井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

日本人の受賞を寿ぐ

2020年02月10日 | 映画

カズ・ヒロ(旧:辻一弘氏)が、2度目のメイク・ヘアスタイリング賞を受賞したそうでめでたい。

 カズ・ヒロ氏は米国籍を取得したようなので日本人と言うのは違うのかもしれないが、昔アカデミー賞の授賞式にゲスト枠で参列してレッドカーペットを踏んだこともある私としては、現地と会場の雰囲気を肌で知っていて、あのステージに日本人が立つことの困難さが分かるので 無邪気に寿ぎたい。

 米国の税関をくぐる時 渡米目的を訊かれ「アカデミー賞参列のため」と答えたら税関のアメリカ人の目が満面の笑みと共に輝いた。もう遠く遠く霞んでしまった華やいだ記憶であるが アメリカに向けて飛び立つはずの飛行機が足止めをくらって 機内で一泊を余儀なくされた記憶は鮮やかだ。なんでも日本人カップルが機内に入らぬままいなくなったそうで そういう場合はテロを警戒して機内検査が終了するまで離陸が出来ないというではないか。点検をしている間に成田上空の飛行規制時間にひっかかり機中泊。 おかげでハリウッド入りが遅れに遅れ、疲労困憊。式には出られたが、スターたちを含めた映画人のパーティには出ず すべての部屋が、広くはないにしろスイートであるハリウッドの瀟洒ななホテルのベッドにひっくり返っていた。カズ・ヒロ氏は無論 式典後のパーテイにも参加、次の仕事の輪がさらに広がるのだろう。

有能な翻訳者さえ見つかればひょっとして ハリウッドにしばらく拠点を置いても面白いかと実ははサンタモニカに家を見に行った(中古でハリウッドからは相応の距離があり当時の日本の不動産価格からして意外に高くはなかった)のだが、業界人に顔つなぎのためのパーテイ欠席ではしょうもなく・・・・すごすごと日本に戻って、中断して渡米したテレビ小説の執筆を再開したのだが、そんなこともあり日本出身の人がハリウッドで成功を掴んだことが眩しく喜ばしく思われる。

 

拙文中の不備は後ほど。。。

 


ゴジラに国民栄養賞を

2019年06月22日 | 映画

映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』特別メイキング映像/音楽:ベア・マクレアリー

 

ハリウッド版ゴジラの第二弾『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の
テーマ曲が素晴らしいことは以前書いたが、音楽のメイキングビデオを
観てなおその感を深くした。

 

和太鼓や日本の祭りの掛け声が入っていることは承知していたが、
よもや僧侶たちの読経(たぶん般若心経)が仕込まれているとは
思わなかった。

ゴジラ生誕の地日本へのオマージュであろうが、誰の
案なのかその感性がみずみずしく素晴らしい。

土日の映画館は避けるのだが、このメイキングの様子を見て
矢も盾もたまらず向かったのが、TOHOシネマズ日比谷である。
東京で一番好きな映画館だ。日比谷ミッドタウン内に到る
地下鉄からのエントランスが豪華だし、ロビーから見下ろす
日比谷公園のたっぷりとした緑がいい。皇居を控えている
土地柄か「気」もとてもいいのだ。


興行収入でトップを取るたぐいの映画に対して私は
「ボヘミアン・ラプソディ」を唯一の例外として、胸に響くことが少ないのだがだゴジラでも、居眠りすることしばしば、怪獣の吠える声に目を覚ますということを繰り返し、それでも最後まで見たのは、ひとえに良い音響で音楽を聴きたかったからである。
ゴジラ復活で、掛け声とともについにテーマ曲のイントロが流れると、
鳥肌が立った。
そして、それをたっぷり聴けたのが予想通り、エンディングのクレジット
タイトルだった。


満席だったのだが、私の前の席にはスリランカ人かネパール人かと
思われる人が3人、壁際の席を予約時点で選んだ私の右隣には
黒人の6人グループである。
その前日マクドナルドで、いやにこなれた英語が聞こえ見れば
売り子が白人の若い女。その背後で立ち働いているのは中年の
白人男性だった。いよいよ、外国人が多くなっている。
中国語は相変わらず飛び交っているし、将来この日本に
どのくらいの外国人が住むのか、おそらく相当数であろう。
再三書いているように、マナーと日本人の民度がそのことにより
落ちるのが懸念される。

映画館の座席における黒人たちのマナーの悪さには絶句した。
映画の間中、カップル同士で喋り続け話と関係のないところで笑い声を上げ、
時に前の席を蹴って揺らし合間に大きな音で鼻を噛むのである。
こんな質悪い観客は初めて見た。
あまり行儀のよいとは言えない豪州の映画館でも見かけた
ことがない。前の席の外国人たちはごく静かであった。

怪獣だの兵器だのの大音響なので、彼らのひっきりなしのお喋りも笑い声も
まだ耐えられたのだが、これがアーティスティックな静かな
映画であれば、私もキレたところだった。
彼らがその種の映画を観に来ようとは思わないが。

中国や韓国の人々のお行儀の悪さが言われるのは、訪れるその人数が
多いからだろうし、また両国とも現地で私も多少は見知ってもいる。
しかし、黒人のマナーの悪さに遭遇したのは、初めてだった。
思えば身近に接したことがない。だから、いくらか衝撃的ではあった。
無論たった6人を挙げて、黒人皆がそうだというのではない。
ただ差別には反対だが、差別される側に全く原因がないのかな、
とはちらっと脳裏をよぎった。社会や国の構造的差別とは、むろん
次元が違う所で、である。

クレジットタイトルが流れ始め、場内がまだ暗いのにいっせいに
席を立って帰っていったのも彼ら6人である。無論、空いている時は
自由であるが満席であり、彼らは狭い空間に座っている観客達の膝を
押しのけるようにどやどやと出て行き、映画の余韻に浸りたい人には迷惑で
あったろうし、音楽目的で来た私にはクレジットタイトルの時間こそが
眼目であったので、注意が削がれて残念だった。

クレジットタイトルの後、映画は後日譚的なシーンがあり、
黒人の人たちが見逃した所で大したことはないのだが、続編狙いの意図が
ありあり。私は音楽を聴けたことで、もう満足である。

クレジットの最後に、「献辞」ふうに二人の日本人名があった。
これは日本版、あるいはハリウッド版のゴジラに功績があった
方々であろうか。経緯を知らぬながら、胸に迫った。

テーマ曲の中にはザ・ピーナッツが主題歌を歌った「モスラ」のテーマもさり気なく織り込まれていて、これにも心が震えた。

 

モスラの歌 - Mothra Song

思えば「ゴジラ」は、下手な外交官よりいい仕事をしているではないか。
安倍政権はゴジラに国民栄誉賞を授けるべし。中国のポスターも
富士山に桜、五重塔を配して日本色が濃い。

思えばザ・ピーナッツ当時の当時の怪獣映画は、もっと日常に暮らす
人々が描かれていてだから心を寄せて見ていられたのかもしれない。
ゴジラの歩く地響きで、たとえばお膳の卵が転がり落ちるごとき
日常リアリティがあった。
動画の中でも、モスラの羽ばたきで車が巻き上がられ家の壁に
激突、という微笑ましさ。
今は、エリートの科学者たちと軍人たちが近代機器を駆使しての
大掛かりなあたかもゲームの世界の出来事である。

ゴジラの英語表記『GODZILLA』にGODが入っているのが象徴的だが、
これは最初のネーミングの時に意図されていたことか、
ハリウッドにゴジラが進出してからの英語表記なのか、
私は知らないのだが、いいネーミングだと思う。

ゴジラ、ラドン、モスラ、と私には少年期のヒーローたちの
総登場でもあった。
音楽の他に印象深いシーンは、エジプト時代より遥か以前の
荘厳な遺跡が海中に現れたところである。

日本の神話もよく勉強したな、と思わせる映画であり創りての
熱気がこもっていることは感じた。それにゴジラに対する敬意と。
渡辺謙さん演じる日本人科学者が人類を救うヒーローとして描かれているのは、これもゴジラの生みの国日本へのリスペクトなのであろうか。
ハリウッド映画の画面の中にいる人と、文通したことがある、というのが
もう遠い昔、もはや実感がない。端正な書き文字であったと
それだけを記憶している。当時は家も近くだった。

 


思わぬ所で、フレディ・マーキュリーのコスプレに遭遇

2019年06月14日 | 映画

奥山和由さんに勧められて「僕はイエス様が嫌い」を見に行ったTOHOシネマズ日比谷の廊下で、不思議なコスプレの二人に遭遇した。緋色のマントを羽織王冠をかぶったのと、口ひげを蓄えた二人は、どう見てもフレディ・マーキュリー。

いや、まさか、とTOHOシネマズ日比谷のラインアップを見てみたら、
その「まさか」があったではないか。


「ボヘミアン・ラプソディ“胸アツ”応援上映」

なんという映画なんだろう。私も計2回観て2度目に胸アツに出かけた口だが、封切りからすでに、ひょっとして8ヶ月近くにならないだろうか。何が人々の心をこうも掴むのか。

「本物の映画はヒットしない」というのは奥山さんの言葉で、私も
実は深く同意なのだが・・・・というのも選良の観客というのはそう数は多くなく、(あられもなく言ってしまえば感性も、芸術上のIQもさして高くない人たちをも巻き込まねば大ヒットはあり得ないので・・・・)世界的ヒットのあの映画もこの映画も、質という意味では必ずしも高くはない。高くないから映画としての存在意義がないという意味でもないのだが。

 

・・・と言う価値判断で見れは「ボヘミアン・ラプソディ」という作品を
どこに置いていいのか、ちょっと判断に迷う。
私の場合は単に好き、とそこに属する映画なのかもしれない。
珍しく大勢の人と熱気を共有して見た例外中の例外的な映画ではあった。
大方大ヒット映画の波には乗りきれず、背を向けていることが
多い孤独感を長く味わって来たので「ボヘミアン・ラプソディ」に
人々と一緒に拍手出来ている自分が珍しく嬉しかったのかもしれない。

「僕はイエス様が嫌い」は超低予算で、まだ二十歳台の若い
監督が創り、海外で複数賞を得ているのだが私の感想は
いささか微妙だ。

ただ、映画のテーマを「神の不在」として捉えた場合のことだが、
私は学生の頃キリスト教系の寄宿舎で暮らし、
聖書を毎朝読み、賛美歌を歌っていてキリスト教は
生活圏にあったので・・・・映画では小学生の
男の子がいきなりキリスト教が日常にある学校へ転校
するのだが・・・・

神の不在に関しては、若い頃からの私の大テーマの一つで
あり続けたし、サルトルたちの実存主義から始まり
ニーチェの「ツァラストラかく語き」で神の死に対しては学生時代から向かい続け考え続けていたし・・・・
だから小学生視点から描かれる神の死については、私には
稚すぎて・・・・。

カメラアングルとか色使いとか、雰囲気が好きな人は
きっと入り込むのだろうなあ、と思いつつ私は
上記の如き気難しい理由で浸れなかった。

同テーマではスコセッシの「沈黙」が私には深く入って来た。スコセッシが
この映画の末尾でキリストの復活を肯定したのか、否定したのか
実のところ私には解らない。スコセッシ自身がカトリックなので、
神の沈黙に対してどう向き合ったのか測りかねるのだ。


私自身は神の死というものに直面して、それから徐々に神の
存在をおぼろに体感し始めて現在に到る。
神の蘇りは世界に今、必要なのだと思うがどういう形で
蘇りがあるのか、解らない。

ひところ古代神道に蘇りの扉を開けるキーがあるのではないかと
思いなしたことがあるが、今はそこにはやや懐疑的になっている。

あるいは量子力学の進化と共に、人は改めて神を見出すのやも
知れぬ。もはや宗教という組織任せの、また祭祀者としての
プロに託す他力の神は失せた、個々つながる神がある、という最近の
考え自体は変わってはいない。

 


38歳がぎりぎり若さの限界?

2019年06月13日 | 映画

「エリカ38」という映画を日比谷シャンテで観てきたのが昨日。
前日、ネット予約した時は空席だらけで、個人的に存じ上げている
奥山和由さんの製作なので、残念だったなあと思っていたのだが、

当日はウィークデーの4時半からの上映なのに、いきなりほぼ満席だった。

奥山さんの製作だが、樹木希林さんがプロデュースに名を連ね、
樹木さんとは生前、ご縁浅からぬ関わりがあり、浅田さんも
連ドラでご一緒したことがあり、そういう意味でも他人事ならざる
映画ではあったのだが、出来が良く堪能した。

実際の事件をベースにした映画だが、60歳の女主人公が
逃亡先のタイで得た現地の恋人に「38歳」だと偽った年齢が
絶妙で、これが60歳の女がぎりぎりサバを読む限度だと
妙に納得が行く。39歳でも37歳でもないのだ。
そういう意味で「エリカ38」は秀逸なタイトルだと思う。
名乗る名前も「エリカ」、これもギリギリ。キラキラネームの
三歩ほど手前の偽名である。


希林さんが身内のように可愛がっていた浅田さんに代表作を、と
して奥山さんに持ちかけた話であるようで、希林さんが映画を
ご覧になったのかどうかが気がかりで、奥山さんにお尋ねしたら
編集に手を入れ音楽を差し替える前と後の完成に近い作品はご覧に
なったそうで、ほっとした。

浅田さんは希林さんの思いを汲んで見事な演技だが、一箇所ちょっと惜しかったかなあ、と思うシーンあり。
お金を騙し取られた人たちにエリカが吊るし上げられるシーンで、これを
浅田さんは居直った女の図太さ一色で演じたのだが、もうひと色欲しかった。
唐突に少女めく愛らしさをふっと見せる、とか。・・・・と
奥山さんに伝えたら「なるほど、さすが!!」と返信が来た。
短いシーンなら、図太い女一色でいいのだがかなり長いので、ひと色だけの
芝居をもったいなく感じたのだ。

浅田さんの演じるヒロインに、テネシー・ウィリアムスの「欲望という名の電車」のブランチ像を私は重ね合わせ、とするとセリフの書き手としては、
私ならこうする、という箇所があったのだが、それは些末なことで
映画自体はめっぽう面白い。

全国的にヒットしているようで、ご縁のある奥山さん、あった希林さん、
浅田さんのために喜ばしいことである。


降旗康男監督のご冥福を祈る

2019年05月26日 | 映画

降旗康男監督のご逝去をたった今知った。

私が若気のいたりと生意気さで高倉健さん映画の
オファーを断ったり、別の映画企画はつむじを曲げて
打ち合わせの席で啖呵を切って席を立つなどの
非礼を犯し、それにもかかわらず淡々と毎年
年賀状をくださっていた。懐の深い優しい方だった、
と言い切るほど監督のことを知っていはしないが、
今頃とても申し訳ないことをしたと、自らを恥じている。

ごめんなさい。若さはばかさである。

 

ご冥福を心よりお祈りします。