井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

マスコミ論調補正

2013年12月31日 | 歴史・政治

ドラマという形でテレビに関わっている私が、テレビの報道偏っているねえ、というのも
何であるが・・・・私自身は報道番組にたまに出るときは、極力真実を語ることを
心がけている(から、あんまり呼ばれないのであろうけど)。それでも諸般を考えて
真実もまず3分の1ほどしか語らぬけれど。
まず身が危ないし、局にもスタッフにも迷惑がかかるので、3分の1。

しかし・・・・現場で語る者の実感からすると、一頃より空気が
緩くなった。スタジオにナマで座っていると肌で感じる何か、というのが
あるのだが、ある程度喋りやすくなった、安倍政権誕生以降だ、
これは実感。

しかし靖国参拝に関しては、どこも批判一色で「街で拾った声」さえ
そればかり。

いやそれはないでしょう。

私なら多分、ずけっと本当の事を言ってしまうだろうが・・・・
靖国参拝なんて、中国も韓国も本気で怒っているわけではなく、
単なる外交カードである。その証拠に、A級戦犯が祀られてから
以降もその折々の総理が参拝なさっている。
韓国も中国も、なんにも言って来てはいない。
明らかに人工的にでっちあげられた反対論批判論である。
年代は忘れたが、せーので画然とそれが始まった時期はある。

ABC級戦犯の中で、Aが極悪だという思い込みの誤解は書いた。
従って「A級」が祀られているからけしからんというのは、成り立たないの。
これ基本中の基本なのだが、これすら押さえず語っている「論客」が
日本にさえいるので、本当に茶番なのである。

それに、中共なんて唯物主義の国がなんでまた、靖国にガタガタ言うの、
ってこと。無神論なんだから、国の方針が。彼らの思考からしたら、
靖国すっからかんなんだけどねえ。「何もない」ものに対して何を
文句言っているか、ってこと。

実際「何もない」のだけどねえ。それについても書いた。あるのは
魂という、本来「合祀」も「分祀」も、実体がないのだから
出来ないものだというのは解るでしょう?
神道の招魂の法により呼び寄せたお御霊をご供養しているだけなんだから、
無神論の中共が何を、魂を信じたようなクレームの付け方をするんだよ、
ってこと。形としてあるのは霊璽簿という、戦死者のお名前の末尾に
「命(みこと)」とつけた名簿が唯一形としてあるものである。
・・・・・どうやって、分祀するんだよ、目にも見えないものを。

あと突っ込むとすれば、韓国の人々も戦前は朝鮮後続が靖国にお参りなさっていた。
記録写真が残っている。これも「無理やり」と言われるのだろうが・・・
そうでもないのだが、まあそこは別の話。いずれ。

私の逝去した親友のお父さんが李登輝元総統の友達だとかで
李登輝さんのお名前はよく聞かされていたので、靖国神社の灯篭まつりで
私の稚拙な書と李登輝総統の書が並んでいたのは、恐悦至極であったのだが
調べてみたら案の定、安倍さんの靖国参拝に関しては、肯定である。

いや、国として反対しているのは、中国と韓国(北朝鮮)だけだろうに。
日本人で反対する人は、事実をご存知なく誤解なさっているか、思想的に
反対しないとまずい人たちだけだろう。

李登輝さんの反応を調べていたら、他の国々のご意見も拾えた。
以下は単なるコピペである。ご参考までに。

シンガポール リー元首相

 「靖国問題も中国が心理的なプレッシャーをかけているだけ」

 

台湾、李登輝前総統

 「国のために命を亡くした英霊をお参りするのは当たり前の事。外国が口を差し挟むべきことではない」

 

台湾、陳総統

 「中国の反発に負けずに靖国参拝をする首相を評価」

 

カンボジア:フン・セン首相

 「戦没者の霊を弔うことは当然のこと」小泉首相の靖国参拝に理解

 

インドネシア:ユドヨノ大統領

 「国のために戦った兵士のためにお参り、当然」靖国参拝に理解

 

ベトナム:

 「我々は中国や韓国のような卑怯な外交手法をとるつもりはない」

 

オーストラリア・マレーシア・タイ・フィリピン

 「私たちはまったく問題ではない。問題にするのは中国だけ」

 

パラオ、レメンゲサウ大統領:

 靖国参拝に「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明

 

ソロモン諸島のケマケザ首相:

 「日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること。英霊が祭られている場所を拝見したい」

 

靖国神社を公式参拝した国々

S21年 1月 満州国 王充郷駐日大使

S21年 3月 アメリカ ロバート・G・ガード(GHQ関係者)

S31年 4月 中華民国 張道藩立法院院長

S34年 3月 トルコ エデム・メンデレス国防大臣・副首相

S35年 4月 ビルマ ウ・ヌー前首相

S36年 12月 アルゼンチン フロンデシ大統領夫妻

S38年 6月 タイ プミポン国王夫妻

S40年 3月 西ドイツ ハーバード・デビットマン大使、練習艦隊仕官候補生

S40年 9月 ベトナム クエンドウイ・クワン大使

S41年 2月 ペルー ホセカルロス・フェイレイドス大使

S47年 8月 オーストラリア アルフ・サイモン第39大隊隊員一行

S48年 9月 トンガ ツポトア皇太子一行

S55年 11月 チベット ダライ・ラマ14世

S57年 11月 エジプト モハメッド・サミー・オーエイダ前世界イスラム審議会事務総長

S60年 6月 エジプト モハメッド・サミー・サーベット公子

S63年 8月 パキスタン ブリカディー・ムハマド.ネイブ・テナ大使館武官

H元年 6月 アメリカ スティーブン・H・ハウエル横須賀基地司令官海軍大佐

H2年 1月 ソ連(ロシア) エリツィン人民代議員(社頭参拝)

H4年 3月 スリランカ C・マエンドラン大使

H4年 7月 フィンランド カリ・ベリホルム大使

H6年 6月 イギリス M・スミス大使館武官

H7年 6月 アメリカ ジェイムス・B・ケイン大東亜戦争参戦元パイロット

H8年 8月 イラン M・シャッケリ1等書記官

H8年 8月 スベロニア ダニ-ロ・チュルク国連大使

H8年 11月 旧朝鮮 李玖旧朝鮮王朝王子(朝鮮王朝李垠皇太子と李方子皇太子妃との第2王子)

H9年 4月 トルコ、ルーマニア、インド、マレーシア、イスラエル、ロシア、タイほかの駐在武官

H10年 4月 トルコ、ルーマニア、インド、イスラエル、ロシア、ブラジル、ポーランド、スイスほかの駐在武官

H11年 4月 トルコ、ルーマニア、インド、タイ、イラン、、ロシア、ブラジル、マレーシアほかの駐在武官

H14年 4月 ペルー アルベルト・フジモリ前ペルー大統領

H15年 2月 南アフリカ アッパ・オマール前広報庁次官

H15年 4月 スイス ハンズ・R・マイヤ大使館武官

 

参照:SAPIO 平成17年3月9日号

 

上記の国々の要人を含む次の国々が靖国神社を公式参拝しています。

・インドネシア

・スリランカ

・タイ

・インド・ドイツ

・スイス

・フィンランド

・ポーランド

・ルーマニア

・ロシア

・フランス

・イタリア

・リトアニア

・スロベニア

・エジプト

・チリ

・ブラジル

・イスラエル

・トルコ

・アメリカ

・オーストラリア

・アルゼンチン

・トンガ

・スペイン

・ペルー

・ベトナム

・カンボジア

・シンガポール

・台湾

・パラオ

 

靖国神社公式参拝関係年表(アメリカ政府編)

昭和21年3月22日 米国GHQ ロバート・G・ガード氏 参拝

昭和38年6月25日 米国空軍士官学校の士官候補生一行 参拝

昭和41年10月29日 米國・沖縄民政府政治顧問 ジェームス・マーチン夫妻 参拝

昭和44年4月9日 米国在日海軍司令官ダニエル・T・スミス海軍少将以下幹部25人 参拝

(昭和52年10月17日 靖國神社に所謂「A級戦犯」14名合祀)

昭和58年8月4日 米国・国立公園アリゾナ記念館(真珠湾) ゲーリー・カミンズ館長参拝

昭和60年7月23日 米軍横田基地空軍司令官ウォル・ファイル大佐 参拝

昭和61年6月6日 米軍横田基地空軍副司令官エドワード・フライ大佐 参拝

昭和63年10月27日 米軍横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐 参拝

平成元年6月20日 米軍横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐 参拝

平成10年6月27日 米国海軍第七艦隊ミカエル・ローランド・オリバー海軍大佐 参拝

平成12年1月12日 米国コルゲート大学学生 参拝

平成13年4月26日 米国海兵隊第三師団長ウォーレス・グレッグソン海兵隊少将 参拝

平成14年5月31日 在日米軍空軍基地将校会ロニー・デート空軍少佐以下 参拝

 *参拝した国々や人々は画像が残っているので、以前アップしたことがある。

そうそう、前のブログで私がこのところ島倉千代子さんの「東京だよおっ母さん」の楽曲を、ドラマの参考までに聴いて自分も風呂で歌っていることを記した。
NHKでは、兄さんが祀られた靖国神社が現れる2番が歌唱禁止措置だった
そうだが、むろん私は風呂エコーの中で、2番もうろ覚えながら歌っている。


年の瀬

2013年12月30日 | ドラマ

このところ、ドラマを書くにあたって参考にしたいことがあり、島倉千代子さんの「東京だよおっ母さん」と二葉百合子さんの「岸壁の母」を聴いたり、お風呂の中で自分でも歌ったりしている。

島倉さんがこんなに歌が上手な人だったかなあと、思うと同時に以前は二葉百合子さんの「岸壁の母」が濃過ぎて不得手だと思っていたのだが、動画で二葉さんのラストコンサートの迫力に打たれた。
歌謡の合間に浪曲の唸りによる別バージョンの曲を挿入するのは二葉さんのオリジナルのようだが、斬新である。

森進一さんの「おふくろさん」には間奏の間にセリフを勝手に入れたことで、作詞の川内康範さんが激怒、歌を封印したが、私も作詞をやったことのある人間なので、勝手に余計な言葉を入れられる不快感はよく解る。
歌詞というのは言葉を最小限に削いで削いでそれを基本に作ったところに、
言葉をベタベタ塗り重ねられるわけだから、作詞した者はたまらない。
著作権上の違反でもあろう。

ただ歌い手と作詞者が合意なら、作詞と作詞との間の語りはあってもいいだろう・・・・と思ったのは、「東京だよ、おっ母さん」と「岸壁の母」を聴いてからである。

「東京だよ、おっ母さん」はそれでも、まだ私には味が濃すぎるが、しかし島倉千代子さんのステージを見に行ったお客さんたちには、これでもかというサービスがきっといいことなのだ。「お千代さん、もっと泣かせて頂戴」というハンカチを目に当てるお客さんたちの顔が目に浮かぶようだ。いい意味での大衆演劇である。

私は一歩手前でさらっと切り上げる江戸前が好みであるけれど、このところだいぶ練れて来て? かなり粘るようになったなあと思う。

余談だが島倉千代子さんにも森進一さんにもお会いしたことがある。
何となく得をした気分である。

 


永遠の片思い

2013年12月29日 | ドラマ

台本を書く前に配役が決まっている場合は、その俳優に恋文を書くつもりで
書く。広い意味だが惚れてなければ書けない。
だから、生理的に受け付けられない俳優が連ドラで大きな役でいる場合は
困る。途中で外してもらったこともないではないが、今までさしてそういう経験を
しないで済んできた。配役の段階で、その人嫌だ、ということもある。
だが、多分に私情がからんでいるケースも有り、付き合いが私的に過ぎて
相手の嫌な部分を見過ぎてて嫌だ、というのもある。

むろん惚れて書けるのが一番いいわけだが、配役は台本段階で決まっている場合に限る。
書いている途中に、配役が決まる場合があり、するとそれまで書いていたセリフを
微調整して、その方に近づけることもある。「母。わが子へ」の八千草薫さんも
そうで、台本上のイメージでは漁業場での網の繕いなどして子を育てた
手のゴツゴツと荒れた母親のイメージで書いていたのだが、八千草さんに
決まってからは、元お金持ちのお嬢さんという設定にしてセリフを足した。

八千草さんからお便りを頂いた。犬の散歩に出かけられると、「母。わが子へ」が
よかった、と声をかけられ、こういう役柄に巡り合えてよかった・・・・と書いて頂いていて書き手冥利に尽きる。

今は某若手人気男優に台本を考え書き始めていて、その彼に惚れるべく心を集中させているところであり、だがむろんリアルに恋愛したいわけではなく・・・・要するに視聴者に(とりわけ女性)彼をチャーミングだと思って欲しいわけで、となると一般的な視線に加えて、女性視線から彼のいいところを捉える必要があるので、何となく人工的に作り上げてゆくその心理仮定が、その彼のいいところ、魅力のあるところばかりを見つめていくので、恋に似てしまうのかもしれない。
といって、むろん実るたぐいの恋ではなく、台本を渡した瞬間雲散霧消するたぐいの恋心である。女優男優に限らず、視聴者に人物を好きになって欲しいので、そのためには書き手である私がまず好きにならねば、とそういうことである。

久々に主演が決まったドラマを書く。だからその彼に惚れるべく心を作っている最中で、こんなことご本人には、むろん言わない。気味悪がられることは必定だから。
会うか、と問われたが・・・・今別の役をやっていて、そういう雰囲気に染まりきっているので、会って役に立つかなあと言われ、それもそうだと、お会いするのは止めた。
それより自らの妄想内で惚れて行くほうが作品のためにはいいのかもしれない。

そういえば菊池寛の「藤十郎の恋」をたまたま読んだ。名役者坂田藤十郎が役で、
人妻に惚れる役を演じるので、その演技プランの作成のために実際に人妻に
恋を仕掛け、甘い言葉を語りながら、目は冷徹にその人妻の様子を観察している、
という話である。・・・・が、例に引くには違ったか。

こちらはそういう冷めた観察対象ではなく、要するに寝ても冷めえてもその
若手男優のいいところを考え続けているわけで・・・・・。頭の中でその彼が24時間に近く、微笑んだり、ささやいたり、時には泣いたりなどしているわけで・・・・かなり恋に似ていると思うがどうであろう。台本を渡した瞬間、雲散霧消する感情であると再度書き添えておかないと、危ない誤解を受けそうだ。


予想通りの反応 アメリカ

2013年12月28日 | 歴史・政治

来年撮るドラマの粗筋を夜っぴて書いて、さっきプロデューサー諸氏にお送りしたところである。
早めに書けばいいのに、このところの政治の急転直下に気が散って、やっと昨夜夜半に
書き始めたのである。

時間を十分かけてないので、粗くて申し訳ないが、話の流れだけはおおよそ伝えられたと思う。

安倍総理の靖国参拝について、アメリカの反応が意外な人もいるようだが、あんなものであろう。韓国との軍事同盟があるので、アメリカも「表向きは」批判に回っているだけで、腹の底は違うということを言う人もいたが、それは楽観論に過ぎるだろうし、かと言って悲観論に走るのも違う。いずれにしても外交の揣摩憶測はどのみち、正解は提示されないので、想像もどこかで適宜ピリオッドを打たねば不毛であろう。
両極端の可能性を考え、どちらに触れても、その中道で身構えているのが妥当な身の処し方であろうと思う。

アメリカは軍事的に大事にせねばならぬ同盟国であるが、外交は友情で動いてはいない。
お互いの力関係、損得勘定の駆け引きでしかない。
アメリカに過剰な期待を抱くのも、過剰な敵愾心を抱くのも違う。
日本人はお人好しの、基本が善人なので、つい相手にも同じレベルの
心情を期待するが、外交は心情でもない。
自国の利益になるか損になるか、損は少なめに利益をなるべく多く得る道をどの国も
選択する。

アメリカと言えば元々、GHQ政策で日本弱体化を目指し色々仕掛けたところであるという
源流は忘れないほうがいい。終戦以来の流れが完璧に変わったというわけでもなく、日本が有能で経済大国になったので、使えると踏まれただけのこと、とりわけ好かれているわけでもない。幻想は持たぬほうがいい。
ビジネスライクな付き合いの中で自ずと、親しみは湧く部分もあるだろうが、過剰評価するべきではない。このたびの靖国参拝のこともそうだが、とりわけ従軍慰安婦の問題など、
先祖の名誉がかかることは、余りにも理不尽な言い分に関しては打ち返すべきであると思う。

日米軍事同盟は機能せねば危ういのだし、大切にせねばならぬ関係ではあるが、ここだけは引けぬという一線は常に持っているべきであろう。

震災時の協力など感謝すべき点は素直に認めつつ、しかし余りアメリカの善意に基づく「腹芸」など信じていると、進路を誤る。
歴史の必然性からいって、全ては変化して絶え間もない。
アメリカの繁栄と力が永遠であることも、日本との関係がずっと変質せず
存続するということもあり得ない。歴史の別名は関係性の変化である。

日本はアメリカ合衆国との関係を大切に当分保ちながらも、常に自主独立の
道筋は営々とつけて行かねばならぬ。いつまでもアメリカの核の傘を
あてにする余り、仮に上辺だけの口封じでも言いがかりでも、理不尽な要求に口をつぐんでいては、誤解される。国際社会での無言は、それ自体が一つの回答であると取られてしまうので、必要あらば跳ね返さないと、無意識の従属意識のもとに飼い慣らされてしまう。

でも少数派の意見だろうなあ、

という如きことを考えていたら、「産経抄」が同じようなことを書いていてくれて、孤独から救われた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131228/plc13122803080003-n1.htm

このたびの安倍総理の参拝に対する中韓の反応は「雪の上に霜がおりる」程度のことという言い方も上手だなあと感心した。

つまり、総理が参拝しようとしまいと、中韓の反日政策は基本は同じなのであって、
それがいささか強まるだけのことだ、と。
ところがマスコミの論調を聞いていると、あたかも昨日まで関係良好であったものを
安倍総理が参拝で台無しにしたかのような裁き方で、驚く。これでは一種の捏造、印象操作ではないか。参拝前も、とりわけ韓国は反日をあたかも国是としたごとき有り様ではなかったか。歴代総理が参拝をひかえて日韓日中関係が向上した事実はない。非参拝とは無縁に、むしろ悪化しているではないか。

アメリカは大切にしなければならぬ国だが、しかし従軍慰安婦の嘘に対して日本は黙っていろ、言い返すなというごとき、日本の名誉を無視するごとき理不尽な口封じや、靖国参拝に対する日本人の先祖への崇敬を批判されるごときことには、毅然と対応すべきだと私は思う。

それにしても、首相の靖国参拝は公約ではなかったか?
いつもは公約守らぬと批判する人たちが、公約を守ったといって叩くのも、奇妙な眺めではある。

普天間にいちおうの方向が見えてきたことも、総理の背中をひと押ししたのかもしれぬ。
施政1年目という区切りを日にちに選ぶのも、達者だなあと私などは思うものだ。
私は安倍総理の全面支持者でもなかったのだが、このたび見せた決然たる意志に対しては、賛意を捧げたい。参拝はなさらぬだろうと、実は思っていた。
なさっても、何でもない普通の日をひっそり選ばれるかと。


安倍総理の靖国参拝について

2013年12月27日 | 日記

政治向きのことは、余り書かなくなっているし、私ごときが改めて声をあげることも
ないであろうと口をつぐんでいたのだが、テレビに出る人出る人批判するのに
驚いたので、いささか記しておきたい。支持論が(私の知る限り)皆無に近いというのも、テレビが本来基本とすべき公平性に欠けるであろうから。

安倍総理の靖国参拝のことである。

 

まず冷静にことの経緯(ゆくたて)を時系列で観察していただきたいのだが、
いわゆるA級戦犯が合祀されてから、数年間(6年間であったか?)は
合祀の靖国神社は無風状態であった。記憶に誤りがなければ合祀後も
確か鈴木善幸元首相が参拝なさっていなかったか。

*1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、 大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8 月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。

それが唐突に問題視されたのは中曽根元首相の1985年参拝からであり、そこに至るまでの経緯を見ているとこれは中国韓国よりまず日本発で騒ぎが起こったことが見て取れ、これはいわゆる従軍慰安婦問題と同じ。理由は想像範囲内でしか分からぬので書かぬが、日本を貶めたいいちおう日本人がいる。

A級戦犯の合祀がよろしくない、というのが論点であるが、
所詮戦勝国側の裁判で一方的に問答無用の裁かれ方をした
方たちである。しかし、それは致し方ない。戦争とはそうしたもので、
理屈でも倫理でもなく力がすべての場であり、勝てば官軍は
どの世でも同じである。いわゆる東京裁判の不当性はインドの
パール判事が喝破してくださっているのみではなく、当のアメリカ人が
告発していて、ヘレン・ミアーズなど、むしろGHQ側の人間が
日本のあの戦争の正当性を認めている。
だが東京裁判の正当性不当性はこの際置いておく。

肝要なのは、もう裁判の結果を受けて、彼らは責任を全うしている
ということだ。裁判が終わってそれなりのけじめが
終われば、彼らは私たちの同胞であり日本人である。
国内法ではすでに無罪。日本人が彼らを是として受け入れているものを、
他国からとやかく言われる筋合いにはもはやない。

A級戦犯というが、A級を罪の等位だと誤解している人が日本人にも多いし
比喩としてA級戦犯は「最大の罪人、責任の所在者」として使われる。
間違いである。日本人の多くが勘違いしていること、韓国人中国人の
人々がいかほど、理解して参拝を反対しているのであろう。

A級戦犯というのは、平和に対する罪(Crime against peace)であり、
国際法では、不法に戦争を起こす行為のことである。
この「不法に戦争を起こす」が問題点で、それが不法であったか、正当で
あったか、価値観はしょせん裁くほうに正義がある。

もし連合国軍が負けていれば、それこそ非戦闘員を、日本各地における大空襲や、2度にも渡る原爆投下で大量虐殺したアメリカ人の中からA級戦犯が出ているという話である。勝ったからこそ、投下を命じた者も投下した者も、戦犯の名を
かぶされていないというレベルの話なのだが、これはお分かりだろうか。
勝っていれば日本のA級戦犯も英雄と名を変えている。
戦争とはそうしたものなのである。

B項に該当するB級戦犯は、「通例の戦争犯罪」、C項は「人道に対する罪」であり、要するに罪状の「種類」であって、等級ではないのである。
大変基本的な誤解をしている人たちが日本にも中国韓国にもいはしないか。
そしてこんな基本的勘違いも放置されたまま、テレビでは参拝反対を言い立てる人で満ち溢れているのである。

A級、B級、C級は(戦勝国側が勝手に一方的に区分けした)戦争犯罪の「類型」であって罪状の重さではない。このことを、しっかり腹に据えて欲しい。そして機会があれば周りに、また海外に向けて伝えて欲しい。
大変な誤解をベースに靖国参拝論の是非が論じられている。

これも何やら混乱気味であるが、日本は韓国と戦争はしていないし、侵略した事実もない。日韓併合は当時の国際条約に基づいた合法的合邦であるし、日本側の施政を詳らかに検討するなら、植民地という定義からは大きく逸れる。
これは、日韓双方が冷静に極めて学術的にお互い研究すべきことだと思う。
反対者はいたが、合邦を乞う声も韓国には強くあった。
歴史にifはないが、お人好し日本が介在しなければ清国に隷属したままであったか、ソ連に蹂躙されていたかであろう。

靖国神社に話を戻す。「合祀」されている、と簡単に言ってのけるが、靖国神社に何が具体的に祀られているか承知しての批判なのか。
お骨か? 否。位牌か? 否。

では何が祀られているのか。

御霊(みたま)である。それだけ。

ヒトラーの墓と同列に並べたタレントがいるらしいが、複数の意味で
間違いを犯している。
それとこの際、言っておきたいが日本の国内問題にアメリカ人の
コメンテーターを使うこと自体意味ないとは言わぬが、なぜ
一方的裁断者、批判者の位置に置くのか。大空襲や人体実験でしかない
原爆投下を歴史に背負った国民であるのに。そこは誰一人言わぬ。
昔スタジオで一緒してしばらくは年賀状のやりとりをしたこともあるアメリカ人であるが、私が現場にいても、持ち時間数十秒のテレビのコメントでは
突っ込みようもないかもしれぬ。

しかしコメンテーターの人選。軒並み強い批判者であるとは何を基準に
選んでいらっしゃるのか。・・・・・まあわかるけれど。私みたいな論者を
たまとは言え呼ぶ「真相報道バンキシャ!」は勇気がある。
これでも言いたいことの5分の一程度には押さえる「テレビ的」良識は
持っているつもりだが、この程度でも言う人間がテレビには余りいない。

A もBもCも、要するに日本が勝っていれば、連合軍側に大量に「戦犯」が発生していた、とそのレベルの話であって、統一された倫理観と法で裁かれる民間の刑事裁判とは基本で異なる。それは腹に据えて置きたい。

合祀・分祀と簡単に言ってのけるが、霊(たましい)をどうやって
合わせたり、分けたりするのか。反対論者にはぜひ答えて欲しい。
形のない見えないものを分ける分けないのと、その論議自体が
茶番なのがお判りであろうか。

霊璽簿と称する名簿はあるが、もし分祀となれば氏名の末尾に命(みこと)と記されたお名前に線を引いて抹消。はい分祀なりました、ということなのだが、そんなつまらぬことが問題か。

神道の招魂の儀式などむろん知らぬので、いささか荒っぽく書いているが、しかし問題の基本は上記に書いたとおりである。

テレビではこんな基本事項すら置き去りに、まじめに論議されているのであろうか。

更に、「隣国同士は仲が悪い」という言い方で、対中対韓問題をくくる識者が必ずいるが欺瞞であることを指摘しておきたい。
一般論として「隣国同士は仲が悪い」は事実であるが、こう言い放たれた時なぜ、言い返すコメンテーターがいないのか、私などはいつも不思議に思う。
「で? その国は領土を不法占拠されているのですか?」と。
日本は敗戦によるGHQの日本弱体化政策とWAR GUILT INFORMATION(日本は戦争に関して犯罪者であるという規定と教育、洗脳政策)に端を発して、
国内に抱え込む他国には絶えてない「特殊事情」もある。
歴史に関する認識が360度お互いに異なる隣国同士も、日本と対中国対韓国を除いて世界にはない。また文化が剽窃され続ける国もない。
歴史認識の価値判断はここでは触れない。
ただ、日韓日中の特殊事情に口を拭ったまま、「隣国同士は仲が悪い」と一般論に包括するのは、意図的なのか、単なる浅慮からなのか知らぬが、ことの本質を見誤らされるので要注意。

アジアでは、とアジアを被害者としてひとくくりして語るテレビの語り口も、
まやかしである。
あの戦争の批判者は中国韓国北朝鮮のみ。他は感謝と賞賛のほうが
上回っている、とこれもテレビでは口をつぐんで誰も語らぬ。
何を恐れているのか、無知なのか。
私などには解らぬ。単なる事実なのに。

 

安倍総理は「不戦の誓い」に行ってきたと明言しているのだが、おそらく
猜疑心の眼鏡で見る人達はそれも信じられないのであろう。
日本のためにというよりは、遺書に見られるごとく、母のため、兄弟のため、
ふるさと守るためと個人的心情で命を散らした人たちに対して、「二度と戦争が起こらぬように」という請願が不自然であるとは私は思わぬ。

 

ただ・・・・戦争とは起こそうと思って起きるだけのものではない、起こされ
巻き込まれる戦争もあるのだということは承知しておきたい。
そのためにはどう守りを固めるのか。それはまた別の論議である。

 

もう皆さん、安倍総理の言葉はご存知だろうが、念のため付記しておく。

 

「靖国神社を参拝するということが、いわゆる戦犯を崇拝する行為であるという誤解もあるが、私は1年間の歩みをご英霊に対してご報告する、不戦の決意を伝えるために参拝した。中国・韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない。それは参拝して来られた歴代の総理大臣と全く同じ考え。母を残し、愛する妻や子を残し戦場で亡くなった英霊のご冥福をお祈りし、リーダーとして手を合わせることは、世界共通のリーダーの姿勢ではないか。参拝はこれ以外のものでは全くない、ということをこれから理解いただくための努力をしていきたい。

また日本は戦後、自由と民主主義を護ってきた。そのもとに、平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫しており、一点の曇りもない。これからも謙虚に礼儀正しく誠意を持って説明し対話を求めていきたい。この気持ちをぜひ、中国・韓国のリーダーにも直接説明したいと思う」

 

 

外を火の用心の拍子木と声が行き過ぎる夜に記す。

 

・・・・今気づいたのだが、何と日本的な間合いとリズムであることだろう。