井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「正論」で揚げ足取る人

2018-08-17 | 日記

山中で行方不明の男の子を、ボランティア男性が
救出したという久々にいいニュースに心なごませていたら、
その男性が男の子に飴を与えたのがいかがなものか、
喉につまらせたらどうする、という批判が
寄せられているそうで、たまげた。

正論・・・・なのかもしれぬが、今わざわざ
それを言うか、と。

飴で喉をつまらせる以前に、男性が経験値から来る勘を働かせ
山中に分け入らなければ、男の子は亡くなっていたかも
しれぬというのに、飴!?

何万件に一人いるかどうかの例を上げて?

報道によれば、男の子は与えられた飴を噛み砕いたというから
そのタイプの飴だったのだろうに。

それにしても、当然水は与えただろうが、飴を用意していた
その気働きに感心しこそすれ、石つぶてを投げるとは。
男の子が口に含んだとたん、飢えていた舌に
何と甘露に感じたことであろうと、私など
そちらの想像に胸弾ませていたので、本当に
驚いた。

よくある手合で、小さな正論で大義にケチをつける寒い心の持ち主だなあ、
と思ったのだが
その発言には概ね、批判が浴びせられているようで、
多くがまっとうな感性の持ち主でよかった。

見つけた時の男の子の反応に「穏やかな家庭で、素直に育った子なのだろう」
という男性の暖かな視線にも、感動した。

日本中がこのニュースで、ほっこりとしているのも、いいではないか。

夜半から朝にかけ、風が吹き抜けてしのぎやすい。
男の子はもう元気を取り戻しているだろう。
救われた命を、どうぞ大切に生きて欲しい。

 

誤変換他、後ほど。

 

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本物とまがい物は、品位の有無ではないか

2018-08-16 | 映画

岩下志麻さんに「五瓣の椿」の感想をメールでお送りしたら
折返しお返事が来て、その中に「ボクらの時代」で高嶋政宏くんと
一緒だったとあったので、調べてみたのだが放送済みだった。

「五瓣」の岩下さんを拝見していたら、未見の「はなれ瞽女おりん」を
見たくなり、これはつらい映画だったが監督スタッフ役者を含め
一流であった。

岩下さんのメールアドレスの一部は「shimachan」で素顔は
そんな感じ。
胃下垂なら胃は下志麻、暇持て余してたら岩下ひま、と
私のくだらないダジャレにコロコロ笑い転げる方である。

「はなれ瞽女おりん」がシビアで辛かったので、気分転換に
気になっていたルキノ・ビスコンティ監督「ルートヴィヒ 神々の黄昏」を
見た。

月光王と称されたルートヴィヒ二世は、舞台作品として書きたく
資料を集めてもいたのだが、チャンスを逸したまま
今になった。

ビスコンティは伯爵の称号を持ち、少年期を城で芸術に親しみながら
育ったという経歴で、豪奢を撮ると肌で知った説得力がある。
貧しい育ちの監督に、豊かな階級は撮れない。その逆は
可能である。
貴婦人を演じられる女優は限られるが、パンパンはどの女優も
やれる。下品は演じられるが、品性は無理なのである。

「ルートヴィヒ」に登場する王妃の王冠のただごとならぬきらめきは
本物を使用したと思われる。宝石それ自体が放つ光の強さと、グレードが
画面からも伝わって来るのだ。まがいものは放てない光と
品位。とここまである種の皮肉を二重に
こめて言っているのだが、
伝わらなくても良い。

末尾になったが行方不明の子が無事に見つかってよかった。救出したボンラティアの男性の前では森喜朗氏が餓鬼畜生に見える。我欲まみれの五輪のために、ただそれだけのために健康被害とIT混乱が必須のサマータイムの提言など。

同じ晩年でも一人は後光が差し、一人は煩悩地獄の糞尿にまみれたあさましき姿。

 

誤変換他、後ほど。

 

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終戦記念日に

2018-08-15 | 日記

鳩山元首相が、いよいよ変になって来た。
奥さんとしばらくお付き合いがあったので、言いづらいが
しかし、あったからこそ鳩山さんがある部分、奥さんの
遠隔操作で動いていることも知っているし、その奥さんが
ぼかして言えばかなりエキセントリックな方であることも
知悉している。

あることで、お付き合いを断ったのだが
それから間もなく民主党政権が誕生、身近にいた
人が総理夫人となったことに加え、自民党時代には
(時に呆れながら怒りながらも)感じなかった
異常さを感知、それまで興味が
なかった日韓問題を手始めに、政治の手習いを
遅ればせに始めてみて仰天したことには、それまで
私がマスコミ他で教え込まれていた事実と信じていたものが
ことごとく嘘であったことである。

なぜ?

その疑問に突き動かされるように、このノンポリ、学生時代からの
無知が勉強を重ねたのだった。もともと、凝り性なのでやるとなったら
腰を据える。仕事もそっちのけで、勉強に没頭し、時に
日に6時間、7時間。
少ない長所の一つに、集中力と情報収拾力に加え解析力が多少ある。
俯瞰で日韓の歴史を眺めたその基礎にあったのはGHQであった。
GHQが敗戦日本に仕掛けたもろもろは、自己増殖しながら
今も、ある。

日米同盟が日本の安全をとりあえず守ってくれているのは
事実であるが、戦後の日本にアメリカという戦勝国が
なしたことは、腹くくり身にしみて知っておきたい。
でないと、歴史を見失う。

鳩山さんの中国における談話は稚拙に過ぎて、語る気にもならないけれど、
しかし、発言が中国に利用されること、信じ込む日本人も多少はいるだろうことから
触れぬわけにはいかぬ。

北京で開かれた国際シンポジウムで曰く、

「安倍首相は、常に東アジアの安全保障状況はますます厳しさを増すばかりとのうたい文句で、日米同盟の強化や自衛隊の配備の増強を図っている」

日米同盟の強化、自衛隊の配備の増強は現実的な情勢を見れば、
しごく当然のことなのに、この人の見ている世界には桃色の
靄がかかっているのだろう。

 


中国が進める一帯一路構想について曰く、

 

「習近平主席は、目的は平和をもたらすことだと述べた」

 

チベットやウィグル、東トルキスタンでの残虐行為、あれが平和目的か。

 

安倍総理の対北朝鮮政策に関しては、

 

「対話の時代は終わったなどと述べ、世界から失笑を買った」

 

失笑を買ったのは、鳩山氏であろう。
この方は、本気でこういうことをおっしゃっているのか。
単に頭からネジが2,3本抜け落ちているのか、それとも明確な目的を持った確信犯なのかいまだ、判別ができない。

 「右手で握手しながら左手でこぶしを握り占めている。これでは真の友情は生まれない」

というのも鳩山さんの言らしいが、チベットの人々に向かって鳩山さんは中国と真の友情を結べと説けるのだろうか。もし説くのなら私は殴りに行く・・・・というのは悪い冗談だが、それほどにもこの方の日本毀損、中国称揚に憤りを抱く。

韓国では、あろうことかお詫びの土下座をして来た。
私には脳のシナプスが乱れているとしか、思えぬ。

それにしても、私の高校時代の日本史の先生が妙な史観に染まっていず
私はまだしも、刷り込みを受けていない部類だがそれでも
無防備なところへ、これでもかと虚偽を教え込んだ相手は
GHQのプレスコードを後生大事に引き継いだマスコミなのだろう。

 

さて末尾になったが、終戦記念日。原爆で、空襲で亡くなられた赤ん坊から
老人までの国民の方々、そして国外で散華された
兵士の方々へ、特攻隊の若きおみたまに黙祷で祈りを捧げたい。
志あられる方は、私と共にしばしの黙祷をお願いできれば
ありがたく存じます。

戦争の阿鼻叫喚を避けるに、9条にその効力は無い。

 

付記

2012年 「開戦70周年記念展」靖国神社の遊就館に春先からしばらく掲げられていた拙文です。



君よ桜花に一掬の涙を注げ 


戦があり、いくつもの別れがありました。
防人(さきもり)たちの別れの言葉がそれぞれにありました。


「妻よまだ見ぬ我が子よ、行ってきます。
 生来不器用にして、はかばかしい言葉は残せぬが、
 つきぬ想いは胸に張り裂けるほど。
 妻よ、君のために、生まれ来る小さき命のために、
 緑の故郷を背に荒野(あらの)へと向かいます。
 親を頼む。子を頼む」

「君に秘めた想いを告げぬまま、僕はあの大空を目指します。
 無骨な戦闘服に包んだ思いのやわらかきを君よ知るや。
 さようなら。ありがとう。君に逢えてよかった。
 逢えなければ 僕は恋を知らぬままだった」


「ふたりきり寄り添って生きてきた妹よ、人形をありがとう。
 小さな手でこしらえた人形は戦闘服の背中にひっそり
 縫い付けようね。
 特攻する時に君の人形がこわがらぬように。嫁ぐ姿を
 父親がわりに見られぬ兄を許しておくれ。
 幼き妹よ。泣くな。元気で幸せに生きておくれ」


「拝啓母上様。笑顔でうち振る日の丸の、小旗のその陰で、
 胸のうちなるすすり泣き、わたくしは聞いていました。
 生んでくださってありがとう。
 あなたに頂きし命ゆえ、あなたを護るために使います。
 息果てるその間際には、母上様の名を叫びましょう。
 お母さん!と」


「国に次の花咲く春にはもういません。
 桜吹雪の花影に、こんな男がいたことを
 思い出してください」


御国(みくに)を護(まも)るは、大切な人々を護ることだと信じた。
日出ずる国の民の誇りを胸に行ってきますと手を振った。

靖国で逢おうね。

ほろほろと、薄桃色に煙りながら散る、ひとひら、また、ひとひら。
花びらの身じろぎに防人(さきもり)たちの声が聞こえるような。
散った命を惜しむのかなつかしむのか、花は散る散る靖国の庭に。


散華(さんげ)の頃は思い出してください、今なお遠き異国の氷雨に打たれ、
祖国へ帰る日を待ちわびる防人たちが横たわっていることを。

命絶える時、彼らが虚空に差し伸べた手が掴んだものはきっと愛。

泥土(でいど)の道に倒れ伏し、わたし達のしあわせを防人たちは願った。

雨が降り注ぎ、風が吹き抜けた。
雪が防人を覆った。そこには何事もなかったように。

季節めぐり花の扉がまた開いたら、君よ舞い散る桜のひとひらに
一掬の涙を託してください。

 

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誤変換他、後ほど。


 

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神隠し

2018-08-14 | 日記

幼い子が唐突に姿を消し、行方知れずになる・・・・
親や家族の心の痛みはむろんだが、私の
想像はむしろいなくなった

子の恐怖感や絶望感に及び胸が痛くなる。

昨夜は、とうとう夢にまで見てしまった。
いなくなった某市の2歳の子、ぐずって家に
戻ったというが、ひょっとしてまた気が変わり
おじいちゃんとお兄ちゃんの後を追って
海まで行かなかったか。

とすれば、探索の場所は姿を消した場所から
家までの範囲ではなく、海含めてそこまでの
道筋ではないかと、夢の中で考えていた。

昔は神隠しといったが、残された者の哀切な
心情からせめて神が隠したと思いたがったのかもしれない。

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昔の映画に浸っています

2018-08-13 | 映画

野村芳太郎監督、松本清張原作の「張込み」に続いて、木下恵介監督の「香華」(有吉佐和子原作)を見た。

いずれも、見事。

「香華」は3時間の長尺で臆したが、全編と後編の間に
ちょっと休憩しただけで、全く飽きなかった。
唸るほどにも、深く巧みである。

「張込み」を私は14歳ぐらいの時に見たのだが、劇中の男女の機微を正確に理解していたので、早熟といおうか物書きとしての資質は多少あったのかもしれない。
現在の目で見れば、14歳の時よりはいくらか見方が深くなった部分はあるが
14歳の私が映画から受け取ったものと大差があるわけではない。

高峰秀子さん演じる主婦の、前半はアップを撮らず張込みの刑事たちの視線で見て、愛人だった男と再会した時から、顔と表情の細部にカメラは寄っていく、というごとき「手法」は、子供の時にはさすがに気が付かなかった。
この職業を得ていなければ、大人になっても見逃していたかもしれない。

それにしても、半世紀前の日本映画を続けざまに見て愕然とするのは
昨今の映画、テレビの幼児化。成熟した大人の不在である。

未成熟文化に成り果てた原因はハリウッド映画の隆盛にも一因が
あるのかもしれぬ。

ヨーロッパ映画がハリウッドに駆逐され映画館から消えるに連れ、ハリウッド式の
儲け第一主義跋扈で、観客ターゲットの知性も感性も低い層に向けての制作に堕していったのかもしれない。大ヒットないしヒットは間口をとてつもなく広く設定しないとあり得ない。

日本映画で国際的賞を受ける作品もあるが、妙な政治メッセージに
辟易とするばかり。以前の受賞作に政治の妙な臭いはない。

アカデミー賞の授賞式におけるスターたちの政治発言にも
辟易とさせられる。私が出席させてもらっていた頃、
映画に政治を持ち込む風潮は皆無だった。
政治色のある作品を一概に否定はしない。ただしアートとして
昇華されていれば。

日本人の知性や感性の幼児化はあるいは、GHQ由来の教育にも
あるのかもしれない。

暮らしの中だけではない、映画やドラマにおける語彙の貧困化を見ても、その思いを
深くする。

日本弱体化を狙ったGHQが行った施策の一つが、日本語の追放であった。
幸いローマ字化の試みは潰えたが、敗戦から年を重ねるごとに
日本語が貧しくなっている。

 

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