井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「詰んだ」韓国。ーー徴用工ーー

2018年10月31日 | 歴史・政治

せっかく爽やかな晩秋、久々に、神代文字など浮世離れしたことを
書こうかと思いつつ、しかしながらやはり
私たちの脳裏に今、最も食い込んでいることの
一つが韓国の最高裁が出した、徴用工たちへの
賠償問題であろう。

もはや、さまざまそれ自体への文章はあちこちに
書かれているので省くとして、韓国という国の
特異性に、改めて驚愕した日本人もいるのではないか。

日本人と韓国人は似ているようで画然と違う。それを
心得ているのは、おそらく日本人だけではないか。

DNAも私が得た情報に間違いがなければ異なっているのだが
その精神の仕組みが根っこから異なる。

という以前に、世界の共通常識から著しく
逸脱している、その心理がどうにも判りかねる。
道理が言葉が通じぬ。
竹島、慰安婦、歴史認識、戦後保障、旭日旗問題、
と積み重なってこのたびの「徴用工」。
言葉の通じぬ相手に
外交は、はなから無理であろう。

それを政府も(外務省さえ)、国民もしたたか思い知ったのが
徴用工訴訟である。

日本はついに、見捨てるに到る。韓国はお人好し日本を相手に
やり過ぎたのだ。「詰んだ」はネットスラングで、
負けが見えた、終わりが近づいた、という意味だが
韓国は「詰んだ」。(付記 語源は将棋である。⇒「詰み」)

韓国の人々の心根の不可解さには、韓国という
国の歴史が関係しているのではないか、と愚考する。

日韓通貨スワップを含め、これまで日本は
複数回、韓国を窮地から救い出している。
日韓併合とて本質は救出の要素を含む。
韓国が誇る「漢江の軌跡」も所詮日本から得た
国家予算の2倍にも相当する金銭と、日本が
韓国に残してきた知識、技術、インフラ、病院、
学校などが礎となっての、近代化である。

それを認めたくないのが韓国の人々であり、
あたかも自主独立で今まで来たようなことを
言い立てるのだが、ありようは中国の千年属国で
あった。

加えて500年余に及ぶ、李氏朝鮮の暴虐的な
施政。

それらが、韓国の人々の心を複雑骨折させてしまったのではないか。
虐待の中で育った子が、その健全な心の育成を
妨げられ、時としてねじ曲がった心を持つように。

韓国が独立国であったのは、戦後のたかだか
73年間に過ぎない。彼らが勝ち取ったものではなく、
日本の敗戦で、自動的に転がり込んできた独立である。

韓国の教科書に書かれているのは、その真逆であり
子供たちは優れた韓国の文化や技術を、日本に
教えてやったと刷り込まれ、そして大人になる。

ちなみに「朝鮮」という国号は、冊封体制にあった清から下賜された。

歴史を忘れた国に未来はない、と韓国は日本を
責めるのだが、忘れているのは韓国のほうであり
忘れるばかりではなく、美化した捏造の
歴史をしか彼らは持たず、現実を直視出来ない国には
自省もなく、従って成長もなくそれゆえに未来を持ち得ないのは
韓国なのではないか。

 


インドの首相

2018年10月30日 | 日記

習近平主席と会ったかと思うと、今度は中国牽制のために
インドのモディ首相を別荘に招待して
安倍さん、軽業みたいな外交である(拍手している)。

以前、よんどころない事情でインドに渡ったとき、
事の成り行きで首相官邸でお会いしたことのある

当時の首相のお名前を思い出せずにいたのだが、
モディ首相の服装とお名前が起爆剤に
なったのか、パジパイ首相だと、ふいに
思い出した。

なんだか一人で喋っていらして、それが日本の離婚率の
高さであるとか、日本人がゴルフをやるお金でインドの子供たちが
これだけ救われるのに、とか聴かされ続け愉快ではなかったが、
反論する立場に私はなく、黙って床の大理石に視線を
落としていた。
(そんなに自国の子らが大事なら、床に大理石なんか使うんじゃねーよ、
この石1枚で、何人子らが食べられるんだよ。それにこの
絹張りの椅子は何だよ)
と内心で言い返していた。

離婚率の高さがいいこととは思わないが、逆にインドの女性が
家に縛り付けられていて、離婚もできぬのではないかなどとも
内心で呟いていた記憶。

インディラ・ガンジー首相の息子さんで、第9代首相である
ラジブ・ガンジー氏の邸宅にも、何だか流れでうかがった。
祖父はインドの初代首相を務めたジャワハルラール・ネルー氏である。
うかがった時は、暗殺でこの世の人ではなく、イタリア人である
夫人にお会いしたのだが、何だか無愛想な方で、しかし
夫の不幸な死をまだ胸に抱えていらしたのか、とこれは
今日ふと思ったことである。
お会いしたのが、さてもうどのくらい前のことなのか。
日本の政治にさえ興味がない頃で、ましてインドの
政治家のことなど知りもせず、興味もない頃である。
その時私は白い夏着物を着ていた、とつまらないことは
覚えている。
やたら、ボディチェックが厳しく、帰るまで鞄は
没収されたままであったこと、とか周囲の木々でさえずる
小鳥の声があたかも蝉しぐれのように盛んだったことなど
そういうどうでもいい細部は記憶に鮮やかなのに。

いや、ボディチェックは首相官邸であったか?
たぶんそうだ。日本の総理官邸(海部さんの時代だ)にお邪魔した時は
招待状を見せるだけで相当ゆるかった。

ジョージとファーストネームで呼ばれ親しまれているという国防大臣は素敵だった。
ジョージ・フェルナンデス国防大臣であったのだろうか。
関心のない時代はいいかげんである。
庭で開かれたティーパーティも首相主催だった記憶だが、
はてあれはどこの庭園であったのか。

国防大臣の執務室のデスクに広島の原爆写真が置かれているのを
見せて頂いたのたが、あれは国防への
戒めであったのだろうか。

パジパイ首相は、核実験をその後強行なさったようだが
比較的高齢でお亡くなりになられたのだと、さっき
調べて知った。

ご冥福をお祈りするほどの間柄ではないけれど、
袖すり合うも多生の縁ではあろう

「多生」は「多少」の変換ミスではない。多くの生、つまり
輪廻転生の間につかの間触れ合うのも、前世の縁だという
意味であろう。

袖すり合うも、は触り合うとも書く。「多生」は「他生」とも。


中国と安倍さん

2018年10月28日 | 歴史・政治

日本が中国に歩み寄ったことで、安倍総理が
トランプ大統領に睨まれる、と韓国側では
はしゃいでいる向きもあるようですが、
私は安倍総理がトランプ大統領に
事前の相談抜きでことを運んだとは思っていません。

しょせん、両国共に経済の欲得でのさほど美しい歩み寄りでは、
ありませんが、それでも中国が拉致問題解決推進協力、北への制裁
継続を約束したことは進歩ではあるでしょう。

ウイグル族弾圧や、東シナ海・南シナ海での軍備拡張に触れたことも
出色。歴代総理のなし得なかったことです。


北への制裁を緩めよとしてマクロン大統領との接触にも失敗、
これでまた北の傀儡とも言うべき文在寅大統領は、自らの首を締めそうです。

日本を反日で殴りながら、日韓通貨スワップを望んではなりません。
ここらが、本当に不可解な韓国という国の「心理」なのですが、
自分は被害者なのだから、日本は殴られながらも俺が
困ったら助けろ、要求は聞け、というようなことなのでしょうか。

日本が韓国にいったいどんな加害を及ぼしたのか、
自らをまず中立の位置に置き、淡々と歴史を検証するに
思い当たるフシがないのです。

私はもともとは無邪気に韓国びいきでした、ちなみに。
映画やドラマで上手なのがあり、力量のある俳優がいるので。
それは今でも。
もう日本に帰化されましたが、呉善花さんと
親交もあります。韓国人が嫌いというわけでもありません。
個々、素敵な人はいます。
単純な反韓からの感想ではありません。
まっとうな精神と感性をお持ちの方なら、どこのどなたとでも。

 

 

 


ドラマという小さな窓から見た日中問題

2018年10月27日 | 歴史・政治

中国側の日本への異常接近の理由は、対トランプ大統領により
生じた力関係のバランス取りだろうし、日本の
経済界からの突き上げによる妥協の側面がかなり
あるように思う。

そこに激増する中国人の旅行者たちによる「教え込まれた鬼畜日本」と
「現実の清潔で安全、親切な日本人」との乖離に
気が付き始めた層が多くなり、国民の親日感が
ベースに高まって来たことがあると分析されている。
日本からのODAに感謝する国民の声さえ表に出るようになり
中国の日本に対する姿勢の転換が、著しい。

しかしながら、唐突に「一帯一路」と掲げられても尖閣攻撃の姿勢はつい最近のことであり、捏造による「南京大虐殺館」による誇張展示はそのままである。
当然油断はならない。

拙作を例に上げて恐縮だが、「花嫁の父」と「わが家」が
上海のテレビドラマ祭で優秀作品としてノミネートされたことなど、
その前兆であった気もする。
「花嫁の父」の時は私も招待により、上海の会場で
レッドカーペットを踏み、テレビカメラの放列の前に立った。
億劫で、着物を持参しなかったことが悔やまれる。着物で
出かけていれば中国全土にそれが流れたはずだ。
二度目のご招待には、億劫で応じなかったが二度目こそは
羽織袴で中国のテレビカメラの前でレッドカーペットを
踏んで来るべきであったかもしれない。ドレスコードに
和服禁止はなかった。

しかし、私が驚いたのは「花嫁の父」のラストシーン近く
向井理君演じる青年が船上から日の丸の大きな旗を振り、
その作品がノミネートされたばかりか、作品が中国全土に
流れたことで、これも現在の小さな予兆であったのかもしれぬ。
むしろ、日本の左派の人からなぜ日の丸を振るのかと
批判を受け、残念だった。予期していたこととは言え、
日本人が日本の旗を振ることに、いったいどんな不都合が
あるのだろう。振れないとしたら、それこそが
恐怖ではないか。自国で自国の旗を打ち振ることを遠慮せねば
ならぬ状態など。

戦争にまつわるとして国旗を否定するなら、一体何カ国が
国旗掲揚に遠慮せねばならぬだろう。「戦犯」など日本には
存在しない。極東裁判という戦勝国の不正裁判で
でっち上げられただけのことである。そのアメリカでも
日本はルーズベルトによって追い込まれ、やむなく立ち上がった
自衛のための戦争であったとする説が複数ある。
インド側の判事ラダ・ビノード・パル博士は初期からその説で裁判の
不当を告発されていた。日本の国民としてあの戦争に
勇躍馳せ参じた韓国の人たちが、口を拭って侵略戦争の
戦犯国だの戦犯旗などと謗るのは、笑止であろう。

「花嫁の父」では正月のシーンでも門松と共に、日の丸を表に立てた。
それも無論、日本の正月風景として中国全土にオンエアされた。
抗議の声は聞いていない。

作品中、2つの日の丸は政治的意図があったわけではない。
ただ典型的な日本の家族を描きたかっただけのことである。
そして今、安倍総理の訪問を受け、中国には五星紅旗と共に
日の丸が多数翻った。あの天安門広場にさえ。日の丸の大旗翻った
拙作が上海のテレビ祭の招待作品となった時の危惧を思えば、激変である。

「明日の気味がもっと好き」は日本のベストドラマ(あちらの
作品ファンの言葉であり実態は知らない)として、字幕付きで
ネット配信されているそうで、海賊版をむろん歓迎は
しないが、そういう形で日本人の風習や心情を汲んで
いただけるとしたら、それも昔を思えば有り難いと
言うべきか。

ドラマという小さな窓口から見える日中関係をいささか
述べてみたが、韓国も置き去りには出来ない。

文在寅大統領のあからさまな北朝鮮寄りの立ち位置により、
韓国は急速に孤立化しつつある。安倍総理に先んじて
マクロン大統領に会って北への制裁緩和を訴えたものの
安倍総理の後日の訪問により、むしろフランスは制裁強化を
表明して、文大統領は面目を失った。
そしてこの度の総理の中国訪問により、更に韓国は今、
焦慮しているだろう。

その北朝鮮は、いまだ吉田清治氏によるでっち上げ慰安婦狩りを
信じ込んでいるレベルにあり、安倍総理が言葉上述べて
いらっしゃる国交回復は遠いと思われる。
拉致問題解決がまず前提としてある。

そういう意味では、中国における非現実的に誇張化された南京大虐殺館がある限り、
そして韓国が竹島を不法占拠している限り、ありもしない
慰安婦問題を蒸し返して日本侮辱の材料、国内世論の
一括化として使っている限り、本来の意味での友好など、ありはしない。
中国も、韓国も、北朝鮮もその性根が一朝一夕に変わるわけではない。
3兆円に及ぶ日中通貨スワップには経済オンチなので
言及はしないが、釈然としない。手のひら返しの友好も
所詮日中共に経済論理なのか。

最近、ある国家サイズと言ってもいいほどの、そして極めて日本的な
行事の役員をやらぬかと打診を受け、なぜ私にとたいそう
驚いたのだったが、こつこつ日本と日本人について考えて来たことをどなたかが
見ていてくださったのかもしれない。情報としては隔靴掻痒の
こんなこと書かずもがなとも迷ったのだが、こんな些末なブログと
その綴り手の思いを変わらず応援してくださっている方々へ
ご報告の意味でふと書く気になった。
感謝と共に。


秋晴れ

2018年10月26日 | 日記

昨日、今日と爽やかな日が続いている東京です。
さして記すこともないのですが、更新が
絶えると心配してくださる方がいらっしゃるので
何となく。

天気のいいのに浮かれて昨日は歩いて映画館に
行ったのですが、残念な映画でした。

このところ、ネットの専門サイトで昔の名画ばかり
観ることが続いたので、たまには映画館で
新作をと思ったのですが、当たり外れを厭うなら
昔の映画を観ているほうがよいようです。
このところ映画館で観る映画が立て続けに
数本、外れだったこともあり。名作群に
馴染んだ後だと、よけいその不出来を感じるのかもしれません。

話題は変わりますが・・・・

「母を憎むあなたへ」というタイトルで、4回ほど
こちらに書いたのですが、忘れかけていた
拙文に対して、久々にコメントを書いてくださった方がいらして、
時々同タイトルの文章を上げておくと少しは
お役に立てるかと思ったところです。

世の中には驚くほど、母親への感情に苦しみ
続けている人たちが多いのです。

その苦しみを話しても世間の反応は「親をそういうふうに
思うなんて」というもので、余計傷つけられます。

私はその思いを読むことしか出来ませんが、いつでもどうぞ。

私は親を憎む自分をまず許すように、と言っています。
憎むに至るまでは、人には解らないことがあります。
解らない人たちに話しても、セカンドレイプを受けるだけです。
こちらのコメント欄に、長文でいいので書いてください。
少なくとも私は、解ります。

憎むに足る親はいます。大人になったのだから、その憎しみは
手放しなさい、というごときことを言う人がいますが、
親に対する憎しみはそんな根っこの浅いものではありません。
おおむね、一生抱えて行く重い十字架です。

どういうものか、父親へのそれより母親への感情が上回ります。
自らを産んだ存在から受ける拒絶感は、全世界からの
拒絶だからでしょう。
親を憎むしかない子は80歳になっても、自己否定感に
悩まされます。母親に愛されなかった「子」はいつまで
たっても、この世界から愛されない「子」なのです。