が真摯にあれば、これも
なかったのではないか。

どこが、どこに要求すればいいのか知らぬが、アズムンに対しては
被害にあった日本人選手へ向けての公式の謝罪を要求、
けじめをつけなければ世界サッカー全体のモラルにも関わることではないのか。

念の為、イラン人たちの書き込みを和訳でざっと眺めてみたが、
日本のほうがイランより強い、いやイランが上だ、負けてみっともないと言う文言が
ひしめいているが、顔を張り倒したり足を踏みつけたことへの
恥知らずを指摘する声は今のところ、見かけていない。

そして韓国。イランの暴力行為を恥を知れと強く非難しているのだが、
この機会に自らのチームが行って来た数々の蛮行を顧みる
書き込みは極度に少なかった


中国舞踊を観に出かけた

2019年01月30日 | 日記

ニューヨークに本拠地を置く、中国の舞踊団の公演を
見に出かけた。
チケットを予約したのが、昨年の11月頃であったか
それでも良席はもう残っていず、ステージからは遠い席だった。
それでオペラグラスを持参せねばと探したのだが、
これが見当たらない。

普段遣いのメガネさえちょいちょい見失う私だから
まして1年に1回使うか使わないかのオペラグラスなど
あるわけもない。

しかし、オペラグラスを使ってまで見入るほどの
舞台ではなかった。中国の人々の身体能力が
際立っていて、だから舞踊も、と多大の期待を持って
出かけたのだが、なんと言おうかマスゲームみたいなもので、
残念ながらアートではなかった。東洋のエキゾチシズムを
喜ぶ白人圏では喜ばれるのかもしれない。
東洋的な振り付けも単一で、まず当初、
これは期待はずれかなあ、と思ったのが衣装。
化繊じみてヘロヘロしたもので、色彩がチマチョゴリに
よく見られるあのてのけばけばしさで深みがないのだ。

歌舞伎の衣装と比べる気難しい観客もそういないだろうが。
それに化繊っぽい衣装は、回転して踊るときによく
翻りはする。それにしても、日本が古代より持つ色彩に対する
感性が現代にも生きているのかどうか、こころもとない。
フレディ・マーキュリーは日本の着物も愛好していたようだが、
どうぞ本物に巡り合っていて欲しいと思う。
美的感性の卓越した人なので、たぶん大丈夫だろうと思うが・・・
そう言えば歌舞伎の衣装を身にまとった写真を見たような気がする。

息を詰め身を乗り出すたぐいのステージではなかったが、
それでも感心したのは、背景をデジタル画像にして画面の中の
登場人物が、ステージのリアルな踊り手にすり替わる
タイミングが絶妙で、あたかもスクリーンから
抜け出し、またスクリーン内に戻って行くかのようだった。
これはかなりの技術。それとオーケストラボックスに
本物が入っているのが。めっけものだった。

なんでだか、中国舞踊のチケットをまた
予約してある。『覇王別姫』(映画のそれではない)という
中国では習近平氏も心酔しているという女性ダンサーの
振り付けと演出による舞台であり、こちらには芸術性を
期待できそうな気がする。良席を押さえられたが
それでも端っこである。

帰りにロビーで黒柳徹子さんをお見かけして、『徹子の部屋』の
ある女優さんの回で私を話題に取り上げてくださったことがあり、
御本人にも二度ほどお会いしている。ご挨拶したほうが
いいかなあ、と思いつつ歩行器を使っていらっしゃり
お迎えの車に急いでいらしたようなので、遠慮した。
画面で拝見するよりお若く、しかしそれよりも歩行器に
頼りながらこういう公演を観にいらっしゃる好奇心が
素敵である。

公演の間に、白洲迅くんからメールが入っていて
しばらく地方に行っているが帰京したら
ご飯と飲みをやりましょうということになっている。
とりあえずジンジンと2人で日時を決め、それから「明日の君」の
役者さんたちに声をかけ、たまたま来られる人に来てもらおうか、
と思っている。それぞれがもう別の映画やドラマ、舞台に
散り散りになっているので、皆一緒には無理であろう。


笑いのち、怒り

2019年01月29日 | 映画

ヘビーなことを書き続けたので、閑話休題。

若い友人が、「とんでもなくぶっ飛んで面白いコミックを
読みふけりました」と言う。

『Back Street Girls』というコミックで、組長が
組員3人に指を詰めさせる代わりに、タイで性転換をさせ
アイドルとして売出し、大人気を得るというなんと
マッドな発想(褒め言葉である)の漫画家がいるのだろう。

「それ、オチはきっと組長自身も性転換ってことだよね」と
訊いたら、そのとおりだった。

「映画にしたら、面白そうだね」と言ったら
「映画化されています」と、そのサイトをスマホで
開いて見せてくれた。

『Back Street Girls -ゴクドルズ-』というタイトルで
『ゴクドルズ』というネーミングも上手いし、下品だと
お叱りを受けるかもしれないが、「壮絶にチン◯が消える」
「オレたちのチン◯を返せ!!」という惹句にも噴いた。

誰が出るのだろうと、配役を見てびっくりした。白洲迅くんの
名がトップにあるではないか。

白洲くんに早速メールしたのは、いうまでもない。
「ジンジン、女になるんだって!?」

すると「女になるまでの男役ですよー」と
返事が来た。「見てもらえたら嬉しいです!」

なんだ・・・・ジンジンの女役ではなかったのか、
と思ったが、映画は面白そうなので見る。
仕事で長く組んで御本人も存じ上げている岩城滉一さんが
組長なのだそうで、これにもウケたがもちろん転換前の
男までの出演であろう。生前ブログを通じてやりとりのあった
大杉漣さんも出演なさっているようだ。(ちなみに大杉さんにご出演
いただいた、私が原作とシナリオを書いた
『つま恋』の一部使用許可願いがNHKから来た。
アーカイブで放送とのことだった)

それにしても高倉健さんや富司純子さん、私的にも
お付き合いのある岩下志麻さんの東映極道ものの
何という変遷であろう。

東映極道の全盛期の頃、私は豪州で暮らしていて
それを知らず、帰国してうんと年数が経ってから
友人である三田佳子さんが出ている健さん映画を
皮切りに何本か見て、日本の男の美学に遅ればせながら
しびれたのであった。

健さん、今の韓国に乗り込んでくれないものか。・・・・と、
おっと話がまた剣呑な峠に差し掛かる。
ここらで。また。

と、締めようとしたのだが今朝のテレビで血が逆流したことが2つ。
まず、アジアカップにおける対イラン戦、相手選手のラフプレーの
汚さ、果ては日本人選手の頬を平手打ち。
「世界は汚い」、全部が日本人みたいなのではないぞ、と
改めて気を引き締めたことだった。こっちは日本の圧勝だったから、まだ
気持ちの納めどころがあるが、不快極まりなかったのが
厚生労働省の定塚由美子官房長である。

まず省の建物から出て来る時、報道カメラの羅列を意識、
作り笑顔のまま現れ、笑ってる場合か、と怒鳴りたかった。
取材を受ける間も、あれご本人は「感じ良い」微笑のつもりなのか、
うす気味の悪いニタニタ、というより笑っていてはいけない
場面ではないのか、省のトップ2という本来調べられる側に
いる人間が聞き取りと称して、第三者委員会が仕切るべき
場に居座っていたという恥知らずをやらかした直後のことなのに、
反省の欠片もない。恥を知るという言葉もこの方はきっと知らない。
天下り先を含めた人事権を握る幹部の前で、どの職員が
本当のことを言うものか。要は「まずいこと言うんじゃないよ」
という恫喝女。

この方の「笑顔仮面」をはぎとれば、睨みをきかせた
嫌ぁな素顔が容易に垣間見えるだけに、本当に朝から
気色の悪いものを見てしまった。

明るく終わるつもりが、結局これか・・・・相すまない。


大坂なおみ選手は日本人なのか、とわざわざ書く韓国紙

2019年01月28日 | 日記

 

「大坂なおみ選手が日本人なのか」とぶち上げたのが韓国最大の新聞社である中央日報である。いわく肌の色が、日本語が。

腹は立たない。言うだろうと思っていたからだが、
常に日本を羨望と嫉妬、ひがみの上目遣いでうかがい、
すきがあれば因縁をつけてこられるそのことに、
ほとほと飽きた。

テニスプレーヤーとして支援の点で日本のほうがよいから
大坂選手は日本国籍を選んだ。だから日本人だ。
現住所は祖父母のいる北海道の根室市。それだけのことである。
それを韓国最大手の新聞が「日本人初の世界女王ではなく、
アジア国籍で初の」と言うべきだと主張するのである。
「大坂は米国が育てた」とも。
しかも、いやらしいのは「日本の中にもそういう発言をする
人がいる」と書き添える点である。

日本人の中にも奇怪な思考の人も確かに、まれにいないではないが。

大坂選手凄い⇒日本人凄い⇒だから俺は凄い

となりはしないかという意味のことを書いた人がいて、その奇抜な
発想に呆れたのだが、書いた人はひょっとして自らの裡に
そのての思考を持つ人ではないのか。
私など発想だにしないし、この天才を称えるが同一視して
誇ることなど、ない。大方の日本人がそうであろう。

第一、大坂選手は米国籍と日本籍のどちらを選ぶか、近いうち
選択の時を迎える。

日本を選んでくれたら大いに歓迎で嬉しいが、米国籍を
選んだからといって、それはそれで、よい。
それで才能を更に大きく花開かせてくれるなら、世界の
宝であろう。
韓国の発想だと、世話になった国を捨て去って
この裏切り者というごときことになるのだろう。

おー、いやだ、いやだ。というのが素朴な感想である。

末尾に口直しに・・・・

大谷翔平くんの新人王はめでたく、会見も素敵だった。英語のカンペを
ネタに、最後に笑いを取るしなやかさも見事。日本の政治家は
見習うとよい。大谷選手の直(なお)く品のいい物腰は
天賦のものだとしても、スピーチの要諦は学んで欲しい。


韓国の「論点逸らし」に踊らされぬよう

2019年01月27日 | 歴史・政治

コメント欄に、北朝鮮船が単なる漁船ではなく
通信機器を備えた工作船でである、という
専門家のご意見の紹介を頂き、そこへ
回答しようかと思ったのだが、記事でお答えするほうが
多くの人々と情報共有出来るので、こちらに記すことにした。

単なる漁船ではないだろうことは、前々から指摘しているので
そう指摘する根拠は繰り返さないが、今回の問題で重要なのは
レーダー照射のあったなかった、低空飛行だったか、なかったか
ではない。それらは問題の焦点ではない。
日本がどんな具体的証拠を突きつけようと、韓国には
口が裂けても答えられない事情がある。

能登半島が目と鼻の先の日本のEZZ内で、

「大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が、こっそり何をしていたのか」

と、疑惑はこれに尽きる。

これを日本は執拗に韓国と世界に向けて問い続けて
行くべきだ。問題点を単純明確化するために、敢えて国対国として
書いた。意図あるところは汲み取って頂けると思う。
「日本の排他的水域内で、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は、こっそり何をしていたのか」
日本の哨戒機に見つかり、逆上して火器管制レーダーを当てるごとき
一体、どんな世界にばれて欲しくない、いかがわしいことを
行っていたのか。レーダーに関しては答えられないので、
そこはもういい、「何をしていたのか」が質問のコアである。

北朝鮮の難破船の救護をしていた、とあちらは返して来るだろうが、
それならなぜ単なる民間の漂流船に対して、韓国海洋警察、韓国海軍と
管轄の異なる艦艇が二隻も出ていたのか、と追い込みたい。

北朝鮮の日本への漂着船の数は忘れたが、年間おびただしくある。
もし韓国が単なる北の木船に、海軍と海洋警察双方で救護活動する
手厚い態勢にあるなら、こうも日本に漂着船があるわけがない。

まず、韓国が「人道的」救援活動を行っていたと相変わらず
言い張るなら、韓国は北の漂流船に対して常時、海洋警察に
加えて海軍まで出動する体制にあるのか、と問いかけたい。

そうでないなら、今回なぜかくもものものしい「人道救助」が
超例外的に行われたのか、とそれを問い続けたい。この一件を、なるべく
風化させないために。風化を遅らせるために。